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「八朔の雪」「花散らしの雨」 みをつくし料理貼

 2010-03-31-23:39
たぶん、既にもう人気なんだと思うんだけど、みをつくし料理帖シリーズがすっごく良かったんです! 立て続けに既刊3冊読んじゃいました。

八朔の雪―みをつくし料理帖 (ハルキ文庫 た 19-1 時代小説文庫)八朔の雪―みをつくし料理帖 (ハルキ文庫 た 19-1 時代小説文庫)
(2009/05)
高田 郁

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狐のご祝儀―ぴりから鰹田麩
八朔の雪―ひんやり心太
初星―とろとろ茶碗蒸し
夜半の梅―ほっこり酒粕汁
 巻末付録 澪の料理帖

花散らしの雨 みをつくし料理帖花散らしの雨 みをつくし料理帖
(2009/10)
高田 郁

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俎橋から―ほろにが蕗ご飯
花散らしの雨―こぼれ梅
一粒符―なめらか葛饅頭
銀菊―忍び瓜
 巻末付録 澪の料理帖

これからも澪がどんな料理を作り出すのか楽しみです。1巻の「八朔の雪」では澪とご寮さん(女将)との関係など、良く分からない部分もあって、最初はそんなに引き込まれなかったんだけど、1巻途中からはもうぐぐっと持っていかれました。いつも本は通勤途中で読んでるんですが、これはたまたま家で読んでたんですね。途中からは涙が出て仕方なかったので、家で読んでて良かったです…。

澪の相は「雲外蒼天」。艱難辛苦が降り注ぐが、耐えて精進すれば、必ず青空を見ることが出来るんだそうな。3巻までくると、その艱難辛苦の不幸っぷりに、ああ、また…、という若干のマンネリも感じてしまったのだけれど、澪が考えだす料理と、澪の以前の奉公先を巡る謎、澪の幼馴染、あさひ太夫に関する謎、澪が恋心を抱く「小松原」の謎。これらがうまーく効いてます。すこーしずつだけれど、謎の答えにも近づいてきているみたい。でも、全てが解かれたら終わっちゃいますものね。マンネリになったとしても、ながーく楽しみたいシリーズです。
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「なんにもうまくいかないわ」/それでも生きていく

 2009-07-06-21:30
なんにもうまくいかないわなんにもうまくいかないわ
(2004/11/19)
平 安寿子

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目次
マイ・ガール
パクられロマンス
タイフーン・メーカー
恋駅通過
なんにもうまくいかないわ
亭主、差し上げます
「なんにもうまくいかないわ」。このタイトルに惹かれ、借りてきちゃった本です。別に行き詰ってるわけでもないんですが、「なんにもうまくいかないわ」。こう、声に出してみると、そこはかとない自虐感というか、投げやりな感じが、逆に自分を客観視させてくれるというか、救いになりそうな気がするな~。

出版社 / 著者からの内容紹介
なんでもかんでも己のことを喋ってしまう<私生活の無い女>志津子を中心に、独特の「饒舌体」で一気に読ませるコメディー5篇。

この志津子サンがねえ、自分の隣にはあんまり居て欲しくはないタイプだし、結構極端な人物なんだけど、自分の好きな事だけしてればいいわけではない、大人になった今となっては、こういう人物が逆に貴重なのかもしれないなぁ。ごく普通のサラリーマンである自分にとっては、志津子さん的仕事のやり方、拡がり方は、まぁ、実際は参考にならんだろうなぁ、とは思うのだけれど、このアメーバ的交友関係はちょっと羨ましい。

読んでいる最中は、志津子さんに色々突っ込んでいたりもしたのだけれど、何かの時にふと「ああ、そういう人いたなぁ」と思ったのが志津子さんの事だったりして、まるで実在の人物のように志津子さんの一部が自分の心の中に残ったような気がします。平さんはこういう、どこかにいそうな人を描くのがうまいなぁ。

↓文庫も。
なんにもうまくいかないわ (徳間文庫)なんにもうまくいかないわ (徳間文庫)
(2009/06/05)
平 安寿子

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「アレグリアとは仕事はできない」/げんだいしゃかい

 2009-03-09-23:48
アレグリアとは仕事はできないアレグリアとは仕事はできない
(2008/12)
津村 記久子

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斎藤 美奈子さんの「文芸誤報」を読んだ時に(感想)、文学はとっくに格差社会を描いている、というような趣旨の言葉があったと思うんだけど、おお、こういうのがそうなのか!、と思いました。奥田英朗さん、描くところの「ガール」などとは、違う世界がここにあります。
目次
「アレグリアとは仕事はできない」
「地下鉄の叙事詩」
 1―私はここにいるべきではない。私は
 2―順応の作法
 3―閉じ込められることの作法
 4―She shall be exodus.
好きかと言われると、あんまり好きではないなぁ。だって、あまりに救いのない現実が、迫ってくるのだもの。

「アレグリアとは仕事はできない」は、「コピー機が憎い!!」を改題したものなのだとか。うん、「コピー機が憎い!!」だったら、借りてはこなかったなぁ。笑 これは、タイトルのインパクトが全然違うよねえ。

でも、お話は確かに「コピー機が憎い!!」なのです。「アレグリア~」も「地下鉄の~」も、人物名がなぜかカタカナで表示され、それがちょっと読み辛いんだけど、「アレグリア~」の主人公は、ミノベという女性。正社員ではあるけれど、「この会社に来て、もっとも低い立場からそのキャリアをはじめ、今もそこに留まっている」、そんな女性。

その彼女の、最新機種だというアレグリアという複合機との戦いの日々。恋も華やかな場面もなく、本当に地味なお仕事のお話。図面をコピーして製本するという、ミノベの日々の業務を、アレグリアはさくさくとこなすことがない。一分動いてから、「ウォームアップ中です」という表示のまま二分止まったり、エラーコードが載っていないエラーで止まったり…。

働いているのはみんな同じだ、とミノベは誰かに言いたくなった。けどその中にあって、少しだけ、油田から延びたパイプに穴を開けて石油を吸い上げるように、らくをしようとしたり、自分にだけ有利なようにことを運ぼうとしたり、ちんけな自尊心を満足させたりしようとするやつがいる。けどわたしたちはわかってる。そういうやつらの顔も罪も。わたしたちにはわかっちゃいないとやつらは間抜け面を晒してケチなことをし続けるけども。(p84より引用)

いや、確かにそうなんだけど、そういうの、私は小説でわざわざ読まなくてもいいかなぁ。

「地下鉄の叙事詩」では、満員電車に揺られて長距離通勤をしていた頃を思い出しました。みんながみんな、死ぬほど不機嫌なあの通勤電車の中。その昔は「人身事故」という言葉に含まれる意味を確かに自分は知らなかったし、長じて「人身事故」による電車の遅れに何度も合う内に、その背後にあるものを考えることもなくなっていったよなぁ、とか。

この中で気に入ったのが、「電車乗り」という言葉。確かに満員電車に乗る人たちは「電車乗り」と表現出来るよなー。

それらすべての電車乗りたちが、数十分後に到着するそれぞれの戦場を思い、息を潜めながら小悪に興じている(p148の文より一部引用)

なんだか、こういうのもすごく分かるし。

表現とかに、おお、わかるわかる!とは思うんだけど、どうもいま一つ、読みどころが理解出来ないような気がしました。すごく良く分かるんだけど、私の場合はこの物語を読むことで、なんつーか、単純に現実世界での不機嫌が倍増しちゃったような気がします。そんな読書って、ねえ。

「恋愛嫌い」/レンアイはそんなにエライか

 2009-02-16-23:56
恋愛嫌い恋愛嫌い
(2008/10)
平 安寿子

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気だるげなおねーさんが迫力の表紙です。お腹辺りがなんともリアルだな~、と。
目次
恋が苦手で……
一人で生きちゃ、ダメですか
前向き嫌い
あきらめ上手
キャント・バイ・ミー・ラブ
相利共生、希望します
恋より愛を
年齢も職業も異なる三人の女性。飲食店でたまたま相席になったことをきっかけに、仲良くなった彼女たち。仕事が違うから利害関係だって全くない。ランチを共にするだけの、程よい距離を保つ彼女たちに、共通して言えるのは、真っ直ぐ、正直だということ。だからこそ、恋愛至上主義が蔓延る世の中で、少々生きにくく感じたりもする。

●田之倉喜世美
…コンタクトレンズ販売店フロア主任、二十九歳。
 「恋が苦手で……」、「あきらめ上手」
●二宮翔子
…販売データ処理会社社員。二十六歳。HN mog。
 「一人で生きちゃ、ダメですか」、「キャント・バイ・ミー・ラブ」
●矢代鈴枝
…スナック菓子メーカーベテランOL、三十五歳。
 「前向き嫌い」、「相利共生、希望します」

イロイロと、彼女たちの女心を惑わす出来事もあるのだけれど、結局、彼女たちが選ぶのは、「それが自分らしいか?」ということ。奇跡的に感じの良い眼科医に言い寄られても、プチ成金に言い寄られても、ちょっとずれた後輩に好意をほのめかされても、揺らぎはすれど変わりはしない。

だから、最終章の「恋より愛を」が少し唐突にも思えてしまうんですが・・・。

信頼。
これより得難いものが、この世に二つとあるだろうか。

それでも、奪ったり食いつくしたりしない、レンアイだってあるはずなのだ。女性誌では、モテ特集なんかがやっているわけだけれど、それでもみんなが恋愛至上主義というわけじゃないよね。平さんは、等身大というか、自分の隣にいそうな女性を描くのが巧いよねえ。彼女たちのランチに混ぜてもらいたくなりました。

■関連過去記事■
セ・シ・ボン」/女子の生きざま

「草祭」/美奥という場所

 2009-02-07-13:35
草祭草祭
(2008/11)
恒川 光太郎

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目次
けものはら
屋根猩猩
くさのゆめがたり
天化の宿
朝の朧町
表紙はまた、ノスタルジックな感じなんだけど、(時々、「花まんま」とかのノスタルジックな感じの朱川さんと、この恒川さんを混同してしまいそうになるんだよなー)、恒川さん独特の、ホラーっぽい雰囲気もあるファンタジックなお話でした。

共通して描かれるのは”美奥”という場所で起こる不思議な話で、それぞれの短編は繋がっていたりそうでなかったり、時代も自由に遡ってみたり。でも、そっとその世界に入って行って、そこから強いイメージ喚起力を持った話がぐわっと立ち上がってくるのは、みんなおんなじ。恒川ワールドだよなぁ。

五編のうち、特に印象深かったのは、「屋根猩猩」。シーサーのように屋根の上に鎮座する、”屋根猩猩”。夜の空の中(ほんとは夜だけじゃないけど)、屋根の上を自在に飛ぶ”守り神”が目に浮かぶようでした。

「名探偵クマグスの冒険」/南方熊楠探偵小説

 2008-11-22-09:54
名探偵クマグスの冒険名探偵クマグスの冒険
(2008/09)
東郷 隆

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目次
ノーブルの男爵夫人
ムカデクジラの精
巨人兵の柩
清国の自動人形
妖精の鎖
妖草マンドレイク
かつて、南方熊楠という偉人がいました。
(Wikipediaにリンク
っていうのは、小説の背景として読んだり、漫画で読んだりしていました(「坂の上の雲」「日露戦争物語」)。これは、その南方熊楠のロンドン時代のお話。

「Nature」に数々の論文を寄稿し、研究生活を送る傍ら、同時代にロンドンで起こった事件にもし南方熊楠がかかわっていたとしたら? その博覧強記を生かし、きっと見事に探偵役を務めたことでしょう…。というお話なのです。孫文など実在の人物もバリバリと出てきて、実際熊楠と孫文は交友があったそうなんですね。この作者の方がどういう方なのか、良く分からないんだけど、実際、本当の事もかなり含まれているのかなぁ。

多少ね、調べたことをそのまんま書いているのかな、という感じで、正直小説としてのバランスが悪いところ、カッコ書きが興を削ぐところもないではない。

ネットで検索してみたら、朝日新聞社のこんな記事を見つけました。
 名探偵クマグスの冒険 [著]東郷隆[掲載]2008年11月9日
  [評者]唐沢俊一(作家)
  ■奇人学者がホームズばりに大活躍
 

本書の著者・東郷隆は、国学院大学で“博物館学”を学んだという経歴の持ち主なんだそうであります。もう少しこなれてくれると嬉しいなー、なんだけど、他にも著作がいっぱいあるみたい。そこでは違うのかなぁ。シャーロック・ホームズなどの探偵小説がものされた、その時代のロンドンの雰囲気を楽しむ小説ですね。

「禁断のパンダ」/それは神の食卓なのか

 2008-09-01-22:50
禁断のパンダ禁断のパンダ
(2008/01/11)
拓未 司

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柴山幸太は、若くして独立した、ビストロスタイルのレストラン、<ビストロ・コウタ>のオーナーシェフ。妻の綾香は現在妊娠八か月。彼の人生はまさに順風満帆だったのだけれど…。

ある日、幸太は妻の友人の結婚披露宴に出席する。表向きは身重の妻の体調を気遣って、その実は半年先まで予約が取れないというフレンチレストラン、<キュイジーヌ・ド・デュウ(神の料理)>の料理を味わうため。幸太と綾香は素晴らしい料理の数々を堪能し、また新郎、木下貴史の祖父である、著名な料理評論家だったゴッド・中島との知己を得る。ところが、式の途中で貴史の父が姿を消し、結婚式の翌日には、彼の会社の従業員が刺殺体で発見される。貴史の父、義明の行方は依然として分からないまま。いったい何が起こっているのか?

時に幸太の視点、時に兵庫県警捜査第一課の刑事、青山篤志の視点に切り替わって、話は進んでいく。時がたつにつれ、失踪者の数は増し、青山たち警察は焦りの色を深めるのだが…。

無愛想で無口な<キュイジーヌ・ド・デュウ>の天才シェフ、石国、レストランに併設された<ハーバー・チャーチ>の主任司祭、ルイ・ヴァンサン。神のような舌を持ち、美に尋常ならざる執着を持つ、中島翁。どいつもこいつも怪しいったら怪しいんだけど…。

幸太の「外」というものの考え方については、賛成しかねるところもあるんだけど、何せ料理の描写がとっても美味しそうなのだ。この美味しそうな筆致でそこ書くか、というのがちょっと辛いところですね。

舞台は神戸。土地勘があってイメージ出来れば、もっと楽しく読めたのかなぁ。あとはバリバリの関西弁(これが、神戸の言葉なの?)が楽しめるかどうかですかね。ちょっと馴れ馴れしくも感じちゃうんだけど、もともとそういう言葉なんでしょうか。

ミステリーとしては、そう大した謎というわけではありません。表紙の雰囲気と言い、ユーモア・ミステリーだと思ったんだけどなぁ…。これだったら、私は「パンプルムース氏」シリーズのがいいな。ネタ的に「」のタグを貼るのも迷っちゃいます。ちなみに、第六回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作であるようです。「このミステリー」、「このミステリー」、うーん、ミステリー??

他の物がゴミのように思える、恐ろしいほどの冴えを見せる石国シェフの料理。うーん、味わない方が幸せなのかも。たとえ凡庸とそしられようとも。ラストのある二人の人物の対比には、ぞっとしました。それはきっと開けてはならない扉。

「王朝懶夢譚」/姫君の恋と冒険と異類の者と

 2008-08-24-22:57
王朝懶夢譚 (文春文庫)王朝懶夢譚 (文春文庫)
(1998/01)
田辺 聖子

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目次
月冴
麻刈
紫々
鮫児
悪来丸

「ああつまらない。あと十年、何ということなく、ただ待つのですって? あたしは海老腰のおばあさんになっちゃうわ。青黴が生えて色が変わるわ。こんな若さが持ち腐れになるっていうの?」

こう嘆くのは、内大臣家の月冴姫。美貌も家柄もどちらも申し分のない月冴だけれど、入内が決まっていた東宮が急死しために、あたら若さを費やそうとしているところ。父と父の一族は、新東宮となった三歳の第二皇子に月冴を入内させようというのだ。乙女にとって十年はあまりに長い…。

わが身を嘆く月冴のもとに姿を現したのは、小天狗もしくは狗賓の外道丸。八つか九つに見える子童の姿をした外道丸は、月冴の境遇にいたく同情し、普通では見られない世の様々なことを見せてやるのだが…。

月冴の性格自体もさばけてるし、なかなかに勇敢だし、所謂深窓の姫らしくはなく、どこか「ジャパネスク」の瑠璃姫を思いださせるところもあるんだけど、何せこっちは誰がどう見ても文句なしの美人! そこはジャパネスクとの大きな違いかしらん。どうも最初っからジャパネスクを連想しちゃったので、ギャグ寄りというかユーモラスな話を期待しちゃったんだけど、実際はギャグっぽくしつつシリアスな話もあり、面白いんだけど、話がギャグに寄るのかシリアスに寄るのか、そこのバランスが読んでて合わない部分もありました。

最初の「月冴」は、月冴姫と小天狗の外道丸の出会いと、月冴が好もしく思っていた仏眼寺の仁照のもとに飛んでいく話。ここはね、文字通り、京の夜空を飛んで行くんだけど、異類たちが飛び交う様子がいいです。一角獣のような獬豸に天禄。正義が行われていれば、地上に降りてその姿を現すのだけれど、何千年、何万年も夜ごと彼らは地上に失望して天界へ還って行く。

野干、白沢、鮫児、猩々、河童…。異類との交わり、姫君の冒険と恋などが、綺麗にまとまった一冊です。今読むと特に目新しいところはないけれども(初出誌は「別冊文藝春秋」平成4年200号~平成6年208号)、安心して読める本ではあります。漫画、アニメなど、ビジュアル化との相性も良さそうな感じ。でも、いまさらそんな展開はないかしら?

「異形家の食卓」/田中啓文さんホラー小説

 2008-06-08-21:53
異形家の食卓異形家の食卓
(2000/10)
田中 啓文

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田中啓文さん、初読みです。
ほんとはねえ、落語の笑酔亭梅寿謎解噺シリーズを読みたかったんだけど、とりあえずわが図書館があるのがこの本だったの。
ホラーだし、いかにも悪食っぽいし、どうなのかなぁ、とは思ってたんだけど…。

気持ちが悪い話も、読むのは結構大丈夫な方だと自負しておりましたが、これはちょっと辛かった。とにかく悪食だし、悪趣味なんだよー。体液であったり、吐瀉物であったり、体から出てくるものが色々と満載なのです。
目次
にこやかな男
新鮮なニグ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け
異形家の食卓1 大根
オヤジノウミ
邦夫のことを
異形家の食卓2 試食品
三人
怪獣ジウス
俊一と俊二
異形家の食卓3 げてもの
塵泉(ごみ)の王
読んでる最中はその気持ち悪さにばかり目が行ってて、とにかく早く読み終えてしまえという感じだったんだけど、「オヤジノウミ」なんかは実は駄洒落も兼ねてるんだな。屍体食いの一家とは言え、この中ではギャグ色の強い「異形家の食卓」の、鬼退治と鬼胎児なども。ギャグを描くという田中さんとこのホラーとが、いま一つ一致しなかったんだけど、やっぱり同じ人物の違う一面なんですかね。

「異形家の食卓」/田中啓文さんホラー小説 の続きを読む

「セ・シ・ボン」/女子の生きざま

 2008-04-07-23:24
セ・シ・ボンセ・シ・ボン
(2008/01)
平 安寿子

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1979年、26歳だった平さんが過ごした、パリでの3か月の留学生活。

ホームステイして下宿人生活を送り、様々な国の若者たちと出会い、ヨーロッパ人の日本への無知に憤ったり、逆に自らの無知を恥じたり…。全ては若かったのだ!!

貯金をはたいて出かけて行ったのに、当時は得た物は何もなかったと信じ、パリでの思い出は苦いものとなっていたけれど…。
目次
大きな欠点のある男
人生はトラブルとアクシデントで出来ている
典型的な英国男
根性曲りのブルーアイズ
坊やなんて言うな!
帰れない国は美しく
謎の日本人
典型的な英国男と旅すれば
アンブラッセ!アンブラッセ!!アンブラッセ!!!
思い出はセ・シ・ボン

あとがき―過去という果実
私は小説家としての平安寿子さんをまだ知らないのだけれど、これはフィクションではなく実体験のよう。だから、ちょっと時代が下ってしまうものの、若い独身女性の留学日記のようにも読むことが出来る。だけどね、ここに描かれた人々は、実に生き生きと動いていて、とてもこれが二十七年前のこととは思えない。それは、平さんがこの過去をほとんど封印していたせいかもしれないけれど…。真空パックされたような過去が、当時の新鮮さもそのままに、立ち上がって来る。

この手のお話しにつきものの、誰それのその後、といった話も、このお話にはほとんどない。だって、三ヶ月間にぎゅーっと圧縮された彼ら彼女らとの繋がりは、その後、ほとんど途絶えてしまったから。でもね、

生きるとは、想い出すこと。人は、想い出すために生きる。
なんにもならなかった、なにもできなかったと涙にくれたパリでの日々が、今のわたしの足元を支える土台になっている。
想い出とは、そういうものだ。想い出こそ、わたしなのだ。五十を過ぎて、それがわかった。 p163

勿論、そのあともお付き合いが続いて、という話もいいけど、人生には時にその時だけをがっちりと共有した、その後二度と会う事もない人との出会いというものも存在する。でも、それはそれでいい。それでもそういった体験は、振り返ってみれば自分の核の一つになっているのだ。

そうして、時間が経って言えること。

セ・シ・ボン。そりゃもう、素敵。

どんな経験も、後になったらきっとこう言えるのだ。

平さんは、きっと小説でも、普通の人がちょっと元気になるようなお話を書かれているんじゃないかなぁ。今度、小説も読んでみよっと。

「ラギッド・ガール 廃園の天使2」/「グラン・ヴァカンス」前日譚など

 2008-04-03-00:15
ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉 (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉 (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)
(2006/10)
飛 浩隆

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会員制の仮想空間<数値海岸(コスタ・デル・ルメロ)>。「グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ」では、その中の一つの世界、<夏の区界>の滅びの様が描かれたけれど、こちら、「ラギッド・ガール」で描かれるのは、同じく仮想空間を舞台とした前日譚や、語られることがなかった、ゲストたちの世界、すなわち現実の物理世界のお話。全部で五つの短編からなっている。
目次
夏の硝視体(グラス・アイ)
 Air des Bijoux

ラギッド・ガール
 Unweaving the Humanbeing
クローゼット
 Close it.
魔術師
 Laterna Magika

蜘蛛(ちちゅう)の王
 Lord of the Spinners
ノート
通常、魅力的なその世界の裏を明かすようなお話は、ともすれば興醒めになってしまうこともあるけれど、これは大丈夫、待っているのはむしろこうなっていたのか!、という軽い興奮。

表題作の「ラギッド・ガール」。これ、「グラン・ヴァカンス」のことを知る前から、印象的なタイトルだなぁ、と気になっていたのです。「ラギッド」とは「【ragged】ぼろ(ぼろ)の, 破れた; みすぼらしい; でこぼこ[ざらざら]の, ごつごつの; 手入れの悪い; 不ぞろいな, 不調和な, 不完全な; (声が)耳ざわりな; (神経を)消耗した」のこと(goo英和辞書より)。あの<数値海岸(コスタ・デル・ルメロ)>を作った主要メンバーの一人である阿形渓(あがたけい)は、醜くざらざらの肌を持つ女であった。身体感覚が主となるからか、キーワードは「ざらざら」や「解かれる」、かな。

ただ、大切なことは、きちんと順番を守って読むこと。「ラギッド・ガール」「グラン・ヴァカンス」だとこの感動が得られないような気が致します。
■夏の硝視体
<夏の区界>のジュリー・プランタンとジョゼのお話。ジョゼの中に刻まれた傷に、ジュリーが気づいたときのお話。そして、ジュリーと金盞花(スウシー)の話、視体<コットン・テイル>との出会いの話。

■ラギッド・ガール
あの<数値海岸(コスタ・デル・ルメロ)>の開発者たちの話。世界に右クリックを掛けたかったドラホーシュ教授(なんで、自分たちの世界には右クリックで調整がかけられないんだ?)に、直感像的全身感覚の持ち主であり天才的プログラマである阿形渓(そして、「全身これ犀のけつ」のざらざらのとても醜い女でもある)、語りの手の私、カリン・安奈・カスキ…。

この場合、阿形渓が醜い事はどうでも良くて、重要なのは代謝異常の不自由な体を持つ彼女は、その不自由な体故に、ある特殊な能力を持っていたということ。彼女の中には一本の定規のような「絶対時間」があり、キャプチャされた直感像的全身感覚が、薄いプレパラート標本のようになって、彼女の中に蓄積されているのだ。これらの感覚はしっかりと記憶され、いつでもどんな風にも引き出すことが可能である。通常、人は感覚の中のいくつかを覚え、後のものは捨て去っていくものであるのに…。ドラホーシュ教授の提案する<仮想空間>の技術は、この阿形渓を迎えて格段に進歩するのだが…。

「グラン・ヴァカンス」で描かれた、読む者と読まれる者の関係が、ここではもっともっとくっきりとクリアに描かれる。そう、読まれることで本の中の登場人物たちは息を吹き込まれ、彼らの人生を生きるけれど、同時に読まれることによってその中で死を迎えることもある。読む者がなければ、彼らは死ぬ事もなかったのか? しかし、読む者の感情、リソースを使って、彼らが生きたことには意義があるはずなのだ。

情報量に圧倒されちゃうけれど、これもまた美しく残酷なお話です。強烈な自己愛のお話でもあるのだけれど、これだけ突き抜ければ、いっそ甘美。

■クローゼット
ドラホーシュ教授の研究グループの一員であった、カイル・マクローリンは謎の死を遂げていた。彼と同棲していたガウリ・ミタリはその謎に迫るのだが…。
そうして、ここでひとつ明かされるのは、<夏の区界>でジョゼたちAIの深層に植えつけられていた「恐怖」の誕生。恐ろしい~。

■魔術師
突然、ゲストたちが仮想空間を訪れることがなくなった、大途絶(グランド・ダウン)の真相とは…。
これ、AIのサビーナって、例の彼女なんだよね? 彼女はやっぱり特殊なAIだったのだ。

■蜘蛛(ちちゅう)の王
蜘蛛たちの王であり、<夏の区界>を蹂躙し、例外として他の区界を自由に行き来していたランゴーニの話。ランゴーニはいかにしてランゴーニとなったのか?
後書きに当たるであろう「ノート」によれば、≪廃園の天使≫シリーズ、長篇第二作の「空の園丁(仮)」は、「蜘蛛の王」よりももっと派手な展開になるのだとか。こちらも楽しみ!
「ラギッド・ガール」の刊行は、2006年10月。次が出るのはいつなんでしょう。
□ネットで見つけた飛さんのインタビューにリンク
(佐々木敦氏による批評ブログ「How It Is」より)
☆関連過去記事☆
「グラン・ヴァカンス 廃園の天使Ⅰ」/永き、休暇
SF

「グラン・ヴァカンス 廃園の天使1」/永き、休暇

 2008-03-26-22:24
グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)
(2006/09)
飛 浩隆

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そこは、夏の長いヴァカンスに相応しい、美しくクラシカルなリゾート地。南欧の小さな港町をイメージしてデザインされた、この<夏の区界>は、古めかしく不便な街で過ごす夏のヴァカンスを完璧に具現する。

デザインされた…。そう、この地は現実に存在するものではない。会員制の仮想空間<数値海岸(コスタ・デル・ルメロ)>に作られた<夏の区界>には、様々な肉付け、味付けをなされたAIたちが住み、現実社会からやって来るゲストたちをもてなしていた。現実社会からこの仮想空間にやって来るゲストたちは高価な対価を支払って、時に誰かの父として娘の誕生日を祝うロールを、誰かの妹のロールを、それぞれの好みに応じて選び、演じていた。

ところが、この仮想空間に大途絶(グランド・ダウン)と呼ばれる現象が起こる。ゲストたちがこの地を訪れなくなってしまったのだ。大量のリソースを使用するはずのこの<夏の区界>は、それでも何の影響も受けず、これまでと変わらず、千年もの長きにわたって、同じ日々を繰り返していたのだが…。

今日も従姉のジュリーとともに、鳴き砂の海岸で、硝視体(グラス・アイ)を探しに行こうと考えていた、少年ジュールの一日は一変する。<夏の区界>が突然の攻撃を受けたのだ。AIたちは、なすすべもなく、「飢え」を纏った蜘蛛たちに喰い尽くされていく…。

目次
第一章 不在の夏
第二章 斃す女、ふみとどまる男、東の入り江の実務家たち
第三章 鉱泉ホテル
第四章 金盞花、罠の機序、反撃
第五章 四人のランゴーニ、知的な会話、無人の廊下を歩く者
第六章 天使
第七章 手の甲、三面鏡、髪のオブジェクト
第八章 年代記、水硝子、くさび石
第九章 ふたりのお墓について
第十章 微在汀線
 ノート
 文庫版のためのノート
 解説/仲俣暁生
最近のちょっと低調だった読書を吹っ飛ばしてくれた、すっごい本です。

「ノート」より作者である飛さんの言葉を引きますと、

ただ、清新であること、残酷であること、美しくあることだけは心がけたつもりだ。飛にとってSFとはそのような文芸だからである。 

そう、この物語は、いっそ陶酔する程に、美しく、残酷。

読者は読み進むうちに、この<夏の区界>には、不必要なほどに性的な仄めかしがあることに気付くでしょう。これもまた、現実社会からやって来る「ゲスト」のための刺激的な味付け。彼らゲストは、この仮想空間に君臨し、AIたちに残酷な行為を強いていたのだ。

千年の長きにわたるゲストの不在や、いつしかこの区界に辿り着いた硝視体(グラス・アイ)の力によって、正しくチューニングされていたAIたちの性格は少しずつ狂いはじめていく。彼らはもう、ただの<AI>などとは呼べないほどに、実に人間らしく、いじらしい。

さて、<夏の区界>に住むジュールたちAIを攻撃してきたのは、一体誰なのか? 通常だったら、現実社会から?、と言いたいところだけれど、これはもっと複雑で、敵はそうではないのでした。こちら側の事情については、次作「ラギッド・ガール」で描かれているみたいです。

このAIたちの戦いは実にスリリングだし、その彼らAIたちの痛みを、安全なこちら側で読んでいるという、甘やかな背徳感すら感じてしまう。これ、解説が秀逸で、なんだかもう、「そうそう、そうなんだよー!」となって、自分の感想が書けなくなってしまう感じなんだけど、解説の仲俣暁生さんがおっしゃる通り、この本の中のゲストとAIたちの関係は、そのまま物語への侵入者である読者と、この物語の登場人物たちの関係だと言うことが出来るのだ。

滅びの様すら美しい、<夏の区界>。この物語を「記憶」することが出来て、良かったー!

次はこちらだ! ← 読みました(2008.4.2)。
「ラギッド・ガール 廃園の天使Ⅱ」/「グラン・ヴァカンス」前日譚など
ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉 (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉 (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)
(2006/10)
飛 浩隆

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SF

「レディ・ジョーカー」/抑鬱の果てに

 2007-07-26-23:21
高村 薫
レディ・ジョーカー〈上〉 」「 レディ・ジョーカー〈下〉

「物語三昧」ペトロニウスさんに、高村薫の『リヴィエラを撃て』をオススメしていたところ、こんな記事を書いて下さいました。

ペトロニウスさんの記事はこちら
→ 『リヴィエラを撃て』 高村薫著 素晴らしい人間ドラマでした
  『リヴィエラを撃て』高村薫著? ハードボイルド小説の心象風景とディティールの描写

ついでに、こっちも
→ 『毎日が日曜日』 城山三郎著 日本株式会社の経済戦士たちのバイブル?

で、私はペトロニウスさんにオススメしたくせに、最近、高村作品を読んでません。このブログに記事を書いたのも、合田刑事シリーズ第二作目の『照柿 』くらい。一時期はまって、一気にガーっと読んだので、『新リア王』以外は一応押さえてはいるはずなのだけれど。「企業小説」であることもあり、このたび、唯一まだ持っている『レディ・ジョーカー』を読み直してみることにしました。

高村作品は大抵がどれも緻密な描写が続くのだけれど、再読となるとなまじ筋を知っているだけに、ついつい読み飛ばしてしまうことも。なかなか最初に読んだ時の集中力では読めませんです…。『レディ・ジョーカー』は登場人物の数も結構なものだしねえ。それぞれの人生が重いです。

さて、「レディ・ジョーカー」とは何ぞや。それは、ある犯罪グループが自称する呼び名。警察の捜査に浮かび上がるような<鑑>もなく、一見ばらばらである彼らの人生において、唯一つ共通するもの。それは、「自分はジョーカーを引いてしまったのではないか」という思い。年齢も職業もバラバラの男たち。ただただ目の前に起きた出来事を見据え、与えられた仕事を黙々とこなした日々。しかし、己の人生は、確実に正負のバランスが狂ってはいまいか?

抑鬱された感情の果てに彼らが起こした行動は、大手ビール会社を恐喝して金を強奪するというもの。実際のところ、男たちには金への執着心はほとんどない。それはこの閉塞した状況を抜け出すための手段にすぎない。偶然が積み重なって選ばれた企業<日之出麦酒>も、実は必然であったのか。総会屋<岡田経友会>との関係、関連運輸会社やその主力銀行の融資疑惑を含め、日之出麦酒は様々な手に絡め取られていく。

最初の怪文書を除けば、約5年間のお話であるこの物語。『レディ・ジョーカー』は、合田刑事シリーズ第三作目であるからして、勿論合田刑事も登場する。「レディ・ジョーカー」の脅迫は実に巧妙であり、まずは日之出麦酒社長の城山を誘拐、ビールが人質であることを説明し、後に裏取引を行うというもの。「レディ・ジョーカー」の名にふさわしく、脅迫に使われるビールの色は赤。赤いビール、それは「レディ・ジョーカー」のしるし…。社長の誘拐には当然警察も介入し、また日之出の裏取引を阻止するために、生還した城山社長に張り付けた所轄の刑事が合田というわけ。

警察と企業の駆け引き、警察の捜査、企業内でのパワーバランス、報道記者の世界などなど、余すところなく、非常にみっちりと描かれます。

レディ・ジョーカー」に対峙するうち、メンバーの一人であり、暴力的でぎらぎらした思いを持て余す男に引きずられるように、合田刑事もまた隠微な思いを深めていく。彼らの行動は互いにほとんど愉悦の源でもある。この二人は最後まで突き抜けていってしまうけれど、そうではないメンバーたちもいる。どこの闇に落ちたのかすら分らない者もいるけれど、「終章」で描かれる山々や耕地の姿は美しい。泥のように、澱のように、隠されていた強烈な怒りや、憤りがそれぞれに噴出したこの事件。この事件を体験した者たちは、それぞれに生まれ変わることが出来るのだろうか。この事件が起こったことによる、様々な弊害は残るのだけれど…。

「企業小説」として「終章」で語られる出来事は苦い。背後に暴力団誠和会がつく、岡田経友会とのしがらみを暴露した日之出麦酒への報復として、社長職を辞任した城山は第一回公判の前日に射殺される。城山三郎さんの小説などとは(って、たぶん、むかーしに数冊読んだだけなんだけど)、この辺の厳しさ、リアルさが違うよなぁ、と思います。

終章」で、本庁の国際捜査課に警部として異動になったことが知れる合田刑事。照柿』で灼熱の浄化を経験し、レディ・ジョーカー』にて「再び生まれ落ちた」合田刑事。国際捜査課での活躍も見たいものです。

<おまけ> 料理について
城山の秘書、野崎女史が城山のために用意する軽食が美味しそうでねえ。実際に作るのは、自社ビルの四十階にあるビヤレストランの総料理長なのですが。

 もともとは、ザワークラウトと男爵イモを骨付きの塩豚の塊とともに白ワインで煮込んだものだが、城山のために豚の塊は抜いてあり、ネズの実入りの真っ白なザワークラウトが小ぶりの一山、ほくほくに煮上がって粉をふいたジャガイモが一つ、バター煮のサヤインゲンが少々、熱々の湯気を立ててマイセンの皿に載っていた。          (上巻p330から引用)

誘拐犯から解放されて、会社に戻ってとる食事がこれ。ザワークラウトを食べると、この場面を思い出します。
上巻/目次
 一九四七年―怪文書
第一章 一九九〇年―男たち
第二章 一九九四年―前夜
第三章 一九九五年春―事件
下巻/目次
第四章 一九九五年夏―恐喝
第五章 一九九五年秋―崩壊
終章

「夜市」/異世界と少年と

 2007-07-03-23:01
夜市夜市
(2005/10/26)
恒川 光太郎

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雷の季節の終わりに 」が良かった恒川さん。
デビュー作であるこちらも借りてきました。

どこか懐かしく、切なくもある雰囲気は、こちらも同じ。こちらの方が、随分「切ない」によっているけれど。「懐かしい」という感情には、失われたものを悼む思いも含まれるわけで、そもそも「懐かしい」と「切ない」は非常に近い場所にある感情なのかもしれない。

読後感としては、中村文則さんの「
土の中の子供 」を読んだ時に似ているな、という印象。虐待されているわけでも、シチュエーションが似ているわけでもないのだけれど、世界との不器用な関わり方に、似たものを感じたのだと思う。

目次
夜市
風の古道
 選評


第12回日本ホラー小説大賞受賞作の「夜市」「風の古道」の二本立て。

「夜市」は、何でも手に入る市、「夜市」を描いたもの。それは夜に開かれ、異形の者どもが異形の品々を売る市場。私たちと同じ世界だけではなく、こことは異なる世界からも、夜市を目指してやってくる客がいる。夜市の仕組みは一つ。それは、取引をする場所であるということ。取引を済ませなければ、客は夜市を抜け出ることは叶わず、夜明けが来ることがない。

高校時代の同級生、祐司の誘いでこの夜市へとやって来たいずみ。夜市の仕組みなど知らず、ちょっと変わった場所に行くという程度の軽い気持ちで、入り込んだいずみとは異なり、祐司には祐司の目的があったようである。彼は、子供のころにこの夜市へ、迷い込んだことがあるようなのだが…。

「風の古道」は、こちらもまた異世界のお話。この世界のどこかには、古より伝わり、特殊な力が働く「道」がある。その呼び名は、古道、鬼道、死者の道、霊道、樹影の道、神わたりの道、とさまざま。本来、ただの人間が、この道に入ることなど、叶わないはずなのであるが…。

十二歳の夏休み、「私」とカズキは、ちょっとした冒険のつもりで、その道の中へと入ってしまう。このちょっとした冒険は、思いのほか、高くつく。古道を旅する青年「レン」に助けられ、「私」とカズキは出口を目指すのであるが…。道のものは何一つ持ち出せず、道で生まれたものは道が世界の全てとなる。

輸入業を営むホシカワ、「悪い奴を退治する」コモリには、「雷の季節の終わりに」の穏の世界を思い出す。

どちらも、少年が異世界に放り込まれ、自分たちの世界とは違う、その異世界のルール、仕組みに翻弄される話とも言えましょうか。自分たちの世界のルールとは違うとはいえ、放り込まれた少年たちは、その世界のルールに異を唱えることも出来ず、歯を食いしばりながら、食い下がっていく。風の古道」のラストにもあるように、これは成長の物語ではなく、何も終わらず、変化も克服もしないけれど、少年たちの必死の判断が痛い。夜市」の祐司しかり、風の古道」の「私」しかり…。

何が何でも成長主義!とは異なる道を行く、幻想的な物語。甘いばかりではない痛みも残るけれどね。

「雷の季節の終わりに」/神なる季節が終われば、少年は・・・

 2007-06-10-22:16
恒川 光太郎
雷の季節の終わりに

少年、賢也が暮らすのは、地図には載っていない、異世界・穏(おん)という町。この町には、春夏秋冬の他に、「雷季」と呼ばれる雷の季節、神の季節があった。この雷季には、人が良く消える。それは仕方の無い事だと町の人々はいい、賢也が二人で暮らしていた姉もまた、雷季に消えてしまっていた。

みなしごとなった賢也は養父母の元で暮らし、時に他の子供たちに苛められながらも、町の有力者である穂高の一家と親交を結ぶ。賢也が穏の他の人々とは違っていた事。それは、彼が穏の外から来た子供だと見なされていた事。

地図に載っていない町、穏。外の世界から穏に入ることはとても難しく、穏から出て行く者は、二度と穏に戻ってくることは叶わない。通常、穏の人間は、穏で生れ、穏で暮らし、そこで死んでいく。穏はとても小さな町。外の世界にその存在が知られたら、穏は侵略され、蹂躙される。穏の人々は、外の世界を異常に恐れるのであるが・・・。

閉ざされた町、穏。そこにはやはり歪みが生れ出る。それが、<鬼衆>、<闇番>などの穏独特のシステムを作り上げる。

穏で暮らす子供でありながら、姉の失踪時に町の人々に忌まれる<風わいわい>憑きとなった賢也は、それをひた隠しながらも、徐々に外世界へと惹かれて行く。墓町と呼ばれる廃墟で、穏と外世界との門番を務める<闇番>と親しくなった賢也は、ある事件の真相を知ってしまい、穏から追われる身となってしまう。

穏を出た賢也は・・・。また、それを追って来た少女・穂高は・・・。
虐待される外世界の少女、茜の物語がそれに絡む。

幻想的な異世界の話でもあり、少年・賢也の成長記、冒険譚でもある。<風わいわい>という物の怪、<風霊鳥>という鳥、<闇番>、<墓町>・・・。独特の用語もいい。著者は沖縄に移住されているとのことで、この独特の雰囲気に、ああ、なるほどと感じた。沖縄の離島のイメージもあるんだよな。

回想記のような体裁をとっているので、淡いノスタルジックな雰囲気もある。それがまた、この物語の幻想的な雰囲気を盛り上げているように思う。

デビュー作の「夜市」も読んでみたいです(その後、読みました→)。完成度も高く、美しい物語なのだけれど、こういう淡い感じだけではなく、もう少し破綻したというか、勢いを感じる物語も読んでみたいな~。「雷の季節の終わりに」が面白かっただけに、ちょっと贅沢な事も考えてしまうのでした。

web Kadokawaの「雷の季節の終わりに」のページにリンク

デビュー作、この作品とも、装丁も美しいよなぁ。
大空を自由に飛ぶ、風霊鳥。出会ってみたいものです。

あ、一点。
恩田さんの「光の帝国 」と同じ時期に読んじゃったのですが、これもまた異世界というか、常とは違う人々を描いていて、その点で微妙に被ってしまう点もあり・・・。少々、この作品が霞んでしまう面もあって、それはちょっと勿体無かったなぁ。つくづく、読書は順番も大切ですね。

「夜光曲-薬師寺涼子の怪奇事件簿」/ドラよけお涼がゆく!

 2007-03-30-22:49
 
田中 芳樹, 垣野内 成美
薬師寺涼子の怪奇事件簿 夜光曲 
祥伝社 NON NOVEL

ヨコガミ破りは当たり前。
ダダとリクツはこねる為にある。
国宝級の美脚に美貌、財力もばっちりのキャリア警視、薬師寺涼子。
ついた渾名は、「ドラキュラも避けて通る」こと間違いなしの、「ドラよけお涼」。

執事のように、僕のように、彼女に付き従うのは、こちらはノンキャリアの部下、泉田準一郎警部補。

「あたしにしか解決できない一大事」を待ち望む涼子の前に現れる事件とは?

目次
第一章 緑の風もさわやかに
第二章 蛍の光り、窓辺の血
第三章 怪人「への一番」の陰謀
第四章 ゼンドーレン最後の日
第五章 ヤマガラシ奇談
第六章 文人総監のユーウツ
第七章 双日閣の対決?
第八章 怪人+怪物+怪獣
第九章 原形質からやりなおせ


えー、わたくし、またシリーズ本を途中から読むという過ちを・・・。軽いシリーズだし、状況説明もちゃんとしてくれるので、読めてはしまうんだけど。でも、シリーズの最初くらいは、探してみようかな。

さて、「夜光曲」に戻ります。最初に起こったのは、新宿御苑の緑が一夜にして枯れ木に変わってしまったという事件。次に起こったのは、蛍狩りが名物の日本庭園での、人食いボタルの出現事件。これは新たなバイオ・テロの一種なのか??

個人的な理由もくっつき、ホタル撲滅宣言で気炎を上げる都知事の緊急会見中に、今度は都知事がネズミに襲われる。一連の騒動は、背後に同じ犯人がいるのだろうか?

涼子が走り、「私」泉田が付き従う。きらきらと光り輝くような(良い意味でも悪い意味でも)涼子に比較し、泉田はまるで涼子の影のよう。でも、この彼がね、サポートは適切だし、有能で、なかなかにかっこいいのではと思うのよ。これはぶっ飛んだ涼子に爽快さを求めて読んでもいいし、泉田くんの忍従ぶりに可憐さというか、ある種の萌えを求めて読むのかなー。しかし、もそっとリアル(に思える)な警察小説では、三十三歳にして、警視庁の警部補というのは、ノンキャリアとしては相当に出世が早い方だと思うんだけど、涼子につりあわせると、こうなっちゃうのかなぁ?

えー、事件の方は、私、最初「怪奇」事件簿という言葉に気付かず読んでたので、てっきり普通の事件を解決するのだと思っていたのだけれど、そこは「怪奇事件簿」。怪奇なのです、理屈ではないのです・・・。妖怪ヤマガラシなのです・・・。

後、楽しい所は、某都知事を髣髴とさせる都知事の言動。自衛団的な首都戦士東京ってほんとにありそうなところが怖いよ・・・。どうなるのでしょうねえ、東京都知事選。嗚呼、東京都民は楽しそうで良いなぁ・・・。
 ← これが最初?

「溺れる魚」/イロイロとまみれてます

 2005-12-21-09:07
戸梶圭太「溺れる魚」

小柄で色白、体毛も少なく、痩せ型の秋吉は、警官でありながら、女装癖の持ち主。女性用化粧品の万引きで捕まった彼は、特別監察官室預かりの身となる。

一方、タレこみを受けて連続強盗傷害犯のヤサに踏み込んだ白洲は、犯人を射殺すると同時に、犯人たちの金を着服した。この時の着服仲間の落合が自殺したことで、白洲はシラを切ることが出来ず、やはり特別監察官室預かりの身となる。

特別監察官室という部署は、不正を行った警察官を、その不正が殺人や強盗など凶悪犯罪でない限り、内密に処分したがる。
さあ、不良警察官である彼ら二人の処分はどうなる?

原則的に特別監察官は、警察に所属するあらゆる警察官に対して、調査を行う権限があるが、それが及ばないところがある。すなわちそれは、組織の不透明性、秘匿性をもって是とする公安警察官たち。特別監察官とは相性の悪い公安の調査をするのに、秋吉と白洲はうってつけというわけ。それぞれの罪を不問に帰すことと引き換えに、彼らは怪しげな動きを見せる、公安部外事一課の警部、石巻の監視にあたることとなる。

物語は、石巻が出入りする会員制の店、『クリング・クラング』(ドイツ語の擬音で、日本語で言うとガタンゴトン)のメンバーによる企業恐喝事件へと進み、そこに更に不潔極まりない、石巻の同僚の公安警部・伊勢崎、伊勢崎がネチネチといたぶっている革滅派のメンバーなどを巻き込んで、引きずって、ラストは怒涛のごとき様相を呈す。

秋吉、白洲の視点が最初は主になるし、キャラも立っていると思うのだけれど、この後、出てくる面子、全てが一癖もふた癖もある人物。この二人のキャラがそんなに活かされていないというか、普通の小説であれば「濃い」と思えるキャラなのに、後から出てくる濃い面々にすっかり「薄く」感じてしまう。
特に強烈なのは、恐喝されている企業、ダイトーの専務・保坂と、特別監察官室室長の主席監察官、御代田警視正の二人。

企業恐喝の内容もまた強烈。ただ金を出せ、というものではない。ダイトーの幹部を名指しして行わせる、いい大人の男性を辱めることが目的のようなもの。

「服装は・・・・・・上は白のタンクトップ。黒マジックで前面に“男気”、背面に“嫁さんヨロシク」と大書きし、「下はグリーンの迷彩柄の短パン。靴下はクマのプーさんがプリントされたハイソックス、靴は黄色のデッキシューズ」で、頭にはアメリカ・ニューヨーク市警の制帽」を被り、その格好で中央通りを新橋駅に向かって、競歩で歩くこと」とかね。

何もかもが派手派手しく、馬鹿馬鹿しい。

戸梶圭太はぶっ飛んでいるという話を聞いていて、でも、最初の部分はそれ程でもないなぁ、と思って読んでいたのだけれど、ラストに向かうにつれ、どんどんひどいことになっていき、成る程と納得。

人はバンバン死んでいくし、糞便塗れだし、反吐塗れに、血まみれです。嫌いな人は、近づかないほうがお勧めですが、ここまでひどいと現実から遊離して、更にちょっとした爽快感まで得られてしまうところが不思議。

それにしても、警察の陰の部分を一手に引き受けているというのに、御代田のこの飄々とした態度はいったいなんなのだろう。
「死体はそれでいいとして、負傷者はどうするんです」
「どこかにまとめて捨てますよ。夏だから凍死することもないでしょうしね、ほほ」
御代田は笑ったが、石巻は後味が悪かった。

ある意味、クールな御代田警視正。この人の背景をもっと知りたいなぁ、と思った。

 ← 私が読んだのはこちら
戸梶 圭太
溺れる魚
 ← 既に文庫化されているようです

堤監督により、映像化もなされているのですよね。
このぐちゃぐちゃを、どう映像化したのでしょうか。

ビデオメーカー
溺れる魚

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「照柿」/狂う、爛れる

 2005-08-31-10:10
高村薫「照柿」

現在三作出ている、合田雄一郎シリーズの真ん中。私はちょっと変則的な読み方をしていて、もう何年も前に「マークスの山」「レディ・ジョーカー」は読んでいるのだけれど、真ん中に当たる本作を飛ばしていた。ちょうど図書館にあったので、借りてきた。
*************************************************
全編を覆うのは、熱。二人の男の熱、気が狂いそうな暑い夏。照柿という赤色の一種。「熱」のせいか、いつもの緻密で這う様な高村節に、更にねっとりとした感触が加わっている。

二人の男とは、シリーズの主人公でもある合田雄一郎と、彼の幼馴染にあたる野田達夫。

合田雄一郎の「熱」は、刑事である彼が追っている「ホステス殺し」。彼の照柿の色は、線路から見た電車の臙脂色。他の作品では、硬質な石の様な印象を人に与える彼が、すっきりとして容赦ないまでに清涼な彼が、この「照柿」では狂ったように一人の女性に執着する。

一方の野田達夫の「熱」は、彼が勤めるベアリング生産工場の熱処理棟の灼熱。彼の照柿の色は、熱処理棟の老朽化した炉の色。

二人の男を繋ぐのは、佐野美保子という女。高村作品ではいつも女性が描かれないのだけれど(「晴子情歌」を除く)、今回は美保子が重要な役割を果たす。とはいっても、男に惚れられる、というだけでは重要な役割とは言い難いだろうか。彼女の行動に整合性は見られないし、彼女をあらわす言葉は「不機嫌」だと思う。何を考えているのか窺い知れない、深い穴のような女性。熱い男たちとは違い、美保子の存在は冷たさを感じさせる。切れ長の、大きく、冷たく、深い穴のような目を持つ女。白く光るふくらはぎ。

三者の出会いは、悲劇的様相を呈し、それぞれに狂った結末を迎える。

《俺の目、さっきからずっとおかしなっとるんや・・・・・・。臙脂色の雨が降っとる、雨も道路も空も全部臙脂色や、浸炭炉みたいな色や、雨が燃えとる・・・・・・。雄一郎、照柿の雨や・・・・・・》
てりがき。照柿。
ああ、照柿という名前だったか、あの色は。
「ああ、達夫、矢田の家で、庭の柿二つ手にのせて、あんたが教えてくれた色や。照柿いう名前やったな、そうやった」
*************************************************
ムック本「高村薫の本」「担当編集者が語る創作秘話」によると『照柿』は「ドストエフスキーの『罪と罰』のような作品をお願いできませんでしょうか」との依頼を受けて書かれたものとの事。軟派な本読みの私は、実は「罪と罰」を通して読んだことはないのだけれど、「照柿」はストーリーがどうだというよりも、人の内面をしつこく追ったような本。

「マークスの山」がきて、「照柿」がきて、次に「レディ・ジョーカー」がくるのか、と今更ながら納得した。「照柿」で灼熱の浄化があった後に、「レディ・ジョーカー」がくるのだな、多分「照柿」を読むと、「レディ・ジョーカー」単独で読んだ時も、ぐはっと驚いた、雄一郎の義兄である検事、加納祐介との物語後半部でのやり取りが余計にキた。

高村作品の男性は、大抵整った硬質な外見の内に、どろどろとした感情を秘めている。「照柿」はそういった感情の動きを追ったような作品だった。あと、ほんとはダンテの「神曲」を読んでいれば、もっと深く楽しめるであろう作品。これまた未読なのだった。
高村 薫
照柿
別冊宝島981号「高村薫の本 」

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「私生活」/作家の生活

 2005-07-08-11:20
高橋源一郎 「私生活」

雑誌月刊『PLAYBOY』に連載したものだそう。高橋氏は、連載中に「二度離婚して、二度結婚し、子供が生まれ、母が亡くなった」。巻頭の「私生活」年表によれば、最初の結婚は20歳の時で、ここで書いている二度目の離婚は、四度目の離婚になる。

作家であるとは?
みんな、ウソばかりついている、と思う人間は、それだけで、作家になる資格がある。ウソばかりの中で、自分には、ここだけは譲れぬという一点がある、そこでだけは、ほんとうのことを、死んでもいいたい、と思う人はもうほとんど作家である。
いや、実をいうと、以上の「ほんとうのことをいいたい」だけでは、作家の必要条件ではあっても、充分条件ではない、のである。
(中略)
作家というものは、ほんとうのことをいいたい人の中で、なおかつ、ほんとうのことはいえない、と思う人なのだ、とわたしはいいたいのである。

では、「作家」である高橋氏が書いた、この「私生活」は真実なのか?
ただわかるのは、その時の「気分」だ、それだけは、どうやら、ほんとうらしい。「ほんとう」か。もちろん、それは「作家」としての「ほんとう」なのだが。

だから、その時々の暮らしから書かれている文章も、どこまでが真実でどこからが虚構なのか、それは分からない。

たまーに競馬のテレビに出ている、冴えないオジサンというイメージだったのだけれど、イメージがすっかり覆された。多少幻惑されつつも面白かった。この方、さぞやおモテになるでしょう、といった感じ。四度の離婚ということは、四回も結婚しなくてはならないわけで、それもまた然りと思った。

高橋 源一郎
私生活

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、御連絡下さい。

不器用な人生/「あふれた愛」

 2005-05-12-07:30

天童荒太さん、非常に真面目で誠実な作家さんなのだな、と感じる。「永遠の仔」文庫版「家族狩り」は読了(後一応、「孤独の歌声」も。こちらはあんまり?)。非常な感銘を受けたのだけれど、これらについて思ったことを書くには、自分の中での消化というか熟成が進んでいない。なので、今日はもう少し簡単に感想が書けそうな、短編集「あふれた愛」について。

表紙は天童作品御馴染み(?)の彫刻家・船越圭さんの写真。
”或る長編の執筆過程から新たに浮かんだ素材やテーマを、違う形で表現したいという欲求から生まれた”不器用な愛の形を描いた短編集
文庫版「家族狩り」 (月1で文庫本が刊行されるという、特殊な形での出版。今か今かと待っていた)では、読者の声や編集者の声を目一杯聞いたとのこと。ほぼ日ロングインタビュー も載せられています。

誠実な姿勢なんだけど、あまり聞き取りすぎ、掬い上げ過ぎるのもフィクションとしての小説ではどうなんだろう、と余計なお世話ながら少し心配でもある。このバランスって実はとても難しいのではないか、と。
文庫版「家族狩り」はそれが成功した作品であると思うのだけど、こちらの短編集「あふれた愛」では、小説の形としてちょっと際どいものもある。これはメンタルヘルスの症例集なのか?、と思ってしまうような、ね。時系列では「あふれた愛」よりも、文庫版「家族狩り」の方が後なんだけれど。

傷ついた弱い立場の人を描いているという点で、私はどうも灰谷健次郎さんを思い出す。灰谷さんの本では、いつも周りの大人は大人として存在していたように思うけれど、最近は大人の方も問題を抱えていて、子供を受け止めきれず自信を喪失しているように見える。自分だってもういい年なんだけど、どうも「大人」というのには心許ない。時代背景の違いもあるけれど、灰谷さんは理想を、天童さんは現実を描いているのかなあ。そういえば最近立ち読みしたこんな一冊がある。

黒古一夫「灰谷健次郎――その「優しさ」と「文学」の行方」河出書房新社

立ち読みではあるけれど、同意する部分もあり、そうでない部分もあり。表現者って本当に厳しい職業だ。全面的に著者に賛成出来なくても、「その人による新しい世界の見方」を教えて貰う意味で、私は小説を読む。一方的な見方ではなく、柔軟な多面的な見方を身に付けたいなあ。

で、「あふれた愛」に戻りますが、長編である「永遠の仔」「家族狩り」などと比較すると、食い足りない感もありますが、私はこの中の「喪われゆく君に」が好き。偶然、人の死に立ち会ってしまった、コンビニでアルバイト中の若者が、亡くなったその人の妻との交流の中で、自分の生き方、愛について考えてゆく。

人々の意見に耳を傾けつつ、天童さんにしか書けない物語を綴っていって欲しいと思います。あ、結局「あふれた愛」の感想になってない・・・。

著者: 天童 荒太
タイトル: あふれた愛
著者: 黒古 一夫
タイトル: 灰谷健次郎――その「優しさ」と「文学」の行方
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プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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