不可逆なこと/「死の壁」
「バカの壁」は未読なのですが、図書館で目に付いたこちら。
養老孟司「死の壁」新潮新書
章立ては以下のようになっています。
序章 『バカの壁』の向こう側
第一章 なぜ人を殺してはいけないのか
第二章 不死の病
第三章 生死の境目
第四章 死体の人称
第五章 死体は仲間はずれ
第六章 脳死と村八分
第七章 テロ・戦争・大学紛争
第八章 安楽死とエリート
終章 死と人事異動
実は曖昧な「死」という概念、そして具体的なものである「死体」ですら、客観的に「死体」という均一なものが存在しているわけではない。
解剖を多くしてきた養老さんが、死にまつわる様々なテーマを語ります。
私が特に印象に残ったのは、以下の箇所。
第二章「不死の病」
「俺は俺」の矛盾、「本当の自分」は無敵の論理 。
常に変わらない自分が、死ぬまで一貫して存在している、というのが思い込みに過ぎないこと(実際は自分を構成する細胞などがどんどん入れ替わっている)。どんなに自分が変わろうと、常に今現在の自分を「本当の自分」とし、「変わった部分は自分じゃない」とする言い訳。
だから日本の謝罪って、いつまでたっても周辺各国に受け入れられず、現在に至るまで諍いが絶えないのでしょうか。「あれは本当の自分じゃなかったけど、ごめんね!」というのは、日本国内でしか通じない謝罪の仕方なのかもしれません。勿論「反日デモ」には、色々と複雑な原因があるのでしょうが…。
第四章「死体の人称」
死体には「ない死体」(自分の死体は見られないから、これが一人称)、「死体でない死体」(親しい人の死体。二人称)、「死体である死体」(自分に縁がないもの。三人称)の三種類が存在する。
第五章「死体は仲間はずれ」
日本では「死体は人間じゃない」という考え方が文化で、「死んだら最後、人ではない」というのが世間のルールとなっている。この世はメンバーズクラブで、死ぬということはそのメンバーではなくなるということ。日本においてはこのメンバーズクラブの入会の基準にもいろいろあるということ。そして、こういうルールは共同体によって異なり、そのルールは明確に記録されていないということ。
第八章「安楽死とエリート」
エリート、人の上に立つ立場の人というのは、本来、自分の下す決定で人を殺す可能性があるという責任や覚悟を持たなくてはならなかったこと。しかし、戦後派そういう本来の意味でのエリート教育が無くなってしまったこと。
結局は、終章にある一言に尽きるのでしょう。
人生のあらゆる行為は取り返しがつかない。そのことを死くらい歴然と示しているものはないのです。
- 著者: 養老 孟司
- タイトル: 死の壁
*)臙脂色の文字の部分は、本文中より引用後、意訳を行っています。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。



