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「イエスに邂った女たち」/新約聖書

 2005-08-01-09:44
遠藤周作「イエスに邂った女たち」

前にちょこちょこ書いてはいるのですが、私はクリスチャンです。子供の頃は親に連れられてプロテスタントの教会に通い、その後、機会があってカトリックの方でお世話になることになりました。

ちょっと語弊があるかもしれませんが、普段の礼拝(ミサ)において、プロテスタントの方が、聖書のあちらこちらを引き(参照し)、カトリックではあまり引くことがありません(カトリックでは読まれる箇所が決まっている)。小さい頃から聖書を引いたり、聖句を暗誦するような環境に居ましたので、何だか分かったような気になってしまって、改めて聖書について考えたことがありませんでした。

夫の実家で、「イエスに邂った女たち」「山本七平の旧約聖書物語」を見付けたので、ちょうどいいや、と両方借りてきました。「イエス~」はスラスラ読めましたが、「山本七平の~」はそうはいかず、もうちょっと時間が掛かりそうです。というわけで、今日は「イエスに邂った女たち」について。

目次
はじめに
第1章 マグダラのマリア?
第2章 マグダラのマリア?
第3章 マグダラのマリア?
第4章 サロメ
第5章 イエスと娼婦と
第6章 姦通の女
第7章 マルタとマリアの姉妹
第8章 ベタニアのマリア
第9章 かくれ切支丹のマリア
第10章 聖母マリア?
第11章 聖母マリア?

何せそういう意味での勉強を全くしていなかったので、「はじめに」の以下の文にも軽い衝撃を受けました(薄っすら、思っていたことではありますが・・・)。

■新約聖書に書かれたイエスの言葉は、必ずしも本当にイエスが語った言葉とは限らない
■それはイエスの死後にできた幾つかの教団の思想や信仰を反映させたものである
■イエスの生涯のできごととして書かれていることも、必ずしも本当にあったことだけではなく、ユダヤ各地のイエス伝承を取捨選択したものである

しかし、以下の文のような新約聖書への考え方が、この直後に書かれています。新約聖書とは、次のようなものである。

■イエスの死後、ユダヤの各地でできたイエス伝説、イエス伝承が、たとえ事実そのものでなくても、当時の人々が彼をどのように思っていたか、彼にどのようなイメージを抱いていたかの優れた資料
■たとえ事実の出来事は書かれていなくても当時の人々の心にあったイエス、当時、人々の考えていたようなイエスの物語

引用ばかりになりますが、次の文章は心をうちます。

人間の夢や歎きや祈りがそれら挿話にこもっているなら、たとえそれは事実でなくても真実なのだ。真実は事実より、もっと深く、もっと高い。

以前聞いた、ある神父の言葉が、少し深く分かったような気がします。神父は当然これらの事を、すっかり勉強しているのでしょうから。 以下、一つ一つの話にうつります。
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■「マグダラのマリア?」より
「新約聖書に出てくる女性が烈しく、また健気で立派に勇敢にふるまうのに対し、男性がぐうたらで威張り屋のくせに実は臆病者だった」というのも、確かにそうだよなぁと思う(イエスの復活を経てからの、弟子の男性たちの奮闘は凄まじいけれど)。

■「姦通の女」より
一、宗教的倫理と社会道徳とは必ずしも一致しない。
二、宗教的倫理とは一人一人の心の奥底の問題であって、社会の秩序を保つための約束事の道徳などではない。
三、それは当人の内面の底(時には無意識の世界)の問題なのであって、神はそのすべてを知っている。
四、そして我々が神の働きとよぶものをみつけるのは、この心の奥底においてである。社会的道徳などの世界では神は働かぬ。
五、イエスはたえず、この心の奥底のことを問題にしていた。心の底はドロドロとした無明の世界であり、暗黒の場所だが、また神の働く場所でもあるからだ。「神の国はあなたのなかにある」とイエスは言っている。

■「聖母マリア?」より
プロテスタント(新教)から入った私には、何となく違和感を覚えた「聖母マリア」。なぜ自分が違和感を覚えたのか、なぜカトリック(旧教)の方がやさしい宗教であるように感じるのか、の理由が分かりました。
三位一体のほかに聖母信仰を認めることで、基督教は父の宗教と母の宗教とを併わせ持ったのだと言えるのです。「怒り、裁き、罰する」父の宗教だけでは人間は辛く孤独でたまりません。「許し、慰め、共に苦しんでくれる」母の宗教だけだと、人間はいい気になります。この二つがあわさって、我々の宗教心理はみたされると言えるでしょう。
(中略)
新教が聖母に崇拝や信仰を持たなかったのはそれなりの合理的な理由があると思うのですが、しかし「母の宗教」を信仰のなかから消すことによって、新教にはある欠除ができたような気がしてなりません。
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納得することしきり、でありました。私は遠藤周作氏の「聖書の読み方」を興味深く読みましたが、『日本の旅行者に馴染みの少ない基督教美術ではあるが、聖書のこういう場面を描いているのか、とわかれば興趣は更に深くなるだろう。そういう時の一助となればと思って書かれたものでもあります。名画も載せられており、キリスト教に興味のない方でも、楽しめるかと思います。

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【追記】 記事中及びコメント欄で、プロテスタントとカトリックについて言及しておりますが、これはあくまで私個人の印象であり、どちらが心情的に添いやすかったか、という話です。当然ながら、どちらが優れる、劣るといった、優劣を付けるものではありません。
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遠藤 周作
イエスに邂った女たち

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、御連絡下さい。
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