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「猫と針」/恩田陸さん戯曲

 2008-05-12-23:06
猫と針猫と針
(2008/02)
恩田 陸

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恩田陸さんの戯曲であります。予約数少ないしラッキー、と借りてみたら、戯曲でした。えらく薄いなとは思ったものの、手に取って中を見るまで、全く気づかなんだ…。そうか、そういえば戯曲やってたって聞いたよなぁ、と後から思ったのでした。
目次
『猫と針』口上
戸惑いと驚きと
猫と針
『猫と針』日記
恩田さん、お得意の学生時代の友人男女(三十代後半)の心理劇。実際に、演劇集団キャラメルボックスにより上演されたもの(リンク)。

ほぼ同年代に見える喪服を着た男女五人。
舞台には、五つの椅子。

簡素だけれど、舞台設定は、実に恩田さんらしいようにも思う。
四場にわたる五人の会話の中で、語られるのはその場にいない、殺された「オギワラ」のこと。学生時代に盗まれたフィルムのこと。フィルムの盗難とほぼ同時に起こった食中毒事件のこと…。

不穏な感じが如何にも恩田さんらしいよなぁ。

でも、これは実際に観てみたかった!!しょうがないので(?)、そのうち、恩田さんが演劇を描いたという「チョコレートコスモス」を借りてこようと思います。面白いといえば面白かったけど、戯曲である必要をあまり感じなかったというか…。今まで読んだ戯曲は、「欲望という名の電車」とか「ガラスの動物園」くらいのもんなんだけど、あそこまでエッジのたった人物造形は出来ていないと思うのよ。自分の中では小説よりも戯曲の方が、なまの人間がぽーんと放りだされているイメージなのです。
ガラスの動物園 (新潮文庫)ガラスの動物園 (新潮文庫)
(2000)
テネシー ウィリアムズ

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「上と外」/夏だ!冒険だ!

 2007-08-14-23:25


恩田 陸
上と外〈1〉素晴らしき休日 (幻冬舎文庫)
上と外〈2〉緑の底 (幻冬舎文庫)
上と外〈3〉神々と死者の迷宮(上) (幻冬舎文庫)
上と外〈4〉神々と死者の迷宮(下) (幻冬舎文庫)
上と外〈5〉楔が抜ける時 (幻冬舎文庫)
上と外〈6〉みんなの国 (幻冬舎文庫)

テイストは全然違うけれど、天童荒太さんの「家族狩り」のような、一か月一冊刊行形式で全六冊(ま、あっちは単行本から改訂しながらの文庫化でしたが)。とはいえ、内容も「夏だ!冒険だ!」だし、一冊一冊は結構薄いので、さくさくと読めてしまいます。これ、一か月に一冊しか読めなかったら、そのライブ感は堪えられないものかもしれないけど、先を知りたくてちょっと辛かっただろうなぁ。

主人公は楢崎練。離婚した母と、母と暮らす妹の千華子と共に、家族旅行をするのは、彼ら一家の長年の行事。父はまた、自由な研究者であるがため、錬は父とも離れ、工場を営む祖父や叔父一家の元で暮らしていた。

さて、楢崎一家がこの夏の旅行に選んだのは、父がいる南米G国。母、千鶴子は何か思惑を抱えているようではあるが、彼らはG国の遺跡を見るのを楽しみにしていた。ところが、あろうことかG国ではクーデターが発生し、練と千華子は運悪くヘリコプターからジャングルへと投げ出されてしまう。一方、賢と千鶴子の親たちは、そのまま人質となり、ジャングルから町へと移動させられる。

ジャングルからの生還を目指す、練と千華子兄妹。彼ら子供の無事を願い、なんとか助けに行こうとする、賢と千鶴子の両親。「夏だ!冒険だ!」なので、ウエイトは兄妹の生還に割かれ、賢や千鶴子の事情もさらりと流しがちだけれど、それなりに書き込まれています。

なかなかこうはうまくはいかないだろー、とは思うのだけれど、ロッククライミングが趣味であるという練、体操をしている千華子。身体的能力、および知力(特に祖父から練に与えられた「考える力」)に優れた彼らは、ジャングルで生き延び、更にランドマークとなる遺跡に向かって歩を進める。

そして、彼ら兄妹が出会った、更なる試練…。ちょっとジクリイト・ホイクの「月の狩人―アマゾンでみたわたしだけの夢 」を思い出した。それは証明であるからして、原始的な世界で、男の子が一人前になるのはとっても大変。

祖父や賢、練の従兄弟の邦夫など、楢崎家の男性陣がとても魅力的。更にパワーアップした感のある、母千鶴子も含め、彼らのその後も知りたいなぁ。

一か月一冊刊行なので、扉の恩田さんのコメントが面白かった。「苦節一年。本を一冊作るのにはとてもたくさんの人手がかかっている。今回強く実感した。」とか、第五巻はとうとう刊行遅延してしまったとか、当初予告した全五巻で終わらなかったとか。最初にも書いたけれど、どんなに先が知りたくてやきもきしようとも、お祭り的にこのライブ感を楽しむのも、こういう刊行形式特有のまた一つの読書の楽しみだよね。

図書館に6冊揃って置いてあるのを横目で見つつ、借りられる限界の10冊中6冊をこれで使っちゃうのはなぁ、といつも見ないふりをしていたのですが、「にゃの備忘録 」のねこ姫さんが面白いと仰ってたので、勢いをつけて借りてみました。
ちょうど、旅行中の週で、あまり本を読めないだろう期間にぶつけたのです。厚かろうが薄かろうが、一冊は一冊なんだよねえ。ちょっと納得いかない気も(でも、グラム数とかもいや?)。

■ねこ姫さんの「上と外」記事はこちら
→「上と外 1-2巻 」、「上と外 3-4巻 」、「上と外 5-6巻

理屈抜きに面白いかったから、ま、いっか(笑)
きっと、細かいことは考えないで勢いで楽しんだ者勝ちな冒険物語ですね、これは
」というねこ姫さんの意見に、全く同感でありますよ~。??

更に、「みすじゃん。」のおんもらきさんの記事にリンク → 

「エンド・ゲーム」/裏返される??

 2007-06-17-23:55
恩田 陸
エンド・ゲーム―常野物語

光の帝国 」に出てきた、拝島母子の戦いの話。

「光の帝国」に収録された「オセロ・ゲーム」では、夫の失踪後、一人孤独に「あれ」との戦いを続ける、母、拝島暎子の危機を娘、時子が救い、母を救ったことで、時子もまた「あれ」との戦いに参戦せざるを得なくなった、というところで話が終わっていた。

で、この物語は、その後の拝島母子の戦いは、一体どうなっていたのか?というお話。十数年間が過ぎた今、失踪した父はどうしているのか?、また、その父が頼るようにと残したけれど、暎子が決して連絡を取らなかった電話番号の意味とは?

例えば、「光の帝国」の他の短編においては、常野の人々が持つ力は、もっと実際的に役立つものだった。遠目、遠耳、つむじ足・・・。同じ常野とはいえ、ただひたすらに「あれ」との戦いを続け、「裏返すか?」「裏返されるか?」と、日々その身を危険に晒すものの、それが何の戦いであるのか、その戦いが何の役に立っているのか、皆目分からない拝島母子の能力は、随分と異質なもの。

母、暎子が裏返され、「洗う」「包む」能力を持つ「洗濯屋」なる人々が現れ、時子の高い緊張感が、読み手にも緊張を強いるのだけれど・・・。

ラストは二転、三転。

そして、終わりの始まりの雨が降る

ラスト、鮮やかに、冷ややかに振り向く時子には、覚醒を果たした「麦の海に沈む果実 」の理瀬を思い出す。恩田さんは、クールな美少女を描かせたら、天下一品だよなー。とはいえ、時にクールな美少女に、置いてけぼりにされるような気分もするのだけれど・・・。ああ、私を置いて、あんな遠い所へ!

現状では不要とされ、進化の過程で淘汰されるものであっても、たとえば環境が激変した際には、必要とされる能力、器官だってある。逆に現状では必要はなくとも、過去にはそれが必要とされていたという場合だってある。「裏返す」、「裏返される」、「洗う」、「包む」、「包まれる」。これらの能力が必要とされるのは、一体どんな状況、どんな時代なのだろう。

「蒲公英草紙―常野物語」/幼年期の終わりに

 2007-06-12-23:57
恩田 陸
蒲公英草紙―常野物語

蒲公英草子。それは一人の少女が、かつて自分の日記に付けた名前。
窓の外の丘、麗らかな光を浴び、すくすくと育つ蒲公英を見た彼女は、自分の日記をそう名付ける事にしたのだ。

彼女はそこに書かれた日々を振り返る。
それは当時は分からなかったけれど、振り返ってみれば、光り輝くような日々だった。

槇村のお屋敷に聡子さまがいて、旦那様、奥様がどっしりと集落の皆を支え、お屋敷には様々な人々が出入りし、そしてあの不思議な春田家の人々がやって来たその月日。それは少女、中島峰子の幼年期の終わりでもあった・・・。

集落の医者である父に頼まれた峰子は、お屋敷に住む同年輩の聡子お嬢様のお相手を務める事になる。聡子さまは、病弱で学校に行く事が出来ないため、話し相手となる同年輩の友だちが必要だったのだ。峰子と聡子さまは親しく過ごすようになり、峰子は聡子さまの美しく清らかな心根に惹かれるようになる。ただ一つ気になるのは、聡子さまが時々あらぬことを呟く事。時にそれは現実となるのだが?

お屋敷に集う人々は様々。優しく頼もしい旦那さまご夫妻、美しい清隆さま、何かと峰子にちょっかいをかけてくる廣隆さま。先ごろの清との戦争により息子と孫を失った発明狂の池端先生、書生の新太郎さん、日本画を忌み嫌い洋画を学ぶ椎名さま、仏師だったという永慶さま・・・。そこに一家でやって来たのが、あの不思議と穏やかな春田家の人々。彼らは『しまう』一族であるというのだが。

時代はこの後、轟音をたてて変わっていく。しかしながら、この東北地方の田舎にある裕福な集落、槇村においては、そういった変化もまだほんの僅かしか訪れていない。それでも、この後の世界の変化を予告するかのように、心の臓が悪かった聡子さまがいなくなり、春田家の人々も集落を去り、お屋敷にいた人々も徐々に消え、そうして峰子の幼年時代は幕を閉じる。

新しい世界に出ること、新しい時代というもの、新しいもの。それは古いものを否定することと同義ではない。人々は春田家のような人がいることで、救いを得る。思いを託し、覚えてくれる人たちがいることで、前に進む事が出来るのだ。

この『しまう』一族、春田家のことは、代は違うけれど、光の帝国」にも出てきました。「三月は深き紅の淵を 」もそうだったけれど、この常野シリーズもまた、あちこちに様々な入口が隠れている物語。この二つのシリーズが、どんどん増殖していってくれると嬉しいなぁ。

回想記のような体裁をとる物語には、作家の力量が良く現れるように思われる。最初はこの峰子の語り口に慣れなくて、勝手に恩田さんの力量不足では?、と思っていたのだけれど、途中からは話にぐんぐん引き込まれ、最後まで通して読んでからまた最初に戻ると、恩田さんの語りのテクニックには不足が無かった事が分かりました。

にしても、回想記の体裁をとる物語は、大抵不幸な結末に至るところも、何だか苦手なところなのよね。この物語は不幸な「だけ」ではないんだけど、それでも、やっぱり哀しいんだよなぁ。

☆関連過去記事
光の帝国―常野物語

目次
一、窓辺の記憶
二、お屋敷の人々
三、赤い凧
四、蔵の中から
五、『天聴会』の夜
六、夏の約束
七、運命

「光の帝国」/常野物語、予告編?

 2007-06-06-23:35
恩田 陸
光の帝国―常野物語

目次
大きな引き出し
二つの茶碗
達磨山への道
オセロ・ゲーム
手紙
光の帝国
歴史の時間
草取り
黒い塔
国道を降りて・・・
 あとがき
 解説―久美沙織

常ならぬ能力を持つものの、常に在野にあれとの一族としての信念を持ち、権力を持たず、群れず、普通の人々の中に埋もれて暮らしてきた「常野(トコノ)」の人々。

ところが、この常ならぬ能力が異端であるとされてからは、「常野」の人々は狩られる側に回り、人々は何世代かにわたって追い詰められる。

権力を持たず、群れず、在野にあった常野の人間たちであるが、ここへ来て、今、その流れは収束に向かっているようである。世界は、常野の人々が時代の表面に出なければならないような局面を迎えるのだろうか?

「常野物語」という大きな物語があることを予感させつつも、その輪郭を辿るような連作短編集。まだまだその大きな物語の片鱗すら、掴めていないのではないか、と思われるのだけれど・・・。

「予感」が素晴らしく、だけに、時に、その後始末がちょっとなー、な恩田さんの本ですが、続く「蒲公英草子」「エンド・ゲーム」はどうなっているのでしょうか。恩田さんが続きすぎるなと思いつつも、この「予感」に落とし前をつけなくっちゃ、と続く二冊も図書館で予約してしまいました。「三月は深き紅の淵を 」とその関連本は、その予感が素晴らしく処理された物語群となったと思うのだけれどど、さて「常野物語」はどうなのかな~。

連作短編の中で、魅力的だったのが、「大きな引き出し」の春田家。物語を、音楽を、人間すらも『しまえる』能力を持つ春田家の人々。春田家では、子供が生れると、真っ先に子供たちに生涯連れ添う美しい書見台をこしらえるのだ。『しまえる』という能力にもゾクゾクくるし、本読みとしては、趣向を凝らし、精魂込めて作られる書見台にも実に惹かれるのだよね。

その後に読んだ、「蒲公英草子」、「エンド・ゲーム」の感想は以下。予感の後始末、大丈夫でした、楽しみました。

☆「蒲公英草紙―常野物語 」/幼年期の終わりに
☆「エンド・ゲーム 」/裏返される??

「球形の季節」/微睡む町の中で・・・

 2007-06-06-21:37
恩田 陸
球形の季節

同じく恩田さんによる「月の裏側 」のような、その町ならではというか、町それ自身に意思があるかのような物語。うーん、今、パッとは出てこないんだけど、ジャンルとしてこういう「町モノ」は、どこかで見たようにも思います

東北地方のとある町、谷津の高校生たちを主たる登場人物とするストーリー。恩田さんお得意の高校生モノと言えるでしょう。

小説以外 」にも、この「球形の季節」にもあった表現なのだけれど、将来への漠然とした不安はあれど、ご飯の支度の心配もせず、ぬくぬくとした部屋の中、ただひたすらに読書に没頭できたのは、やはりあの時期特有の幸せだったのではないでしょうか。勿論、いつまでも安定しているものなんかはないわけで、この物語の中でも、「子供の帰還を祈って、石を積む母」などという存在が出てきて、ちょっとハッとはするのだけれど。

この本のことは、小説以外」の中で、「春は恐怖の季節。」と題された文章にて触れられていました。新しい物事が始まる春は、すべからく希望に満ち溢れたものかといえば、決してそうではないんだよね。春に体調を崩す人も多いし。春は恐怖の季節。この言葉の魅力に惹かれていた所、、たまたま古本屋で見つけたので、「球形の季節」を買ってきてしまいました。ほんとは恩田さんの本で、手元においておきたいのは、「三月は深き紅の淵を 」と「黒と茶の幻想 」なんだけどねえ。

「小説以外」/小説家、恩田陸

 2007-06-05-22:46
恩田 陸
小説以外

酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記 」で、何だか興味が湧いてきちゃった恩田さんの日常生活。
いそいそとこちらの本を読んでみました。

小説ではなく、エッセイから透かし見る恩田陸とは?

いつものように目次を書きうつそうとしたら、何だかとんでもない量なので、今回は諦めました。自作について、本格推理小説、ファンタジーについて、小説の解説など、長さもばらばらな本に関する様々な文章が集められている(時に、お酒や料理、二足の草鞋を履いていた頃の二重生活の話なども)。

これを読んで意を強くしたのは、恩田さんはやはり「予感」の作家さんだということ。それは、映画番組の最後に放映される、放映予定の映画の紹介を見る時が一番わくわくしていたという話、本のカタログを見るのが好きで、本の背表紙、タイトルから話の内容を想像するのが楽しかったという話にも現れているし、様々な小説の予告編が集まったような物語である、「三月は深き紅の淵を 」が書かれたことにも現れている。

常に入口を、予感を探しているような感じ。こういうのは自分にも良く分かることで、勿論本を読むことは非常に大きな喜びなのだけれど、まだ頁を繰る前、ただその形を見ている時の、物語が自分の前に立ち現れる前のわくわくした気持ちは他にはないものだなぁ、と思う。

面白かった章を挙げる。

これだからイギリス人は・・・・・・
架空長編アンソロジー
予告編と本編の間で

恩田さんがこよなく愛するミス・マープルシリーズ。私はクリスティといえばポアロ派なのだけれど、ミス・マープルの良さがそろそろ分かるようになったかしら・・・。冷徹な観察眼と、些かの稚気、教養と合理性に、ちょっと風変わりのスパイスを効かせた「イギリス人のミステリ」。やっぱり、この辺は安定した良さがあるよねえ。恩田さんの擁護があってなお、本格推理小説の様式美にはやっぱり慣れないんだけど・・・。

この本を読んで気になった本。

・ハリー・クレッシング「料理人」
・飯嶋和一「神無き月十番目の夜」
・ベルナール・ウェルベル「蟻」
・ゼナ・ヘンダースン<ピープル・シリーズ>
・I・コールドウェル&D・トマスン「フランチェスコの暗号」

しかし、こういう「読んでいる」人の本を読むと、自分って全然本のタイトルを知らないなぁ、と思うですよ。「架空長編アンソロジー」なんて、小説自体が架空なのか?、と思っちゃいましたもん(ウォーターシップダウンのうさぎたち」で我に返ったけど)。

そして、恩田さんのファンならば、自分が読んだ本の背景を知ることが出来るのも嬉しいところ。あちこちから集められた文章なので、長さもバラバラだし、ペースを掴むまではちょっと読みづらかったのだけれど、ああ、これはこの話だよね、とニヤニヤしながら読んじゃいました。

「酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記」/恩田陸さんの紀行文

 2007-04-30-11:08
 
恩田 陸
酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記 

旅行とはすべからく、楽しいもの?
直前には、ドキドキわくわくして仕方のないもの?
ましてや、その地は恩田さんが憧れ続けたという、イギリス・アイルランドだというのに。

「酩酊混乱紀行」とあるとおり、紀行文にも関わらず、その始めの文章は「なぜか新国立劇場にいること」と題され、ビールを飲みながら書かれた、旅行前の観劇の話なのである。そう、恩田さんの「酩酊」と「混乱」は、冒頭から既に始まっていたのだ・・・。

憧れのイギリス、アイルランドに渡るためには、そう、「あれ」に乗らなくてはならない! 恩田さんが恐怖してやまないその乗り物といえば、そう、「飛行機」なのだ!

飛行機と小説家の関係のこと」でつらつらと語られるのは、飛行機嫌いの小説家や監督のこと。スティーヴン・キングしかり、アーサー・C・クラークしかり、レイ・ブラッドベリしかり、スタンリー・キューブリックしかり、・・・。ただでさえ、普段から半ば妄想のように荒唐無稽なプロットを考えている連中が、飛行機を怖がるのはむべなるかな、と恩田さんは考える。勿論、これは恩田さんにも当てはまるわけだけれど・・・。「あれ」に乗る前には、「あれ」に対する恐怖に煩悶し、憧れの地を踏んでも、「あれ」のことが頭にちらつき、帰国が近付けば、再度訪れる「あれ」との遭遇に頭を悩ます・・・。混乱の様すらさえ面白いとは、さすが小説家とも思うのだけれど、じっとりと脂汗が滲むような様が読んでいるこちらにもひしひしと伝わってくる・・・。

というわけで、これは恩田さんの酩酊(ほんとに良く飲んでおられるんだ、これが! ビール、ビール、ビール!という感じ)と混乱、時に妄想が楽しい紀行文。随所に小説や劇、映画についての感想がさらりと忍び込むのも嬉しいところ。飛行機に乗る直前の、成田エクスプレスの中では、「のだめカンタービレ」の千秋真一に感情移入していたりもする。勿論、恩田さんも書かれているとおり、飛行機嫌いの千秋さまに助けてもらう事は出来ないんだけど。きっと、恩田さんの中では、日常とその他の物語の区別がないのだろうな。ま、今回の場合、恐怖に駆られて、思考が特に飛んでいるのかもしれませんが・・・。

そして、興味深かったのが、恩田さんが旅先でよくやるというゲームの事。恩田さんは気に入った場所、雰囲気のある場所に出会ったとき、その場所を舞台にして何が起こるのか、自分やその場所に聞いてみるのだそうだ。ここで何が起きたら驚くか、何が出てきたらお話になるのか。タラの丘で恩田さんの頭に浮かんできたイメージも、いつか小説として紡がれ、形をなすのだろう。

ところで、この明らかに「地球の歩き方」シリーズを模したこの装丁。最終章の「そして、一年後のこと」では、恩田さんはスペイン北部にあるオビエド空港で、冷や汗を流し、立ち尽くしているわけですが、また、こういうの書いてくれないものかな。恩田陸、「酩酊混乱紀行」シリーズ。楽しそうなんだけど。ま、でも、恩田さんの寿命が何だか縮みそうで、それはあんまり嬉しくないわけですが。

「黄昏の百合の骨」/水野理瀬、再び!

 2006-09-11-00:37
恩田 陸
黄昏の百合の骨

そこは百合の館。常に噎せ返るような百合の香りが漂う。

どこか妖しげなこの洋館を、近所の人々は「魔女の館」と呼ぶ。それはそこに棲む女達を指すものなのかもしれない。

水野理瀬は祖母の遺言により、この家にやって来た。祖母は「水野理瀬が半年以上ここに住まない限り家は処分してはならない」との奇妙な遺言を残していた。祖母が気に掛けていた、処分しなくてはならない「ジュピター」とは一体どんなものなのか? また、祖母の死は不幸な偶然だったのか?

理瀬とは血の繋がりのない、楚々とした姉、梨南子と、毒々しい妹、梨耶子の姉妹。従兄弟の稔と亘。彼らがそれぞれの思惑で、「ジュピター」を探す。

「麦の海に沈む果実」 のラストで記憶を取り戻し、悪の世界、裏の世界を歩む事を完全に受け入れた理瀬。善とはしょせん悪の上澄みの一部に過ぎないと嘯く理瀬が切なくもある。

理瀬はこれからますます、強くあらねばならない。理瀬の時間がこうやって流れていく中、彼女のパートナーであるヨハンの身にも、同じような戦いの時間が流れているのかもしれない・・・。

しかし、自覚した悪と、そうでない悪とどちらが恐ろしいかと言えば、全く自覚のない、感情だけで動く悪の方がより恐ろしいようにも思える。「幸福な上澄みの一滴」に見えた少女に巣食う悪は空恐ろしい。これに関しては、「図書室の海 」の睡蓮」を読み返してみたくなる。

全き上澄みの幸福な一滴である亘との道が完全に分かれ、理瀬は少女時代を終えるのかもしれない。

「三月は深き紅の淵を」/物語の中に潜り込むしあわせ

 2006-08-09-23:11
恩田 陸
三月は深き紅の淵を

これは一冊の本を巡る物語。
麦の海に沈む果実 」にも、この本の存在はちらっと出てきたよね。

それは赤い表紙の「三月は深き紅の淵を」という、謎めいた四部作の小説。

目次
第一章 待っている人々
第二章 出雲夜想曲
第三章 虹と雲と鳥と
第四章 回転木馬

四部作だという、「三月は深き紅の淵を」と同じく、この本もまた四部構成で語られる。

「待っている人々」は、過去、「三月は深き紅の淵を」を読み、もう十年以上もその本を探し続けている四人の老人たちの話。老人たちのうちの一人、金子が会長を務める会社の若手社員、鮫島巧一は、彼らが開く「三月のお茶会」に招かれる。

「三月は深き紅の淵を」は、とても特殊な本なのだという。私家版で著者名もないこの本は、配られる時に細かな条件が付けられた。一つ、作者の名を明かさない事、一つ、コピーを取らない事。そして友人に貸す場合、本を読ませていいのはたった一人、それもまた一晩のみ。二百部にも満たないその本は、半年程出回った後、作者の代理人を名乗る人物が回収に当たったのだという。

さて、四人の老人たちが語る所によると、「三月は深き紅の淵を」とはこんな本なのだという。

 第一部「黒と茶の幻想」             :副題「風の話」
 :四人の壮年の男女が旅をする話
 第二部「冬の湖」                 :副題「夜の話」
 :失踪した恋人を探す話
 第三部「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 :副題「血の話」
 :少女が生き別れになった腹違いの兄を探す話
 第四部「鳩笛」                   :副題「時の話」
 :小説家の頭の中に浮かんでくるイメージの話

彼ら四人の饒舌な語りが面白い章。彼らに圧倒されながらも、膨大な本が溢れる屋敷の中で、「三月は深き紅の淵を」を探すことになった、鮫島巧一と共にわくわくと読み進むことが出来る。白い熊のような犬、「役立たず」も好き。
ここで描かれる「三月は深き紅の淵を」の本の世界もまた、実に魅力的。さわりだからこそ興味を惹かれる、そそられる物語ってあるよね。予感は物語を魅力的にする。

「出雲夜想曲」は、二人の編集者の話。彼女たち二人は寝台列車で出雲に向かう。夜行列車で山陰へ。さて、忙しい編集者である彼女たちが、なぜこんな旅をすることになったのか? 「物語は物語自身のために存在する」を信条とし、物語を何よりも愛する編集者、朱音。隆子は彼女を誘って、「三月は深き紅の淵を」を巡る旅をする。果たして、隆子は「三月は深き紅の淵を」の作者を突き止めたのか?
この章でのおまけ(?)としては、「禁じられた楽園 」に出てきた烏山響一の絵が出てきます。微妙に繋がっているみたい。

「虹と雲と鳥と」は、亡くなった二人の女子高生を巡るお話。太陽と月のような関係だった、美しい彼女たちはなぜ死ななくてはならなかったのか? 章のタイトル、「虹と雲と鳥と」は、亡くなった美佐緒が残したノートのタイトルからとられている。美佐緒にノートを託された奈央子は、ある予感を持つ。

「回転木馬」は、「待っている人々」の中で語られる第四部のように、この「三月は深き紅の淵を」を書き始めようとしている誰かのお話。「麦の海に沈む果実 」のシーンが随所に挿入され、また最後には「黒と茶の幻想 」の一部が挿入される。

私が好きな恩田さんの描写、物語が始まる予感がいっぱい。
ぐるぐると回る物語に満足~、な一冊。

← こちらは文庫。単行本の方もそうだけど、この本を読むと、表紙に描かれた人物の絵にニヤリとしてしまう。
恩田 陸
三月は深き紅の淵を

「MAZE」/迷図、迷宮、惑う・・・

 2006-07-23-18:27
恩田 陸
MAZE(めいず)
双葉社

アジアの西の果ての山奥には、住民達が恐れる禁忌の地があるのだという。
それは、「存在しない場所」「有り得ぬ場所」と呼ばれ、そこに屹立する白い矩形の建物の中に入った人間が、消えて無くなってしまうのだ。
数百年にわたり、延べ三百人もの人間が消えたのだという。
果たしてそこは、「人間が」存在しない場所、有り得ない場所なのか?

目次
?. BUSH
?. WALL
?. HOLE
?. DOOR

遠い山に囲まれた、乾燥した平原である盆地。正面には灰色の丘と白い矩形の構造物が建つ。年季の入ったフリーターである時枝満は、中学時代の友人、神原恵弥(めぐみ)に、助手兼料理人としてこの地に連れてこられた。

日中は軍事用のヘリが飛び交い、沢山の兵士達が蠢く地となったが、日が暮れてからはまた別の話。恵弥の言葉を借りれば「人数は少なければ少ないほどいい」。最小限の人数で、このプロジェクトの秘密を守るのだという。メンバーは、満に恵弥、堂々たる体躯の白人スコットに、地元民のような雰囲気のセリムの男性四人。

恵弥の勤める製薬会社の思惑は、建物を護るように蔓延る「鉄条網」のような植物の幻覚作用や、砂漠のようなこの場所で、建物の周囲だけに生える「鉄条網」の養分を知ることだという。しかしながら、それぞれの思惑が絡むこのプロジェクトは、どうも一筋縄ではいかないようで・・・。まだまだ裏がたっぷりとありそうなのだけれど、満は恵弥から、「人が消える謎」を解くことを要請される。そう、満はこの人里離れた山奥の聖地で、安楽椅子探偵をやるために呼ばれたのだ・・・。

「人が消える」時のルールは存在するのか?
一体、この地で何が起こっているのか?

毎度の事ではありまするが、途中までの盛り上げは見事であるものの、ラストは少々肩透かしではあるし、ある程度合理的な説明がなされても、また、それとは別に超常的な描写がなされても、何だか割り切れないものが残る。

でも、相変わらず、細部の人間観察は見事だし、満によるこの白い矩形の遺跡に対する仮説なんかは、ゾクゾクきちゃうんだな~。

◆精悍な顔立ちでありながら、女言葉を操る恵弥の戦略◆
日本人ていうのは元々、頭ごなしに叱るか、情に訴えるか、他の人もやってるよと言うしか他人を服従させる手段がないのね。論理的な説明はできないし、そもそも論理的な説明をすることをカッコ悪いと思ってた時代が長かったわけ。今時そんなの通用しないし、そんなことは時代遅れだってことは頭で分かってるから、論理的、合理的なものがベストだと思ってるふりをしてるけれど、本当のところは、みんな論理的なものを憎んでると思うわ。

情緒的な日本も嫌いではないけれど、本来は論理的で言葉を尽くして、人に説明をしたい方だという恵弥。ただし、「眉目秀麗で明晰なこのあたし」がこのまま男らしい路線を辿ったら、周りに妬まれて足元をすくわれる。そのために、彼は「変ななよなよした奴」というポジションを築き上げたのだという。それが彼が編み出した、日本社会で労力少なく目的を通すためのやり方なのだ。

さて、この時枝満、どっかで見たキャラクターだよなぁ、と思っていたら、短編集「象と耳鳴り」 の中に確り出てきていましたよ(「新・D坂の殺人事件」「給水棟」の二編)。浮世離れしたこのキャラクター、なかなか素敵なのですよ(彼が作る料理もね)。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「ねじの回転」/歴史上のIF

 2006-07-09-18:49
オンライン書店ビーケーワン:ねじの回転
恩田 陸
ねじの回転―FEBRUARY MOMENT

価値というのは相対的なものだってことさ。周囲の状況いかんでモノの価値は変わる。たった一つの条件が変わっただけで、思いもよらぬ価値を持つものがあるっていうことだ。
え? もっと具体的に?
そうだな。じゃあ、こんな話はどうだろう。
むかしむかしあるところの、ある四日間の話だ・・・・・・

これは二・二六事件の話。とはいえ、単純なその時代の話ではない。
人類が時間遡行の技術を手に入れた時代の話。

時間遡行の技術を手に入れた人類は、史実に残る悲惨な出来事を回避しようと、歴史への介入を決定し、「聖なる暗殺」を行った。しかしながら、「歴史は自己を修復する」。一つの災いを防いでも、また新たな災いが人類を襲い、一つのホロコーストを防ぐ事が、百のホロコーストを引き起こす結果となった。それはまた、激しい老化を伴う原因不明の病、HIDS(歴史性免疫不全症候群:Historical Immune Deficiency Syndrome)が蔓延する原因ともなった。「やり直し」の未来においては、1990年代後半には既に、人類は文明を維持できるだけの人口すらも、確保出来なくなってしまったのだという。

ここへ来て、国連は時間と歴史を再生するという、世界規模のプロジェクトを始めた。介入点と定められた事象が起こった時代に行き、史実を読み込ませたコンピューター「シンデレラの靴」を使って、その事件を「確定」し直す事で、「やり直し」の未来を修復しようというのだ。二・二六事件が、第二次大戦における日本の転換点と見なされ、国連スタッフが見守る中、懐中連絡機・ピリオドを持たされた、その時代の人間達が二・二六事件をやり直す。史実と違う出来事は許されない。万一、史実と違う出来事が起こった場合は、「シンデレラの靴」が不一致を宣告し、前回の確定時点までリセットされてしまうのだ。二・二六事件は、このプロジェクトの最後の事象。「正規残存時間」なる確定までに残された時間も残り少ない中、国連スタッフやピリオドを持たされた陸軍青年将校たちの苦闘が始まる。

ハッカーによる「シンデレラの靴」の中の史実の書き換え、人の生死の齟齬、この時代の人間への猫からのHIDSの爆発的感染、ピリオドを持った栗原による国連スタッフの襲撃、起こるはずの無かった陸軍と海軍との衝突、これまで決して行われなかった「シンデレラの靴」の強制終了、どちら側の時間をも巻き込んで、事態は悪化の一途を辿る。さあ、一体どうなってしまうのか?

何が正しくて、何が間違いなのかなんて、人間には判断できない。この本を読んで、安藤、栗原、石原など、この時代の二・二六事件の登場人物たちの、迷い、意思、行動も印象深かったけれど、一番印象に残ったのは、「好奇心は人類に与えられた最強のギフトだからね」という、国連スタッフ・アルベルトの台詞と、一人、隠れん坊をする事になった同じく国連スタッフのマツモトのこと。

二・二六事件と時間旅行者を絡めた話といえば、もう一点、宮部みゆきの「蒲生邸事件」がある。こちらの話はすごく乱暴にまとめると、「まがいものの神」であった一人の時間旅行者が、普通の人間として生き抜いていくという話。宮部さんの本は、基本的に人情話であり、そこには常に善悪の判断がある。善に向かって歩む純粋な少年と、経験のある老人コンビが活躍する事が多いのも、きっとそういうこと。

一方の恩田さんは善悪を超えた話を作る。どちらがいいとか悪いとかではないけれど、「善悪の判断」という一つの価値基準が入る分だけ、宮部さんの話は囚われている部分があるように思う。恩田さんは善悪に囚われず、人間の色々な関係性をそれこそ「好奇心」でもって、描き出しているような感じがする。

前半、凄く引き込まれるのだけれど、後半少々尻すぼみな点、SF、ファンタジーの作りが甘いと指摘される点など、恩田さんと宮部さんには共通点があるように思うけど、その点はちょっと違うなぁ、と思うのであった。珍しく、こんなことを書いていますが、ペトロニウスさんの「ブレイブ・ストーリー」における宮部みゆき論を読んでいたら、つらつらこんなことを考えてしまいました・・・。

 ◆ペトロニウスさんの記事はこちら
  →『ブレイブストーリー』 宮部みゆき著(再掲) ?

ちなみに、この「ブレイブ・ストーリー」は、異世界のあまりのリアリティーのなさが、私はちょっとダメでした。わざとなのかもしれませんが、現実世界とのあまりの濃淡の差に、ちょっとついていけなかった・・・。

さて、ねじの回転」というと、私は読んだことがないのですが、ヘンリー・ジェイムズの同名タイトル(おお!南條さんの訳だ!)の幽霊譚が有名なのですね。かなりの量の読書をなさっている恩田さん。このタイトルも無関係ではないのかな。恩田さんの本って、語りが上手いので浅くも楽しめるけど、実はこういうところを追っていくと、もっと楽しめるのかもしれません。ま、本筋ではないだろうし、少々、オタク的楽しみではあると思うけど・・・。

ヘンリー・ジェイムズ, 南條 竹則, 坂本 あおい
ねじの回転 -心霊小説傑作選-

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「ライオンハート」/惹かれあう二つの魂の行方

 2006-02-15-09:06
恩田 陸
ライオンハート

魂は全てを凌駕する。時はつねに我々の内側にある。
命は未来の果実であり、過去への葦舟である。

エリザベスとエドワード。二人は時空を超えて、何度も何度も巡り合う。エドワードの女神、エリザベスは繰り返し彼のもとに現れるが、その出会いは一瞬のもの。
別れはいつも彼に甘美な痛みをもたらす。

一目あったその瞬間から喜びに満たされるが、会った瞬間からすぐに別離が始まっている恋。歓喜の瞬間が短いからこそ、共に過ごす時間が短いからこそ、完璧である恋。完璧な魂の結合。

あとがきにもあるけれど、これは恩田さん版メロドラマ。恋の純度という面では、佐藤賢一「王妃の離婚」 を思い出した。

一瞬だからこそ、美しく完璧である恋。「記憶」の章では、恋が結実したように見えるのだが、それについての言及はない。そして、その後も二人はまたすれ違い、巡り合う。

それぞれの章の始めに、カラーの絵がついているという面白い作り。正直、その背景にある歴史がこなれているか、というと、最近佐藤賢一氏などを読みつけているせいか、これには若干の難があるようにも感じる。ただ、惹かれあう魂は美しいし、恩田さんの登場人物独特の、外見の美しさも好きでした(黒い髪、黒い瞳を持ち、笑顔が大理石から切り出したよう、と形容されるエドワードなど、硬質な美しさ)。

 ← こちら、文庫です

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
エリザベス

にしても、恩田さんを読むときに、イギリス史の知識が必要になるとは思いもしませんでした。むかーし、むかしに見た、映画「エリザベス」を思い出しながら、読みました。ケイト・ブランシェットが美しく、毅然として良かったんですよね。愛らしい少女のときと、全然表情が違うのです。お相手役が、恋におちたシェイクスピアの人とおんなじで、確かこの二作はそう時間的な差がなく公開されたので、それだけはちょっと違和感あったんですよね~。だって、そこにシェイクスピアがいるんですもん!(あんまり演技、役柄も変わらなかったし)

第一章「エアハート嬢の到着」における、アミリア・エアハートは、「アメリア・イアハート」のことなのかな(Wikipediaにリンク )。?彼女は、女性として始めての大西洋単独横断飛行などをしたが、1937年世界一周飛行の途中で南太平洋で行方不明となった、アメリカの女性飛行士。

あと、気になったのが、ヴァージン・クイーン、エリザベス一世の紋章。
右側に一角獣、左側に若い女。これ、実際の紋章なのかな。見てみたいです。

あとがきによると、この物語は、ロバート・ネイサンの「ジェニーの肖像」への個人的なオマージュであるとのこと。また、アイザック・アシモフの「世界の年表」(丸善)もオススメされています。なんでも、宇宙の誕生から第二次世界大戦終了までの歴史が、一冊で書かれているんだそうな。さすが、博学アシモフ!

ロバート・ネイサン, 井上 一夫
ジェニーの肖像

?← でも、これ、すごい値段です・・・
アイザック アシモフ, Isaac Asimov, 川成 洋
アイザック・アシモフの世界の年表

恩田陸バトン

 2006-02-07-17:32

苗坊の読書日記苗坊さんから、「恩田陸バトン 」を頂きました。
苗坊さん、どうもです! えーと、でも、前走者の方は、「東野圭吾」さんでやっておられるようなので、これは「作家バトン」と言うべきなのかな。

恩田陸さんは、去年、その面白さに目覚めた作家さんで、でも一気に読んでしまうのは何だか勿体無くて、チビチビとゆっくりその著作を読み進めている所です。チビチビ読まなくても、恩田さんの作は沢山あるから、きっと大丈夫なんですけどね。

? PCもしくは本棚に入っている『恩田陸』
 
す、すみません、図書館のヘビーユーザーであるワタクシ。実は所有している作品は、『夜のピクニック』だけなのです。しかも、これは頂き物だったりもします・・・。自分の中で、ぐるぐると巡りに巡った結果ではあるのですが、この本はブログを始めた切っ掛けの一つでもあります。

 で、設問の「PCに入っている」を拡大解釈して、このブログ上にある恩田さん関連の記事をリンクしておきます。ほとんど、記事の虫干しですね・・・。

 「夜のピクニック
 「麦の海に沈む果実
 「黒と茶の幻想
 「六番目の小夜子
 「図書室の海
 「禁じられた楽園
 「象と耳鳴り
 「月の裏側
 「夏の名残りの薔薇
 「木曜組曲

 その他、メモを取らずに返却してしまったので、記事は書いていないけれど、『ネバー・ランド』も読んだことがあります。今のところ、一番好きだったのは、『黒と茶の幻想』です。

? 今妄想している 『恩田陸』
 
うーん、妄想とはなんでしょう??次に読みたいな、と思っているのは、『ライオンハート』喋喋雲さんの記事を読んでから、気になってます。

喋喋雲さんの記事はこちら
  →輪廻する魂は夢から生まれる 「ライオンハート」

 妄想するとしたら、最後までびっちり怖~い、恩田さんの本。
『禁じられた楽園』『月の裏側』は途中まではすっごい怖いのだけれど、ラストがいまいち決まらないんですよね~。恩田さんのファンではあるのですが、ここだけはほんとに惜しい!、と思うのです。

? 最初に出会った『恩田陸』
 
前述の頂き物の『夜のピクニック』。以降、読んだものに、これ以上に爽やかな学園物はないと思うのですが、ん?これはただの爽やかな学園物ではないぞ、と思ったのが、はまった切っ掛けです。瑞々しいんだけれど普遍的で、年齢に関わらず、少々気恥ずかしくはあれど、胸をアツくしてしまう物語だと思います。他のものに比べ、多少、優等生的ではあるのですが。

? 特別な思い入れのある 『恩田陸』
 
『黒と茶の幻想』。謎、質問を提示され、それに答えることで、見えてくるものもある。これは色々なタイプの人間が、一番上手く書かれているように思います。

? あなたにとって『恩田陸』とは?
 
人間観察に非常に優れた人。これからも、おおっと思わず唸ってしまう表現に触れたいなー、と思います。印象深いのは、『麦の上に沈む果実』のヨハンの美少女考や、『月の裏側』の「人を読む」新聞記者高安などの鋭い描写。柔らかな表現の下にある、絶望や怖さをもっともっと魅せて欲しいなぁ、と思う。

? バトンをまわしたい人6人 とその【お題】
 
6人って多いですね。笑 こんなに多いのは初めてだー。
えーと、「作家バトン」のようですので、もし「この作家さんについて語りたいっ!」という熱い思いをお持ちの方がおられましたら、どうぞ持っていってくださいませ。

 うーん、でも、これって読んで面白いものを書くのが難しいような・・・。設問を少し弄った方が面白いかもしれませんね(とかいいつつ、弄るセンスは私にはないのですが)。最近、局所的にブーム化している、佐藤賢一や南條竹則について、お聞きしたくもあるのですが、既にみなさん記事の中で、この程度の事は書かれているようにも思うしなー。

「木曜組曲」/女という業、物書きという業

 2006-02-06-10:15
恩田 陸
木曜組曲

えい子、静子、絵里子、尚美、つかさ。五人の女たちは、毎年ある時期の木曜日を中心とした三日間、『うぐいす館』に集い、飲み食いしながら、気の置けない会話を楽しむ。彼女たちを結び付けているのは、四年前に『うぐいす館』で自殺したとされる、作家の重松時子。時子が「自殺」したその日にも、彼女たち五人は、『うぐいす館』に集まっていたのだ。

由緒ある旧家であり、芸術家肌の個人主義を貫く重松家にあって、時子はもって生まれた素養を背景とした耽美的でペダンティックな作風で知られ、一部に熱狂的なファンを持つ作家であった。彼女の影響は編集者であるえい子、異母姉妹である静子は勿論、少々複雑な血縁関係にある尚美、つかさにも、大きく及んでいた。美術関係の出版プロダクションの経営者であり、書画や骨董に関するエッセイでは、名文家として知られている静子であったが、天才である姉、時子にはいつもコンプレックスを覚えていたのだという。尚美、つかさは、自分たちの書くものは、時子からすればお嬢さんの作文程度であろうと思いつつも、幼い頃から読んできた時子の小説に対する尊敬の念、憧れは揺るがない。

えい子を除き、唯一血縁者ではない絵里子は、この女たちの集まりに『若草物語』の四姉妹を見る。少々薹が立ち過ぎ、また『若草物語』といえど、ここにいるのは、全て性格も職業も次女のジョーばかりではあるのだが・・・。

ここ数年は何事もなく、えい子の料理と当たり障りの無い会話を楽しむだけの集まりであったのだが、謎の人物から贈られた花束を切っ掛けに、四年前には分からなかった事実が、次々と明るみに出る。

「自殺」であるとされた、時子の死の真相とは?

女という業、物書きという業を考えさせられる物語ではあれど、これはまさに女だけの「女たちのおしゃべり」のお話。物語の流れも会話も、全て「女性」を強く感じさせられる(よく食べ、よく飲み、よくしゃべる!そして会話は、ぽんぽんと飛ぶ)。知られていなかった事実、見えなかった事が語られる点には、「夏の名残りの薔薇 」を思い出すが、小説としての出来は、「夏の~」の方が上だと思う。

手強く、したたかな女たちは、なかなかに素敵でもあるのだけれど、この本の描写からは、大きな存在であるはずの「時子」の凄さが実感出来なかった所が残念。小説家の作をもってして、その人となりを描く事って、結構難しいようにも思う。時子ではなく、生きている他の人物たちの描く小説は、その行動から何となく理解出来るのだけれど。その結果である小説ではなく、行動の方が、人物をすんなり理解出来る。

物書きって因果な商売なのかもね、と思う一冊でありました。ただし、これまで読んだ恩田さんの作の中では、私の評価は低いです。女性よりもむしろ、「女同士の会話、世界」に、怖いもの見たさの興味のある男性に、オススメしたい感じです。
(うーん、でも、こういう流れって、男性には辛いのかな)

「夏の名残りの薔薇」/変奏曲

 2005-12-22-08:50
恩田陸「夏の名残りの薔薇」

真実はどこに? それは各人の心の中に。

そして、ほんとうにそれがあったかどうかは、実は大きな問題ではないのかもしれない。

現世から隔絶したような山の上のホテルでは、毎年同じ時期に三人の魔女のような老姉妹が待っている。滞在中一度はよばれるという、お茶会の中での気まぐれにより、次の年にまた招待されるかどうかが決まってくるため、招待客は彼女らのバックにある財力を恐れ、戦々恐々としつつも毎年この山の上までやって来る。それは「招待されている」という自尊心を擽るものでもあり、かつ三姉妹の毒を求めてのことでもある。

夕食時の三姉妹のテーブルは、いつもショーのよう。彼女らが主演する物語であり舞台。どこまでが真実で、どこからがうそ幻なのか。それは三姉妹にしか分からない。周囲のものたちは、ただ嘘で織られたタペストリーを眺めるのみ。

さて、そんな山の上のホテルにやってきた人物のうち、主たるものは桜子、時光の姉弟、桜子の夫、隆介、三姉妹の一人、丹伽子の娘で、女優の瑞穂、そのマネージャーの早紀、桜子の浮気相手であり、輸入車ディーラーの辰吉、大学教授の天知。

桜子と時光は、それぞれに家庭を持つ、人も羨む美しい姉弟だが、実は長期間にわたり、近親相姦の関係にある。時光にとって、一年に数日、美しい姉、桜子を所有出来る、このホテルでの時間は掛け替えのないもの。ここは全て「秘密を持つもの」の集まりだと信じている。

一方の桜子は、実の弟と関係を持ちつつも、ディーラーの辰吉とも浮気をするなど、なかなかに捉えどころのない女性。好き好んで浮気をしているというよりも、ただ自分に求められるものを、そのまま与えているようにも見える。

桜子の夫、隆介は三姉妹の甥にあたる。恵まれた環境に育った彼は、今では如才なく商才も発揮している。時光から見ると、彼は育ちの良い牧羊犬であるが、実際の彼はそんな柔な人間ではない。

女優である瑞穂は、三姉妹たちの悪意を受け継ぐことはなかった。毎年ホテルで醸し出される悪意、険悪な雰囲気に怯えつつも、彼女の安定剤として、マネージャーの早紀を連れて、嫌々ながらもやって来る。

大学教授の天知。基本的にこの招待客は、三姉妹のうち、一人からの招待を受けてやってくる。しかし、彼だけは三姉妹の内、誰から招待を受けたのか、それが良く分からない。随分、古くからの付き合いにも見えるのだが・・・。

そして毎年繰り返された、この「招待」は今年で終わる。

章立ては、主題の次に、第一変奏第六変奏へと続き、登場人物一人の視点を持って語られる。「変奏」は、それぞれ衝撃的な場面で終局を迎えるのだが、次の「変奏」では何事もなかったように、また同じ題材が違う視点で繰り返し語られる。そしてその終局は、全て違ったもの(第六変奏のみ、一年後の話)。
何が真実だったのか? くらくらと酩酊するような物語。
*****************************************
登場人物の内、今回気になったのは、桜子と桜子の夫、隆介の二人。

隆介は一見、金持ちのボンボン風ではあるが、彼の内面はそれから類推されるような、弱いものではない。看板に押しつぶされることなく、その幸運をきちんと享受出来る実力の持ち主。そして、その幸運に実は物足りなさを覚えるくらいの、傲慢、贅沢を自覚している。
そんな彼の前に現れたのが、時光と桜子の美しく気品に溢れた姉弟。
時光は所有することは出来ないが、桜子を所有することならば可能である。

私は他人が思うよりもずっと、人間関係には敏感なのである。男女関係をはじめ、誰が誰に反感を持っているか、誰と誰が手を結ぼうとしているか、他人の動きや表情をちょっと見ていれば分かってしまう。それは生きていくために必要な嗅覚であるが、元々子供の頃からその辺りにはひどく敏感だった。もっとも、その敏感さはある程度隠していた方がいいことも、昔から本能的に知っていた。おっとりした気のいい三代目でいるほうが周囲から愛されるし、皆無防備に情報を提供してくれるものなのである。かといって、決して舐められてもいけないところが、匙加減の難しいところだ。
最初、二人の関係に気づいた時は愕然としたが、逆に安堵のような気持ちを覚えたことも事実である。

彼にとって、桜子と時光の関係は許せるものであるが(むしろ桜子を通して、時光を所有しているという満足感すら覚える)、桜子と辰吉の関係は、「舐められない」ために許すことが出来ないもの。彼にとって、このホテルにやって来て、桜子と時光の年に数日の楽しみを奪うことは、決して本意ではなかった。

ここで手を打たないと、私は無能の烙印を押されることになる。私は、私が自分の問題を解決できる男であることを、各方面に対してアピールしなければならなかったのである。

さて、一方の謎めいた桜子。彼女もまた、時光を愛していた。

時光は、昔から美しい子供だった。彼の無垢を愛していた私は、それを守るために努力をした。そのことが、彼から成熟や、清濁併せ呑む大人の知恵などを奪い取る結果になったかもしれない。だが、私はそのことを後悔していない。隆介が彼に執着するのは、やはり彼のそういうところに惹かれるからだと思う。私が守り育てた弟は、私に夫を連れてきてくれた。だから、私の努力は間違っていなかったのだ。

この二人の愛は空恐ろしくもあるが、無垢を愛する気持ち、愛でる気持ちは分かる。時光が実際に無垢であるかどうかは、分からないけれど、無垢なものに対する憧れは、自分が喪ってきたものへの憧憬でもあるのかもしれない。

 
恩田 陸
夏の名残りの薔薇

さて、この小説には、各所にある映画の場面が挿し込まれる。あとがき-二つのマリエンバートの狭間でによると、これは、『去年マリエンバートで』という映画のシーンだそう。

迷宮のようなホテルを徘徊する、人形のように無機質名登場人物。シンメトリーの巨大な庭園、囁くように繰り返される台詞。演劇的な虚構の空間を埋める、様式美に溢れた白と黒のコントラスト。

この「夏の名残りの薔薇」の核には、映画『去年マリエンバートで』がある。マリエンバートは、チェコの古い保養地の地名のドイツ語読み。かなりの箇所が引用されているけれど、雰囲気だけを楽しんでそのまま読むことも可能。でも、その核となった映画をちょっと見てみたくもある。

ビデオメーカー
去年マリエンバートで〈デジタル・ニューマスター版〉 

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「象と耳鳴り」/日常の謎

 2005-11-16-08:20
恩田陸「象と耳鳴り」

「六番目の小夜子」に出てきた、関根多佳雄を探偵役とする、本格ミステリ風の小品集。ただし、「六番目の小夜子」 では、現職の判事だった多佳雄は退職判事となり、「図書室の海」 に出てきた夏は弁護士、兄の春は検事となっている。

目次
曜変天目の夜
新・D坂の殺人事件
給水塔
象と耳鳴り
海にゐるのは人魚ではない
ニューメキシコの月
誰かに聞いた話
廃園
待合室の冒険
机上の論理
往復書簡
魔術師
あとがき

「あとがき」には、恩田氏自身による解説つき。
この短編集のどの短編をタイトルにするか迷った末、装丁のためにこのタイトルに決めたそうだ。東京創元社の三十年前のペーパーバック、バリンジャー「歯と爪」(装丁は花森安治氏)のデザインに惚れ込んだそう。

恩田 陸
象と耳鳴り
←というわけで、装丁はこんな感じ。すっきりと美しい。

私が特に好きだったものを挙げておきます。

■曜変天目の夜
-きょうは、ようへんてんもくのよるだ

美術館で倒れた老婦人を見た関根多佳雄は、十年ほど前に亡くなった友人を思い出す。司法学者であった友人、酒寄順一郎と多佳雄は、しばしば順一郎の自宅で深夜まで熱心に判例の解釈について話し合ったものだった。いつもと同じようにすっかり遅くまで話し込んだ多佳雄が、一階の客間で眠り込み、順一郎は二階の寝室に引き上げたのだが、晩秋のその夜、彼は帰らぬ人となった。

最後に窯を開けてみて、美しい茶碗が出てくるか、割れた土くれが出てくるかは、誰にも分からない-

多佳雄は友人の意図に気付く。曜変天目茶碗は、日本の茶道がわび・さびを確立する前の時代、茶碗そのものの美しさが珍重された時代に、最上のものとされた茶碗。茶碗の中に沢山の星が散り輝いている。窯の中で偶然に出来るそれは、宇宙を逆さまに覗き込んでいるような錯覚を人に与える。人は自分の中の暗黒を、どう処理するのだろうか。

■新・D坂の殺人事件
渋谷の道玄坂に、突如若い男性の変死体が現れた。街を徘徊していた「男」は、同じく街を回遊していた多佳雄と知り合う。男性の死体はどこから現れたのか?乱歩「D坂の殺人事件」を絡めて、「男」と多佳雄は喫茶店で推理を行う。

この「男」は名を時枝満といい、続く「給水塔」には、多佳雄の散歩仲間となって再登場する。

■往復書簡
新人記者となった姪の孝子との書簡のやり取りの中で、多佳雄は奇妙な放火事件の話を聞く「一見箱入りで世間知らず」に見える孝子の、聡明さ、生き生きと働く様子が清清しい。

「廃園」は私の好みではないのだけれど、女の情念が怖い小編。噎せ返るような薔薇の匂いがする庭園には、どこか妖しさ、恐ろしさを感じずにはいられない。それが廃園となれば、よりいっそう・・・。

どれもごく短い話なので、するりと読める一冊だと思う。
自分の身近にも、実は日常の小さな謎が転がっているのかもしれない。

恩田 陸
象と耳鳴り―推理小説  ←既に文庫化されているようです
祥伝社文庫

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「月の裏側」/ひとつになりたい?

 2005-11-08-09:59
恩田陸「月の裏側」幻冬舎

箭納倉は水の街。街中に、迷路のように掘割が張り巡らされている。

大手レコード会社のプロデューサーである多聞は、旧知の大学教授、協一郎の誘いにのって、箭納倉へやって来た。

「ようこそ、箭納倉へ」

箭納倉では、ここ一年の間に、奇妙な事件が連続して起こっていた。
何れも堀に面した家に住む、三人の女性が数日間失踪した後、何事もなかったかのように、ひょっこりと戻ってきたのだ。

この街に一体何が起こっているのか?

「ゲーム」の参加者は、前述の多聞、協一郎に、地方新聞社の記者・高安と、協一郎の娘・藍子を加えた、人間四人プラス猫の白雨。

話をする内に、多聞は協一郎の弟夫婦も、この一連の失踪者であることを知る。しかも、藍子によれば、叔父夫婦と一緒に失踪した猫を火葬にした際、その後にはタール状の物質の他に何も残らなかったという。通常であれば、骨が残るはずなのに・・・。続いて猫の白雨はどこからか、人間の体の一部に良く似た物体を拾ってくる。これらは何を意味するのか?

あれは「ひとつ」。人類は戦略的に多様性を目指してきたが、同時に「ひとつ」になりたいという誘惑とも常に戦ってきた。

ひたひたとした恐怖を感じさせられる。水ってどうして怖いのかなぁ。
ラスト、殆ど明るいともいえる受容の様子は、空恐ろしくもある。
**************************************************
話としては、そこまで優れたプロットではないと思うのだけれど、流石恩田さん!と思った部分を抜書き(文章には若干手を加えています)。

■言葉について
言葉が違うということは、その人間が異分子であるということを如実に示す。自分の身を守り、共同体に馴染むには、その共同体の言葉を覚えるのが有効である。しかし、あまりに言葉の習熟が早すぎると、馴染むべき共同体から逆に警戒されてしまう。また、それぞれの共同体には、その共同体のコアを表す言葉というものがあり、ネイティヴでない者が、ある共同体の言葉を学ぶ時、骨を埋める覚悟がない限り、その共同体のコアの言葉は使うべきではない。通過者のとるべきスタンスは、共同体のルールに熟知しその内側にいるが、共同体のコアには関心を示さないというもの。

■探検について
ゲームは男だけでやった方が面白い事を、男は子供の頃から本能的に知っている。しかしそこに参加したがる女の子は、みんなが密かに憧れている女の子であったりする。彼らは内心迷うのだが、大抵の場合、女連れを良しとしない意見が勝つ。だが女の子は、メンバーの中で自分に気があると思しき男の子、若しくは一番博愛主義者であると思われる男の子に攻撃を絞り、彼一人に許可を求め、かつ彼に他のメンバーを説得することを求める。こういう時の人選を、女の子は決して間違えない。そして、当初の目的だった探検は、大抵一人の女の子に振り回されて、全然違うものになってしまう。

■新聞記者高安が語る、人を「読む」ことについて
自分が体験したことのない「悩める青春」や「感情のもつれ」、「人間の心の闇」を知る意味で、読書が好きだった。やがて、私は現実に存在する者たちを「読む」方が面白いことに気付く。人間を読むことは、読書よりも遥かに複雑でスリリングだった。人間の「読み応え」は様々で、直ぐに私は「読み応え」のあるものを求め始めた。記者という職業を選んだのは、この好奇心のためであり、同僚たちの正義感や使命感、文章修行、功名心などとは全く無縁であった。

■直感について
子どもの受け取っている情報と、大人の情報では質的に異なる(感じていることも、必要としていることも)。また、受け取った情報の処理の仕方も、子どもと大人とでは異なっている。反抗期とは、子どもの情報処理システムから、大人のそれに移行する時の混乱なのではないか。
**************************************************
この本の中に出てきた、「文学しりとり」、なかなか良かった。文学作品のタイトルでしりとり。本好きが集まってやったら、ちょっと楽しそうではありませんか?


 ← 私が読んだのはこちら
恩田 陸
月の裏側
 ← 既に文庫化されているようです

得体の知れないものの恐怖としては、スティーブン・キング「It」が、今までの読書の中では一番。これも、水のイメージがありませんでしたっけ?(その時の恐怖感は残っているのに、話を殆ど忘れてしまいました。あな、情けなや)
スティーヴン キング, Stephen King, 小尾 芙佐
IT〈1〉
スティーヴン キング, Stephen King, 小尾 芙佐
IT〈2〉
スティーヴン キング, Stephen King, 小尾 芙佐
IT〈3〉
スティーヴン キング, Stephen King, 小尾 芙佐
IT〈4〉

「禁じられた楽園」/怖い怖い怖い怖い

 2005-10-11-09:07
恩田陸「禁じられた楽園」

季節は凶暴な夏。

噎せ返るような緑の中、和歌山の山中深くに作られた、『神の庭』に招かれた捷と律子。『神の庭』は、世界的アーティストである烏山彩城が作った、場所や空間全体を作品として体験させる芸術(インスタレーション)であり、一大テーマパークでもある。

しかし、そこは誰もが入ることが出来る場所ではない。彼らをそこに呼び寄せたのは、何の意志なのか? なぜ、ごく一部を除いて、平凡な人間である彼らが、烏山彩城の甥であり、やはり世界的アーティストである、烏山響一から『神の庭』への招待を受けたのか?
烏山響一と、捷と律子との関係は、知人ではあるが、親しい友人ではない。

ほぼ同時期に、『神の庭』プロジェクトに関わった、大手広告代理店勤務の淳が失踪する。彼の婚約者である夏海、大学時代の友人和繁も、淳を追う
うちに『神の庭』に足を踏み入れる。

彼らがそこで見たものとは?
***************************************
全編に散りばめられた負のイメージや引力、圧倒的なインスタレーションのイメージが、とてもとても怖い小説。憎悪、悪意、暗く隠しておきたい部分。
ちょっと、これ、一人でいる時には読みたくない。

ラストはそれまでの緊張感に比べると少しあっけないけれど、ここまで怖い、不思議な感覚を味あわせて貰ったから、まあ、十分なのかな。
あの形でないと、収拾つかないし。

この本の中のインスタレーションは、絶対自分では体験したくない。
自分の中からは、どんな暗い記憶が呼び覚まされるのか?
恩田さんは、どこからこんな怖いイメージを生み出せるのだろう。とても怖く、不気味でもある小説。

wikipediaによる「インスタレーション」の解説はこちら

恩田 陸
禁じられた楽園

☆関連過去記事
図書室の海 」、「六番目の小夜子 」 、「黒と茶の幻想 」 、「麦の海に沈む果実 」 、「夜のピクニック 」?

「六番目の小夜子」/怖さに惹かれる、謎に惹かれる

 2005-09-15-09:01
彼らが通う地方の進学校では、三年ごとに行われるサヨコ・システムが存在する。ある一人の生徒が「サヨコ」として選ばれ、決められた手順どおりに事を行う。これは、そのサヨコ・システムの六代目の話。だから、「六番目の小夜子」。サヨコ・システムはすでに十五年もの間、引き継がれている。色々と面倒な決まりを踏襲するサヨコ・システム。これがこんなにも長い間受け継がれてきたのはなぜなのか?そこには誰の、何の意志が存在するのか?

学校とは回っているコマのようなもの。いつも、同じ位置に真っ直ぐ立って回り続けている。紐を持つのが生徒で、コマが失速して倒れないように、一生懸命叩いて努力する。生徒はどんどん変わり、紐は次の生徒たちに受け継がれる。このコマの回り方が、それぞれの学校の個性と伝統なのだ。

主たる登場人物は、転校生の津村紗世子、花宮雅子、関根秋(しゅう)、唐沢由紀夫。彼らは高校三年生(関根秋の姉は、「図書室の海 」の夏)。受験という「祭り」を控えた高校三年のこの一年に、小夜子というもう一つの「祭り」が重なる。

津村紗世子は顔よし、スタイルよし、頭よし、運動神経よしと、ほぼパーフェクトな転校生。人身掌握の術だって大したもの。地方の進学校に三年生で転校してくる生徒は、とても珍しい存在。出来すぎの『謎の転校生』を迎えて、サヨコ・システムが発動した、この一年間の緊張感は否応なしに高まる。

サヨコ・システムの決まりによって上演される学園祭の芝居において、その緊張感はクライマックスを迎える。諸事情で行われない年があって、芝居が行われるのは、実に9年ぶり。芝居のタイトルは「六番目の小夜子」。暗闇の中で行われるこの芝居、読んでいるこちらにもその緊迫感が伝わってくる。

おおよその謎が解き明かされるラストを読んでも、何だか割り切れないものが残る。直截的に「怖い」小説ではないのだけれど、これは解説の綾辻行人氏も書いておられる通り、「魅力的なホラー小説」だった。

恩田 陸
六番目の小夜子

この本は、普通とは逆の道を辿っている。新潮文庫ファンタジーノベル・シリーズの一冊として刊行され、その後、文庫版を大幅改稿して単行本が刊行されたそうだ。私は単行本を読んだのだけれど、文庫版とはどう異なっているのだろうか。
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「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
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