「ザ・ロード」/その道の先に
![]() | ザ・ロード (2008/06/17) コーマック・マッカーシー 商品詳細を見る |
「すべての美しい馬」などの国境三部作、および「血と暴力の国」(未読)のコーマック・マッカーシーの最新刊です。刊行後二か月くらいだから、私にしては割と素早く読んだ方かも。
アメリカでロードノベルと言えば、広大な道を車でぶっ飛ばすようなイメージがあるんですが、これは父と子がひたすら自らの足で歩く、そういう小説です。
舞台は特に明記されていないけれども、核戦争か何か、とにかく人間の生活をまるきり変えてしまうような災害が起こった後の世界。父が過ごした思い出の場所もほとんど姿を変え、子である少年に至っては、災害後に生を受けたため、それ以前の世界を父の言葉でしか知ることがない。荒廃した大地には灰が降り積もり、人間の姿もほとんど見られない。年毎に寒さは厳しさを増していく。父はこの土地でもうひと冬をすごすことを諦め、二人は南へと向かうのだが…。
生き残った人間は、実は彼ら二人だけではない。弱い人間を「食糧」とみなす、「悪い」人間だっている。彼らは身を隠しながら、歩みを進める。残された食料を探し、火を焚き、眠り、水を調達し、歩く。その合間にぽつりぽつりと交わされる、父と少年との会話。ほぼひたすらにその繰り返し。父の拳銃には弾が二発。それは敵に対してというよりは、どちらかといえば惨い目にあわされる前に、少年の生を終わらせるためのものであったのだけれど…。
こんな世界に生まれ、光も希望も知らないはずなのに、少年は驚くほどに他者を思いやる心を失っていない。自分の役目は少年を守ることと、他者と戦い、他者を切り捨てることも厭わない父とは、時に残された弱者をめぐって喧嘩になるほど。それはもちろん、少年が父に守られているからこそ言える言葉では?、とも言えるんだけど…。父と子の会話の中で繰り返されるフレーズ、「火を運ぶ者」。それは自分たちを慰めるだけの気休めの言葉ではなく、彼らは本当にそうだったのかもしれない。
寒く厳しい荒涼とした風景。暑い夏のでろーんとした頭で読んじゃうのは、ちょっと勿体なかったかもしれません。それでも、さすがはマッカーシーの小説で、読んだ後の方が何かと余韻が残るんだけど。
さて、私は小説を読んでいるときに、割とどうでもいいことが気になるタイプなんですが、今回気になったのは、父と子が全財産(防水シートや缶詰だの毛布だの)を載せて運ぶカート。ポール・オースターの「最後の物たちの国で」において、全てが失われゆく街に生きるアンナが、街漁りに使っていたのもショッピング・カートでした。世界の終りのような情景と、ショッピングカートは実は相性が良いのでしょうか。そういうときに使うショッピングカートは、日本の華奢なやつではなくって、やっぱりアメリカのばかでかいやつ? スーパーで世界の終末について、思いを馳せてしまいそうです・・・。
もう一点、思ったのは、マッカーシーの小説は、やはり男の世界であるということ。少年の母は、この状況に耐えきれませんでした。「すべての美しい馬」にも「平原の町」にも、勿論女性は出てくるのだけれど、それは男とは全く別の思考回路で生きている生き物なんだよね。マッカーシーが描くマッチョorタフな女性も、見てみたいなぁ。




