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「気まぐれ少女と家出イヌ」/犬と暮らそう

 2009-05-04-21:26
気まぐれ少女と家出イヌ気まぐれ少女と家出イヌ
(2008/12/17)
ダニエル ペナック

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マロセーヌくんシリーズから考えると、この表紙の愛らしさがちょっと不思議だけれど、これもまたダニエル・ペナックなんですねえ。マロセーヌくんシリーズ以外と言うと、「片目のオオカミ」(感想)は少年とオオカミの物語だったけれど、今度は少女の物語。
語り手は「イヌ」(飼い主の「リンゴ」が付けた名が、「イヌ」なんです。斬新な名前?)。「イヌ」がであることを主張し、飼い主である「リンゴ」を教育し、きちんとした「ともだち」になるまでのお話です。

主人公である「イヌ」は、人間に捨てられて(というか、殺されそこない)、彼を教育してくれたおばあちゃん、クロのもと、ごみすて場で育つ。ところが、ある日の悲しい出来事によって、クロは死んでしまう。「イヌ」はクロが話していた「町」に出て、女の飼い主を探すことを決意する。しかし、町を歩いていたイヌは、町の美化活動により、野収容所に入れられてしまい…。

そこへ現れたのが、「リンゴ」たち一家。見てくれのいいは他にもいたのに、両親の渋い顔を尻目に、リンゴは決して器量よしとは言えない「イヌ」を連れて帰ることにする。ところが、リンゴとイヌとの蜜月は長くは続かない。子どもというのは気まぐれなもので、一方のは人間とは違うスピードで成熟していく。誇りある犬である「イヌ」は、家出を決行するのだが…。
読んでみての感想は、犬はこちらが思っている以上の事を、感じ取っているものなのかもしれないなぁ、とか、にしても、最後に「イヌ」たちがとった手段は大人としては、勘弁してほしい類のものだなぁ、とか。リンゴの母さん、「ビリビリ」の気持もわからんでもないのです。でも、ダニエル・ペナックの根底に流れるものは、「博愛」というか、他者の尊厳を守ることなんですよね。だから、あれがああなっちゃうのも、仕方ないのです。最終的にはまるーくおさまったのだしね。

さて、この本は名前が色々と面白いんです。「リンゴ」はリンゴの匂いがしたから「リンゴ」だし、母「ビリビリ」はいつもビリビリしてるからだし、父「デカジャコウ」もでかくて汗っかきだからなんです。こういうところ、きっと原語を巧く処理してるんだろうなぁ。「イヌ」のともだちの「ハイエナ」(犬)、「イノシシ」(こっちは人間)もいいんです。

あとがきにあたる「しつけもせずしつけられもせず」を読みますと、まぁ、ここにすべてダニエル・ペナックが言いたいことが入ってしまってはいるんですが…。それでも、この表紙のように可愛らしい、少女と犬の物語を楽しみました。白水社もこういうのも出すんですねえ。あ、そういえば、ニコルソン・ベイカーの「ノリーのおわらない物語」も白水社でしたっけ。児童書として、ちゃんとターゲットとなる少年少女に届いているといいな。「ちがいを大切にすること。これこそが友情のルール」だというダニエル・ペナック。彼がいうルールは人間同士だけのものにとどまらず、犬にまで広がっていたのでした。
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「石のハート」/凍り、そして溶ける

 2009-03-30-22:54
石のハート 新潮クレストブックス石のハート 新潮クレストブックス
(2002/04)
レナーテ・ドレスタイン

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目次
 第一部
学生時代のフリッツ 一九五六年あるいは五七年 秋
ビリー、はじめての海 一九五九年八月
イダの洗礼 一九七二年九月四日
 第二部
ケスター、エレン、バス 感謝祭 一九七二年十一月二十八日
イダ(ケスターの望遠レンズで撮影!) 一九七二~七三年 冬
ミヒールとレゴの城 一九七三年三月三十一日
 エピローグ
 訳者あとがき

震えあがるほど寒い夏の夜、イダがこの世に生まれたとき、わたしたちはすでに四人きょうだいだった。満月にちかかったので午前二時でも十分明るく、鼻のそばかすを数えあえるほどだった。わたしたちは赤ん坊の産声を聞くまで起きていようと約束していた。屋根裏のベッドルームにポテトチップスとコーラを持ちこんで、いちばんあたたかいフランネルのパジャマを着ていた。  (p9より引用)

幸せだった家族を襲ったものとは?、また主人公エレンが、惨劇のあったその家に戻ったわけとは?

サスペンス的な要素を期待して読んだら、これはちょっと違うお話なのでした。

三番目の子ども、エレン。父親から家族の絆であることを求められた彼女は、いったいどうすれば良かったというのでしょう。

氷のように冷たい石のハート。何があっても存在し続けるだろう、墓石のハート型。成長したエレンの心もまた、誰かをその下に埋葬し、凍っていました。その心が溶ける日は…。

彼女たちが待っていた赤ん坊、イダがやって来てから、すっかり壊れてしまった彼女の家庭。大人になったエレンの回想、すっかり気難しい人間に育ったエレンの今、現在。ぐいぐい読まされはするんだけど、なんだか辛い読書でした。責任感の強い少女だったエレンには、こうするしか、こうなるしかなかったんじゃないかなぁ、と。最後は救いなんだろうけど、やり直すことに遅すぎることはないと思いたいけれど、それでもやっぱりこの人生は辛い。

なんだか分からないけど、ばたばたと少女が死んでいく、「ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹」(感想)と似た匂いを感じる部分もあったけど、なんつーか、こちらの方がリアルに感じる部分があって色々と辛かったです…。新潮クレストブックスのラインナップは結構信頼してたんですが、そうはいっても中には苦手なものもあるんだなぁ、と思いました。力作だとは思うのだけれど、とにかく辛いんだよーー。

「片目のオオカミ」/その目で見る世界

 2009-03-14-14:31
片目のオオカミ片目のオオカミ
(1999/09)
ダニエル ペナック

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マロセーヌくんシリーズから、ダニエル・ペナックに入った身からすると、ぶっ飛んじゃうようなお話なのです。饒舌なところはすっかり鳴りを潜め、むしろ静かな語り口。でも、こういうのも書けるから、ああいうぶっ飛び話も、読ませるお話になるんですかねー。
目次
第一章 オオカミと少年の出会い
第二章 オオカミの目
第三章 人間の目
第四章 ほかの世界
 訳者あとがき
語られるのは、動物園の檻の中に暮らす青いオオカミと少年との交わり。しっかり者の母、<黒い炎>、美しく優れているが、驕慢だった妹<スパンコール>たちと暮らした日々を、片目のオオカミはその瞳でもって少年に語る。十年前に人間たちに生け捕りにされる前の話、この動物園に来てからの、めすオオカミとの話。

そのお返しに語るのは少年少年の名は、アフリカ。少年が旅してきたのは、ラクダに乗って旅をした砂漠の<黄色いアフリカ>、ヤギ飼いとして暮らした<灰色のアフリカ>、パパ・ビアとママ・ビアと暮らした<緑のアフリカ>…。物語ることが上手なアフリカは、どんなに意地悪な大人に使われようとも、周囲に溶け込み、動物たちと心を通わせ、難題を解決していく。

そうして、少年が片目のオオカミの前に立ったわけ、そこで出会ったものたちとは…。片目で見る世界は、やはり限られたもの。ラストも心憎いのです。
■関連過去記事■
・「ムッシュ・マロセーヌ」/マロセーヌ・シリーズ4

「遠い水平線」/境界線

 2009-01-25-22:26
遠い水平線 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)遠い水平線 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
(1996/08)
アントニオ タブッキ

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内容(「BOOK」データベースより)
ある夜運びこまれた身元不明の他殺死体。死体置場の番人スピーノは、不思議な思いにかられて男の正体を探索しはじめる。断片的にたどられる男の生の軌跡。港町の街角に見え隠れする水平線。カモメが一羽、ぼくを尾けているような気がする、と新聞社の友人に電話するスピーノ…遊戯性と深遠な哲学が同居する『インド夜想曲』の作者タブッキの傑作中編。

事件性もあれば、主人公たるスピーノは、探偵もどきの行動を始める。それでもどこか非現実めいている不思議なお話。

主人公スピーノは、医学の道を途中であきらめ、今は死体置場の番人となっている男。身元不明の他殺体が運び込まれたことから、彼は男の正体を探り始める。スピーノと男の間には、何の関係もなく、そもそもスピーノが熱心に彼の身元を調べる理由も、彼に拘る理由も何もない。スピーノには、恋人サラと過ごす時間だって必要なはずなのに…。

スピーノの行動は、死んだ男ゆかりの修道院の司祭とのやり取りに集約されている。

「どうして、彼のことを知りたいのですか」
「むこうは死んだのに、こっちは生きてるからです」

スピーノは、男の死を重大な事件のように受け止め、自らの近くにもスパイがいる(カモメが一羽、ぼくを尾けているような気がする)かのようにふるまうのだが・・・・。生と死の淡い境界線。その合間を漂うような一人の男。何だか不思議な読後感のするお話でした。

幻想的な雰囲気は好きだったのだけれど、これ一冊では良く分からないので、次は、「インド夜想曲」に行ってみようかな~。タブッキといえばこれ、でいいのかしら。

インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
(1993/10)
アントニオ タブッキ

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しかし、この本は薄いのだけれど、行間が空き過ぎているせいで、矢鱈と読みにくかったのです。あんまり詰まってるのもなんだけど、目を通す際に、適当な行間ってあるよねえ。

「至福の味」/最後の晩餐

 2008-12-07-00:21
至福の味至福の味
(2001/07)
ミュリエル バルベリ

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料理評論家として栄華を極めた男。しかし、彼の命はあと僅か…。グルネル通りの寝室に横たわる彼の回想と、彼の周囲の人々の独白が交互に続く。浮かび上がる男の姿とは…。

男が追い求めるのは生涯最高の味。最後の晩餐として、その味をもう一度べたいというのが男の願い。男は思い出すことが出来るのか?

フランス最優秀料理小説賞受賞作とのことなんですが、そもそも「料理小説」ってそんなにはないんじゃないかなーと思ったり、すごい限定だよなーと思ったり。

男が思い出す、祖母や伯母が作ってくれたという、素朴な家庭料理は確かに美味しそうなんだけど! 家庭も顧みずにひたすら美を追い求めたこの男。それでも、妻は彼の面倒を最後まで見たのだから、それでいいのかもしれないけれど、周囲には彼のせいで傷ついた人たちが沢山。彼らの独白を読むうちに、すっかり彼らに同情してしまい、主人公たる男がただの自己チュー男にしか見えず、いっそ思い出せなくてもいいんじゃないの?、などと思ってしまいましたよ。多少におとぎ話的なところもあるけれども、私にはちょっと合いませんでした…。

の追求としてはそれでいいんだろうけれど、「美味しんぼ」の海原雄山親子の確執ではありませんが、に纏わる確執は根が深いのだと思うのです。その確執はそのまんまにして、自分だけすっきりって何さーー!!と憤ってしまいました。いや、この小説の読みどころは、きっとそこではないのでしょうが。そして、表紙の雰囲気は好きなんだけどさ。

もともと、著者ミュリエル・バルベリの他の本を読みたいなぁ、と思っていて、でも、そちらの設定の匂いにちょっと腰が引けて、こちらを借りてきたのです。「至福の味」もamaoznでは高評価なんだよね。うーん、ミュリエル・バルベリさん、私には合わないのかなぁ。「至福の味」も自分だけがトクベツ!な男の話なんだけど、こちらの本も、自分の知性を隠す未亡人に天才少女、ミステリアスな日本人の紳士と、非凡なことを前面に押し出している感じなんだよね。読んでないくせに雰囲気だけでいうのもなんですが、非凡なことってそんなに偉いの?、と思ってしまうのだよなぁ。

優雅なハリネズミ優雅なハリネズミ
(2008/10/09)
ミュリエル・バルベリ

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「時のかさなり」/四人のこども

 2008-12-03-22:23
時のかさなり (新潮クレスト・ブックス)時のかさなり (新潮クレスト・ブックス)
(2008/09)
ナンシー ヒューストン

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子供は大人が考えるほどに子供ではなく、大人は子供がそう考えるほど大人ではない。

人にはそれぞれ歴史があって、過去の何かがその人の選択や、その人の行動に影響を及ぼしている。私たちの目の前には常にたくさんの選択肢があるけれど、その時、なぜその選択をしたのか、どうしてそのように考えたのか。時には、その行動に自分の過去の経験を感じることがある。

三代遡れば、私たちだって戦争の体験者である祖父母に辿り着く。

ここに出てくるのは六歳の四人の子供。一族四代を遡ることで見えてくるものとは…。
目次
第一章 ソル、二〇〇四年
第二章 ランダル、一九八二年
第三章 セイディ、一九六二年
第四章 クリスティーナ、一九四四~一九四五年
訳者あとがき
南カルフォルニアに住み、暴君として家庭に君臨するソル、ソルの父親のランダル、ランダルの母セイディ、セイディの母クリスティーナ…。

代を遡るごとに見えてくるもの。ソルの語り口で不思議に思っていたことが、少しずつ明かされていく。クライマックスは終章を飾る、ソルの曾祖母にあたるクリスティーナのナチス統制下のミュンヘンでの暮らしだろう。そこには当然ぐわーーっとくるんだけど、むしろ私がすごいなぁ、と思ったのは、本当に本当に細かいところ。

セイディの外反母趾のわけ、セイディの自分への厳しさの由来、クリスティーナ改め歌手のエラが言葉のない歌を歌うわけ(あ、これはクライマックスか)…。うーん、列挙しようと思ったのに、書き出してみると少ないな。

四人の子供たちは育った国も、その環境も全く違う。それでも一緒だったのは、親のことが大好きで、彼らが誇らしく思える自分でありたいと考えていたこと。これはでもきっと、すべての子供がそうだよね。他の章ではどう考えても分が悪い、セイディの章で私はすっかり優等生であらねば、という縛りに雁字搦めにされた彼女に同情してしまいました。長じて(というか、老いて、かな)彼女がどうなったかを知っているだけに、切ないな、これ。

子供のころの核は、良くも悪くもその人の人格を形成する。子供が親になっても、祖母になっても、曾祖母になったとしても、その核というか輪郭がくっきりしているところもすごかったです。六歳から突如大人になっていて、その過程をすっ飛ばしているというのに、やっぱりその人はその人なんだ。

↓以下、「続きを読む」では話の核心に触れております。

「時のかさなり」/四人のこども の続きを読む

「ムッシュ・マロセーヌ」/マロセーヌ・シリーズ4

 2008-11-11-23:57
ムッシュ・マロセーヌムッシュ・マロセーヌ
(2008/08)
ダニエル・ペナック

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赤ん坊が一人ずつ増えていくこのシリーズ。今度の子どもは、なんとバンジャマンとジュリーの子ども! 生贄の山羊的人生を送るバンジャマンは、生まれてくる子どもに向かって、多分に厭世的に自らの周囲の紹介を行うのだけれど…。

これに老ジョブなる人物が残した《唯一の映画》と、彼のすべての映画コレクションを、ベルヴィルに残されたたった一つの映画館、ゼブラ座を預かるシュザンヌに譲るというお話が絡んできます。

どうしたって暴力的になりそうもない話なんだけれど、そこはそれ、マロセーヌ・シリーズだからして、相変わらず人は死んじゃうし、バンジャマンは嫌疑をかけられるのです。映画の話かなーと思っていたら、娼婦たちの刺青(タトゥー)を剥ぎ、惨殺する事件も絡んできちゃうしねえ。しかも、今回はいかに疑わしくともバンジャマンの無実を信じてくれた、クードリエ警視長がまもなく定年を迎えるときた! 後釜の娘婿のルジャンドル警視長には、苛々させられちゃいます…。

時系列は、バンジャマンの子どもがジュリーのおなかに宿っていると分かってからと、その子どもが生まれ出るまで(ジュリーのおなかからじゃないけどね! いやー、前作「散文売りの少女」といい、外科医のベルトルドの腕のげに恐ろしきことよ)。

このシリーズの魅力って何だろう?、と思うんだけど、饒舌さとそんな無茶なー!な展開でしょうか。お馴染みメンバーのどたばたを楽しむこのシリーズ、なんとなく中毒性があるんだよね。ただし、そのどたばたもそれなりの思い入れがないと楽しめないわけで、今回でいえば、二作目をすっ飛ばしちゃったせいか、パストール警部との愛の逃避行を終え、家族のもとに帰ってきたママについては、いまいち楽しめないまま…。一作目と三作目では、ママはほとんど不在だもんねえ。

老ジョブとその妻、リースルが作ったという、《唯一の映画》。うーん、実際にこんな映画があったらどうなんでしょう。このシリーズは、はちゃめちゃなようでいて、意外と伏線などがしっかりしているのも特徴で、全部読んでから彼らの息子、マティアスの台詞を読むと、また興味深いのです。
そうそう、あの泣きまくり、不機嫌なヴェルダンはてっきり男の子だと思っていたので、女の子だったのが驚きだったなー。そして、訳者あとがきを除いて、481ページ、二段組の本書、該当箇所をもう一度探すだけでもとっても大変。上で書いたマティアスの台詞について、もう一度よく見てみようと思ったら、これが探せなくてですねえ。勘違いだったのかなぁ。わが一族は偏執狂的で…というような台詞しか探せませんでしたわ…。色々と情報量多すぎなんだよね、この本。いや、そこがいいんですが。
目次
Ⅰ すばらしきかな、人生
Ⅱ <雪のシスー>
Ⅲ ジョブの息子
Ⅳ シュザンヌと映画狂たち
Ⅴ 癲癇の洞窟
Ⅵ バルナブース
Ⅶ ジェルヴェーズ
Ⅷ 最悪の法則
Ⅸ 幕間
Ⅹ 幕間終了
ⅩⅠ 帰ってきた身代わりの山羊
ⅩⅡ 刑務所にて(現在形で)
ⅩⅢ 墓地はその話題でもちきり
ⅩⅣ ムッシュ・マロセーヌ
 訳者あとがき

☆関連過去記事☆
・「人喰い鬼のお楽しみ」(感想にリンク
・「散文売りの少女」(感想にリンク

「散文売りの少女」/マロセーヌシリーズ3

 2008-10-27-23:29
散文売りの少女散文売りの少女
(2002/02)
ダニエル ペナック

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「人喰い鬼のお楽しみ」(感想)のマロセーヌシリーズの三作目です。二作目は飛ばしてしまいました…。だって、図書館にそれだけなかったんですもの! 四作目が新しく入ったというのに、わが図書館ってば、なんで二作目だけないんでしょう。

そして、四季さんがご心配してくださっていたように、二作目の粗筋は思いっきり明かされてはいるものの、ま、大勢には影響ないかな。やっぱり読んでみたくはあるんだけど…。

さて、一作目の「人喰い鬼のお楽しみ」では、なんだこりゃー、とかなり目を白黒させながら読んだんですが、人間関係が把握出来たせいか、意外とするする読めちゃいました。

相変わらず、起こる事件は陰惨(拷問され、惨殺される刑務所長とか、ばたばたと銃弾に倒れる出版社社員とか)でもあるんだけど、そういうのを突き抜けて、なぜか楽しいんですよねえ。不思議だわ。

さて、デパートの生贄の山羊から、タリオン出版社の生贄の山羊へと、その居場所を変えたバンジャマン・マロセーヌ。出版社の女社長、ザボ女王の命により、匿名作家J・L・Bのふりをし、プロモーション活動をすることになったバンジャマン。操り人形としてのプロモーション活動の最中、バンジャマンは狙撃されてしまう…。いったい誰が? なぜ?

その後も、J・L・Bのプロモーション活動に携わったタリオン出版社の社員たちが次々と銃弾に倒れることになる。これはバンジャマンの復讐に燃える、恋人ジュリーの仕業なのか??
このシリーズは、バンジャマンたちの母の情熱の果実<パッション・フルーツ>の結果、毎回子供が増えていくのが特徴のようなんですが、今回増えるのは母親の子供ではありません。母は前作で知り合ったとかいう刑事と、長らくの逃避行中なのです。

そもそも、バンジャマンが操り人形となることを承知したのも、この生まれてくる新しい子のため。常に苦難がのしかかるバンジャマンの今回の苦難は、特にお気に入りの妹、クララの結婚話。あと少しで十九歳になるクララのお相手は、なんと五十八歳の刑務所長、クラランス!

まぁ、バンジャマンは、いつだって次から次へと苦労が絶えないわけです…。かつ、バンジャマンが事件の近くをうろつくことで、事件の解決から遠ざかることを危惧したクードリエ警視から、事件に近づくな!と警告されにも関わらず(そして、ちゃーんとその警告を守っていたのに)、バンジャマンは案の定事件に巻き込まれてしまうのです。

バンジャマンたちが暮らす、ベルヴィルの仲間も健在。思い立って、「ベルヴィル」でネット検索してみたところ、ベルヴィル界隈の豆腐屋さんが出てきました。笑 パリは移民の街でもあるもんねえ。

一作目の万引きの件から、私の覚えがあまり良くないジュリー。なんとなく、その最初の出会いのせいで、生活に疲れたおばさんのようなイメージがあったんですが、彼女は実はとても美しい女らしいのです。また、二作目で確固たる地位を築いたらしく、今作ではきっちりバンジャマンの恋人として登場しています。いや、一作目でもそういう関係ではあったんだけど、あまり“恋人”とは感じなかったのよね・・・。ちょっと幼稚なところがあるバンジャマンが、母性の象徴、ジュリーの”おっぱい”に固執しているようでもありますが。

今回、印象深かったのが、実はバンジャマン狙撃の瞬間のこのジュリーの様子。「熱い滝のように噴出する吐瀉物」ですよ。なんとも情熱的? このシリーズ、そもそも映像化にはむいてないと思うんだけど、なんか怖いものみたさで、誰か映画化してくれないかしら、などと思ってしまいます。思いっきりスタイリッシュに撮ったら、格好よくなりそうだなぁ、なんて。

目次
Ⅰ 山羊の職
Ⅱ クララの結婚
Ⅲ クララを慰めようと
Ⅳ ジュリー
Ⅴ 線の価値
Ⅵ 死とは一直線の過程である
Ⅶ 女王とナイチンゲール
Ⅷ 天使だね
Ⅸ ぼく・かれ
あとがき
 訳者あとがき

「まっぷたつの子爵」/善と悪と

 2008-10-14-23:44
まっぷたつの子爵 (1971年) (文学のおくりもの〈2〉)まっぷたつの子爵 (1971年) (文学のおくりもの〈2〉)
(1971)
イタロ・カルヴィーノ

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トルコ人との戦争で敵の砲弾を浴びたぼくの叔父、テッラルバのメダルド子爵は、まっぷたつになってしまった! 帰郷した右半身だけの叔父は、容赦のない悪の存在となっていた…。子爵が通り過ぎた道には、子爵によりまっぷたつにされた物たちが残され、村人たちは子爵の訪れを知る。

子爵は村人たちを刑に処する事を喜び、腕の確かな親方に、優れた拷問の道具、処刑のための道具を次々に作らせる。村人たちは子爵を恐れ、親方は自らの作り出す道具がもたらす結果に苦しむ。

そんな中、今度は砲弾により吹っ飛んだと思われていた、子爵の左半身が帰って来た。右半身とは異なり、こちらの左半身は博愛精神に充ち溢れた、まったき善の存在だった!

両者が同じ一人の娘、パメーラに惚れ込んだ結果、決闘が行われることになったのだが…。
まったき悪とまったき善と、子爵はきっぱり二つになってしまったわけですが、悪はともかく善であったとしても、完全な善はそれはそれで迷惑な存在なんですねー。最初はまっぷたつになった子爵に困惑し、彼の残虐な行為に戸惑いながら読んでたんですが、これは完全なる寓話なんだよね。全く医者らしい行いをしない元・船医や、陽気なライ病患者たち、既に意義が失われた信仰を保ち続けるユグノー教徒たちなど、他の登場人物たちもなんだか意味深な存在なのです。清濁併せのむというのとはまた少し違うかもしれないけれど、何でもすっぱり善と悪の二つに分けるわけにはいかないんだよねえ。村人たちにとっての善を押しつける、左半身の「善半」子爵の存在はユグノー教徒たちにとっては、迷惑でしかない。

私は上に載せた方の表紙で読んでたんだけど、下の表紙で読んでたら、また印象が変わっていたかもしれません。ユーモラスな感じで、同じ文学のおくりものシリーズだというのに、えらく違うと思いませんか~? 次は「木のぼり男爵」だ!

まっぷたつの子爵 (ベスト版 文学のおくりもの)まっぷたつの子爵 (ベスト版 文学のおくりもの)
(1997/08)
イタロ カルヴィーノ

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「タタール人の砂漠」/人生というもの

 2008-10-07-23:32
タタール人の砂漠 (イタリア叢書)タタール人の砂漠 (イタリア叢書)
(1992/01)
ディーノ ブッツァーティ

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できれば本に埋もれて眠りたい」のbookbathさんにおススメ頂きまして、読んだ本です。新訳、「神を見た犬」も気になるディーノ・ブッツァーティ。とは言いつつ、お勧め頂かなければ、きっと読まなかった本。ブッツァーティの没年は1972年とのことですが、全く古さは感じませんでした。

「訳者あとがき」にて、これは幻想文学である、と書かれているんだけど、じーつーはー、全く「幻想」だなんて思わずに読んでました。そんな私の本の読み方は、実は素直すぎるかもしれないなんて、最近良く思ったりもします。そのまんまの意味にとりすぎ?汗

さて、物語は青年将校、ジョヴァンニ・ドローゴの生涯をたどる形で語られます。

任官したばかりのドローゴは、町から離れた、古い古いバスティアーニ砦に配属される。国境にある砦としての、重要な時期は既に過去のものであるというのに、それでも砦では、儀式めいた昔ながらの滑稽なほどの厳重な警備が日々繰り返される。

当初、直ぐにこの砦を去るつもりでいたドローゴは、何かを待ち続けるような砦の古株の将校たちにつられてか、自ら砦に残ることを志願する。去って行く者もいれば、残る者もいる。くだらない事で命を落とす者もいれば、後に羨ましく思われるようなやり方で、命を落とす者もいる。そうして、本当に砦を去りたいと思った時には、去ることも出来なくなっているのだ…。そして、ドローゴの掛け替えのない青春の日々は、自身すら気付かないままに、過ぎ去っていく。

ドローゴは、ただただ何とも知れないものを待ち続け、日々は無為に過ぎ去り、年だけがただ重ねられていく。

砦には何も起こらないかといえば、そんなこともなく、ある日、見つけたのは砦の向こう、北の荒野に見える、一筋の小さく黒く細い線。とうとう、待ち続けたその時が来たのだろうか? しかし、その期待は裏切られる。それは、国境を確定する任務を帯びた北の王国の部隊であり、砦の者たちが待ち続けた戦はまだ来ない…。

時が流れ、ドローゴはもはや、彼の古い友人である町の人間と相容れなくなった自分を知る。友人たちが家庭を作り、子をなし、財をなしていく中、彼には砦で待つ僅かな期待しかない…。恋人と言って差し支えなかった、友人の妹とも最早共に生きていくことはないであろうことを知る。

更に時が流れ、友人たちが孫に囲まれ隠居生活を送る中、ドローゴに与えられたのは病。そうして、とうとう砦に待ちに待ったその日がやって来たというのに、病を得たドローゴは砦を追い出され、更には一人、死に向かうことになる…。
人生は、何の保証もないものをただ待ち続けるには短過ぎて、またそのタイミングは時に皮肉であったりもする。ドローゴの周りの人たち、後にドローゴ自身がその姿となる、待ち続けたオルティス大尉、自らの美学に従って死出の旅へ出たアングスティーナ、待ち続けたことで希望に対して臆病者となったフィリモーレ大佐も印象深い。

人は生きる時も死ぬ時も、結局は一人。運命は人の思うようにはならず、時には皮肉としか思えない運命を与えられる者もいる。自分の思うようになるものは、「死」に向かうその姿勢でしかないのだろうか。

ペシミスティックなのかなぁとも思うけど、登場人物たちそれぞれが印象深く、味わい深い物語でした。情景も美しく、読む時期によって、文章から感じ取るものも違いそうです。bookbathさん、読んで良かったです! おススメありがとうございました♪

「人喰い鬼のお愉しみ」/マロセーヌ・シリーズ1

 2008-09-27-00:50
人喰い鬼のお愉しみ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)人喰い鬼のお愉しみ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
(2000/08)
ダニエル ペナック

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利用図書館の新着案内を何よりの楽しみにしているわたくし。たまたま気になったのが、このマロセーヌ・シリーズの三作目だったのですね。よく見たら、一作目も図書館にあったので、まずはそちらから借り出してまいりました。

しっかししっかし、これがめちゃくちゃ小ネタ的というのかなー、これがフランス的というのかなー、ごちゃごちゃとフリルがついた小説なわけです。この一週間、これと舞城王太郎の小説を併読してたのですが、ちょっと辛いものがありました。多分後で書くけど、舞城さんの「ディスコ探偵水曜日」にも、「人喰い鬼」的な要素があったしなー。

さて、マロセーヌ・シリーズというだけあって、主人公は当然マロセーヌ君(バンジャマン・マローセヌ)なわけですが、彼の職業は少々変わったもの。デパートのスピーカーから降る、軽やかで優しげな声が今日も呼ばわる。「マロセーヌさま、お客様ご要望コーナーまでお越しください」。

マロセーヌは、一応デパートの品質管理係ということになっているのだけれど、実際に彼がやる仕事といえば、品質管理などではなく、それは客のクレームに対する生贄の山羊。責め立てられるマロセーヌに同情し、客はそれまでの自分の要望を引っ込めるのだ。まさに見事な悪党どもの連繋プレー。勿論、マロセーヌはそんな仕事に多少嫌気がさしてもいるのだけれど…。

そうはいっても彼には養わなければならない弟妹がいる。漂泊の旅人のような常に家出中のマロセーヌの母は、父親の違う子供を産んでは、「私のおおちびさん」であるマロセーヌに、彼らの世話を任せているような状態なのだ。

さて、マロセーヌが勤めるデパートで爆発事件が相次ぐ。生憎なことに、いつも現場に居合わせるのはマロセーヌ。そろそろ警察の目も厳しくなってくるところ。この事件はいったい何のために起こっているのか??

ここで、「人喰い鬼」というタイトルが効いてくるんですねー。一見、何の関係もなさそうだった、マロセーヌの弟が描く人喰いサンタクロースの絵なんかも効いてくるし。
このバンジャマンを入れて五人の兄弟たちは、それぞれに問題を抱えているんだけど、彼らを棄てた様な形になっている母を含めてさえ、いい家族なんだな。健康的とは言い難い、バンジャマンがちびに聞かせてあげる彼の作り話だって、それは彼らの絆なわけだし。中絶しようとしている妊娠中の妹ルーナ、何でも写真に撮ることでどうにか世界を理解出来る妹クララ、占いと神秘主義に傾倒する妹、テレーズ、実際に爆弾を作って見せちゃう弟、ジェレミー、人喰いサンタを描いて女教師を驚愕させる、ちび。揃いも揃って、個性的。

その他にも、バンジャマンの同僚で、同性愛者のテオ、テオが君臨する売り場を徘徊する小爺(おじい)たち、忘れてはならない、バンジャマンの飼い犬、ジュリユスなどなど。ジュリユスの匂いには勘弁ーですが、脇も色々面白いのです。あと、同僚たちの声にもめげず、バンジャマンを信じるクードリエ警視長とか。

読みづらかったと文句をつけた割には、意外と褒めてますが、これは読んだ後の方が、じわじわ面白かったな~、と思う類の小説みたい。ちらほら見たところでは、続く作品でも、せっかくデパートを辞めたというのに、バンジャマンの生贄の山羊(スケープゴート)的人生は続くみたい。続きも読んでみようかな。
私が読んだのは、全8冊から成る「新しいフランスの小説」のシリーズの内の、単行本ですが、amazonで表紙が出てきたものを載せています。

「スコルタの太陽」/一族を形作るものとは何か

 2008-09-04-22:08
スコルタの太陽 (Modern&Classic)スコルタの太陽 (Modern&Classic)
(2008/06)
ロラン・ゴデ

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一族というものを形作るのは一体何なのだろう? 「家族」ではなく「一族」。それにはたぶん、血を分けた者同士である必要はないのだ。

イタリア、ブーリア地方、強烈な太陽が照りつける貧しい村。ある男の間違いから生まれた、父も母もない、ロッコ。ロッコは、彼をひきとった漁師夫婦の名と、父親の苗字をかけ合わせ、ロッコ・スコルタ・マスカルツォーネという新しい名を名乗る。

父親をただのちんぴらとするならば、自らを伝染病だ、飢餓だというロッコは、正真正銘の悪党だった。あくどい手口で金を集め、権力者となったロッコは、しかし自らの死に際し、その財産のすべてを手放してしまう。それがロッコの呪い。ドメーニコ、ジュゼッペ、カルメーラ。ロッコの子供たちは、裕福な暮らしから一転、貧しさの極地へと追い込まれる。

さて、スコルタの者を、スコルタたらしめているものは何なのか。それはロッコの呪いかもしれないし、ロッコから受け継がれた飢えかもしれない。カルメーラは結婚し、子をなしてもなお、夫に属するわけではなく、スコルタの者であり続けた。カルメーラを愛していた三兄弟の友人も、ある儀式を共に行うことでスコルタの一族となり、カルメーラへの愛を封印する。

さらに一族の結束を強めているのは、秘密を持ち、然るべき時にその秘密を継ぐべき者に、語り継ぐというその行為。自らが体験した真理を語り継ぐという行為。頑ななまでに、自らを一族に縛り付けるその行為。

強烈な太陽の日差しと、強烈な矜持。なんだか不思議な小説でした。詩的で古い雰囲気もあるんだけど、その古さは少し新しい古さに感じてしまいました。なんというか、ちゃんと古くない感じ?

ゴンクール賞受賞作とのこと。でもね、決して悪い小説ではなく、嫌いでもないんだけど、凄い!という感動がないんだよなぁ。「ファラゴ」と同じ、河出書房新社のModern&Classicシリーズなんだけど、このシリーズ、シリーズとしてあまり好きではない感じ(と、思ったけど、今見たら、同じModern&Classicシリーズでも、ほんとは結構いろいろバリエーションがありそうなのね。コンセプトはなんだろう? 二冊読んだとこだと、民話的、神話的なお話かと思ったんだけど)。

「魔法の庭」/美しい泡のような短編集

 2008-08-14-00:04
魔法の庭魔法の庭
(1991/09)
イタロ カルヴィーノイタロ・カルヴィーノ

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目次
蟹だらけの船
Un bastimento carico di granchi, 1947
魔法の庭
Il giardino incantato, 1948
不実の村
Paese infido, 1953
小道の恐怖
Paura sul sentiero, 1946
動物たちの森
Il basco degli animali, 1948
だれも知らなかった
Mai nessuno degli uomini lo seppe, 1950
大きな魚、小さな魚
Pesci grossi, pesci piccoli, 1950
うまくやれよ
Va’ cosi che vai bene, 1947
猫と警官
Il gatto e il poliziotto, 1948
菓子泥棒
Furto in una pasticceria, 1946
楽しみはつづかない
Un bel gioco dura poco, 1952
解説―和田忠彦
イタロ・カルヴィーノを読むのは初めて。もっとトリッキーなイメージを持っていたんだけど、これはそうでもなかったです。印象に残るのは、とにかくきらきらした美しい情景。そこに、イタロ・カルヴィーノ自身の経歴によるものか、パルチザンのお話が忍び込む。とはいえ、それは隣のお兄さんが活動に身を投じてしまったようなもので、決して勇ましくも、あまり血なまぐさくもなく、普通の人の怯え、恐れなどが伝わってくる。

なんとなく短編それぞれのイタリア語を書き残しておきたくて、メモを取っておいていたのだけれど、ずいぶん前に読み終わってしまったので、一編一編の感想は実は既に朧。今残っているイメージは、世界は美しいなぁ、ということを、自分が海底にいて、光射す海面の方を眺めている、そんな感じ。ぷくぷくぷくぷく立ち昇る美しい泡のような短編とでも言いましょうか。
私は例によって図書館でハードカバーで読んだんだけど、文庫のデザインもなかなかいいな。
魔法の庭 (ちくま文庫 か 25-3)魔法の庭 (ちくま文庫 か 25-3)
(2007/08)
イタロ・カルヴィーノ

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「ファラゴ」/人生と運命と物語

 2008-05-03-23:56
ファラゴ (Modern&Classic)ファラゴ (Modern&Classic)
(2008/01)
ヤン・アペリ

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思い出したのは、ちょっと違うかもしれないけれど、トム・ハンクスが演じていた映画「フォレスト・ガンプ」のこと。「フォレスト・ガンプ」に比べれば、短い期間の話なのだけれど、無垢な森の人、ホーマーが成功を収めていくさまには、ちょっとあの映画を連想させるところがあります。成功とはいっても、それは社会的な成功ではなくって、ごくごく個人的なささやかな成功なんだけれど。

舞台はカリフォルニア北部の架空の小さな村、ファラゴ。主人公であるホーマーは、孤児として生まれ育ち、剥製師の元で養子になり、各地を放浪した後、故郷ファラゴに戻って来た。野性児ホーマーの活躍は如何に?

食料品屋を営む物静かな賢人、ファウストー、座って不平を垂れ流しながら、夢ばかり語っていたイライジャ、丸っきり悪気はないのだろうけれど、言動が一致していないポーチ牧師、ゴミ捨て場の今一人の賢人、半盲のデューク、そして、運命の恋人、売春婦のオフィーリア。周囲の人々も魅力的。

ある晩、ホーマーは、謎めいたファウストーの過去の話を聞き、勧められるままに流れ星に願い事をする。運命が訪れるように、自分の人生を一つの運命に変えるような出来事が起こるように…。そこから、ホーマーの人生は、まさに怒涛の勢いで転がっていく。ホーマーの語りがまたいいんだ。ホーマーは無学で家すらない人間なのだけれど、常に自らに問いかけ、考え続ける人間。あっちに寄り道し、こっちに寄り道するホーマーの思考に付き合うのも、また楽し。

遠くにあって(ファラウェイ)、昔を思う(ロングアゴー)
ファラゴ

時代は1972年末から1973年夏にかけて。ホーマーの生き方には、平凡な人生を幸せにする秘訣が隠されているのかも。なんてったって、ファウストーお墨付きの「何もしないでいる」才能の持ち主だしね。

本作は、2003年のフランスの「高校生が選ぶゴンクール賞」の受賞作。「マグヌス」に続き、「高校生が選ぶ~」は二冊目なんだけど、この賞は、なかなか外れがないみたい。今後も参考にしてみよっと。
マグヌスマグヌス
(2006/11)
シルヴィー ジェルマン

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「フランス民話 バスク奇聞集」/バスク人の民話

 2008-03-29-22:52
フランス民話 バスク奇聞集フランス民話 バスク奇聞集
(1988/08)
堀田 郷弘

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社会思想社、教養文庫の本であります。教養文庫なんて言われちゃうと、難しそうなやつ?なんて思っちゃうけど、読んでみたらそんなことはありませんでした。それに、巻末の宣伝も「フランスのエスプリを読む」シリーズがあったり、「ひと味違う遊びの本」なるシリーズがあったり(「秘文字」:異色作家の書き下ろし暗号小説を、暗号化して密封した世界で一冊の奇書。解読法を参考に挑戦、など何だか不思議な本が…)。「教養」と銘打ってはいても、どうも肩ひじの張るものではないみたい。

さて、この「バスク奇聞集」は、扉から引くとこんな本。

 峻峰ピレネーの山なみに守られ、はぐくまれた神秘の民バスク人は、地理的条件もあり、いまだにその特異性を保持している。とりわけ民話や伝説は、彼らの常民文化をいきいきと伝えるものである。
 女性的な魅力と妖怪の恐ろしさを合わせもつ妖精ラミナ、超人的な力を持ちながら無垢な子供にだまされる怪物タルタロ、そして熱心なカトリック信仰と土俗民話が結びついた奇跡物語や魔女たちの民話、バスクに親しい生きものが活躍する動物民話等々、本書は日本で初めてのフランス=バスク民話集である。


目次
妖精ラミナ
1 ウチャレア橋に棲むラミナたち
2 ラミナと老婆
3 ラウシュタニアの城
4 ハシュコと二人の仲間
5 サン・ソブールの燭台
6 赤子よ、主とともにあれ!
7 ラミナ奇聞 六編
怪物タルタロ
1 タルタロと赤ひげの親方と利口な若者
2 タルタロの恩返し
3 三人の子供とタルタロ
主イエスとペテロ聖人の奇跡
1 麦打ち
2 布とロバとこん棒
3 呪文トレンテクチロ
4 森のなかの王妃
5 主イエスのバスク奇聞 七編
悪魔と魔女たち
1 王様になった羊飼い
2 王女さまが笑った!
3 すべての垣根を越えて
4 空飛ぶ聖女シャインディア
5 まぼろしのミサ
6 《からっぽの手》のパン焼き女
ことばを話す動物たち
1 蛇と人間の裁判
2 狐と船長
3 狼の災難
4 ツグミと狐と犬
5 狐の狡い才知
6 美女と蛇
7 不精な女とノミ
だます者、だまされる者
1 三人の学生
2 王様と鍋と笛
3 七人の泥棒
4 おろかな息子
この地方、独特の存在であるという妖精ラミナ、怪物タルタロに関する話も面白かったんだけど、一番笑っちゃったのが、「主イエスとペテロ聖人の奇跡」のお話。黄門さまと八兵衛というか、弥次さん喜多さんというか、それとも三蔵法師と孫悟空というか…。ペテロは相当おっちょこちょいの愛すべきうっかり者になってるし、イエス様もしれっとひどい奴だったりして、何だか妙な味を醸し出しています。

「ことばを話す動物たち」で思い出したのは、以前読んだ「きつねのルナール」のこと。あれもまた、中世フランスの動物叙事詩ということだったので、ちょうどかぶっている部分もあるのかも(「蛇と人間の裁判」は、たぶん「ルナール」の方にもあった気が)。

全体を通して、素朴だけれど、どこか愛嬌のあるお話が多く、楽しんで読むことが出来ました。

きつねのルナール (世界傑作童話シリーズ)きつねのルナール (世界傑作童話シリーズ)
(2002/07)
レオポルド ショヴォー、 他

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「フーさん」/Who is フー?

 2008-02-19-22:33

ハンヌ・マケラ, 上山 美保子

フーさん

国書刊行会という出版社に、この児童書のような表紙絵の組み合わせが、どうにも気になって借りてきた本です。

この表紙でちょっと困ったような顔をしている、小さな黒づくめの男が、まさにフーさん!

フーさんとは何者なのか? なんだか読んでいても、良く分らない部分もあるんだけど…。でも、読み終わる頃には、このシャイで自分の役目に忠実で、でもちょっと世慣れないフーさんを、きっと好きになっているはず。

フーさん(時に、「フーさんたち」とも表現される)は、子供を驚かせるのが仕事のオバケなのかな。

ドアがガタガタ……
 扉がばたん……
 刃物がきらり……
 部屋にいるのはだれなのさ
 それは、ぜったいフーなのさ
(p6より引用)

だけど、実際、子供たちはフーさんを怖がることなく、言葉を交わし、一緒に遊ぶことだって出来てしまう。

おれさまは、野蛮でおそろしいフーさんだ
 おれより強くて、気がみじかいやつはこの世のなかには、いやしない!
 おれさまは獣のようにガキを食べてやる
 ガキは、鍋にほうりこんで煮こんでしまうぞ
(p13より引用)

こーんなことを言って、女の子を脅してみても、ライオンのように叫んでみても、トラのように唸ってみても、実際のところ、フーさんは結構愛らしい。

語られるのは、時に涙ぐんじゃったり、孤独に淋しくなったりしながら暮らす、フーさんの日々の生活。フーさんは魔法を使えるみたいだけど、フーさんの亡くなってしまった「おじいさん」もなかなかに謎の人物。地下室に金貨をどっさり持っていたり、おじいさんの遺した古い粉で猫が巨大化しちゃったり、花の種からはフーさんの家を飲み込んでしまいそうな植物が生えてきたり…。

フーさんがこれしか飲まない、という紅茶、グレー伯爵ティーも気になります。フィンランドには、実際にあるのかなぁ。「フーさんの生まれ故郷を紹介する」によれば、この本はフィンランドで1973年に初めて出版されたものなのだとか。フィンランドでは、アニメ化や舞台化もされた人気者なんだって。フーさんは森の中に住んでいるんだけど、これも森の国、フィンランドならではなのかな。こういう不思議でその国の国民に愛される存在って、お国柄も表わしているようで、面白いよね。

もくじ
1 フーさん仕事へいく
2 フーさんと病気の木
3 フーさん釣りをする
4 フーさん小包をうけとる
5 フーさんリンマを怖がらせる
6 フーさんおまじないをとなえる
7 フーさん鏡に姿がうつらなくなる
8 満月にほえるフーさん
9 フーさんサウナにはいる
10 建築現場のおじさんたちとフーさん
11 フーさん町へでかける
12 フーさんと巨大なネコ
13 フーさんお呼ばれする
14 フーさん人生を考える
15 フーさんお花を育てる

フーさん生まれ故郷を紹介する~あとがきにかえて~

「風の影」/スペインのロマン小説

 2007-11-27-21:37

カルロス・ルイス サフォン, Carlos Ruiz Zaf´on, 木村 裕美

風の影〈上〉 (集英社文庫)
風の影〈下〉 (集英社文庫)

たぶん、本好きの人は、みなこの部分を引くであろう、上巻の最初の方の場面。

ある夜明け、主人公ダニエルは古書店を営む父に「忘れられた本の墓場」へと招き入れられる。そこは神秘の場所であり、聖域である。そこにある本の一冊一冊、一巻一巻に、本を書いた人間の魂と、その本を読み、人生を共にした人間の魂が宿る。もう誰の記憶にもない本、時の流れとともに失われた本が、この場所では永遠に生き、いつの日か新しい読者の手に行きつくのを待つ…。

さて、この場所に初めて来た人間は、ある一つの決まりを守らねばならない。ここにある本のどれか一冊を選び、それを引き取り、絶対にこの世から消えないよう、永遠に生き永らえるよう、守ってやらなければならないのだ。ダニエルが選んだのは、フリアン・カラックスという作家の『風の影』という本。

 本を読む者にとって、生まれてはじめてほんとうに心にとどいた本ほど、深い痕跡を残すものはない。はじめて心にうかんだあの映像(イメージ)、忘れた過去においてきたと思っていたあの言葉の余韻は、永遠にぼくらのうちに生き、心の奥深くに「城」を彫りきざむ。そして―その先の人生で何冊本を読もうが、どれだけ広い世界を発見しようが、どれほど多くを学び、また、どれほど多くを忘れようが関係なく―ぼくたちは、かならずそこに帰っていくのだ。    (上巻p20より引用)

ダニエルにとって、『風の影』はまさにそんな本となる。

フリアン・カラックスの他の本にも興味を持ったダニエルは、著者フリアンについて調べ始める。ところが、この本と、フリアン・カラックスという著者には不吉な影が付きまとう。フリアン・カラックスの本は、過去にほとんど全てが焼き払われているというのだ。それも、『風の影』の登場人物でもある悪魔、ライン・クーベルトを名乗る男によって…。そしていつしか、フリアン・カラックスの青春の悲劇が、ダニエル自身の境遇とも共鳴し合う。フリアンとダニエルの人生に影を落とすのは、身分違いとも言える恋。


冒頭ではぐっと引き込まれたものの、実は上巻の間はそんなにノリノリで読んでいたわけではなかったのです。冒頭の雰囲気から、はてしない物語」のようなファンタジーを期待しちゃったんだけど、「忘れられた本の墓場」とはいえ、それは(物語の中では)実在する場所であり、これはファンタジーではなく、ロマンな物語なのでした。あと、上巻でいま一つノれなかったのは、会話文の影響かなぁ。老若男女を問わず、「~してくださいよ」、「~じゃないですか?」という表現が目についたり、なんというか、印象的で個性的なキャラクターも多いのに、その辺が会話文で描き分けられてないような印象を受けたのです(というか、そういうのって、訳の問題???)。話が一気に展開する下巻からは、かなり引き込まれたのだけれど、それは会話文がほとんどない、「ヌリア・モンフォルトの手記」という形をとっている部分がかなりの割合を占めたからなのかもしれません。

ロマンには愛と障害がつきもの。メインはフリアンとペネロペの恋、ダニエルとベアトリスの恋だけれど、この本の中には父と子の愛(息子、娘)や、仕える者の愛、同士のような愛(とはいえ、恋としては悲劇なのだろうけれど)、恋多き男だったある男の誠実な恋など、恋愛だけではなく友愛や、家族愛が語られる。恋ではないけれど、人間の歪みという点では、フリアンのかつての学友であり、バルセロナ警察の刑事部長となったフメロ刑事が恐ろしい…。

さて、目次を見ても分かる通り、これは現代の物語ではありません。内戦と、第二次世界大戦を経たスペインを舞台としています。だからこそ、フメロのような人物が成り上がって、善良だけれど彼の気に障る人物の生活を脅かしたり、大人たちが何となく人生に疲れたような空気を醸し出しているのかも。スペイン内戦について、知識があった方が、躓かずに読むことが出来るかもしれません(私、ちびっと躓きました)。

登場人物の中で一人好きな人物をあげるとすれば、元スパイにして、元ホームレスであり、凄腕の古書店のバイヤーであり(お客が求める稀覯本を手に入れるには、ほとんど考古学発掘の世界であり、古典の知識と、ヤミの商売の基本的なテクニックがいるのだとか)、女性大好きなフェルミン! いやー、フェルミン登場から、ぐっと読み易くなりましたよ。ダニエルに拾いだされたに等しいため、彼に忠誠を誓うフェルミン(こんなにいい人だなんて、逆に怪しい、と途中から、フェルミンに裏切られたらどうしよう、とドキドキしながら読んでたのですが、フェルミン、ちゃんといい人で良かった!笑)。

ミステリーというよりは、ロマン小説であり、章のタイトルから引くならば、「ドラマティス・ペルソナエ(人間たちのドラマ)」でした。雰囲気も話も全然違うけれど、「嫌われ松子の一生 」のように、過去の人間の足跡を現代の人間が追うスタイルのお話です。「嫌われ松子の一生」では、現代の主人公の男女と、過去の松子と男たちを対比させることで、これから如何様にも生きることが出来る主人公の可能性を残していたけれど、こちら、「風の影」においてもやはり…。歴史は繰り返すだけではないのだよね。

・Wikipediaのスペイン内戦にリンク

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

(上)目次
忘れられた本の墓場
一九四五年―一九四九年 灰の日々
一九五○年 取るに足りないもの
一九五○年―一九五四年 人は見かけによらない
一九五四年 影の都市(一~十五)
(下)目次
一九五四年 影の都市(十六~三十一)
一九三三―一九五四年 ヌリア・モンフォルト―亡霊の回想
一九五四年 風の影
一九五四年十一月二十七日 ポスト・モルテム(死後)
一九五五年 三月の海
一九六五年 ドラマティス・ペルソナエ(人間たちのドラマ)
訳者あとがき

「夜と朝のあいだの旅」/ナッハモルグの語らい

 2007-11-08-23:53
ラフィク・シャミ, 池上 弘子, Rafik Schami
夜と朝のあいだの旅

著者ラフィク・シャミは、シリアに生まれ、西ドイツに亡命し、長い亡命生活を送ることになったのだという。キリスト教徒でもあったシャミの一家は、シリアにおいては少数派であったけれど、ドイツにおいては自分の同胞でもあるイスラム教徒を攻撃する、その異邦人への差別と偏見に傷つくことも多かった。とはいえ、自分が去った祖国には、変わらない暴力と圧政があり、現実のシャミの求める場所はどこにもなかった…。

物語の主人公は、世界を股に掛けたサマーニ・サーカス団の団長、ヴァレンティン。負債に苦しみ、既に老けこんだ自覚もある彼の元に、ある日一通の手紙が舞い込んだ。それは、アラビアの国、ウラニアに住む、幼馴染からの手紙。建築家として成功し、今では大金持ちになった旧友、ナビルは不治の病を得たため、残りの人生を昔から憧れていたサーカスと共に生きたいと願う。ウラニア公演の準備を全てととのえ、必要なお金は自分が全て用意するから、ヴァレンティンのサマーニ・サーカスにウラニアに来て欲しいというのだ。

ヴァレンティンにとっては、実はこれは願ったり叶ったり。ナビルに会えるのも嬉しいけれど、ウラニアは実は母親がヴァレンティンの父親となる理髪師と恋に落ちた国でもあったのだ。ヴァレンティンは母の日記を元に、この二人の愛を追い、物語を書くことを決意する。すっかり老けこんでいたと思っていたヴァレンティンだけれど、彼はこれを機に日に日に若返るよう。幸運の手紙を運んできた、親子ほどにも年の離れた郵便配達嬢のピアとも恋に落ち…。

ウラニアに渡ってからは、旧友ナビルとの「ナッハモルグ」(夜と朝の間)の語らいを楽しみ、母と父の愛の軌跡を追い、またサーカス団の人々の愛を見守る。父と母の愛の物語には、もう一つの柱として現代の愛も欲しいところ。さて、どの愛が柱となりうるのか?

アラビアの国、ウラニア。サーカス団は、時に原理主義者たちに邪魔をされ、最後には内戦によりウラニアの国を追われてしまう。

目次を見ても分かるように、何だかおとぎ話のような印象も受ける物語です。ところが、全てがおとぎ話かというと、そうではなくって、時に原理主義者、内戦などが生々しく迫って来る。その辺、もしかしたら、シャミ自身の感情が制御しきれず、ぐっと生々しくなってしまうのかもしれません。特に誘拐された恋人のために、何もしなかった女性に対する筆の厳しいこと。

あと、ちょっと分らなかったのが、このヴァレンティンの母親は、夫がありながらも、ウラニアの理髪師と恋に落ち、ウラニアの理髪師もまた家族がありながら、彼女と恋に落ちるのです。こんな状態は、当然自分の家族に負担をかけるもので、私は理髪師の妻や、上の娘である姉の怒りも良く分かるけどなぁ。それを「これが愛!」と言われても、ちょっと納得出来ないものが…。こういう配偶者がありながら、というのは、現代のサーカス団の中でも繰り返されていて、猛獣使いマルティンの妻、エヴァは、道化師のピッポと長らく恋仲だったりするのです。かと思えば、ウラニアの青年と恋に落ちたアニタは、青年が彼女を家族に紹介してくれないから、という理由で振っちゃったりもするのですけれど。うーむ、愛って…。

ながーい物語だし、きちんと「物語」しているのだけれど、そんなわけで、時に現実に引き戻されるので、出来うることなら、もっときっちりと「物語」して欲しかったな、と思いました。何と言うか、突然セットが崩れて、後ろが透けちゃうような感じなんですよね。

ラフィク・シャミ。次は短編を読んでみて、それでダメだったら、諦めようと。

目次
1 すべてはタイミングよく届いた一通の手紙からはじまった
2 ヴァレンティンは、どうしてもまたオリエントに行きたかった
3 時に、現実は夢より奇なり
4 しかめっ面の支店長が、にわかに愛想よくなった
5 緊張がとけて、また新たな弓が引きしぼられた
6 老人だって、まだまだなんでも吸収できる
7 ペパーミントのキスが旅立ち前の最後の日々を変えた
8 大波は思わぬ結果を招く
9 五十年の歳月がその重みを失った
10 愛は死に、ふたたびよみがえる
11 夜と朝のあいだの旅がはじまった
12 いっしょに探してくれる人があらわれて、
  ヴァレンティンは心から感謝した
13 ほほ笑みは、見失った希望を呼び戻す
14 羽根のように軽い愛でも、重いクマを動かせる
15 子供時代は、置いてきたはずの場所には残っていない
16 パンが消え、希望はふたたび目覚めた
17 ていねいなことばづかいに驚いた男と、
  雄ヒツジの眼玉にショックを受けた男
18 死との闘い、おとなになること、そして風車
19 ひとつの時間のなかに、たくさんの時代が共存できる
20 行列はすごくいい商売になる
21 理髪店ではよく話を聞かなければいけない
22 おしゃべりなヴァレンティンが二度もことばを失った
23 損して得すること
24 小柄な理髪師が巨人になると太鼓が鳴りやむ
25 軽い空気も重たいものを持ち上げられる―でも、愛は重すぎた
26 不安は遊び心を押しつぶしたが、ふたたび道化師が誕生した
27 自分のほうが年をとったのではないかと、
  ピアがあっけにとられるくらいヴァレンティンは若返った
28 ヴァレンティンとピアは見開きのページに
  この町で発見したさまざまな側面を書きつけた
29 女のおならはなんでも動かせる
30 物語の結末も、眼鏡も、思わぬところで見つかるものだ

 訳者あとがき―ラフィク・シャミの旅

「曲芸師ハリドン」/ともだち

 2007-09-10-23:20

ヤコブ・ヴェゲリウス, 菱木 晃子

曲芸師ハリドン
あすなろ書房

もくじ
1 ハリドン
2 真夜中
3 <船長>の劇場
4 帽子の中の犬
5 ラッキー・モンキー
6 <自転車小僧>
7 真夜中の追跡
8 夜明け前
9 スペードのエース
10 ドライミルクと釘
11 吹雪
12 出港
13 エスペランザ
 訳者あとがき


人はいつもおれを見る。おれのつりあがった目と、大きな耳と、ブタのようにつぶれた鼻を…。

そんなわけで、人ごみが嫌いなハリドンだったけれど、曲芸をしているときだけは別。曲芸をしている時は、人はハリドンの芸だけを見て、他の事は目に入らなかったから。

ハリドンは、一輪車に乗るのと、銀色の球をいくつもいっぺんに扱うのが得意な曲芸師。彼は毎日、午後になると、<船長>と暮らす家を出て、市庁舎広場の屋内マーケットの前で芸をする。ハリドンが安心できるのは、曲芸をしている時と、<船長>と二人でいるときだけ…。

ところがある晩、ハリドンが家に帰ると、<船長>はメモを残し、出かけていた。真夜中を過ぎても帰ってこない<船長>に、不吉な予感がしたハリドンは、<船長>を追って、真夜中の街を一輪車で走り抜ける。

という、北欧はスウェーデン、ストックホルムの作家、ヤコブ・ヴェゲリウスがお送りする、一風変わった子供であるハリドン(と小さな犬)の真夜中の冒険譚。

硬質で淡々とした文章なんだけれど、このちょっと独特の絵と真夜中の雰囲気に、強く引き込まれる物語。「訳者あとがき」によると、原書は作者が文章、挿絵、デザインのすべてを自ら手掛けた三作目にあたるとのこと。これは確かに、挿絵、表紙絵がすべて一体となった物語。更にカバーの作者紹介から引くと、作者ヤコブ・ヴェゲリウスは、「作品のインスピレーションの源は、トーヴェ・ヤンソンの『ムーミン』にある」と語っているのだそう。北欧の物語って、独特の「暗さ」があるのかなぁ。ラストは爽やかだけれど、この物語でも、登場人物たちは、それぞれに結構孤独なのです。

さて、気になったのが、「魚のフライ」。近所のジャズバーのエッラ・ヤンソンのところに出かける<船長>が、ハリドンのために夕食を用意して行くのだけれど、それが、鍋の中に入ったひとり分の魚のフライとゆでた豆とジャガイモなのです。同じ鍋に入ってるって、どーなってるの??(単に温めるのに便利だから?)

■いまひとつ、関連は薄いけれど、過去に書いたムーミンの関連本の感想
 → 「ようこそ!ムーミン谷へ 」/ムーミントロールはお好き?

「マグヌス」/記憶、断片、人生

 2007-08-29-23:02
シルヴィー ジェルマン, Sylvie Germain, 辻 由美
マグヌス

語られるのは、一人の男性の幼年期から中年までの人生の断片、0から29までの番号をふられたフラグマン(断片)。それを補足するのは挿入される注記(ノチュール)、それを強めるのは同じく挿入される続唱(セカンヌ)や、反響(レゾナンス)

フランツ=ゲオルク、もしくはアダム、マグヌス。三つの名前を持つことになる、彼の人生は波乱に満ちたもの。

五歳までの記憶がない幼い彼に、「気高さと悲しみに満ちた家族の叙述詩」を繰り返し語り、言葉によって彼を生みなおした母親の名は、テーア・ドゥンケンタル。彼の名ともなった、フランツとゲオルクという名は、偉大なるドイツ帝国のために、身を犠牲にした母親の双子の弟の名。父親、クレーメンス・ドゥンケンタルは医師であり、熱狂的なナチス党員でもあった。

しかし、ドイツ帝国の破滅は近い。家族は家を捨てて逃亡し、父親は更に一人メキシコへと逃げ、その地で死ぬ。盲目的に父親を崇拝していた母親は、亡命していた兄のロタールに少年を託し、やはり死ぬ。

少年、フランツ=ゲオルク・ドゥンケンタルは、ロンドンのロタール伯父の家に引き取られ、アダム・シュマルカーと名を変える。五歳までの記憶を無くした少年は、それ以降全ての物事を記憶しようと、凄まじい集中力を発揮した。語学の才能にも優れた少年は英語にも順応し、更に父親の死の地であるメキシコの言葉、スペイン語の習得も始める。しかし、記憶は彼を蝕み、苛む。彼の両親の罪は消えることがない。

そして、更に彼の人生は幾たびかの転換点を通り、彼はマグヌスと名乗るようになる。それは、幼いころから彼と共に過ごしてきた茶色いぬいぐるみのクマの名前。

彼の人生は喪失と再生の繰り返し。愛する女性との二度の永遠の別れ、一度は見切ったロタール伯父への帰還…。記憶を喪い、偽りの記憶を塗り重ねられ、自分がどこから来たのかすら分らない少年。更に獲得した記憶もまた、愛する人の死により、無となってしまう。それでも人間は生きていき、無から何かを生み出すことが出来る。ラストの再生の様子(そして、それはクマのマグヌスとの別れでもある)、旅立ちは美しい。

かなり変わった形式の「小説」だけれども、実に引き込まれる物語でした。こんなアプローチがあるのだとは! あの激しさとはまた別なのだけれど、アゴタ・クリストフの「悪童日記」以来の衝撃でありました。

これ、「高校生ゴンクール賞」の受賞作なのだとか。すごいね、フランスの高校生。

■その他気になった、「高校生ゴンクール賞」受賞作。


■印象的な引用がなされていた本。

フアン ルルフォ, Juan Rulfo, 杉山 晃, 増田 義郎
ペドロ・パラモ (岩波文庫)

amazonには、ラテン文学ブームの先駆けとなった古典的名作、とありました。
コーマック・マッカーシーの国境三部作のうちの、「すべての美しい馬 」と「平原の町 」の二作は何とか読んだけど、これはまた歯ごたえありそうですよ。がりがり。
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つな がる

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つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
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2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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