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「有頂天家族」/すべて阿呆の血のしからしむるところ

 2008-02-29-23:56


森見 登美彦

有頂天家族


これは狸と人間と天狗の物語。
主たる登場人物は、阿呆の血が色濃く流れるが、母思いの優しい四兄弟から成るある一家(でも、狸)及びその天敵一家(もちろん、こちらも狸)、忘年会にて狸鍋を囲むことを会則としている、金曜倶楽部の面々(「食べちゃいたいほど好きなのだもの」と嘯く大学教授と、天狗道を邁進する元・人間含む)、傲岸不遜な態度は変わらないものの、今となってはほぼ力を失ってしまった天狗、「赤玉先生」(哀しいまでに甘い赤玉ポートワインを愛飲する)。

人間は街に暮らし、狸は地を這い、天狗は天空を飛行する。
 平安遷都この方続く、人間と狸と天狗の三つ巴。
 それがこの街の大きな車輪を廻している。
 天狗は狸に説教を垂れ、狸は人間を化かし、人間は天狗を畏れ敬う。天狗は人間を拐かし、人間は狸を鍋にして、狸は天狗を罠にかける。
 そうやってぐるぐる車輪は廻る。
 廻る車輪を眺めているのが、どんなことより面白い。
(p7より引用)

三つ巴はぐるぐる廻って、うごうごと日々を過ごす内に、物語はクライマックスの大騒動へ! 楽しいんだけど、「で??」、と言われちゃうと困っちゃう物語でもある。だけど結局ね、文中にもあるように「面白きことは良きことなり!」だと思うのですよ、きっと。

一つの大きな謎は、この下鴨の狸四兄弟の偉大なる父はなぜ死んだのか、ということなんだけど、これが章が進むにつれて、徐々に、徐々に分かっていくという仕掛け。知っていながら、聞かれるまでは黙っている周囲の天狗も、大概ずるいよな~、とも思うんだけど、ね。

天空を自在に駆け、異能を持つ天狗は孤高の存在。しかしながら、能力を失ってなお、孤高の存在であることのみを貫こうとする天狗の姿は、哀れであり滑稽でもある。互いにそれが分かっていても、師に傅く四兄弟の三男、矢三郎とのやり取りは、ほとんど様式美。いやー、私にはこうやって人を立てる(いや、この場合天狗だけど)ことは出来ないなぁ。でも、それもまた師弟愛なんだよな。

偽叡山電車が街を駆け、偽電気ブランを製造する狸たちがいて、偽車夫つきの自働人力車が街を走る。これまでの森見作品においても、洛中において沢山の不思議なものや不思議な人物が出てきたけれど、あのうちの幾人かは天狗だったり、狸が化けたものだったのやもしれません。矢三郎のお得意の化け姿は、腐れ大学生だしさ。

「阿呆の血」というフレーズが何度も出てくるんだけど、なんとも言えぬ愛しさを籠められると、「阿呆」というのもいいもんんですね(何となく、関東は「馬鹿」をつかい、関西は「阿呆」をつかうイメージ。「阿呆」は言われ&聞き慣れないからか、実際に言われると、ちょっとぎょっとします。いや、「馬鹿」もそんな言われないけどさ)。そして、「阿呆」と言えば、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。楽しきこと、面白きことを精一杯楽しみなさい、というお話でもありました。

ところで、弁天が好むという赤割り(焼酎を赤玉ポートワインで割ったもの)ってどんな味なのでしょう。何焼酎で割るかによっても変わるよねえ。とりあえず、色は綺麗そうではあるけれど。

目次
第一章 納涼床の女神
第二章 母と雷神様
第三章 大文字納涼船合戦
第四章 金曜倶楽部
第五章 父の発つ日
第六章 夷川早雲の暗躍
第七章 有頂天家族

「カラフル」/この色彩豊かな世界

 2008-02-05-00:22
カラフルカラフル
(1998/07)
森 絵都

商品詳細を見る
死んだはずのぼく。どこかに流されていく、そんなぼくの魂。

 ぱんぱかぱーん。

そんな勢いで、ぼくの魂が抽選に当たったことを告げたのは優男の天使。
そうして、ぼくはこの世界に舞い戻ってくることになった。ガイド役の天使、プラプラと共に。

ぼくの魂は生前大きな罪を犯したために、輪廻のサイクルから外されてしまったのだという。そんなぼくに与えられた再挑戦のチャンス、これが先ほどの抽選の結果と言うわけ。この当選は辞退する事が出来ず、また、途中リタイアする事も許されない。ぼくは自殺未遂をした中学三年生の男の子、小林真の体に入って、自分の前世のあやまちを探ることになる。ところが、この「小林真」がまったく冴えないヤツで…。

登校初日には普通に挨拶しただけで、クラスメイトには「明るくなった」と驚かれてしまうし、妙に思いつめた同級生、佐野唱子には真が変わったと怪しまれる。真は学校にもろくに友人がいなかったようだし、一見普通の家族である家庭にも問題を抱えていて…。真の目には、きっと真っ黒に塗りつぶされた世界が見えていたのだけれど…。それは本当にそうだったのか?

 黒もあれば白もある。
 赤も青も黄色もある。
 明るい色も暗い色も。
 きれいな色もみにくい色も。
 角度しだいではどんな色だって見えてくる。

真実は一つではないし、私たちは時に一つの物事の偏った一つの面しか見ることが出来ないでいる。他の面を知るのに必要なのは、赦しであったり、思いやりの心であったり。

小林真の周囲の想いを知ったぼくは、彼の身体に間借りしていることが心苦しくなり、彼にこの体を返してやろうと考えるようになる。果たしてぼくは、プラプラが決めた期限までに、自分の前世を思い出す事が出来るのか?

ちょっと口の悪い天使プラプラ(だけど、傘は支給品の白いふりふりの日傘みたいなのを使っている。しかし、天使も傘を使うのか?笑)がいいです。世界のカラフルさ、存分に楽しめるといいね。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「天国の本屋」/ちょっと変わったバイトはいかが?

 2007-11-10-21:20

松久 淳, 田中 渉

天国の本屋 (新潮文庫)


小一時間ほどあれば、読めてしまう本です。もっのすごいリーダビリティ。それでも、ちゃんと残るものは残るし、じんわりといいお話だと思いました。これはあれですね、本屋を舞台にした、それが成功の要因ですね。

秋になっても就職も決まらない、何をやりたいかもわからない。そんなさとしが深夜のコンビニで出会ったのは、この寒さの中、アロハにバミューダパンツ、素足にサンダルのおじいさん。咄嗟に関わるのをやめようと思ったさとしだったけれど、なぜかこのおじいさん、ヤマキにスカウトされ、天国の本屋で短期アルバイトの店長代理として働くことに…。

さとしは、早番のユイ、遅番のアヅマ、ナカタという漫才コンビと一緒に、年中無休で働くことになる。現世ではやりたいことが見つけられなかったさとしだけれど、いつしか本屋の仕事を好きになり、また朗読という新たな才能が見出されることになる。この天国の本屋には、元々子供に好きな本を読んであげるというサービスがあったのだけれど、さとしの元には老若男女、様々な人たちが彼の朗読を求めてやって来る。

さて、ここで少し説明をしておくと、この世界では人間の寿命はジャスト百歳に設定されているのだという。これが本当の意味の「天寿」であり、残った天寿を全うする場所が「天国」なのだ。つまり、二十歳で死ぬ者は残りの八十年を「天国」で過ごし、八十歳で死ぬ者は残りの二十年を「天国」で過ごすというわけ。見事、天寿を全うした後には、「天国」での記憶を全て消去され、赤ん坊として再び現世に生まれてくる。

さとしが朗読を頼まれるのは、どうも人々が現世で印象深かった本のよう。特に巧みなわけでもない、さとしの朗読が求められるのは、彼の朗読がみなの大切な思い出を引っ張りだす、そんな力があるようだから。そんな中、緑色の目をしたユイだけは、さとしの朗読を聞こうともせず、「本がキライ」と言い放つのであるが…。現世でユイに何があったのか? さとしはユイのかたくなな心を溶かすことが出来るのか?

さて、Wikipediaの映画「天国の本屋~恋火」の項目 によると、「原作の『天国の本屋』(松久淳と田中渉の共著)は、かまくら春秋社から2000年に刊行されたものの売れ行きは芳しくなく、在庫品となっていたものを岩手県盛岡市の「さわや書店」店長が偶然読んで感動し、独自に宣伝して評判を広めたことによりロングセラーとなった変り種」だそう。そんなまるでおとぎ話のような展開も、実に相応しく思える物語でした。さとしが朗読する本の中で、特に重要になるのが「泣いた赤おに」とナルニア物語の「さいごの戦い。どちらも私も好きな物語であり、ちらりと出てきた「ろけっとこざる」も懐かしかった!

 ←どうやら続編も。
小説で共著というのも珍しいですよね。

「父の詫び状」/紡ぎ出される記憶と思い出

 2007-11-05-21:55

向田 邦子

父の詫び状 (文春文庫 む 1-1)


最近、ちょっと向田邦子さんの小説の話をする機会があって、それで何となく読みたくなったのです。でもさ、家にあるのは、「父の詫び状」「無名仮名人名簿」と、両方ともエッセイだったので、小説は小説で別に読まなきゃダメみたい。そういえば、改めて考えると、私、向田さんの小説を読んだことがなかったのかも…。

目次
父の詫び状/身体髪膚/隣りの神様/記念写真/お辞儀/子供たちの夜/細長い海/ごはん/お軽勘平/あだ桜/車中の皆様/ねずみ花火/チーコとグランデ/海苔巻きの端っこ/学生アイス/魚の目は泪/隣りの匂い/兎と亀/お八つの時間/わが拾遺集/昔カレー/鼻筋紳士録/薩摩揚/卵とわたし
あとがき
解説 沢木耕太郎


呆れるほど完璧な記憶から紡ぎだされるのは、幼い頃の思い出、家族や友人の話。

どれも、色々なところに広がった話が、ぴたりと収斂していく様が小気味よく、面白いのだけれど、今回つらつら再読していて驚いたのが、この文庫の解説を沢木耕太郎さんが書いていたこと。しかも、この解説が書き上げられているまさにその最中に、向田さんはあの航空機事故に巻き込まれ、亡くなっていた…。ちょっと不謹慎ではありますが、こんなところまで、向田さんはドラマチックなんだなぁ。

昭和五十六年九月十二日と記されているこの解説によると、沢木さんがこの解説を書くことになったのは、向田さん直々のご指名だったのだとか(沢木さんは、「年少の者」の意見を聞きたかったのではないか、と推察してます)。知人によると、解説が書き上がったら、向田さんは食事を御馳走するおつもりでいたのだって。解説含めて、面白いなぁ、と思ったことでした。

新装版もあるのですね。む、ちょっと豪華だ。


さて、次は「思い出トランプ」だ!

「【新釈】走れメロス 他四篇」/森見氏が語り直す古典文学作品

 2007-10-10-22:25
森見 登美彦
新釈 走れメロス 他四篇

目次
山月記
藪の中
走れメロス
桜の森の満開の下
百物語


森見さんの本は、「夜は短し歩けよ乙女 」もそうだったけれど、装幀もいいですよねー。これもね、「山月記」では万年筆と原稿が、「藪の中」では雨粒と傘が、「走れメロス」では桃色ブリーフが、「桜の森の満開の下」では乙女が、「百物語」では和蝋燭が、アイコンのように描かれている。

森見登美彦氏のブログ、「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ 」では、作品を「子」として愛でる登美彦氏の姿が見られるわけですが、やっぱり装幀にも拘りがおありなのでしょうか。

takam16 さんに教えていただいて、NHK教育の森見氏出演「トップランナー」も見ましたが、その辺への言及はなかったです(つか、デザイナーの方が張り切って作っちゃうような作品なのかしらん)。

さて、本題に。

これはタイトルからも分かる通り、古典作品を【新釈】により語りなおした短編集。

基本、いつもの森見作品のように京都を舞台とし、「山月記」では、孤高の学生はついには天狗になり、「藪の中」ではある自主製作映画を巡る人間模様が描かれ、「走れメロス」では、詭弁論部の学生は友情を証するために、何としても約束を破ろうと躍起になる。「桜の森の満開の下」では、ある女に出会って、男は腐れ学生から成功した作家になり、「百物語」では、百物語の會の周辺に佇む学生の姿が描かれる。

それぞれの物語は、時に登場人物を同じくし、その間には緩やかな繋がりがあるようである。

元ネタとしては、芥川龍之介の「藪の中」、森鴎外の「百物語」が未読。せっかくその作品の雰囲気も共に【新釈】したというこの作品、「百物語」はともかく、「藪の中」は読んでおきたかったなぁ。

しかし、ここにも出てきますよ、「パンツ番長」。もしかして、森見さんのお気に入りネタ?笑 パンツ繋がりではありませぬが、「走れメロス」では、附属図書館の図書を借り出したまま返却しない連中に、制裁を加えて図書を回収すべく設置された学生組織、「図書館警察」なる摩訶不思議組織が出てきます。この図書館警察長官との仁義なき戦いも面白い。さて、「図書館警察」と言えば、スティーブン・キングのその名もずばり、「図書館警察 」があるのだけれど、「【新釈】~」に出てくる「図書館警察」の方が、言葉のイメージに近いです。図書館をよく利用する人間には、たとえ延滞してなくても、この言葉の響き、ちょっと怖~くないですか?

坂口安吾の「桜の森の満開の下(これは、タイトルが滅茶苦茶いいよねえ)は、随分前に読んだっきりだけれど、これもまた雰囲気が出ていたように思います。

「回転木馬のデッド・ヒート」/人生はメリーゴーラウンド

 2007-10-07-22:50
回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)
(1988/10)
村上 春樹

商品詳細を見る
小説家である村上さんのもとに集まって、澱のようにたまる誰かの話。そんな話の中には、時に「語られたがっている」話がある。それらを元に、事実に即してスケッチのように書いたのが、この短編集。
目次
はじめに・回転木馬のデッド・ヒート
レーダー・ホーゼン
タクシーに乗った男
プールサイド
今は亡き王女のための
嘔吐1979
雨やどり
野球場
ハンティング・ナイフ
事実に即して、とあるけれど、これらの中にはかなり不思議な、説明のつかない出来事もある。しかし、共通しているのは、これらが誰かの人生の断片であること。

わたしたちは、自分の人生から降りることはできない。人生はまるでメリー・ゴーラウンド。定められた速度で、定められた順序で、それは続いていく。どんなに順風満帆に見える人生でもそれは同じ。そして、わたしたちは、メリー・ゴーラウンドの中でアップ・ダウンを繰り返し、時に仮想の敵を作ってデッドヒートを繰り広げる…。

基本的に、村上春樹さんの小説には苦手意識を持っているのだけれど、これは割合するりと読めました。そう多く読んだわけではないので、勝手なイメージなのだけれど、村上春樹の小説は、言いたい事が、弾力のある何かにきっちりと包まれているような気がして、その手触りが何だか気持ち悪く感じてしまうのです。ま、こんな私でも、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」は、もう二十年近く前になるけど、結構楽しく読んだのだけれど。きっと村上春樹の言いたい事というか、核心には賛同出来るんだけど、その手段が時に私には合わないんだろうなぁ、と思います。「心臓を貫かれて 」など、翻訳はむしろいいなぁ、と思うしねえ。

ところで、この「回転木馬のデッドヒート」を読んで思い出した本があるのだけれど、それは村上龍の「ポップアートのある部屋」という短編集。こちらもまた、おそらくは作家である「僕」が出会った(ような体裁をとった)、ポップアートとそれに交差する誰かの人生の一部を描いている。こちらもポップアートの軽さというか平板さと、誰かの人生の落差が興味深い短編集です。W村上なんて言われていた時代もあったけれど、やっぱりどこか似ているような気がします。

ポップアートのある部屋 (講談社文庫)ポップアートのある部屋 (講談社文庫)
(1989/03)
村上 龍

商品詳細を見る

「 コンビニたそがれ堂―街かどの魔法の時間 」/探しものはなんですか?

 2007-09-22-22:59

村山 早紀, 名倉 靖博
コンビニたそがれ堂―街かどの魔法の時間 (ポプラの木かげ)

カフェ・かもめ亭 」と同じ風早の街には、探し物があるものだけに開かれているコンビニがあるらしい。赤い鳥居がたくさんあるあたりに、もしもコンビニの灯りがぽっかりと光っていたら…。そこには、長い銀色の髪に金の眼の若者がおり、ぐつぐつ煮えているおでんと、つくりたてのお稲荷さんのあまいにおいが漂っているのだという。

たそがれ堂が受け入れるのは、人間だけではない。時には飼い主のことを強く想う猫だってやって来る。カフェ・かもめ亭と違って、いつでも誰でも入れるお店ではないけれど、さすが風早の街。やっぱり、このお店もとても素敵。

もくじ
コンビニたそがれ堂
手をつないで
桜の声
あんず
あるテレビの物語
エンディング~たそがれ堂
 あとがき


私が好きだったのは、「桜の声」と「あんず」。
ラジオ風早のアナウンサーであり、『ティータイムをあなたと』を担当するさくら子の元に届くようになった手紙。両親の待つ田舎に帰りもせず、ひとり、この風早の街に居続ける自分。自分の声はどこに届いているのか。自信をなくしていたさくら子だったけれど…。ケツメイシの「さくら」がキーワード。確かに、「ケツメイシノサクラ」ってちょっと呪文っぽくもあるよね。

拾ってくれた「おにいちゃん」のことを強く想う猫のあんず。自らの死期を悟ったあんずは、たそがれ堂に辿り着く。彼女が求めたものは…。助けたものと助けられたもの。でも、そのどちらもが、どちらの「助け」にもなっていたのだ。

これは、挿絵を名倉靖博さんという、アニメ界の方が担当されているのだけれど、そのせいか読みながらも、何となく登場人物たちが頭の中でアニメのように動いてました。この設定だったら、実際に連作としてアニメ化も出来ちゃいそう。ほのぼのと優しい物語に、心が癒されそうです。ちょっと甘口だけれど、偶にはこんなお話もいい。

「慶応わっふる日記」/幕末の典医の娘に生まれて

 2007-09-20-21:54

村田 喜代子

慶応わっふる日記
潮出版社


それは、大政奉還がなされる少し前、典医であった父、桂川甫周の鉄砲洲の屋敷に住まう甫周の娘、「ひいさま」、みね子の暮らす日々。

元治元年の夏から始まるこの物語は、慶応三年の大政奉還を少し過ぎたあたりで、その幕を下ろす。ほとんどを屋敷の中で過ごし、外出は駕籠に乗って。そんな「ひいさま」な暮らしにも、時代の流れは影を落とす。

祖父母が暮らし、かつては公方様が鷹狩りをなされたという御浜御殿も、物語の後半では静けさを失い、陸軍歩兵の騒々しい駐屯所に変わる。また、寛大な父の元、山程いた書生たちも、必要とされて、みな、国元に帰って行く…。

特に起伏という起伏はないのだけれど、これは良かったです。きゃらきゃらしたところも、浮ついたところもないのだけれど、これもまた、間違いなく「少女の」物語。

先ほど、起伏はない、と書いたけれど、物語が始まって早々、桂川家はみね子のおじ、藤沢志摩守の不興の余波を受け、約一年にわたる「閉門」を経験する。築地から鉄砲洲に転居し、新しい本屋や父の友人が暮らす西洋館など、屋敷の様々を建てている最中であった桂川家の全ての普請は滞ってしまう。「閉門」においては、すべての窓が板で塞がれ、原則的に人の出入りも許されない。そんな中でも、少女、みね子の目は曇ることはない…。

典医である桂川の娘として生まれた覚悟、武家のあれこれ、使用人たちのこと、舶来物のはなし(わっふる、ミシン)、「究理学」を学ぶ父の友人の硝石づくりのこと、父の技、蘭法医学のこと…。語られる日々の様々は、決して派手ではないのだけれど、しみじみと興味深く、味わい深い。

こういうのを読むと、情報量だけが、知識の量だけが、物事を決める全てではないと思うのだよね。習い事に熱心でない父を持ち、早くに母を亡くしたみね子は、自分には取り柄がないというのだけれど、この聡明さはすでに一つの武器でもある。

冒頭、築地から鉄砲洲に移ってきたみねは、毎朝波の音で目が覚めるようになったと語るのだけれど、この波は波といっても海の波ではなく、大川の岸辺に打ち返す波音。どぼん、どぼんと、ゆっくりと打つ波音を聞きながら、みねは海のことを考える。この冒頭からすっかり引き込まれて、ほのぼのと味わって読みました。桂川家の女中は、つるじ、かめじ、まつじ。どんな名前の娘が来ても、それは何代目かの「○○じ」(つるorかめorまつ)になるのだよね。そういうところも、旧家だよねえ。

これ、私が借りてきた図書館の本では、カバーが剥がされちゃっていたので、どんな表紙なのか知りたかったのだけれど、表紙絵は出ないようです。残念~。
図書館の本では、薄いベージュの地に、この時代の地図がそのまま描かれている。この時代の屋敷の大きいこと!(そして、松平なんとかさんが、たくさん~)

■桂川甫周(wikipediaにリンク )■
四代目と七代目、二名いる甫周のうち、七代目甫周の次女である今泉みねの日記が、この小説の元となっている。


村田喜代子さんは、以前「雲南の妻」を読んだとき、いまひとつピンとこず、そのままだったのだけれど、もう少しいろいろ読んでみたいな~、と思ったのでした。

「猫舌男爵」/魅惑の舌触り

 2007-08-31-22:49
猫舌男爵猫舌男爵
(2004/03)
皆川 博子

商品詳細を見る


人を食ったようなタイトルに惹かれて借りてきた、皆川さんの本です。味も舌触りも異なる五本の短編。どれもいいなぁ、流石、皆川さんだよなぁ、と一人頷いてしまいました。

目次
水葬楽
猫舌男爵
オムレツ少年の儀式
睡蓮
太陽馬


好きだったのは、「猫舌男爵」と「睡蓮」、「太陽馬」。
水葬楽」は侏儒が奏でる音が印象的であり、「オムレツ少年の儀式」はやはりここで小道具はオムレツでなくてはならないよなぁ、と感じました。ふわふわと調えられたオムレツって、なんか幸せではありませんか?

■「猫舌男爵
これは、ヤマダ・フタロのニンポをこよなく愛する、ヤン・ジェロムスキなる人物による翻訳本。
ヤマダ・フタロの本を漁る内、彼の手に入ったのはハリガヴォ・ナミコ(針ヶ尾奈美子)が書いたという短編集、「猫舌男爵」。日本語を学ぶ彼は、この本を訳すことに決めたのだが…。翻訳をするには、語学力に激しく難があるジェロムスキは、周りの人間を巻き込みながら、翻訳とは言い難い本を著すことになる。そして、更にこの本が与えた悲喜こもごもとは…。
老日本語教師、コナルスキ氏の怒りから受容の様子が面白かった。うん、まぁ、その生活もありだよね。
山田風太郎は、昔から面白い面白いと聞いていて、十年ぐらい前に一度チャレンジしたんだけど、ダメだったんだよねえ。今だったら、何とかなるかしらん。

■「睡蓮
ある狂女の物語。美貌と美術の才能に溢れるエーディト・ディートリヒは、なぜ「狂女」となってしまったのか。時系列を遡る書簡や日記がスリリング。

■「太陽馬
敗走中のドイツ兵が語る現況と自らの歴史、彼らが閉じ籠った図書館にあったという、言葉ではなく指弦を操るという一族の物語が交錯する。
最初は読みづらくて、取っつき難かったんだけど、読み終わった今、これが一番心に残る。

敗走中のドイツ兵である「俺」。今ではドイツ兵と共に行動している「俺」だけれど、俺の出自は、トルコ語で<豪胆なる者、叛く者、自由なる者>という意味を持つ、コサックの民。皇帝に忠誠を誓う、気高く誇り高き民。
広大な土地を有する富裕なコサックの子に生まれた「俺」は、戸外では常に馬上にあり、そして疾風を、陽光を楽の音に変え、言葉なき歌を歌った。幼き幸せな日々。しかし、運命はコサックを襲う。コサックが忠誠を誓った帝政は倒され、彼らコサックはボリシェヴィキに容赦無く襲われる。それは姉と結婚することで、ドイツ人からコサックとなった、義兄もまた…。
忠誠を尽くすべき皇帝を失い、また義兄を最悪な形で失った「俺」が新たに尽くすのは、ドイツ軍将校である「少尉殿」。崩れかけた図書館に潜伏中の彼らの手に、降伏勧告書がもたらされた。大尉、少尉、従軍牧師、ユーリイ、俺。俺たちはどう動く?

取っつき難かった主因でもある、この中で語られる指弦を持つ一族の話がまた魅力的でねえ。言葉では表しきれない響きや感動が、きっと世の中にはある。それは「俺」が馬上で歌った言葉なき歌と同じ…。

さて、コサックといえば、あの「コサックダンス」しか知らず、また騎馬民族といえばモンゴル!だった私にとって、「俺」が語る彼らコサックの歴史は全く未知の世界。ロシア革命含めて、もそっとその辺の知識が欲しいよ~。

「カフェ・かもめ亭 ささやかな魔法の物語」/こんなお店があったらいいな

 2007-08-26-09:09

村山 早紀, 朝倉 めぐみ

ささやかな魔法の物語―カフェ・かもめ亭 (ポプラの木かげ)


カフェ・かもめ亭は、ノスタルジックな素敵な喫茶店。海辺の街、風早にあるこの店は、現・マスターである広海の曽祖父の代、七十年近くも昔から現在まで、さまざまなお客を迎え、送り出してきた…。

表通りをはずれた、一歩裏道に入った通り、石畳の道に向かって店の扉は開く。店内には緑と絵が溢れ、船に関する道具や小さな自動ピアノ、そしてこの店の象徴でもあるかもめのモビールがゆらゆらと揺れる。

Ciel Bleu 」の四季さんのところでお見かけして、いいなーと思っていた本です。あちこちでご活躍のイラストレーター朝倉めぐみさんの表紙もいいですよね。物語の雰囲気にぴったり!

 ■四季さんの記事はこちら→「ささやかな魔法の物語 カフェ・かもめ亭」村山早紀
もくじ
砂漠の花
万華鏡の庭
銀の鏡
水仙姫
グリーン先生の魔法
ねこしまさんのお話
かもめ亭奇談
あとがき


砂漠の花」~「ねこしまさんのお話」までは、お客さんや出入りの業者さん(というほど、物々しいものではないけれど)が語る不思議な話。「かもめ亭奇談」のみが、いつも聞き役に回っていた、マスターの広海自身が体験する不思議な話。

砂漠の花」の青い花の美しさ、「万華鏡の庭」で寺嶋青年の掌に残った万華鏡の青い破片など、「青」の美しさ、綺麗さが印象的でした。

不思議な話のようでいて、種を明かすと不思議ではない。けれど、やっぱり実はそこには不思議な力が働いていたかもしれない、「ねこしまさんのお話」もふんわりと優しいお話でした。お話自体は、学校に居づらくなってしまったかおるのお話なので、辛いところもあるのだけれどね。

四季さんも引用されていらっしゃいますが、あとがきにあった「明日、読みかけの本のつづきを読むために、わたしは生きていたのです」という言葉が印象的でした。明るい少女にも、やはり思春期特有の悩みはあったのかもしれないけれど、マイナー側によっていた自覚のあった、私にも覚えのある感情だなー、なんてちょっぴり苦く思うのでした。でも、大人になってこんな物語を紡ぐことが出来たり、その物語を楽しむことが出来るのだから、大人になるっていいよなぁ、としみじみ。

同じく四季さんのところで、気になった村山さんの本。
←コンビニに御稲荷さん。この取り合わせの妙よ!
村山 早紀, 名倉 靖博
コンビニたそがれ堂―街かどの魔法の時間 (ポプラの木かげ)
ポプラ社には、「ポプラの木かげ」というシリーズがあるらしく、ポプラ社のHP を見たら、このシリーズの特徴は、木かげのようなやさしさあふれる本の世界★であり、
涼しい木かげにはいって、ゆっくりとくつろぐように、本の世界であそぼう。そこでは、魔法使いが活躍し、動物たちが楽しそうにしゃべっているかもしれない・・・。
ファンタジーを中心にした創作文学。小学校中学年から楽しめるストーリーのシリーズです
」だそう。

 ←ポプラの木かげの中では、amazonの紹介文を読むと激しく平仮名が多そうだけれど、こちらのシリーズも気になるなぁ。「古道具屋さんのおしじさんが拾った洋服ダンスから黒ねこがとびだして、「ブンダバー」と名のったのです!」(ポプラ社紹介文より。…「おしじさん」って、「おじいさん」の間違い?それか、ほんとに「おしじ」さんなのか?)。古道具に黒猫という組み合わせがまた魅力的だわ。

「琥珀枕」/恩師はすっぽんの化身なり

 2007-08-22-22:04

森福 都

琥珀枕


安心の森福さんの中国伝奇モノ。

此度の物語では、すっぽんの化身が出てきます。すっぽんとはいえ、非常に長い長い時を生きている徐庚先生。その叡智は限りなく、中国は東海郡藍陵県の県令の子息、趙昭之を教え導くのです。

目次
太清丹
飢渇
唾壺
妬忌津
琥珀枕
双犀犬
明鏡井

解説 末國義己


少年、趙昭之は県令の一人息子。県令たるもの、善く人々を治めなければならない。であるからして、市井の出来事にも通じているべき。そこを導くのが、すっぽんの化身たる徐庚先生。先生は全てを教えてくれるわけではないのだけれど、趙昭之と徐庚先生は今日もまた、県城を見下ろす香山の照月亭に向かうのです。さて、そこから見える景色はいかに? 七つの物語。

太清丹」では、不死をもたらすという仙薬から、美女の恐ろしさをかいま見、「飢渇」では、飢えた幽鬼に取りつかれた人間を見、またそれすらをも利用する人間の強かさを見る。「唾壺」では、矢鱈と耳の良い塩売りの秘密を知り、「妬忌津」では美女を川に引きずり込む妖怪、妬忌津の正体を知る。
琥珀枕」では、若かりし頃の徐庚先生が出会った事件が語られ、「双犀犬」では趙昭之の両親の出会いが語られる。「明鏡井」で語られるのは、趙家の官舎の裏庭にある井戸で起こる怪異。

太清丹」に出てくる、体に巣食う赤蛭や、蛭珠(ひるだま)はおぞましいし、「妬忌津」では艶やかな人面瘡が探偵役となる。しかも怪異は人間の手によるものとオチがついたかと思いきや一転…。出てくる怪異も、気持ち悪いものから、あでやかで艶やかなものからさまざま。あっつい夏にこんな怪異がぴったりくる。

連作スタイルで、最初は怪異は外部のものであり、それとの関連が薄かった少年、趙昭之も、ラストの「明鏡井」では、立派に怪異に立ち向かうことになる。緩やかな成長物語、と読むことも出来るのかも。徐庚先生は今日もどこかで、少年を導いているのやもしれません。そもそも徐庚先生が、趙昭之を教え導くことになったのも、先生の評判を聞いた昭之の父が屋敷の庭に掘らせた大きな池に玉砂利を敷き、礼を尽くして招いたからなんだよね。不思議が当たり前の顔をして隣にあるこの世界。なかなかいい感じなのでありました。森福さんの中国ものはやっぱりハズレなし!

☆関連過去記事☆
・「吃逆 」/探偵はしゃっくり癖の進士様!
・「狐弟子 」/人間は、結構ズルい

 ← 単行本の表紙もいいな。

「孤宿の人」/人間の弱さ、狡さ

 2007-08-13-21:46
宮部 みゆき
孤宿の人 上 」「孤宿の人 下
新人物往来社

讃岐の国の丸海藩。海うさぎと呼ばれる白波が立ち、紅貝染めの塔屋からは煙が立つ、海辺の長閑な国。金毘羅参りの旅籠ともなるこの藩は、新興の紅貝染めで多少の潤いを得てはいるものの、懸命に働く人々の暮らしは決して楽ではない。

そんな丸海藩に、江戸の大罪人「加賀殿」のお預かりという大役が回ってきた。これは、紅貝染めで利益を得ている丸海藩を、面白くなく思ってのことなのか。藩の取り潰しを恐れる藩の重鎮たちは、江戸の意向を必死で探ろうとし、また藩の主だった人々も、町の人々の情報操作に余念がない。

さて、軸となるのは、不幸な生い立ちの末、江戸から丸海藩へとやって来た少女「ほう」。「ほう」は阿呆の呆だと教えられた彼女は、働くことは苦ではないものの、読み書きや頭を使うことは得意ではない。丸海藩の医者である、「匙家」の井上家に引き取られたほう。これからは静かで温かな暮らしが待っているはずだったのだが…。

勘定奉行まで務めたものの、部下を殺し、妻を殺し、子を殺した「加賀殿」は、悪鬼となったのだという。加賀殿が丸海藩にやって来るということは、その何か「悪いもの」がやって来るということ。「悪いもの」に出会ったとき、弱い人々はどうするのだろうか。ある者は無暗に怖がり、ある者は悪い出来事の原因をそれに求め、もっと弱い者はそれに乗じて悪事を為す。のどかな国であったはずの丸海藩には、一転不穏な空気が蔓延するようになる。

少女ほうをめぐる人々は様々。匙家の人々、女だてらに引き手を目指す宇佐、番屋の親分一家、加賀殿預かりの涸滝の屋敷を守る武家…。しかししかし、この物語では、市井の懸命に生きる人々が、どんどんどんどん死んでいくのです。後半は涙なしでは読めないのだけれど、この涙は嬉しくなかったな~。哀しくて涙が出たのもあるけれど、それは憤慨の涙でもあった。

私は基本的に宮部さんのファンではあるのだけれど、同じくいやな後味が残った「誰か」を思い出しました。大がかりな陰謀というよりは、それを隠れ蓑にした人々の弱さ、狡さがどうしても印象に残ってしまう。そして、それらを見殺しにする「身分の高い」人たちのしたり顔。そこで責任を取らなくては、そこでなんとか物事の収拾を付けることができずに、何のための「身分の高さ」か、と憤りすら覚えてしまいましたよ。身分の高い人たちは、基本的には「いい人」ではあるのだけれど、「いい人」が有能であるか、というのは、これまた別の問題なわけで…。そこは敢えて「悪人」であってもいいんじゃない?、などとも思うのです。

みんながみんな、そうやって突出することをせず、「建前」や「決まり」を大切にした結果、どれだけ多くの命が失われたのか。世の中ってそういうものかもしれないけれど、『物語』の中でまで、そういう話を読みたくはないのだよなぁ。

「加賀殿」に対する後始末は、京極さんの巷説百物語シリーズのよう。なんだかねえ、この架空の丸海藩に、私は又市たちに来てほしかったです。又市たちなら、もっとよい始末をつけられたはずなのでは…。そして、きっと、こういうことには怒ってくれると思うのだよね。「ほう」は無垢で愛らしい存在だったのだけれど、誰かもっとこの現実に怒ってくれ!!、と思ってしまうのでした…。そんなわけで、怒りながら、泣きながら、読んでたので、ちょっと疲れる読書でした。やり切れなさすぎる…。

「夜は短し歩けよ乙女」/歩けよ、乙女。京の春夏秋冬を!

 2007-06-24-19:37
森見 登美彦
夜は短し歩けよ乙女

図書館での長きにわたる予約待ちの後、ようやく私の手の元に乙女がやって参りましたよ! やっと出会えた乙女の可憐なことといったら、まさにこの表紙絵のよう。その他にも、この表紙絵には読んだ後にもう一度眺めると、色々と楽しい仕掛けが施されております。今ひとたび、ごろうじあれ。

男汁溢れる「
太陽の塔 」も良かったのですが、同じようにストーカー癖に陥る先輩が居てすらも、こちらの可憐な乙女はあくまでキラキラとその可愛さを周囲に撒き散らす。いやまったく、可愛い女の子は世の財産です。

はからずもその場の主役へと躍り出て、可憐に活躍を果たす彼女、黒髪の乙女とは裏腹に、彼女に惚れ、迂遠な外堀埋めへと、その青春の殆どの労力をつぎ込む、彼女のサークルの先輩は、まるで路傍の石のごとき存在。彼ら二人の命運や如何に??

春。
乙女は満艦飾の夜に、二人の男の借金を賭けて、李白翁と「偽電気ブラン」の呑み比べを行う。この夜はまさにカーニバル・ナイト。木屋町から先斗町へとかけて、乙女、先輩、また夜に出会った胡散臭い人々を引き連れ、夜は過ぎ行く。

夏。
乙女は古本市にて、幼い頃に愛した絵本「ラ・タ・タ・タム」を手に入れる。

秋。
乙女は大きな緋鯉のぬいぐるみを背負い、達磨の首飾りを下げて、心行くまで学園祭を楽しむ。時に、ゲリラ上演される「偏屈王」の主役、プリンセス・ダルマ役をつとめながら。

冬。
乙女は京の町に吹き荒ぶ風邪の旋風を封じ込める。

さて、その間、ストーカーの如く彼女に付き従う「先輩」である「私」が何をやっていたかといえば・・・。春には乙女とはまた別の所で酒宴へと巻き込まれ、夏には乙女の欲する絵本を賭けて灼熱地獄を戦い抜き、秋には乙女を求めて学園祭を彷徨った挙句に、プリンセス・ダルマの相手役である「偏屈王」の座を署・ャ取る。冬には風邪に倒れながらも、妄想と現実をごっちゃにする彼最大の能力を持ってして、乙女の危機を救う。

そこかしこで偶然を装い出会うたびに、「たまたま通りかかったもんだから」という台詞を喉から血が出るほど繰り返し、乙女は天真爛漫な笑みを持って「奇遇ですねえ!」と応えるのであるが・・・。

美しく調和のとれた人生を目指して、もりもりとご飯を食べ、むん、と胸を張って歩き、喜ばしい事があれば、二足歩行ロボットの真似をし、なむなむ!と万能の祈りを唱える、黒髪の乙女。好奇心溢れる彼女の目を通した世界は、楽しく良き人ばかりであり、逆に、万年硬派、永久外堀埋め機関と化した、「先輩」の目を通して見る世界は胡乱。その世界の対比を楽しむも良し、乙女の可憐さを愛でるも良し、先輩の報われない努力に涙するも良し。

確かに、これは楽しい本でした~。登場人物も結構な数に上るのだけれど、彼ら彼女らにはそれぞれ登場する必然があり、その描き分け、肉付けもまた見事。

さて、酒好きとしては、第一章における偽電気ブランの描写にも心惹かれるのでした。乙女いわく、それはこんな飲み物なのだという。

それはただ芳醇な香りをもった無味の飲み物と言うべきものです。本来、味と香りは根を同じくするものかと思っておりましたが、このお酒に限ってはそうではないのです。口に含むたびに花が咲き、それは何ら余計な味を残さずにお腹の中へ滑ってゆき、小さな温かみに変わります。それがじつに可愛らしく、まるでお腹の中が花畑になっていくようなのです。飲んでいるうちにお腹の底から幸せになってくるのです。

お腹の中に花畑、咲かせてみたい! 飲み比べ、李白、などというキーワードから、同じくこちらも楽しい酒を描いた、南條竹則氏による「
酒仙 」を思い出してしまいました。

また、本好きとしては、第二章の「下鴨納涼古本まつり」における、俺様な美少年でもある古本市の神にも出会ってみたいところ。

ただの変人なのか、それとも人間の枠すら越えて、既に妖怪なのか、判然としない人々が出てくるのもまた楽しいところでした。というか、あの人たち、ほんとに人間??

目次
第一章 夜は短し歩けよ乙女
第二章 深海魚たち
第三章 御都合主義者かく語りき
第四章 魔風邪恋風邪


「虫とけものと家族たち」、「鳥とけものと親類たち」、「ラ・タ・タ・タム」 はamzonを見たところ、実在の本だったのですね。知らなかった~。

 ←森見氏、幼少期の思い出の絵本だったりするのかしらん?


*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「太陽の塔」/青春とはイコール妄想?

 2007-05-02-22:15

森見 登美彦
太陽の塔

乙女その一、「
千の天使がバスケットボールする 」の樹衣子さんが、『夜は短し歩けよ乙女 』を片手に微笑んでおられるのですが、そちらはまだ借りられないので、乙女二号の私は、日本ファンタジーノベル大賞の受賞作でもあるこちらの本を。

 
何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
 なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。

展開されるのは、もてない冴えない男子大学生たちの話。主人公は休学中の五回生と、「大学生の中でもかなりタチの悪い部類に属」す。強がりと言われようと、その行動を謗られようとも、彼らの世界は彼らの中(だけ)でそれなりに完結していたのだが・・・。

主人公である「私」は、三回生の時に水尾さんという恋人を作り、その男だけの妄想と思索の世界を裏切った。しかしながら、この嬉し恥ずかしの、ジョニー(詳しくは、本書を参照されたい)の暴走を食い止める日々も、長くは続かなかった。水尾さんはあろうことか、この私を袖にしたのだ! 水尾さんが私の元を去っても、私は水尾さん研究(副次的な目標は「彼女はなぜ私のような人間を拒否したのか」という疑問の解明)に余念のない日々を続けるのであるが・・・。

寒々しい独り身を容赦なく襲うクリスマスに吠え、男どもの妄想をぺちゃんこにする「邪眼」を持つ女子の視線に相対し、水尾さんの身辺をうろつく男にストーカー行為を非難され、矢鱈と個性の濃い友人たちと語らう日々。そう、友人の飾磨の言葉を借りれば、「我々の日常の九〇パーセントは、頭の中で起こっている」。これらの日々は、飾磨が企画した、クリスマスイブの四条河原町での「ええじゃないか」決起でクライマックスを迎えるのであるが・・・。

 
何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
 そして、まあ、おそらく私も間違っている。

途中からは微妙に現実からずれてくる気もするし、それまで語られてきた記憶の中の恐ろしい先輩と、現実の先輩の姿との乖離などを考えると(ま、先輩は彼らを置いて、さっさと大人になったのかもしれないけど)、ここで語られる全てが妄想である可能性も捨てきれず・・・。可愛らしく、猫のように良く眠るという水尾さんも、ほんとに存在するのかしらん。

さて、読み終わって、文中で注意されていたように、「体臭が人一倍濃く」なったかどうかは謎ですが、この妄想は確実に尾を引く。ゴキブリキューブとか、ちょっと夢に出てきそうで怖いです。てか、ゴキブリってほんとにキューブになるの? これは妄想ではなく、現実なんだよねえ? 集合体はボーグ(@スタートレック)で十分です・・・。

私は綺麗に整えられた感のある『
きつねのはなし 』よりも、妄想が爆発してるこちらの方が好みみたい。この勢いをかうというか。何じゃこりゃーな物語でもあるのだけれど、好きな人は好きなお話だと思います。逆もまた真で、受け付けない人は受け付けないかもしれませぬが・・・。

←文庫も

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

「みすじゃん。」のおんもらきさんの記事にリンク

「百億の昼と千億の夜」/寄せてはかえす、波または波

 2007-04-23-22:47
オンライン書店ビーケーワン:百億の昼と千億の夜   オンライン書店ビーケーワン:百億の昼と千億の夜

光瀬 龍光瀬 龍, 萩尾 望都

百億の昼と千億の夜 」「百億の昼と千億の夜
ハヤカワ文庫       秋田文庫


目次 ~小説~
序章
第一章 影絵の海
第二章 オリハルコン
第三章 弥勒
第四章 エルサレムより
第五章 喪える都市
第六章 新星雲紀
第七章 最後の人々
第八章 遠い道
 あとがき

目次 ~漫画~
序章 天地創造
第1章 アトランティス幻想
第2章 悉達多
第3章 梵天 帝釈天
第4章 阿修羅
第5章 弥勒
第6章 ユダとキリスト
第7章 ゴルゴダの奇跡
第8章 トーキョー・シティー
第9章 戦士たち
第10章 ”シ”を追う
第11章 ゼン・ゼン・シティー
第12章 コンパートメント
第13章 ユダの目覚め
第14章 トバツ市で待つもの
第15章 摩尼宝殿入り口
第16章 アスタータ50
第17章 幻の軍勢
第18章 遠い道
終章 百億の昼と千億の夜
 解説(山本真巳)


タイトルと、序章の文章の流れるような美しさに惹かれて古本屋でゲットしたものの、時空を自在に越え、神の存在を疑い、絶対者に迫っていくこの物語。なかなかついていけなくって難儀していた所、萩尾望都さんの手による漫画を借りる事が出来ました。

で、途中までは小説版を読んでいたのだけれど、これは駄目だ、と残りはざばざばと流し読んで(嗚呼、きっと、勿体無いんだろうなぁ)、さっさと漫画の方に移ってしまったのです。

私は小説の流れに着いていけなかったけれど、SF読みの方たちはすんなりと読めるのかしら。文章が美しいだけに、何とも勿体無いのだけれど・・・。

 
寄せてはかえし
 寄せてはかえし
 かえしては寄せる波また波の上を、いそぐことを知らない時の流れだけが、
 夜をむかえ、昼をむかえ、また夜をむかえ。
(p10より引用)

 
寄せてはかえし
 寄せてはかえし
 かえしては寄せる数千億日の昼と夜。その間も波はたゆみなく鳴りつづけ、さわぎつづけてきたのだった。
(p11より引用)

などと、「寄せてはかえす」という印象的なフレーズが、まさに寄せてはかえすように、効果的に使われている。このフレーズを読めただけでも、良かったなぁなどと思ってしまう。

さて、内容の方は、うーん、小説版にしても漫画にしても、なかなか厄介な問題を描いているように思います。正直、少々、ムズカシイ・・・。


人々は、形は違えど、神を、絶対者を信仰する。信仰とともに、そこに語られるのは、多くの場合、滅びとその後の救いの予言。キリスト教における最後の審判しかり、仏教における末法の世しかり・・・。

天上界へと上った悉達多王子が見たものは、地上と同じ荒廃だった。それは阿修羅王によるものだというのだが・・・。阿修羅王に出会った悉達多は、阿修羅王が神を信じられぬが故に、天上界での戦いを続けている事を知る。全てを救うといわれている弥勒は、なぜ現れ出でる前に、五十六億七千万年という長いときを必要とするのか。人々は約された未来の理想の社会のために、これまで何を捧げてきたのだろうか・・・。そして、これからも・・・。

次に語られるのはナザレのイエスの時代。彼はある大きな存在に操られた存在であった。十字架に磔にされたことすらも、計画の一部にしか過ぎず、イエスはその後、地球の管理委員となる。

そして、阿修羅王や、シッタータ、オリオナエまたはプラトン、イスカリオテのユダたちの戦いが始まる・・・。しかし、その戦いすらも、はじめから誰かに決められたものであったのか。宇宙は広く、外へ外へと広がり、長い時ですら、相対的には短い一瞬にしか過ぎない。人間が生きるこの地球、銀河系は狭く、人の一生などまさに一瞬。そうして、阿修羅王の前には、また新たな道が続いていたのだ・・・。

と、こんな風に、纏めてみても、やっぱりあまり理解したとは言えないかもー。何とも壮大な物語です。一緒にたゆたいながら、読むのがいいのかなぁ。長いときを経て、揺るぐ事のない阿修羅王(年若い少女の姿で描かれる)も素敵です。

あ、どうでもいい一言を言うと、小説の中では、「ほのお(炎)」が「ほのほ」と表記されているのですね。で、「ほのほの世界」と書いてあったのを、最初、そのまんま「ホノホノセカイ」と読んで、何だか楽しそうな世界だなぁ、と思ってしまいました。・・・そんなわけないよね。


*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

SF

「シュナの旅」/少年は旅をする、黄金の穀物を実らせる金色の種を求めて

 2007-04-15-22:44

 

宮崎 駿

シュナの旅 
徳間アニメージュ文庫


目次
旅立ち
西へ
都城にて
襲撃
神人の土地へ
テア


映画「ゲド戦記」の原案となった作品とのことですが、これは実に勿体無いなぁ。私がお借りした本の奥付によると、初版は1983年6月15日で、私が読んだのは2006年8月15日の67刷であるらしい。こんなに古くから、宮崎駿監督が温めていた物語。あとがきには、「現在の日本の状況では、このような地味な企画は通るはずもありません」とあるけれど、版を重ねている事からも、そんなことはないと思うのだよね。こういう「地味な物語」を受け入れられる程に、日本のアニメ映画も十分成熟したと思うのだけどな。物語の骨格もいいし、イメージもまた美しい。

物語の内容については、amazonから引いてしまいます。

Amazon.co.jp

宮崎駿が描き下ろしたオールカラーの絵物語。1982年「アニメージュ」にて『風の谷のナウシカ』の連載を開始したのとほぼ同時期に描かれた作品である。水彩の淡い色をいくつも重ねて着色した絵が美しい。
作物の育たない貧しい国の王子シュナは、大地に豊饒をもたらすという「金色の種」を求め、西へと旅に出る。つらい旅の途中、人間を売り買いする町で商品として売られている姉妹と出会う。彼女らを助けた後、ひとりでたどり着いた「神人の土地」で、金色の種を見つけるが…。どんな状況にあっても、生きようとする人間のたくましさ。強い心だけが生みだすことのできる、やさしさ。そして、弱さと無力さ。宮崎は、短い物語のなかに、そんなものを、ただそのまま描き出してみせる。

世界観の作りこみとそれを表現する絵の力は圧巻。特に「神人の土地」にあふれる虫、植物、巨人、月の造形には、一切の迷いが見らない。彼の頭のなかに広がる原風景を見せられているようで、生々しいほどの迫力に満ちている。死と生、喜びと恐怖の一体となったこの世界観は、以降の宮崎作品にも幾度となく登場する。

チベットの民話に感銘を受けた宮崎が「地味な企画」ということでアニメ化を断念し「自分なりの映像化」を行ったものが、本作である。だがアニメという万人に向けた形をとっていれば、また違うものになっていたはずだ。淡々と、厳かに物語が進行する本書の独特の雰囲気は、絵物語という形態であればこその魅力といえるだろう。(門倉紫麻)


残念ながら、この「シュナの旅」の元となったという、チベット民話『犬になった王子』は見つけられなかったのだけれど(もしかして絶版?)、その他、見つけられた範囲で気になるチベット民話関連の本。
オンライン書店ビーケーワン:チベットのものいう鳥  

関根 房子
チベット民話28夜物語
大塚 勇三, 秋野 亥左牟

石のししのものがたり―チベットの民話による

君島 久子

ケサル大王物語―幻のチベット英雄伝

大塚勇三さんといえば、児童書の訳者として、随分お世話になった方なので(リンドグレーン、プリョイセン、プロイスラーなど)、『石のししのものがたり』が一番気になるかな。でも、調べていたら、君島久子さんも、実は自分にとって懐かしい方だということに気付きました。下に出した画像の本も、君島久子さんによるもの。

←これ、子供の頃、紙芝居を作ったりしたんだ。中国のお話だったのね。

チベットといえば、政治的にも難しい地区だけれど、民話の伝承などはどうなっているのかなぁ。中国やモンゴル、インドなんかとも、似た系統の民話があるのかしらん
(あ、でも、インドの民話ってイメージ湧かないなぁ。色々な神様が出てくるのでいいのだっけ?)。

「きつねのはなし」/ひたひたと来るもの、あれは

 2007-03-12-22:16
森見 登美彦
きつねのはなし

目次
きつねのはなし
果実の中の龍

水神


森見登美彦さん、初読みです。

妄想系小説を書かれる方だと勝手に思っていたのだけれど、これはむしろ端正な味わいの淡い幻の物語。水や闇のほの暗さ、手触り、湿り気を、その深淵を覗き込むような物語。

四つの短篇におけるキーワードは、芳蓮堂という古道具屋、和紙で作られた狐の面、からくり幻燈、胴の長いケモノ、そして水・・・・。

独立しているようでいて、ゆるく繋がっているこれら四編の物語は、四編全てを読んでも、全てが語られるわけではない。むしろ謎は増すばかり。でも、この物語は全てが明らかにならなくて良いのかもしれない。「果実の中の龍」の「私」が言うとおり、「本当でも嘘でも、かまわない。そんなことはどうでもいいことだ」なのかもしれない。

この「果実の中の龍」は不思議な話で、先輩が淡々と語る話に、あわあわと引き込まれる。

「こうやって日が暮れて街の灯がきらきらしてくると、僕はよく想像する。この街には大勢の人が住んでいて、そのほとんどすべての人は他人だけれども、彼らの間に、僕には想像もつかないような神秘的な糸がたくさん張り巡らされているに違いない。何かの拍子に僕がその糸に触れると、不思議な音を立てる。もしその糸を辿っていくことができるなら、この街の中枢にある、とても暗くて神秘的な場所に通じているような気がするんだ」

京都の街ではそんな風に何かを爪弾くと、見知らぬ異界への道が開かれるのかも、などと思ってしまう。同じく京大出身作家であり、京都を舞台にしていても、万城目さんの『
鴨川ホルモー 』などとは、また随分違った仕上がり。鴨川ホルモー』のせいで、吉田神社と聞くだけで、何となく笑ってしまうんだけれど、こちらでは背筋にひやひやと来る。

そして、水神」に出てくる疎水には、『
家守綺譚』! と思うのだった。というわけで、再度、疎水百選」へのリンク 。音が出ますので、ご注意下さい。でも、このせせらぎの音、やっぱり、いいなー(本書の中では、そんな優しげな音はしていないけれど)。

不思議に出会い、そしてまた普通の生活へと戻る。振り返ってみた時、それは幻のようでもある。でも、京都の街の中のどこかに、芳蓮堂とナツメさん、古い屋敷の水神はひっそりと存在しているのかもしれない。
 ← 次はこれにいきたいのに、単行本なんだよね・・・。図書館の予約は凄い数みたいだし。

その後に読んだ、「夜は短し歩けよ乙女」の感想
 →「
夜は短し歩けよ乙女 」/歩けよ、乙女。京の春夏秋冬を!

いやー、綺羅綺羅と美しく、丹精込めて作られた金平糖のような物語でした。

臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

「狐狸の恋」/お鳥見女房第四弾

 2007-03-10-23:52
 
諸田 玲子
狐狸の恋 お鳥見女房 

目次
第一話 この母にして
第二話 悪たれ矢之吉
第三話 狐狸の恋
第四話 日盛りの道
第五話 今ひとたび
第六話 別の顔
第七話 末黒(すぐろ)の薄
第八話 菖蒲刀


この巻で特筆すべきは、矢島家の当主、伴之助に密偵役を命じた張本人であると思われる、水野越前守忠邦が失脚したこと。この事は、矢島家の皆にとって大きな影を落とす・・・。

お鳥見女房 」から始まったこのシリーズ。珠世のまろやかな肝っ玉母さんぶりは、シリーズを通して変わらないけれど、登場人物たちは段々と成長しています。

前作「鷹姫さま」においては、矢島家次男の久之助が、父伴之助を救うために活躍。それは家を継ぐ事の出来ない、冷飯食いの次男である事の鬱屈とも無縁ではなかったが・・・。嫡男というだけで、苦もなく役を貰える跡継ぎである事を引け目に感じていた久太郎も、鷹匠の横暴に苦しむ村人を救う事で、自らもまた救われる。見習い役から本役を命ぜられた久太郎、既に以前感じていたお鳥見役への嫌悪感は微塵もなく、そこで生きていく事に迷いはない。

「悪たれ矢之吉」において描かれるのも、源太夫の一家の次男、源次郎の鬱屈。長男、源太郎が嫡男として扱われ、自らもまた自覚を持っていくのに、取り残されたように感じてしまうのだよね。彼らにも以前の悪戯小僧の面影はない。

さて、表題にもなっている「狐狸の恋」に見られるように、本作では様々な恋が語られる。「末黒(すぐろ)の薄」に登場するのは、逃れられない役目を追いながら、女と睦み合ってしまう浪人もの。それが上意であるならば、愛した女にあってでも、お役目を語ることは出来ないのだ。そしてお役目を果たした後は、そっと姿を消す他はない・・・。タイトルの末黒の薄とは、野焼きをした後に生えて来る薄を言うのだという。役目の中で、図らずも女と睦み合ってしまうのは、実はこの浪人だけではなく、珠世の父、久右衛門の過去でもあった・・・。女を助けた久右衛門の心の中には、勿論、過去、役目のために捨てるような形になってしまった、母子がいたのだろう。野焼きの後に生えて来る薄。久右衛門と、綾の間にあった確執も解かれることになる・・・。


そして矢島家の恋模様。久右衛門と綾との確執が薄れたことで、久之助と綾との間の障害もなくなったし、和知家の娘、鷹姫さまこと恵以を久太郎に嫁がせるウルトラCは、珠世母さんのアイディアの賜物。この先も楽しみです。

・第二弾「
蛍の行方

 ← お、文庫化されているのですね。
・第三弾「鷹姫さま」

 ← 記事にし損ねました・・・。でも、シリーズものは、書いておかないと忘れてしまうのでキーケーンー。

「腹話術師」/清らかな不思議小説

 2007-03-06-23:19
三橋 一夫
三橋一夫ふしぎ小説集成 (1)
出版芸術社

目次
腹話術師/猫柳の下にて/久遠寺の木像/トーガの星/勇士カリガッチ博士/白の昇天/脳味噌製造人/招く不思議な木/級友「でっぽ」/私と私/まぼろし部落/達磨あざ/ばおばぶの森の彼方/島底/鏡の中の人生/駒形通り/親友トクロポント氏/死の一夜/歌奴/泥的/帰郷/人相観/戸田良彦

「まぼろし部落」のころ  三橋 一夫
不思議作家の不思議人生  東 雅夫
解説           日下 三蔵


テレ性だから、自分自身のことを書くのに、ありのままを書くのがテレ臭くて、自分ではそのまま書いているつもりが、へんな具合になってしまう。だから、怪奇小説とか、不思議小説などと言われてきたけれど、自分の書くものは実は私小説である(「まぼろし部落」のころより、意訳抜粋)。
これはそう語る三橋一夫が、描き出す不思議な世界。

だから、作家本人の心持ちのままに描き出されるその世界は、物悲しかったり、不思議なもの、この世ならぬものを描いていても、そこにはぽっかりと明るい光が射し込んでいる。

奇妙な世界の片隅で 」のkazuouさんに教えてもらった作家さんなのですが、面白く、好みの作風でした。kazuouさん、ありがとうございました!

短篇というのは、時に用心して読まないと、ばっさり後味悪いものもあるけれど、この三橋作品は安心して読めるのです。短篇として切れ味が悪いとか、そういう話ではなくて、それはやっぱり、この作家さん独特の明るい心持ち、ユーモアのためではないのかなぁ。

繰り返し出てくるのは、貧しくとも、つましく互いを思い遣り、希望を失わずに生きている家族。そんな家族に訪れる不思議な出来事・・・。これはね、「不思議作家の不思議人生」を読むと、この不思議小説が私小説だというのも、さもありなん、と思うのです。

この三橋一夫さん自身の人生も、まるで小説のようになかなか興味深い。幕府御指南番旗本の家柄に生れ(曽祖父の三橋虎蔵は直心影流の使い手で、幕末、突きでは無双とうたわれた剣客だとか)、幼少の頃は病弱であったものの、父の鍛錬の成果もあり、武芸に通じて成長した。とはいえ、体育会系一筋というわけではなく、文学少年としての一面をも持っており、神戸三中時代に創った同人雑誌「ダイアナ」には、あの淀川長治さんもいたのだとか。大学卒業前年に満州事変が起こり、騎砲兵大隊に入隊するも、終戦後には失職。大学時代には大学派遣の留学生として、ヨーロッパ各国を巡歴したため、それを活かそうとしても頑丈そうな四十男ではホテルへの就職も難しく、武術を教える事は進駐軍が許さない。八方塞かに見えた状況だけれど、小説がその身を救う。それもまた、幸運な出会いがあってこそなんだけど。

その他、推理物調の「級友「でっぽ」」、「死の一夜」に出てくる、呉警部の人物造詣も、何だか面白かったです。 禿げ頭に海豹のような口ひげ。パイプを離さず、この人物はこんな殺人を犯し得るという確信がなければ、満足出来ないという独特の推理術を持つ、呉洋一警部。犯人から見れば厄介だろうけれど、なかなか魅力的でありますよ。
 ← 続篇

「暗闇の中で子供」/物語はなぜ存在するのか、そしてどこからやって来るのか

 2007-02-26-22:49
舞城 王太郎
暗闇の中で子供―The Childish Darkness

煙か土か食い物 」の続編、お馴染み、血と暴力に彩られた奈津川ファミリーサーガ。
「煙か土か食い物」の時と同じく、表紙裏から引くと内容はこう。

あの連続主婦殴打生き埋め事件と三角蔵密室はささやかな序章に過ぎなかった!
「おめえら全員これからどんどん酷い目に遭うんやぞ!」

模倣犯(コピーキャット)/運命の少女(ファム・ファタル)/そして待ち受ける圧倒的救済(カタルシス)・・・・・・。
奈津川家きっての価値なし男(WASTE)にして三文ミステリ作家、奈津川三郎がまっしぐらにダイブする新たな地獄。
-いまもっとも危険な”小説”がここにある!

やっぱり、私は舞城さんは、この奈津川サーガが好きだー。「もっとも危険」かどうかは分かりかねるけれど、間違いなくアツい小説。

これは、奈津川家三男の三郎が語る、その後の奈津川サーガ。切れ者外科医、チャッチャッチャッチャッと物事をこなし、暴力も厭わない四郎に比べると、三郎は幾分穏やか? とはいえ、三郎も勿論あのモンスター・二郎を生んだ奈津川家の一員、普通の人に比べれば、暴力的にだってなれるし、暴力的な出来事にも随分慣れてはいるんだけど・・・。

さて、「三文ミステリ作家」である三郎は、物語について考える。この世には、現実に喜びも悲しみも楽しみも寂しさも十分に存在するのに、どうして更に作り話が必要なんだ? なぜ人は作り話、嘘を必要とするのだ? それはつまりこういうこと。

ムチャクチャ本当のこと、大事なこと、深い真相めいたことに限って、そのままを言葉にしてもどうしてもその通りに聞こえないのだ。そこでは嘘をつかないと、本当らしさが生まれてこないのだ。涙を流してうめいて喚いて鼻水まで垂らしても悲しみ足りない深い悲しみ。素っ裸になって飛び上がって「やっほー」なんて喜色満面叫んでみても喜び足りない大きな喜び。そういうことが現実世界に多すぎると感じないだろうか?そう感じたことがないならそれは物語なんて必要のない人間なんだろうが、物語の必要がない人間なんてどこにいる?まあそんなことはともかく、そういう正攻法では表現できない何がしかの手ごわい物事を、物語なら(うまくすれば)過不足なく伝えることができるのだ。言いたい真実を嘘の言葉で語り、そんな作り物をもってして涙以上に泣き/笑い以上に楽しみ/痛み以上にくるしむことのできるもの、それが物語だ。

そして、三郎は物語の来し方にも思いを馳せる。

書き手が物語を選ぶのではないのだ。物語が書き手を選ぶのだ。「選ぶ」というのも少し違うのかも知れない。それは「選択」というよりは「邂逅」だからだ。物語が偶然書き手に出会い、それからこの世に出現する。 だから、物語は真実を語る手立てになりこそすれ、作家の道具には決してならない。 物語と出会い、それが語られたがっている語り口を見つけることのできたラッキーな作家だけが、その物語を用いて語れる真実だけを語ることができるのだ。

さて、この本の中で、色々な「嘘」を用いて語られている真実とは何なのか? それはクサいけど、「愛」について。歪な愛、痛い愛、家族の愛、友だちの愛・・・・。
そして、価値なし男、三郎は自らの価値を高め、生をはっきりと捕まえる。次なる奈津川ファミリーサーガはないのかなぁ。父、丸雄とか、母、陽子で読んでみたくもある。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
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つな がる

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つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
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2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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