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「初体験物語」/はじめての・・・

 2007-03-23-20:29
姫野 カオルコ
初体験物語

姫野さんでこのタイトルとくると、あちら方面なのかしらなどと、思ってしまうわけですが(amazonの画像を貼ろうと、「初体験物語」で検索したら、ええ、かなり怪しげなのも引っ掛かってきました)、これはちょっと違う本。はじめて~をしたのは、で始まるエッセイ集。そのはじめての体験は、あいうえお順になっていて、アイ・プチ、アイシャドーから始まり、ワープロ、私がはじめて、で終わる。

初出は雑誌「ダカーポ」の1992年10・21号~1997年7・2号まで。安田成美の「ねえ、薔薇って書ける?」などの時事ネタも含みつつ(この厭らしさに、きっちりと突っ込むのが姫野さんだよなぁ)、今読んでも勿論面白いです。ここに描き出された姫野さんは、まさに姫野さんの小説に出てくる女性を髣髴とさせる人物像(これもまた、一つの演技、なのかもしれないけど)。

よい意味でも悪い意味でも「息苦しいくらい重い」といわれる『喪失記』に比べ、息が楽に出来るような楽しい一冊にしようと考え、編集者が構成してくれたのではないか、とのこと。うんうん、確かに『喪失記』は重かった~。

でもこの本には、姫野さんと姫野さんの小説に出てくる女性を、同一視してしまいそうなエピソードも沢山含まれてて、「ん?」と思うことも多いのだ。真実の姫野さん像が気になるなぁ。骨太美人で料理が上手、という辺りはきっと真実だと思うのだけれど。

そういえば、私を姫野さんに叩き落した『ツ、イ、ラ、ク』 も文庫化されました。また、こういうヘビー級の恋愛小説も読んでみたいものです。


 ← これは、ほんとに凄い小説です。

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「蕎麦屋の恋」/恋とか愛とか

 2007-02-06-23:02
姫野 カオルコ
蕎麦屋の恋

目次
蕎麦屋の恋
お午後のお紅茶
魚のスープ

「蕎麦屋の恋」
山藤製薬経理部、秋原課長四十三歳。淡々としているけれど、読み進む内に滅多矢鱈とモテている彼。彼は女性がその時必要としているものを、すっと差し出せる男のよう。とはいえ、彼の場合、進んでそうしているというよりも、これは生来の性質なのかも。二十そこそこで、出来ちゃった婚をした妻との間には、既に大学受験を控えた娘がいる。「出来ちゃった婚」をした時に感じた、何らかの翳りは知らぬふりをしたまま。毎日はそれでも過ぎて行く。しかし、彼が感じた翳りを、妻も感じていなかったとなぜ言える?

さて、ここに一人の女がいる。安定した商社勤めを辞め、調理師専門学校に通い、今は臨時講師のような事をしている波多野妙子。通勤に使う京浜急行快特の車内の中、活発そうな妙子の外見の中に、秋原は何かを渇望する翳りを見る。

人の育ちは外見からは分からない。けれど、妙子はどこか「普通」とは違う育ち方をしていた。家族皆で炬燵でぐだぐだとテレビを見る。彼女の家庭には、そんな当たり前の光景はなかった。一緒に並んでテレビを見る。それが、彼女の我が儘で贅沢な希望。こんな二人が並んでテレビを見る。それが、テレビのある「蕎麦屋」での「恋」。妻を愛してはいるけれど、流されるままに他の女とも関係を結ぶ、秋原が手を出さずに(ま、単にそういう雰囲気にならなかったのもあるけど)愛おしんだのも、するとかしないとか、そんな事じゃない、蕎麦屋の恋。

「お午後のお紅茶」
やわやわと流されているようでいて、目標に向かってしっかりと力強く歩む小林くん。柔らかなようでいて、彼には自らも意識しない美意識が確固としてあるのだ。
「お」午後の「お」紅茶のようなそんな店。そんな似非上品な店はやっぱり願い下げ?

「魚のスープ」
結婚して三年たった僕たち夫婦。育ちの良く健やかな桜子との日々。三年たった僕たちは子供がいなくてはいけなくなった。だって、問題のない家庭とはそういうものだから。
僕たちはそのために、子供を作る行為をするために、スウェーデンに旅に出る。しかし、この旅行は夫である僕にとっては、少々後ろめたいものだった。学生時代の性差を超えた友だち、ストックホルムに住むカズから突然チケットが送られてきたのだ。カズの意図を僕は測りかねる。結婚した桜子とは全く違うカズ。もしあの時、カズが僕のことを好きだったのなら、もしあの時、カズを選んでいたのならば・・・・。
結果として、僕の感傷は意味のないものだったし、僕はこの旅で桜子の違う一面を見る。分からないのならば、これからまた話して、一緒に歩いていけばいい。

姫野さんの作品の中では、まだ軽やかに読める方かなぁ。「魚のスープ」の桜子なんか、最初、嫌な女だなぁ、と思っていたんだけれど、彼女には彼女のやり方があるというだけで、それは決して対照的なカズの生き方とも対立するわけではないんだよね。一つの生き方が正しいわけではない。
珍しくも甘い余韻が残る姫野作品でありました。

恋/「ツ、イ、ラ、ク」

 2005-06-03-08:04
姫野カオルコ 「ツ、イ、ラ、ク」

狂おしいほどの恋に、しばしあてられた。

幼い小学生の生活、中学生の頃、そしてそこで出会った恋。
中学生から舞台は一気に二十年後へ。主人公・隼子の恋は? 


普通の(?)恋愛小説のように、「今現在の二人の恋」にのみ焦点を当てた話ではない。ありがちなお菓子のような、ふわふわした甘さもどこにもない。幼い頃の生活のディテールがそれはそれは事細かに描かれる。うーん、でもこれもこの恋の濃度を高めるための演出なのか。周囲の登場人物の性格付けもきっちり。こういう人たちは確かに存在していた。

幼い小学生の女の子の世界。当の昔に大人になったはずの作者が、この息苦しい「サロン」「社交」の日々を、正確に表現することにまず驚いた。早熟な女の子にとって、田舎町の生活はきっとちょっと辛い。よく分からない女の子のルール、おかしな先生、あまりに幼い男の子達。

恋愛小説にあまり感心したことがないのだけれど、この本には感服させられた。物狂いのような恋かー。うーん、読後、現実復帰に時間がかかる感じ。


感心させられる表現が数多くありました。最初は恋愛小説だとは思わないで読んでいたし、小学生の生活が非常に細かく描かれるので、どこに連れて行かれるんだ~?、と不安になりましたが。色々とヒリヒリ痛い、小説だった。でも一点だけ、私は小山内先生が好きではなかった。私もまだまだ潔癖なのかしらん。

姫野さんのエッセイなども読んでみたいなあ、と思ったことでした。
以下、引用。

恋とは、するものではない。恋とは、落ちるものだ。どさっと穴に落ちるようなものだ。御誠実で御清潔で御立派で御経済力があるからしてみても、あるいは御危険で御多淫で御怠惰で御ルックスが麗しいからしてみても、それは穴に入ってみたのであって、落ちたのではない。

「自分が状況や感情を処理する手段と力を持っていないのに、状況や感情に襲われてふりまわされる苦痛は二度とごめんだわ」

たかが。彼をそう思っていた。今からすればふたりとも「たかが」だった。「たかが」のころ、ふたりとも怖いものがなかった。明日のことを考えなかった。一時間後のことすら。そのとき、その一瞬が、ただ在った。そのとき、その一瞬がただ在って、かけがえのない日々の尊さをまるで知らなかった。二度ともどることなきひとときの熱さにまるで感謝しない。若さのきらめきとは、そういうことである。

著者: 姫野 カオルコ
タイトル: ツ、イ、ラ、ク

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
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つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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