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「ボトムズ」/テキサス東部、大恐慌の時代に

 2009-05-12-00:08
ボトムズ (ハヤカワ・ノヴェルズ)ボトムズ (ハヤカワ・ノヴェルズ)
(2001/11)
ジョー・R. ランズデール

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ボトムズ。テキサス東部の田舎の低湿地帯。八十歳を過ぎた私が老人ホームで思い出す、一九三三年から一九三四年にかけて起こったあの一連の事件…。

ジョー・R・ランズデールは、「モンスター・ドライヴイン」(感想)を読んだきりだったので、この「ボトムズ」表紙の”アメリカ探偵作家クラブ賞受賞”に、「えええ?」と思いながら借りてきました。「モンスターズ・ドライヴイン」、好きだったんだけど、いい意味でとってもB級な感じだったので、”探偵”という言葉に何だか違和感を感じたのでした。でもでも、これがまたしてもいい意味で裏切られて、面白かった~。事件自体は、面白いというものではないのだけれど…。

amazonから引きます。

内容(「BOOK」データベースより)
暗い森に迷い込んだ11歳のハリーと妹は、夜の闇の中で何物とも知れぬ影に追い回される。ようやくたどり着いた河岸で二人が目にしたのは、全裸で、体じゅうを切り裂かれ、イバラの蔓と有刺鉄線で木の幹にくくりつけられた、無残な黒人女性の死体だった。地域の治安を預かる二人の父親は、ただちに犯人捜査を開始する。だが、事件はこの一件だけではなかった。姿なき殺人鬼が、森を、そして小さな町を渉猟しているのか?森に潜むと言われる伝説の怪物が犯人だと確信したハリーは、密かに事件を調べる決心をする―鬼才が恐怖の原風景を描き、最高の評価を得た傑作ミステリ。アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞受賞作。

暗い森の中でハリーと妹トム(トマシーナ)が目にしたのは、死体だけではありませんでした。半身が山羊、半身が人間の姿をしたゴート・マン。大人はその存在を認めないけれど、彼らは確かにその頭に角を見、哀しげな甲高い声を聞いたのです…。

オカルトめいた雰囲気、猟奇的殺人…。こう書くと暗いばっかりなんだけど、裕福とは言えない暮らしの中、テキサス州東部というこの場所で、自分の為すべき事をする、父や母の姿がいいんだなぁ。黒人を差別するのが当たり前のこの土地で、ハリーの父も母もそういった考えは持ってはいないのです。父がこういう考え方や行動を起こす事になった、彼が少年の頃の出来事はやり切れないのだけれど…。

犯人が見つからない中、「二ガー」の死体を調べる父の立場は悪化していきます。二ガーのことはニガーに任せておけ。それがこの土地の一般的な考えなのだから…。黒人の老人、モーズが被害者の遺留品を持っていたことから、父は彼がやっていない事を確信しつつ、事件の進展としてモーズを逮捕します。ところが、このことが漏れたことから、モーズはリンチにより殺害されてしまいます。そうして、強かった父は陰鬱な物思いに沈んでいってしまう…。かつての父の親友であり、母を巡っての恋敵であったという、受け持ち区の違う治安官の警告…。道を見失いかける父でしたが、母やボトムズに骨を埋めたいと、伯母のもとから帰って来た祖母の力もあって、何とか立ち直ります。そうして、対峙した真犯人は…。

それなりに本を読んできちゃうと、やっぱりこいつ胡散臭いな~と思う人間がいるわけで、そういう点ではそう意外な犯人と言うわけではありません。それでもね、ハリーやトムと一緒に暗い闇を歩いた気分になったし、電気も水道もない中、贅沢なんかしようとも思わず、ただひたすら己の仕事をなす姿に打たれました。エピローグで語られる、その後の消息も決して明るいものではないのだけれど、それもまたリアルな人生なのかもしれません。エピローグの最後の台詞がまたいいんだ。これらは恐ろしい出来事だったけれど、楽しいこともまた沢山あった。この恐ろしさ、暗さがきちんと描いてあるから、その楽しさもきっと素晴らしいものだったんだろうなぁ、と感じるのです。川を渡るヌママムシの頭とか、ひーとか思うけど、とってもリアル(あ、これ、楽しい出来事じゃないけど。そして、さらにネットでヌママムシを検索して、その姿に恐れ戦く。Wikipediaにがっつり画像が載ってます)。

ボトムズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)ボトムズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
(2005/03/24)
ジョー・R・ランズデール

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「ぼくと1ルピーの神様」/答えはどこにある?

 2009-04-24-23:12
ぼくと1ルピーの神様ぼくと1ルピーの神様
(2006/09/14)
ヴィカス・スワラップ

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話題の映画、「スラムドッグ$ミリオネア」の原作本です。映画の記事を読むと、原作とは設定が少し違うんじゃないかなー、とは思うんですが。
目次
プロローグ
第1章 ヒーローの死 1,000ルピー
第2章 聖職者の重荷 2,000ルピー
第3章 弟の約束 5,000ルピー
第4章 傷つけられた子どもたち 10,000ルピー
第5章 オーストラリア英語の話し方 50,000ルピー
第6章 ボタンをなくさないで 100,000ルピー
第7章 ウエスタン急行の殺人 200,000ルピー
第8章 兵士の物語 500,000ルピー
第9章 殺しのライセンス 1000,000ルピー
第10章 悲劇の女王 10,000,000ルピー
第11章 エクス・グクルッツ・オプクヌ
     (またはある愛の物語)  100,000,000ルピー
第12章 十三番目の問題
エピローグ
訳者あとがき
クイズ番組で見事全問正解。大金をせしめたはずの少年、ラムの元にやって来たのは警察官だった。スラムに暮らす十八歳のウェイターに、答えが分かるはずがない。そう決めつけた番組関係者が、ラムの逮捕を望んだのだ。

拷問にかけられ、今にも賞金を辞退しそうになっていたラム少年のもとにやって来たのは、今度は彼の救い主である女性弁護士だった。彼女に語り始めた、ラム・ムハンマド・トーマス少年が全問正解出来た理由とは? また、「1ルピーの神様」とは?

面白いことは面白かったんだけど、混沌としたインドを舞台としているのに、そこには期待したような匂いがないんですよねえ。ラム少年の境遇は結構悲惨なんだけど、とんとんと進んで行ってしまうからか、現実味があんまりないのです。でも、そういうところを主眼とした物語ではないのだとしたら、これは映像の方が表現媒体としてより適している物語なのかもしれません。

ばっちり起伏もあるし、細かい部分は、映像が補足してくれるのかも・・・。実はもう一つの目的があったところにはおおっとは思ったけれど、「1ルピーコイン」の秘密に、割と早い段階で気付けちゃうところは、若干興ざめ。でも、一問ごとに明かされる少年の過去は、えらくバラエティに富んでいて、先が気になってどんどん読んじゃいます。

インド的深み、混沌はないのだけれど、青春やサクセス・ストーリーを楽しむ感じかなぁ。社会問題的な話もあるし、インド社会の厳しさ、不合理もあり、辛い現実が描かれるんだけど、あくまでテイストが軽いというか、やたらと読み易いんだよねえ。この辺は本業がインドの外交官であるという、著者のバランス感覚によるものなのかなぁ。
文庫もあるんですねー。↓
ぼくと1ルピーの神様 (ランダムハウス講談社文庫)ぼくと1ルピーの神様 (ランダムハウス講談社文庫)
(2009/02/20)
ヴィカス スワラップ

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「アンジェラの灰 上・下」/家族

 2009-03-31-20:59
アンジェラの灰 (上) (新潮文庫)アンジェラの灰 (上) (新潮文庫)
(2003/12/20)
フランク・マコート

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アンジェラの灰 (下) (新潮文庫)アンジェラの灰 (下) (新潮文庫)
(2003/12/20)
フランク・マコート

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子供のころを振り返ると、よく生き延びたものだと思う。もちろん、惨めな子供時代だった。だが、幸せな子供時代なんて語る価値もない。アイルランド人の惨めな子供時代は、普通の人の惨めな子供時代より悪い。アイルランド人カトリック教徒の惨めな子供時代は、それよりもっと悪い。
どこの国にも、幼いころの惨めさを得意気に語る人がいる。涙ながらに語る人もいる。だが、アイルランド人の惨めさは桁が違う。貧困。口ばかり達者で甲斐性なしの、飲んだくれの父親。打ちのめされ、暖炉のわきでうめくだけの信心深い母親。偉ぶった司祭。イギリス人と、そのイギリス人が八百年ものあいだつづけてきたひどい仕打ちの数々……。
それよりも何よりも、私たちはいつも濡れていた。(p7-8より引用)

貧乏、無知、迷信、無理解、不衛生…。まさに引用箇所にもあるように、読みながら良くこれで生き延びられたものだなぁ、と思うのです。実際、弟妹のうち、何人かは幼くして亡くなってしまうのだけれど…。いやー、実のところ人間は揚げパンとお茶、もしくはタバコとアルコールだけで生きられるもんなんでしょうか。明らかにビタミンだのタンパク質なんかが不足してます。

ところが、この前に読んだ「石のハート」(感想)なみに不幸な家庭かというと、これがそうではないんです。どん詰まりもいいところの状況にはあるのだけれど、どこか温かい視線すら感じるのです。父親の口癖、「アッハ、」は原語ではどんな言葉なんだろうな。この言葉がこの文章の独特なリズム感に一役買っているように思うのです。「翻訳文学ブックカフェ」(感想)を読んだ時に、訳者、土屋政雄さんが、この「アンジェラの灰」について言及されていたんだけど、原文の子供言葉の処理、お見事でありました。

飲んだくれの父親。お話をしてくれる父親。アイルランドのために死ぬことを誓わせる父親。少年フランク(フランキー)は父親はまるで三位一体のようだと思う。この父親が一緒に住んでいる時も全く役に立たないんだけど、家族をリムリックにおいて、お金を稼ぐためにイギリスに行ってからも、相変わらず全く役に立たないんです。週末、路地の他の家には、電信為替が届いても、マコート家に為替が届くことはない。例えば、幼い弟、マイクルなんかは、父親を見限って、母親にべったりになることが出来る。けれど、フランクにはそれが出来ない。フランクはクーフリンのお話をしてくれた父を覚えているから。長男の悲哀を感じてしまいます。

チフスで死にかけ入院した病室で、シェークスピアや詩に出会ってからが、私には俄然面白くなりました。しかめっ面で、北の出身の父親に良く似ていると言われ続けてきたフランクが、誰からも愛される弟マラキを巻き返したようにも思います。逆に大人になってからは、マラキの方が辛いんじゃないかな、と思ったり。

印象的だったのが、フランクが十四歳の誕生日を迎え、郵便局の臨時雇いになり、電報を配達をしていたときのお話。チップをはずんでくれるのは、お金持ちでは決してなく、フランクたちと同じような貧乏な人々でした。貧しく無知な中にある、信頼や感謝の念に打たれるのです。

しかし、信仰が何の助けにもなってないところが哀しくもあり。何せ「カトリック教徒の惨めな子供時代は、それよりもっと悪い」んです。司祭や教師が強要するこれは、信仰というかほとんど脅し。

これを読んでも、表題の意味は分かりません。訳者によるあとがきによると、続編「アンジェラの祈り」を読むと、この「灰」の意味が分かるのだとか。あ、アンジェラとは、フランクの母の名です。

こちらは「アメリカに渡ったマコート青年の悪戦苦闘ぶりに目を丸くすること請合い」で、「父マラキ、母アンジェラ、弟三人(マラキ、マイクル、アルフィー)にも再会できる」とのこと。そう、ラストはフランクがアメリカに渡るところで終わるんだけど、父親はイギリスに行きっぱなしだし、このまま家族が生き別れても全く不思議ではないのです(というか、父親に至っては、途中で死んでるんじゃ…、と疑っていましたよ)。マコート一家がもう一度全員揃うだなんて、この段階ではほとんど奇跡に思えるのだけれど、これがノンフィクションだというのだから凄いよねえ。

さっそく「アンジェラの祈り」も予約しちゃいました。

■Wikipediaの「クー・フリン」の項にリンク

「片目のオオカミ」/その目で見る世界

 2009-03-14-14:31
片目のオオカミ片目のオオカミ
(1999/09)
ダニエル ペナック

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マロセーヌくんシリーズから、ダニエル・ペナックに入った身からすると、ぶっ飛んじゃうようなお話なのです。饒舌なところはすっかり鳴りを潜め、むしろ静かな語り口。でも、こういうのも書けるから、ああいうぶっ飛び話も、読ませるお話になるんですかねー。
目次
第一章 オオカミと少年の出会い
第二章 オオカミの目
第三章 人間の目
第四章 ほかの世界
 訳者あとがき
語られるのは、動物園の檻の中に暮らす青いオオカミと少年との交わり。しっかり者の母、<黒い炎>、美しく優れているが、驕慢だった妹<スパンコール>たちと暮らした日々を、片目のオオカミはその瞳でもって少年に語る。十年前に人間たちに生け捕りにされる前の話、この動物園に来てからの、めすオオカミとの話。

そのお返しに語るのは少年少年の名は、アフリカ。少年が旅してきたのは、ラクダに乗って旅をした砂漠の<黄色いアフリカ>、ヤギ飼いとして暮らした<灰色のアフリカ>、パパ・ビアとママ・ビアと暮らした<緑のアフリカ>…。物語ることが上手なアフリカは、どんなに意地悪な大人に使われようとも、周囲に溶け込み、動物たちと心を通わせ、難題を解決していく。

そうして、少年が片目のオオカミの前に立ったわけ、そこで出会ったものたちとは…。片目で見る世界は、やはり限られたもの。ラストも心憎いのです。
■関連過去記事■
・「ムッシュ・マロセーヌ」/マロセーヌ・シリーズ4

「小鳥たちが見たもの」/彼らが見た世界

 2009-02-26-22:40
小鳥たちが見たもの小鳥たちが見たもの
(2006/12/12)
ソーニャ・ハートネット

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Ciel Bleu」の四季さんのところで知って、気になった本です。

■四季さんの記事は、こちら → 小鳥たちが見たもの」ソーニャ・ハートネット

四季さんが「最初のソーニャ・ハートネット作品がこれでなくて良かった」と書いてらっしゃるのが気になりつつ読んだんですが、うわー、確かにこれは厳しい。

主人公は九歳の男の子、エイドリアン。事情があって母とは離れ、祖母と引きこもりに近いおじと一緒に暮らしている。冒頭にあるのは、行方不明になった三人の子供たちの話。エイドリアンの目から見た世界は恐怖に満ちていて…。

冒頭からそういう話が来るので、そもそもがザッツ・不穏な感じなんだけど、エイドリアンからは、ガラスウールのような透明な棘を感じるのです。ガラス板に爪を立てた時のような、ぞわぞわする感覚からの連想からかなぁ。特に誰が悪いわけでも、悪意があるわけでもないのだけれど、読んでいる内に、エイドリアンの脅えが、読み手であるこちらにもうつってくるような感じがして…。

普通の子にはきっと何でもないようなことが、エイドリアンには恐怖以外の何物でもない。アシモフ編の「犬はミステリー」(感想)の中の、「闇の中を」の少女、ティナを思い出したけれど、エイドリアンにはティナほどの強さはない。常識で考えられる安全が、安心が、与えられない子供の哀しさは共通していると思うのだけれど…。

ラストは確かに美しいのだけれど。果たしてそれは救済なのでしょうか。打ちのめされる気持がします…。

「おじいさんの思い出」/郷愁と後悔

 2008-12-11-23:58
おじいさんの思い出おじいさんの思い出
(1988/03)
トルーマン カポーティ山本 容子

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転校していった友達に手紙を書いたことはありますか? もしくは、自分が転校した時に以前の友達に手紙を出したことがありますか?

手紙を出すね、とどんなに約束したとしても、新しい日常にすっかり埋没してしまい、出せないままになったこともあるでしょう。どうしているのかな、と頭に浮かんだとしても、そのままになってしまったこともあるでしょう。

この本の中で語られるのは、”おじいさんの思い出”。孫とおじいさんでは、通常残されている時間が違うもの。いつかまた会えるかもしれない同年代の友達とは違って、「いつか」が永遠に果たされなくなってしまう可能性は非常に高い。
僕たちの一族に、先祖代々引き継がれてきたというウェスト・ヴァージニア州の山脈のふもとの家。おじいさんもおばあさんも、家族が一緒に住むことを当然と思っていたけれど、父さんは違っていた。家からいちばん近い道路まで一マイル、いちばん近い町まで三十マイル。必死に畑を耕しても、自分たちが生きていくだけで精いっぱい。息子を学校にやることも出来ず、これ以上豊かになることだってない。父さんはおじいさんとおばあさんを残して、この家を出ていくことを決めたのだ…。

僕は勿論淋しいし、ここを出て行きたくはない。なんでも教えてくれるおじいさん、やさしいおばあさん。小川(クリーク)のほとりはバターやミルクの保存場所であり、一人になりたい時の僕のお気に入りの場所だった。父さん、母さん、僕の僕たち家族が出ていくことで、おじいさんは老けこみ、おばあさんは寝込んでしまう。

それでも、彼らが出て行く時がやって来る。

新しい場所は、僕たち家族にとって思いの外素晴らしいものであり、僕はおじいさんとの約束を違えてしまう。直接聞くことが出来なかった、おじいさんが伝えたかったという秘密。僕が受け取った小さな箱…。
違えてしまった約束を思い出し、切なくなるようなピュアなお話です。おじいさんの気持も、父さんの気持ちもわかるんだー。そして、僕たち家族の事情もね。おじいさんのもとには、おじいさんとおばあさんの面倒を見るという約束で、家と畑の一部を貰うという、新しい雇い人がやってきます。みんながみんな、以前よりも豊かになろうとすると、それはそうやってまるで玉突きのように、移動していかなければならないものなんだよね・・・。
山本容子さんの銅版画も美しく、時に上段に時に下段に、時に一ページ丸々と、ふんだんに盛り込まれていて、作りも凝った美しい本なのです。村上春樹の小説は、実はあまり肌に合わないのだけれど、翻訳本は好きなんだよなぁ。不思議だよね。

「時のかさなり」/四人のこども

 2008-12-03-22:23
時のかさなり (新潮クレスト・ブックス)時のかさなり (新潮クレスト・ブックス)
(2008/09)
ナンシー ヒューストン

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子供は大人が考えるほどに子供ではなく、大人は子供がそう考えるほど大人ではない。

人にはそれぞれ歴史があって、過去の何かがその人の選択や、その人の行動に影響を及ぼしている。私たちの目の前には常にたくさんの選択肢があるけれど、その時、なぜその選択をしたのか、どうしてそのように考えたのか。時には、その行動に自分の過去の経験を感じることがある。

三代遡れば、私たちだって戦争の体験者である祖父母に辿り着く。

ここに出てくるのは六歳の四人の子供。一族四代を遡ることで見えてくるものとは…。
目次
第一章 ソル、二〇〇四年
第二章 ランダル、一九八二年
第三章 セイディ、一九六二年
第四章 クリスティーナ、一九四四~一九四五年
訳者あとがき
南カルフォルニアに住み、暴君として家庭に君臨するソル、ソルの父親のランダル、ランダルの母セイディ、セイディの母クリスティーナ…。

代を遡るごとに見えてくるもの。ソルの語り口で不思議に思っていたことが、少しずつ明かされていく。クライマックスは終章を飾る、ソルの曾祖母にあたるクリスティーナのナチス統制下のミュンヘンでの暮らしだろう。そこには当然ぐわーーっとくるんだけど、むしろ私がすごいなぁ、と思ったのは、本当に本当に細かいところ。

セイディの外反母趾のわけ、セイディの自分への厳しさの由来、クリスティーナ改め歌手のエラが言葉のない歌を歌うわけ(あ、これはクライマックスか)…。うーん、列挙しようと思ったのに、書き出してみると少ないな。

四人の子供たちは育った国も、その環境も全く違う。それでも一緒だったのは、親のことが大好きで、彼らが誇らしく思える自分でありたいと考えていたこと。これはでもきっと、すべての子供がそうだよね。他の章ではどう考えても分が悪い、セイディの章で私はすっかり優等生であらねば、という縛りに雁字搦めにされた彼女に同情してしまいました。長じて(というか、老いて、かな)彼女がどうなったかを知っているだけに、切ないな、これ。

子供のころの核は、良くも悪くもその人の人格を形成する。子供が親になっても、祖母になっても、曾祖母になったとしても、その核というか輪郭がくっきりしているところもすごかったです。六歳から突如大人になっていて、その過程をすっ飛ばしているというのに、やっぱりその人はその人なんだ。

↓以下、「続きを読む」では話の核心に触れております。

「時のかさなり」/四人のこども の続きを読む

「月が昇るとき」/ミセス・ブラッドリー

 2008-11-30-22:19
月が昇るとき (晶文社ミステリ)月が昇るとき (晶文社ミステリ)
(2004/09/30)
グラディス・ミッチェル好野 理恵

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Ciel Bleuの四季さんとジーヴス物についてお話していた時に、イギリス人のミステリということで思い出したのが、グラディス・ミッチェルによるミセス・ブラッドリーシリーズの「ウォンドルズ・パーヴァの謎 」(感想)だったのです。

で、その時、このシリーズをお勧めした割に、その後、シリーズその他の本を読んでないことを思い出し、借り出してきた本です。サーカスのテント、月、少年と自分が好きな要素が詰まってんなー、と思ったんですが、これが意外に楽しめず。
目次
第一章  骨董屋
第二章  月が昇るとき
第三章  サーカス
第四章  女綱渡り師の死
第五章  女給の死
第六章  亭主、しばし行方不明
第七章  農場に死す
第八章  ナイフ
第九章  月のない夜
第十章  老婦人
第十一章 子守り女の死
第十二章 拾い物
第十三章 分かれ道
第十四章 骨董屋
第十五章 サーカス
第十六章 子守り女の死
第十七章 亭主、しばし行方不明
第十八章 拾い物
第十九章 月が昇るとき
第二十章 老婦人
 グラディス・ミッチェルのオフビートな魅力
目次を書き出してみたら、割と凝った作りだったのかな。

主人公の少年はサイモンとキースという、十三歳と十一歳の兄弟二人。舞台は、ロンドンの西に位置する運河の町。両親は亡く、年の離れた兄夫婦と共に暮らす二人。赤ん坊もいる兄夫婦の家計は決して楽ではないようで、イネス家には若い女性である下宿人、クリスティーナがいる。サイモンとキースの二人はもちろん、兄ジャックもクリスティーナに恋しているといっても過言ではない。逆に兄の妻、ジューンは口うるさく、うんざりさせられる存在なのだが…。

復活祭の祝日に、サイモンとキースの暮らす町に、サーカスがやって来る。二人はサーカスのテントに潜り込むため、夜のうちに隙間を空けておこうと考え、偵察に向かうのだった。その途中、二人は運河の橋の上でナイフを持って佇む怪しい人影を目撃する。翌日、サーカスの綱渡りの女性が殺されていることが分かり、サーカスどころではなくなってしまう。サーカスを楽しみにしていた二人だったけれど、探偵だってやっぱりわくわくするもの。にわか少年探偵となった二人は、この謎に挑むのだが…。

続けて起こる殺人、なんとなく恐ろし気なぼろ屑屋、兄弟の友人である骨董屋の女性との少々奇妙なやり取り、やって来るスコットランドヤードの刑事、内務省の顧問であるミセス・ブラッドリー…。
うーむ、この奇妙なんだけど、微妙にツボを外した感のあるところは、確かにオフビートといえるのかも。若い女性ばかりを狙う切り裂き魔などといえば、割とセンセーショナルだったり、もっとえぐかったりするもんだと思うんだけど、ラストのあの部分を含めてもえぐいところはないんだよねえ。で、少年探偵+ミセス・ブラッドリーという、探偵小説もしくはミステリーであるにも関わらず、ミステリー色は薄いのです。

主眼は月が煌々と照らす中の運河だったり、少年二人の生活だったり、ぎくしゃくしていたけれど、今後は少しうまくいきそうでもあるジャックとジュリーの家庭なんじゃないかしら、と思うのです。ミステリーと思って読むと肩透かしで、その時代のイギリス少年の暮らしと思って読むほうがいいのかなー。ミセス・ブラッドリーも、ウォンドルズ・パーヴァと違って随分大人しいのよ。むしろ、サイモンの目を通してみれば、いい人だし。相変わらず、けたたましく笑ってはいるようだけれど、あんまり強烈エピソードはありません。

教会に対する考え、神に対する畏怖、彼らが通う学校、お茶の時間、食事など、なんだかねえ、イギリスの習慣がほの見えるものの、その辺の知識を持って読めば、もう少し面白いんじゃないかなぁ、と思いました。彼らはたぶん、上流階級ではなく、中流もしくは下級階級の子なのかな。それでも、わざわざ列車に乗って学校に通い、毎晩のように宿題があるんだよねえ。その辺り、ちょっと不思議だったなぁ。上流じゃないから、逆にこうなの?

amazonその他では、詩情にあふれた名作とされ、また著者グラディス・ミッチェル自身も本書がもっともお気に入りの作品なのだとか。それは彼女の子供時代を思い出させるからとのことで、サイモンは自分であり、キースは弟のレジナルドだと言明しているとのこと。というわけで、本書の肝は、この少年たちにどれだけ沿うことが出来るか、ということなのかも。最近、どうも読書の感受性が落ちてるので、ちょっと楽しめませんでした。「ウォンドルズ・パーヴァの謎」は、ミセス・ブラッドベリーのキャラが立ちまくってたので、楽しかったんだけどなぁ。

「チェリー」/大切な、思い出

 2008-10-28-21:03
チェリーチェリー
(2007/09)
野中 ともそ

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「おどりば金魚」(感想)が好印象だった、野中ともそさん。そういえばそれっきりになっていたので、また一冊借り出してきました。

いいなー、これ、好きだ。

物語は、私は見たことがないのだけれど、映画「ハロルドとモード」のような少年と老婆(といっていいのかしら)のお話。まんまではなく、少年が長じて婚約者と思い出の地へと旅をしながら回想するという形になっていて、長じての「こいびと」に対するやわらかい愛情を感じさせながらも、既に失われた、かつての生き生きとした美しい情景が語られます。

「こいびと」にも語ることのない、語ることで草臥れてしまう、薄っぺらくなってしまうことを恐れる思い出。そんなの隠してるなんて、今後結婚するにあたりずるいわー、とも思うけど、この関係は確かに語られない方がいいのかなぁ。かつて全力で愛した女性がいた。その過去を大事にしつつも、また新しい女性と出会い、彼女を愛す。それだけでいいのかもしれませんね。

そういうモードになる前に、少年と老婆というキーワードで、私が思い出していたのは、カポーティの「草の竪琴」。なんとなく印象には残っているのだけれど、今では細部もだいぶおぼろ。そのうち、読み返してみたいなぁ。

さて、「チェリー」に戻りますと、両親の離婚により、アメリカから日本へと戻ってきた祥太。十二歳で帰国してから、周囲のキコクシジョへのからかいもあって、中学に上がる頃には学校ではほとんど口をきかなくなっていた。そんな夏休み、アメリカでかつて前妻と暮らしていた家を売るために、伯父が再びアメリカへと渡るという。誘われた祥太も、その夏をアメリカ北西部のさくらんぼの州で過ごすことになる。

叔父の前の奥さん、ベレニスの母親、モリーが住んでから、「売るには適さない」家になってしまったという、伯父の家。祥太は魔女退治だと張り切るのだが…。そこに現れたのは、家の中はとんでもなくはちゃめちゃだけれど、子供のように人見知りをし、子供のような話し方をし、子供のように行動する大人だった。祥太は魔法や妖精とともにあるかのような、モリーの生き方にだんだんと惹かれていく…。

ほとんどおとぎ話のようなエピソードが満載だけれど、モリーが作るお菓子のように甘い話ばかりではない。それでも、夏の、甘酸っぱい気持ちがいっぱい。町をあげてのイベント、チェリー・フェスティバルも圧巻です。

いくら野生動物が来てくれるかなーと思って♪、などとラブリーなことを言われても、実際屋根や壁に穴開けたい放題、床は砂でざらざらとくれば、とても面白ーい♪などとは言ってられないし、そんな年齢差の恋なんて、そんな綺麗なもんばっかりじゃないとも思うのです。でも、良かったんだよなぁ。

ひっそりとモビールを紡ぐように、行ってしまう人との関係性を考えていたモリー。勿論、そういう淡い繋がりもあるけれども、あの夏の一途なおもかげは消えることなく、力強くくっきりとしたひみつの暗号となったのです。ラストは、「西の魔女が死んだ」のようだよ
第一話 魔女たいじ
第二話 ミドリの館
第三話 砂丘
第四話 果樹園
第五話 祭りと海賊船
第六話 さくらんぼ小屋、本日開店
第七話 池に凍る牛
第八話 おわりのパイ
最終話 精霊
Harold & Maude (Aniv)Harold & Maude (Aniv)
(1997/04/01)
CordonCort

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「フリッツと満月の夜」/ひと夏のミステリー

 2008-09-23-23:19
フリッツと満月の夜 (TEENS’ENTERTAINMENT 1)フリッツと満月の夜 (TEENS’ENTERTAINMENT 1)
(2008/04)
松尾 由美

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夏休みの間、小説家の父さんと共に、海の近くの小さな町で過ごすことになった、カズヤ。こう来ると、フリーライターの父に連れられ、座敷わらしのいる旅館に泊まることになる、同じく夏休み中のユカ(@「雨ふり花さいた」)なんかを思い出しちゃうわけですが、こういうのは、ある意味定番のティーンのお話とも言えるのかな。ティーンの頃のひと夏の冒険、実際に体験したかったかも?

私がこの本に興味を持ったのは、あちこちで評判だけは耳にしていた松尾由美さんの作であることと、この可愛らしい表紙。

えー、実際はお話の作りは、ちょっとやっぱりティーン向け?という感じで、期待していたのとは違ったんだけど、今度は「人くい鬼モーリス」を読んでみたいなぁ、と思うくらいには楽しみました。

気の進まないまま、小さな港町へとやって来たカズヤは、近くの食堂、「メルシー軒」の息子、ミツルと友達になります。最初は無愛想で太ったミツルとは到底友達になれない、と思っていたカズヤだけれど(なんだって、周りの大人ってのは、年が同じならば友達になれると簡単に考えるんだ?)、この町の秘密をきっかけに仲良くなるのです。

ゴルフ場建設に燃える町長、偏屈な老婦人の消えた遺産、耳にピアスをつけたの謎、門扉に描かれたダビデの星の謎…。これがひと夏のミステリー

ラストはもう一つの謎も解かれまして、カズヤとこの町との付き合いも、また夏ごとに続きそう? そうすると、シリーズ化なんかも出来ちゃいそうな感じがしますが、どうなのかなー。でも、方向音痴の泥棒、という設定はちと苦しいかも。安全な方に逃げたつもりが、泥棒と出くわしちゃうなんて、迷惑だわ…。

満月の夜、暗がりに光るきんいろ。それはやっぱり魅力的だもの。他のメンバーも含めて、彼らが活躍する様をもう少し見てみたい気がします。

「テリーと海賊」/テリー・タリー、16歳と8カ月。ひと夏の冒険

 2008-07-14-23:51
テリーと海賊 (BOOK PLUS)テリーと海賊 (BOOK PLUS)
(2001/12)
ジュリアン・F. トンプスン

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表紙が何ともキュートでねえ。中の紙はぺらぺらと安っぽいペーパーバック風なんだけど、それもまた良し。でもって、肝心の中身(内容)も、楽しくキュートなお話でした。

主人公、テリー・タリーは、16歳と8カ月の女の子。ママはパパと離婚しちゃったけど、二人の間ではそれなりにいい関係が続いているみたい。ところが、パパとママがとんでもないことを考え始めた! ママとの自由な暮らしが気に入っているタリーを、がちがちの寄宿学校へ入れようというのだ。今こそ、ママが言う”翼を広げる”とき。そう感じたテリーは、同じ町に住む世界的冒険家、メイトランド・クレインの小型帆船、コモラント号に忍び込む。

カリブ海を目指していざクルーズ! ところが、コモラント号の中で目覚めたテリーを待っていたのは、冒険家メイトランドではなく、彼の息子、ミックだった。離れて暮らす息子の大事さを思い知らせようと、ミックは出航直前だったコモラント号を盗み出したのだ。

色々あって、テリーの思惑通り、カリブ海を目指すことになったミックとテリー。ところが、凄まじい嵐が二人を襲う。嵐が去った後、ミックは海へと投げ出され、テリーは人質として海賊に島へと連れ去られていた…。
勿論、ミックが死んじゃっているなんていうことはなく、ミックもまたテリーが連れられて行った島に辿り着いているのです。二人は海賊たちの裏をかいて、この島から逃げ出す計画を立てるのだけれど…。

他の場面では、どうも非情であるような海賊たちも、どこか憎めない面白いキャラクターです。キッド・ミー・ノット号の船長にして、中年オヤジのショート・ビル・ゴールド。彼の妹で、スパイシーなドラゴンレディ。ドラゴンレディの子供、チェリーとバディー。航海士兼飛行士のロジャー。九官鳥のイシュミアル、コモドドラゴンのバーバ。食事風景と言い、なんだかこの島での暮らしも楽しそう。

この経験を通して、”翼を広げ”たテリーは大人になるし、恋も知る。自分の中のアイドルへの憧れから、生身の男の子への感情へ…。どもってばっかりだったミック(ただし、彼のもう一つの人格、”侯爵”であるときは、フランス語訛りの英語を流暢に話す)も、これは大人の男性に一歩近付いているよね。

いかにも現代的だし、顔もスタイルもなかなかのテリーは、自分のカラダの価値を良く知っています。その価値にメロメロになる奴らがいることを知っているテリーは、どっこいそんな奴らは相手にしないのです。無事、ケープ・イーニッドに帰ったテリーとママが交わす会話は、いかにもアメリカのティーンという感じ。いつだって前向きなテリーに幸あれ! テリーと同じ年ごろか、も少し下の日本のティーンの女の子にも読んで欲しいなぁ。

「青いチューリップ」「青いチューリップ、永遠に」/そのチューリップが咲くとき

 2008-02-11-22:57

新藤 悦子, 小松 良佳

青いチューリップ (講談社文学の扉)

青いチューリップ、永遠に (文学の扉)


またまた、「Ciel Bleu 」の四季さんところで気になった作家さんです。

著者、新藤悦子さんは、ノンフィクションライターでもあり、ファンタジー小説家でもあるそうな。この「青いチューリップ」はファンタジーではないけれども、ノンフィクションでもなく、この時代にあったかもしれない少年少女の物語。

ちょうど、これ、夢枕獏さんの「シナン 」と時代がかぶっているんですねー。その辺の予備知識がなく、このてんこ盛りの本を読むのはちょっと辛かったかも?

新藤さんの本のどれかを読むつもりで、最初にこの二冊に行ってみたのだけれど、うーむ、これは四季さんも書かれているけど、一冊目の「青いチューリップ」はちょっと詰め込み過ぎですね。

■四季さんの記事
・「青いチューリップ」「青いチューリップ、永遠に」新藤悦子
クルディスタンの山の民であり、羊飼いの息子、ネフィはある日、父、カワと共に、山の中で旅人、バロに出会い、彼を助ける。バロはオスマンの国の都イスタンブル、スルタンの街から来たのだという。バロが歌う「青いラーレ(チューリップ)」の歌に、父カワは顔色を変える。赤いラーレは数あれど、青いラーレは都にはない。また、その歌も父にとって特別なもののようで…。

父はその歌をバロに教えた人物に会いに、ネフィは山に咲く青いラーレを、有名な栽培家であるアーデム教授に見せるために、巡礼の旅と称し、山を下り、エユップまで旅する事になる。

ネフィは『春の使者』と名付けられた山のラーレを手渡してからも、アーデム教授の元を去らず、学校に通わせて貰い、チューリップの交配や薬草の知識もつけ、教授の庭仕事の右腕として育つ。絵師を夢見る教授の娘、ラーレと共に…。勿論、イスラムの国であるトルコでは、女が絵師になれる望みなど、あるはずもないのだが。

山のラーレが教授の庭で咲いてから七年、とうとう、二人は真っ青な色を持つラーレを咲かせることに成功する。

扉には、「こんな花、咲かせてはいけない。よからぬことが、かならず起こります」という不吉な言葉が記されているのだけれど、まさにここから青いラーレを巡って、アーデム教授の一家の元に不幸が訪れる。アーデム教授はスルタンの怒りを買い、牢に入れられ、家財一切は召し上げられてしまう。

一巻は、このアーデム教授を助けようという、ネフィとラーレ二人の冒険譚。いくら、宮廷の絵師頭、シャー・クルの孫娘だからとはいえ、こんなにうまくいくか??というところも多々あるんだけど、物語はガンガン進む。また、先ほどは「二人の」冒険譚と書いたけれど、ほんとはシャー・クルがお目付け役としてよこした、一番弟子のメフメットも、この旅のメンバーの一人。ネフィやラーレが生き生きと描かれる分、冷静沈着で彼らよりも少し大人のメフメットは少々分が悪い感じ。

二巻は、ラーレをめぐる恋の話と、成長して大人の入り口に立った、彼らそれぞれがどう生きていくか、というお話。一巻に比べると、だいぶすっきりしているけど、やはり、ここでもネフィの恋敵メフメットはどうも分が悪いなぁ。

もっともっと細かく丁寧に語る事が出来る部分も、展開を重視するタイプの児童書なのか、すごい勢いで飛ばしていきます。それでも印象に残ったのは、都が贅を尽くしている頃に、苦しんでいる東の辺境の人々の事や、スルタンの栄光がだんだんと翳って行くところ。ちょっとこの後の、オスマントルコの時代的な背景が自分には良く分らないのですが…(それでも、とりあえず、Wikipediaのスレイマン一世の項にリンク )。栄光のオスマントルコという大国と比較しても、ネフィやラーレの若さは眩しく力強い。一巻の旅の間、ネフィ、ラーレ、メフメットは、これまで自分たちが知らなかったような世界を見、それによって彼らの世界観は変わる。これまた、生き生きと伸びていくネフィ、ラーレに比べて、メフメットはマイナス面の影響しか受けていないようにも思うのだけれど…(というか、メフメットはどうやって立ち直ったんだ??)。

ペリ(妖精のようなもの)が出てくるところでは、「砂漠の宝―あるいはサイードの物語 」を思い出した。こちらは、実際の旅と物語が絡み合っていくお話なのだけれど、旅と言えば、これぐらいじっくり語れてしまうものなのにねえ。本筋ではないからか、「青いチューリップ」では、キャラバン・サライなどの話も出てくるけれど、あくまでさらり。でも、続きもありそうな終わり方なのです。次は、ネフィの砂漠への旅かな??

もくじ~青いチューリップ~
一 都へ
二 幻のチューリップ
三 アーデム捕らわれる
四 宮廷
五 流れ者バロ
六 キャラバン
七 山の長老団
八 洞窟に絵を
九 炎の祭り

もくじ~青いチューリップ、永遠に~
一 アーデム教授の秘薬
二 ユダヤ人医師モシェ
三 ラーレの結婚話
四 謎の招待状
五 シャー・クル倒れる
六 妖精ペリ
七 らくだとげの秘密
八 ハレムの女楽師
九 ペルシアへ

「カラフル」/この色彩豊かな世界

 2008-02-05-00:22
カラフルカラフル
(1998/07)
森 絵都

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死んだはずのぼく。どこかに流されていく、そんなぼくの魂。

 ぱんぱかぱーん。

そんな勢いで、ぼくの魂が抽選に当たったことを告げたのは優男の天使。
そうして、ぼくはこの世界に舞い戻ってくることになった。ガイド役の天使、プラプラと共に。

ぼくの魂は生前大きな罪を犯したために、輪廻のサイクルから外されてしまったのだという。そんなぼくに与えられた再挑戦のチャンス、これが先ほどの抽選の結果と言うわけ。この当選は辞退する事が出来ず、また、途中リタイアする事も許されない。ぼくは自殺未遂をした中学三年生の男の子、小林真の体に入って、自分の前世のあやまちを探ることになる。ところが、この「小林真」がまったく冴えないヤツで…。

登校初日には普通に挨拶しただけで、クラスメイトには「明るくなった」と驚かれてしまうし、妙に思いつめた同級生、佐野唱子には真が変わったと怪しまれる。真は学校にもろくに友人がいなかったようだし、一見普通の家族である家庭にも問題を抱えていて…。真の目には、きっと真っ黒に塗りつぶされた世界が見えていたのだけれど…。それは本当にそうだったのか?

 黒もあれば白もある。
 赤も青も黄色もある。
 明るい色も暗い色も。
 きれいな色もみにくい色も。
 角度しだいではどんな色だって見えてくる。

真実は一つではないし、私たちは時に一つの物事の偏った一つの面しか見ることが出来ないでいる。他の面を知るのに必要なのは、赦しであったり、思いやりの心であったり。

小林真の周囲の想いを知ったぼくは、彼の身体に間借りしていることが心苦しくなり、彼にこの体を返してやろうと考えるようになる。果たしてぼくは、プラプラが決めた期限までに、自分の前世を思い出す事が出来るのか?

ちょっと口の悪い天使プラプラ(だけど、傘は支給品の白いふりふりの日傘みたいなのを使っている。しかし、天使も傘を使うのか?笑)がいいです。世界のカラフルさ、存分に楽しめるといいね。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「歩く」/それは小さな一歩から

 2007-12-17-23:29
歩く歩く
(2007/05/25)
ルイス・サッカー

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」、サイドストーリー的な「 」に続くのは、アームピット<脇の下>を主人公とした物語。

あのグリーン・レイク・キャンプ少年院(文庫を確認したら、”グリーン・レイク少年矯正キャンプ”でした)を出たアームピットは、レイククリーク灌漑造園会社に時給七ドル六十五セントで雇われ、またしてもシャベルを握っていた。

地元オースティンに戻ってくるとき、アームピットが自分に与えた課題は五つ。その一、高校を卒業する、その二、仕事を見つける、その三、貯金をする、その四、喧嘩の引き金になりそうなことはしない、その五、アームピットというあだ名とおさらばする。そう、大切なのは、こういった地道な一歩一歩。カウンセラーは言う。グリーン・レイク・キャンプを出たアームピットの人生は、いわば激流の中を上流に向かって歩いて行くようなもの。それを乗り切るコツは、小さな一歩を根気強く積み重ねて、ひたすらに前に進むこと。もしも、大股で一気に進もうとしたならば、アームピットは間違いなく流れに足元をすくわれて、下流へと押し戻される…。

さて、オースティンには、同じくグリーン・レイク・キャンプを出たX・レイ<X線>が居た。地道な生活を心がけるアームピットに対し、X・レイは浮ついた考えを捨てきれないようで…。X・レイがアームピットに持ちかけてきたのは、人気歌手、十七歳のアフリカ系アメリカ人の少女、カイラ・デレオンのコンサートチケットのダフ屋行為。

勿論、地道な生活を心がける者ならば、こんな誘いに乗ってはいけないのだけれど…。話に乗ると告げた時から、後悔が始まっているというのに、アームピットはそのままずるずるとX・レイに引き摺られることに…。

さて、このアームピットとX・レイの話に挿入されるのは、人気歌手カイラ・デレオンその人の生活。三週間半で十九のホテルのスイートに泊まるような生活だけれど、大人ばかりに囲まれた彼女の生活もまた、それはそれで大変そうで…。

アームピットとカイラの人生が交わるとき、さて、何が起こるのか?

同じく、グリーン・レイク・キャンプに居たとはいえ、やってもいない盗みのせいで捕まった、「穴」の主人公、スタンリーとは異なり、アームピットは同情の余地があるとはいえ、実際に罪を犯した少年です。その辺は、だから物語としては、高校におけるアームピットの苦労や、家族のアームピットへの目など、少々厳しくなっているようにも思います。

そんなアームピットを助けるのは、高校の同級生の女の子などではなく、隣の家の脳性まひの白人の女の子、まだ十歳のジニー。年や肌の色、性別は違えど、二人は親友。結果として、アームピットとカイラを結び付けるのも、このジニー。ジニーとアームピットとの会話はほのぼの。ガタイのいい黒人の青年と、よわよわしい白人の女の子。好対照の二人だけれど、人間は誰かに尊重されることで、初めて自分を大切に思えるもの。アームピットはまさにジニーによって、そういった感情を引き出される。

訳者は変われど、ルイス・サッカーの本のリーダビリティは全く変化なし。ちょっとのつもりで読みはじめたら、ぐいぐいと読み進んでしまいました(しかし、金原さんって、翻訳ものの児童文学の内、えらい数に顔出してませんか??)。

 小さな一歩
  いく当てはない だから
   小さな一歩で

    一日一日を生き抜いていこう
     小さな一歩で
      どうにか自分を取りもどせたら
       道の途中で いつかわかるかもしれない
        自分はいったいだれなのか
                             (P343より引用)

そして、アームピットは最後にまた五つの目標をたてる。
その一、高校を卒業する、その二、オースティン・コミュニティ・カレッジに二年通う、その三、テキサス大学に編入できるようにがんばる、その四、やばい事には手を出さない、その五、アームピットっていうあだ名とおさらばする。

爽やかな青春小説です。是非この続きも読みたいもの! そして、弁護士もしくは有名なペテン師になれるのでは?と揶揄される、X・レイの物語も読みたいなぁ(最後、ちょっと見直すものの、X・レイって調子良すぎて、ひどいのだものー。いくら笑顔が良くたって、ダメだよう。ええ、ぜひ更生して貰いたいものであります)。グリーン・レイクものとして、色々な登場人物にスポットが当たるシリーズが出来れば嬉しいな~。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「リビアの小さな赤い実」/リビアの少年、少女

 2007-09-19-22:52
ヒシャーム・マタール, 金原 瑞人, 野沢 佳織
リビアの小さな赤い実

著者、ヒシャーム・マタール自身の父も、反政府主義者として糾弾を受け、リビアを脱出したものの、その後、リビアの秘密警察により誘拐され、1995年以降、生死を含め、その消息は分かっていないのだという。

というわけで、これは限りなくノンフィクションに近い、フィクションなのかな。主人公のスライマーンは、今、少年の日のあの夏のことを思い出している。それは、1979年、生まれ育った街から遠くへやられるまえの、最後の夏だった…。

パパが「仕事」で遠くに行っている時、必ず「病気」になってしまうママ。「薬」を必要とするママ。「病気」の時は、少年スライマーンには分らない話を次から次へとするママ…。

きっと、そこに愛はあるのだけれど、(そして大人になって思い出すとき、そこにはいろいろな理由があるのだけれど)少年スライマーンの周囲は何だか不安定。『千一夜物語』のシェヘラザードを勇敢な女性とみるスライマーンに、「病気」の時のママはシェヘラザードは臆病な奴隷にすぎないと言い募る。ママの言う通り、生きることは誰かの許可を得てではなく、その者自身に、最初から与えられた権利であるはずなのであるが…。

そして、彼らの家庭や周囲に影を落とす、「革命評議会」の男たち。隣のラシードさんが彼らに捕まり、スライマーンの父の身にもやはり危険が及ぶ。ママやムーサは父の書物を全て焼き、部屋には大きな「革命指導者」の写真を掛けるのだが…。

少年、スライマーンにとって、クワの実こそが神様がお創りになった最高の果実。アダムとイヴが楽園を追放されたとき、きっと若い元気な天使たちが申し合わせて、この世の土にその木を植え替えたのだ。美しい小さな赤い実。

この物語が恐ろしいのは、美しい風景を描き、少年の心に丹念に沿う、その同じ丁寧な筆致で、裏切りやスライマーンの心に潜む醜い部分を容赦無く描き出すところ。大人に思うように顧みられないスライマーンは、幼い思いからとはいえ、時に致命的な誤りを犯す。また、父に対する人々の批難や、母の擁護も実に痛々しい。リビアがとる人民主義の現実が父を苦しめ、イスラーム圏であるリビアの慣習が母を苦しめた。そして、子供は親とは無縁ではありえない。

そうして、あの夏を回想するスライマーンの心に残る空洞。結果として祖国を捨てることになったスライマーンの心には、母国リビアが消えた分だけの空洞が残る。

ぼくたちはなんとたやすく、軽々しく、架空の自分を手に入れてしまうことだろう。そうすることで世間を欺き、もし余計なことをせずにいたらなっていたはずの、ほんとうの自分を欺いているのだ。

終章、二十四歳になったスライマーンは、エジプトの都市アレクサンドリアで、陸路でやってきた(リビアでは国際線の運航が禁じられている)母に再会する。年を取った女性を探すスライマーンの目に飛び込んできたのは、白髪ひとつなく、まるでこの街に初めてやって来た少女のような母親の姿(彼女がスライマーンを生んだのは、十五歳の時。彼女がスライマーンをカイロに送り出したのは、二十四歳の時)。

これは少年、スライマーンの物語であるのだけれど、窮屈な世に生きたほんのちょっとだけ自己主張が強かった少女、ナジュワの物語でもある。終章、二人が再会を果たすところ、途中まではすっごい苦しい読書だったのだけれど、ぱーっと光が差すような気分になった。スライマーンの心の空洞、埋めていけるといいな。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

■メモ■
・リビア(Wikipediaにリンク
←2004年に国名が変わっていたのですね。
 「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」の外務省のページにリンク
・トリポリ(Wikipediaにリンク
・イスラーム文化圏では、結婚して長男が生まれると、その名がマスードの場合、妻は「マスードの母」という意味でウンム・マスード、夫は「マスードの父」という意味でブー・マスードと呼ばれるようになる。

「新本格魔法少女りすか」/きちきちきちきちきちきち…

 2007-07-25-21:34
西尾 維新
新本格魔法少女りすか
講談社NOVELS

西尾維新さんという人、ずっと気になっていたのです。そんなところ、古本屋でこの本を見つけたので、早速ゲット。

結論からいえば、そして、作中人物、『赤き時の魔女』りすかの口調を真似れば、
 この本をとっても面白く読んだのは、私だったの
面白かったよー。

目次
第一話 やさしい魔法は使えない。
第二話 影あるところに光あれ。
第三話 不幸中の災い。


『城門』の向こうは長崎、『魔法の王国』で育った水倉りすかは、その血液内にあらゆる魔法式を織り込まれている(&ある魔法陣も)。彼女が齢十歳にして、『赤き時の魔女』という称号と、乙種魔法技能免許を取得済みであるのは、そういうわけ。りすかの血は魔法式そのものであるからして、りすかは愛用のカッターナイフで自らを傷つけ、血を流す事により、魔法を発動出来るのだ。きちきちきちきちきちきち…。彼女の魔法の属性(パターン)は『水』であり、種類(カテゴリ)は『時間』。十歳の彼女はそんなわけで、時を前に進めることが出来る。つまり、余計な時間を「省略」出来るというわけ。

さて、りすかは『城門』を越えて、普通の人間が住む世界へやって来た。それは、自分の血液内に高度な魔法式を織り込んだ父、現在行方不明中である水倉神檎を追ってのこと。彼は偉大にして強大な力を持つ魔法使いであり、六百六十五個(半端なのは、一つをりすかにあげたから)の称号保持者でもある。普通の人間に『魔法』を教えることの好きな父親を追い、また、県外(ソト)の人間の「魔法使い」への目を考える内、りすかはいつか県外(ソト)の魔法使いを狩る側へと回っていた。魔法を裁く、『魔法狩り』のりすか。

そんなりすかを『駒』とするのは、りすかの同級生、供犠創貴(くぎきずたか)。ここではまだ明かされていないけれど、大いなる目的とやらのために、『魔法使い』使いを目指す彼。何やら尊大でもあるこのキズタカ。ある魔法使いを自分の手下にならないか?、と勧誘する時の彼の口調はこんな具合。

「魔法使いなんて言っても、奴ら全然魔法を使いこなせていやがらない―まるで、駄人間と同じだ。両者仲良し、駄人間(できそこない)と半魔族(できそこない)。だったら仕方ない、ぼくが使ってやるしかないだろう。ぼくが使ってやらなきゃ誰が使ってやるって言うんだい?」

とにもかくにも、りすかとキズタカの目的はある一面で一致した。りすかは父を探すため、キズタカは自分の『駒』を探すため。そんな彼らが出会う戦いとは?、の三本立て。

不幸中の災い」のみ、「戦い」というにはちょっと違うかなー。そして、俺様キズタカとりすかの関係に変化が現れる。

はっきりいって、キズタカのやっていることは、道徳的、道義的に見て、正しいことではないのだけれど、それでもやっぱり面白いです。それはこの先、キズタカがそのまんま俺様で尊大なままであったとしても、きっと変わらない。うまく言えないのだけれど、世間一般に正しいとされること以外をやる場合、そこには何らかの痛みを引き受ける覚悟がいる。キズタカの場合、その覚悟があるんじゃないかなー。りすかも可愛いよー。現在「3」まで出ているようだけれど、まだ完結してないんだよねえ。途中まで読んでも、欲求不満になるのかしらん。

今後のためのメモ。

・『城門』の向こう長崎には、かつて『核』が落とされた
・キズタカの父は、佐賀県警の幹部
・魔法使いは海を渡ることが出来ない
・りすかの従兄妹、水倉破記の称号は『迫害にして博愛の悪魔』、属性(パターン)は『水』、種類(カテゴリ)は『運命』
・『にゃるら!』の『ニャルラトテップ』ってナニ?

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「川の名前」/川と夏と少年と

 2007-04-25-00:12
 
川端 裕人
川の名前 

川に夏に少年。この三つが揃ったら、他に何が必要なのだろう。
必要なものは、もう全て揃っているではないか!

とはいえ、舞台は多摩川の支流、桜川。現代の少年たちの物語であるからして、少年たちが川にじゃぼーんと飛び込み、カワガキとなって川と戯れる、なんていう形の川と少年の物語ではない。

主人公は、菊野脩、小学校五年生。自然写真家の父さんと、これまで一緒に行ったのは、アマゾンやユーコンなどのスケールの大きな川。今までは長期の休みは、この父と共に撮影旅行に出ていたし、学校だって何度も変わった。父と離婚した母は既に新しい家庭を築いている。この夏だって、本当は父さんは脩と一緒にユーコン川に行きたかったみたいだけれど、何が特別というわけでもない、この場所、この桜川北小の五年二組。この夏、脩はここを離れたくないと思ったのだ。

脩と共にこの夏をすごすのは、一緒に自由研究をする事になった、ゴム丸こと亀丸。そして、物静かな態度だけれど、川について誰よりも深い知識を持ち、脩とゴム丸を助ける、河童こと河邑。

出て来るのは、勿論、脩の仲間たちだけではなく、何かとゴム丸に突っかかる、ジャイアンを思わせる海野や、すかした優等生、手嶋たち。

そして、彼らを巡るこの夏の出来事。

何かと脩を敵視するすかした優等生、手嶋との関係は、年齢は違うけれど、まるで『
河よりも長くゆるやかに 』のトシと深雪のようでもある。互いに認め合った彼らはきっと、これからは親友になるのだろう。

夏が終わって、少年達は少し大人になる。

周りを固める大人もいい。圧巻は、チャルメラの音楽と共に現れ、「カワガキ~」と叫ぶ喇叭爺だけど、教師のデビルもなかなかだし、水族館の獣医、鈴木先生だっていい。あ、父さんの妹で、脩を預かってくれている、看護士の恵美もね。

タイトルにもなっている「川の名前」。この意味は、是非、自分で確かめて欲しいなぁ。「川の名前」に自分の居場所。うーん、深いです。結構前に、この本をいい!と書いておられるブログを幾つかお見かけして、そんなにいいなら、読んでみようと思っていたのだけれど、さすが評判の本。面白かったです~。

 ←少年達を前面に押し出した文庫もいいけど、単行本の装丁の方がイメージ。



メモ1
ホトケドジョウ (=オババ)
:神奈川県水産技術センター内水面試験場のページにリンク
オギ
:浜島書店のページにリンク
 ススキと、混同していましたよ・・・。違うのね。

メモ2
以下、ネタバレになってしまうので、これから読まれる方は、どうぞお読みになりませんよう(リンクも飛ばないでくださいねー)。全てを忘れ去ってしまう、自分のためのメモであります。

しかし、この作者は、ほんとにペンギンが好きなのだなぁ、と。笑
以前読んだ、同作者による本の記事はこちら → 

こっちは思いっきり、ノンフィクションなんだけど。いやぁ、この方、とっても多才だなぁ

「砂漠の宝―あるいはサイードの物語」/物語を織る。まるで絨毯のように

 2007-02-08-23:06
ジクリト ホイク, 酒寄 進一
砂漠の宝―あるいはサイードの物語

トゥアレグ族の少年、アブリ。彼の父は、駱駝の隊商を率いる長のアフマド。アブリにとって、これが最初の長旅だった・・・。熱い日差しを浴びて砂が煌き、風に煽られた無数の砂粒がたなびいていく。アブリは自らの手で大切に育て上げた、駱駝のアールシャに乗り、砂漠を行く。
「ウルド!ウルド!進め!もっと速く!」

アブリたちの隊商は、砂漠の中に忽然と現れた旅人と一緒になる。スレイマンと名乗るその旅人は、藍色のガンドゥーラを纏い、腰にはアブリがこれまで見たこともない見事な銀の短剣を佩いていた。

男たちは砂漠の中でも、イスラムの聖地メッカに向かい、夕べの祈りを欠かさない。さて、旅人は名をスレイマン=エル=ハカヤティというのだという。「昔話の語り手(エル=ハカヤティ)」だという彼は、アブリにせがまれ、食事やお茶の休憩の度に、ある少年の物語を語るようになる。

「まわりの世界をよく観察するのは大切なことだ。そこにはたくさんの不思議な物語が隠されている。それを見いだしたら、あとはなりゆきにまかせればよい。物語の始め方さえわかっていれば、あとはひとりでに発展していくものだ。主人公たちは命を吹きこまれ、おまえが想像だにしてなかったでき事にあうことさえある」      (P160より引用)

物語の中の物語にあるこの言葉のように、昔語りの主人公とされたサイード<幸せなる者>は、スレイマンとアブリ、隊の他の者たちに命を吹き込まれる。水の妖精(ペリ)を名付け親に持つサイードは、幸福を求めて旅に出る。それは「砂漠の宝」を求める旅。現実のアブリたちの旅の途中で、彼らが見付けたものが話の接ぎ穂となり、サイードの物語は続いていく。それはまた、アブリたちの旅といつしか重なっていく・・・。

物語を作るのは、絨毯を織るのと同じ事。同じ色を使い過ぎるのも禁物だけれど、決まった繰り返しもなくてはならない。主人公は物語を一つに纏める縦糸であるけれど、色柄や模様は、織り手が繰り出す横糸で自由に変えることが出来るのだ。

児童書であり、勘のみで借りてきた本だったのだけれど、これが良かった! アブリたちの旅、サイードの冒険。初めての長旅に、見るもの全てが新しいアブリ。魔人や妖精(ペリ)が身近に思えるような砂漠の様。ニジェール河(イッサ=ベール河)から始まり、モロッコ(マグレブ=エル=アクサ)、カイロ(エル=カヒーラ)、イエメン、再びニジェール河と、様々な人(と動物)と出会いながら、サハラ砂漠の周りを旅するサイード。この二つの物語が如何にも巧い具合に絡み合う。まさに、語り手の決まり文句も、決まるというもの!

誉むべきかな、アッラーの神。われらに言葉を授け、昔語りする術を与えたまいしアッラーの神に感謝!

物語はやっぱりいいなぁ。

これ、福武書店の児童書、ベスト・チョイス(選びぬかれた子供の本)というシリーズなんだけど、他の本もなかなかに気になるラインナップ。気が向いたら、他の本も借りてこようと思います。

◆トゥアレグ族(Wikipediaに
リンク
◆トンブクトゥ(Wikipediaに
リンク
←ポール・オースターの『ティンブクトゥ』は関係あるの??

* 臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

「サウンドトラック」/青春を駆け抜けろ

 2006-11-23-20:01
古川 日出男
サウンドトラック

青年は護るべきものを見つけ、目覚めたガールは踊りによって外界を揺らし、未だどちらの性にも属さないものは、誠実に現実を射って、一人、烏と共に戦いを挑む。そして、最後に彼らは共闘する。

さて、「
アラビアの夜の種族 」ではまった古川さん。図書館にあるもので次何を読もうかな~、と考えていた私は、amazonやbk1の書評を参考にしました。で、概ね好評だったこの「サウンドトラック」を読んだわけですが、いやー、皆さん良くこれ読みこなしましたね、という感じ。450頁をちょっぴり超える上下二段組と、かなりボリューミーなこの作品は、半分くらいまで読む進まないと、どんな物語かすら分からない。

私が読んだ単行本の表紙を上に載せましたが、今回の場合、こちら、文庫本の表紙の方が内容に合っている様に感じました。多分これは、現実から少し捩れた場所にある、東京を舞台にした青春小説。

? ?


主な登場人物は、トウタとヒツジコとレニ。冒頭は、六歳にしてサバイバル技術を叩き込まれたトウタが、父親とのサバイバル・クルーズの訓練中に、荒れる海の中でいきなり父親を亡くす場面。それまで鳴り響いていた音楽は死に、父親は海に消える。トウタは一人、無人の山羊の島に辿り着く。同じ夜、同じ海で、四歳の幼女、ヒツジコは母親の無理心中に付き合わされていた。同じ夜にヒツジコの乗る客船から出た、浅はかな自殺志願者のために降ろされた救命ボートが彼女を救う。ヒツジコもまた、トウタと同じ島に辿り着く。

トウタとヒツジコは、無人の島で完璧に暮らす。ヒツジコはまた、この島にいる間に経験した地震により、自身の体が重力から解き放たれる瞬間を知る。そして1997年、環境庁の依頼で、東京都が小笠原諸島の北部地域からのヤギの駆除に乗り出す。トウタたちが暮らす無人の島に人が入る。都の職員は、トウタとヒツジコを発見する。保護された彼らは、兄妹として父島で暮らすことになる。

父島の暮らしの中でトウタは苛立ち、ヒツジコはある切っ掛けで、自らが沈められた過去を思い出す。目覚めたヒツジコは、トウタより一足先に島を出る。トウタが島を出るのはもっとずっと後。義務教育を終え、持て余されたトウタが父島にいられなくなるのは、まだ先の2008年の話。

現実から、少しずつ捩れていくのはこの辺りから。小笠原諸島よりも暑いくらいに、熱帯化した東京。東京から既に冬は消失していた。女子高生たちは、冬を非夏と呼びならわす。2004年7月に入管法と外国人登録法が改正され、東京のあちこちに移民街が出現していた。少女と少年の間を自由に行き来するレニは、神楽坂の角付近、通称「レバノン」で暮らしていた。本当のレバノンでは、大叔父は王族の鷹匠(サッカール)だったのだという。サッカールとは、黒い目のハヤブサや黄色い目の大鷹を調教する専門の技術者。レニは東京のレバノンで、ハシブトガラスのクロイのサッカールとなる。

移民街で「非日本人化」が進むにつれ、その反動のように「純日本人化」が進む地域もある。ヒツジコが住み、彼女の学校、テレジアがある西荻窪、通称「ニシオギ」は、純日本人のサンクチュアリと化す。

ヒツジコは踊りの技術を高め、外界を揺らすことを覚える。攻めに転じた彼女は、テレジアを揺らす、揺らす。その舞いは、ほとんど天災。免疫を持つ、揺らされぬ何かを持つ少女以外は、全てその踊りに感染する。ユーコ、フユリン、カナという「免疫体」を従え、ヒツジコは長い髪、長い手足を揺らし、踊る、踊る。

東京には様々な要素が混在する。レニが敵視する「傾斜人」、自称コロポックルたちの住む地下。純日本人、非日本人・・・。正規日本人でありながら、変わった生き方を選ぶ、トウタ、ピアス。移民たちのドクトルとして生きるリリリカルド。熱帯化により爆発的な流行を見せる伝染病。トウタは、ヒツジコは、レニは、それぞれのフェイズで、このイカれた東京の状況と戦うことになる。

面白かったんだけど、この面白さに至るまでが、大変な一冊でありました。一旦、読み始めたら、最後まで読むことをオススメしますが、青春物であるせいか、何となく舞城氏に似たものを感じたり(そして、読みこなすのがちょっと大変?)。文庫本の表紙なんかを見ても、これ、長編のアニメなんかにいいんじゃないかな、と思いました。

amazonを見ると、文庫本の解説は、これまた柴田元幸さんのようですね。立ち読みしなくっちゃ!

この記事を書いた時は、割とブツブツ言ってたんですが、でもこれは読み終わった後の方がじわじわとすっごいクる物語でした。なんか中毒性があるというか。私にとってある意味分りやすかった「アラビアの夜の種族」と比べても、全く見劣りしない物語であったなぁ、と。

以下、トラバのためのリンクです。

物語三昧 」のペトロニウスさんのリンクを辿って、更新を楽しみにしているブログ「族長の初夏 」さんの「サウンドトラック」記事です。

・「サウンドトラック」(上) 古川日出男
http://umiurimasu.exblog.jp/5988131
・「サウンドトラック」(下) 古川日出男
http://umiurimasu.exblog.jp/6010103

「ハサミを持って突っ走る」/オーガステン少年の危うくイカれた、サバイバルな青春

 2006-06-19-21:47
 
オーガステン バロウズ, Augusten Burroughs, 青野 聡
ハサミを持って突っ走る 

バジリコ株式会社

表紙とタイトルに惹かれて、図書館で借りてきた本。
ん、目に間違いはなかったと思う。

これもまた、一つの現代のアメリカなんだろう。
(ちなみに著者は、1965年生まれ)

これは、著者、オーガステン・バロウズの、十三歳から十八歳までの五年間の回想記。多感な時期を、まさに「ハサミを持って突っ走った」、そんな日々のお話。

父はアル中、母は狂気の詩人。争い事の耐えない両親は離婚し、オーガステンは母親に引き取られる。しかし、母は自分のことだけで手一杯。心の病も定期的に繰り返す。また、父親はオーガステンのコレクトコールを、一度だって受けてくれた事がない。要するに、彼の周りには、自分勝手で、彼の事など全く気にかけない大人ばかり。

オーガステン少年を持て余した母、ディアドレは、掛かりつけの精神科医、フィンチ先生の家庭へと、彼を追っ払う。フィンチ家の人々もまた、かなりイカれているのだけれど、彼ら彼女らとの関わりの中で、オーガステン少年は少しずつ変わっていく。みんなほんとに好き勝手やっているし、フィンチ家のイカれっぷりは、読んでいてかなり引く部分もあるんだけど。聖書占いに、フィンチ先生の糞便占い!(巻きは、向きはどうだ?) 神は実に様々な方法で、フィンチ家に啓示を与えたもう。

イカれて、狂気の淵を歩いていて、不潔で、なのに明るく、からりと乾いて、楽しい日々。勿論、「書く」という行為により、昇華した部分もあるんだろうけど。

その境遇だけを見ると、オーガステン少年はかなり悲惨だ。十八歳以下にして、既にマリファナ、ビール、煙草、何でもござれ。フィンチ家の人々の他、友達はいないし、学校でだって浮いてしまって不登校から退学へ、おまけに幼い頃から自覚したゲイで、十三歳にして三十三歳のボーイフレンドがいる。ちなみに、このボーイフレンドとの始まりは、無理矢理結ばされた肉体関係。また、母親と、その友人とのレズビアン的現場を目撃してしまったりもする。

「なにかを追っかけてるように感じることって、ない? なにか大きなものを。わかんないんだけど、なにかあんたとあたしだけにしかみえてないもの、みたいなんだ。それを追っかけてんの、走って、走って、走って」
「そうだね、ぼくたちは確かに走ってる。ハサミを持って突っ走ってる」

そう、まさにそんな風に、オーガステン少年は走って、走って、走って、走って・・・。

この会話を交わした、フィンチ家の娘、親友ナタリーとの関係は、母とフィンチ先生の長い蜜月的期間が終わったせいで、ギクシャクしてしまうけれど、彼女たちと生き抜いた日々の輝きは変わる事がない。

どんな形であろうと、関わってくれる人がいれば、人は生き抜いていけるのかもしれない。人間は強い。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
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つな がる

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つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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