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「怪しげな遺産」/イギリスの田舎屋敷

 2009-01-27-23:08
怪しげな遺産怪しげな遺産
(1995/05)
メアリー ウェズレー

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表紙の美女と、訳者の南條竹則さんに惹かれて借りてきました。

迷っていた時に後押しされたのは、普段は見ない、後ろの「訳者あとがき」における「メアリー・ウェズレーの愛読者たちは、しばしば彼女をジェーン・オースティンに比較する」という一文。結局、まだジェーン・オースティンを読めてはないんだけど、イギリスのそういう観察眼が好きだなぁ、と。

巻頭に「『怪しげな遺産』人物相関図」が載せられているんですが、これがまた「じつは○○の子」なんて表記があったり、普通に「不倫」なんて関係性を矢印で示してあったりして、何やらややこしい気配。

とはいえ、舞台はイギリスの田舎屋敷だし、みんな、中上流階級の人間だし(その中で、本人たちは色々区別というか、自負が色々あるみたいだけど)、通常だったら平穏なお話だと思うのです。ここに爆弾のように投下されるのが、結婚して屋敷に到着して以来、ベッドに寝付いてしまった絶世の美女、マーガレット。彼女は寝室を金色+鏡だらけにしたり(ちょうど、表紙がそういう絵なんだね)、旦那を殴ったり、自分では何もやらなかったりとやりたい放題。彼女をベッドから出そうと画策する人物もいるのだけれど、彼女がベッドから立ち上がる時、必ず悲劇が起こるのだ…。

マーガレットと結婚したのは、父の臨終の頼みを聞いた、田舎屋敷コットショーの主人、ヘンリー・ティロットスン。彼の少々殉教者的ダンディズム、長い手足、鷹揚なところは、若い娘たちを惹きつける。

父に対し、屈折した気持ちを持っていたヘンリーは、父が生きていた時と同じようなパーティーをコットショーで執り行うことを思いつく。そうしてやって来た、二組のカップル、ジェイムズとバーバラ、マシューとアントニアは、その地で婚約し、たびたびこの地を訪れる生涯の友人となる…。

時は過ぎ去り、代すらも変わっていくというのに、マーガレットは変わらない。その他の人物は、打算や正直な思いがあちこちで窺えるのだけれど(具体的にどうこう書くのが難しいけど、こういうのは成功すると面白いですよね~)、最後まで良く分かんないのは、このマーガレットとヘンリーの心情かなぁ。何が気に入らないのかベッドに入ったまま、基本は旦那を侮辱する態度に出つつも、離婚はしない。でも、ある意味無邪気で好き勝手やってるマーガレットって、不思議と憎めないのです。

訳者あとがきには、「とんでもない小説である。世の中と読者をナメている」とあるんですが、自分が伏線を読み飛ばしちゃったんだか、ほんとにこの「ナメ方」で良いのか、いま一つ判断できず。ネットで検索してみても、読んで感想あげてる人も見つけられないし~。でも、「唖然とした」ってことなので、そういうことで良いのかしら。
イギリスのマーガレット奥さんといえば、また一味違う奥さんがここにいます。
→「マーガレットとご主人の底抜け珍道中 (旅情篇)」/二人で旅せば
 「マーガレットとご主人の底抜け珍道中 (望郷篇)」/二人で暮らせば
(「訳者あとがき」にも、「尊敬する漫画家・坂田靖子に『マーガレット奥さんとご主人の底抜け珍道中』というシリーズがある。」とありました。南條さんもお好きなのね、とちょっと嬉しい。)
目次
第一部 一九四四年
第二部 一九五四年
第三部 一九五八年
第四部 一九五九年
第五部 一九九〇年
訳者あとがき 南條竹則
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「マタニティ・ドラゴン」/日常+ほんのちょっと不思議

 2009-01-27-21:10
マタニティドラゴンマタニティドラゴン
(2008/08)
川本 晶子

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「ことり心中」と表題作「マタニティ・ドラゴン」の二本立て。

女性の日常もの、ですねー。
「ことり心中」は弁当屋で働く女性の日常。弁当屋の常連と、いつしかそういう関係になるのだが…。その男性はあだ名を「クツシタ」という。けったいな名前だけれど、彼女の冷たい足先を、いつもそのまん丸のお腹で温めていてくれたのだ。「クツシタ」のお腹は、どれだけ冷たい足をあてようとも、いつも温かかった。

のほほんとして、年齢的にも、害のないように見える二人のお付き合いだけれども、実は「クツシタ」には奥さんがいた。

子供のいない夫婦でそれは裏切りじゃないのー、とか、そうはいっても不倫ってさー、とか色々あるわけですが、ドラマチックでも美しくもないこの二人の恋愛(わきの下のジャリジャリを、見つけられちゃったりもするし、舞台だって弁当屋だ)。なんというか、冷たい青空を仰ぎみたくなる、そんな読後感なのでした。
「マタニティ・ドラゴン」は、タウン誌の編集部に勤める女性の日常。主人公は、ふとしたことから、女彫師、「彫芋」さんのことを知る。タウン誌のネタとして取材に訪れるのだが・・・。

彫芋さんは、ひたすらに龍を描き散らす、龍にしか興味のない人だった。彫芋さんの手足、彼女の手が届く範囲には、彼女が練習で入れた龍が踊る。

こちらも女の友情がどうとか、声高に言うわけでもなんでもないんだけど、二人(プラス一人)の周りを、わきゃわきゃと楽しげに小さな龍達が踊っているかのような楽しい読後感。
このちょっと不思議で、微妙にずれ、人を食ったような感じには、川上弘美さんを思わせるところもあるような気がします。他のものも読んでみようかな。

「遠い水平線」/境界線

 2009-01-25-22:26
遠い水平線 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)遠い水平線 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
(1996/08)
アントニオ タブッキ

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内容(「BOOK」データベースより)
ある夜運びこまれた身元不明の他殺死体。死体置場の番人スピーノは、不思議な思いにかられて男の正体を探索しはじめる。断片的にたどられる男の生の軌跡。港町の街角に見え隠れする水平線。カモメが一羽、ぼくを尾けているような気がする、と新聞社の友人に電話するスピーノ…遊戯性と深遠な哲学が同居する『インド夜想曲』の作者タブッキの傑作中編。

事件性もあれば、主人公たるスピーノは、探偵もどきの行動を始める。それでもどこか非現実めいている不思議なお話。

主人公スピーノは、医学の道を途中であきらめ、今は死体置場の番人となっている男。身元不明の他殺体が運び込まれたことから、彼は男の正体を探り始める。スピーノと男の間には、何の関係もなく、そもそもスピーノが熱心に彼の身元を調べる理由も、彼に拘る理由も何もない。スピーノには、恋人サラと過ごす時間だって必要なはずなのに…。

スピーノの行動は、死んだ男ゆかりの修道院の司祭とのやり取りに集約されている。

「どうして、彼のことを知りたいのですか」
「むこうは死んだのに、こっちは生きてるからです」

スピーノは、男の死を重大な事件のように受け止め、自らの近くにもスパイがいる(カモメが一羽、ぼくを尾けているような気がする)かのようにふるまうのだが・・・・。生と死の淡い境界線。その合間を漂うような一人の男。何だか不思議な読後感のするお話でした。

幻想的な雰囲気は好きだったのだけれど、これ一冊では良く分からないので、次は、「インド夜想曲」に行ってみようかな~。タブッキといえばこれ、でいいのかしら。

インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
(1993/10)
アントニオ タブッキ

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しかし、この本は薄いのだけれど、行間が空き過ぎているせいで、矢鱈と読みにくかったのです。あんまり詰まってるのもなんだけど、目を通す際に、適当な行間ってあるよねえ。

「天使のとき」/家族の神話

 2009-01-25-21:34
天使のとき天使のとき
(2008/12/05)
佐野 洋子

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童話のような神話のような?
生殖や死の匂いが濃厚なところは、童話というよりも神話に近い雰囲気かな。

チチとハハから生まれたアニと私。ひ弱なアニに比べ、私はどこまでも力強い。アニはハハに愛され、私はチチに愛される。

やがてアニと私は、チチとハハを捨てるために家を出る。カミの住まう家で、チチの臨終のときを見せてもらうが・・・。

親から生まれた子は、いつか親のもとを離れ、更に時が過ぎれば、親を看取り、親を介護する。

描かれているお話はシンプルで、プリミティブ&力強い筆運び。読むタイミングによっても、読み取ることが違うんだろうなぁ。私にとってはまだ切実な問題ではなく、ただただ圧倒された感じでしたね。佐野洋子さん、今度は本屋で立ち読みしたエッセイを読んでみたいな。

■関連過去記事■
・「食べちゃいたい」/あなたを喰らう、わたしを喰らう

「メモリー・キーパーの娘」/人は悲しみから逃れることが出来るのか?

 2009-01-20-23:57
メモリー・キーパーの娘メモリー・キーパーの娘
(2008/02/26)
キム・エドワーズ

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人は悲しみから、不幸と思われる事柄から逃れることが出来るのだろうか?

きっとそんなことは不可能で、誰か守るべき人、守りたいと思った人の行く道から、石ころや岩(と思われるもの)を全て取り除いたからといって、それでその人が満足し、幸せになるとは限らない。

だって、丸ごとの不幸などというものは存在せず、不幸(と思われるもの)の中にも喜びや、幸福があるものだから…。ある事柄をごっそりなかったことにされたとしたら、引き剥がされてしまったら、その喪失感はいかほどのものなのだろう。

若き外科医師、デヴィッドの妻、ノラは、初めての子をある雪の日に産み落とす。子を取り上げるはずだった、デヴィッドの同僚の医師は、雪のために出産に間に合わない。デヴィッドは自ら、子供を取り上げるのだが…。

元気な男の子の次に、ノラの産道を通ってきたのは、ダウン症の女の子だった。ノラは双子を身ごもっていたのだ。1960年代、ダウン症についてはまだあまり知られておらず、自分の妹の経験からも、心臓に欠陥があることを恐れたデヴィッドは、有能な看護婦、キャロラインにその女の子を託す。施設に預けるようにと…。

高齢出産の両親から生まれ、幼いころから注意深く育てられてきたキャロラインは、ここへきて、自らのこれまでの生き方を覆す決断をする。彼女がその女の子、フィービを連れていった施設はそれ程にひどかったのだ。ここから、キャロラインの人生は思いもかけない風に変わっていく…。

変わっていったのは、ノラとデヴィッドの夫婦もそう。ノラは健康な男の子、ポールの誕生よりも、喪われた女の子、フィービの死を悼む。デヴィッドはフィービは死産であったと伝えたのだ…。そうして出来る、夫婦の間の隙間風。デヴィッドのついた嘘が、二人の関係をも変えていく…。

結婚当初、守られるばかりであったノラは、喪失感を埋めるために、しゃにむに様々な分野で活躍し、自立した女性になっていく。それは自らの意図した範囲を超えた成功だったとも言える。一方のデヴィッドは、全ての場面を記録せずにはすまないとでもいうように、写真へとのめり込む。そう、彼は「メモリー・キーパー」とでもいうべき存在になったのだ…。また、デヴィッドは自らを後ろめたく思うあまり、責めるべき場面においても、ノラを責めることはない。二人の関係は勿論、息子、ポールの精神にも影を落とす…。妻と息子、二人がデヴィッドに感じる高い透明な壁…。

人生には元に戻すことの出来ない、不可逆点が存在するし、そうかと思えば、予想もしていなかったことに巻き込まれることもある。そう考えると、人生設計ってなに~?、と思ったりもするんだけど…。

みんながあまりに切なくて、フィービの明るい歌声があまりに素敵で、最後はやたらと泣けてしまいました。以前に読んだ「時のかさなり」(感想)ではないけれど、人にはそう行動するだけの理由や、それまでの経験、歴史がある。貧しい家に生まれ、太陽のように皆を繋ぎ止めていた妹を亡くしたデヴィッドの気持も良く分かるのです。自分がしたような経験を愛する者にさせたくはなく、残った子供であるポールには、出来るだけのことをしたのだけれど…。

それでも写真のように、時が留まることはない。時は移ろい、人は変わっていく。いくら近しい人だからといって、その人の人生を代わりに請け負うことは出来ない。その存在に勇気づけられることがあっても、ね。

 高く透きとおる彼女の声は木の葉の合間を縫い、陽射しをすりぬけて流れていく。砂利に、草叢に、ぶつかって弾ける。水に小石を落とすように宙で音符が弾むと、見えない水面に波紋が広がる。音の波、光の波。父はすべてを固定しようとしたが、世界はつねに流れ移ろい、留めることなどできない。
 ひるがえる木の葉。なめらかに注ぐ日光。(p543より引用)

同じ一瞬がないからこそ、人生は美しい。
目次
1964
1965
1970
1977
1982
1988
1989

「心臓に毛が生えている理由」/米原万里さん、いろいろ

 2009-01-15-23:29
心臓に毛が生えている理由(わけ)心臓に毛が生えている理由(わけ)
(2008/05)
米原 万里

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目次
Ⅰ 親戚か友人か隣人か
Ⅱ 花より団子か、団子より花か
Ⅲ 心臓に毛が生えている理由
Ⅳ 欲望からその実現までの距離
Ⅴ ドラゴン・アレクサンドラの尋問
Ⅵ 対談 プラハ・ソビエト学校の少女たち、その人生の軌跡
        米原万里 VS 池内 紀
初出一覧
米原さんのエッセイを読むのも、何冊目になるのかな。本のタイトルも、章のタイトルもなんだか不思議だけれど、初出の場所もまたさまざま。まぁ、色々な場所に(例:読売新聞、西南学院大学広報、大法輪閣、上野のれん会、マミフラワーデザイン、ジェイアール東日本、日本経済新聞、神戸新聞、北白川書房、松扇軒、三省堂 ぶっくれっと、毎日新聞、SAS Institute Japan、潮出版、童話社、図書館の学校、大宅壮一文庫、朝日新聞、日本婦人団体連合会、角川書店)、色々なお話を書かれていること!

ほとんどはエッセイなんだけど、一部にはショート・ショート風のものも。エッセイも、渾身の「オリガ・モリソヴナの反語法」(感想)もいいけど、軽いショート・ショートもなかなかでした。

面白かったのは、通訳がらみのⅢ章の「言い換えの美学」。欧米文化圏では、修辞学のイロハというか美学があるのだとか。即ち、同じ事柄を、同じ語で指し示すのを避けようとする傾向。文学作品は分かるとして、経済や科学の論文でも、また演説においてもそうだなんてー! 科学の論文なんて、簡潔であればあるほど良いと思っちゃうんだけどな。でも、何度も同じ単語を繰り返すなんて野暮過ぎるのだそうでありますよ。外国語→日本語の場合は、演者の苦労虚しく、同じ言葉を使えばいいのだけれど、問題なのは、日本語→外国語の場合なのだとか。このままでは、幼稚に聞こえてしまう!、とときに身悶えしておられたそうな。

あとはねえ、ドイツ文学者の池内紀さんとの対談ですね。「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」は読んではいるんだけど、先が気になってざざざっと読んじゃったんですよね。やっぱりきちんと読みなおそうと思いました。

「ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」」/とある人生

 2009-01-15-00:01
ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」 (ハヤカワ・ノヴェルズ)ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」 (ハヤカワ・ノヴェルズ)
(2001/03)
アポストロス ドキアディス

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「ゴールドバッハの予想」(Wikipediaにリンク)とは、加法的整数論の未解決問題の一つなのだそうな。曰く、「2より大きいすべての偶数は、二つの素数の和で表わすことができる」。

小川洋子さんの「博士の愛した数式」(感想)と比較している文章をどこかで見て、気になったので借りてきました。数学をモチーフにしていても、結果、私には特に共通点は見つけられなかったなぁ。

一族の中の変わり者の伯父。「わたし」の父や叔父は、兄であるペトロス伯父を常に軽んじていた。広い庭と果樹園に囲まれたギリシャの片田舎で、節度ある一人暮らしを送る伯父。わたしはどこか秘密めいた伯父に心惹かれるのだが…。

伯父は、かつて天才的な数学者であった。自らの力を示すために、伯父が選んだのは、「ゴールドバッハ予想」。若き日の伯父は、その問題に全力で取り組み、誰か他の者が答えに辿り着くことを恐れるあまり、その途中で得た成果すらも発表することを恐れるのだが…。やがて訪れる挫折。

若き日の伯父の話と、「わたし」の話が重なってゆく。伯父の影響で数学者を目指した「わたし」は、伯父の企みにより、いったんはその道を諦める。しかし、伯父の出した問題が何たるかを知った「わたし」の胸に、再び数学者への夢が宿るのだが…。

実業を重んずる「わたし」の一族の気持ちも分かるし、完全な理論のみの数学の美しさも良く分かる。伯父の諦めは正しかったのか、「わたし」が伯父に認めさせようとした過ちは、確かに過ちだったのか。

「ペトロス伯父」は架空の人物ですが、実在の人物がうまく絡めてあります。ハーディ、ラマヌジャンについては、過去、藤原正彦さんの 「心は孤独な数学者 」(感想)を読んでいたのでわかりましたが、そうでなかったら分からなかったかも~。

ペトロス伯父の生き方は、全か無かしかありませんでした。それはほとんど狂気ともいえるほど。

これを読んで印象深かったのは、実は下に引用する箇所だったりします。

真理に近づきすぎる危険について彼が言ったことばが真実味を帯びて頭の中でこだましていた。”狂った数学者”というイメージは陳腐な空想ではなく、実在するものだ。“科学の女王”の研究者たちは蛾のようなもので、輝く無慈悲な光に引き寄せられ、容赦なく焼かれるのだ。(p159より引用)

良くは知らないけど(というか、これ読むまで、認識してなかったけど)、他の分野ではこんなことってあるんだっけ? 数学だけ???
数学といえば、これも読んでみたいんだけど、果たして理解出来るであろうか。汗 表紙も素敵だよねえ、これ。
素数の音楽 (新潮クレスト・ブックス)素数の音楽 (新潮クレスト・ブックス)
(2005/08/30)
マーカス・デュ・ソートイ

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「北緯14度」/絲山秋子、セネガルに旅する

 2009-01-12-22:57
北緯14度北緯14度
(2008/11/21)
絲山 秋子

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食エッセイ、「豚キムチにジンクスがあるのか」(感想)以来の絲山さんです。小説で言えば、「ダーティ・ワーク」(感想)以来。

で、この「北緯14度」は紀行文なので、「豚キムチ~」の方により近く、絲山さんの地が出ているのではないのかなー。紀行文とは言っても、どこかへ行った!、何をした、何を見たという、普通の紀行文ではありません。といっても、角田光代さんのように、自らを知らない地に置くことが目的(旅エッセイ「恋するように旅をして」(感想))なのでもなく、絲山さんは、その地、アフリカのセネガルに、ほとんど家族ともいえる人たちを作ってしまう。

もともとの旅の目的は、絲山さんが九歳の時にテレビで出会った、当時の絲山さんにとっての神さま、ドゥドゥ・ンジャエ・ローズの音楽を、セネガルの空の下で聞きたいという願いから来ていて、それも勿論実現するのだけれど、この旅の収穫はそれだけではないというか、むしろ違うところで結実したように思うのです。

挿入されるメール文(私信)も含め、絲山さんのアップダウンする感情が、ひしひしと伝わってくる。同じ人を好きだと思ったり、あーもー、それじゃ駄目なんだよ!、そこが嫌なんだよ、と思ったり。昔習っただけのフランス語では、子供のような気分になってしまう、というような言葉が文中にもあったんだけど、その感情もまた子供のような素直さ。

「豚キムチ~」でも少し思った、絲山さんの生き辛さのようなものが、セネガルの人たちの間ではそれがすっと溶けていったのかなぁ。ここまでストレートに感情を出すのって、余計な御世話だけど、建前を必要とされる日常生活の中では、ちょっと辛いと思うのよ。

セネガル以前とセネガル以後。絲山さんの中では、きっと何かが変わったんだろうなぁ。

気になって、絲山さんのweb連載(リンク)もチェックしてみました。「カレ」とは、本書で出てきたムッシュ・コンプロネ(本名ではなく日本人。ミスター・パーフェクト?)のことなんだよねえ? お幸せそうで何より。どうにも使えないムッシュ・イシザカ(これは仮名なのか何なのか。講談社の偉い人ってこと?)については良く分からず…。サイン会で、誰?どこ?と言われたそうだけれど、そりゃ気になるよなぁ。

絲山さんは、現在、家を建築中とのこと。これから飼われるという犬との暮らしを含め、その辺のエッセイも読んでみたいなぁ。絲山さんは、小説よりもエッセイの方が自分には読みやすい感じなんだよね。
もくじ
はじめに
Ⅰ ファティガン
Ⅱ テランガ
Ⅲ アプレ!アプレ!

*ファティガン:フランス語。「疲れる」「骨が折れる」「疲れた(様子など)」「うんざりさせる」「うるさい」など。
*テランガ:ウォルフ語で、「もてなし」の意味。
*アプレ:フランス語では「~の後で」という意味。セネガルでは「あとでね!またね」という、別れの挨拶として若者が使うことが多い。
ラック・ローズラック・ローズ
(1997/08/25)
ドゥドゥ・ンジャエ・ローズ・パーカッション・オーケストラ

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「マルドゥック・ヴェロシティ・1」「2」「3」/加速する物語

 2009-01-11-23:30
マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・ヴェロシティ〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)
(2006/11/08)
冲方 丁

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マルドゥック・ヴェロシティ 2 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・ヴェロシティ 2 (ハヤカワ文庫JA)
(2006/11/15)
冲方 丁

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マルドゥック・ヴェロシティ 3 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・ヴェロシティ 3 (ハヤカワ文庫JA)
(2006/11/22)
冲方 丁

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あの「マルドゥック・スクランブル」(感想)以前。少女、バロットとウフコックが出会う前。ウフコックと大男ボイルドの因縁が語られます。ボイルドは、なぜあんなにウフコックに拘ったのか。ウフコックはなぜあんなに自らの存在価値に拘ったのか、使い手を待ち望んでいたのか。すべてが語られます。

そして、この物語の、惚れ惚れするようなソリッドさ。読む前に想像していたのよりもとても良くて、加速するこの物語にぐっと引き込まれました。早川文庫から出ていても、何となくラノベ風の文法で書かれ、筋も比較的シンプルだった前作と比べ、書き込まれた物語の重さは尋常ではなく増している。それは主人公たる人物が、少女バロットから、重力(フロート)を自在に操る大男、ボイルドに変わったからだけではなく。ギャング一家、ネイルズ・ファミリー、あのオクトーバー一族、研究所の三博士、最初の09メンバー、ほぼフリークスなカトル・カール…。詰め込まれた情報量も半端ではない。

しかし、09メンバーの活躍を、その絆を見せつけられれば見せつけられるほど、読みながら切なくもある。だって、「スクランブル」を読んでしまった読者は、既にその絆が失われていることを知っているから。少しずつ削り取られていく09メンバーたち。「バック」がなかなか割れないことに、引かれた絵図の大きさに、徐々に疲弊し、虚無に飲み込まれていく残されたメンバーたち。

その中でやはり他のメンバーとは違うのは、ボイルドの良心でもあった、金色のネズミ、ウフコック。研究所から街へと出た、最初のその気持ちを持ち続けたのは、ウフコックだけだったんではないのかなぁ。悩み続けること、虚無に飲み込まれないこと、ライセンスが交付された際の、ウフコックの宣言文が胸を打つ。ウフコックは救済を諦めない。

しかし、それもこれも、ウフコックは全ての事情を知っていたわけではないから、とも言えるんだけどねえ。詳しく描かれたボイルドの事情、こりゃもう、そうせざるを得なかったと思わないでもない。ただ、それでも、ウフコックの使用者として、ボイルドとバロットはやはり違うとは思うんだけど。

すべてが奇麗におさまった時、冲方さんはここまで予測して「スクランブル」を書いたのかしら、と不思議でした。「スクランブル」のあの事件自体も、なーんと既に約束されたというか、設定されたものだったわけで…。これはもう立派な大河ドラマ。緑の眼をしたあの子の今後だって気になるし、バロットとウフコックのその後だって気になる。この物語にはどんどん増殖していって欲しいものであります。本書は、”/”を多用した箇条書きのような文章が、この凄まじい加速度に貢献しているんだけど、ラノベ的文法も手法も全部無視して、実験的手法でも何でも、冲方さんの書きたいように書いていって欲しいなぁ。

大男、ミスター・モンスター、ボイルドの爆心地(グラウンドゼロ)。迫力かつ胸を打つ物語でありました。

ときとして暴力は、素晴らしい効果を発揮するのだと公言する意義は。
そんなものはない。そう言い切れる楽観こそ、本書の意義であって欲しい。
最善であれ最悪であれ、人は精神の血の輝きによって生きている。
そしてエンターテイメントは、最悪の輝きさえも明らかにするのだ。
残された虚無―その輝きを。
 (たぶん、後書きにあたる「精神の血―その最悪の輝き」より引用)

SF

「ドゥームズデイ・ブック」/ダンワーシイ教授、奔走す

 2009-01-06-23:40
ドゥームズデイ・ブック (夢の文学館)ドゥームズデイ・ブック (夢の文学館)
(1995/11)
コニー ウィリス

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「犬は勘定に入れません」(感想)のオックスフォード史学部の面々が活躍する、姉妹編といったところでしょうか。ただし、「犬は~」がレイディ・シュラプネルという恐ろしい暴君がいても、どこまでも喜劇だったのに対し、こちらは悲劇。登場人物たちは、全体像が全く見えないまま、それぞれがそれぞれにベストを尽くすのだけれど、人間の力だけではどうしようもないことが彼らを襲う。相変わらず小ネタが色々詰まっていて、「犬は~」にも出てきたフィンチの心配症っぷり(しかも、とても細かいこと限定。トイレットペーパーの備蓄が尽きかけています!!)など、懐かしくもあるのですが、お話の内容的にどうしたってやるせなくもある…。

クリスマス休暇になだれ込む直前。史学部長、ベイジンゲームの留守中に、学部長代理の権限を勝ち取った、中世史学科のギルクリストは、ダンワーシイの反対をよそに、女学生キヴリンの中世への「降下」を強行する。「降下」を担当した、技師バードリが謎の病に倒れ、ダンワーシイの心配は頂点に達する。

中世へと開いた「ネット」の「フィックス」も取れないまま、果たしてキヴリンは無事に目的とする年代、土地に辿り着いたのか? 予定していた二週間後の「ランデヴー」、キヴリンの回収は可能なのか?

ギルクリストのそれまでの大演説にも関わらず、キヴリンの様子もあまり好ましくはないようで…。その時代のあらゆる予防接種を受けたはずなのに、キヴリンは辿り着いた先で病を得てしまう。彼女を助けたのは、地元教会の司祭、ローシュ神父と、土地の領主の妻、エリウィスたち一家。

ダンワーシイたちがいる現代、二一世紀と、キヴリンがいる一四世紀。共に伝染病が猛威をふるう。ドゥームズデイ・ブックとは、キヴリンがそう名付けた、キヴリンによる十四世紀の歴史観察記録。ダンワーシイたちの話、キヴリンの話と共に、この「ドゥームズデイ・ブックより転載」されたという記録が挟まる。

この記録は無事生還を果たしたキヴリンからもたらされたものなのか、それとも村の遺跡を発掘していたモントーヤによりもたらされたものなのか。いったい、どうなっちゃうのーーー?と思い、どんどんページを繰ってしまいました。「犬は~」を読むのに二週間近くかかってしまっていたことを考えれば、驚異的な速さでこちらは読み終わってしまいましたよ。

時は、二〇五四年。こんな経験の後に、さらに「犬は~」に巻き込まれるとは…。ダンワーシイ先生には、心よりご同情申し上げます。お話としても、「ドゥームズデイ・ブック」が先で、「犬は~」が後になるんですね。ネット、フィックス、降下、などについては、こちらを読んでやっと分かったこともあります。

「犬は~」はのどかな川の景色が印象に残るのですが、こちらで印象に残るのは、寒い寒い中世の冬。キヴリンが親交を深めた時代人との生活。どんなことでも実際にやってみなければ、調べたこと、聞いただけでは分からないことがある。大がかりなタイムトラベルの果てに言えるのは、そういうことなのかも。

コニー・ウィリス、好きなんだけど、そしてそういう話じゃないんだろうけど、読んでいると彼女が描くところの組織について、ついつい文句が出てきてしまうのです。無能だけれど声の大きい人がのさばるせいで、善良な物事を元に戻そうとする人たちが、どれ程の苦労を強いられているのか!

「犬は~」も実際に登場することの少ない、レイディ・シュラプネルの印象がものすごく強いんだけど、この本で印象が強いのは、全く登場しない史学部長ベイジンゲームの行方。実は最後まで行方が知れないのだけれど、オチがあると信じていたので、それはちょっと肩すかし。米澤穂信さん並みに、「史学部長はどこだ」(「犬はどこだ」(感想))と思ってしまいました。ほんと、ヤツはこの非常時に何をやっていたのでしょう~(私の読み逃し??)。

あと特筆すべきは、コニー・ウィリスの巧みさ。十四世紀と二十一世紀の対比は、伝染病だけではない。ローシュ神父が中世で鳴らす鐘、現代のベイリアルを占拠するアメリカ人たちのハンドベルとの対比、とにかく誰かのために奔走する人々とか。「犬は~」もそうだったけれど、渦中のダンワーシイ教授、これ、ほとんど寝てませんよね・・・。読んでるこちらも、なんだか寝不足がうつりそうな感じでした。
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プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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