「時のかさなり」/四人のこども
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子供は大人が考えるほどに子供ではなく、大人は子供がそう考えるほど大人ではない。
人にはそれぞれ歴史があって、過去の何かがその人の選択や、その人の行動に影響を及ぼしている。私たちの目の前には常にたくさんの選択肢があるけれど、その時、なぜその選択をしたのか、どうしてそのように考えたのか。時には、その行動に自分の過去の経験を感じることがある。
三代遡れば、私たちだって戦争の体験者である祖父母に辿り着く。
ここに出てくるのは六歳の四人の子供。一族四代を遡ることで見えてくるものとは…。
目次
第一章 ソル、二〇〇四年
第二章 ランダル、一九八二年
第三章 セイディ、一九六二年
第四章 クリスティーナ、一九四四〜一九四五年
訳者あとがき
南カルフォルニアに住み、暴君として家庭に君臨するソル、ソルの父親のランダル、ランダルの母セイディ、セイディの母クリスティーナ…。
代を遡るごとに見えてくるもの。ソルの語り口で不思議に思っていたことが、少しずつ明かされていく。クライマックスは終章を飾る、ソルの曾祖母にあたるクリスティーナのナチス統制下のミュンヘンでの暮らしだろう。そこには当然ぐわーーっとくるんだけど、むしろ私がすごいなぁ、と思ったのは、本当に本当に細かいところ。
セイディの外反母趾のわけ、セイディの自分への厳しさの由来、クリスティーナ改め歌手のエラが言葉のない歌を歌うわけ(あ、これはクライマックスか)…。うーん、列挙しようと思ったのに、書き出してみると少ないな。
四人の子供たちは育った国も、その環境も全く違う。それでも一緒だったのは、親のことが大好きで、彼らが誇らしく思える自分でありたいと考えていたこと。これはでもきっと、すべての子供がそうだよね。他の章ではどう考えても分が悪い、セイディの章で私はすっかり優等生であらねば、という縛りに雁字搦めにされた彼女に同情してしまいました。長じて(というか、老いて、かな)彼女がどうなったかを知っているだけに、切ないな、これ。
子供のころの核は、良くも悪くもその人の人格を形成する。子供が親になっても、祖母になっても、曾祖母になったとしても、その核というか輪郭がくっきりしているところもすごかったです。六歳から突如大人になっていて、その過程をすっ飛ばしているというのに、やっぱりその人はその人なんだ。
↓以下、「続きを読む」では話の核心に触れております。
皆川さんの「死の泉」も衝撃でしたが、この本も能天気とも思えるソルの語り口から、そんなところへ連れて行かれるとは、衝撃的でした。子供が語るだけに、どの部分も語り口は平易なものなんだけどね。戦争により失われたドイツの人口を補うため、外国の子供たちを”ゲルマン化”するという大規模な計画が、一九四〇年から四五年にかけて、ドイツ国防軍の占領地域において実施される。ハインリヒ・ヒムラーの命を受け、ポーランド、ウクライナ、その他バルト海沿岸の国々で、二十万人を越える子供が拉致された。学齢期の児童は「アーリア的な」教育を受けるために特別なセンターに送られ、多数の赤ん坊を含んだ幼児たちは「レーベンスボルン」(「生命の泉」を意味する、ナチスの名高い”優秀児育種場”)を経て、その後、ドイツ人家庭に引き取られていった。
終戦直後の数年間、UNRRA(国際連合救済復興機関)と拉致被害者救済組織が協力して、これらの子供たちのうち約四万人を本来の家庭に戻した。




