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「気まぐれ少女と家出イヌ」/犬と暮らそう

 2009-05-04-21:26
気まぐれ少女と家出イヌ気まぐれ少女と家出イヌ
(2008/12/17)
ダニエル ペナック

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マロセーヌくんシリーズから考えると、この表紙の愛らしさがちょっと不思議だけれど、これもまたダニエル・ペナックなんですねえ。マロセーヌくんシリーズ以外と言うと、「片目のオオカミ」(感想)は少年とオオカミの物語だったけれど、今度は少女の物語。
語り手は「イヌ」(飼い主の「リンゴ」が付けた名が、「イヌ」なんです。斬新な名前?)。「イヌ」がであることを主張し、飼い主である「リンゴ」を教育し、きちんとした「ともだち」になるまでのお話です。

主人公である「イヌ」は、人間に捨てられて(というか、殺されそこない)、彼を教育してくれたおばあちゃん、クロのもと、ごみすて場で育つ。ところが、ある日の悲しい出来事によって、クロは死んでしまう。「イヌ」はクロが話していた「町」に出て、女の飼い主を探すことを決意する。しかし、町を歩いていたイヌは、町の美化活動により、野収容所に入れられてしまい…。

そこへ現れたのが、「リンゴ」たち一家。見てくれのいいは他にもいたのに、両親の渋い顔を尻目に、リンゴは決して器量よしとは言えない「イヌ」を連れて帰ることにする。ところが、リンゴとイヌとの蜜月は長くは続かない。子どもというのは気まぐれなもので、一方のは人間とは違うスピードで成熟していく。誇りある犬である「イヌ」は、家出を決行するのだが…。
読んでみての感想は、犬はこちらが思っている以上の事を、感じ取っているものなのかもしれないなぁ、とか、にしても、最後に「イヌ」たちがとった手段は大人としては、勘弁してほしい類のものだなぁ、とか。リンゴの母さん、「ビリビリ」の気持もわからんでもないのです。でも、ダニエル・ペナックの根底に流れるものは、「博愛」というか、他者の尊厳を守ることなんですよね。だから、あれがああなっちゃうのも、仕方ないのです。最終的にはまるーくおさまったのだしね。

さて、この本は名前が色々と面白いんです。「リンゴ」はリンゴの匂いがしたから「リンゴ」だし、母「ビリビリ」はいつもビリビリしてるからだし、父「デカジャコウ」もでかくて汗っかきだからなんです。こういうところ、きっと原語を巧く処理してるんだろうなぁ。「イヌ」のともだちの「ハイエナ」(犬)、「イノシシ」(こっちは人間)もいいんです。

あとがきにあたる「しつけもせずしつけられもせず」を読みますと、まぁ、ここにすべてダニエル・ペナックが言いたいことが入ってしまってはいるんですが…。それでも、この表紙のように可愛らしい、少女と犬の物語を楽しみました。白水社もこういうのも出すんですねえ。あ、そういえば、ニコルソン・ベイカーの「ノリーのおわらない物語」も白水社でしたっけ。児童書として、ちゃんとターゲットとなる少年少女に届いているといいな。「ちがいを大切にすること。これこそが友情のルール」だというダニエル・ペナック。彼がいうルールは人間同士だけのものにとどまらず、犬にまで広がっていたのでした。
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「私の男」/血の、人形

 2009-04-20-23:14
私の男私の男
(2007/10/30)
桜庭 一樹

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表紙からして、何だかねっとりした感じなんですが、ここで扱われるのは、ずばり、近親相姦。

もうすぐ尾崎花になる、腐野花と、花の結婚相手である尾崎美郎、花の義父、腐野淳悟。かつて淳悟との結婚を考えていた、大塩小町。それぞれが語る、花と淳悟の物語。

北海道南西沖地震により家族を失った少女、花。花を迎えに来たのは、遠い親戚であるという、まだ25歳だった淳悟だった。二人は淳悟が暮らす、紋別の地に居を移し、地域の共同体にも受け入れられるのだが・・・。

はじめに不審の念を感じたのは、当時、淳悟と付き合っていた大塩小町だったのかもしれない。彼女は女性特有の勘でもって、この父娘の危うい関係に気付く。地域社会に暖かく受け入れられながらも、互いさえいればそれでいいというような排他的な関係を築き上げていた、花と淳悟。そこには、既に恋人であった小町の場所すら残されていなかった。

桜庭さんの話を書く時に、ついつい毎度「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」(感想)について書いてしまうんですが、「砂糖菓子~」は大人が本来、子供に与えるべきである安全から零れ落ちた少女たちを描いていましたが、「私の男」で描かれるのもまた、家族というものから零れ落ちてしまった少年と少女

淳悟にもまた、両親を失った過去があり、彼はまるでその隙間を埋めるかのように、花に縋りつく。互いが互いにとって、大海で縋りつくべき唯一の浮き輪のような…。その身に流れる血の中に、自分の父を、母を感じることは、ぐるっと遡りつつも、自分の尻尾を噛んで環となったウロボロスのよう。

これは正しいこととはとても言えなくて、でも、やり直すとしたら、淳悟が両親を失ったところから始めなくてはならなくて。そして、それはもはや不可能で。周囲の優しさや思いやりがあって尚、堕ちていきたいと思う人たちを止めることは出来ないんだよなぁ。

花の結婚相手である美郎は、非の打ちどころのない、実に現代的な青年で、現実社会を巧みに回遊できるだけの、財力や知力、性格の持ち主なんだけど、彼にもまた、巧みに生きられてしまうが故の虚しさがある。その虚しさが、彼の周囲にはこれまでいなかったであろう、花のような女性との結婚を決意させたのだろうけど、なんだか桐野夏生さんの「ローズ・ガーデン」(感想)における、ミロの夫、博夫を思い出してしまいました。健全な人がそうやって危ういところに近づくと、飲み込まれちゃうかもよー?などと思ったり。

時系列はずんずんと遡っていく。二人でひとつだった関係を解消し、別れた花と淳悟。失ってはじめて気付くこと。「私の男」である淳悟を失った花は、これからどう生きていくのでしょう。子供には分からないこと。越えてはいけない、してはいけないこと。大人になった花は、その関係を断ち切ったはずだけれど、そこから先は、描かれては、いないのです。
目次
   第1章
 2008年6月
花と、ふるいカメラ
   第2章
 2005年11月
美郎と、ふるい死体
   第3章
 2000年7月
淳悟と、あたらしい死体
   第4章
 2000年1月
花と、あたらしいカメラ
   第5章
 1996年3月
小町と、凪
   第6章
 1993年7月
花と、嵐

「おとぎ話の忘れ物」/おとぎ話はお好き?

 2009-03-24-22:04
おとぎ話の忘れ物おとぎ話の忘れ物
(2006/04)
小川 洋子

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表紙はまるで、ヨハネの首を所望したサロメのような少女。ただし、こちらの少女は赤い頭巾をつけ、その盆に乗せるのは、狼の首。とくれば…、というわけで、これは樋上公美子さんという方の絵に、小川洋子さんがおとぎ話をモチーフにお話をつけた本なのです。いかにも少女ー!な絵なんですが、時にエロチックなものがあったりしつつも、少女のクールな目が素敵です。上質な紙に沢山の絵、なかなか贅沢な本ですよ。
目次
ずきん倶楽部
アリスという名前
人魚宝石職人の一生
愛されすぎた白鳥
……あとがき……
小川洋子
樋上公美子
……画題一覧……
製菓会社の先々代が、とあるきっかけから世界各地を旅して蒐集し、美々しく製本した世界でたった一冊の本。スワン・キャンディーが名物のこの店にはそんなわけで、レジの後ろにおとぎ話を収めた[忘れ物図書館]がある。キャンディーとおとぎ話。二つの組み合わせの妙は、いつしか静かな人気を呼び…。そうして、読者たる私たちも、[忘れ物図書館]の中へ…。キャンディーが溶けるのをゆっくりと楽しむように、ひとつひとつのお話を楽しむことが出来るのです。

「アリスという名前」は、え、そんなちょっとダジャレ的お話?という感じなんですが(ま、それもおとぎ話的と言えるのかもしれませんが)、あとは美しく残酷であるという、おとぎ話の定石を守っているように思います。「ずきん倶楽部」の会長(ずきん倶楽部万歳!)のクールさとか、「人魚宝石職人の一生」の宝石職人の奉仕などが良かったです。

■関連リンク■
樋上公美子さんの、公式サイトにリンク
おお、古川さんの「沈黙/アビシニアン 」の表紙もこの方だったんですね。人物じゃないから気付かなかったよ!

「千の輝く太陽」/太陽は輝くの?

 2009-02-08-01:39
千の輝く太陽 (ハヤカワepiブック・プラネット)千の輝く太陽 (ハヤカワepiブック・プラネット)
(2008/11/25)
カーレド ホッセイニ

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日の光の下では人はみな平等で、どんな時も太陽は輝き、私たちに光を、温かさを届けてくれる。雨の日や曇りの日があったとしても、太陽はその奥で輝いているもの。それが千もあるのだとしたら、どれだけの輝きが与えられるのだろう…。

しかし、もし実際そんなことがあったとしても、それは幸せな一部の世界の人間だけなんだなぁ、ということを、打ちのめされるような気持と共に実感してしまった物語です。
私生児(ハラミー)として生まれた、アフガニスタンの少女マリアム。父親の家庭から疎まれた母子二人は、ヘラートの町全体を見下ろす丘に建ったコルバ(小屋)に暮らす。週に一度はコルバを訪ねてくる、父ジャリールは甘い言葉でマリアムを蕩けさせる。一方の、母ナナは娘マリアムの目から見ても、僻みの強い頑な女。しかし、父ジャリールが本当にマリアムのことを思うならば、こんな人里離れた隔離された暮らしを続けさせるわけもなく、ジャリールが語る言葉はまさにただの甘言だった。

世の中のことを知らなかったマリアムの純粋な気持ちから出た行動は、取り返しのつかない悲劇を生む。コルバに閉じ込められるような生活は終わったけれど、それは同時に少ないけれども、二人の母子を訪ねてくれた数少ない人たちとの繋がりをも断ち切られるものでもあった。

マリアムは齢、十五にして、故郷ヘラートを離れ、カブールに住む、カンダハル生まれのパシュトゥン人に嫁ぐことになる。年齢は四十から四十五、ラシードは靴屋を営む大男だった。ナンとムース、名誉と誇りを何よりも重んじるというラシードにより、マリアムは抑圧された日常を生きるようになる。外に出るときは当然ブルカ、女の顔はその夫だけのもの…。それでも、結婚当初はそれなりに気を使ってくれていたラシードも、マリアムの度重なる流産のせいか、彼女の美しくない顔立ちのせいか、まるで物のように彼女を扱うようになる・・・。
マリアムとラシードが暮らすデーマザン地区には、ラシードが嫌うモダンな家族がいた。幸せそうに見えたこの家庭も、クーデターにより父バビが高校教師の職を失って以来、さらに二人の息子がソ連とのジハードに行って以来、すっかり壊れてしまっていた。心を凍らせてしまった母、優しさを失わない父のもとで、少女ライラは育つ…。

そして、カブールの街にロケット弾が飛び交う日がやって来る。幼馴染の恋人、タリーク一家はカブールを離れることを決め、ライラにも着いてくるようにと勧めるのだけれど、ライラは父バビを見捨てられず、一方の父バビは心が壊れてしまった最愛の妻を見捨てられない。
そうして、マリアムとライラの人生が交わるときがやって来る。ライラはラシードの第二の妻になったのだ…。ラシードは、美しい少女、ライラをあわよくば妻にしようと狙っていた。マリアムの新婚のときとは全然違うその扱いには、切なくもなってしまう。ラシードの女性の扱い方は、それが良いものであっても悪いものであっても、決して羨ましくなるようなものではないのだけれど。

実はライラにはラシードとマリアムの元に身を寄せなければならなかった理由があり、最初はライラにラシードを盗まれたと感じていたマリアムにも、転機がやって来る。暴君であるラシードのもとで暮らす女二人。それぞれ協力し合えることも増えてくるのだけれど…。
第三部の後半からは、本当に涙、涙です。

磁石の針はいつも北を指し、責める男の指先はいつも女を指す。

神が大いなる許し手であり、天と地をを作りたもうたものであり、日と月を従わせるものであり、圧倒的な平和と安心の感覚の中、マリアムが逝ったのだとしても、それにしてもこれはあまりに辛すぎる。安易な救済は全くないし(ライラに関してはある、と言えるかもしれないけれど。でも、それは文中にもある通り、無償の幸せではない)、父、ジャリールとの和解のチャンスもあったのに、すべては遅すぎた。

しかし、救済が与えられたライラは勇敢な女性でもあった。己だけを幸せな境遇に置くことはせず、彼女は愛する国のため、彼女が愛した女のために、カブールへと舞い戻る。

ヨセフはカナンに戻る。嘆くなかれ、
あばら家はバラの園に変わる。嘆くなかれ。
洪水が起こり、生けるものすべてを溺れさせるとき、
ノアが台風の目にて汝を導く。嘆くなかれ。

輝きは外から与えられるものではなくて、内から溢れ出るものかもしれない。そうして、誰かが誰かの心の中で輝くものなのかもしれない。何人のマリアムが、ライラが、バビが、タリークがいるのだろう、と思うと、本当に気が遠くなるし、決して楽しい読書ではないのだけれど。読んだ人の心の中で、マリアムとライラが輝く二つの点として、残るような気がします。

引用した「ヨセフは~」の部分は、ハーフェズのガザル詩(Wikipediaにリンク)の四行だそうなんですが、嘆くなかれって言われたって、そりゃ嘆くよーーーー!!!としか言いようがない物語だけど、上を見て前を見て少しずつでも状況が良くなっていくといいな…。そんな簡単な話ではないのだろうけれど、ね。
■関連過去記事■
「アフガニスタンの少女、日本に生きる」 /アフガニスタン
fc2のもの→リンク
過去のamebaのもの→リンク

amebaの方では、ちょうど、この記事にもコメント&トラバ頂いた、有閑マダムさんのコメントもありますね~。しかし、昔の記事って、コメント欄でどんどん話が転がってるなぁ。とらにーさま、最近、お話してないけど、お元気かなぁ。

「マルドゥック・スクランブル・1」「2」「3」/ネズミ&少女&…

 2008-12-27-22:05
マルドゥック・スクランブル―The First Compression 圧縮 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・スクランブル―The First Compression 圧縮 (ハヤカワ文庫JA)
(2003/05)
冲方 丁

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マルドゥック・スクランブル―The Second Combustion 燃焼 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・スクランブル―The Second Combustion 燃焼 (ハヤカワ文庫JA)
(2003/06)
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マルドゥック・スクランブル―The Third Exhaust 排気 (ハヤカワ文庫JA)マルドゥック・スクランブル―The Third Exhaust 排気 (ハヤカワ文庫JA)
(2003/07)
冲方 丁

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自分の中で、最もかっこいいネズミといえば、それは「冒険者たち」のガンバだったんですが(そして、最も怖い白いものといえばノロイ)、ここに出てくる金色のネズミ、ウフコック・ペンティーノもまた、ガンバに匹敵するかっこ良さ! みなさんが、良い良いと仰っていた頃からは、かなーり遅れてしまいましたが、ようやく私も読むことが出来ました。

時はSF的近未来。戦争が終わり、軍事と密接に結び付いていた科学技術が禁じられたものとなって以来、ある者は科学技術発祥の地である”楽園”に閉じ籠ることを選び、ある者は快楽に特化した技術を持って会社を興し(*)、またある者は科学技術を民間で生かしていくことを主張した。発達し過ぎた科学技術は怖れの元、民間でこの技術を生かしていく道は決してたやすいものではなく、その技術によって生み出されたネズミ、ウフコックは常に自分の「有用性」を証明し続けてはならないのだ。

シェルという男に焼き殺されかけた少女、バロットはスクランブル-09によって蘇生を果たし、ウフコック、ドクターと共に事件の解決に当たることになる。スクランブル-09は緊急事態においてのみ、科学技術の使用が許可されるという法。人工皮膚をまとい、高度な電子干渉能力を得たバロットは、なんにでも変身可能なウフコックを「道具」として使い、ドクターとウフコックに協力するのだが・・・。

てきとーに粗筋を書きましたが、実はもっと色々とややこしいのです。体内の亜空間を利用して、どんなものにも変身出来るウフコックは、増大し過ぎていつかは死んでしまうという運命を持っているし、敵方としてバロットたちの邪魔をするのは、ウフコックのかつての相棒ボイルドだし、少女、ルーン・バロットには、彼女の深い絶望がある。

バロットは生命の危機に瀕していたこと、また自分自身の身を守る必要性が高いと予測されたことから、彼女はそういった特殊な体になったわけなんだけど、そうやって特殊な体質になった人というのは、その後どうやって生きていくのかなぁ、とちょっと不思議に思いました。バロットはものすごく適性があるし、ウフコックの相棒として生きていくのだろうなぁ、と思うけど、そうじゃない場合ってもう以前と同じように普通には生きていけないよなぁ…。

続く「ヴェロシティ」では、「スクランブル」以前。ウフコックとボイルドの過去が描かれているのですね。それも勿論楽しみなんだけど、ウフコックとバロットの未来も読んでみたいなぁ。

著者入魂のカジノの場面。わたくし、ちょっと読み流してしまいました…。カジノの場面って、力が入る人が多いですよね。後書き読んで、読み流してゴメンナサイとは思ったんだけど、確率論とか精神的駆け引きとか苦手さ…。この場面、色々かっこいい人たちも出てくるんだけどね。
1巻 The First Compression―圧縮
Chapter.1 吸気 Intake
Chapter.2 混合気 Mixture
Chapter.3 発動 Crank-up
Chapter.4 導火 Spark 
 後書き
2巻 The Second Combustion―燃焼
Chapter.1 活塞 Piston
Chapter.2 噴出 Injection
Chapter.3 回転 Rotor
Chapter.4 爆発 Explosion
 解説 鏡明
3巻 The Third Exhaust―排気
Chapter.1 曲軸 Crank Shaft
Chapter.2 分岐 Manifold
Chapter.3 合軸 Connecting Rod
Chapter.4 導き Navigation
 後書き
*続編、「マルドゥック・ヴェロシティ」(感想)を読んで、間違い発見。会社を興したわけではなく、その技術を持って元々あった企業に入り込んだんですね。
冒険者たち―ガンバと十五ひきの仲間冒険者たち―ガンバと十五ひきの仲間
(1982/01)
斎藤 惇夫薮内 正幸

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「アンのゆりかご―村岡花子の生涯―」/腹心の友

 2008-12-26-00:52
アンのゆりかご 村岡花子の生涯アンのゆりかご 村岡花子の生涯
(2008/06/05)
村岡 恵理

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目次
口絵・村岡花子の書斎、愛用品、『赤毛のアン』直筆翻訳原稿、手紙など
プロローグ 戦火の中で『赤毛のアン』を訳す
 昭和20年(1945)4月13日、太平洋戦争が終結する4か月前
第1章 ミッション・スクールの寄宿舎へ
 明治26~36年(1893~1903、誕生~10歳)
第2章 英米文学との出会い
 明治37~40年(1904~07、11~14歳)
第3章 「腹心の友」の導き
 明治41~大正2年(1908~13、15~20歳)
第4章 大人も子供も楽しめる
 大正3~6年(1914~17、21~24歳)
第5章 魂の住み家
 大正7~10年(1918~21、25~28歳)
第6章 悲しみを越えて
 大正11年~昭和2年(1922~27、29~34歳)
第7章 婦人参政権を求めて
 昭和3~13年(1928~38、35~45歳)
第8章 戦時に立てた友情の証
 昭和14~20年(1939~45、46~52歳)
第9章 『赤毛のアン』ついに刊行
 昭和21~27年(1946~52、53~59歳)
第10章 愛おしい人々、そして
 昭和28~43年(1953~68、60~75歳)
エピローグ 『赤毛のアン』記念館に、祖母の書斎は残る
 アン誕生100周年、花子没後40年の平成20年(2008)4月13日
目次を書き写しただけで、満足ーーー!な感じもするんですが、内容も読んで満足の一冊でした。最初はね、プロローグにここを持ってくるのは構成的にあんまり好きじゃないなぁ、とか思っていたんですが(なんつか、クライマックスを冒頭に持ってくる昔ながらの伝記スタイル?)、途中からはそんなことはすっかり忘れ、引き込まれて読みました。孫なのによくぞそこまで書いた!というぐらい、赤裸々に描かれた部分もありますが、それはスキャンダラスというよりは、真摯な姿勢によるものなのでしょう。

アンはやっぱり村岡花子訳よね♪、と思いつつ、空白だった翻訳者、村岡花子の生涯を知ることが出来ました。でもね、今、気になって、私が持っているポプラ社の「赤毛のアン」を確認してみたら(昭和53年第1刷、昭和57年第9刷のもの)、村岡花子による解説がきちんと書いてありました。この物語を読む少女たちへの優しさ溢れる語り口は、この「アンのゆりかご」を読んで知った、村岡花子の人となりにぴたりと一致したものでした。この解説には、モンゴメリが「赤毛のアン」を出版するに至った経緯、村岡花子自身が翻訳し、日で出版されるに至った経緯がきちんと書いてあるというのに、今の今まで、すっかり思い出す事もなかったのです…。子供時代、何度も読み返していたのに、解説は流してみたい…。

モンゴメリとの共通点、寄宿舎での生活、厳しくも優しい女学校の教師、綺羅星のような友人たちとの交わり、子供たちへ良い物語を届けなければならないという使命感、どれも興味深く良かったです。ちょっと話はずれますが、氷室冴子さんがやっぱり少女小説の復権を志していて、それで知った「リンバロストの乙女」も村岡花子訳だったんだよねえ。

「村岡花子」というと、現代にいても決しておかしくはない名前だけれど(というか、明治、大正、昭和を生きたとなれば、それはそんなに遠い時代ではないのだろうけれど)、佐々木信綱(「一葉さんが歌を始められたのも、あなたと同じくらいの年ごろでしたよ」)、柳原白蓮、市川房江、林芙美子、岡かの子、円地文子、徳富蘇峰、与謝野晶子、宇野千代、真杉静江、吉屋信子、壷井栄、矢田津矢子などなど、私にとっては意外な交友歴が分かりました。「村岡花子」だけはぽーんと宙にいて、あとは歴史的人物だと思っちゃってたんですよね。

「今から何十年後に、あなたがたが学校生活を思い出して、あの時代が一番幸せだったと感じるなら、私はこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません。若い時代は準備のときであり、最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。旅路の最後まで希望と理想を持ち続けて、進んでいく者でありますように」(p97の卒業にあたってのミス・ブラックモアの言葉より引用)

ユートピアのような寄宿舎(ただし、花子自身は、貧しい家庭の出で、成績が悪ければ即退学となる給費生だった)での生活が翻訳者・村岡花子を形作ったのだろうし、灯火規制の中、敵国となってしまったカナダ人宣教師、ミス・ショーとの約束を胸に、いつか平和な時代が来ることを信じて仕上げた「アン・オブ・グリン・ゲイブルズ」だからこそ、私も大好きなアンのあの箇所がぴたりと訳されたんではないのかなぁ、と思いました。

今は曲がり角に来たのよ。曲がり角を曲がった先になにがあるかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。(p247より引用)

実際、村岡花子は翻訳者としてだけではなく、一流の物語作家になれたかもしれないし、「ラジオのおばさん」をやった事もあるそうなんですね。その才能は、もっと多彩な展開があったのかもしれないけれど、「赤毛のアン」を翻訳し、私たちに紹介してくれた事、アンの腹心の友を自称する元・少女としては、非常に感謝なのでありました。「赤毛のアン」はモンゴメリが国カナダで出版するまでも色々な経緯があったわけだし、日での刊行はそれより更に遅れたわけだけれど、辿るべき道を辿って、その物語の力で広まっていったのかもしれませんね。

あ、亡き息子の名にちなんだ「道雄文庫ライブラリー」のお話で、協力者として「エルマーの冒険」の訳者、渡辺茂男(当時、慶應大生)の名前が出てきたのも吃驚でした。石井桃子さんの名前も出てきたし、秀でた人たちはどっかで繋がってたんですねえ。

■関連過去記事■
・「アンの娘リラ」/青春の書(小中編)
「「赤毛のアン」の人生ノート」/いき方

「時のかさなり」/四人のこども

 2008-12-03-22:23
時のかさなり (新潮クレスト・ブックス)時のかさなり (新潮クレスト・ブックス)
(2008/09)
ナンシー ヒューストン

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子供は大人が考えるほどに子供ではなく、大人は子供がそう考えるほど大人ではない。

人にはそれぞれ歴史があって、過去の何かがその人の選択や、その人の行動に影響を及ぼしている。私たちの目の前には常にたくさんの選択肢があるけれど、その時、なぜその選択をしたのか、どうしてそのように考えたのか。時には、その行動に自分の過去の経験を感じることがある。

三代遡れば、私たちだって戦争の体験者である祖父母に辿り着く。

ここに出てくるのは六歳の四人の子供。一族四代を遡ることで見えてくるものとは…。
目次
第一章 ソル、二〇〇四年
第二章 ランダル、一九八二年
第三章 セイディ、一九六二年
第四章 クリスティーナ、一九四四~一九四五年
訳者あとがき
南カルフォルニアに住み、暴君として家庭に君臨するソル、ソルの父親のランダル、ランダルの母セイディ、セイディの母クリスティーナ…。

代を遡るごとに見えてくるもの。ソルの語り口で不思議に思っていたことが、少しずつ明かされていく。クライマックスは終章を飾る、ソルの曾祖母にあたるクリスティーナのナチス統制下のミュンヘンでの暮らしだろう。そこには当然ぐわーーっとくるんだけど、むしろ私がすごいなぁ、と思ったのは、本当に本当に細かいところ。

セイディの外反母趾のわけ、セイディの自分への厳しさの由来、クリスティーナ改め歌手のエラが言葉のない歌を歌うわけ(あ、これはクライマックスか)…。うーん、列挙しようと思ったのに、書き出してみると少ないな。

四人の子供たちは育った国も、その環境も全く違う。それでも一緒だったのは、親のことが大好きで、彼らが誇らしく思える自分でありたいと考えていたこと。これはでもきっと、すべての子供がそうだよね。他の章ではどう考えても分が悪い、セイディの章で私はすっかり優等生であらねば、という縛りに雁字搦めにされた彼女に同情してしまいました。長じて(というか、老いて、かな)彼女がどうなったかを知っているだけに、切ないな、これ。

子供のころの核は、良くも悪くもその人の人格を形成する。子供が親になっても、祖母になっても、曾祖母になったとしても、その核というか輪郭がくっきりしているところもすごかったです。六歳から突如大人になっていて、その過程をすっ飛ばしているというのに、やっぱりその人はその人なんだ。

↓以下、「続きを読む」では話の核心に触れております。

「時のかさなり」/四人のこども の続きを読む

「古道具ほんなら堂~ちょっと不思議あり~」/あなたの街の古道具屋さん?

 2008-11-22-10:37
古道具 ほんなら堂古道具 ほんなら堂
(2008/05/24)
楠 章子

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もくじ
プロローグ
1話 まめだのせっけん
2話 ガラスビンのしずく
3話 にじ色のこな
4話 かけた茶わん
エピローグ
表紙ではおばあさんが浮きながらこちらをじっと見てはいますが、この人は普通の人間。ほんなら堂の店主、白髪のおかっぱ頭の橙花さんなのです。

すっごく不思議なわけではなく、「ちょっと」不思議。そうですねえ、異界のものたちも出てくるけど、重点は普通の人の生活におかれています。悲しいけれど、惚けてきてしまっているおばあさんを持つ小学生の女の子、優子、お母さん亡き後、お父さんに厳しく躾けられ、それが嫌になっている明美、知らない男の子に影を踏まれてしまった波乃、友だちがいじめられているのを止められなかったさやか…。

一見おっかない橙花さんが(きちんと名乗らないと怒られたりするけど)、彼女たちを助けてくれるのです。おお、今書いてて気づいたけど、これって見事に女の子ばっかり出てくるお話なんだなぁ。

好みでいえば、私はもっと不思議な方に舵を切ってくれる方が好きで、街の不思議でいえば、村山早紀さんの書かれるものの方が好きでした。もっと怪異メインなのかなぁと思っていたので、ちょっとあてが外れてしまいました。優しい物語ではあるのですけれど、ね。

というわけで、以下過去記事へのリンクです。
・「カフェ・かもめ亭 ささやかな魔法の物語」/こんなお店があったらいいな
・「 コンビニたそがれ堂―街かどの魔法の時間 」/探しものはなんですか?

「人くい鬼モーリス」/ひと夏のミステリー 少女ver.

 2008-11-03-20:20
人くい鬼モーリス (ミステリーYA!)人くい鬼モーリス (ミステリーYA!)
(2008/06)
松尾 由美

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「バルーンタウン」シリーズが有名な松尾さん。「フリッツと満月の夜」(感想)はいまいちだったんだけど、こっちは良かったよー。

フリッツが少年二人をメインとし、海の近くを舞台とする、比較的明るめの作風だとすれば、こちらは美少女二人がメイン、携帯も圏外となる避暑地の別荘を舞台とし、何人かの「死」が出てくるという、そういう条件からしても、森の苔とか、湿り気を感じるような、しっとりした少し暗めの感じ。

聡明な美少女って好きなんだけど、このわずか十歳の芽理沙という少女の、浮世離れしたキャラクターがいいなー。彼女の家庭教師を務めることになる、語り手の高校二年生、村岡信乃は実にまとも。このわけのわかんない事態に真正面から悩んで、芽理沙にぶつかっていく姿も好もしい。

あの夏の一週間に足らない出来事から七年後、「エピローグその2」もいいです。

かいじゅうたちのいるところかいじゅうたちのいるところ
(1975/01)
モーリス・センダックじんぐう てるお

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ミステリーとしての出来は、ええっ?その動機?という気もするんだけど(そんな理由で殺されちゃあかなわんなー)、これは絵本作家、モーリス・センダックの「かいじゅうたちのいるところ」へのオマージュ作品だそう。この本の中の「モーリス」は、「かいじゅうたちの~」の表紙の「かいじゅう」とはちょっと違うイメージを受けるんだけど、この中には黄色い目のモーリスがいるのかしら?

これは絵本作品へのオマージュであるわけですが、二人の少女への、つまりは誰もが通った道である(少女、と限定すると、当然女性になっちゃうけど)少女時代への感傷でもあると思うのです。

十歳と、十七歳。七年後は、十七歳と二十四歳。見様によっては生意気なくそガキであったこと、直情的な行動には、誰だって覚えがあるでしょう? なんだか、そんなことを懐かしく思う一冊でもありました。

目次
プロローグ
1 水曜日
2 木曜日
3 金曜日
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6 月曜日
エピローグ(その1)
エピローグ(その2)

「白蝶花」/咲いて散るのが花なのサ

 2008-09-08-23:21
白蝶花白蝶花
(2008/02)
宮木 あや子

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目次
天人菊
凌霄葛
乙女椿
雪割草
実際、この「白蝶花」というのは、こんな花なのだって。

よく撓る花茎に白や薄紅の、親指くらいのちいさな花をたくさん付けます。
風に吹かれると、あえかな白い蝶々が舞っているように見えます。
花はすぐに枝から落ちてしまいますが、次の日には新しい花が咲きます。
花茎が倒れても、枯れずに次々と花を咲かせつづけます。

そんな白蝶花のように、次々と花開く若い娘たち。そして、たとえ散ったとしても、散らされたとしても、それでもまた、きっと力強く花咲かせるのだ。無名であろうとなかろうと、これはそんなふうに精いっぱい花を咲かせた若い娘たちのお話。
「天人菊」は、置屋に売られた菊代と雛代姉妹の話。

「凌霄葛」は、事業に失敗し自殺した父に身を売られ、女学校を退学し、十七にして、親子ほども年の離れた男の愛人となった泉美の話。

「乙女椿」はこの中でも最もボリュームが多いんだけど、その分だけ、なかなかに力作です。長らく音信のなかった人物から、手紙を受け取る場面から、一気に物語は老女の回想へ。千恵子が少女だったころの、奉公先の屋敷での生活。気難しいお嬢様、和江の相手がつとまるのは、千恵子だけだった…。奉公仲間の伸子の恋、そして、千恵子自身の恋…。そうして、全てを覆い潰そうとする、あの戦争…。

「雪割草」は、今では現とあらぬ世界を彷徨うようになった、和江の話。和江の心は、今では過去も現在も自在に行き来する。
実は、これらの短編は全て繋がっています。あそこに出てきたあの人が、あの家が、とずるずると関係しているの。「乙女椿」、「雪割草」が良かったな~。ちょっと愚かな伸子も、誇り高い和江も、真摯な知恵子も、みな、美しい花を咲かせていました。

著者、宮木あや子さんは、「花宵道中」で第5回R-18文学賞大賞と読者賞を受賞し、デビューされたとのこと。もちろん、官能的な場面もあるけれど、いやらしいというよりは、むしろ綺麗な描写だし、父なし子を産むことになる、千恵子の事情もやむにやまれぬもの。必死に生きた、彼ら彼女らの姿が清々しいです。

「テリーと海賊」/テリー・タリー、16歳と8カ月。ひと夏の冒険

 2008-07-14-23:51
テリーと海賊 (BOOK PLUS)テリーと海賊 (BOOK PLUS)
(2001/12)
ジュリアン・F. トンプスン

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表紙が何ともキュートでねえ。中の紙はぺらぺらと安っぽいペーパーバック風なんだけど、それもまた良し。でもって、肝心の中身(内容)も、楽しくキュートなお話でした。

主人公、テリー・タリーは、16歳と8カ月の女の子。ママはパパと離婚しちゃったけど、二人の間ではそれなりにいい関係が続いているみたい。ところが、パパとママがとんでもないことを考え始めた! ママとの自由な暮らしが気に入っているタリーを、がちがちの寄宿学校へ入れようというのだ。今こそ、ママが言う”翼を広げる”とき。そう感じたテリーは、同じ町に住む世界的冒険家、メイトランド・クレインの小型帆船、コモラント号に忍び込む。

カリブ海を目指していざクルーズ! ところが、コモラント号の中で目覚めたテリーを待っていたのは、冒険家メイトランドではなく、彼の息子、ミックだった。離れて暮らす息子の大事さを思い知らせようと、ミックは出航直前だったコモラント号を盗み出したのだ。

色々あって、テリーの思惑通り、カリブ海を目指すことになったミックとテリー。ところが、凄まじい嵐が二人を襲う。嵐が去った後、ミックは海へと投げ出され、テリーは人質として海賊に島へと連れ去られていた…。
勿論、ミックが死んじゃっているなんていうことはなく、ミックもまたテリーが連れられて行った島に辿り着いているのです。二人は海賊たちの裏をかいて、この島から逃げ出す計画を立てるのだけれど…。

他の場面では、どうも非情であるような海賊たちも、どこか憎めない面白いキャラクターです。キッド・ミー・ノット号の船長にして、中年オヤジのショート・ビル・ゴールド。彼の妹で、スパイシーなドラゴンレディ。ドラゴンレディの子供、チェリーとバディー。航海士兼飛行士のロジャー。九官鳥のイシュミアル、コモドドラゴンのバーバ。食事風景と言い、なんだかこの島での暮らしも楽しそう。

この経験を通して、”翼を広げ”たテリーは大人になるし、恋も知る。自分の中のアイドルへの憧れから、生身の男の子への感情へ…。どもってばっかりだったミック(ただし、彼のもう一つの人格、”侯爵”であるときは、フランス語訛りの英語を流暢に話す)も、これは大人の男性に一歩近付いているよね。

いかにも現代的だし、顔もスタイルもなかなかのテリーは、自分のカラダの価値を良く知っています。その価値にメロメロになる奴らがいることを知っているテリーは、どっこいそんな奴らは相手にしないのです。無事、ケープ・イーニッドに帰ったテリーとママが交わす会話は、いかにもアメリカのティーンという感じ。いつだって前向きなテリーに幸あれ! テリーと同じ年ごろか、も少し下の日本のティーンの女の子にも読んで欲しいなぁ。

「雑居時代」/どたばた同居生活

 2008-06-07-22:04
雑居時代 上 (1) (集英社文庫 52-G)雑居時代 上 (1) (集英社文庫 52-G)
(1982/07)
氷室 冴子

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雑居時代 下    集英社文庫 52-H雑居時代 下  集英社文庫 52-H
(1982/07)
氷室 冴子

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氷室冴子さんのコバルト文庫には随分お世話になりました。当時、小遣いのほとんどを注ぎ込んでは買ってたなぁ。そして、その内何冊かの本は実は未だに手元にあったりします。「シンデレラ迷宮」を手放してしまったのは、今思うと勿体なかった。一般に”明るくてたくましい少女”を描いたとされる氷室さんだけれど、氷室さんの描く少女たちは、実は明るいだけではなくって、「さようならアルルカン」、「白い少女たち」のようなある意味暗いお話もあったし、例えば瑠璃姫のお人好しで涙脆いところなど、その幅のある人物像が魅力でした。何よりも、お話の中の彼女たちは、生き生きと活躍していたしね。

さて、私の手持ちのこの「雑居時代」は、なんと昭和61年発行の第34刷のものだったりします。何がすごいって、こんな古い本の表紙があのamazonでしっかり出るということ!(新刊だって、出ないやつもあるのにさ) たぶん、この表紙は私が持ってるものと同じもの。それだけ、ロングセラーだと言えるのでしょうか。…amazonで表紙が出る出ないの基準も良くわからないけど。

さて、雑居時代は、才媛にして強烈な二重人格者「倉橋さんちの数子ちゃん」と、漫画家を目指す三井家弓、地方派クリスタルにして、能天気ハンサムボーイ、安藤勉の三人が営む共同生活を描いたコメディです。これ、今読んでも、キャラが立ってて好きだなぁ。数子が二重人格となった原因である憧れの譲叔父、彼の妻となった数子を数段上回る曲者の清香、譲の教え子にして彼を狙って数子と共同戦線を張っていた山内鉄馬など、脇の人物も抜かりなし。ま、譲については、憧れの君であるからして、他の強烈な人々に対して、キャラという程のことはないような気もするけど。

基本は数子を主人公としているんだけど、番外編の家弓の事情とか、鉄馬の事情も面白い。氷室さんは脇役をもとっても愛している気がして、それは「ジャパネスク」における小萩や守弥の日記もそうだし、「なぎさボーイ」「多恵子ガール」はいいとして、さらに「北里マドンナ」、「蕨ヶ丘物語」まで出ている所にも表れていると思うのです。広い世界に出ていく物語ではないのかもしれないけれど、そういう人の関係性を色々な面から描き出すという点で、得難い作家さんだったのではないかなぁ。何よりも自分が作り出したキャラに愛情たっぷりだった気がして、「ブンガク」としてはそれはプラスには働かないかもしれないけど、同じく少女だった読者としてはその世界を共有出来た気がして大好きでした。

「ジャパネスク」もいつの日か再開されるんだと信じていたのだけれど…。氷室冴子さんは6月6日に逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。冊数が手ごろなところで、「雑居時代」を再読してたんだけど、これから「ジャパネスク」も引っ張りだしちゃおうかな。
目次
(上巻)
第一話 かくして雑居生活は始まるのだった
第二話 (番外編)家弓(あたし)には家弓(あたし)の事情があった
第三話 とりあえずハッピーエンド―嫁小姑戦争に終わりはあるか?
第四話 彼はジャムしか愛さなかった
第五話 買われた花嫁は紅バラを拒んだ
第六話 人生は百万のリハーサルと体力を要求する芝居だ
(下巻)
第七話 漫画家ほど素敵な商売はない!……と思う
第八話 哀愁のトム―その時、彼はキャベツを買った
第九話 ヒロインの条件は”絵になる”ことなのだ
第十話 (番外編)嗚呼、受難の日々―鉄馬(ホモ)には鉄馬(ホモ)のいわくいいがたい苦しみがある
第十一話 続・嫁小姑戦争
あとがき

「喪失の響き」/喪失が織り成す様々な響き

 2008-05-21-23:29
喪失の響き(ハヤカワepiブック・プラネット) (ハヤカワepi ブック・プラネット)喪失の響き(ハヤカワepiブック・プラネット) (ハヤカワepi ブック・プラネット)
(2008/03/26)
キラン・デサイ

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amazonの内容紹介から引くと、あらすじは

少女サイは、インド人初の宇宙飛行士を目指していた父を母と共に交通事故で亡くすと、母方の祖父である偏屈な老判事に引き取られた。老判事はすでに引退し、ヒマラヤ山脈の麓の古屋敷に隠居していたが、孫娘の出現は判事と召使いの料理人、そして近所の老人たちの慰めとなるのだった。やがてサイは、家庭教師のネパール系の青年ギヤンと恋仲になる。急速に親密になっていくふたりだが、ネパール系住民の自治独立運動が高まるにつれ、その恋には暗雲がたちこめる――。

とのことなんですが、確かにそうなんだけど、そうなんだけど。これはある意味、あらすじはどうでもいい物語というか…。

混沌としたインドそのままに、時に悲劇的な、コミカルな、新しい、古い喪失が互いに響き合う。「停電の夜に」、「その名にちなんで」で、ジュンパ・ラヒリが描き出したインドとは、違う姿がここにはある。ジュンパ・ラヒリが描き出した人々は、ここでは成功者として、彼らの周囲を通り過ぎる通行人にしか過ぎない。

インドの中での持てる人々である、老判事、サイ、サイたちの隣人ノニ、ローラ姉妹、ブーティ神父、ポティおじさん。持たざる人々である料理人、サイの家庭教師ギヤン。アメリカに渡った料理人の息子ビジュ、イギリスに渡った若き日の老判事、ジェムバイ…。

愛を育むには長い時がかかるのに、喪失は瞬きする間にも起こりうる。ゴルカ民族解放戦線(GNLF)の活動は、それまでうまくいっていた人々の格差を炙り出し、それぞれを敵対させる。アメリカに渡ったビジュは、不法移民として、彼や彼の父親が夢見た成功とは遠い所にいる。イギリスに留学した、若き日の判事、ジェムバイは、その臆病さゆえに、自分の人生から愛を閉め出す。閉め出されたのは、彼の妻、ニミもまた…。

キラン・デサイの筆は奔放。サイたちの住む、ヒマラヤ山脈の麓の古い屋敷、チョーオユーは時に快適な場所として、時に湿気やシロアリにより崩れゆく場所として描かれる。壁に、引き出しの中に、本棚の本の頁に、あらゆる場所に顔を出す様々な黴の描写は美しくさえある。カンチェンジュンガ(Wikipediaにリンク)の麓の長閑な美しさも印象的。

様々な救い難い喪失が描かれるというのに、読み終えたときの感覚は何だか甘やか。料理人が語る内に真実だと思い込む、空想の中の出来事のように、悲劇的なことが描かれていても、薄皮が一枚かかっているよう。料理人の盲目的な愛は、貧しい人に特有のものであるとしても、時に救い。

ラストのシーンもね、いいのです。結局、そこには喪失はなく、最初にあったものが、そのまま戻ってきたとも言えるのかな。インドと言えば、ダウリー(持参金)問題の国でもある。当初、そこには愛があったのに、判事のねじ曲がった考えが、彼の妻を悲惨な境遇に貶める。宗主国と植民地。捻じれたプライドが悲劇を生む。混沌とした世の中で、人はあまりにも弱い存在だけれど…。それでも…。料理人父子や、サイには、同じ過ちを繰り返して欲しくはない、と思う。

「歌う船」/鋼鉄の乙女現る

 2008-02-09-00:11


アン・マキャフリー, 酒匂 真理子

歌う船 (1984年) (創元推理文庫) 
(新版なのか、私が読んだものと表紙は違います。古い方は、佐藤弘之氏描くところの、感受性の強そうな少女が、こちらをじっと見つめている絵が実に良いのですが)


だれも猫には気づかない 」以来のアン・マキャフリー。設定はとってもSFしているのですが、これは滅茶苦茶良かった~。

高橋しんの「最終兵器彼女」では、ドジなふつうの女の子、ちせが人間の形はそのままに、でもそれが変体するようにして「兵器」となってしまいましたが、こちらのヘルヴァは頭脳明晰のエリート。

しかしながら、<殻人(シェル・ピープル)>と呼ばれるヘルヴァたちは、ふつうの人間の姿をとってはいない。この世に生れ落ちた彼ら彼女らに残されていたのは、二つの道のみだった。それは安楽死か、カプセルに入れられた”脳”に、つまり管理機械として生きる道。手足を動かす代わりに車輪を動かし、伸縮腕を巧みに操り、何回かの脳下垂体手術を乗り越え、沢山の機械装置との結合を経て、ヘルヴァたちは成長した。

<中央諸世界>に貢献すべく、クラスメートたちと<中央実験学校>で様々な科目を学んだヘルヴァは、十六歳で卒業し、独立した<頭脳船(ブレインシップ)>となった。チタニウムの柱の奥に、自身を慎み深く隠して…。

頭脳船は<脳>の手足となる<筋肉(ブローン)>たる人間を相棒として、主に偵察任務にあたる。そうして、ヘルヴァも卒業後、宇宙へと旅立つのだが…。

とにかく、このヘルヴァの性格が秀逸で! ユーモアを忘れず、鋼鉄の船でありながら、瑞々しく柔らかな心、好奇心と人のために役立とうという親切心を忘れない。音楽に興味を覚えた彼女は、弦楽器の構造などにヒントを得て、歌う船としても有名になる。

瑞々しく感じやすい心を持つということは、それだけ傷つき易いということでもある。けれども、どれだけ悲しくともヘルヴァは涙を流す事も出来ず、睡眠と言う安らぎを得ることもない。それでも彼女は、<中央諸世界>からの任務をこなしていくのだが…。目次を見ればわかっちゃうけど、結末は素敵にハッピーエンド。いやー、楽しかった。

たださ、途中、ヘルヴァに人間の身体に移るチャンスが訪れるんだけど、ヘルヴァは自らの意思でそれを退けるんだよね。宇宙のどこへでも行ける「足」はなくなってしまうけれど、ヘルヴァに普通の女性として生きて欲しかった気も…。

「殺した船」で面白かったのは、<ディラニスト>という存在。

「ディラニストというのは、社会の解説者であり、抗議者であって、音楽を武器として、刺激として使うの。熟練したディラニストは(中略)
メロディーと歌詞とで、人を引きつけずにはおかない主張を述べることができて、そのために、彼が言いたいことは潜在意識へと徐々にしみ込んでいくようになるの」

これ、ちょっと何のこと?、と思いませんか。実はこれ、ボブ・ディランのことなんですね~。だから、ディラニスト。「風に吹かれて」なんかが出て来ます。

無機物と有機物の間、でも、ヘルヴァは誰よりも少女らしい。愛らしい少女の活躍、楽しかった!

これで終わりなのかなと思ったら、続きや関連した本もあるようです。読まなくっちゃ~。

■東京創元社の該当ページへの
リンク

目次
歌った船
嘆いた船
殺した船
劇的任務
あざむいた船
伴侶を得た船
 解説 新藤克己

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「チューリップ・タッチ」/何が彼女をそうさせたのか

 2008-01-20-21:29
チューリップ・タッチチューリップ・タッチ
(2004/11)
アン ファイン

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表紙もちょっと恐ろしげなのだけれど、実際、怖い、重苦しい話です。

ホテルの雇われ支配人を父に持つ、少女ナタリーは、ある日、一家で百以上の客室があるパレス・ホテルへと移り住んだ。そこで出会ったのは、風変りな少女、チューリップ。ぼさぼさの髪にみすぼらしい服装、虚言癖。チューリップは学校でも鼻つまみ者だったけれど、穏やかなナタリーは、チューリップの持つ烈しさに、すっかり魅せられてしまう。

ナタリーとチューリップは、様々な遊び、悪戯を二人で共有する。父はナタリーがチューリップと遊ぶことは止めなかったけれど、彼女がチューリップの家へと行くことは禁止した。そう、チューリップの家は、素晴らしい家庭環境とは言い難かった。酔っては暴れ、信じられない暴言を吐く父、父を止めることも出来ない母…。

体の弱い弟ジュリアスと比べ、穏やかで手のかからない娘であったナタリーは、忙しい両親の目に留まらない術を覚え、チューリップとの極彩色をした悪戯の世界にのめり込む。小学校から中学校へと進んだ二人の悪戯は、更に度を越したひどいものになる。ナタリーがチューリップに惹かれたのはその烈しさ故だったけれど、チューリップがナタリーを選んだのは、彼女が常に従順で逆らわなかったから?、ナタリーの胸に小さな疑問がよぎる。そして、チューリップはやり過ぎた…。小屋に灯油をまいて火をつけ、燃やしたとき、ナタリーははっきりとチューリップとの決別を意識する。

それからのナタリーは、溺れていた人間が水中から必死で浮上するように、チューリップを振り切って、正常な学校生活へと一人戻って行く。しかし、二人でやっていた遊びから一人が降りてしまった場合、残された一人はどうなる? チューリップはますます悪くなる。

一日一日を必死で生き伸びていたナタリーだったけれど、大人はそんな彼女の心中も知らずに、勝手なことを言う。あのかわいそうなお友だちは最近どうしたの? あの子は邪悪な子、もともと付き合うべきではなかったのだ…。厳格な人々はチューリップを遠ざけることを望み、「心やさしい」人々は適度な距離でチューリップとの付き合いを続けることを望む。でも、それはチューリップやナタリーのためを思ってのことではなく、自分たち大人の感情を満足させるためのものではないのか?

子供には力がない。ナタリーはチューリップに引き摺られないために、すっぱりと彼女との関係を断つしか方法はなかった。しかし、大人は違うはずなのだ。チューリップはなぜああなってしまったのか。誰も彼女を救えなかったのか。そして、チューリップが選んだ最後の<遊び>。

ナタリーは回想する。

チューリップといっしょに過ごした日々を、後悔することなどできない。ときどきあたしは、もう二度と、ああいう強烈な日々、赤く燃える夜や、白くかがやく昼を過ごすことはないのだろうかと、不満に思う。でも、そんなはずはないとも思う。人生を色彩豊かにする方法は、星の数ほどあるはずだ。あたしはいつか、自分で自分の方法を見つけるだろう。

でも、そんな風に将来のことを思っても、チューリップという少女のために、ナタリーは心を痛め続ける。誰も彼女を救えなかったのか? 彼女の心の扉まで、誰もたどり着けなかっただけではないのか?

やるせなさという点では、桜庭一樹さんの「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない 」を思い出しました…。子どもは無力。彼らの周りの世界が狂っているとき、子どもはどうやって世界に立ち向かえばいいのか??

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「灯台守の話」/物語るということ

 2008-01-11-23:06

ジャネット・ウィンターソン, 岸本 佐知子

灯台守の話


物語るとは、世界を丸ごと構築しなおすこと。たとえば向かい合って話すとき、言葉の力は、表情や身振り、抱き合うことなど、身体的なものに負けてしまうかもしれない。けれど、言葉には言葉にしか出来ないことがある。それは物語ること、物語を作り出すこと。

私たちの人生は、様々な物語から成る。そしてそれは多くの場合、はじめがあって真中があって終わりがある、そういう類の繋がった一つの物語ではない。私たちの人生は、様々な物語の断片の積み重ね…。こうくると、ちょっと、フラグマン(断片)、注記(ノチュール)、続唱(セカンヌ)、反響(レゾナンス)から成る物語、「マグヌス 」を思い出す。

目次
二つの大西洋
暗闇のなかの確かな点
太陽の寄宿人
大博覧会
洪水の前の場所
新しい惑星
物言う鳥

小屋
 訳者あとがき


父を知らず、母を亡くしたシルバーは、ソルツの町はケープ・ラス(怒りの岬)との灯台に住む、盲目の灯台守ピューに引き取られる。灯台は光の仕事だけれど、必要のない物は照らさない。だから、自らの内部は闇に沈む。シルバーたちの暮らしは常に闇の中。目の見えないピューにはそれで問題はないし、シルバーもまたそんな暮らしに慣れていった。

ピューが言うには、よい灯台守の条件とは、船乗りよりもよりたくさんの物語を知っていること。そう、器械の使い方なら、誰だって教えることができ、誰だって習うことが出来る。けれど、灯台守となる人間に、本当に教えなくてはならないのは、光を絶やさないようにすること。そして、それは物語を覚えることと同義である。

船乗りたちがやって来た時代、灯台の光が活躍していた時代は当の昔に過ぎ去っていたけれど、そうして、シルバーはピューから、様々な物語を聞き、学ぶ。お話して、ピュー。すべての灯台は物語であり、そこから海へと放たれる光もまた、導き、報せ、慰め、戒めてくれる物語そのもの。シルバーもまた、海で流木を拾うように物語を集め、ピューに話して聞かせる。

ピューは百年前の出来事を、まるで見てきたように話す。シルバーの「その時、ピューはいなかったくせに」という言葉にもお構いなし。ケープ・ラスには、だって、ずっとピューたちがいたのだから。ここで語られるのは、まるでジキルとハイドのような二重生活を送っていた、百年前のバベル・ダークと言う牧師の話。自らを牢獄に閉じ込めるかのようであった彼の人生は、自分の真実を信じなかったために、非常にややこしいものになってしまう。「アイ・ラヴ・ユー」、それはこの世でもっとも難しい三つの単語。

やがて、ケープ・ラスの灯台にも機械化の波がやって来る。ピューとシルバーは退去命令を受け、ピューは海へと姿を消す。シルバーはピューを追うのだが…。これ以降のシルバーの人生は、シルバーの言葉を借りれば、難破と船出の連続。寄港地もなく、目的地もない、砂州と座礁があるのみ。本盗人となり、鳥盗人となり、たぶん、妻のある人と恋して、女性に恋して…。真実の愛を探して、ピューの残したバベル・ダークの日記を手に、旅立ったシルバーの生は…。

 化石に書かれた記録は、発見されようとされまいと、つねにそこにある。もろく壊れやすい過去の亡霊。記憶は海面とは似ていない、荒れていようが凪いでいようが。記憶は積み重なって層をなしている。過去のあなたはちがう生き物、とはいえ証拠はしっかりと岩に刻まれている―あなたの三葉虫が、あなたのアンモナイトが、あなたの地を這う命の形が、自分では二本足で直立できていると思いこんでいる今この瞬間にも、ちゃんとそこに存在している。   (p159-160より引用)

あれほど原始的な感じではないのだけれど、ちょっといしいしんじの作品に似た空気感を感じました。繰り返される、「お話して」というフレーズ、おとぎ話のような雰囲気、話はあちこちに飛ぶのだけれど、潮の匂いが立ち込めるようなこのお話、とても良かったです。

器械は誰でも扱うことが出来るけれど、良い灯台守はたくさんの物語を知っているというフレーズ。世にたくさんの仕事があって、それはどんどん機械に置き換わっていってしまうかもしれないけれど、「物語ること」、それは人間にしか出来ないことだなぁ、と改めて思いました。少し前に、野暮用で「将来の夢」なんぞを書かされていたのだけど、これもまた物語ることなのかしらん。自分の中の、アンモナイトや三葉虫のような記憶を掘り起こしてみたくなる本でした。

古い灯台にも興味が出てきちゃって、思わずネットをうろうろしてしまいました。あの「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」(実は私、「宝島」と「ジキル~」の作者が一緒だって知りませんでした…)で知られる、スティーヴンソンの祖父が、この灯台のモデルとおぼしき、ケープ・ラスに実際にある灯台を建設したのだとか。「灯台」というアイテムが実に秀逸。

美しい装幀は、吉田浩美さんと吉田篤弘さんのクラフト・エヴィング商會です♪

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「リビアの小さな赤い実」/リビアの少年、少女

 2007-09-19-22:52
ヒシャーム・マタール, 金原 瑞人, 野沢 佳織
リビアの小さな赤い実

著者、ヒシャーム・マタール自身の父も、反政府主義者として糾弾を受け、リビアを脱出したものの、その後、リビアの秘密警察により誘拐され、1995年以降、生死を含め、その消息は分かっていないのだという。

というわけで、これは限りなくノンフィクションに近い、フィクションなのかな。主人公のスライマーンは、今、少年の日のあの夏のことを思い出している。それは、1979年、生まれ育った街から遠くへやられるまえの、最後の夏だった…。

パパが「仕事」で遠くに行っている時、必ず「病気」になってしまうママ。「薬」を必要とするママ。「病気」の時は、少年スライマーンには分らない話を次から次へとするママ…。

きっと、そこに愛はあるのだけれど、(そして大人になって思い出すとき、そこにはいろいろな理由があるのだけれど)少年スライマーンの周囲は何だか不安定。『千一夜物語』のシェヘラザードを勇敢な女性とみるスライマーンに、「病気」の時のママはシェヘラザードは臆病な奴隷にすぎないと言い募る。ママの言う通り、生きることは誰かの許可を得てではなく、その者自身に、最初から与えられた権利であるはずなのであるが…。

そして、彼らの家庭や周囲に影を落とす、「革命評議会」の男たち。隣のラシードさんが彼らに捕まり、スライマーンの父の身にもやはり危険が及ぶ。ママやムーサは父の書物を全て焼き、部屋には大きな「革命指導者」の写真を掛けるのだが…。

少年、スライマーンにとって、クワの実こそが神様がお創りになった最高の果実。アダムとイヴが楽園を追放されたとき、きっと若い元気な天使たちが申し合わせて、この世の土にその木を植え替えたのだ。美しい小さな赤い実。

この物語が恐ろしいのは、美しい風景を描き、少年の心に丹念に沿う、その同じ丁寧な筆致で、裏切りやスライマーンの心に潜む醜い部分を容赦無く描き出すところ。大人に思うように顧みられないスライマーンは、幼い思いからとはいえ、時に致命的な誤りを犯す。また、父に対する人々の批難や、母の擁護も実に痛々しい。リビアがとる人民主義の現実が父を苦しめ、イスラーム圏であるリビアの慣習が母を苦しめた。そして、子供は親とは無縁ではありえない。

そうして、あの夏を回想するスライマーンの心に残る空洞。結果として祖国を捨てることになったスライマーンの心には、母国リビアが消えた分だけの空洞が残る。

ぼくたちはなんとたやすく、軽々しく、架空の自分を手に入れてしまうことだろう。そうすることで世間を欺き、もし余計なことをせずにいたらなっていたはずの、ほんとうの自分を欺いているのだ。

終章、二十四歳になったスライマーンは、エジプトの都市アレクサンドリアで、陸路でやってきた(リビアでは国際線の運航が禁じられている)母に再会する。年を取った女性を探すスライマーンの目に飛び込んできたのは、白髪ひとつなく、まるでこの街に初めてやって来た少女のような母親の姿(彼女がスライマーンを生んだのは、十五歳の時。彼女がスライマーンをカイロに送り出したのは、二十四歳の時)。

これは少年、スライマーンの物語であるのだけれど、窮屈な世に生きたほんのちょっとだけ自己主張が強かった少女、ナジュワの物語でもある。終章、二人が再会を果たすところ、途中まではすっごい苦しい読書だったのだけれど、ぱーっと光が差すような気分になった。スライマーンの心の空洞、埋めていけるといいな。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

■メモ■
・リビア(Wikipediaにリンク
←2004年に国名が変わっていたのですね。
 「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」の外務省のページにリンク
・トリポリ(Wikipediaにリンク
・イスラーム文化圏では、結婚して長男が生まれると、その名がマスードの場合、妻は「マスードの母」という意味でウンム・マスード、夫は「マスードの父」という意味でブー・マスードと呼ばれるようになる。

「退屈姫君 恋に燃える」/みたびの、すてきすてき!

 2007-09-18-22:06

米村 圭伍

退屈姫君 恋に燃える (新潮文庫)


えーと、前作にあたる「退屈姫君 海を渡る」は、覚書をしたためる前に図書館に返してしまったのだけれど、そこは米村さん、心配はいりませぬ。ちゃーんとちゃんと、「これまでの流れをざっとご説明」してくださいます。

そんなこんなで、おさらいを終えて。さて、こたび、またしても退屈で死にそうになっていためだか姫を助けてくれたのは、風見藩の藩士にして、将棋家元である伊藤家の門人、榊原拓磨の身分違いの恋。榊原拓磨は、藩命を掛けた将軍家との賭将棋を控え、この江戸で将棋に打ち込む日々を送っていたのだけれど、何の因果か横隅藩の末姫、萌姫に出会ってしまった!

めだか姫は、この若い二人に手を貸すのだけれど、たかが色恋沙汰というなかれ、そこはあのめだか姫の目を輝かせただけのことはあり、やはりこの恋はまたしても天下の一大事へと発展する。さて、若い二人への横やりを首尾よく抑えて、めだか姫は二人を幸せに出来るでしょうか? お馴染みの面子を巻き込んで、めだか姫の策略はこたびも冴える!

このシリーズを読んだ時に、この姫君は誰かに似ている、と思っていたのだけれど、今回は特に『姫若天眼通』(各大名家の姫君若君の出来栄えを記した細見。ちなみに、めだか姫の番付は極々大凶の褌担ぎもしくは天眼鏡(むしめがね))なるものが出てきたり(これは流石に眉唾だけど。笑)、和歌を贈り合ったり、実家の陸奥磐内藩の姉姫の名を騙ったりするところ、時は平安の琉璃姫(@「なんて素敵にジャパネスク)を思い出すのでした。

あと、お仙の兄、幇間の一八といえば、「本多髷」の一八と「本多髷」が良く枕につくのだけれど、杉浦日向子さんの「一日江戸人 」のおかげで「本多髷」が分かりましたー。つーんと細い本多髷、ずいぶん傾いた髪型だったのですねえ。

そしてそして、米村さんといえば、男を押し倒すたくましき女性たち(笑)。めだか姫お付きの諏訪にはまぁ慣れたけれど、めだか姫の姉姫たち、猪鹿蝶三姉妹(シスターズ)は、しかししかし、怖すぎですよ。

■過去関連記事■
風流冷飯伝 」/風見藩が冷飯ども ←本シリーズ
退屈姫君伝 」/めだかの姫さま、活躍す ←本シリーズ

錦絵双花伝 」/虚と実とそして・・・ ←繋がってるけど異色
影法師夢幻 」/それは大いなるゆめまぼろし? ←微かに繋がってます

目次
 みたびはじまる
第一回 諫鼓鶏(かんこどり)告ぐは天下の一大事
第二回 秋空に舞いし扇は恋の花
第三回 煩うて恋する姫は雪兎
第四回 歌会は珍歌下歌(ばれうた)乱れ飛び
第五回 姫ならで妖魔に夜這う菊月夜
第六回 忠臣の血潮が守る命駒
第七回 道行の闇に揺れるは白き足袋
第八回 信長は二色の石を握り込み
第九回 大汗の家元負かす泣き黒子
 これにて幕間

「新本格魔法少女りすか」/きちきちきちきちきちきち…

 2007-07-25-21:34
西尾 維新
新本格魔法少女りすか
講談社NOVELS

西尾維新さんという人、ずっと気になっていたのです。そんなところ、古本屋でこの本を見つけたので、早速ゲット。

結論からいえば、そして、作中人物、『赤き時の魔女』りすかの口調を真似れば、
 この本をとっても面白く読んだのは、私だったの
面白かったよー。

目次
第一話 やさしい魔法は使えない。
第二話 影あるところに光あれ。
第三話 不幸中の災い。


『城門』の向こうは長崎、『魔法の王国』で育った水倉りすかは、その血液内にあらゆる魔法式を織り込まれている(&ある魔法陣も)。彼女が齢十歳にして、『赤き時の魔女』という称号と、乙種魔法技能免許を取得済みであるのは、そういうわけ。りすかの血は魔法式そのものであるからして、りすかは愛用のカッターナイフで自らを傷つけ、血を流す事により、魔法を発動出来るのだ。きちきちきちきちきちきち…。彼女の魔法の属性(パターン)は『水』であり、種類(カテゴリ)は『時間』。十歳の彼女はそんなわけで、時を前に進めることが出来る。つまり、余計な時間を「省略」出来るというわけ。

さて、りすかは『城門』を越えて、普通の人間が住む世界へやって来た。それは、自分の血液内に高度な魔法式を織り込んだ父、現在行方不明中である水倉神檎を追ってのこと。彼は偉大にして強大な力を持つ魔法使いであり、六百六十五個(半端なのは、一つをりすかにあげたから)の称号保持者でもある。普通の人間に『魔法』を教えることの好きな父親を追い、また、県外(ソト)の人間の「魔法使い」への目を考える内、りすかはいつか県外(ソト)の魔法使いを狩る側へと回っていた。魔法を裁く、『魔法狩り』のりすか。

そんなりすかを『駒』とするのは、りすかの同級生、供犠創貴(くぎきずたか)。ここではまだ明かされていないけれど、大いなる目的とやらのために、『魔法使い』使いを目指す彼。何やら尊大でもあるこのキズタカ。ある魔法使いを自分の手下にならないか?、と勧誘する時の彼の口調はこんな具合。

「魔法使いなんて言っても、奴ら全然魔法を使いこなせていやがらない―まるで、駄人間と同じだ。両者仲良し、駄人間(できそこない)と半魔族(できそこない)。だったら仕方ない、ぼくが使ってやるしかないだろう。ぼくが使ってやらなきゃ誰が使ってやるって言うんだい?」

とにもかくにも、りすかとキズタカの目的はある一面で一致した。りすかは父を探すため、キズタカは自分の『駒』を探すため。そんな彼らが出会う戦いとは?、の三本立て。

不幸中の災い」のみ、「戦い」というにはちょっと違うかなー。そして、俺様キズタカとりすかの関係に変化が現れる。

はっきりいって、キズタカのやっていることは、道徳的、道義的に見て、正しいことではないのだけれど、それでもやっぱり面白いです。それはこの先、キズタカがそのまんま俺様で尊大なままであったとしても、きっと変わらない。うまく言えないのだけれど、世間一般に正しいとされること以外をやる場合、そこには何らかの痛みを引き受ける覚悟がいる。キズタカの場合、その覚悟があるんじゃないかなー。りすかも可愛いよー。現在「3」まで出ているようだけれど、まだ完結してないんだよねえ。途中まで読んでも、欲求不満になるのかしらん。

今後のためのメモ。

・『城門』の向こう長崎には、かつて『核』が落とされた
・キズタカの父は、佐賀県警の幹部
・魔法使いは海を渡ることが出来ない
・りすかの従兄妹、水倉破記の称号は『迫害にして博愛の悪魔』、属性(パターン)は『水』、種類(カテゴリ)は『運命』
・『にゃるら!』の『ニャルラトテップ』ってナニ?

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「夢を与える」/嘘を紡いだその先には

 2007-07-14-23:11
夢を与える夢を与える
(2007/02/08)
綿矢 りさ

商品詳細を見る
「蹴りたい背中」にはあんまり感心しなかったのだけれど、こっちは良かったよ、綿矢りささん。同時に、あー、「綿矢りさ」も大人になっちゃったんだなぁ、とも思ったけれど。大人も大人、何だかそれはこの「夢を与える」の中で、主人公である夕子が呟く、「私の皮膚は他の女の子たちよりも早く老けるだろう」というような大人になり方で、勝手ながらちょっと心配してしまうくらい。ま、作品は作品、作家は作家で本来別々のものなのでしょうが。

芸能人、スポーツ選手などが、最近よく使うこの「夢を与える」や、希望を与えるという言葉。傲岸不遜とも思われる、この言葉の裏の彼らの生活は、一体どうなっているのか。他人に「夢を与え」続けるというのは、どういうことなのか。本書は、残酷で無残な青春小説とも読めるような気がする。

主人公は、夕子。その愛らしい容姿でもって、チャイルドモデルとして活動していた彼女は、大手チーズ会社との半永久的なCM契約により、日本全国に知られた存在となる。そのCMは「ゆーちゃん」の成長を映し続ける。「ゆーちゃん」とは誰なのか?、世間の関心が高まったところに、普通の少女としての「ゆーちゃん」の難関高校の合格。幼いころから知っている少女が、健やかに成長するさまを見た大衆は、夕子が「普通の少女」である事に好感を持ち、彼女は一気にブレイクを果たすのだが…。

主人公はこのアイドルとなる夕子であるけれど、実際には彼女の母も、この物語に濃密に絡みついてくる。日仏ハーフのどこか頼りなげなトーマを繋ぎ止めたのは、夕子の誕生であったのだけれど、無理矢理繋ぎ止めた関係はいつか破綻する。夕子にとってはいい父親のトーマであったけれど、彼はいつしか夕子や妻、幹子に隠れて、もう一つの「家」を持つようになっていた。夫、トーマへの満たされぬ思いを埋めるように、母、幹子は夕子の芸能活動を全力でサポートする。母子が邁進した芸能活動の果てに待ち受けていたものは、しかし…。

高校に入学する前、完全にブレイクを果たす前の夕子の生活は、時にCMに出たり、ギャルズクラブの妹分としてレポーター活動などもこなすものの、まだまだ至ってのどかなもの。母、幹子の実家にもほど近い、海、山、川と自然に恵まれた昭浜の家での一家三人の暮らし。同級生との他愛もない会話。恋とも呼べぬような淡い思い。

ところが、ブレイクを果たした後の夕子の生活は一変する。都内に借りた仮住まいのままのようなマンションでの母子の暮らし、高校へ辿り着いても、眠り続けてしまうような疲労、詰め込まれたスケジュール。薙ぎ倒す様にひたすらにスケジュールをこなす日々の中で、夕子は段々と倦んでいき、「一般人」に恐怖を覚える「芸能人」になっていく。けれど、どんなに忙しくても、使い捨てられるのは、こわい。

高校三年生となった夕子の勢いが失速するのは、大学受験のため。普通の理想の人生を歩んでこその、みんなの「ゆーちゃん」である、阿部夕子というもの。ところが、夕子は突然の静かな生活に耐えられなくなっていた。そして、夕子にとっては運命の恋に出会ってしまう。それは、普通の人間にとっては、ごく普通の恋愛で終わる可能性もあったのだけれど…。ここでも、母と同じように無理矢理繋げた関係が、ある衝撃的な事件を呼ぶ。

夢を与えるとは、他人の夢であり続けること。そして、その他人の夢を裏切るような生き方をしてはならない。初めての恋に、世間の人々を「裏切った」夕子の独白は、あまりにも早く大人になってしまった少女のもの。諦観に老成。そして、人はきっと、そういう少女をテレビで見たいとは思わない。明るく、頬紅を塗らなくても、ふっくらと輝いていた頬は、すでに痩せて萎んでしまった。夕子の今後はどうなるのか。普通の人々の信頼の手を手放して、文中にあるような赤黒い欲望の手と手を結ぶのか。

ずしんと重い小説です。高校生の頃の夕子が頑張れたのは、中学生の頃やその前の生活が充実していたからなのだよね。ところが、何の実もない高校生活が彼女の心を萎ませてしまった。人間は、自分の現在の少し前の遺産を食い潰して生きている。積み重ねなく、常に人に「夢を与え」続け、他人の夢であり続ける。それは、やっぱり、壊れていくものなのでしょう。

今、amazonを見たら、amazonではなぜか押し並べて低評価のようですが、私は濃密な良い小説だと思いました。でも、この絶望が深すぎて、綿矢りささんがずーっとこっち側に深度を深めていってしまうとしたら、次の作品を読むのが怖いな、とも思いました。蹴りたい背中」のディスコミュニケーション一本槍よりは(って、随分前にぱらぱらと読んだ印象のみだけど)、私はもっといろいろなテーマが盛り込まれた感がある「夢を与える」の方が好きなんだけれど、欲を言えばもう少し希望を感じさせる作品も読みたいな、とも思います。次作はどう来る? 綿矢りさ。
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つな がる

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つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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