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「バグパイプの国 虹の国」/イギリス、フランス、日本・・・

 2006-01-27-08:58
河村 雅隆
バグパイプの国虹の国―スコットランドとイングランドの間
ブロンズ新社

目次
第一章 虹の国から
 スコットランドとイングランドの間
 「使って保存する」社会
 エスニック・ロンドン
 イートンの不思議な球技

第二章 イギリス・ヨーロッパ・日本
 個性とは何か(一)
 個性とは何か(二)
 重い社会、軽い社会
 ダメモト社会・イギリス
 日本人は何故印象派が好きか
 ヨーロッパにおける「地方」と「中央」
 日本の新聞、英仏の新聞
 多言語国家・スイス
 「コンセプト」の自由競争
 「国民国家」の崩壊
 私のキリスト教、私のヨーロッパ

あとがき~夕陽の風景~

bk1の著者紹介から引くと、著者は「1951年東京生まれ。東京大学経済学部卒業。NHKに入社し、主に報道番組制作に携わる。現在報道局特報部チーフ・プロデューサー。著書に「驢馬は旅に出て」「日本解剖」など」。これはその職業によるものなのか、時に説教くさくなる嫌いがあるものの、私はおおむね楽しく読みました。 私は知らないことも多かったので楽しく読みましたが、事実を知っている方にとっては、それ程面白くない本かもしれません。1章、2章はほとんど別の話であり、またエッセイなので、話はどんどん飛んでいきます。
+++++++++++++++++++メモ+++++++++++++++++++
◆スコットランドとイングランドの間◆
<ヘイドリアン・ウォール>
スコットランドとイングランドの間にある、「ヘイドリアン・ウォール」(ハドリアヌス帝が建設を命じた、いわばイギリス版の万里の長城)について。壁があったところで、それだけで軍隊や人間の動きを防ぎきることは出来ないが、騎馬、車両、あるいは家畜の群れの行動は妨げられる。その間に、ローマ側としては何らかの防御策を取りやすくなる。しかし、皮肉なことに、ブリテン島を支配していたローマ人たちに決定的な打撃を与えたのは、彼らが常に警戒していた北の蛮族ではなく、北海を渡って侵攻してきたバイキング=ノルマン人たちだった。しかし、このウォールが出来たことによって、それより北はローマ人にとり「化外の地」とされ、壁より北がスコットランド、その南がイングランドに分かれていく萌芽となった。

<ハイランドとローランド>
スコットランドといってもそれ自体、単純な一枚岩ではない。地形的にも北部の山岳地帯ハイランドと、南部の比較的平坦なローランドとでは、同じスコットランドとはいえ、随分印象は異なる。ハイランドとローランドの境目をどの辺と見るかは人によって若干違っているが、大体パースから北がハイランドというのが一般的な見方。ハイランドに入るにつれ、人々の話す言葉もだんだん解りにくくなっていく。スコットランドとイングランドが合併したのは十八世紀のはじめの一七〇七年。合併とはいえ、それは事実上併合であり、スコットランド国内には当然強い反対論が巻き起こった。しかし、当時既にスコットランドとイングランドの経済的、軍事的格差は広がっており、特にイングランドと経済的、人的に深く結びついていたローランドの人たちの意見が通り、スコットランドは遂にイングランドとの合併の途を選択した。その後に起こった「カロードンの戦い」の図式は、スコットランド対イングランドの間の戦いではなく、ハイランド対イングランド・ローランド連合軍の戦いだった。カロードンの敗北のあと、多くのスコットランド人たちがイングランドの支配を嫌って新大陸へと移住していった。

<ハイランド・ゲームズ>
「スコットランドのオリンピック」とも呼ばれる、バラターの町の「ハイランド・ゲームズ」について。この祭りは百年近くの歴史を誇るスコットランドの大運動会で、種目にはスコットランド独特のものも少なくない。海外に移住した家族がスコットランドに戻ってくるイベントでもある。

◆エスニック・ロンドン◆
イギリス国内には、アジア、アフリカ出身の人たちが多くいる。われわれが普通にイメージしてきた、いわゆるアングロ・サクソンのイギリス人以外の人たちが多い。これは、第二次大戦後、英連邦の設立ということが大きなきっかけだった。一九四九年、イギリスは植民地を一斉に手放して各々の独立を認め、その一方でいわゆる英連邦(Commonwealth of Nations)を発足させたのだが、このコモンウェルスとは、イギリス国王に忠誠を誓うか、もしくはイギリス国王を<構成諸国の自由な結合の象徴>と認める独立国の連合体のこと。このコモンウェルスの成立とともに、それを構成する国家の国民は、「コモンウェルス市民」として、イギリス国内で、他の国の人々とはちがう特別な扱いを受けることになった。イギリスは、コモンウェルスという制度を通じて、今も数多くの国々に対し、有形無形の影響力を保持しているのであり、そのことは、イギリスという国が、実際の国力よりもずっと大きな影響力と発言力を世界の中で保っているということをもまた、意味している。

◆日本の新聞、英仏の新聞◆
<日本社会における「高級紙(クオリテイ・ペイパー)」>
日本の新聞とは、どんな読者にとっても百パーセント満足することが出来ない「デパート」であり、しかしながら皆が多少の不満を持ちながらも、自分自身が直接専門としている以外の領域を知る手懸りとしているメディア。これは日本独特のものである。もうひとつ、日本の新聞に見られる日本独特の性格は、過剰なまでのセンチメンタリズム。事実を事実として見る、物事を多くの角度から眺める-これは多くの日本人に最も欠けている知的態度だと思えるが、書き手の感情移入のあまりに強い紙面を見ていると、日本人のメンタリティは戦前も戦後も変わっていないと思える。

<イギリスの新聞・フランスの新聞>
イギリス(あるいはアングロ・サクソン)とフランスの新聞の性格の違い。イギリスの新聞があくまで情報であるのに対し、フランスの新聞は書き手個人が外界をどう「解釈」したかの報告という要素が強い。しかしながら、この性格は「メディアはセンチメンタリズムとは無縁であるべきだ」という態度と矛盾してはいない。苦労しながらも著者がフランスの新聞を読み続けているのは(ここでは「ル・モンド」が例に挙げられている)、フランスの新聞を読んでいると、英米が考え、否応なく現在の世界の常識となっているのとは全く別の世界地図がそこに見えてくるから。日本の記事が少ない一方、地元ヨーロッパを別にすれば、フランスの紙面では旧植民地の記事が圧倒的に多い。フランス人の頭の中にある世界地図とは、旧植民地に強く引っ張られたイメージのものなのではないだろうか。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
フランスの紙面に関して言えば、旧植民地系からの移民が多いという事情もあるのでは、と思いましたが(うーん、とはいえ、所謂「高級紙」はその人たちのためのものではないのか?)、英連邦におけるコモンウェルスの人々に与えられるような特権が、フランスでは全く与えられていないのだとすれば、記憶に新しいフランスの暴動についても、何となく分かるようにも思いました。連邦、コモンウェルスは、それがまた結果的にイギリス人の失業率を高めてしまうような事があるとしても、やっぱり植民地を手放す際のウルトラCの策だったのでしょうか。

日本の新聞について、著者はその「デパート」ぶり、センチメンタリズムもここでは肯定されていますが、今はそういう時代ではないようにも思います。新聞にしても、テレビにしても、最近は「枠を埋める」ためだけに、要らない情報まで垂れ流しているように思います…。特に新聞紙面は、時系列を分かりやすく説明し易いという利点があるのですから、もう少し「事実」によった報道を望みたいと思います。
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つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
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2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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