スポンサーサイト

 -----------:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

「天使のとき」/家族の神話

 2009-01-25-21:34
天使のとき天使のとき
(2008/12/05)
佐野 洋子

商品詳細を見る

童話のような神話のような?
生殖や死の匂いが濃厚なところは、童話というよりも神話に近い雰囲気かな。

チチとハハから生まれたアニと私。ひ弱なアニに比べ、私はどこまでも力強い。アニはハハに愛され、私はチチに愛される。

やがてアニと私は、チチとハハを捨てるために家を出る。カミの住まう家で、チチの臨終のときを見せてもらうが・・・。

親から生まれた子は、いつか親のもとを離れ、更に時が過ぎれば、親を看取り、親を介護する。

描かれているお話はシンプルで、プリミティブ&力強い筆運び。読むタイミングによっても、読み取ることが違うんだろうなぁ。私にとってはまだ切実な問題ではなく、ただただ圧倒された感じでしたね。佐野洋子さん、今度は本屋で立ち読みしたエッセイを読んでみたいな。

■関連過去記事■
・「食べちゃいたい」/あなたを喰らう、わたしを喰らう
スポンサーサイト

「メモリー・キーパーの娘」/人は悲しみから逃れることが出来るのか?

 2009-01-20-23:57
メモリー・キーパーの娘メモリー・キーパーの娘
(2008/02/26)
キム・エドワーズ

商品詳細を見る

人は悲しみから、不幸と思われる事柄から逃れることが出来るのだろうか?

きっとそんなことは不可能で、誰か守るべき人、守りたいと思った人の行く道から、石ころや岩(と思われるもの)を全て取り除いたからといって、それでその人が満足し、幸せになるとは限らない。

だって、丸ごとの不幸などというものは存在せず、不幸(と思われるもの)の中にも喜びや、幸福があるものだから…。ある事柄をごっそりなかったことにされたとしたら、引き剥がされてしまったら、その喪失感はいかほどのものなのだろう。

若き外科医師、デヴィッドの妻、ノラは、初めての子をある雪の日に産み落とす。子を取り上げるはずだった、デヴィッドの同僚の医師は、雪のために出産に間に合わない。デヴィッドは自ら、子供を取り上げるのだが…。

元気な男の子の次に、ノラの産道を通ってきたのは、ダウン症の女の子だった。ノラは双子を身ごもっていたのだ。1960年代、ダウン症についてはまだあまり知られておらず、自分の妹の経験からも、心臓に欠陥があることを恐れたデヴィッドは、有能な看護婦、キャロラインにその女の子を託す。施設に預けるようにと…。

高齢出産の両親から生まれ、幼いころから注意深く育てられてきたキャロラインは、ここへきて、自らのこれまでの生き方を覆す決断をする。彼女がその女の子、フィービを連れていった施設はそれ程にひどかったのだ。ここから、キャロラインの人生は思いもかけない風に変わっていく…。

変わっていったのは、ノラとデヴィッドの夫婦もそう。ノラは健康な男の子、ポールの誕生よりも、喪われた女の子、フィービの死を悼む。デヴィッドはフィービは死産であったと伝えたのだ…。そうして出来る、夫婦の間の隙間風。デヴィッドのついた嘘が、二人の関係をも変えていく…。

結婚当初、守られるばかりであったノラは、喪失感を埋めるために、しゃにむに様々な分野で活躍し、自立した女性になっていく。それは自らの意図した範囲を超えた成功だったとも言える。一方のデヴィッドは、全ての場面を記録せずにはすまないとでもいうように、写真へとのめり込む。そう、彼は「メモリー・キーパー」とでもいうべき存在になったのだ…。また、デヴィッドは自らを後ろめたく思うあまり、責めるべき場面においても、ノラを責めることはない。二人の関係は勿論、息子、ポールの精神にも影を落とす…。妻と息子、二人がデヴィッドに感じる高い透明な壁…。

人生には元に戻すことの出来ない、不可逆点が存在するし、そうかと思えば、予想もしていなかったことに巻き込まれることもある。そう考えると、人生設計ってなに~?、と思ったりもするんだけど…。

みんながあまりに切なくて、フィービの明るい歌声があまりに素敵で、最後はやたらと泣けてしまいました。以前に読んだ「時のかさなり」(感想)ではないけれど、人にはそう行動するだけの理由や、それまでの経験、歴史がある。貧しい家に生まれ、太陽のように皆を繋ぎ止めていた妹を亡くしたデヴィッドの気持も良く分かるのです。自分がしたような経験を愛する者にさせたくはなく、残った子供であるポールには、出来るだけのことをしたのだけれど…。

それでも写真のように、時が留まることはない。時は移ろい、人は変わっていく。いくら近しい人だからといって、その人の人生を代わりに請け負うことは出来ない。その存在に勇気づけられることがあっても、ね。

 高く透きとおる彼女の声は木の葉の合間を縫い、陽射しをすりぬけて流れていく。砂利に、草叢に、ぶつかって弾ける。水に小石を落とすように宙で音符が弾むと、見えない水面に波紋が広がる。音の波、光の波。父はすべてを固定しようとしたが、世界はつねに流れ移ろい、留めることなどできない。
 ひるがえる木の葉。なめらかに注ぐ日光。(p543より引用)

同じ一瞬がないからこそ、人生は美しい。
目次
1964
1965
1970
1977
1982
1988
1989

「かえっていく場所」/宴のあとに

 2008-07-25-00:49
かえっていく場所 (集英社文庫)かえっていく場所 (集英社文庫)
(2006/04)
椎名 誠

商品詳細を見る

目次
1 桜の木が枯れました
2 高曇りの下のユーウツ
3 窓のむこうの洗濯物
4 東京の白い夜景
5 冬の椿の山の上
6 屋上男の見る風景
7 エルデネ村の狼狩り
8 アザラシのためのコンサート
9 波止場食道のノラ犬たち
10 雪山の宴。キタキツネの夜。
11 イイダコの水鉄砲
12 プンタ・アレーナスの金物屋
 解説―吉田伸子
椎名さんと息子、岳君の日々を描いた「岳物語」などに連なる、椎名さんの私小説的なお話です。娘と息子は成長し、日本を離れて暮らしている。もうきっと、この先彼らと共に暮らすことはない。妻と二人暮らしになってしまった椎名さんは、住み慣れた武蔵野の家から、都心へと居を移す。この本は、そんなシーンから始まっています。

以前と同じように取材旅行をこなしてはいても、東ケト会の面々と焚き火をしていた頃の勢いは既にない。椎名さん自身も不眠に悩まされ、アルコールでどうにか眠りにつく日々を過ごしているし、妻の渡辺一枝さんも体調が芳しくない。あんなに精力的に過ごしていたのに、肉体的にも精神的にも、人生の下り坂に差し掛かっている。そんなときに、「かえっていく場所」とは…。

あくまでも「私小説的」なものであって、そうはいっても、やはりこれはフィクションなんだろう。書いてあることをそのまま信じ込むほど、私ももう子供ではないけれども、前半の陰鬱な感じにはハラハラし、徐々に光が差し込んでくる後半ではほっとしました。手放しの身内(家族)自慢はちょっと気になるけど、公の場面できちんと家族を褒めることが出来るのはいいことだなぁと思います。

にしても、あれだけ精力的に好きなことをして過ごしていたように見えた椎名さんが、こんな風になっちゃうんだなぁ、というのがちょっとショックでした。下り坂に差し掛かった時、人は自分の好きな場所、愛する場所、時間に帰っていくのだろうけれど、自分はそういう場所を持てているのかなぁ、と思いました。人生には色々な段階があるんだろうけど、宴のあとのような時間をどうやって過ごしていくのか。宴が派手であればあるほど、大変なのかなぁ。

一点、残念というか、どうかな~と思ったのが、古い友人に関するくだり。この本の中では、椎名さん自身も、多少壊れ掛けているのだけれど、それは若き日の冒険というか旅を共にした友人も同じ。アルコールに溺れ、椎名さんを詰る姿は、書かない方が良かったんじゃないかなぁ。

「岳物語」「続・岳物語」の次には、「春画」があって、その後にこの「かえっていく場所」が続くんだそうな。前の二冊は読んでいたんだけど、「春画」はその存在すら知らず。ついでだから、「春画」も読んじゃおっかなー。

「血族」/ファミリー・サーガ

 2008-01-21-23:45

山口 瞳

血族


山口瞳さんのファミリー・サーガです。この本のことは、桜庭一樹さんの読書日記で知りました(こちら )。気になって図書館から借りてきたら、ぐぐっと引き込まれ、桜庭さんも「ページをめくるのが止まらなくなったー!」と書いておられるけど、まさにそんな感じ。すっかりページに引き寄せられてしまいました。

薄皮を剥ぐように明らかになっていく、山口氏の母上がひた隠しにしていた母方の「血族」の事情。それはまるで、良く出来たミステリー小説のようでもある。

雑誌に頼まれ、田中角栄論を書いていた山口氏。田中角栄に迫るにあたり、自分の父親との対比を試みようとしていた氏は、ふとこれまで気づかなかったことに気づく。それは、父と母、それぞれの若い頃や、その後の写真はあるのに、両親の結婚式の写真が存在しないこと。自分が生まれる前の写真が、存在しないのはなぜなのか? それだけであるのなら、そう不思議なことではない。しかし、謎は続く。

兄と自分の近すぎる生年月日の謎、「瞳」という男性としては珍しい名前を氏に付けた母の謎、美男美女ばかりの親族の謎、その親族が皆、どこか頽廃的な性情を持つという謎…。山口氏自身に纏わりついた欠落感…。そして、親類の謎めいた言葉。

「いつか教えてやるよ」
と、親類の一人が言った。その人も明治の生まれである。
「いつか教えてあげるけれど、まだその時期じゃないな。お前は小説家なんだから、知っておいたほうがいいかもしれない」

そう、氏の家族には、確かに「何か」があったのだ。しかし、それは母がひた隠していた秘密でもある。父と母の秘密を暴くことを躊躇していた氏は、教えてくれる親類も全て亡くなってしまった頃になって、改めてその謎に向かい合うことになる。

自らの家族の謎を追い求めるという点で、マイケル・ギルモアの「心臓を貫かれて 」を思い出す。

時に怖れながら、時に秘密を暴く辛さに慄きながら、謎に迫って行く姿は、痛々しくもある。

正直ね、時代の違いからか、そうして浮かび上がった真実に、さほど驚きを覚えなかったりもするのだけれど、どこまでも仲間であったのに、血よりも濃い絆で結ばれていたのに、ばらばらであらねばならなかった事情が辛いなぁ。ばらばらでありながら、やっぱり強い絆で結ばれてもいたのだけれど。

「心臓を貫かれて」では、マイケル以外の家族を繋いでいたのは、彼らが体験した同じ地獄だったけれど、「血族」においても一族を繋いでいたのは、彼らが共通に背負った業であった。人を繋ぐのはプラスのものだけではなくて、時にマイナスのものが強く人々を結び付けることがある。なんだか、その繋がりが哀しいものだなぁ、と思いました。でも、過去があって現在がある。過去の欠落は、また新たな欠落を生んでしまう。たとえどんな過去であっても、共有してこそ家族なんじゃないかなぁ、とも思いました。愛する者だからこそ、知られたくないこともあるのだろうけれど…。哀しいけれど、迫力の一冊でした。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「暗闇の中で子供」/物語はなぜ存在するのか、そしてどこからやって来るのか

 2007-02-26-22:49
舞城 王太郎
暗闇の中で子供―The Childish Darkness

煙か土か食い物 」の続編、お馴染み、血と暴力に彩られた奈津川ファミリーサーガ。
「煙か土か食い物」の時と同じく、表紙裏から引くと内容はこう。

あの連続主婦殴打生き埋め事件と三角蔵密室はささやかな序章に過ぎなかった!
「おめえら全員これからどんどん酷い目に遭うんやぞ!」

模倣犯(コピーキャット)/運命の少女(ファム・ファタル)/そして待ち受ける圧倒的救済(カタルシス)・・・・・・。
奈津川家きっての価値なし男(WASTE)にして三文ミステリ作家、奈津川三郎がまっしぐらにダイブする新たな地獄。
-いまもっとも危険な”小説”がここにある!

やっぱり、私は舞城さんは、この奈津川サーガが好きだー。「もっとも危険」かどうかは分かりかねるけれど、間違いなくアツい小説。

これは、奈津川家三男の三郎が語る、その後の奈津川サーガ。切れ者外科医、チャッチャッチャッチャッと物事をこなし、暴力も厭わない四郎に比べると、三郎は幾分穏やか? とはいえ、三郎も勿論あのモンスター・二郎を生んだ奈津川家の一員、普通の人に比べれば、暴力的にだってなれるし、暴力的な出来事にも随分慣れてはいるんだけど・・・。

さて、「三文ミステリ作家」である三郎は、物語について考える。この世には、現実に喜びも悲しみも楽しみも寂しさも十分に存在するのに、どうして更に作り話が必要なんだ? なぜ人は作り話、嘘を必要とするのだ? それはつまりこういうこと。

ムチャクチャ本当のこと、大事なこと、深い真相めいたことに限って、そのままを言葉にしてもどうしてもその通りに聞こえないのだ。そこでは嘘をつかないと、本当らしさが生まれてこないのだ。涙を流してうめいて喚いて鼻水まで垂らしても悲しみ足りない深い悲しみ。素っ裸になって飛び上がって「やっほー」なんて喜色満面叫んでみても喜び足りない大きな喜び。そういうことが現実世界に多すぎると感じないだろうか?そう感じたことがないならそれは物語なんて必要のない人間なんだろうが、物語の必要がない人間なんてどこにいる?まあそんなことはともかく、そういう正攻法では表現できない何がしかの手ごわい物事を、物語なら(うまくすれば)過不足なく伝えることができるのだ。言いたい真実を嘘の言葉で語り、そんな作り物をもってして涙以上に泣き/笑い以上に楽しみ/痛み以上にくるしむことのできるもの、それが物語だ。

そして、三郎は物語の来し方にも思いを馳せる。

書き手が物語を選ぶのではないのだ。物語が書き手を選ぶのだ。「選ぶ」というのも少し違うのかも知れない。それは「選択」というよりは「邂逅」だからだ。物語が偶然書き手に出会い、それからこの世に出現する。 だから、物語は真実を語る手立てになりこそすれ、作家の道具には決してならない。 物語と出会い、それが語られたがっている語り口を見つけることのできたラッキーな作家だけが、その物語を用いて語れる真実だけを語ることができるのだ。

さて、この本の中で、色々な「嘘」を用いて語られている真実とは何なのか? それはクサいけど、「愛」について。歪な愛、痛い愛、家族の愛、友だちの愛・・・・。
そして、価値なし男、三郎は自らの価値を高め、生をはっきりと捕まえる。次なる奈津川ファミリーサーガはないのかなぁ。父、丸雄とか、母、陽子で読んでみたくもある。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

「煙か土か食い物」/それもまた家族の形

 2006-05-10-21:19
?
舞城 王太郎
煙か土か食い物 ?
講談社ノベルス

本の裏から長々と引いてしまいますが、この本の内容はこう。

アメリカ/サンディエゴ/俺の働くERに凶報が届く。
連続主婦殴打生き埋め事件。被害者は俺のおふくろ。
ヘイヘイヘイ、復讐は俺に任せろマザファッカー!

腕利きの救命外科医・奈津川四郎が故郷福井の地に降り立った瞬間、血と暴力の神話が渦巻く凄絶な血族物語(ファミリー・サーガ)が幕を開ける。
前人未到のミステリーノワールを圧倒的文圧で描ききった新世紀初のメフィスト賞/第19回受賞作。
「密室?暗号?名探偵?くだらん、くたばれ!」

謎の連続主婦殴打生き埋め事件は起こるわ、その地点をプロットしていくと、「ベリートゥルーリーエレガント」な図形は現れるわ、さらにさらにその図形のゼロ地点には空の棺桶が埋まっているわ、まぁ、ミステリーといえばミステリーではあるんだ、名探偵だって出てくるしね(最後、死んじゃうけどさ・・・)。でも、そう、これは裏にもある通り、「密室?暗号?名探偵?くだらん、くたばれ!」な物語なんである。

それでは一体何の物語なのかというと、これはきっと「凄絶な血族物語(ファミリー・サーガ)」である家族の物語。

主人公の名「四郎」があらわす通り、四郎は奈津川家の四兄弟の末っ子である。政治家である父、丸雄は奈津川家に君臨する暴君であり、四兄弟はみな彼の暴力に晒され、今回の殴打事件の被害者である母陽子は、類まれな美しい女性ではあるものの、夫の暴力を止める事も出来ない無力な存在であった。

さて、地元の名家である奈津川家には、四郎の曽祖父にあたるドイツ人、奈津川ハンスが残した風変わりな三角形の蔵があった。その蔵は、かつて祖父大丸が自殺した呪われた場所であり、四郎たち兄弟が罰として閉じ込められる場所でもあった。四兄弟の中でも、一番の問題児であった二郎は、頻繁にこの呪われた蔵の中に閉じ込められ、この蔵を「俺の別荘」と嘯いていた。そして、二郎が十七歳のとき、彼はいつものように閉じ込められていたこの密室の闇の蔵から、忽然と姿を消したのだ。

四兄弟、一番の問題児の次男、繰り返される父からの暴力、父や母の歴史までもが詳しく語られる様、呪われたオカルトチックな場所が現れる所には、こちらは救いようのないノンフィクションではあるけれど、マイケル・ギルモアの「
心臓を貫かれて 」を思い出した。心臓を貫かれて」は悲劇的な結果に終わるけれど(というか、これはそもそも悲劇があって、書かれた本だからな)、こちら、煙か土か食い物」はそうではない。最後はちょっとじーんとする。

子供を愛さない親はいない。でも不幸は起こる。この世のどこかに必ず不幸は起こっている。大丸と丸雄の間や丸雄と二郎の間で起こった暴力的諍いがそうだった。成長過程で受けた暴力の傷が基盤になってそこにいろんな意味でのすれ違いが重なりすぎたんだろう。悲しむべき出来事だ。でもそれは俺や一郎や三郎や、その他の人間にも責任があるんだ。俺たちはそれを背負ってなんとかやっていかなくてはならない。一日一日を生き延びなくてはならない。もちろん罪は罪だが罪というものは許されなくてはいけないし罰なら誰にとっても十分に当たっているといえるんじゃないのか?孤独と苦痛と不信と無感覚。

暴力の連鎖、怨嗟の連鎖はどこかで誰かが止めなければならない。圧倒的な暴力になど晒された事のない自分ではあり、またこの作品は思いっきりフィクションではあるけれど、どこかで起こっているであろう不幸な連鎖が止まる事を願う。

俺達は今日と明日と明後日とその後を生きていかなくてはならないのだ。昨日とか一昨日とかその前じゃなくて。

舞城作品って、フリルがごちゃごちゃ付いてるけど、言ってる事は実はとってもシンプルなんだね。でも、この装飾過剰ぶりも私は嫌いではない。今回のはもうちょっと句読点を打って欲しかったけど。笑

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

 ← 文庫もあるみたい。これが噂のMaijoだ、ですよ。

☆その後に読んだ、続編の「暗闇の中で子供」の感想はこちら
→ 
「暗闇の中で子供」/物語はなぜ存在するのか、そしてどこからやって来るのか

「煙か土か食い物」とはまた違うリズムで語られるんだけど、こちらもまた面白かったです。

「心臓を貫かれて」/家族とは何か

 2006-04-29-11:35
有閑マダムさんの所で知った本書。分厚いです、重いです(内容、質量共に)。

有閑マダムさんの記事はこちら

マイケル ギルモア, Mikal Gilmore, 村上 春樹
心臓を貫かれて
 
目次
プロローグ
第一部 モルモンの幽霊
第二部 黒い羊と、拒絶された息子
第三部 兄弟
第四部 ある種の人々の死にざま
第五部 血の歴史
第六部 涙の谷間に
エピローグ

何とも刺激的な「心臓を貫かれて」というタイトルに、心臓を描いた表紙。

ここでいう、「心臓を貫かれて」とは比喩表現ではない。実際に、著者マイケル・ギルモアの兄、ゲイリー・ギルモアは「心臓を貫かれて」死んだのだ。

モルモン教においては、かつて「血の贖い」と呼ばれる一つの教義があったのだという(ただし、近年に至っては、モルモン教会はこのような解釈を否定している)。

 もし人が命を奪ったなら、その人の血は流されなくてはならない。絞首刑や投獄は、罰としても償いとしても十分ではない。死の方法は、神への謝罪として、地面に血をこぼすものでなくてはならない。      (P43より引用)

著者の兄、ゲイリー・ギルモアは、二人のモルモン教徒の青年を殺害し、死刑宣告を受けた。おりしも、時代は死刑制度を復活させたばかりであり、更に犯罪の舞台となったユタ州は、死刑復活の法案をいち早く通過させた最初の州のひとつだった。

ゲイリー・ギルモアは現代アメリカにおいて、時代を代表する犯罪者の一人であり、彼の生涯はベストセラー小説の題材となり、テレビ映画にもなったのだという。この現代において、正直、人を二人殺したからといって、(それは勿論大変な事ではあるけれど)稀代の犯罪者となるわけではない。ゲイリーが有名になったのは、罪科の故ではなく、自らの処罰決定に彼自身が深く関わったから。ゲイリーは死刑判決に対して上告する権利を放棄し、刑の執行を望み、望みどおりに銃殺されたのだ。日本で言えば、池田小児童殺傷事件の宅間守を思い出す。彼らの望みどおりという意味で、「死刑」は既に罰ではなく、合法的な自殺であったとも言える。

さて、本書はこのゲイリーの実弟マイケルが著したものであり、なぜゲイリーが殺人を犯し、銃殺刑を望むに至ったのか、彼らの両親の育った環境まで遡って、丁寧に辿られる。年の離れた兄弟であったゲイリーとマイケルは、その生活環境や少年時代の家庭環境においてもかなり大きな隔たりがあり、マイケルはこの本を書くことによって、家族を取り戻したのだとも言える。たとえそれが、おぞましく暗い家族であったとしても。

そんなわけでこの本には、死刑制度の問題や家族の問題、虐待の問題、家族における秘密の問題、宗教の問題など、どれをとっても重いテーマが含まれている。

人は怪物になることが出来るし、怪物を作り出す事も出来る。
しかもそれが、本来守られるべき、憩うべき場所である家庭で起こることもしばしばあるのだ。

ここからは、細部の感想になります。
長いけれど、よろしければお付き合いくださいませ。

 一人また一人、順番にみんなが死んでいくのを見てきた。最初は父だった。それから兄のゲイレンとゲイリー。最後が母―見る影もなく打ちのめされ絞りとられたひとりの女。あとに残ったのは末っ子の僕と、長男のフランクだけだ。でもある日、家族の歴史の苦痛に耐え切れなくなったとき、フランクは何も言わずに陰の世界へと足を踏み入れていった。        (P24より引用)

 僕は今、家族の中に戻っていきたいと思っている―その物語の中に、伝説の中に、記憶と遺産の中に。僕は家族の物語の中に入り込みたいと思っている。ちょうど僕が、みんなで少年時代を過ごしたあの家を囲む夢の中に入り込みたいと、ずっと望んできたように。そこに入り込んで、いったい何が夢を台なしにして、かくも多くの生命を破滅に追い込んだのかを、探り当てたいと思う。
 どうやら家族の過去の構造が、僕にとっての謎の中心にあるらしい。その過去の歴史を検証することによって、解決の鍵を―そうか、こいつがかくも多くの喪失と暴力をもたらしたのか―見出すことができればと思う。それが解明できたなら、僕はさらなる喪失をまぬがれることができるかもしれない。
 僕は過去に戻る。自分には何も見出せないかもしれないと危惧しつつ、あるいはその一方で自分があまりに多くのことを見出してしまうかもしれないと危惧しつつ。でもこれだけのことはわかっている―僕らはみんな、僕らが生まれるずっと前に起こった何か、知ることを許されなかったその何かに対しての代償を支払ってきたのだ。   
                     (P25より引用)

読者はマイケルとともに、この家族の中に深く入り込んでいく事になる。

四兄弟のうち、年の離れた兄弟であったマイケルは、幸いにも他の兄弟たちのように父に虐待されて育ったわけではなかった。彼らの父フランクは、息子が彼に反抗することを許さなかった。父が年老いたということもあるけれど、マイケルの場合、反抗期を迎える前に、父が亡くなってしまったというわけ。兄弟のうち、真に父親を愛す事が出来たのは、唯一マイケルだけであるといえる。意味もない精神的、肉体的虐待を受けた相手を愛する事は難しい。愛して欲しいと願っても、返って来るのは虐待ばかりなのだ。また、マイケルは一つ所に落ち着いて暮らすことが出来たが、他の兄弟達はそうではなかった。彼らはまるで何かから逃げるように、移動に移動を重ねる家庭の中で育ち、そこには常に父による暴力があった。

しかし、以下の言葉もまた真実なのだろう。地獄を共にする事で、家族となるのであれば、その地獄を共有しなかったマイケルは、真に家族であるという実感をもてなかった。であるから、マイケルはこの本を書かなくてはならなかったのだろう。

 おそらく、同じ地獄を通り抜けなくてはならなかったが故に、たとえ一時的であるにせよ、兄たちはほんものの兄弟であったのだ。それらの写真に写っている顔を目にするとき、僕は彼らを憎む。憎みたくなんかないのだが、憎まないわけにはいかない。兄たちを憎むのは、彼らの写真の中に僕が含まれていないからだ。兄たちを憎むのは、僕が彼らの家族の一部ではないからだ。たとえそれがどのような恐ろしい代償を求められることであったとしても。     (p77より引用)

僕らはみんな、僕らが生まれるずっと前に起こった何か、知ることを許されなかったその何かに対しての代償を支払ってきた」。本書には時々オカルトチックな場面が出てくるのだけれど、それらの現象はここでいうこの「何か」に端を発しているように見える。彼らの父であるフランクが抱えていた謎、母ベッシーが、兄ゲイリーが墓場まで持っていってしまった謎。ネタバレしてしまいますが、本書の終わりに至るまで、実はこの謎は解明される事はない。ノンフィクションではあれど、この謎にミステリー的な興味を抱いた私には、ここの部分はちょっと肩透かしではあっ

少々の事では動じないと思われる、母ベッシーや兄ゲイリーが立ち聞きしてしまったことを後悔するほどの、父の抱えていた大きな謎。それは一体どんなに恐ろしいものだったのか。家族は秘密を抱えたまま、家族たりえるのか。それが分からない事で、余計恐ろしいものに見えるようにも思うし、暗い、重い秘密は染み出て、その家族に影を落とすのではないか、とも思った。「謎」を抱えたまま、人生を生き抜くのは辛いこと本書を上梓したあとの、マイケル・ギルモアの人生も気になる。

呪われた家族の、たった二人の生き残りである、長兄フランクと著者マイケル。フランクはこの家族にその最期まで付き合い、マイケルはそこから逃げ出す事で、成功した音楽ジャーナリストとなった。マイケルが探し当てたフランクは、傍目には成功したとはいえないし、惨めな環境にいたけれど、その心は美しかった。あんな環境に生まれ育ち、色々な苦しみを受け、家族の面倒を引き受けた後、ひっそりと姿を消していたフランク。なぜにこんな崇高な心をもてたのか。美しい何かを自分の代わりとして愛することで、自分の状況に関係なく力を得る事が出来る。物語の中にそういった場面が出て来るときは、いつも陳腐だと思っていたのだけれど、現実のこの関係はとても美しかった。フランクは孤独ではあるけれど、愛を知る人なのだと思う(しかし、苦難ばかりの人生の中で、一体どこで愛を学ぶ事が出来たのだろう! そして最後に明かされる一つの秘密は皮肉でもある)。

 「俺は思った。『おれたちのうちの一人は―たった一人だけだが―なんとかうまく抜け出せたんだ。成功したんだ。そっとしておいてやらなくちゃならない。幸福なままにしておいてやらなくちゃならない。それがせめてもの俺にできることだ。そのまま行かせてやろう。あいつが家族の絆に縛られていなくちゃならない理由は何もないんだもの』ってな」       (P569より引用)

家族の中を、いつも絶望、暗闇が支配していたわけではない。しかし、彼らのうち誰かが、家族に救いを求め、転換点となり得る時点があったとしても、この家族は彼らに救いを与える事は出来なかった。いつもタイミングがずれていたのだ。そういう意味で、確かにこれはこの家族にかけられた「呪い」だったのかもしれない。

また、「荒廃」という言葉が何度となく出てくるので、何となく荒れた食事風景や汚い生活環境を思い浮かべるのだけれど、ボロボロの家に住んでいた時期もあるとはいえ、最終的に彼らは美しい家に住んでさえいる。両親とて、「家族をやり直す」こと、きちんとした家庭を作る事を全く望まなかったわけではないのだ。しかし、美しい家、美味しい料理などの目に見える形が、家族を救うわけではない。母ベッシーは「美しい家」に狂信的に固執するし、美味しい料理はいつも喧嘩の材料として床に投げ捨てられるためだけにあった。

でも残りの僕らは、最終ページのまだその先まで、人生を生きていかなくてはならない。その人生の中では、死者達の残した波が収まることは、絶えてないのだ。
                                  (P547より引用)
わたしたちの人生は死のその瞬間まで続く。
本書を読んだ事で、私の中にも一つの波が出来たように思う。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っています。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
*既に文庫化もされているようです(文春文庫より刊行)

「空中庭園」/砂上の楼閣

 2006-03-03-22:58
角田 光代
空中庭園

京橋家のモットーは秘密を作らないこと。全ては「ダンチ」のリビングの、蛍光灯のもとに晒される定め。姉のマナの初潮だって勿論そう(初潮晩餐会が催される!)、弟、コウの性の目覚めもそう。

わざわざ「秘密を作らないこと」をモットーに掲げるだけに、実は京橋家には沢山の秘密が存在する。一番の秘密は、このモットーを作った母、絵里子がひた隠しにしていること。絵里子は、夫、タカシには避妊の失敗により結婚したと思わせ、またマナたち子供には、ヤンキーだったから早くに結婚したのだ、と説明していたが、実はそれは両方とも真っ赤な嘘。自らの家庭に絶望していた絵里子は、早く自分の家庭を作り、育った家庭を捨てるために、虎視眈々とその機会を狙っていたのだ。彼女のバイト先に現れた、平凡な大学生タカシは、絶好のカモだったというわけ。 これはそんな京橋家を巡る人々が語る物語。

目次
ラブリー・ホーム
チョロQ
空中庭園
キルト
鍵つきドア
光の、闇の

ラブリー・ホームは娘のマナが、チョロQは父タカシが、空中庭園は母絵里子が、キルトは絵里子の母が、鍵つきドアはタカシの浮気相手ミーナが、光の、闇のは息子コウがそれぞれ語っている。

母、絵里子には「こうあるべき」という家庭の理想の姿があった。子供たちを真っ暗な家に帰らせたくはないし、ベランダに設けた庭園には、いつも花が咲いているべき。ところが、毎年花を咲かせるはずの植物すら、この「空中庭園」には根付かない。必死に明るい花を咲かせる絵里子であるが、その背中は他の家族から見ると、鬼気迫るもの。

絵里子は自分の生涯のある部分までを、なかったことにしたいと思って生きている。母にされた事の逆をすれば、良い子育てが出来ると信じている。絵里子の歴史の曖昧さを意識するからか、娘のマナも「自分が仕込まれた場所」を聞くし(それはなんと近所のラブホテル「野猿」!)、夫タカシもいつまでもフラフラしたまま実家の仕送りを受け続け、息子コウは同じ間取りでも全く違う顔を見せる家庭や建築に異常なまでの興味を示す。ここに出てくる大人は、タカシの浮気相手ミーナを含め、人生のある時点での過ちを、なかったことにしたいと思って生きている。しかしそれは正しいことなのか?

キルトで語られる絵里子の母の話を読めば、絵里子が信じ込んでいたほど、彼女の育った家庭が酷くはないことが分かる。絵里子の母は不器用だっただけ。懸命に生きていたが、それが娘の絵里子には全く伝わっていなかった。 ラスト、絵里子の母が倒れ、母の言葉から、また絵里子の兄の言葉から、これまで絵里子が信じていた母の像が毀れる。絵里子は、京橋家はここから、空中の、砂上の楼閣ではなく、しっかりと地に付いた家庭を作ることが出来るのだろうか。ここで、読者もまた空中に放り出される。絵里子の母の苦労、気持ちが、絵里子に伝わるといいな、と思う。

さて、色々な登場人物がいるこの物語だけれど、私が一番共感を持って読んだのは、弟コウの語る部分。確かに全く同じ間取りを持つ家においても、その家庭を反映してか、そこから受けるイメージは全く異なるものであることは多い。闇が尊い場所では闇の神社が、光が尊い場所では光の教会が存在する。そう考えると、闇と光は等価なのか? コウの感性には共感する部分が多かった。
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

掲示板その他リンク

ユーザータグ
最近の記事
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

RSSフィード
カウンター

月別アーカイブ
検索エンジン情報
Googleボットチェッカー Yahoo!ボットチェッカー MSNボットチェッカー

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。