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「ぼくと1ルピーの神様」/答えはどこにある?

 2009-04-24-23:12
ぼくと1ルピーの神様ぼくと1ルピーの神様
(2006/09/14)
ヴィカス・スワラップ

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話題の映画、「スラムドッグ$ミリオネア」の原作本です。映画の記事を読むと、原作とは設定が少し違うんじゃないかなー、とは思うんですが。
目次
プロローグ
第1章 ヒーローの死 1,000ルピー
第2章 聖職者の重荷 2,000ルピー
第3章 弟の約束 5,000ルピー
第4章 傷つけられた子どもたち 10,000ルピー
第5章 オーストラリア英語の話し方 50,000ルピー
第6章 ボタンをなくさないで 100,000ルピー
第7章 ウエスタン急行の殺人 200,000ルピー
第8章 兵士の物語 500,000ルピー
第9章 殺しのライセンス 1000,000ルピー
第10章 悲劇の女王 10,000,000ルピー
第11章 エクス・グクルッツ・オプクヌ
     (またはある愛の物語)  100,000,000ルピー
第12章 十三番目の問題
エピローグ
訳者あとがき
クイズ番組で見事全問正解。大金をせしめたはずの少年、ラムの元にやって来たのは警察官だった。スラムに暮らす十八歳のウェイターに、答えが分かるはずがない。そう決めつけた番組関係者が、ラムの逮捕を望んだのだ。

拷問にかけられ、今にも賞金を辞退しそうになっていたラム少年のもとにやって来たのは、今度は彼の救い主である女性弁護士だった。彼女に語り始めた、ラム・ムハンマド・トーマス少年が全問正解出来た理由とは? また、「1ルピーの神様」とは?

面白いことは面白かったんだけど、混沌としたインドを舞台としているのに、そこには期待したような匂いがないんですよねえ。ラム少年の境遇は結構悲惨なんだけど、とんとんと進んで行ってしまうからか、現実味があんまりないのです。でも、そういうところを主眼とした物語ではないのだとしたら、これは映像の方が表現媒体としてより適している物語なのかもしれません。

ばっちり起伏もあるし、細かい部分は、映像が補足してくれるのかも・・・。実はもう一つの目的があったところにはおおっとは思ったけれど、「1ルピーコイン」の秘密に、割と早い段階で気付けちゃうところは、若干興ざめ。でも、一問ごとに明かされる少年の過去は、えらくバラエティに富んでいて、先が気になってどんどん読んじゃいます。

インド的深み、混沌はないのだけれど、青春やサクセス・ストーリーを楽しむ感じかなぁ。社会問題的な話もあるし、インド社会の厳しさ、不合理もあり、辛い現実が描かれるんだけど、あくまでテイストが軽いというか、やたらと読み易いんだよねえ。この辺は本業がインドの外交官であるという、著者のバランス感覚によるものなのかなぁ。
文庫もあるんですねー。↓
ぼくと1ルピーの神様 (ランダムハウス講談社文庫)ぼくと1ルピーの神様 (ランダムハウス講談社文庫)
(2009/02/20)
ヴィカス スワラップ

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「小鳥たちが見たもの」/彼らが見た世界

 2009-02-26-22:40
小鳥たちが見たもの小鳥たちが見たもの
(2006/12/12)
ソーニャ・ハートネット

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Ciel Bleu」の四季さんのところで知って、気になった本です。

■四季さんの記事は、こちら → 小鳥たちが見たもの」ソーニャ・ハートネット

四季さんが「最初のソーニャ・ハートネット作品がこれでなくて良かった」と書いてらっしゃるのが気になりつつ読んだんですが、うわー、確かにこれは厳しい。

主人公は九歳の男の子、エイドリアン。事情があって母とは離れ、祖母と引きこもりに近いおじと一緒に暮らしている。冒頭にあるのは、行方不明になった三人の子供たちの話。エイドリアンの目から見た世界は恐怖に満ちていて…。

冒頭からそういう話が来るので、そもそもがザッツ・不穏な感じなんだけど、エイドリアンからは、ガラスウールのような透明な棘を感じるのです。ガラス板に爪を立てた時のような、ぞわぞわする感覚からの連想からかなぁ。特に誰が悪いわけでも、悪意があるわけでもないのだけれど、読んでいる内に、エイドリアンの脅えが、読み手であるこちらにもうつってくるような感じがして…。

普通の子にはきっと何でもないようなことが、エイドリアンには恐怖以外の何物でもない。アシモフ編の「犬はミステリー」(感想)の中の、「闇の中を」の少女、ティナを思い出したけれど、エイドリアンにはティナほどの強さはない。常識で考えられる安全が、安心が、与えられない子供の哀しさは共通していると思うのだけれど…。

ラストは確かに美しいのだけれど。果たしてそれは救済なのでしょうか。打ちのめされる気持がします…。

「TAP」/グレッグ・イーガン短篇集

 2009-02-09-22:19
TAP (奇想コレクション) (奇想コレクション)TAP (奇想コレクション) (奇想コレクション)
(2008/12/02)
グレッグ イーガン

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奇想コレクションの一冊である本書は、グレッグ・イーガンの日本オリジナル第四短篇集(全作本邦初訳)であるそうな…。奇想コレクションって、表紙の色遣いとか、何だかみんなおんなじ感じがするんだよねえ、と思いながら読んでたんですが、「銀炎」が面白くて、姿勢を正した感じです。

ところが、面白いなと思い始めた時点で時すでに遅く、次の予約者が待ってたせいで、全編読み通すことができずに、泣く泣く返却致しました。というわけで、この記事は完璧にただのメモ。

グレッグ・イーガン初読みだったんですが、もっとハード系のSFを想像してたんだけど、どっちかというと生物寄りなのかな? それがイーガンの本質かは分かりませんが、少なくともこの短編集はそんな感じで、割と読みやすそうな感じでした。

次回はその世界に入るのに時間が掛っちゃう短編よりも、一気にざくざくいけそうな長編を読んでみたいなぁ。と、思って、amazonで検索かけたら、やたらと「日本版オリジナル短篇集」の文字が…。イーガンの本質は短篇側にあるのかしらん。

色々読めそうだし、いっそ、こっちを読んでみようかなー。
20世紀SF〈6〉1990年代―遺伝子戦争 (河出文庫)20世紀SF〈6〉1990年代―遺伝子戦争 (河出文庫)
(2001/09)
グレッグ イーガンダン シモンズ

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目次
「新・口笛テスト」
Beyond the Whistle Test(Analog 1989.11)
「視覚」
Seeing(短篇集 Axiomatic,1995)
「ユージーン」
Eugene(Interzone 1990.6)
「悪魔の移住」
The Demon's Passage(Eidolon 1991.Winter No.5)
「散骨」
Scatter My Ashes(Interzone 1988.Spring)
「銀炎」
Slver Fire(Interzone 1995.12)
「自警団」
Neighbourhood Watch(Aphelion 1986/87.Summer,No.5)
「要塞」
The Moat(Aurealis 1991.3,No.3)
「森の奥」
The Walk(Asimov's 1992.12)
「TAP」
TAP(Asimov's 1995.11)
SF

「千の輝く太陽」/太陽は輝くの?

 2009-02-08-01:39
千の輝く太陽 (ハヤカワepiブック・プラネット)千の輝く太陽 (ハヤカワepiブック・プラネット)
(2008/11/25)
カーレド ホッセイニ

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日の光の下では人はみな平等で、どんな時も太陽は輝き、私たちに光を、温かさを届けてくれる。雨の日や曇りの日があったとしても、太陽はその奥で輝いているもの。それが千もあるのだとしたら、どれだけの輝きが与えられるのだろう…。

しかし、もし実際そんなことがあったとしても、それは幸せな一部の世界の人間だけなんだなぁ、ということを、打ちのめされるような気持と共に実感してしまった物語です。
私生児(ハラミー)として生まれた、アフガニスタンの少女マリアム。父親の家庭から疎まれた母子二人は、ヘラートの町全体を見下ろす丘に建ったコルバ(小屋)に暮らす。週に一度はコルバを訪ねてくる、父ジャリールは甘い言葉でマリアムを蕩けさせる。一方の、母ナナは娘マリアムの目から見ても、僻みの強い頑な女。しかし、父ジャリールが本当にマリアムのことを思うならば、こんな人里離れた隔離された暮らしを続けさせるわけもなく、ジャリールが語る言葉はまさにただの甘言だった。

世の中のことを知らなかったマリアムの純粋な気持ちから出た行動は、取り返しのつかない悲劇を生む。コルバに閉じ込められるような生活は終わったけれど、それは同時に少ないけれども、二人の母子を訪ねてくれた数少ない人たちとの繋がりをも断ち切られるものでもあった。

マリアムは齢、十五にして、故郷ヘラートを離れ、カブールに住む、カンダハル生まれのパシュトゥン人に嫁ぐことになる。年齢は四十から四十五、ラシードは靴屋を営む大男だった。ナンとムース、名誉と誇りを何よりも重んじるというラシードにより、マリアムは抑圧された日常を生きるようになる。外に出るときは当然ブルカ、女の顔はその夫だけのもの…。それでも、結婚当初はそれなりに気を使ってくれていたラシードも、マリアムの度重なる流産のせいか、彼女の美しくない顔立ちのせいか、まるで物のように彼女を扱うようになる・・・。
マリアムとラシードが暮らすデーマザン地区には、ラシードが嫌うモダンな家族がいた。幸せそうに見えたこの家庭も、クーデターにより父バビが高校教師の職を失って以来、さらに二人の息子がソ連とのジハードに行って以来、すっかり壊れてしまっていた。心を凍らせてしまった母、優しさを失わない父のもとで、少女ライラは育つ…。

そして、カブールの街にロケット弾が飛び交う日がやって来る。幼馴染の恋人、タリーク一家はカブールを離れることを決め、ライラにも着いてくるようにと勧めるのだけれど、ライラは父バビを見捨てられず、一方の父バビは心が壊れてしまった最愛の妻を見捨てられない。
そうして、マリアムとライラの人生が交わるときがやって来る。ライラはラシードの第二の妻になったのだ…。ラシードは、美しい少女、ライラをあわよくば妻にしようと狙っていた。マリアムの新婚のときとは全然違うその扱いには、切なくもなってしまう。ラシードの女性の扱い方は、それが良いものであっても悪いものであっても、決して羨ましくなるようなものではないのだけれど。

実はライラにはラシードとマリアムの元に身を寄せなければならなかった理由があり、最初はライラにラシードを盗まれたと感じていたマリアムにも、転機がやって来る。暴君であるラシードのもとで暮らす女二人。それぞれ協力し合えることも増えてくるのだけれど…。
第三部の後半からは、本当に涙、涙です。

磁石の針はいつも北を指し、責める男の指先はいつも女を指す。

神が大いなる許し手であり、天と地をを作りたもうたものであり、日と月を従わせるものであり、圧倒的な平和と安心の感覚の中、マリアムが逝ったのだとしても、それにしてもこれはあまりに辛すぎる。安易な救済は全くないし(ライラに関してはある、と言えるかもしれないけれど。でも、それは文中にもある通り、無償の幸せではない)、父、ジャリールとの和解のチャンスもあったのに、すべては遅すぎた。

しかし、救済が与えられたライラは勇敢な女性でもあった。己だけを幸せな境遇に置くことはせず、彼女は愛する国のため、彼女が愛した女のために、カブールへと舞い戻る。

ヨセフはカナンに戻る。嘆くなかれ、
あばら家はバラの園に変わる。嘆くなかれ。
洪水が起こり、生けるものすべてを溺れさせるとき、
ノアが台風の目にて汝を導く。嘆くなかれ。

輝きは外から与えられるものではなくて、内から溢れ出るものかもしれない。そうして、誰かが誰かの心の中で輝くものなのかもしれない。何人のマリアムが、ライラが、バビが、タリークがいるのだろう、と思うと、本当に気が遠くなるし、決して楽しい読書ではないのだけれど。読んだ人の心の中で、マリアムとライラが輝く二つの点として、残るような気がします。

引用した「ヨセフは~」の部分は、ハーフェズのガザル詩(Wikipediaにリンク)の四行だそうなんですが、嘆くなかれって言われたって、そりゃ嘆くよーーーー!!!としか言いようがない物語だけど、上を見て前を見て少しずつでも状況が良くなっていくといいな…。そんな簡単な話ではないのだろうけれど、ね。
■関連過去記事■
「アフガニスタンの少女、日本に生きる」 /アフガニスタン
fc2のもの→リンク
過去のamebaのもの→リンク

amebaの方では、ちょうど、この記事にもコメント&トラバ頂いた、有閑マダムさんのコメントもありますね~。しかし、昔の記事って、コメント欄でどんどん話が転がってるなぁ。とらにーさま、最近、お話してないけど、お元気かなぁ。

「ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」」/とある人生

 2009-01-15-00:01
ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」 (ハヤカワ・ノヴェルズ)ペトロス伯父と「ゴールドバッハの予想」 (ハヤカワ・ノヴェルズ)
(2001/03)
アポストロス ドキアディス

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「ゴールドバッハの予想」(Wikipediaにリンク)とは、加法的整数論の未解決問題の一つなのだそうな。曰く、「2より大きいすべての偶数は、二つの素数の和で表わすことができる」。

小川洋子さんの「博士の愛した数式」(感想)と比較している文章をどこかで見て、気になったので借りてきました。数学をモチーフにしていても、結果、私には特に共通点は見つけられなかったなぁ。

一族の中の変わり者の伯父。「わたし」の父や叔父は、兄であるペトロス伯父を常に軽んじていた。広い庭と果樹園に囲まれたギリシャの片田舎で、節度ある一人暮らしを送る伯父。わたしはどこか秘密めいた伯父に心惹かれるのだが…。

伯父は、かつて天才的な数学者であった。自らの力を示すために、伯父が選んだのは、「ゴールドバッハ予想」。若き日の伯父は、その問題に全力で取り組み、誰か他の者が答えに辿り着くことを恐れるあまり、その途中で得た成果すらも発表することを恐れるのだが…。やがて訪れる挫折。

若き日の伯父の話と、「わたし」の話が重なってゆく。伯父の影響で数学者を目指した「わたし」は、伯父の企みにより、いったんはその道を諦める。しかし、伯父の出した問題が何たるかを知った「わたし」の胸に、再び数学者への夢が宿るのだが…。

実業を重んずる「わたし」の一族の気持ちも分かるし、完全な理論のみの数学の美しさも良く分かる。伯父の諦めは正しかったのか、「わたし」が伯父に認めさせようとした過ちは、確かに過ちだったのか。

「ペトロス伯父」は架空の人物ですが、実在の人物がうまく絡めてあります。ハーディ、ラマヌジャンについては、過去、藤原正彦さんの 「心は孤独な数学者 」(感想)を読んでいたのでわかりましたが、そうでなかったら分からなかったかも~。

ペトロス伯父の生き方は、全か無かしかありませんでした。それはほとんど狂気ともいえるほど。

これを読んで印象深かったのは、実は下に引用する箇所だったりします。

真理に近づきすぎる危険について彼が言ったことばが真実味を帯びて頭の中でこだましていた。”狂った数学者”というイメージは陳腐な空想ではなく、実在するものだ。“科学の女王”の研究者たちは蛾のようなもので、輝く無慈悲な光に引き寄せられ、容赦なく焼かれるのだ。(p159より引用)

良くは知らないけど(というか、これ読むまで、認識してなかったけど)、他の分野ではこんなことってあるんだっけ? 数学だけ???
数学といえば、これも読んでみたいんだけど、果たして理解出来るであろうか。汗 表紙も素敵だよねえ、これ。
素数の音楽 (新潮クレスト・ブックス)素数の音楽 (新潮クレスト・ブックス)
(2005/08/30)
マーカス・デュ・ソートイ

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「アメリカにいる、きみ」/ナイジェリアという国を知っていますか

 2008-11-10-22:44
アメリカにいる、きみ (Modern&Classic) (Modern&Classic)アメリカにいる、きみ (Modern&Classic) (Modern&Classic)
(2007/09/21)
C・N・アディーチェ

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ラッタウット・ラープチャルーンサップの「観光」の記事にコメントした際に、P&M_Blogのpiaaさんからお勧め頂いた本です。

著者が1977年生まれと比較的若いこと(「観光」は更に若く1979年生まれ)、みずみずしい筆致と確かに連想させられる部分もあるかも。でも、私が感じたのは、ルワンダの大虐殺を描いた「ジェノサイドの丘」(上巻感想下巻感想)を読んだ時と同じように、自分は何も知らないんだなぁ、ということ。

ナイジェリアという国について、よく知っているという人はきっと少ないでしょう。Wikipediaを読んでも(ナイジェリアの項にリンク)、とっても複雑な成り立ちの国家であることが良く分かります。それは、ほとんどすべてのアフリカの国々に当てはまることなのかもしれないけれど…。
目次
アメリカにいる、きみ
アメリカ大使館
見知らぬ人の深い悲しみ
スカーフ―ひそかな経験
半分のぼった黄色い太陽
ゴースト
新しい夫
イミテーション
ここでは女の人がバスを運転する
ママ・ンクウの神さま
 訳者あとがき
もちろん、これは「ジェノサイドの丘」のようなノンフィクションではなく、物語であるわけなんだけど、巧みに織り込まれたナイジェリアという国の内情が胸を打ちます。最初は自分がナイジェリアを知らないだけに、ちょっとカタログ的?と思ってしまったけれど、悲しい苦しい話の中に、著者近影の力強い笑顔のように、どことなく明るいユーモアが見える短編集でした。

心に残ったのは、「見知らぬ人の深い悲しみ」、「スカーフ」、「イミテーション」、「ここでは女の人がバスを運転する」。後ろに収録されているものの方が、少し柔らかくなっているような印象を受けました。なんかね、ここに筋を書いてしまうよりも、頭の中でもう少しゆらゆらとさせておきたい感じ。話の筋も勿論大切だけれど、それ以上の空気とか雰囲気を沁み込ませておきたいなぁ。

ラヒリの物語には内戦が影を落とすことはないけれど、インドのジュンパ・ラヒリを思わせる部分もありました。ラヒリと同じくびっじーん!だしね。

アフリカといえば、面白かったんだけど、どうもネット上でもあまり感想を見かけない「哀しいアフリカ」の感想にリンク。実話だなんてうっそでしょーーー!な、国際的私立探偵、ケリー・ジェームズ氏の冒険譚。面白いですよー。

「見知らぬ場所」/ジュンパ・ラヒリ、三作目

 2008-11-03-10:26
見知らぬ場所 (Shinchosha CREST BOOKS)見知らぬ場所 (Shinchosha CREST BOOKS)
(2008/08)
ジュンパ・ラヒリ

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ジュンパ・ラヒリ三作目の本書は、短篇と、連作短篇とでもいうべき中編からなっています。そして、フランク・オコナー国際短篇賞受賞作だそうであります。

フランク・オコナー国際短篇賞って何?、と思ったら、あの、イーユン・リーの「千年の祈り」(感想)が第一回の受賞作だそうな。主催はアイルランドのマンスター文学センターというところで、2005年に創設とのこと。比較的若い賞のようですが、村上春樹氏も受賞しておられるそうですよ。
目次
 第一部
見知らぬ場所 Unaccustomed Earth
地獄/天国 Hell-Heaven
今夜の泊まり A Choice of Accommodations
よいところだけ Only Goodness
関係ないこと Nobody's Business
 第二部 ヘーマとカウシク
一生に一度 Once in a Lifetime
年の暮れ Year's End
陸地へ Going Ashore

訳者あとがき
第一部はそれぞれに関連のない短篇、第二部が連作になります。

移民一世ではなく、今回は完全に二世の方に話の軸が移っています。子供のころは、両親により、毎度お決まりのインドへの里帰りに付き合わされたものだったけれど、成長した彼らは違う。彼らの伴侶となったのも、たいていは同族ではない。両親とは違う形で、アメリカの地に根をおろしながら、両親のこと、家族のこと、自分が作った家庭を想う…。インド的なもの、移民的なものが、だんだんに喪われていくからといって、完全になくなってしまうわけではないんだけれど、たいていはそれらを共有することはもうなく、個人としての思い出になってしまっている。

しかしまあ、インドからやってきて、アメリカに完全に根を下ろす。それはきっと並大抵のことではなくて、子供たちも男であれ、女であれ、ほとんどが武装のように素晴らしい学位や仕事を獲得しているのです。そういう意味で、ラヒリの作品は、別にそれでどうというわけではないのだけれど、インテリの作品なのだなぁ、と思います。唯一のドロップアウトというべきは、「よいところだけ」の主人公、スーダの弟、ラフールや、連作「ヘーマとカウシク」のカウシクかしらん。

社会的にも成功して、家庭だって成功を収めているように見える。それでも、どこか自信なさげ、心がどこかに飛んでいるように見えるのも、またラヒリの登場人物たちの特徴でしょうか。伴侶を見つけ、子どもたちが順調に成長していっても、それはなんというか、その個人としての満足には繋がっていないような…。もちろん今の状態が幸せであることを理解しつつも、子供たちが出来たことで、夫婦としての時間を楽しめなくなってしまった、一人の時間が何よりも大切になってしまったと嘆く、「今夜の泊まり」におけるアミットなど。

個人である前に、誰かの妻であり、夫であり、父であり、母であるだけでは、充足出来なくなっているわたしたちの自由。カウシクを思いながら、ナヴィーンの子を産むヘーマは幸せだったのでしょうか。

どれも印象深いお話ですが、表題作の「見知らぬ場所」の父と娘の互いに遠慮し合った愛情が良かったです。それでも、最後に父はルーマの父親であることよりも、自分であることを選ぶんだよなぁ。ジュンパ・ラヒリのこの短篇集。私にはとても現代的であると思えました。
☆関連過去記事☆
・「停電の夜に」(感想
・「その名にちなんで」(感想

・「喪失の響き」(感想
ジュンパ・ラヒリのものではないのだけれど、インテリではないインドがここにはあります。「喪失の響き」はブッカー賞受賞作でもあるし、著者、キラン・デサイがインテリじゃないわけがないとは思うけれども(母、アニタ・デサイも著名な作家だそうです)。

「ブラックジュース」/常識を揺さぶる短編集

 2008-08-29-00:06
ブラックジュース (奇想コレクション)ブラックジュース (奇想コレクション)
(2008/05)
マーゴ・ラナガン

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目次
沈んでいく姉さんを送る歌
わが旦那様
赤鼻の日
いとしいピピット
大勢の家
融通のきかない花嫁
俗世の働き手
無窮の光
ヨウリンイン
春の儀式
 謝辞
 訳者あとがき
河出書房新社の奇想コレクション、気にはなっていたものの、実はこの本が初めてだったりします。

奇想であるからして、それは少し不思議な話。特にね、短編だからか多くは説明されない中に、その世界独自のルールががっちり存在する雰囲気が良かったな。つまりは、自分の中の常識が揺さぶられる感じがするのです。

訳者あとがきによると、本書は二〇〇五年度の世界幻想文学大賞(短篇集部門)を受賞した、Black Juiceの全訳であるとのこと(「沈んでいく姉さんを送る歌」は、単独でも二〇〇五年度の世界幻想文学大賞(短篇部門)を受賞しているそう)。
■沈んでいく姉さんを送る歌
犯した罪のために、タール池に沈んでいく姉、イッキーを見送る、ぼくたち家族の話。ゆっくりと沈んでいくイッキーの周りに集まった一日。

■わが旦那様
その奥様は、わたしが敬愛する旦那様には、到底相応しいとは言えなかった。ところが、ある時、わたしは彼女に共感を覚える。

■赤鼻の日
ピエロを殺す話。ピエロって確かに、ちょっと禍々しくも見える。

■いとしいピピット
いとしいピピット。そう呼びかけるのは、「キョタイ」の彼ら。

■大勢の家
ある特殊なコミュニティで育った少年が、コミュニティを出て外の世界を知り、そしてまた戻ってくる。

■融通のきかない花嫁
厳しい<花嫁学校>を卒業したわたし。でも、みんなと一緒に<本番>を迎える前に、わたしにはやるべきことがある。

■俗世の働き手
死にゆくばあちゃんのために、おれはじいちゃんに頼まれ、天使を探しに行く。

■無窮の光
おばあちゃんの葬儀のために、今ではゴーストタウンになった街に向かうわたし。汚染されたその地に向かう私の車の中には、種を入れたトレイがある。

■ヨウリンイン
ヨウリンインに家族を殺され、助かったものの町の人たちからも忌み嫌われているあたし。そして、あたしはまたその兆しを見る。

■春の儀式
たったひとり、春を呼び込む儀式に挑むおれ。
常識で言えば、天使というものは白い羽を持った美しい生き物であり、ピエロはその芸を楽しむものである。「いとしい」なんて言葉を使うのは、人間だけだと思いたい。これらがいい感じに裏切られるのが気持ち良いです。
牧歌的な状況の中の残酷な刑を描いた「沈んでいく姉さんを送る歌」、恐ろしげな姿の天使が度肝を抜く「俗世の働き手」が面白かったな~。

「とても書けない物語」/ポール・ジェニングス短編集

 2008-06-12-00:06
とても書けない物語 (PJ傑作集)とても書けない物語 (PJ傑作集)
(1994/10)
ポール ジェニングス

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ポール・ジェニングスってご存知ですか? 私は全然知らなかったんだけど、この本の扉によると「オーストラリアの生んだ世界的ベストセラー作家」であり、「1980年代半ばから発表しはじめた奇想天外な短編集が子どもや若者はもちろん、大人にもバカ受け。いまや、英・豪では知らない者はいないほどの存在」というお人なのだそうな。

奇想天外な味付けも程よく、でも、あくまで主人公となる子どもは現代のふつうの子供。童話的であったり、時にはあの「穴」のルイス・サッカーを思わせるものだったり。軽く読めるのだけれど、教訓くさくもなく、微妙にズラされたお話が心地良い。ごく短くにやっとしてしまう「嘘発見器」から、公園のトイレに突然王様の玉座のような便座がある、などという発想から始まる「ビロードの玉座」も楽しい。

勧善懲悪というわけではないけれど、いじめっ子にはそれなりの報いが、良い心もちを持っていればそれなりの結果が、どれもこれも嫌な気持ちで終わるものは一つもありません。「泣けよ、泣き虫」は、砂漠、不思議な生き物・あめためがえる、穴、水なんてキーワードから、まさにルイス・サッカー「穴」を思い出してしまいました。

連続で読むものではない感じだけど、他にもまだシリーズがあるようなので、探して読んでみようと思います。さて、わが図書館にはあるのかな?
目次
氷の乙女
ICE MAIDEN
バードマン
BIRDMAN
チョロチョロ噴水
LITTLE SQUIRT
ハーモニカ
THE MOUTH ORGAN
ビロードの玉座
THE VELVET THRONE
泣けよ、泣き虫
CRY BABY
嘘発見器
EX POSER
どろどろポンコツ車
SLOPPY JALOPY
目は知っている
EYES KNOWS
 作者と作品について

「喪失の響き」/喪失が織り成す様々な響き

 2008-05-21-23:29
喪失の響き(ハヤカワepiブック・プラネット) (ハヤカワepi ブック・プラネット)喪失の響き(ハヤカワepiブック・プラネット) (ハヤカワepi ブック・プラネット)
(2008/03/26)
キラン・デサイ

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amazonの内容紹介から引くと、あらすじは

少女サイは、インド人初の宇宙飛行士を目指していた父を母と共に交通事故で亡くすと、母方の祖父である偏屈な老判事に引き取られた。老判事はすでに引退し、ヒマラヤ山脈の麓の古屋敷に隠居していたが、孫娘の出現は判事と召使いの料理人、そして近所の老人たちの慰めとなるのだった。やがてサイは、家庭教師のネパール系の青年ギヤンと恋仲になる。急速に親密になっていくふたりだが、ネパール系住民の自治独立運動が高まるにつれ、その恋には暗雲がたちこめる――。

とのことなんですが、確かにそうなんだけど、そうなんだけど。これはある意味、あらすじはどうでもいい物語というか…。

混沌としたインドそのままに、時に悲劇的な、コミカルな、新しい、古い喪失が互いに響き合う。「停電の夜に」、「その名にちなんで」で、ジュンパ・ラヒリが描き出したインドとは、違う姿がここにはある。ジュンパ・ラヒリが描き出した人々は、ここでは成功者として、彼らの周囲を通り過ぎる通行人にしか過ぎない。

インドの中での持てる人々である、老判事、サイ、サイたちの隣人ノニ、ローラ姉妹、ブーティ神父、ポティおじさん。持たざる人々である料理人、サイの家庭教師ギヤン。アメリカに渡った料理人の息子ビジュ、イギリスに渡った若き日の老判事、ジェムバイ…。

愛を育むには長い時がかかるのに、喪失は瞬きする間にも起こりうる。ゴルカ民族解放戦線(GNLF)の活動は、それまでうまくいっていた人々の格差を炙り出し、それぞれを敵対させる。アメリカに渡ったビジュは、不法移民として、彼や彼の父親が夢見た成功とは遠い所にいる。イギリスに留学した、若き日の判事、ジェムバイは、その臆病さゆえに、自分の人生から愛を閉め出す。閉め出されたのは、彼の妻、ニミもまた…。

キラン・デサイの筆は奔放。サイたちの住む、ヒマラヤ山脈の麓の古い屋敷、チョーオユーは時に快適な場所として、時に湿気やシロアリにより崩れゆく場所として描かれる。壁に、引き出しの中に、本棚の本の頁に、あらゆる場所に顔を出す様々な黴の描写は美しくさえある。カンチェンジュンガ(Wikipediaにリンク)の麓の長閑な美しさも印象的。

様々な救い難い喪失が描かれるというのに、読み終えたときの感覚は何だか甘やか。料理人が語る内に真実だと思い込む、空想の中の出来事のように、悲劇的なことが描かれていても、薄皮が一枚かかっているよう。料理人の盲目的な愛は、貧しい人に特有のものであるとしても、時に救い。

ラストのシーンもね、いいのです。結局、そこには喪失はなく、最初にあったものが、そのまま戻ってきたとも言えるのかな。インドと言えば、ダウリー(持参金)問題の国でもある。当初、そこには愛があったのに、判事のねじ曲がった考えが、彼の妻を悲惨な境遇に貶める。宗主国と植民地。捻じれたプライドが悲劇を生む。混沌とした世の中で、人はあまりにも弱い存在だけれど…。それでも…。料理人父子や、サイには、同じ過ちを繰り返して欲しくはない、と思う。

「その名にちなんで」/受け継がれたもの

 2008-05-09-00:02
その名にちなんで (新潮クレスト・ブックス)その名にちなんで (新潮クレスト・ブックス)
(2004/07/31)
ジュンパ・ラヒリ

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「停電の夜に」のジュンパ・ラヒリの、長編小説です。お話としては、「停電の夜に」で言うところの、「三度目で最後の大陸」に近いのかなぁ。新潮クレストブックスは、厚くなりがちな気もするけど、346ページの長編がするすると読めてしまいます。訳者の方の功績なのかもしれないけれど、文章がすごく読み易くて、この世界にするっと潜り込んでいくような感覚を覚えます。馴染みのない世界のはずなのに、物凄く近しい人の話を聞いているような感覚…。そうして、いつしか自分自身の人生についても、重ね合わせて考えてしまう。訳者あとがきにもありましたが、「停電の夜に」の短編はまるで長編のようだったけれど、こちらの長編「その名にちなんで」は壮大な短篇のよう。いやー、良かったっす。
インドからアメリカへとやって来た、アショケとアシマ夫妻の元に生まれた最初の男の子は、ロシアの作家にちなんで「ゴーゴリ」と名付けられた。アメリカに着々と根を下ろしながらも、インドに心を残し、数年に一度のカルカッタへの里帰りを楽しみにする母アシマとは異なり、ゴーゴリはほとんどアメリカ人として成長していく。各々に与えられた個室、レコード、コーラ、ピザ…。ゴーゴリにとって、両親に付き合って訪れる、インドの親戚宅は煩わしい異国でしかなかった。それは、近隣のインド出身の人間で形作られるコミュニティーや、週末毎に行われる両親たちのパーティーもまた。本物のおじやおば、アメリカにおける疑似的なおじやおばも、ゴーゴリには遠いものでしかなかった。

そうして、成長するにつれ、膨らんでくる自らの名前への違和感。父がファンだったから、とだけ聞いていた「ゴーゴリ」という名は、当の作家にとっても、ファーストネームではなく、作品はともかくとして、授業で習ったゴーゴリの人となりも、彼の好みに合うものではなかった。なぜ、父は自分にそんな名を付けたのか。

父がその名を付けたのは、勿論、理由あってのこと。ロシア文学を愛する祖父の元を訪れるために乗っていた列車の中で、若き日の父は脱線事故に遭っていたのだ。多くの人間が亡くなったその事故で大怪我を負いながらも、九死に一生を得た若き日の父が握っていたのは、ゴーゴリの「外套」だった…。直前に話をしていた乗客も死者の一人となり、インドから外へ出ることなど考えていなかったアショケは、その乗客が話していたように外へと飛び出すことを決意する。アショケは列車事故の後を新しい人生だと感じ、それと同じことをゴーゴリの誕生で感じたのだ…。

成長したゴーゴリは、その父の思いを聞く前に、ニキルと改名してしまう。由来を聞いたゴーゴリは複雑な感情を持つことになり、時にゴーゴリとしての自分と、大学以降のニキルとしての自分が分離しているように感じる。主に三人の女性からなる、ゴーゴリの女性遍歴もまた様々。女性たちが変わっても、ゴーゴリの本質は変わらない。また、年を重ねるにつれ、増してくるのは、インド人としてのアイデンティティ。両親や、多くの親戚や、疑似的な親戚であったインド系のコミュニティーとも、ゴーゴリはやはり無縁ではいられないのだ。三人目の女性、インド人の幼馴染、モウシュミとの破局は苦い。モウシュミにもモウシュミの、葛藤があったようなのだけれど…。そうして、最後に知る母の強さ。インドに心を残しているように見えて、母アシマはしっかりとアメリカに根を張っていたのだ。

思いを口にし、体に示して伝えて行くアメリカの人々と、奥床しい移民一世である両親たち世代の違い。ゴーゴリたちの恋愛と両親たちとの違い。ゴーゴリの妹ソニアとアメリカ人ベンの結婚は希望だなぁ。

いまの人は長年かかってなじむというより、まず先に恋愛をしておいて、決めるまでに何ヵ月も何年も考える。昔とは違う。アショケとの結婚を承諾したときは、午後からの半日しか時間がなかった。言うなれば「誰々へ」の名札のようなものだったと思う。いつのまにか捨ててしまったけれど、自分らの生活は、あの札のようなものだった。あの人が私を嫁にすると決めたから思いがけず私にやって来たアメリカ暮らし。なじめるまでには長い時間がかかった。このペンバートン・ロードの家にいて、いまだにわが家と言い切るにはいたらないような気もするが、ここを住処としたことに間違いはない。この手で仕上げた世界がここにある。(p333より引用)

ラストに程近い、母アシマの回想より引用しました。揺るぎない重みのある言葉だと思います。

しかししかし、このインド系コミュニティー。留学し、アメリカで職を持つことが出来た人々ばかりであるからして、恐ろしいほどにインテリばかり。移民であるという他にも、インテリばかりというところにも、ちょっと特殊性があるような気がします。なんとなく、みんな美形ぞろいっぽいしね。
「停電の夜に」よりも、私はこちらの方が好み。「停電の夜に」にあった苦味が分散されてたからかな。読み終わった後、何となく深呼吸してしまいました。ふかぶか~。ああ、いい本を読んだなぁ。

「ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件」/独房の探偵

 2008-03-23-18:28
ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件
(2000/09)
ホルヘ・ルイス ボルヘス、アドルフォ ビオイ=カサーレス 他

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ラテンアメリカ怪談集」を読んで、ラテンアメリカ文学にも心惹かれておりました。

で、ラテンアメリカと言えば、ホルヘ・ルイス・ボルヘス(なんか、名前も回文みたいでいいよね)?と思って、くだんの「ラテンアメリカ怪談集」の中の「円環の廃墟」が良く分らなかったくせに、ボルヘスにいってみました。

とはいえ、これはアドルフォ・ビオイ=カサーレスという、これまたアルゼンチンの作家との共作であり、更に探偵小説なんですね。なので、普通に「ボルヘス!」というにはちょっと語弊があるだろうし、私の腰の引け具合もちょっと分かるかも…。ちなみに、刊行当初、二人の合作者としてのペンネーム、<H・ブストス=ドメック>名で発表されたそうです。

目次
H・ブストス=ドメック
序言

世界を支える十二宮
  Las doce figuras del mundo
ゴリアドキンの夜
  Las noches de Goliadkin
雄牛の王
  El dios de los toros
サンジャコモの計画
  Las previsiones de Sangiácomo
タデオ・リマルドの犠牲
   La Víctima de Tadeo Limardo
タイ・アンの長期にわたる探索
  La prolongada busca de Tai An

訳者解説

探偵役は、身に覚えのない殺人の罪で、二十一年の懲役刑を受け、獄中生活を続けている、元理髪店店主のイシドロ・パロディ。マテ茶をたて、静かに独房の中で暮らしている彼の元には、最初の事件、「世界を支える十二宮」の時にやって来た、おっちょこちょいの新聞記者、アキレス・モリナリを皮切りに、厄介な事件を抱えた人々が引きもきらない。

依頼人たちは、いずれも大仰な物言いが特徴と言えるでしょう。時には話題は詩や文学まで広がっていく。たいていは、殺人事件について助けを求めに来ているはずなのに! 自分のことを重要人物であると信じ切っている人々の演説(だって、ほとんどご立派な演説なのだ)を、じっと見、聞いているのが、イシドロ・パロディ。そうして、彼は依頼人たちの膨大な言葉の中から、独房に坐したままで、手品のように真実をより出して見せるのだ。

依頼人の出番は一回こっきりというわけではなく、新聞記者モリナリの口コミが次の依頼人を呼び寄せたり、「ゴリアドキンの夜」で登場し、”気取ったところはあるが、そそっかしくて人のいい愛すべき舞台俳優”と紹介されるヘルバシオ・モンテネグロに至っては、”皇女と結婚し、趣味としての犯罪捜査に明け暮れ”たり、”アメリカ大陸友好団体の地方局長”を経て”私立探偵”になってしまっています。どいつもこいつも、イシドロ・パロディの推理を自分の手柄にしてしまうのはなぜなんだ! 冤罪なんだから、刑務所から出してあげてよ~。

多くの訳注があるにも関わらず、詩や文学、作家については、面白さを与えようという効果が、私には消化し切れなかったなー。アルゼンチンの多様さ、混沌については、なんとなーく雰囲気が理解出来たようにも思うけど。

「世界を支える十二宮」に出てきた、イスラム教、ドゥルーズ派について、Wikipediaにリンク

ラテンアメリカ文学と言えば、こちらも読みたい!
七悪魔の旅七悪魔の旅
(2005/07/26)
ムヒカ・ライネス

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「ラテンアメリカ怪談集」/心愉しき…

 2008-02-23-22:59
鼓 直
ラテンアメリカ怪談集 (河出文庫)

J・G・ポサーダなる人物による「自転車に乗るカラベラ」というカバー絵も楽しい、河出書房新書の文庫です。でも、残念ながら絶版のよう(復刊ドットコムにリンク )。「カラベラ」とはガイコツのことらしく、陽気なガイコツたちが自転車に乗っています。

ラテンアメリカの物語というと、土埃と太陽の匂いがするような、あつーい世界を想像してしまうのだけれど、勿論、そういう話もあり、またそうではないお話もあり…。でも、それぞれに魅力があって、楽しい短編集でした。結構、ボリュームがあって、なんだかんだで一週間くらいこれをずっと読んでたのだけど。

目次
火の雨            ルゴネス(アルゼンチン) 田尻陽一訳
彼方で            キローガ(ウルグアイ) 田尻陽一訳
円環の廃墟          ボルヘス(アルゼンチン) 鼓 直訳
リダ・サルの鏡        アストゥリアス(グアテマラ) 鈴木恵子訳
ポルフィリア・ベルナルの日記 オカンポ(アルゼンチン) 鈴木恵子訳
吸血鬼            ムヒカ=ライネス(アルゼンチン) 木村榮一訳
魔法の書           アンデルソン=インベル(アルゼンチン) 鼓 直訳
断頭遊戯           レサマ・リマ(キューバ) 井上義一訳
奪われた屋敷         コルタサル(アルゼンチン) 鼓 直訳
波と暮らして         パス(メキシコ) 井上義一訳
大空の陰謀          ビオイ=カサレス(アルゼンチン) 安藤哲行訳
ミスター・テイラー      モンテローソ(グアテマラ) 井上義一訳
騎兵大佐           ムレーナ(アルゼンチン) 鼓 直訳
トラクトカツィネ       フエンテス(メキシコ) 安藤哲行訳
ジャカランダ         リベイロ(ペルー) 井上義一訳


編者あとがき
出展一覧
原著者・原題・製作発表年一覧
訳者紹介


「火の雨」  
 人嫌いで屋敷に引き篭もり、読書と食事にその独身生活の全てをかける「私」。一人で食事をするその間、奴隷が私のそばであちこちの地誌を読んでくれるのだ。そんな満ち足りたある日、私は空から火の細い線が走るのを見る。それは白熱した銅の粒だった…。
 これは、私が考えていた「ラテンアメリカ」っぽいお話でした。実際に降ったら恐ろしいけど、細い線のような火の雨、美しいよなぁ。

「彼方で」
 家族に付き合いを禁じられ、絶望した恋人たちは心中を選んだ。恋人たちは実体はなくとも、その後も互いに愛を囁き、逢瀬を重ねていたのだが…。 
 愛と死と幸福と。これはどちらかというと幻想文学?
          
「円環の廃墟」  
 一人の人間を完璧に夢見て、現実へと送りだすことを望んだ男。彼は密林の中の円形の場所に辿り着き、神殿の廃墟であるその台座で夢を見るのだが…。
 こちらの方がもっと複雑だけれど、スティーブン・ミルハウザーの「バーナム博物館 」の中に収められていた「ロバート・ヘレンディーンの発明」を思い出しました。
        
「リダ・サルの鏡」  
 守護聖母さまのお祭りでは、昔からの習慣として、女子衆が供回りの装束をととのえることになっている。もう一つの習慣として言い伝えがあったのは、好きな男衆と結ばれるための御呪い。想いを遂げたい女は、意中の男衆が着る供回りの装束を着て、幾晩も眠るのだ。彼女の御呪いが衣裳にすっかり浸み込むように…。もう一つ必要だったのは、その女衆の姿を映す大きな姿見…。
 幻想的かつ土の匂いがする感じで好き。
     
「ポルフィリア・ベルナルの日記」 
 ある家庭教師の物語。イギリス人女性である彼女は、教え子であるアルゼンチンの少女、ポルフィリアの日記を読まされるうちに…。
 耽美かつホラー?

「吸血鬼」
   
 国王カール九世の従兄弟にあたる、ザッポ十五世フォン・オルブス老男爵に残されていたのは、ヴュルツブルグの城と、悪魔の毛房の通路と呼ばれる老朽化した屋敷のみだった。困窮していた男爵は、イギリスのホラー専門の映画会社に目をつけられる。脚本家として恐怖小説を書いているミス・ゴティヴァ・ブランディが選ばれ、その外見から、男爵自身が主役の吸血鬼を演じることになったのだが…。
 このお話、好きでした。そこはかとないおかしみが良し。
        
「魔法の書」 
 ブエノスアイレス大学哲文学部の古代史の教師、ラビノビッチは、ある日、古本屋で不思議な本と出会う。びっしりと文字が埋まったその本には、単語の切れ目も大文字も句読点もなかったのだが…。
 これは、「彷徨えるユダヤ人」を元にした物語なのかな(Wikipediaにリンク )。やっぱり、「本」がテーマになってると、より魅力的に感じてしまうなぁ。こんな本に出会ったら…。まさに寝食を忘れるこの読書、恐ろしいけど幸せ?
         
「断頭遊戯」
 幻術師と皇帝、その后、国王の座を狙う<帝王>の物語。
 面白かったんだけど、何だか中国を舞台にした映画を見ているようでした。  
         
「奪われた屋敷」        
 広く、古い屋敷に暮らす兄妹。ともに独身である兄妹は、互いを思いやり、ひっそりと静かに暮らしていたのだが…。いつしか屋敷の一部に入り込んだ「連中」は、彼らの生活を脅かす。
 深読みしようとすれば、色々と読みとれそうな感じなんだけど、私にはちょっと良く分らず。政治的な話にも読めるし、近親相姦的な香りもする。

「波と暮らして」 
 海を去ろうとした、「ぼく」の腕の中に飛び込んできたひとつの波。「ぼく」はその波と暮らすようになるのだが…。
 幻想的で不思議なお話。明るく包容力があり、しかし時に荒れ狂い、呪詛の言葉をまき散らす彼女は、まさに海そのもの。ラストの残酷なまでの場面には、若さや老い、男女の別れも考えちゃいます。
        
「大空の陰謀」
 テスト飛行中に墜落したイレネオ・モリス大尉が意識を取り戻した時、そこは彼が居たのとは微妙に違った世界だった。また、彼は一度ならずも二度までも、そういった体験をするのだが…。
 所謂、パラレル・ワールドものとでもいいましょうか。歴史上のifは意味がないとはいうけれど、そうやって違った世界が存在しているところが、面白かったなぁ。歴史が変われば、通りの名前すらも変わってしまうのだよね。
         
「ミスター・テイラー」     
 ミスター・テイラーが始めた新商売とは? その商売は瞬く間に彼の故国で人気を博す。
 ブラックなお話だけれど、ラストはやはり当然そうなるよね、という方向へ。舞台は南米のアマゾン地方なんだけど、どちらかというと倉橋由美子さんの本などにありそうな感じ…(だいぶ違うけど、「ポポイ 」とか「アマノン国往還記」のせいかしらん)。

「騎兵大佐」   
 通夜を営んでいる最中の屋敷に現れた死神の話。その場にいる間、彼はある魅力を発揮するのであるが…。
 うーん、その「臭い」、嗅ぎたくないなぁ。
        
「トラクトカツィネ」       
 請われて古い屋敷に移り住んだ「わたし」。書斎の窓から見える庭の景色は、ここメキシコとはかけ離れているように見えるのだが…。
 ”トラクトカツィネ”って何だー!!! ネットを見ても、やはり分らない人が叫んでいるのしか見つけられない。笑 というわけで、何と言うか、オチがない感じ?

「ジャカランダ」 
 
 妊娠中の妻を亡くしたロレンソは、職を辞してこの地を去ろうとしていたのだが…。彼の後任として現れたミス・エヴァンズの正体とは?
 うーん、どれが現実でどこからかがそうでないのか、ちょっと分かり辛かったな。
どこからか、それこそパラレルワールドに迷い込んでる気がするんだけど…。

「本泥棒」/世界は美しくも醜いシチュー

 2007-12-23-23:45
本泥棒本泥棒
(2007/07)
マークース・ズーサック

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語り手は死神。
表紙が全てを物語っているけれども、これは少女と死神(実際、大鎌は持ってないらしいけれど、人間はこのような姿を想像する)と本の物語。

「すてきとは無縁」であるそうだけれど、誠実に任務にあたるこの死神が見るのは、まず色、そして人間なのだという。一度に数万単位の魂を運ぶこともあるこの死神。魂が一人であっても数万の単位であっても、彼は彼なりに心を痛め、そのため、時にその痛みから気をそらすことが必要になる。生き残った人間たちの心の痛みに共感してしまう、心やさしき死神…。これは彼が語る、「生き残った者」、サバイバーである、ある少女の話。死神が長い間、ポケットに忍ばせていた一つのお話…。

その少女とは、ミュンヘンの郊外にある町、モルキングのヒンメル通り(訳:天国通り。皮肉なことに、そこは天国とは程遠い、貧しい人々が住む通り)に住む、フーバーマン夫妻の元に里子としてやって来た、リーゼル・メミンガーのこと。厳しい里親の母さん、ローザ・フーバーマンに、優しい里親の父さん、ハンス・フーバーマン。親友の近所に住む少年、ルディ・シュタイナー。リーゼルは時に亡くなった弟の悪夢に魘されつつも、周囲の人に見守られて成長していくのだけれど…。

その人の真価が分かるのは、彼等に危機が訪れたとき。リーゼルは厳しく口の悪い母さんの優しさを知り、父さんの強い優しさを知る。それは1940年の11月のこと。ユダヤ人の青年、マックス・ヴァンデンブルグが、庇護を求めて彼らの元にやって来る。ナチス政権下のこの時代、この場所でユダヤ人を匿うというのは、実に大変なこと。彼らはそれをほぼ完璧にやり遂げるのだけれど、父さんの一つの失敗からマックスはこの家の地下室を去り、父さんは戦場へ送られる…。

部のタイトルは、それぞれちょっと奇妙なものだけれど、これはリーゼルに影響を与えた本のタイトルからとられている。このうち、「見下ろす人」と「言葉を揺する人」は、作中作、ユダヤ人、マックスがリーゼルのために創った物語。これもまた、アートワークを含め、非常に良いのです。

「言葉を揺する人」=ワード・シェイカー。最高のワード・シェイカーは、言葉の真の力が分かる人。リーゼルは普通一般の読書好きとは違うと思うけれど(彼女が最初の本「墓掘り人の手引書」を読んだ時、彼女は字を読むことすら出来なかった!)、言葉を一つ一つ噛み締めるようなその読書には、こちらも考えさせられてしまう。里親のローザがリーゼルに言う「ろくでなし」、リーゼルがルディに言う「ろくでなし」という言葉の響きの実に甘いこと!

物語中で、散々、死神から警告されるのだけれど、物語は当然のように悲劇的な終末を迎える。そこにほんの少しの希望はあるのだけれど…。

 わたしは言葉を憎み、言葉を愛してきた。

多くの人にリーゼルの、マックスの、そして著者ズーサックの言葉が届けばいいな、と思う。

著者ズーサックは1975年生まれ。彼はドイツとオーストリアから移民してきた両親の間に、オーストラリアで生まれたのだという。「訳者あとがき」によると、ズーサックには、子供時代に両親から何度も聞かされた第二次世界大戦の話の中で、どうしても忘れられない二つのことがあったそう。一つはミュンヘンが空襲にあったときの異常なまでの空の赤さ、もう一つは弱った体で行進させられているユダヤ人にパンを差し入れたドイツ人の少年が、兵士にひどく鞭打たれたこと。どちらも、この物語の重要な場面となった。誠実に想像力を働かせた結果がこの本なのだと思う。

沢山のエピソードがあるのだけれど、私が好きなのは町長夫人とのエピソード。最後の和解の部分がいい。

目次
プロローグ 瓦礫の山
第1部 墓掘り人の手引書
第2部 肩をすくめる
第3部 わが闘争
第4部 見下ろす人
第5部 口笛吹き
第6部 夢を運ぶ人
第7部 完璧なドゥーデン辞書・シソーラス
第8部 言葉を揺する人
第9部 人類最後のよそ者
第10部 本泥棒
エピローグ 最後の色
 謝辞
 訳者あとがき


☆ナチス関係の本の過去記事☆
いずれもフィクションだけれど、力強い。
密やかな結晶 」/消えていってしまう・・・
マグヌス 」/記憶、断片、人生

「観光」/観光地、タイ。その空の下の人生の断片

 2007-10-08-21:52
観光(ハヤカワepiブック・プラネット) (ハヤカワepi ブック・プラネット)観光(ハヤカワepiブック・プラネット) (ハヤカワepi ブック・プラネット)
(2007/02/21)
ラッタウット・ラープチャルーンサップ

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舌噛みそうな名前ですが、著者ラッタウット・ラープチャルーンサップは、1979年、シカゴに生まれ、タイのバンコックで育ったのだそう。タイの有名教育大学およびコーネル大学で学位を取得後、ミシガン大学大学院のクリエイティブ・ライティング・コースで創作を学び、英語での執筆活動を始めたのだとか(以上、表紙扉より)。


目次
ガイジン
 Farangs
カフェ・ラブリーで
 At the Cafe Lovely
徴兵の日
 Draft Day
観光
 Sightseeing
プリシラ
 Priscilla the Cambodian
こんなところで死にたくない
 Don't Let Me Die in This Place
闘鶏師
 Cockfighter
 訳者あとがき


タイの人々の暮らしを切り取った短編集。
ガイジン」、「カフェ・ラブリーで」、辺りはそんなに凄いと思わずに読んでいたのだけれど(でも、巧いですよー)、「こんなところで死にたくない」、「闘鶏師」など後半は、本当に底辺を描くというか、その辛さに凄味がありました。胃が重くなるような、その辛さに付き合った価値はある物語なのだけれど。
たぶん、「ガイコク
人」が観光として訪れるタイ。観光客が一時的に通り過ぎていく、美しくまた明るいその空の下には、きっとこんな暮らしがある。それらの対比がまた、これらの物語をより鮮やかに見せている。

「ガイジン」
 アメリカ軍人との落とし児である「ぼく」。可愛いタイ娘たちには目もくれず、「ぼく」が夢中になるのはいつだってガイジン娘。でも、ある種の娘たちにとって、「ぼく」は単なる旅先の後腐れれのないオトコなわけで。パメラ、アンジェラ、ステファニー、ジョイ、そして今度はリジー…。
 人種で暦を分ける導入部が秀逸。豚のクリント・イーストウッドも可愛い。


「カフェ・ラブリーで」

 貧しい兄弟の幼き日の話。幼すぎて、人生の悲しみを理解できなかった「ぼく」。父が亡くなって亡霊のようになった母を理解できず、また兄のやり場のない怒りも理解できず、ただ「ぼく」が求めていたのは兄の愛だけだった。

「徴兵の日」

 年に一度の徴兵抽選会の日を迎えた、「ぼく」と幼馴染のウィチュ。無二の親友であるけれども、二人の間には格差があった。裕福な「ぼく」の家庭に、貧しく、父もなく、兄のカームロンもまた徴兵に取られ、損なわれたウィチュの家庭。裕福な家庭の者たちは、軍の上層部に賄賂を贈って外れ籤を引く。そのことをウィチュや、ウィチュの母に、打ち明けられなかった「ぼく」…。
 気持のよい四月に、境内の中で行われる徴兵抽選会。仮設テントが作られ、ロープの向こうには少年たちの親類が集う。厚化粧の女装愛好家(クラトウーイ)、キティのブラウスの赤が鮮やか。

「観光」

 母と過ごす最後の夏。働きづめだった母は、息子と共にする「観光旅行」を提案する。南行きの列車に乗り、更に船で目的地へと向かう。旅の途中の美しい風景。しかし、母にはこの景色が見られなくなるかもしれないのだ。

「プリシラ」

 貧しいものは、更に貧しいものを標的にすることがある。「ぼく」とドンは、カンボジアからやって来た大した少女、プリシラと仲良くなるのだが…。

「こんなところで死にたくない」

 「私」の息子は、タイ人の女性と結婚をした。「私」は孫たちの名前すら、正確に発音することは出来ない。体を悪くして、息子たち家族が暮らすバンコックへと引き取られた「私」。この暑く、蚊ばかりがいる街、何もかもが「私」の気に入らないことばかりなのだが…。

「闘鶏師」

 町の有力者の息子であり、誰もが関わるのを嫌がる、リトル・ジュイ。有力な闘鶏師であった「わたし」のパパは、彼を怒らせてしまう。蛇のようなリトル・ジュイの復讐が始まり、パパの過去の栄光は地に落ち、彼は全てを失っていく。それを見守るしかない「わたし」とママ…。
「わたし」にもリトル・ジュイとの因縁があり、パパにはリトル・ジュイの父親、ビッグ・ジュイとの因縁があった。けれども、世の中は常にいい人、正義が勝つわけではない。戦ったところで、負けてしまうことだってある。パパは完膚なきまでに叩きのめされるのだが…。

表紙もまた印象深い本なのだけれど、中身もまたこの表紙のように、色鮮やかで美しい物語。そして、また「千年の祈り」のように、どれが一番好きか、と即答できない、どれもまた味わい深く印象深い短編なのです。これもまた、短編なのだけれど、青い空の下、世界がどんどん広がって行く感じがする。明るいばかりではなく、むしろ哀しい出来事が語られているのだけれど、その世界にはどこか懐かしい匂いが漂っている。

訳者あとがきによると、著者は現在、奨学金を得てイギリスのイースト・アングリア大学のアメリカ研究科で学びながら、長編を執筆中とのこと。こちらも是非読みたい!

■その他、世界各地の短編集■
・インド→ジュンパ ラヒリ, Jhumpa Lahiri, 小川 高義「停電の夜に
・中国→イーユン・リー, 篠森 ゆりこ「千年の祈り (Shinchosha CREST BOOKS)

最近、こういった系統のものを、いっぱい読んだ気がしていたのだけれど、改めて考えたら、この2作ぐらいなのね…。インド、中国、タイときて、さて、次はどこの国のものを読むことが出来るかなぁ。

「リビアの小さな赤い実」/リビアの少年、少女

 2007-09-19-22:52
ヒシャーム・マタール, 金原 瑞人, 野沢 佳織
リビアの小さな赤い実

著者、ヒシャーム・マタール自身の父も、反政府主義者として糾弾を受け、リビアを脱出したものの、その後、リビアの秘密警察により誘拐され、1995年以降、生死を含め、その消息は分かっていないのだという。

というわけで、これは限りなくノンフィクションに近い、フィクションなのかな。主人公のスライマーンは、今、少年の日のあの夏のことを思い出している。それは、1979年、生まれ育った街から遠くへやられるまえの、最後の夏だった…。

パパが「仕事」で遠くに行っている時、必ず「病気」になってしまうママ。「薬」を必要とするママ。「病気」の時は、少年スライマーンには分らない話を次から次へとするママ…。

きっと、そこに愛はあるのだけれど、(そして大人になって思い出すとき、そこにはいろいろな理由があるのだけれど)少年スライマーンの周囲は何だか不安定。『千一夜物語』のシェヘラザードを勇敢な女性とみるスライマーンに、「病気」の時のママはシェヘラザードは臆病な奴隷にすぎないと言い募る。ママの言う通り、生きることは誰かの許可を得てではなく、その者自身に、最初から与えられた権利であるはずなのであるが…。

そして、彼らの家庭や周囲に影を落とす、「革命評議会」の男たち。隣のラシードさんが彼らに捕まり、スライマーンの父の身にもやはり危険が及ぶ。ママやムーサは父の書物を全て焼き、部屋には大きな「革命指導者」の写真を掛けるのだが…。

少年、スライマーンにとって、クワの実こそが神様がお創りになった最高の果実。アダムとイヴが楽園を追放されたとき、きっと若い元気な天使たちが申し合わせて、この世の土にその木を植え替えたのだ。美しい小さな赤い実。

この物語が恐ろしいのは、美しい風景を描き、少年の心に丹念に沿う、その同じ丁寧な筆致で、裏切りやスライマーンの心に潜む醜い部分を容赦無く描き出すところ。大人に思うように顧みられないスライマーンは、幼い思いからとはいえ、時に致命的な誤りを犯す。また、父に対する人々の批難や、母の擁護も実に痛々しい。リビアがとる人民主義の現実が父を苦しめ、イスラーム圏であるリビアの慣習が母を苦しめた。そして、子供は親とは無縁ではありえない。

そうして、あの夏を回想するスライマーンの心に残る空洞。結果として祖国を捨てることになったスライマーンの心には、母国リビアが消えた分だけの空洞が残る。

ぼくたちはなんとたやすく、軽々しく、架空の自分を手に入れてしまうことだろう。そうすることで世間を欺き、もし余計なことをせずにいたらなっていたはずの、ほんとうの自分を欺いているのだ。

終章、二十四歳になったスライマーンは、エジプトの都市アレクサンドリアで、陸路でやってきた(リビアでは国際線の運航が禁じられている)母に再会する。年を取った女性を探すスライマーンの目に飛び込んできたのは、白髪ひとつなく、まるでこの街に初めてやって来た少女のような母親の姿(彼女がスライマーンを生んだのは、十五歳の時。彼女がスライマーンをカイロに送り出したのは、二十四歳の時)。

これは少年、スライマーンの物語であるのだけれど、窮屈な世に生きたほんのちょっとだけ自己主張が強かった少女、ナジュワの物語でもある。終章、二人が再会を果たすところ、途中まではすっごい苦しい読書だったのだけれど、ぱーっと光が差すような気分になった。スライマーンの心の空洞、埋めていけるといいな。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

■メモ■
・リビア(Wikipediaにリンク
←2004年に国名が変わっていたのですね。
 「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」の外務省のページにリンク
・トリポリ(Wikipediaにリンク
・イスラーム文化圏では、結婚して長男が生まれると、その名がマスードの場合、妻は「マスードの母」という意味でウンム・マスード、夫は「マスードの父」という意味でブー・マスードと呼ばれるようになる。

「空飛ぶかえるの旅行家」/ロシアの創作昔話

 2007-07-24-23:22

F.M.ガルシン, フィリップ・キイー, 河葉田 たか子
空飛ぶかえるの旅行家―ロシア作家の創作昔話
銀の雫


もくじ

空飛ぶかえるの旅行家
F.M.ガルシン

灰色の首のカモ
D.N.マーミン-シビリャーク

作男エメリャーンと空っぽのたいこ
L.N.トルストイ

公正な裁判官
L.N.トルストイ

命のしずく
I.S.トゥルゲーネフ

訳者あとがき


ロシアと言えば、昔話、小話の宝庫。「空飛ぶかえるの旅行家」というタイトルに惹かれて借りてきました。トルストイやトゥルゲーネフなど、どちらかといえば、「ロシア文学!」な人たちまで、こんな童話を書いているとは~、とびっくり。

一番気に入ったのは、表題作の「空飛ぶかえるの旅行家」。沼に棲む一匹の蛙が、カモたちが行くという南へ興味を持った。「クワーッ、すてき!」。二羽のカモのくちばしに細い枝をくわえさせ、カエルはその枝の真ん中を口でくわえてつかまり、空を飛ぶ。カモを使った新しい不思議な旅の方法! 有頂天になったカエルはある失敗をおかすのだけれど…。カエルの口調など、何だか楽しい物語。

挟まっていた「日本エディタースクール出版部の既刊書のご案内」を見て気になったのは、「ロシア民話 魔法の物語」。もう一冊、「ロシア民話 動物たちの冬ごもり」も気になるけれど、この間、ニコライ・スラトコフ「北から南へ」も挫折しちゃったしなぁ…。

「柘榴のスープ」/生の営み、料理というもの、魔法のスープ

 2007-07-10-22:54
マーシャ メヘラーン, Marsha Mehran, 渡辺 佐智江
柘榴のスープ
アイルランドのクリュー湾近く、小さな村バリナクロウに、異国情緒溢れるカフェ、<バビロン・カフェ>がオープンした。そこで働くのは、マルジャーンにバハールにレイラーのアミーンプール三姉妹。彼女たちはこの寒村に、芳香に溢れた料理でもって、命を吹き込む。その料理はまるで魔法のよう。カフェの中では、金色に煌くサモワールがしゅんしゅんとお湯を補給し、香りに満ちた様々な料理が並ぶ。緑の指のように美しく整えられたドルメ、マリネのようなトルシー、紙のように薄いパン、ラヴァーシュ、ラム肉とじゃがいものシチュー、アーブグーシュト、ドーナツのようなゾウの耳などなど。それは、繊細にしてみっちりとしたペルシアの料理。

マルジャーンの料理のレシピが、一章毎に明かされるのとともに、段々と明らかになるのは、彼女たち三姉妹が、ここ、アイルランドの小さな村まで逃れてきた事情。黒いチャードルで隠された女性たちが増え、マルジャーンとバハールの人生の場面にも、イラン-イスラーム革命から波及した大きな傷が刻まれる。そして、それはまだ幼かったレイラーにも記憶されていた…。

彼女たちが町の人々に料理を振舞い、心を開くのと同じくして、町の人々が抱えていた問題も、少しずつ解決されていく。悪者は悪者として描かれるし、レイラーから漂うローズウォーターやシナモンの香りなど、何だかおとぎ話のようでもあるのだけれど、この明るさやユーモアが、チャードルで隠されたイランの、ペルシアの本来のものなのかもしれない。フィクションではあるのだけれど、「物語る」物語。美しい姉妹に料理を供されながら、お話を聞いているような気分になる。

マルジャーンの魅力溢れる料理のさまはこんな感じ。

 マルジャーンは真ん中をつまんだゾウの耳を二つ、オイルを熱した深い鍋に一分間沈めてから、溝穴のあるスプーンでペーパータオルに移した。余分なオイルの雫がペーストリーからぜいたくに滴り落ち、のどが乾いているペーパータオルにたちまち飲み込まれた。

まさに、煌きと官能の料理。

料理だけではなく、出てくる人物たちも、それぞれに魅力的だし、ペルシアの官能すら感じさせる料理と、アイルランドの自然の対比もまた見事。これは、良い本を読みました。マーシャ・メヘラーン、これ一作しか出ていないのが、残念だなぁ。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。



★アイルランド、メイヨー州について★
アイルランド留学クラブ 」さんが詳しかったです。
下記、URLには、クロッグ・パトリックや、クリュー湾からの眺めが載せられています。
http://www.ryugakuclub.com/ireland/travelireland/mayo.htm

★チャードル(Wikipediaにリンク

★イラン革命(Wikipediaにリンク

「停電の夜に」/世界とわたし

 2007-05-10-00:03

ジュンパ ラヒリ, Jhumpa Lahiri, 小川 高義

停電の夜に

目次
停電の夜に
ピルザダさんが食事に来たころ
病気の通訳
本物の門番
セクシー
セン夫人の家
神の恵みの家
ビビ・ハルダーの治療
三度目で最後の大陸
 訳者あとがき


各所で高評価をお見掛けするこの短編集。そんなに良いなら、と借りてきたのだけれど、これは皆さまが書かれていた通りの、良い物語でありました。
でも、この「書かれていた通り」というのがちょっぴり曲者で、あんまり予備知識無しに読み始めた方が、この世界にどっぷり入れたのかもなぁ、とも思いました。予備知識があったので、「あ、こういう世界なんだよね」と思いながら読んでしまったのが、ちょっと勿体無かった感じ。

カルカッタ出身のベンガル人を両親に持ち、幼い頃に渡米したジュンパ・ラヒリ(そして、これまた各所に書かれていた通り、実にお美しい!)が描くのは、私にはあまり馴染みのない、アメリカにおけるインド系の移民や、インドを舞台としていても、普通の人たちからは少し外れた人たちが生きる世界。
移民である人々は、遠く故郷を離れた町で暮らし、故郷を思う。少し外れた人たちは、「普通」を思う。ここではないどこか、現在ではないいつかに、心を残し、または緩やかに心を奪われている人たちが、織り成す物語。

国と人との関係においても、この物語の中の登場人物たちは、ぽつんと一人立っている感じがするのだけれど、それは人と人との関係においても同じ。夫婦の関係においても、一人一人は他人なんだなぁ、という感じがする。「停電の夜に」における夫婦も然り。暗闇の中だから言えること、暗闇の中ではなく、明るいところで告げたかった事・・・。好みとしては、「三度目で最後の大陸」の夫婦だけれど。「三度目で最後の大陸」で、主人公である男性が語る夫婦の歴史にはじーんとくる。

わたしたちが孤児だったころのあとがきに引用されたカズオ・イシグロの言葉のように、「突然、世間の荒波の中に放り出されたわたしたちも、言ってみればみな孤児のような時期を経験している」わけで、移民という存在を通して、そういう世界が描かれているように思いました。


 ←文庫。でも、クレスト・ブックスの美しさで、単行本の装丁の方に軍配をあげたい。

「ペンギンの憂鬱」/孤独と孤独が寄り添って・・・

 2007-04-11-23:18

 

アンドレイ・クルコフ, 沼野 恭子

ペンギンの憂鬱 

売れない小説家のヴィクトル。短編はどうにか書く事が出来るけれども、中編や長編はとてもとても。ある日、短編を持ち込んだ『首都報知』新聞社で、ヴィクトルは奇妙な仕事を請け負う事になる。それは、新聞の死亡欄、<十字架>に載せる原稿を用意するということ。ヴィクトルがその原稿を書く際には、まだその人物は死んでおらず、ヴィクトルは新聞社のフョードルが集め、編集長イーゴリが赤線を引いた(その部分を必ず入れること!)人物の書類を使って、追悼文書きに勤しむ。

ソ連崩壊後のウクライナの首都、キエフに住むヴィクトルの生活は、このようにして安定していた。ヴィクトルの生活で少々変わったことがあるとすれば、それは彼がペンギンのミーシャと共に暮らしていたということ。動物達に十分な餌を与えられなくなった動物園から、譲り受けた皇帝ペンギンのミーシャ。憂鬱症のミーシャは、夜のアパートの廊下をぺたぺたと歩く。

大物政治家、財界人、軍人を題材とした<十字架>の記事は、順調に溜まっていく。自分の「仕事」がなかなか表に出ないことに、若干の苛立ちと不満を覚えるヴィクトル。ところが、彼が記事を書いた大物達が次々と死んでゆき・・・。

ヴィクトルとペンギン、ミーシャの暮らしに現れるのは、おそらくはギャングである<ペンギンじゃないミーシャ>、そのミーシャに託されたまだ幼い少女ソーニャ(表紙の彼女)、ペンギン、ミーシャの世話を頼んだことで仲良くなった、近所の警官、セルゲイ、セルゲイの姪でソーニャのベビーシッターとなったニーナ、<ペンギンじゃないミーシャ>のライバル、チェカーリン、墓地で出会ったリョーシャ。動物園を退職した「ペンギン学者」のピドパールィ。

どれもこれも、ヴィクトルが積極的に勝ち取った関係性というわけではなく、それは何とも淡い繋がり。彼らの背景の多くを知ることもなく、たとえ闇の部分が見え隠れしようとも、ヴィクトルは色々なことに目をつぶったまま、彼らと親交を結ぶ。それは後に、毎日を共に過ごすことになる、ソーニャやニーナについてもそう。まるで擬似家族のようなこの関係も、また淡いもの・・・。それは『これまでより悪くならないよう祈って飲もう。もう一番いいことはあったんだから』という言葉が現す、この国の情況によるものなのか? こんな社会情勢では、人は互いに深くを知る事のないまま、ほぼ惰性で何となく親交を結ぶ事になるのか。

<十字架>を書いた大物が次々に死んでいき、ヴィクトルの周辺もまたきな臭くなっていく。ヴィクトルは自分が何か良くない事に加担している事に薄々気付きながらも、それについては固く目をつぶったまま。ヴィクトルに関係する死、関係しない死、様々な別れがあっても、それなりに安定しているこの暮らし。このままでどこがいけないのだ?

ヴィクトルが加担している「仕事」、背景で起こっている争いについては、ほのめかされる程度。でも、ソビエト連邦が崩壊し、マフィアが暗躍する、新生国家ウクライナの情況とは無縁ではないのだろう。自分がその大きな動きの中で、どんな役割を果たしているのか分からないまま、その出来事に巻き込まれていく。日本の小説でいえば、三崎亜紀さんの
『となり町戦争』 を思い出すのだけれど、となり町戦争』よりも、この『ペンギンの憂鬱』の方が読後のもやもや感は少なかったなぁ。あちらでは、結局戦争は続いていきますしね・・・(こちらも、その後、好転するかどうかは、全く分からないけれど)。

大きな良くない流れの中で、羽を休めて寄り添うように暮らす、ヴィクトルとペンギンのミーシャ、ソーニャとニーナが何だか切ない。孤独と孤独が寄り添っても、また男女の関係になろうとも、それはぬくもりにはなっても、愛情にまで燃え上がることはない。ヴィクトルはそこに愛情がないことを確りと自覚しているけれど、幸福な世界で出会ったのなら、彼らの関係性もまた異なったものになったのかなぁ。

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つな がる

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つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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