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「北緯14度」/絲山秋子、セネガルに旅する

 2009-01-12-22:57
北緯14度北緯14度
(2008/11/21)
絲山 秋子

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食エッセイ、「豚キムチにジンクスがあるのか」(感想)以来の絲山さんです。小説で言えば、「ダーティ・ワーク」(感想)以来。

で、この「北緯14度」は紀行文なので、「豚キムチ~」の方により近く、絲山さんの地が出ているのではないのかなー。紀行文とは言っても、どこかへ行った!、何をした、何を見たという、普通の紀行文ではありません。といっても、角田光代さんのように、自らを知らない地に置くことが目的(旅エッセイ「恋するように旅をして」(感想))なのでもなく、絲山さんは、その地、アフリカのセネガルに、ほとんど家族ともいえる人たちを作ってしまう。

もともとの旅の目的は、絲山さんが九歳の時にテレビで出会った、当時の絲山さんにとっての神さま、ドゥドゥ・ンジャエ・ローズの音楽を、セネガルの空の下で聞きたいという願いから来ていて、それも勿論実現するのだけれど、この旅の収穫はそれだけではないというか、むしろ違うところで結実したように思うのです。

挿入されるメール文(私信)も含め、絲山さんのアップダウンする感情が、ひしひしと伝わってくる。同じ人を好きだと思ったり、あーもー、それじゃ駄目なんだよ!、そこが嫌なんだよ、と思ったり。昔習っただけのフランス語では、子供のような気分になってしまう、というような言葉が文中にもあったんだけど、その感情もまた子供のような素直さ。

「豚キムチ~」でも少し思った、絲山さんの生き辛さのようなものが、セネガルの人たちの間ではそれがすっと溶けていったのかなぁ。ここまでストレートに感情を出すのって、余計な御世話だけど、建前を必要とされる日常生活の中では、ちょっと辛いと思うのよ。

セネガル以前とセネガル以後。絲山さんの中では、きっと何かが変わったんだろうなぁ。

気になって、絲山さんのweb連載(リンク)もチェックしてみました。「カレ」とは、本書で出てきたムッシュ・コンプロネ(本名ではなく日本人。ミスター・パーフェクト?)のことなんだよねえ? お幸せそうで何より。どうにも使えないムッシュ・イシザカ(これは仮名なのか何なのか。講談社の偉い人ってこと?)については良く分からず…。サイン会で、誰?どこ?と言われたそうだけれど、そりゃ気になるよなぁ。

絲山さんは、現在、家を建築中とのこと。これから飼われるという犬との暮らしを含め、その辺のエッセイも読んでみたいなぁ。絲山さんは、小説よりもエッセイの方が自分には読みやすい感じなんだよね。
もくじ
はじめに
Ⅰ ファティガン
Ⅱ テランガ
Ⅲ アプレ!アプレ!

*ファティガン:フランス語。「疲れる」「骨が折れる」「疲れた(様子など)」「うんざりさせる」「うるさい」など。
*テランガ:ウォルフ語で、「もてなし」の意味。
*アプレ:フランス語では「~の後で」という意味。セネガルでは「あとでね!またね」という、別れの挨拶として若者が使うことが多い。
ラック・ローズラック・ローズ
(1997/08/25)
ドゥドゥ・ンジャエ・ローズ・パーカッション・オーケストラ

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「恋するように旅をして」/世界は広いということを

 2008-12-14-23:02
恋するように旅をして (講談社文庫)恋するように旅をして (講談社文庫)
(2005/04)
角田 光代

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目次
「あんた、こんなとこで何してるの?」
夢のようなリゾート
トーマスさん
旅における言葉と恋愛の相互関係について
旅のシュールな出会い系
ナマグサ
超有名人と安宿
旅トモ
行動数値の定量
ツーリスト・インフォメーションの部屋にて
ベトナムのコーヒー屋
宴のあと、午前三時
ラオスの祭
ミャンマーの美しい雨
Where are we going?
ポケットに牡蠣の殻―アイルランド、コークにて
空という巨大な目玉―モロッコにて
幾人もの手が私をいくべき場所へと運ぶ
 あとがき
 文庫版あとがき
 解説 いしいしんじ
小説は読んではいるのだけれど、エッセイはまだ読んだことがなかった角田さん。旅エッセイにも定評があるようだし、「古本道場」(感想)の中にもちらりとそんな話が出てきたので、角田さんの旅エッセイをずっと読んでみたかったのです。というわけで、ようやく読めたよ角田さんのエッセイ本! 面白かったよー。

あちらこちらに、ふらふらと旅をしている角田さんなんだけど、勿論ある程度の英語などは出来るんだろうけれど、読んでいてもこれが決して旅の達人!、とかそういう感じじゃないんだよねえ。

きっとどこに行くとか何をするとか、そういうことが重要なわけではなく、日常とは違う場所に身を置いた時の、自分の感情の揺れ、揺らぎを試すために旅をしているのではないのかなぁ。自分でこれだけ方向音痴だと自覚していて(そして、それを補強するエピソードだって盛りだくさん)、なのにガイドブックも持たず、調べもせずに良く分からない街をずんずん歩いて行くその姿は頼もしくさえあるんですが。

こどもだ。この町にいる私たちはこども的なのだ。約束もなく、束縛もなく、夕方がきて家に帰ってしまうまでの、どこかでだれかに許されていた、あの短い瞬間みたいなのだ。だからこそ、見知らぬ国の見知らぬ町角で出会った私たちは、恋愛も友情も入りこむ余地がないほど、刹那的に楽しい。(「旅トモ」より引用)

大人になって、多少に困ることがあっても、何となくやり過ごすことを覚えている私たち。何も知らないこどもに戻って、その心細さを、次に何が来るのか予測出来ない、そんな瞬間を楽しむような旅。私にはそんな根性はないけれど、角田さんはそうやって感性を研ぎ澄ませているのかしら、と思いました。

ほとんどがアジア、ほんの少しがヨーロッパの旅。スリランカでは、ほとんど奇跡的ともいえる、自らが使用していた幼稚園バスとの出会いを果たす。この「Where are we going?」が良かったなぁ。

バスがどこへいくのか私は知らない。けれど私はかつてのように絶望しない。不安にすっぽりと覆われて小さく震えることをしない。なぜなら私はすでに知っているのだ。私たちはどこかへいき続けなければならないことを。暴力バスに揺られボートにしがみつき小型飛行機でうなだれながら。快適な乗りものも、そうでないものも、そのほとんどを自ら選べずに、けれどだれかに乗せられるのではなく自分の足で乗りこんで、どこかへ向かわなくてはいけないのだ。それがどこかわからないまま。いきたいところなんかどこにもなくても。(「Where are we going?」より引用)

以前に読んだ「対岸の彼女」(感想)を思い出しました。大人であることとこどもであること。角田さんはきっといいバランスの大人なんだろうなぁ。

「カッシーノ!」/浅田次郎、ヨーロッパの鉄火場をゆく

 2008-06-22-23:49
カッシーノ!カッシーノ!
(2003/06/20)
浅田 次郎

商品詳細を見る

目次
1 モナコの伯爵夫人
2 ギャンブラーの聖地
3 誇り高きクルーピエ
4 偉大なる小国家
5 リヴィエラの女王
6 花火とトップレス
7 アンティーブの古城にて
8 カンヌのナポレオン
9 サンレモの夜は更けて
10 バーデンよいとこ
11 ユーロ万歳!
12 カジノは国家なり
13 登山電車に揺られて
14 タイム・イズ・ライフ
15 アルプスのサムライ
16 伝統と格式の鉄火場
17 終身名誉会員
18 1億円しばりの密室
19 ノルマンディの妖精
20 博奕なるものあらずや
21 消費は美徳。倹約は罪。
22 皇帝のシュピール・バンク
23 ゲルマンの叡智
24 名作『賭博者』の背景
25 考えるドイツ人
26 アメリカン・スタイルの正体
27 遊べよ、日本人!

本書には何度も「鉄火場」という言葉が出てくるけれど、浅田さんがこの本の中で訪れるヨーロッパ各国のカジノには、鉄火場という言葉からイメージするような激しさや勇ましさはほとんどない。タキシード着用だったり、ジャケット、タイが必須とされるその場所は、非常に優雅なものであるし、たとえば日本のパチンコのようなせかせかしたところはどこにもない。

アメリカのカジノのような豪快さでもなく、あるのは洗練された大人の社交場としての姿なのかなぁ。ルーレットやブラックジャックの優雅な雰囲気が印象的。とはいえ、比較的ゆったりしたヨーロッパのカジノにおいても、短時間で出来、操作やルールも単純なスロットマシーンの台頭は逃れられないようだし、浅田さん自身もルーレットやブラックジャックで負けると、スロットマシーンの方へ流れておられるようです。

ギャンブルについての心構えについては、色川武大(阿佐田 哲也)さんの本に書いてあったことにも通じていたなぁ。ギャンブラーというと、大勝負を張っちゃう人というイメージがあるけれど、実際、本物のギャンブラーは常に掛け続けなければならないわけで、それには大勝でも大敗でもなく、小さな勝ちを積み上げることが大事なんだよね。

と、まぁ、そんなことは置いておいて、浅田さんがこういった本を書かれたことは特に意外ではなかったんだけど、良かったのはこの本を書くことになった心意気というか、意気込みです。

そう、ギャンブルとは非日常のもの。
プロローグ「非日常と非常識へのいざない」から少し引用します。

目先の事象に対処するだけの知識が、人生においていかに無力であるかは、すでに周知であろう。多くの日本人オヤジに必要なものは、われわれを縛めている日常と常識の打破である。要するに私は、ひたすらに非日常と非常識を求めて、世界カジノめぐりの旅に出た。
男の夢がぎっしりと詰まった紀行文として読むもよし、ギャンブル指南書とするもよし、すこぶるマニアックなガイドブックとなればなおよし、さらにやがて来たるべきカジノ解禁の一助となれば、これにまさる幸いはない。

勤勉を美徳とする日本人はどうしたって、「遊び」が下手。更に博才となると、これがある人は限られているようにも思うけれど、自分のお金をすることなく、一緒にカジノめぐりが出来ちゃうのは嬉しいなぁ。自分のお金や、ギャンブルにおけるヒリヒリとした感覚無くして何するものぞ、という話もあるけれど、実際風光明媚な土地にあるカジノの写真を見ているだけでも楽しいです。そして、なんだかんだいって、やはり「勤勉」かつ真面目であり、日本という国を愛する浅田さんの文章も勿論楽しい。

「謝々!チャイニーズ」/中国、そのナマの手触り

 2007-10-12-22:33
星野 博美
謝々!チャイニーズ―中国・華南、真夏のトラベリング・バス
情報センター出版局

米原万理さんの「打ちのめされるようなすごい本 」で、気になった本です。
←画像処理の関係か、こっちのが色鮮やかですなぁ。

この度、ちょうど文庫化もされたようですね♪
(しかし、最近の文庫は高いっすね…。810円だって。写真がいっぱいなのかなぁ)

副題にも、「中国・華南、真夏のトラベリング・バス」とあるように、語られるのは、著者星野さんの、中国は華南地方の旅のお話。

目次
 はじめに
第一章 東興(トンシン)
第二章 北海(ベイハイ)から湛江(ジャンジャン)へ
第三章 広州(グワンチョウ)
第四章 厦門(アモイ)
第五章 諸聡F島(メイチョウダオ)
第六章 平潭(ピンタン)
第七章 長楽(チャンルオ)
第八章 寧波(ニンポー)
終章 東京
 おわりに


著者は言う、日本で生きている時、自分に見えるのはシステムである。ところが、中国では人が見える。だから、いつまでたっても出発しないバスも、運転手の子供がバスの中で宿題をするのが日課であろうと、それを微笑ましく思ったり、仕方ないな、と思ったりはすれど、決して怒りは湧いてこないのだとか。

資本主義に飲み込まれながら、しかし、国外へ出る=密航となってしまう、アンバランスな自由を持つようになった中国の人々。お金に対する執着の凄まじさや、自分だけが損をすることに敏感だったりなど(勿論、この本の中には、そうではない人も稀に登場するけれど)、そこだけを見ると、何と言うか、浅ましいというか、はしたなくも感じるのだけれど、確かにこの貧富の格差、手の届きそうな所に、豊かな生活が見える状況では仕方のないことなのかも。また、そういう点をひっくるめて、中国の人々の旺盛な生命力を、著者は非常に愛しているのだけれど。

あくまで自分の力で生き、自分の頭で考えることを捨てないのだとしたら、日本の過ごし易い、ある程度完成された様々なシステムは、むしろ邪魔になるものなのかもしれない。生きているという実感を得るために、必要なものはそれぞれ違うのだろうけれど、星野さんには、こういう旅や出会いが必要なんだろうなぁ。

そういえば、ドラマも始まった安野モヨコさんの「働きマン」も、「仕事したって思って死にたい」松方弘子が主人公だけれど、何もそこまで極端に走らなくても、と思っても、その仕事にかける情熱が、きっとそのまま「生きているという実感」なんだよね。

たとえば、大学を出るくらいまでは、何となくコースに乗っていけば、人生はそのまま進んで行くわけだけれど、二十歳そこそこまでに得たものだけで生きていけるほど、人生は短くも平坦でもない。仕事にプライベートに、というバランスの良い生き方もあるけれど、こういう生き方もあるし、突き詰めている潔さがある。

「サハラ縦走」/砂と礫の海の中で

 2007-07-18-23:16
野町 和嘉
サハラ縦走
岩波文庫 同時代ライブラリー


目次
1 サハラへのパスポート
2 オアシス
3 タマランセットへ
4 ニジェール
5 地平線
6 リビアの奥地で
7 キャラバン同行記
8 私たちの旅
9 タッシリ・ナジェール取材記
10 ラクダ君の死
11 旅のおわりに

 その後のサハラ
 -同時代ライブラリー版によせて-


あとがきのような「その後のサハラ」より引くと、これは1974年から75年にかけての約一年間に及ぶサハラ旅行の記録。1974年10月にロンドンを出発して翌年ミュンヘンに到着するまで、延々五万キロに達する車の旅と、車を手離したあと空路アルジェリアに行きタッシリの山塊をめぐった旅。

サハラとは、アラビア語の”沙漠”を意味する普通名詞であり、それは地球上でもっとも広大な荒地なのだという。アフリカ大陸の大西洋沿岸から東は紅海まで、地中海沿岸から南は北緯十五度線上まで、十一カ国にまたがり実に全アフリカの三分の一の面積を占める荒涼たる世界。

太古、ヨーロッパに数次の氷河期をもたらしたのと同じ気候変動によって、サハラは湿潤と乾燥とを何度も繰り返した。七、八千年前にはカバや象さえ生きていたサハラ地域に、現在の沙漠にいたる乾燥化が始まったのは、紀元前二千年頃のことなのだという。そして、広大な内陸部の低地と、それを囲む海岸部の山岳地帯という、サハラを取り巻く地形が、一旦乾き始めた地域の急速な乾燥化を助長した。湿気を含んだ海洋からの風はことごとく山々で遮られ、奥深い内陸部に降雨をもたらすことはなく、そうして残されたのは、激しい風化作用を受けた巨岩の峰々や、礫沙漠。もしくは、礫がさらに風化し、微粒子となった、砂粒からなる砂丘群。

この熱砂の世界を、この上なく清浄な世界と感じる著者が語る、沙漠とそこで出会った人たちの物語。たとえば、オアシスの話(「オアシス」という言葉から連想される、緑滴る枯れない泉があるわけではなく、そこは人々が必死に水を守る土地であり、その水も深い井戸から汗みずくになって汲み出すものである)、沙漠の塩の話(太古海底であった場所であるからして、塩分が沈殿し、ほぼ無尽蔵に塩がある)、ラクダのキャラバンの話(ラクダのキャラバンは、すでに輸送力としてではなく食肉用として組織されていたらしい)、素焼きの壺が置かれるお墓の話(サウジアラビアのファイサル元国王の墓の写真も、著者が見たオアシス・イグリにある墓と何等変わらぬ簡素なものであったらしい)、トゥアレグ族の話(見知らぬ者の前で素顔を晒すと、鼻や口から悪霊が体内に入り込むと信じられているため、ベールの巻き方が独特なのだという)など、なかなか聞けない話などではありますまいか。

著者の本業は写真家なので、残念ながらカラーではないのだけれど、載せられている写真も豊富。そもそも、私がこの本を手に取ったきっかけは、表紙の夕陽と砂丘の写真に惹かれてのことだったしね(これまた残念ながら、画像が出ないようだけれど)。トゥアレグ族のラクダレースは、かっこいい!

ひたすら沙漠を旅したそれまでの章とちょっと違うのは、タッシリ・ナジェール取材記。タッシリ・ナジェールとは、トゥアレグの言葉、タマシェック語で”川のある台地”を意味し、平均標高千数百メートルのサハラ中央部を走る広々とした台地のこと。そこには、サハラがかつて緑だったころ、その頃の岩壁画が、様々な様式、様々な年代で描かれているのだという。ところが、今ではこの地は乾いた死の台地となったため、水の補給が難しく、壁画を見て回るのはとても困難なことなのだとか。著者はラクダとロバを駆使し(ラクダはたくさんの荷物を運べるけれど、ロバのように険しい道は通れない)、何とかたくさんの壁画を見て回る。白い巨人や象のレリーフ、ロバや牛など、大らかな壁画が面白いです。

トゥアレグ族の少年、アブリと、旅人スレイマンが紡ぐ物語、「砂漠の宝―あるいはサイードの物語 」を思い出しながら、読みました。しかし、沙漠で生きるのって、ほんと過酷…。この旅に付き合った奥さんも凄いと思いました。車の移動も、当然、砂に足を取られながらなわけで、ほとんど苦行だもの。なのに、沙漠を旅することをやめないわけで、「魅せられる」ってきっとこういうことを言うのだろうね。
?

「旅する胃袋」/食べた、見た、作った、話した、暮らした

 2007-05-22-22:52

篠藤 ゆり

旅する胃袋
アートン

目次
初めての旅
 [レシピ]ホーモック・プラー
故郷の味
 [レシピ]楊貴妃のデザート
いざ桃源郷へ
 [レシピ]薔薇の香りのプディング
彼岸の一碗
 [レシピ]チベット風餃子(モモ)
豊穣の食卓を求めて
 [レシピ]海老と春雨の蒸し物
赤い米が実る村
 [レシピ]筍とかぼちゃの種の和え物
     潰しナス
その味覚、禁断につき
 [レシピ]スルメとレンコン、豚スネ肉のスープ
サウダーヂを抱きしめて
 [レシピ]パルミット(椰子の芽)のサラダ
     フェジョン豆のサラダ
砂漠で眠ると人は
 [レシピ]オクラのクミン風味の炒め物
     きゅうりとトマトのライタ(ヨーグルト風味のサラダ)
エーヤワディー千年王国
 [レシピ]モヒンガー風にゅうめん
ジブラルタルの南、サハラの北
 [レシピ]魚貝のサフランスープ
あとがき 


今回、ほぼメモのみ。目次を記録しておきたかったのです。

インドを旅すると決めてからは、毎日、カレーを食べる練習をしたりだとか(元々は辛いものが苦手だったそう)、そういったちょっと不思議な努力や、食べ物を通じて仲良くなったその土地の人々との出会いが描かれている。

渋沢 幸子さんによる『イスタンブール、時はゆるやかに 』もそうだったのだけれど、何でそんなにその土地の人と仲良くなれるのかなぁ、とちょっぴり嫉妬心まで出てきてしまう。

うーん、女性の旅行記にはこういうのが多いですよね。

言葉が通じる日本人同士でも、こんな風にはなかなか仲良くなれないものではないかしら。一緒にご飯を作ること、自分の国の料理、普段の家庭料理に興味を持ってもらえることは、仲良くなるための近道なのかもしれません。

「開高健先生と、オーパ!旅の特別料理」/旅と料理

 2006-07-26-22:47
 
谷口 博之
開高健先生と、オーパ!旅の特別料理 

「天上の開高先生に」捧げられた本。

作家、開高健とともに旅し、料った記録と記憶。

「まえがきにかえて」と題された、開高健『オーパ、オーパ!!海よ、巨大な怪物よ』より抜粋から、更に抜粋すると、この旅の始まりは辻調理専門学校で知られる辻氏とのこんな会話だったそう。

忍耐力と想像力に富んでいて即断即決、どんな素材でもその場でコナして料ってみせることができるという人物を推薦してもらおうじゃないか。とれとれのオヒョウだの血まみれのオットセイの肉などはどう逆立ちしても東京や大阪では入手できないのだから、あえてそれに挑戦して頂く。

目次
まえがきにかえて
Chapter? ベーリング海の孤島で巨大オヒョウを姿造りすること
Chapter? ネバダの砂漠でブラック・バスの洗いに舌鼓をうつこと
Chapter? カナダの川原でチョウザメのキャビア丼に夢を馳せること
Chapter? アラスカの入り江で海の果実をまるごとブイヤベースにすること
Chapter? ウガシクの湖畔でないないづくしの野生にひたること
Chapter? コスタリカのジャングルでイグアナのスープを絶賛されること
Chapter? モンゴルの草原で幻の魚を味噌汁の実にしちゃうこと
Chapter? テムジンの大地でウォルトン卿のパイク料理を試みること
あとがき

当初は他のメンバーにその重量に目を剥かれようとも(飛行機の重量制限があるからね)、大鍋、小鍋、フライパンからすり鉢、包丁一式をはじめとする料理人の七つ道具をずらり取り揃え、また、どんな土地においても出汁もきっちりとっていたのが、回を重ねるごとに「やわらかく」なる様が面白い。うん、臨機応変ってやつだよね。和包丁から、フィレッティング・ナイフへと得物を持ち替え、この辻調理専門学校・谷口“教授”は、クルー全員の胃袋を満たす。

釣れれば釣れたで大変な魚だってあるし、ボウズに終わった時のクルーの沈んだ気持ちを引き立てるのもやっぱり料理。釣りは水物。事前の調査があるとはいえ、期間が限られた中で、狙った獲物を釣り上げるのはやはり大変なよう。傷心の皆を、たまには「隠し玉」の素麺で癒したり、谷口氏の功績は非常に大きいのだ。

物置のドアを外してまな板とした、一メートル70センチにも及ぶベーリング海の巨大なオヒョウの姿造りから、なぜかイグアナや、川ガメ(甲羅を斧と金槌で割った!)、中南米最大・最強の毒ヘビ、ブッシュマスターの解体までする羽目になったコスタリカまで、その料理は「和食」のスケールから外れてとってもハード。しかも、谷口氏は爬虫類、両棲類が大嫌いだというのに・・・。この旅から外されてはならじ、と頑張る部分は、少々痛々しくもある。

回を重ねるごとに、先輩や同僚に「お前、だんだん荒れてきたんとちゃうか」と言われるほどに、谷口氏はすっかりアウトドアな男になってゆく。豚や牛の肉を使ったら日本料理ではないと言われていた頃もあったというのに、何せイグアナのスープとか、作っちゃってますからね・・・。

「ある量を超えると質に転ずる」を身上とし、これはと思う食べ物に出会うと、徹底的に食べて食べて味をとことん追求する、開高流鑑賞法に付き合うのも大変そう。時には「不味」といわれてしまう事もあるわけで・・・。でも、谷口氏は、一緒にとことん追求してしまうのです。うーん、料理も極めるとほんとに「研究」になってしまうものなのね。

旅して食べるというと、C.W.ニコルさんや、椎名誠さんを思い出すけれど、開高健への尊敬の念で全員が一致団結しているこのチームの雰囲気は、やはり多少他とは違う。開高健とは、やはり凄い作家というか、凄い人間だったんだなぁ、と感じた。

← 文庫も

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「イスタンブール、時はゆるやかに」/魅惑のイスタンブール

 2006-05-08-22:10
古本屋で表紙とタイトルに惹かれ、何の気なしに買った本だったんだけど、思いのほか楽しめた。また、この本の著者は、澁澤龍彦氏の妹君であらせられるらしい。

渋沢 幸子
イスタンブール、時はゆるやかに


目次
テサロニキから汽車に乗って
ガラタ塔への夜の散歩
焼き肉(ケバブ)の香り漂う街
『花の小路(チチエツキ・パサージュ)』でラクを飲んで
イスタンブール無宿
「皇子たちの島(プリンシイズ・アイランズ)」の老婦人
アクバイラック家の人々
ブルサの銭湯(ハマム)で輪になって踊る
「来年また来るね、インシャアラー」
二人のアイシェ
クラビホの見たコンスタンティノープル
カッパドキアの農婦
アダパザールの危機
運転手がくれたビョレッキ
私はタタールと思われたのだろうか
ガジアンテップの踊り子
ハランの受難
クルド青年のテントで
悠久のティグリスの流れに
奇跡の都イスタンブールよ
あとがき
文庫版あとがき
解説  海老坂 武


東洋と西洋が出会う街、トルコはイスタンブール。本書には、著者が1981年に初めてバックパッカーとしてトルコを訪れてからの、十数年にわたる旅の話が収められている。

トルコの無闇に親切な人々に出会った著者は、カーペット屋を営む若者、アルパッサンの一家(アクバイラック家)と親しくなる。トルコの一家の懐にすっかり入り込んだ著者。であるからして、この本は単なる「若い女性の旅行記」ではなく、トルコの一般家庭の風習なども良く分かるというわけ。

歴史に関しても抜かりなく、『三大陸周遊記』『チムール帝国紀行』『東方の旅―下』などからの、適切な引用もある。ま、私は、夢枕さんの『シナン 』の知識で無理矢理読んじゃったんだけど・・・。?

このアクバイラック家をベースにしつつ、著者はその周辺へも貪欲に旅していく。

「皇子たちの島」の老婦人では、マルマラ海に浮かぶ島のひとつ、大島(ビュユック・アダ)へ。偶然出会った老婦人に、時が止まったような彼女の屋敷に招待される。この地は、ビザンティン時代、帝位継承権を持たない皇子や皇女、帝位を追われた帝たちが島流しにあったため、その名がついたのだという。この老婦人はギリシア人。ギリシアがトルコから独立した後、トルコに住んでいたギリシア人と、ギリシアに住んでいたトルコ人が交換された。ほとんど、「歴史」とも言えるこのアンダラギを、老婦人は実際に体験していたというわけ。誇り高いけれど、時に忘れられたような老婦人と、淋しげな「皇子たちの島」がぴったり。

素敵な人たちと「偶然」に出会い、仲良くなっていく著者だけれど、時にはこんな出来事もある。アダパザールの危機では、おかしなバスに乗せられて、あわやの危機に。親切な人が多いとはいえ、やはり危ない女性の一人旅。特に、イスラム教徒の男性の中には、同国人の女は身持ちが堅くて、うかつに手を出せないけれど、アッラーを信じていない外人女は話が分かると思い込んでいる、不埒な連中もいるらしい。

どんな人にも心を開いて、ついていってしまうように見える著者であるけれど、「敵が根っからの極悪非道の犯罪者か変質者でなければ、九〇パーセントの危機は、毅然とした態度と沈着な判断で回避できるように思う。それだけの自信がない女性は、単独旅行はしないほうがよい」との確固たる信念を持って、旅をしているのだ。 こういった危険に関しては、1990年頃から頻発しているという、イスタンブールで一人旅の若い日本人男性を狙う睡眠薬強盗事件についても言及あり。

この記事では、危機について多くを割いてしまったけれど、実際は人々との豊かな出会いや体験が綴られている。解説にもあるのだけれど、「この風来姫のような旅人には、親切な人を呼び寄せるという飛び抜けた才能がある」。人見知りせず、相手にもそうさせない、親切と笑顔を引き出す様は天晴れ。

こんな風に人と出会えるかは別として、イスタンブールは一度は行ってみたい街。

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「小泉武夫の世にも不思議な食の世界」/押し寄せる、美味、うま味、コク味の洪水

 2006-03-29-20:08
「中国怪食紀行」 が凄まじかった小泉教授。いや、こちらの本も凄いです。
ある意味では、「中国怪食紀行」を凌ぐ部分もある。

小泉 武夫
小泉武夫の世にも不思議な食の世界―おれの愛した肉と魚
日本経済新聞社

帯には「わが胃袋に「未消化」という文字はない! 見てびっくり!食べてビックリ!「地獄極楽」激食紀行」とあり、この表紙にあるような様々な食材(上から左回りで、センザンコウ、カニ、鮟鱇、マグロなどなど)を、またしても喰って喰って食い尽くす一冊。「中国怪食紀行」では食と薀蓄を比べると、薀蓄のウェイトが高かったけれど、本書は「食べる」方に若干ウェイトが傾いてる感じ。

あとがきによると、偶然ではあるけれど、本書は「中国怪食紀行」の兄弟的紀行書なんだそうな。写真が豊富に載せられている所も、似た印象を受ける一因かもしれませぬ。

目次
おれの愛した肉と魚
【第1話】牛肉に昇天
【第2話】オキナワは美味しい
【第3話】オキナワは美味美味
【第4話】カニ食い大魔王
【第5話】我が輩はドクター・エビスキー
【第6話】ウイグルで羊を食べ尽くす
【第7話】中国は豚の王国
【第8話】干物は官能的
【第9話】粗は宝だ!!
【第10話】壮絶!マグロの解体
【第11話】スッポンの嘆き
【第12話】塩湖は眩しい
【第13話】鮟鱇に舌ったけ!!
【第14話】忘れえぬ味
【第15話】富津物語
【第16話】至福のフグ
【第17話】ミャンマーに首ったけ
【第18話】右利きのカツオ

第3話あたりまでは、少々豪快ではあるものの、今回は私が見ても美味しそうだなぁ、と思っていたのだけれど、第4話「カニ食い大魔王」辺りからは、メーター振り切ったような小泉教授に、やはりついていけません・・・、と思ったのでした。美味しそうと言うよりは、そのあまりに豪気な食べっぷりに、少々引いてしまう感じ。

カニ食い大魔王で、かつドクター・エビスキーの小泉教授は、三つもの渾名(曰く、カニクイザル、カニフキ(蟹吹き)、ムサボリビッチ・カニスキー)を頂戴するほどの無類の甲殻類好き! その食べっぷりは空恐ろしい。読んでいるだけで、エビカニの味噌にねっとりまみれて、お腹がいっぱいになりそう。

ここに出てくる食材は、どれもこれも新鮮で野性味溢れるもの。しかし、それはそれは豪快な状態で供されておりますので、普通の人間では、食欲をそそられるまでには至らないかも。そして、「おれの愛した肉と魚」であるだけに、愛と「コク味」がたっぷり、豚骨ラーメンのような一冊(そんなわけで、少々濃くくどくもあるよ。笑)。

「中国怪食紀行」/舌の冒険家、小泉教授、中国を喰らう

 2006-01-31-09:59
小泉 武夫
中国怪食紀行―我が輩は「冒険する舌」である

目次
まえがき
中国地図
【第1話】赤い色が似合う国
【第2話】犬を食す
【第3話】涙に咽ぶ魚です
【第4話】君知るや究極の蛇の味
【第5話】鶏がとっても旨いから
【第6話】草の子たちに成仏あれ
【第7話】虫は胃のもの味なもの
【第8話】永遠の熟鮓(なれずし)
【第9話】茶の国は知恵深し
【第10話】醸して変身
【第11話】豚は家族の一員である
【第12話】牛肉がいっぱい
【第13話】蘇れ珍獣たち
【第14話】悠久の蒸留器
【第15話】食うことは豊かさの象徴
【第16話】傘を差して大をする
【第17話】路上は今日も大らかなり
【第18話】スッポンと宰相
【第19話】ヤシガニの涙
【第20話】名酒は老窖(ラオチャオ)より出て胃袋に収まる
【第21話】朝の一杯、夜の三回
【第22話】焼鳥はごゆっくり
【第23話】曲は音楽にあらず
【第24話】愉快な職人たちに幸あれ
あとがき
解説 中島らも

目次と副題、『我輩は「冒険する舌」である』、これが全てを物語っていますが、豊富な写真とともに舌による冒険譚が語られています。

大きく分ければ、ゲテモノ系、専門の醸造学・発酵学関係、薀蓄系という感じ(16話、17話などは、暮らしぶりとでもいいましょうか)。何れも軽妙な語り口で書かれており、豊富な写真と相まって、スライドを見ながら、人気教授の講義を受けているような気分になります。

「椅子と机以外の四足は全部食べる」という中国の食。第13話第19話では、希少動物の話が出てきます。保護はされていても、山中までは政府や地方行政区の管理と監視が行き届かないようで、「珍しい」という価値でもって、希少動物が食材として取引される事も珍しくないそうです。食の冒険家であり、冒険する舌を持っているといっても、それは何でもかんでも食べるということではなく、考えながら味わう舌でなければならない、と教授は書いておられます。広い中国、監視を行き届かせるのも、並み大抵の労力では難しいのでしょうか。

物珍しく、面白かったのは、第20話第23話。中国はひとり、つぼや桶、タンクといった容器を必要とせず、土に穴を掘って、それを器にして酒を醸してきた国なのだそうな。当然、液体であれば、土の中に染み込んで無くなってしまうわけで、これは原料が液体ではないからなせる業。原料の穀物を蒸して、それを窖(チャオ:前述の土に掘った穴)の中に放り込んで発酵させる、固体発酵による酒造りを行っている。主原料は蒸した穀物、これにレンガ状の乗黶iチュイ:麹のようなもの、「曲」ということもある)を砕いて混ぜ、その上に土を被せて土饅頭をつくる。窖の中で、乗黷フ糖化酵素の作用によって、主原料の穀物のデンプンが分解されてブドウ糖になり、ブドウ糖に窖の壁や煉瓦に付着していたアルコール発酵を起こす酵母が作用して、アルコールが生成される。その後、これを掘り出して蒸留するのであるが、このように水を使わないために、中国の白酒は、酒精度の強い酒が生まれてくるというわけ。

この独特の製法により、得られた蒸留酒(白酒)には多種多様の個性を持った香味がついており、これを分類するのに、中国には「香型(シャンシン)」という分類法がある。香により酒を分類するのは、世界でも実に稀なこと。また、アルコール度数が高いお酒が得られるために、抽出力が高く、多種多様の薬酒が生まれる下地となった。

私にとっては非常に面白い本でしたが、蛇や虫、(食用としての)犬の写真などが、かなりあっけらかーんと出てきますので、これらが苦手な方にオススメはいたしません。「美味しそう!」とか「食べたいなぁ」と思うものは、実はかなり少なかったりもするのですが、世の中には色々な食べ物があるもんだなぁと、興味津々、面白い本ではありました。

←こちらは、日本経済新聞社による単行本。

単行本の写真の方が少しハードでしょうか。上に上げた光文社・知恵の森文庫のものは、「93:ある食堂の風景(脂肪つきの豚の皮、開いて干した鶏肉、栓抜き、金網、柄杓、干した豚の内臓が壁にかけられている)」が、単行本の方は、「45:角つきの顔も材料(農耕民族の町の自由市場で売られていた、山羊の角つきの顔の皮)」が表紙となっているようです。文庫の方は一見何だか分かりませんが、単行本の方は如何にも怪しげですよね。

「アフリカを行く」/旅

 2005-06-21-08:04
吉野信「アフリカを行く」中公新書

「哀しいアフリカ」 を借りた時に、ついでに借りてきた本書。この中公新書カラー版のシリーズ、とてもいいです。今度また他の土地のものも借りてこようっと。「カラー版」ということで、豊富な写真とともにアフリカでの体験が語られる。

目次
まえがき
? サバンナに生きる―東アフリカ
? ザイールからケープ半島へ
? さまざまなアフリカを訪ねて
あとがき
文中で紹介した本

著者の吉野氏は写真家。しかし「動物を描くイラストレーター」を志したこともあったそうで、写真だけではなく、時にイラストも添えられる。私が知りたかったのは部族系の話だったので、ちょっとその意に沿うものではなかったのだけれど、野生動物の写真とその出会い、とても興味深かった。日差しのせいか、写真の技術のせいか、実にくっきりと動物たちが写されています。

野生動物だけではなく、精悍な顔立ちのマサイ族の若者(本当にかっこいい!)、? さまざまなアフリカを訪ねて「水のアフリカ」と題された章では、スコールの水柱(何とも不思議な景色)や雄大なヴィクトリア滝(豪快そのもの)、夜空に鮮やかに浮かび上がる稲妻の軌跡バオバブの樹(ほんとか嘘か?樹齢八千年と言われているもの。一緒に写っている人は殆ど米粒のよう)、アフリカの近代都市についての写真、記述もあります。

まえがきより
三十年にわたる僕のアフリカ探訪をひもとくことによって、現実のアフリカの姿が見え、ひとりの写真家がたどった男のロマンに共鳴を感じてもらえれば、この本を書いたことの意味があるのではないかと思います。

充分にロマンを感じたし、当たり前だけれど世界は広いなぁと感じたことでした。

著者: 吉野 信
タイトル: カラー版 アフリカを行く

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら御連絡下さい。
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つな がる

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つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
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2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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