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「お母さんは「赤毛のアン」が大好き」/本読み人の習性とその生態

 2007-10-31-22:29

吉野 朔実

お母さんは「赤毛のアン」が大好き (角川文庫)


柴田元幸さんの「つまみぐい文学食堂 」を読んでた時に、気になった吉野朔美さんの本です~。

文庫で出ているということだし、と珍しくも買おうと意気込んで実書店に出かけたのですが、置いてなーい! 早く読みたいのにー、とがじがじしながら、ネット書店で購入しました。

で、届いて直ぐに読み始めたんだけど、いやー、これ、面白いですね。
本読みならあるある!、と思う、習性と生態といいましょうか、その辺りが、吉野さんの漫画で語られるわけです(時に文章もあり)。
すぐ読み終わっちゃうので、コストパフォーマンス的には、ちとどうかなーとも思うのだけれど、いっぱい書き込んであるので、たぶん何度でも楽しめるはず(というわけで、コストパフォーマンスは、きっと結果的に丸)。

オーソドックス(?)なところでは、本の解説を先に読むか後から読むか?、という疑問(ちなみに私は絶対に後から。私はこうやって読んだけど、あなたはどう読んだ?、とせーのでカードを開くようなイメージで、読み終わった後のお楽しみにしてます)や、カフカの「変身」におけるザムザのイメージなどなど、吉野さんや周りの本好きの人々を巻き込んだ話が面白ーい!!

最近、手を出し始めたポール・オースターについて、色々書いてあったのも、私にはちょうど良かったです。

最後の物たちの国で 」の絶望とユーモアにうーむと思い、「ミスター・ヴァーティゴ 」のめくるめくエンターテインメントを楽しみ、「ティンブクトゥ 」では純粋な魂にじーんときて。
でもね、どうも、ポール・オースターという作家が、いまひとつ掴めなくって。

と、思ってたら、吉野さんも、オースターはちょっと微妙な評価みたい。

 また読んでしまったな。どうして読んでしまうのかな? オースター。

と、読むたびに思ってしまう作家なのだそうな。

私は次はエッセイの「トゥルー・ストーリーズ 」を読んで、そのあと、柴田さん吉野さん共に面白かったという「偶然の音楽」に行ってみよっと。ポール・オースターの人生自体、扉の著者紹介を読んでもずいぶん波乱万丈だなぁ、と思ってたんだけど、その辺も作品に影響しているのかなぁ。



目次

 オースターたち
ポール・オースター『偶然の音楽』
本を拾ったことがありますか?

<本の解説>先に読むか後から読むか
ストリックランドの汚名
読み手の身勝手
装幀の力
なんかそーゆう本なのだ
私はこれを”読みきった自慢”[男性編]
いつも本が入っている
ローレンス・ブロック 風呂で読むか!?布団で読むか!?
父の霍乱
わたしのザムザ
危険な書物
どうでもいい話
私はこれを”読みきった自慢”[女性編]
アインシュタインの脳
ワインの通(みち)
お母さんは「赤毛のアン」が大好き
どれも これもが 読みかけ
装幀の秘密
”読書”の定義
『招かれた女』あとがきにかえて
対談
柴田元幸×吉野朔美
偶然と貧乏の達人、ポール・オースター
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「ダーティ・ワーク」/連作短編

 2007-10-30-22:18

絲山 秋子

ダーティ・ワーク


絲山秋子さん、初読みです。

もっとね、バリバリに乾いた感じを想像していたら、おっと、意外とソフトなんじゃないの、と。別に物凄く肩肘張っているわけでもなく、肩の力だって適度に抜けて、ほんのりウェット。でもって、これ、ただの短編ではなく、ゆるい繋がりのある連作短編なの。技巧的にもなかなかのもの、なんじゃないでしょうか。

目次
worried about you
sympathy for the devil
moonlight mile
before they make me run
miss you
back to zero
beast of burden


登場人物たちがゆるく繋がっている連作なんだけど、キーになるのは、ギタリストの熊井望と、中学生の時の同級生であるTTという二人の男女。彼らがバンドを組んでいたためか、タイトルは、きっとローリングストーンズの曲名とも関係あるんだよね。

    ←だし。
  ザ・ローリング・ストーンズ
  ダーティ・ワーク

特にドラマがあるわけでもない日常の中で(死にかけてる重病人も出てくるけど)、何となく大人になっていった人間たちのお話。後悔することもそれなりにあって、それでも、どこかに希望もあって…。

色々な人の視点から語られるので、「真実」が決して一つではないこと、最大公約数としての「事実」があることが、くっきり見える。で、それぞれに思い合ったり、思いやったりしながら、生きているのだよね。私が特に好きだったのは、輸入車の広報をしている貴子と、彼女の兄嫁の麻子との温泉旅行を描いた「sympathy for the devil」。

普段はどっちかというと突っ張ってるのに、兄嫁の前では何となく甘えた妹になってしまう貴子と、余裕のある大人の女である兄嫁の麻子の、二人の空気がいい感じ。
ドライブの車中での「牛遊び*」もいいなー。

 *「形容詞+牛」を言い合う遊び。
 例)楽しい牛、いかがわしい牛、悩ましい牛、おびただしい牛、小汚い牛、おどろおどろしい牛、
   輝かしい牛、せちがらい牛…。
 この遊びって、絲山さんオリジナルなのかしらん。世の中には、こういう遊びがあるの?

「ラ・タ・タ・タム-ちいさな機関車のふしぎな物語」/おじょうさん機関車がゆく

 2007-10-29-23:04

ペーター・ニクル, ビネッテ・シュレーダー, 矢川 澄子

ラ・タ・タ・タム―ちいさな機関車のふしぎな物語 (大型絵本)


森見登美彦さんの「夜は短し歩けよ乙女」において、乙女が古本市で探していた(そして、先輩の死闘の元ともなった)絵本です。

「夜は~」を読むと、この絵本、読んでみたくなりませんか?

ちょうどちょっと前にミヒャエル・エンデの詩目当てで借りてきた、少々毛色の変わった絵本、「影の縫製機」の絵を、同じビネッテ・シュレーダーが担当していて、その絵が気に入ったこともあり、毎度だけれど、図書館でこの本を借りてきました

さて、「影の縫製機」は白と黒の世界だったのだけれど、こちらはごく普通の絵本なので、当然ながらカラーの世界。

表紙の画像がちょっと小さいので、分かりづらいけれど、真ん中に見えるのが、白く優美でとってもちっちゃな機関車。ぽっぽっぽっぽっと、白い煙を吐き出しています。

絵本の内容は、「夜は~」に書かれている通りなのだけれど、機関車と言えばずんぐり大きく、黒い物という思い込みを覆す、「雪のようにまっしろで、絵にかいたおひめさまみたいにきれいな、おじょうさん機関車」が、何ともキュート。

優美な曲線、華奢な骨格が美しいです。エレガント! 風景もまた良くてですねえ。どこでもレールが繋がってるのが不思議と言えば不思議だけれど(笑)、色々な景色の中、白い機関車は行くのです。

「世界×現在×文学―作家ファイル」/見開き二頁お得なファイルにござります

 2007-10-27-22:34
越川 芳明, 沼野 充義, 野谷 文昭, 柴田 元幸, 野崎 歓
世界×現在×文学―作家ファイル

図書館で例によって持ち分の10冊を借りきってしまった後に、見つけてしまった本書。お陰で借りてくることは出来なかったのだけれど、その場で興味のあるところはざっと読んできました。

amazonから引きますと、

118人の現代作家たちのプロフィールと作品紹介によって構成された現代世界文学のガイド。いま現在、文学を作り出している内外の作家たちの姿が、これからの文学が何を指して進んでいくのかを示す。

とのこと。国書刊行会なんて出版社から、こういうのが出てるのが嬉しいではないですか(でも、ある意味、らしい、本でもあるのでしょうか)。編者たちの心意気も嬉しいです。118人の中には、「世界」であるからして、日本の作家も何名か含まれ、島田雅彦さん(露出してるのはよく見るけど、小説読んだことないんだ)、高橋源一郎、金井美恵子、笙野頼子、吉本ばなな、村上春樹なんかも載ってました。
最近読んでるあたりでは、コーマック・マッカーシー、カズオ・イシグロ、ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、マーガレット・アトウッド、ニコルソン・ベイカーなどを拾い読み。
その他、「チカーノ文学」、「ドイツ文学」などの、大きなくくりでのお話もありました。

これら全てが、見開き二ページに収まっているので、非常に読み易くガイドとしても実に優秀。現代において、文学を読むのに力強い助っ人になりそう。

でもね、うわー、こんな本知らなかった!、なんて便利なんだ!、いいなー!、と軽く興奮していたら、これ実は1996年刊行だったのですね。知らなかったよ…。今度、図書館に行く時には、必ず借りてこよっと。

さて、ガイド本とくれば、やはりそこでは気になる本が、また増えていくわけで。
ざっと読んだ限りで気になった本のリンク。



なんで気になったのかは、微妙に忘れてしまったので、借り出しきてから追記します。

「ティンブクトゥ」/魂の行方

 2007-10-26-22:58

ポール・オースター, 柴田 元幸

ティンブクトゥ


ミスター・ボーンズには分っていた。ウィリーがもう長くはないことを。
楽しかった彼との日々が、終わってしまうことを…。

えーと、こう聞くと、ウィリーが犬で、ミスター・ボーンズが人間、と思えるのだけれど(いや、過去、こういう本を読んだこともあるしね)、あにはからんや、ここでは、ミスター・ボーンズが犬、ウィリーがその飼い主になるのです。

ウィリーの人生は、客観的に見て、とても成功したものとは言えない。狂気とアル中の詩人であるウィリーは、けれども、ブラウン管から彼に語りかけるサンタクロースから啓示を受け、ウィリアム・グレヴィッチ改めウィリー・G・クリスマスとなり、一年を通してクリスマスの教えを肯定し、何も求めることなく愛を返すことに専念した(もしくは、そう心掛けた)。

その試みは常に成功!というわけにはいかなかったけれど、ウィリーには常に自分が目指すべきものが見えていた。けれども、若さが失われ、浮浪者同様となったウィリーが、いくら博愛精神を示そうとも、世間は冷たいもの。そんなウィリーが、ボディーガード代わりに飼い始めたのが、ミスター・ボーンズだったというわけ。

ウィリーは全てをミスター・ボーンズに話したし、ミスター・ボーンズも犬の身に許される限り、それらを全て理解した。二人で<匂いのシンフォニー>の研究に夢中になったりもした。マシンガンのようなウィリーのトークの合間に語られたのは、「ティンブクトゥ―ティン‐ブク‐トゥ」のこと。それは人が死んだら行く場所であり、砂と熱からなる巨大な王国、永遠の無が広がる地を越えたところにある土地。ミスター・ボーンズには、その旅は困難なものだと思われたけれど、ウィリーはそこにはあっという間に行けるのだ、と請け負う。

けれど、「ティンブクトゥ」とは人が行く場所なのか? だとすれば、ペットである自分は? この世界に別れを告げるときが来れば、その後はそれまでの生で愛した人と共に暮らせるべきではないのか?

最初に恐れていた通り、やはりミスター・ボーンズとウィリーの別れの日がやって来る。ミスター・ボーンズはウィリーからの忠告を元に、ひとり、生きていこうとする。ウィリーほど信用に足る人間はいないけれども、ミスター・ボーンズは、少なくともウィリーと同じくらい信用できる人間を見つけ…。
ここから語られるのは、いやな奴が一人いたからといって、全員が悪い奴だと思うな、という教訓や、信用できる人間でもその人物に力がない場合の悲しさなど。そうして、ミスター・ボーンズを助けるのは、時に夢の姿を借りてやって来るウィリー。

「ミスター・ヴァーティゴ」ほど、読んでいる最中に面白い!、とは思わなかったのだけれど、読み終わった後にじーんと残るものがありました。犬の視点で語られるのだけれど、犬だから、というよりは、純粋な魂のお話として読みました。愛する者との日々の思い出、愛する者を失ってから、別れが来てからをどう過ごすのか。みんながみんな、夢の形を借りて、生者の元にやって来られるわけではないけれど、ウィリーとミスター・ボーンズは、きっとティンブクトゥに行けたよね。

■関連過去記事■
・「最後の物たちの国で 」/全てが失われゆく街で
・「ミスター・ヴァーティゴ 」/空も飛べるはず

「生きている江戸ことば」/せめて浮世をおかしみましょう

 2007-10-25-21:03

林 えり子

生きている江戸ことば (集英社新書)


目次
はじめに
江戸川柳と江戸ことば
あ~わ
おわりに


私、それすら知らなかったんですが、「川柳」とはある人物の雅号だったのですね。
本名、柄井八右衛門正通。享保三年(1718)年生まれ、寛政二年(1970)年に他界。

門前町の管理人、「門前名主」の家に生まれた柄井八右衛門正通だけれど、父がなかなか家督を譲らなかったために、齢三十八にしてようやく「門前名主」になれたのだとか。著者林えりこさんは、このあたりに、「川柳」誕生の由縁をみる。

戦争のない平和な時代だったからこそ、当時の江戸には文芸や学術、美術など、様々な文化が花開いた。それらのサロンでは、武家、町人、職人など、あらゆる階層の人たちが、楽しみを分かち合ったのだとか。このサロンにおいては、身分制度などは払拭され、それぞれ思い思いのサロンに参加出来たらしいのです。

そんな中、俳諧は投句料を必要とするくらいの、比較的、お金のかからないサロンであり、そこが脛かじり状態であった川柳にはちょうど良かったのではないか、とみる。俳諧から始まった川柳の句は、「前句附句」(略して「前句附」)→「一句立」ときて、川柳となる。低俗な傾向に走りがちな「前句附」に、俳諧的な格調をつけ、町人層だけでなく、武家たちをも誘い込んだのが、新しいところ。人情の機微、物事の深層を穿ち、人間の愚かさをわらうおかしみが、「川柳点」のねらい。

さて、どうして、「はじめに」で川柳について長々と語られるかと言えば、この「江戸川柳」自体がその時代の「江戸ことば」を駆使して作られたものであるから。日常を楽しみ、浮世をおかしんだ江戸っ子の江戸ことば、江戸川柳を紐解いてみましょう、という本です。

あ~わまで、五十音順に沿った江戸ことばと、そのことばが入った川柳の解説が載せられています。

<猫なで・鼠舞い>では、

 猫なでの姑に嫁鼠舞い

という句が紹介され、「鼠舞い」という言葉は、恐れてためらうさま、こそこそと逃げる事にも使われるそう。猫と鼠は江戸市井に欠かせない存在だったため、川柳にもよく登場したのだとか。

 
夜伽とはねっこりとしたうそをつき
 
 ふてる嫁ねっこり持て来たのなり


の二句で使われる<ねっこり>も面白い。現在では使われなくなった言葉だけれど、これ、たんまり、という意味だそう。

あと、知らなかったのが、<のろま>が野呂松人形の略だったということ。これは江戸の泉太夫座で、野呂松勘兵衛が使い始めた操り人形で、扁平な頭に青黒く塗りたくられた顔面を持つ道化人形なんだとか。このため、「野呂松」が愚かものの異称になったんだって。

解説があっても、ちょっとわからないところもあったけれど、概ね楽しく読みました。特に数が多かったのが、吉原がらみの句で、随分とまた江戸の生活に溶け込んでいたんだなぁ、とちょっとびっくり。もともと、江戸の人口は男性の方が多かったのだろうけれど、更に川柳を作るのは男性が多かったのかなぁ。

「ポーの話」/うなぎ女の息子であり、みんなの息子でもあるポーのはなし

 2007-10-24-22:14

 

いしい しんじ

ポーの話


町の北から南へと流れる幅広い泥の川、その上流を漁場とするうなぎ女の股から、ある日、ポーは生まれた。一様に太って、どす黒い色をしたうなぎ女たちは、真っ黒い泥の中へ日焼けした両腕をずぼりと差し入れ、手探りでうなぎを捕る。ポーを生んだ女だけではなく、全てのうなぎ女がポーの母親となる。そして、うなぎ女たちは、わが子、ポーの幸せを希う。

 
ポーや。
 スフスフ。
 ポーや、ポー、わたしたちのたいせつな小鳩。

 スフスフ。スフスフ。
 ああ嬉しい。
 かあさんたちの命は、いつだっておまえのしあわせとともにある。

うなぎ女たちの息子ポーは、川と共に成長する。水かきをもち、うなぎ女たちと同様の黒い肌を持ち、誰よりも長く潜水出来るポーは、異質な存在だけれども、彼はいつしか、市内を走る路面電車の運転士、「メリーゴーランド」と「ひまし油」の兄妹と知り合いになる。

ポーがこの兄妹から学んだのは、兄からは盗みとツグナイについて、妹からは図鑑や百科事典からの知識、そして誰かが誰かの「大切なもの」であるということ。

大洪水が起こり、ポーたちが暮らす町は壊滅的な打撃を受ける。五百年ぶりのこの出来事を予感したうなぎ女たちは、舟を作り、町の人たちを舟の上に放り投げる。うなぎ女は、何千年も前から、うなぎたちとともにこの川で暮らしてきた。うなぎ女は川を守る。川の水と、そこに住み暮らすあらゆるものを。

 
フルー、フルー。
 川のつづくかぎり、かあさんたちはうなぎ女。
 いつもおまえのしあわせとともにある。

川にはかぎりがあるのだろうか? そこにはどんなうなぎがいるのだろうか? ポーは偶然、舟に乗り合わせた「天気売り」とともに、更に下流へと下流へと進んでいく。

ポーたちは、川べりに住む、老猟師と少年、「子ども」という名の犬と出会う。この場所は外界から閉ざされている。少年に外界のことを教えてやってくれと、老猟師に頼まれたポーたちは、しばらくこの地に滞在することになる。ここで、ポーたちが学んだのは、自分ではない何者かの目を通して見るということ、死んだ体を何よりも大事にしなくてはならないということ。息をしなくなった体は、もうその者だけのものではなく、残された者たち全てのもの。

川が出来るよりずっと古くから、真っ黒い水底に潜んで、生きてきたであろう大うなぎを追って、ポーはさらに下流に下る。

いくつもの村を過ぎ、工場が増えた辺りで、ポーの相棒である「天気売り」が、この地特有の毒虫にやられてしまう。そこで、彼らは「埋め屋」夫婦に出会い、ポーは人足として穴掘りと穴埋めを、「天気売り」は「埋め屋」の女房のレース鳩の世話をすることになる。ここで、ポーが学んだのは、誰かの眼に自分がどう映っているかということ、誰かが大切だと思うもののために、どこまでも自分を捨ててしまう者もいるということ。

ポーは、更に水に入り、さらに下る。そうして、ポーは海に出る。ポーの相棒となったのは、今ではぼろぼろになった女人形。女人形は諭す。表面上の間違ったことは、ただの照り返しで重要なことではない。一番深い底で、間違ったことをしないことが、大事なのだ。間違ったことをすると、それぞれの頭の上で空が塞がって、みんなが同じ空の下で生きるという、当たり前のことが出来なくなってしまうのだ。

流れ着いた港町は、若者たちが出て行ってしまった老人たちの町。ポーは、老人たちに可愛がられ、そこに暮らす。この町は、ある出来事をきっかけに、それまでの豊かな漁場を失っていたのだけれど…。ポーがここで出会うのは、鉱水の中で生きる「うみうし娘」たち。

 
ふかいふかいそこで、まちがえないよういきていくのが、ほんとのつぐないですよ。

今では白い肌となったポーは、そうして、つぐないをして生きていく。長いつぐないの旅を終えたポーは、更に潜る、潜る…。たぶん、そうして物語は繰り返す。美しい装丁そのままのような、幻想的で童話のような物語です。

なんだろうな、「うなぎ女」とか「うみうし娘」とか、本来、あんまり美しいとは思えない存在が、生命力にあふれた美しい存在として描かれるのですよね。いしい作品の「美しさ」って、何だか独特だよなぁ。うみうしは、カバー扉や、表紙裏にも愛らしく描かれている(過去、
こんな本 を読んだこともありましたが…。海で踏みたかないけど、綺麗ですよね、海牛とかナマコとか)。

■関連過去記事■
プラネタリウムのふたご 」/しあわせ

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
トラバが飛ばない「みすじゃん。」のおんもらきさんの記事へのリンク → 

そう、ポーは循環し続けるのです。

「ダンシング・ガールズ」/あたしたちの内側には

 2007-10-22-21:45

マーガレット アトウッド, 岸本 佐知子

ダンシング・ガールズ―マーガレット・アトウッド短編集


訳者の岸本佐知子さん目当ての読書であります。

目次
火星から来た男
ベティ
キッチン・ドア
旅行記者
訓練
ダンシング・ガールズ
訳者あとがき


著者はカナダ出身とのことなので、豊かな自然描写なども期待しつつ読んだのだけれど、その点は実はいまひとつ。でも、心理描写が独特で、すとんと居心地悪い所に落とされる、その感覚が面白かったです。

訓練」を除けば、ほとんどの主人公は女性。そして、どちらかと言えば、地味な人物に焦点が当てられる。でも、地味な人物には地味な話しかない、なんてことはそれこそ思い込みでしかないわけで。ぺろりと現実の皮を捲ればそこには…、というお話。なんとなーく、中途半端に放り出される部分もあるのだけれど、これはその釈然としない感覚も含めて、楽しむべき物語なのでしょう。

妙ちきりんさで言えば、ミセス・バリッジを主人公とする「キッチン・ドア」が、ぴったりはまった美しさでいえば、都会的な旅行記者アネットを主人公とした「旅行記者」が面白かったです。

キッチン・ドア」の主人公、ミセス・バリッジは、一九五二年からずっとピクルスを作り続けている。今年も勿論、鍋二つ分のグリーン・トマトのピクルスを作り、夫、フランクとのやり取りもまたいつもと同じ。フランクは毎年、妻がピクルスを作り過ぎると文句を言い、でもそれをいつだって食べきってしまうのだ。ピクルスとチーズを控えるように言うのも、フランクの健康を心配してというよりは、彼女が口うるさく言わないと、フランクが淋しがるから。そう、これらはすべて決められた形式にのっとって進行する、日常の決まり事…。
常と同じ時間の流れの中で、ミセス・バリッジは「それ」がやって来るのを感じる…。その時、きっと夫フランクには彼女を守ることは出来ない。「それ」を感じるミセス・バリッジは、キッチン・ドアを見つめながら、一人、準備を始めるのだが…。

旅行記者」では、有能で都会的な旅行記者、アネットが飛行機事故に巻き込まれる。楽しみを見出し、人々が求める記事を提供する術に長けたアネットにとって、旅は既に純粋な楽しみではなく、まるで書割の世界にいるようでもある。言うならば、自分だけが現実から隔離されたような感じ。
そんな中で、彼女は飛行機事故に遭う。慌てもせず、海に着水した飛行機から、必要なものを整えて脱出した彼女を待ち受けていたのは…。当然、すぐに助けがやって来るはず。救命ボートの上で、彼らは考えるのであるが、現実には…。そう、これがアネットが求めていた「現実」なのか、「生きる」ということなのか。

カナダの作家と言えば、新潮クレストブックスのこちらも気になります。こちらは、自然描写も期待出来るのかしらん。

「空飛ぶ馬」/円紫さんとわたしの世界

 2007-10-21-20:40
空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)
(1994/03)
北村 薫

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図書館本も溜まっているのに、また読んだのに感想書いていない本だって溜まっているのに、今日は何となく北村薫さんの「円紫さんとわたし」の世界に浸りたくなって再読をしておりました。

新しい世界にぐいぐいと漕ぎ出していく、馴染みのない世界や、未だ自分の匂いがついていない本の世界に遊ぶのも、それはそれで良いものだけれど、時に古いお馴染みの世界に戻って行きたくなる時がある。今日はちょっとそんな気分。

北村さんの探偵ものと言えば、覆面作家シリーズ、名探偵・巫シリーズ、ベッキーさんシリーズと、いくつかあるのですが、私が一番好きなのが、この落語家の円紫さんと女子大生のわたしシリーズ。「女子大生のわたし」は、びっくりするくらい、すれていないいい子で、シリーズの中では様々な季節が語られ、また、彼女自身も成長していくのだけれど、私の中では、秋の澄んだ空気が何となく彼女のイメージ。

探偵役である「円紫さん」は落語家であり、ワトスン役の「わたし」は文学部の学生であるからして、そこかしこに、そういった関連の知識がぽろぽろと丁寧に挿まれていて、それもまた何度読んでも楽しむことの出来る要因かなぁ(一回ではたぶん読み切れていないのと、新たな知識を得た後に読むと、ああ、こんなところにも手を抜いてないんだな、と分かる)。

私が持っているこの文庫は、1995年の第6版のもので、最初に読んだ時は、この「わたし」に近い年齢だったのに、今となってはむしろ「円紫」さんの方に近くなってしまいました。このシリーズは、1998年出版の「朝霧」(こちらはハードカバーで持ってます)にて、女子大生だったわたしが就職して新人編集者となる辺りで終わるのだけれど、その後の「わたし」についても読んでみたいものです。とうとう、「わたし」の名前も分らないままだったし。笑

表紙を並べていくのも楽しくてですね。シリーズ一作目の「空飛ぶ馬」では、文中で友人にヨーロッパの不良少年と揶揄されたりする、ショートカットのわたしの髪型も、だんだんに女らしくなっていくのです(と、思ったけど、並べてみたら、そんなに変わってないですね。むしろ服装か?)。



目次
織部の霊
砂糖合戦
胡桃の中の鳥
赤頭巾
空飛ぶ馬
 解説 安藤昌彦


織部の霊」にて、わたしは文学部の加茂教授から、落語家である円紫さんを紹介され、その知己を得る。円紫さんは、加茂教授の幼少時からの疑問を鮮やかに解決する。
砂糖合戦」では、マクベスの三人の魔女を連想させる、喫茶店の女の子たちの行為を未然に防ぎ、「胡桃の中の鳥」では、舞台は大学のある東京や、わたしの自宅のある神奈川(追記:「わたし」の自宅は埼玉でした…。神奈川に住んでるのは親友の正ちゃん。ああ、思い込みって怖い)を離れ、山形は蔵王へ。円紫さんの独演会を聴くのと、夏の旅行を兼ねたこの旅で、わたしは過酷な運命の中の弱小なるもの、に出会う。
赤頭巾」、「空飛ぶ馬」の二篇は、わたしの近所の人々のお話。一方は、悪意と幾分艶めかしいお話だけれど、「空飛ぶ馬」はラストを飾り、また、「わたし」の誕生日であるクリスマスや、年末を飾るに相応しい、ほのぼのと心温まるお話。

円紫さんによって解かれる謎は、空飛ぶ馬」の中にあるように、ただの謎解きではなく、関わった人たちの心を解いていくようなもの。

 解く、そして、解かれる。
 解いてもらったのは謎だけではない。私の心の中でも何かが静かにやさしく解けた。

だから、こういう謎仕立ても実にしっくりとくるのです。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「戒」/戒よ、どこまでも舞え

 2007-10-18-22:19

小山 歩


二〇〇二年、戒の墓が見つかった。帯沙半島は、この報せに沸き返る。なぜなら、戒とは、半島史に残る伝説の奇人であり、希代の嫌われ者であったから。実在を疑われた戒であったが、彼は確かに生きていたのだ。

体は人間、真っ赤な猿のような顔に、甲高い声できぃきぃ喋る、言うならば猿人間である戒は、猿のまねをした道化舞が異常にうまかったのだという。

そうして、そこから語られるのは、半島の先端にある沙南の小国、再の国の歴史、戒の人生。希代の嫌われ者であり、逆臣とされた戒の真実の姿とは一体どんなものだったのか? 読者は二〇〇二年から、一気に戦乱の古代帯沙半島へと連れ去られる。

再国の公子・明と三日違いで生まれた戒。名門である延家に生まれ、また母、晶夫人が公子の乳母となったことから、戒は公子とともに最高の教育を受けて育つ。戒は後の世に言われるような痴れ者ではなく、文武両道とも言うべき、神童の誉れ高い少年であった。時に戒の優秀さは、公子をも凌ぐものであったのだが…。

母、晶夫人は、わが子である戒が、公子・明に勝つこと、並び立つことを望まない。彼女の望みは、戒が明の影となって生きること。晶夫人は、公子・明の浅はかな行いから、凄絶な最期を遂げるが、その後に及んで、戒に一つの約束をさせる。この約束に縛られた戒は、武官としても文官としても、任官することがかなわない。また、戒の母、晶夫人が第二夫人であったこともあり、戒は強く望まれたにも関わらず、軍事を取り仕切ってきた延家の総領となることもしない。

そうして、戒はどうやって生きていくのか? 亡き晶夫人に縛られた戒は、常に公子・明の傍にあらねばあらず、旅と学問に生きる遊子に憧れつつも、公子・明を護り、楽しませる道化として生きることを決意する。

名門に生まれた貴族であるにも関わらず、いつしか戒はみなに馬鹿にされ、軽んじられる本物の道化者となる。彼の深遠なる目的を知る者は、ほんの僅か…。

さて、人は己の才を隠したまま、道化であり続けることに耐えられるのか? 己の目的を誰にも理解されないことに耐えられるのか? 戒は時にぶれ、時に倦む。そうして、時に大切な人を失っていく…。

類稀なる「舞舞い」であった戒であるけれど、当初、それは人を楽しませるための方便でしかなかった。しかし、彼の舞いは本来、そんなもので終わるものではなかった。踊りの神に愛された戒の舞は、人々を魅了する。

そうして、何者にもなることを選ばなかった、選べなかった戒は、最後に「舞舞い」となることを選ぶ。生きている者たちのために、死んでいった者たちのために、戒は全霊をかけて舞う。

 人にもなれず、猿にもなりきれず、
 延家も追われ、お山も遠く、
 せめて山に似た巣を作ろうと
 戒、戒、家がないから、小屋に住む

「あなたの舞は、決して小さくなんかないよ。無力じゃない。戒兄、あなたの舞にかかわったものが、あなたを誇っている。愛している」

ラストの戒の舞は圧巻ですよー。

目次
 序章 墓と伝説

第一部 小屋に住む戒
 一章 緑野の夢
 二章 鹿を狩る夢
 三章 旅をする戒
 四章 春の風、夏の雨
 五章 戒より始めよ
第二部 宮殿に住む戒
 一章 新居の戒
 二章 軍師と舞舞い
 三章 弟たち
 四章 楊の蒼王
 五章 猿の帰還

 終章 陵墓の戒


全体としては、酒見賢一さんの「後宮小説」 を彷彿とさせる、中華風味の架空歴史小説。酒見さんのような軽みはないんだけど、丹念に描かれる架空の国、「再」の国の歴史にはぐいぐいと引き込まれる。軽みでいえば、類稀なる「舞舞い」である戒の舞や、その他の芸能も魅力的。再の国の歴史自体は、結構骨太に語られているように思います。

ページを開けば、そこには所謂洋モノファンタジーではない、けれども豊かな想像力に支えられた、アジア的ファンタジーの世界が広がります。一冊しか出ていないのが如何にも惜しい!

「後宮小説」は、第一回ファンタジーノベル大賞受賞作でありますが、一方のこの作品もまた、ファンタジーノベル小説がらみ。第14回ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞作であります。
参考までに、新潮社の該当ページにリンク

このときの大賞は、西崎憲さんだったのですね。
ああ、西崎さん翻訳の『英国短篇小説の愉しみ』(全三巻)は、積みっぱなしでありますよ。汗

この本のことは、「みすじゃん 。」のおんもらきさんのところで知りました。

 ■おんもらきさんの記事はこちら

すっごい面白かったです! おんもらきさん、ありがとう~。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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つな がる

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つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
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2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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