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「科学の扉をノックする」/作家、小川洋子さん、科学の世界をノックする

 2008-08-02-10:49
科学の扉をノックする科学の扉をノックする
(2008/04)
小川 洋子

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目次
 渡部潤一と国立天文台にて
1章  宇宙を知ることは自分を知ること
 図版◆宇宙の姿

 堀秀道と鉱物科学研究所にて
2章  鉱物は大地の芸術家
 図版◆おもしろい鉱物たち

 村上和雄と山の上ホテルにて
3章  命の源“サムシング・グレート”
 図版◆核とDNA

 古宮聰とスプリングエイトにて
4章  微小な世界を映し出す巨大な目
 図版◆宇宙都市のSpring-8

 竹内郁夫と竹内邸にて
5章  人間味あふれる愛すべき生物、粘菌
 図版◆細胞性粘菌の不思議なライフサイクル

 遠藤秀紀と国立科学博物館分館にて
6章  平等に命をいとおしむ学問“遺体科学”
 図版◆引き継がれる遺体たち

 続木敏之と甲子園球場にて
7章  肉体と感覚、この矛盾に挑む
 図版◆身体を動かす主な筋肉
あとがき
取材アルバム
プロフィール
作家、小川洋子さんが訪ねる科学の世界。自分が多少でも知っている分野だと、小川さんがその現象を物語的に解釈する部分に、ちと感傷的過ぎるか?とも思ってしまうんだけど、この子供のような素直さが、作家、小川洋子さんが持つ少女性にもつながってるのかなー、と思いました。

鉱物のお話では、柱状のふわふわの結晶を持つオーケン石が面白かった。なんだかね、飛さんの「グラン・ヴァカンス」に出てくる硝視体(グラス・アイ)の中には、こんな石があるんじゃないかな、と思いました。ネットで検索したところ、オーケン石は別名、「ラビットテール(兎の尻尾)」ということだし、ジュリーが持つのに相応しいもの。
また、粘菌のお話では、粘菌といえば、京極堂シリーズの関口巽よね、と思ったり。粘菌の不思議な挙動には、関口センセイが研究していたという設定に相応しいな、と思いました。京極さんも良くこんな設定をしたよなぁ。
って、私も大概、科学から離れた感想になっちゃったけど。

あとがきから引きます。

取材を終え私が一番に思うのは、皆さんが奉仕の心を持っておられたことです。目に見えない何か、自分より偉大な何かに対し、戦いを挑むのではなく、謙虚な心で奉仕する。その心がいつも私を感動させました。

研究者に拍手ー!な一冊でした。
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「密やかな結晶」/消えていってしまう・・・

 2006-05-16-21:49
小川 洋子
密やかな結晶


主人公の小説家である「わたし」が住む島では、ある変わった現象がもう長い間続いている。それは、「消滅」として知られ、人の心の中から、物に付随する記憶及び思いが無くなってしまう事を指す。

一度「消滅」が起これば、物を見てもそれが何であったか、思い出すことも、再びそれらを味わう事も出来ない。香水の匂いも、オルゴールの音も、島の人たちは、もう二度とそれらを味わう事は出来ない。

人々は「消滅」による心の隙間を埋めるように、既に消滅してしまった物を、捨て去ったり燃やしたりする。それらは既に持っていても仕方の無い物であり、ざわめく心が物自体の消失を求めるのだ。

実は島に住む人間、全てが「消滅」を経験するわけではない。心の中の記憶を無くさない人間も、数は少なくともいるのだ。彫刻家であった「わたし」の母がまさにそうだった。彼女は幼い「わたし」に、既に喪われた物たちを隠した、引き出しの中身をそっと見せるのだった。しかし、その母は既に亡い。秘密警察に連行された後、不可解な病死を遂げたのだ。

中盤からは、小説家である「わたし」が書いている小説と、島の描写が交互に続く。「わたし」がこれまでに書いた小説も、全て何かを無くした人々を描いていたが、ここでもまた、声を失ったタイピストの女性とその恋人が描かれる。声を失って、そして所有される、タイピスト。失うこと、無くしていく事は、輪郭を失うことでもある。

「消滅」を扱う、秘密警察の取り締まりは段々と強化され、島の「消滅」もまた加速していく。記憶を失わない人々は、秘密警察による「記憶狩り」に連行されてしまう。

「わたし」と仕事を共にする、編集者のR氏もまた、記憶を失わない人々の一人であった。「記憶狩り」が激しさを増したため、「わたし」はR氏を匿うことにする。おじいさんの協力を得て作った隠し部屋は、小さいけれど全てが事足りるようになっている。

そうこうする内に、島からは「わたし」の生業である小説が消滅し、おじいさんは地震により住んでいたフェリーを失ってしまう。「わたし」とおじいさん、R氏三人の暮らしが始まる。

記憶を失っていくおじいさんと「わたし」、記憶は失わないけれど、隠し部屋でひっそりと暮らすR氏。R氏の心は小さな隠し部屋の中で、どんどん濃密になっていくようである。それに比べて、すかすかになっていくおじいさんと「わたし」の心。

消滅はどんどんと進んでいく。とうとう、島の人々は自分の体の一部までをも失い始める。そして、最後は・・・・。


感想を書くのが難しい、雰囲気で読むような物語。静かな、静かな物語。淡々と進む物語は好きだし、きっとこの物語全てを読み取れていないんだろうけど、好みで言えば「沈黙博物館」の方が好きだなぁ。

「忘れてしまう」ことと「消滅」は違う。島の人々は、淡々と「消滅」を受け入れているのだけれど、実際にこんな事が起こったら、とちょっと怖くなった。「消滅」を経験する方が普通で大勢を占め、そうではない場合は、秘密警察に狩られてしまうのだけれど、そうであっても「消滅」を経験したくはないよなぁ。

そして、物は「記憶」があるからこそ、機能するものなんだよね。記憶や思いが無ければ、それは既に「その物」として存在出来ないのかもしれない。

☆関連過去記事☆

「博士の愛した数式」  (現在、コメント停止中。英文スパムめ~)
「沈黙博物館」

「沈黙博物館」/静謐な

 2005-07-11-09:43
小川洋子「沈黙博物館」

ある村に雇われてやって来た博物館専門技師の「僕」。現実の村のようでもあるけれど、その村はどこか儚い美しさを持つ不思議なところ。美しい卵細工の特産品、シロイワバイソンの毛皮を身に纏った沈黙の伝道師。

雇い主は大きな館に住む、気難しく独自の暦に従って生活する老婆。「僕」は老婆の養女である少女とともに、博物館を作ることになる。

博物館専門技師の仕事を「僕」はこう考える。
「僕の仕事は世界の縁から滑り落ちた物たちをいかに多くすくい上げるか、そしてその物たちが醸し出す不調和に対し、いかに意義深い価値を見出すことができるかに係っているんです。」

そして、老婆が望む博物館は普通のものではない。彼女が幼い頃から集めた、村人の形見の展示を望むのだ。
「いいな、私が求めたのは、その肉体が間違いなく存在しておったという証拠を、最も生々しく、最も忠実に記憶する品なのだ。それがなければ、せっかくの生きた歳月の積み重ねが根底から崩れてしまうような、死の完結を永遠に阻止してしまうような何かなのだ。思い出などというおセンチな感情とは無関係。もちろん金銭的価値など論外じゃ」
こう語る老婆が集めた形見は勿論普通のものではない。大抵の場合、それは高価でもなく、美しくもない。殆どが死の混乱に乗じて盗んできたもの。

老婆が語る形見の物語を記録し、村人が二度死ぬことがないように、丁寧に保存していく。村人の新たな死に当たっては、技師である「僕」が形見を収集することになる。物語は多分こう進むのだろうなぁ、と思う方に進んで行くのだけれど、最後、ことりと嵌まる場面は何とも物悲しい。


印象深かったのは、顕微鏡の中の世界、少女の頬の星型の傷、沈黙の伝道師など。生き生きとした野球観戦の様、少女の若さには明るさを感じるけれど、全編を覆っているのは静謐な空気。沈黙のカーテンを下ろしてはいるけれど、決して人を拒絶しているわけではない、「沈黙の伝道師」も魅力的。
小さな沈黙の世界は彼女を迎え入れ、秘密の言葉を毛皮の奥へ封じ込めているのだった。

「博士の愛した数式」 もそうだったけれど、「愛」を描きつつも、「恋愛」的要素は注意深く取り除かれているように感じる。小川洋子さんの「恋愛小説」があるのならば、読んでみたいと思いました。
 ←私が読んだのはこちら
小川 洋子
沈黙博物館
 ←すでに文庫化されているようです

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら御連絡下さい。

喪う/「博士の愛した数式」

 2005-03-24-10:39
過去形で書かれた物語には、何だか切ない匂いがする。

この物語は、80分の記憶しか持つことの出来ない博士、家政婦の私、その息子ルートの交流を描いたものだ。
博士は不慮の事故により、それまで持っていたものの殆どを喪ってしまった。
残されたのは、事故に遭う以前までの記憶、研究していた数学の知識、子供に対する限りない慈しみの情、そして80分の記憶しか保つことの出来ない脳。

博士から語られる数の話は、静謐で美しい。
そっと博士に寄り添う家政婦の私の姿、博士に全幅の信頼を寄せる息子ルートの心も、優しく、ただ切ない。本当に美しい魂の物語。
博士が喪ったものは数多いけれど、残されたものは削ぎ落とされた美徳だったのだろうなあ、と思う。どちらが幸せだったのか。
普通に考えれば事故に遭う前だと思うのだけれど、この物語を読むとどちらなのか分からなくなってくる。勿論、80分の記憶による苦悩も書いてあるのだけれど。


ahaha さんの所で、「
人前で読んではいけない本 ・感涙編」に分類されていたというのに、ついうっかり外で読み、目をシバシバさせながら、ラストを読む進める羽目に陥りました。外出中は大抵本を持ち歩いているので、そういう状況が実はとても多い…。
(このエントリーで同じく「感涙編」に分類されていた、島本理生「ナラタージュ」も新聞の書評で高評価。読んでみたい。)


数学の美しさ。感じてはいたのだけれど、私が出来たのはガチャガチャ計算していけば、いつかは必ず解ける「微分・積分」だった。
あれは所謂数学ではないように思う。
「美しい証明」や「美しい解法」。何となく判別がつくだけに、出来ない自分が悲しかった。これはもうきっとセンスで、そして残念ながら私にそれはなかった。
物理なんかをやっていると、ああ数学は物理の法則を理解するために発展したのかしら、等と思ったのだけれど、純粋な数の世界はもっと美しいものなのだろうか(この辺り、頭が文系なのに理系に進んでしまった人間の戯言なので適当です。物理と数学はどっちが先なんだ?でも物理は明らかに実学だけど、数学はそうではない気が)。

作中に出てくる江夏投手のエピソード。山際淳司「江夏の21球」を思い出した。こちらもまた良い本でした。




著者: 小川 洋子
タイトル:
博士の愛した数式
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プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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