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「有頂天家族」/すべて阿呆の血のしからしむるところ

 2008-02-29-23:56


森見 登美彦

有頂天家族


これは狸と人間と天狗の物語。
主たる登場人物は、阿呆の血が色濃く流れるが、母思いの優しい四兄弟から成るある一家(でも、狸)及びその天敵一家(もちろん、こちらも狸)、忘年会にて狸鍋を囲むことを会則としている、金曜倶楽部の面々(「食べちゃいたいほど好きなのだもの」と嘯く大学教授と、天狗道を邁進する元・人間含む)、傲岸不遜な態度は変わらないものの、今となってはほぼ力を失ってしまった天狗、「赤玉先生」(哀しいまでに甘い赤玉ポートワインを愛飲する)。

人間は街に暮らし、狸は地を這い、天狗は天空を飛行する。
 平安遷都この方続く、人間と狸と天狗の三つ巴。
 それがこの街の大きな車輪を廻している。
 天狗は狸に説教を垂れ、狸は人間を化かし、人間は天狗を畏れ敬う。天狗は人間を拐かし、人間は狸を鍋にして、狸は天狗を罠にかける。
 そうやってぐるぐる車輪は廻る。
 廻る車輪を眺めているのが、どんなことより面白い。
(p7より引用)

三つ巴はぐるぐる廻って、うごうごと日々を過ごす内に、物語はクライマックスの大騒動へ! 楽しいんだけど、「で??」、と言われちゃうと困っちゃう物語でもある。だけど結局ね、文中にもあるように「面白きことは良きことなり!」だと思うのですよ、きっと。

一つの大きな謎は、この下鴨の狸四兄弟の偉大なる父はなぜ死んだのか、ということなんだけど、これが章が進むにつれて、徐々に、徐々に分かっていくという仕掛け。知っていながら、聞かれるまでは黙っている周囲の天狗も、大概ずるいよな~、とも思うんだけど、ね。

天空を自在に駆け、異能を持つ天狗は孤高の存在。しかしながら、能力を失ってなお、孤高の存在であることのみを貫こうとする天狗の姿は、哀れであり滑稽でもある。互いにそれが分かっていても、師に傅く四兄弟の三男、矢三郎とのやり取りは、ほとんど様式美。いやー、私にはこうやって人を立てる(いや、この場合天狗だけど)ことは出来ないなぁ。でも、それもまた師弟愛なんだよな。

偽叡山電車が街を駆け、偽電気ブランを製造する狸たちがいて、偽車夫つきの自働人力車が街を走る。これまでの森見作品においても、洛中において沢山の不思議なものや不思議な人物が出てきたけれど、あのうちの幾人かは天狗だったり、狸が化けたものだったのやもしれません。矢三郎のお得意の化け姿は、腐れ大学生だしさ。

「阿呆の血」というフレーズが何度も出てくるんだけど、なんとも言えぬ愛しさを籠められると、「阿呆」というのもいいもんんですね(何となく、関東は「馬鹿」をつかい、関西は「阿呆」をつかうイメージ。「阿呆」は言われ&聞き慣れないからか、実際に言われると、ちょっとぎょっとします。いや、「馬鹿」もそんな言われないけどさ)。そして、「阿呆」と言えば、同じ阿呆なら踊らにゃ損損。楽しきこと、面白きことを精一杯楽しみなさい、というお話でもありました。

ところで、弁天が好むという赤割り(焼酎を赤玉ポートワインで割ったもの)ってどんな味なのでしょう。何焼酎で割るかによっても変わるよねえ。とりあえず、色は綺麗そうではあるけれど。

目次
第一章 納涼床の女神
第二章 母と雷神様
第三章 大文字納涼船合戦
第四章 金曜倶楽部
第五章 父の発つ日
第六章 夷川早雲の暗躍
第七章 有頂天家族

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「【新釈】走れメロス 他四篇」/森見氏が語り直す古典文学作品

 2007-10-10-22:25
森見 登美彦
新釈 走れメロス 他四篇

目次
山月記
藪の中
走れメロス
桜の森の満開の下
百物語


森見さんの本は、「夜は短し歩けよ乙女 」もそうだったけれど、装幀もいいですよねー。これもね、「山月記」では万年筆と原稿が、「藪の中」では雨粒と傘が、「走れメロス」では桃色ブリーフが、「桜の森の満開の下」では乙女が、「百物語」では和蝋燭が、アイコンのように描かれている。

森見登美彦氏のブログ、「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ 」では、作品を「子」として愛でる登美彦氏の姿が見られるわけですが、やっぱり装幀にも拘りがおありなのでしょうか。

takam16 さんに教えていただいて、NHK教育の森見氏出演「トップランナー」も見ましたが、その辺への言及はなかったです(つか、デザイナーの方が張り切って作っちゃうような作品なのかしらん)。

さて、本題に。

これはタイトルからも分かる通り、古典作品を【新釈】により語りなおした短編集。

基本、いつもの森見作品のように京都を舞台とし、「山月記」では、孤高の学生はついには天狗になり、「藪の中」ではある自主製作映画を巡る人間模様が描かれ、「走れメロス」では、詭弁論部の学生は友情を証するために、何としても約束を破ろうと躍起になる。「桜の森の満開の下」では、ある女に出会って、男は腐れ学生から成功した作家になり、「百物語」では、百物語の會の周辺に佇む学生の姿が描かれる。

それぞれの物語は、時に登場人物を同じくし、その間には緩やかな繋がりがあるようである。

元ネタとしては、芥川龍之介の「藪の中」、森鴎外の「百物語」が未読。せっかくその作品の雰囲気も共に【新釈】したというこの作品、「百物語」はともかく、「藪の中」は読んでおきたかったなぁ。

しかし、ここにも出てきますよ、「パンツ番長」。もしかして、森見さんのお気に入りネタ?笑 パンツ繋がりではありませぬが、「走れメロス」では、附属図書館の図書を借り出したまま返却しない連中に、制裁を加えて図書を回収すべく設置された学生組織、「図書館警察」なる摩訶不思議組織が出てきます。この図書館警察長官との仁義なき戦いも面白い。さて、「図書館警察」と言えば、スティーブン・キングのその名もずばり、「図書館警察 」があるのだけれど、「【新釈】~」に出てくる「図書館警察」の方が、言葉のイメージに近いです。図書館をよく利用する人間には、たとえ延滞してなくても、この言葉の響き、ちょっと怖~くないですか?

坂口安吾の「桜の森の満開の下(これは、タイトルが滅茶苦茶いいよねえ)は、随分前に読んだっきりだけれど、これもまた雰囲気が出ていたように思います。

「夜は短し歩けよ乙女」/歩けよ、乙女。京の春夏秋冬を!

 2007-06-24-19:37
森見 登美彦
夜は短し歩けよ乙女

図書館での長きにわたる予約待ちの後、ようやく私の手の元に乙女がやって参りましたよ! やっと出会えた乙女の可憐なことといったら、まさにこの表紙絵のよう。その他にも、この表紙絵には読んだ後にもう一度眺めると、色々と楽しい仕掛けが施されております。今ひとたび、ごろうじあれ。

男汁溢れる「
太陽の塔 」も良かったのですが、同じようにストーカー癖に陥る先輩が居てすらも、こちらの可憐な乙女はあくまでキラキラとその可愛さを周囲に撒き散らす。いやまったく、可愛い女の子は世の財産です。

はからずもその場の主役へと躍り出て、可憐に活躍を果たす彼女、黒髪の乙女とは裏腹に、彼女に惚れ、迂遠な外堀埋めへと、その青春の殆どの労力をつぎ込む、彼女のサークルの先輩は、まるで路傍の石のごとき存在。彼ら二人の命運や如何に??

春。
乙女は満艦飾の夜に、二人の男の借金を賭けて、李白翁と「偽電気ブラン」の呑み比べを行う。この夜はまさにカーニバル・ナイト。木屋町から先斗町へとかけて、乙女、先輩、また夜に出会った胡散臭い人々を引き連れ、夜は過ぎ行く。

夏。
乙女は古本市にて、幼い頃に愛した絵本「ラ・タ・タ・タム」を手に入れる。

秋。
乙女は大きな緋鯉のぬいぐるみを背負い、達磨の首飾りを下げて、心行くまで学園祭を楽しむ。時に、ゲリラ上演される「偏屈王」の主役、プリンセス・ダルマ役をつとめながら。

冬。
乙女は京の町に吹き荒ぶ風邪の旋風を封じ込める。

さて、その間、ストーカーの如く彼女に付き従う「先輩」である「私」が何をやっていたかといえば・・・。春には乙女とはまた別の所で酒宴へと巻き込まれ、夏には乙女の欲する絵本を賭けて灼熱地獄を戦い抜き、秋には乙女を求めて学園祭を彷徨った挙句に、プリンセス・ダルマの相手役である「偏屈王」の座を署・ャ取る。冬には風邪に倒れながらも、妄想と現実をごっちゃにする彼最大の能力を持ってして、乙女の危機を救う。

そこかしこで偶然を装い出会うたびに、「たまたま通りかかったもんだから」という台詞を喉から血が出るほど繰り返し、乙女は天真爛漫な笑みを持って「奇遇ですねえ!」と応えるのであるが・・・。

美しく調和のとれた人生を目指して、もりもりとご飯を食べ、むん、と胸を張って歩き、喜ばしい事があれば、二足歩行ロボットの真似をし、なむなむ!と万能の祈りを唱える、黒髪の乙女。好奇心溢れる彼女の目を通した世界は、楽しく良き人ばかりであり、逆に、万年硬派、永久外堀埋め機関と化した、「先輩」の目を通して見る世界は胡乱。その世界の対比を楽しむも良し、乙女の可憐さを愛でるも良し、先輩の報われない努力に涙するも良し。

確かに、これは楽しい本でした~。登場人物も結構な数に上るのだけれど、彼ら彼女らにはそれぞれ登場する必然があり、その描き分け、肉付けもまた見事。

さて、酒好きとしては、第一章における偽電気ブランの描写にも心惹かれるのでした。乙女いわく、それはこんな飲み物なのだという。

それはただ芳醇な香りをもった無味の飲み物と言うべきものです。本来、味と香りは根を同じくするものかと思っておりましたが、このお酒に限ってはそうではないのです。口に含むたびに花が咲き、それは何ら余計な味を残さずにお腹の中へ滑ってゆき、小さな温かみに変わります。それがじつに可愛らしく、まるでお腹の中が花畑になっていくようなのです。飲んでいるうちにお腹の底から幸せになってくるのです。

お腹の中に花畑、咲かせてみたい! 飲み比べ、李白、などというキーワードから、同じくこちらも楽しい酒を描いた、南條竹則氏による「
酒仙 」を思い出してしまいました。

また、本好きとしては、第二章の「下鴨納涼古本まつり」における、俺様な美少年でもある古本市の神にも出会ってみたいところ。

ただの変人なのか、それとも人間の枠すら越えて、既に妖怪なのか、判然としない人々が出てくるのもまた楽しいところでした。というか、あの人たち、ほんとに人間??

目次
第一章 夜は短し歩けよ乙女
第二章 深海魚たち
第三章 御都合主義者かく語りき
第四章 魔風邪恋風邪


「虫とけものと家族たち」、「鳥とけものと親類たち」、「ラ・タ・タ・タム」 はamzonを見たところ、実在の本だったのですね。知らなかった~。

 ←森見氏、幼少期の思い出の絵本だったりするのかしらん?


*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「アジア古都物語 京都」/水の都、京都

 2007-05-13-22:58
 
NHK「アジア古都物語」プロジェクト
NHKスペシャル アジア古都物語 京都―千年の水脈 
日本放送出版協会

何でわざわざ「京都」の本を読んだかといえば、それは、ここのところ、京都を舞台にした物語をいくつか読んでいて、京都という土地自体に興味を持ったため。

万城目学さんの「
鴨川ホルモー 」などというけったいな物語の舞台となり、森見登美彦さんの「きつねのはなし 」、「太陽の塔 」を生み、梨木香歩さんの「家守綺譚 」の主人公・綿貫が住むのも琵琶湖疎水近くの家。

そんな京都とは一体どんな都市なのか??

目次
千年の水脈たたえる都 井上勝弘
 バスから見えた都の原風景
 京の雅を支えた奇跡の水
 馬琴も惚れた鴨川の水の不思議
 姿を現した巨大な水甕 
 都の水源「カモ」の聖地
 「鴨脚」を名乗る一族
 一直線に並ぶ「緑の道」
 千年の叡智、そして現代の危機

京都の地下水 楠見晴重
 [一]地下水とは何か
 [二]京都盆地の地質構造
 [三]京都水盆
 [四]京都盆地の水脈

Asian Talk
水の都・平安京 山田邦和
 鴨川と葛野川
 平安京内の川
 貴族と庭園
 平安京の都市民と水

あとがき 森崎義人
参考文献
放送記録


千年の古都、京都。
京都は老舗の多さでも知られるけれど、たとえば染色、たとえば豆腐、たとえば酒。これらの生業は豊かな井戸水、即ち、京都の地下水によって成り立っていた。

ここで言う京都における豊かな水とは、地表に出ている川の流れだけではない、脈々と流れる地下水脈の流れを言う。

奈良時代、京都盆地一帯は、山向こうの鄙びた土地という意味の、「山背」と呼ばれたのだという。奈良盆地よりはるかに広く、新京に相応しい場所。そこはまた、巨大な地下の水甕を持つ、都に相応しい場所であった。

水の聖地「カモ」の地を守ってきたカモ氏の話、下鴨神社、糺の森の話などが興味深かった。”みたらし団子”は、この糺の森にこんこんと湧いた水、みたらしの池の丸い水泡の形をまねて作ったものなのだって。

シミュレーションの詳しい事などは(私には)良く分からないけれど、京都の巨大な地下の水甕を図解化する場面など、ぞくぞくきた。地表に出ている水の流れだけが、全てではない所も面白かったなぁ。

京都はやっぱりちょっとトクベツな都なのかも。

「太陽の塔」/青春とはイコール妄想?

 2007-05-02-22:15

森見 登美彦
太陽の塔

乙女その一、「
千の天使がバスケットボールする 」の樹衣子さんが、『夜は短し歩けよ乙女 』を片手に微笑んでおられるのですが、そちらはまだ借りられないので、乙女二号の私は、日本ファンタジーノベル大賞の受賞作でもあるこちらの本を。

 
何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
 なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。

展開されるのは、もてない冴えない男子大学生たちの話。主人公は休学中の五回生と、「大学生の中でもかなりタチの悪い部類に属」す。強がりと言われようと、その行動を謗られようとも、彼らの世界は彼らの中(だけ)でそれなりに完結していたのだが・・・。

主人公である「私」は、三回生の時に水尾さんという恋人を作り、その男だけの妄想と思索の世界を裏切った。しかしながら、この嬉し恥ずかしの、ジョニー(詳しくは、本書を参照されたい)の暴走を食い止める日々も、長くは続かなかった。水尾さんはあろうことか、この私を袖にしたのだ! 水尾さんが私の元を去っても、私は水尾さん研究(副次的な目標は「彼女はなぜ私のような人間を拒否したのか」という疑問の解明)に余念のない日々を続けるのであるが・・・。

寒々しい独り身を容赦なく襲うクリスマスに吠え、男どもの妄想をぺちゃんこにする「邪眼」を持つ女子の視線に相対し、水尾さんの身辺をうろつく男にストーカー行為を非難され、矢鱈と個性の濃い友人たちと語らう日々。そう、友人の飾磨の言葉を借りれば、「我々の日常の九〇パーセントは、頭の中で起こっている」。これらの日々は、飾磨が企画した、クリスマスイブの四条河原町での「ええじゃないか」決起でクライマックスを迎えるのであるが・・・。

 
何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
 そして、まあ、おそらく私も間違っている。

途中からは微妙に現実からずれてくる気もするし、それまで語られてきた記憶の中の恐ろしい先輩と、現実の先輩の姿との乖離などを考えると(ま、先輩は彼らを置いて、さっさと大人になったのかもしれないけど)、ここで語られる全てが妄想である可能性も捨てきれず・・・。可愛らしく、猫のように良く眠るという水尾さんも、ほんとに存在するのかしらん。

さて、読み終わって、文中で注意されていたように、「体臭が人一倍濃く」なったかどうかは謎ですが、この妄想は確実に尾を引く。ゴキブリキューブとか、ちょっと夢に出てきそうで怖いです。てか、ゴキブリってほんとにキューブになるの? これは妄想ではなく、現実なんだよねえ? 集合体はボーグ(@スタートレック)で十分です・・・。

私は綺麗に整えられた感のある『
きつねのはなし 』よりも、妄想が爆発してるこちらの方が好みみたい。この勢いをかうというか。何じゃこりゃーな物語でもあるのだけれど、好きな人は好きなお話だと思います。逆もまた真で、受け付けない人は受け付けないかもしれませぬが・・・。

←文庫も

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

「みすじゃん。」のおんもらきさんの記事にリンク

「きつねのはなし」/ひたひたと来るもの、あれは

 2007-03-12-22:16
森見 登美彦
きつねのはなし

目次
きつねのはなし
果実の中の龍

水神


森見登美彦さん、初読みです。

妄想系小説を書かれる方だと勝手に思っていたのだけれど、これはむしろ端正な味わいの淡い幻の物語。水や闇のほの暗さ、手触り、湿り気を、その深淵を覗き込むような物語。

四つの短篇におけるキーワードは、芳蓮堂という古道具屋、和紙で作られた狐の面、からくり幻燈、胴の長いケモノ、そして水・・・・。

独立しているようでいて、ゆるく繋がっているこれら四編の物語は、四編全てを読んでも、全てが語られるわけではない。むしろ謎は増すばかり。でも、この物語は全てが明らかにならなくて良いのかもしれない。「果実の中の龍」の「私」が言うとおり、「本当でも嘘でも、かまわない。そんなことはどうでもいいことだ」なのかもしれない。

この「果実の中の龍」は不思議な話で、先輩が淡々と語る話に、あわあわと引き込まれる。

「こうやって日が暮れて街の灯がきらきらしてくると、僕はよく想像する。この街には大勢の人が住んでいて、そのほとんどすべての人は他人だけれども、彼らの間に、僕には想像もつかないような神秘的な糸がたくさん張り巡らされているに違いない。何かの拍子に僕がその糸に触れると、不思議な音を立てる。もしその糸を辿っていくことができるなら、この街の中枢にある、とても暗くて神秘的な場所に通じているような気がするんだ」

京都の街ではそんな風に何かを爪弾くと、見知らぬ異界への道が開かれるのかも、などと思ってしまう。同じく京大出身作家であり、京都を舞台にしていても、万城目さんの『
鴨川ホルモー 』などとは、また随分違った仕上がり。鴨川ホルモー』のせいで、吉田神社と聞くだけで、何となく笑ってしまうんだけれど、こちらでは背筋にひやひやと来る。

そして、水神」に出てくる疎水には、『
家守綺譚』! と思うのだった。というわけで、再度、疎水百選」へのリンク 。音が出ますので、ご注意下さい。でも、このせせらぎの音、やっぱり、いいなー(本書の中では、そんな優しげな音はしていないけれど)。

不思議に出会い、そしてまた普通の生活へと戻る。振り返ってみた時、それは幻のようでもある。でも、京都の街の中のどこかに、芳蓮堂とナツメさん、古い屋敷の水神はひっそりと存在しているのかもしれない。
 ← 次はこれにいきたいのに、単行本なんだよね・・・。図書館の予約は凄い数みたいだし。

その後に読んだ、「夜は短し歩けよ乙女」の感想
 →「
夜は短し歩けよ乙女 」/歩けよ、乙女。京の春夏秋冬を!

いやー、綺羅綺羅と美しく、丹精込めて作られた金平糖のような物語でした。

臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

「家守綺譚」/文士、綿貫、家の守役となる

 2007-01-13-00:38
梨木 香歩
家守綺譚

その家の北側は山になっており、山の裾には湖から引いた疎水が走る。家の南側には田圃。
この田圃にも疎水から用水路が引かれており、その水路の途中が、この家の池になっている。

水や自然に囲まれたこの家の本来の持ち主は、綿貫の学生時代の友人、高堂。高堂は湖でボートを漕いでいる内に、行方不明になった。高堂の老父に頼まれた、私、綿貫征四郎はこの家の守をすることになる。売れない物書きの端くれである、綿貫にとっては願ってもない話。

目次
サルスベリ
都わすれ
ヒツジグサ
ダァリヤ
ドクダミ
カラスウリ
竹の花
白木蓮
木槿
ツリガネニンジン
南蛮ギセル
紅葉


ススキ
ホトトギス
野菊
ネズ
サザンカ
リュウノヒゲ
檸檬
南天
ふきのとう
セツブンソウ
貝母(ばいも)
山椒

葡萄
-------------
綿貫征四郎随筆「烏傷ォ苺記(やぶがらしのき)」

ところで、この家には色々なものが「出る」。水に恵まれた環境からか、最初にやって来たのは、逝ってしまったはずの高堂だった。それに触発されたわけではないのだろうが、庭のサルスベリは綿貫に懸想し、掛け軸の中にいたはずの鷺は池の河童を狙い、犬のゴローは河童と鷺の仲裁で名を馳せ、庭の白木蓮はタツノオトシゴを孕み、木槿が満開になれば、その助けを借りて聖母が出でる。松茸を狩りに山寺へ行けば、信心深い狸に出会い、疎水べりを歩けばカワウソの老人の釣り姿を見る。啓蟄には小鬼のふきのとう採りを手伝い、疎水の桜に見蕩れれば、桜鬼(はなおに)が暇乞いにやって来る。

語られるのは、様々な交わり。

合理的、科学的であることが幅を利かせる以前の時代。隣のおかみさんは、河童や鬼の話をしたり顔で聞き、明快に判断するが、土地の者でもない異国の学者が言う事などには否定的。

文明の進歩は、瞬時、と見まごうほど迅速に起きるが、実際我々の精神は深いところでそれに付いていっておらぬのではないか。鬼の子や鳶を見て安んずる心性は、未だ私の精神がその領域で遊んでいる証拠であろう。鬼の子や鳶を見て不安になったとき、漸く私の精神も時代の進歩と齟齬を起こさないでいられるようになるのかもしれぬ。

とはいえ、これらの鬼の子や鳶との交わりのなんとも豊穣な事。交わるものが人であろうと、そうでなかろうと、恬淡としつつも、綿貫の交わりには貴賎はない。

例えばそれは、信心深い狸と出会い、背中をさすり、お経を称え続けた時の話。信心深い狸は、畜生の身でありながら、成仏出来ない行き倒れの魂魄を背負ってしまうのだという。綿貫を騙して背中をさすらせた格好となった狸は、お礼として松茸を籠に一杯置いてゆく。回復したばかりの身で、律儀に松茸を集めてきた狸を思い、綿貫は胸を突かれる。何をそんなことを気にせずともいいのだ。何度でもさすってやる、何度でも称えてやる。

無駄を愛し、花や木を愛でる。そして、それらとの交わりを持つことで、人間だけではない、もっともっと豊穣な世界が立ち現れるのかも。行動半径も狭い綿貫の世界は、現代のどこへでも行ける私の世界などより、もっとずっと広がっているように思える。

また、のんびりしているようで、綿貫の生き方は真摯。それは高堂たちの世界である、あちらの世界に行った時の会話にも。何者にも煩わされない美しいだけの世界は、「私の精神を養わない」。

何者をも否定しないけれど、自分というものを持つ綿貫。
日常の不思議を扱った小品集のようでありながら、その背後には骨太の時が流れている。
【メモ】
疎水ってナニ?、と思って調べたら、こちらのサイトを見つけました。

 
疎水百選  (音が出ます、注意!)

水のせせらぎが心地よいこのサイトによると、『疏水』とは、水田の国、日本の水路造りや水路網をあらわしてるとのことです。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
「みすじゃん。」のおんもらきさんの記事にリンク

「鴨川ホルモー」/恋せよ、若人

 2006-12-21-23:36
 
万城目 学
鴨川ホルモー 
産業編集センター

目次
 はじめに
その一 京大青竜会
その二 宵山協定
その三 吉田代替わりの儀
その四 処女ホルモー
その五 京大青竜会ブルース
その六 鴨川十七条ホルモー
 エピローグ
 あとがき

ホルモーとは何ぞや? それは京都の街の一部に、脈々と受け継がれるある種の競技なんだという。
京都の市井に響くという悲痛な「ホルモー」という叫び声。
さて、人はそれを耳にした事がありやなしや。

主人公は二浪の末、京大に目出度く入学した安倍という男。彼は成り行きで、どこか怪しげな、京大青竜会なるサークルに入ることになったのだが・・・。どの代にも常にきっちり十名の学生が揃い、また二期毎に代替わりが行われるというこのサークル。この人数には、またこのサイクルには何の意味が?

東の青竜、南の朱雀、西の百虎、北の玄武。実は、京大青竜会だけではなく、京都の街の残りの三校にも、「ホルモー」を目的とするサークルが存在したのだ・・・。

陰陽系の話であるとか、鬼、式神については、そうディープなものではない(茶巾絞りのような頭をした式神って、どっかに由来があるんでしょうか?)。「吉田代替わりの会」とか、物凄くギャグだし。いや、これで笑うのはどうかと思うんだけど、電車の中で読んでたので、ちょっと辛かったですよ・・・。これはだから、その辺を道具立てとした、青春小説なんだろう。物語が動き出すのも結構遅いし、長くすべきところ、短くすべきところなど、お話としてのポイントはちょっとずれてるようにも思うんだけど、なんというか、垢抜けない大学生活を懐かしく思い出すような本でもありました。

帰国子女であるところ、無意味にポジティブであるところなど、安倍の友人、高村には「
金春屋ゴメス 」シリーズの松吉を思い出した。高村の場合、途中の髪型もアレだしねえ。

祭りもいっぱいあるし、楽しそうだよなぁ、京都で送る学生生活。京都の大学生になってみたかったなぁ、などとも思ったのでした。

「ぶぶ漬け伝説の謎」/アルマジロ、再び!

 2006-10-12-22:19
 
北森 鴻
ぶぶ漬け伝説の謎 裏京都ミステリー 

支那そば館の謎 」の続編。京都、それもメジャーどころではなく、知る人ぞ知る、裏(マイナー)な名刹、大悲閣を舞台にした、ミステリーの連作集。

目次
狐狸夢
ぶぶ漬け伝説の謎
悪縁断ち
冬の刺客
興ざめた馬を見よ
白味噌伝説の謎

登場人物は前作に同じ。広域窃盗犯としての過去を持つが、現在は心を入れ替え、大悲閣の寺男を務める、有馬次郎ことアルマジロ。みやこ新聞の「自称・エース記者」、折原けい。バカミス作家のムンちゃん。全てを見通し、全てを包み込むような、懐の広いご住職。

前作にて予想されたことではあるけど、お調子者同士の、折原けいとムンちゃんのコンビは時に凶悪。有馬次郎でなくとも、少々頭が痛くもなる。おイタが過ぎて、「冬の刺客」においては、折原けいはとうとう「自称・エース記者」の看板を捨て、みやこ新聞に辞表を出すハメにも陥る。

とはいえ、全体的にライトな作風の本シリーズ。「興ざめた馬を見よ」、「白味噌伝説の謎」においては、裏京都・ミステリーガイドなるシリーズを売り込む、フリーライターとして返り咲き、またしても大悲閣に鼻息荒く乗り込むのだった・・・。

ちょっとした謎、ほんの少しの手掛かりから、有馬次郎が分かった!!!!、となる本シリーズ。その推理については、うーむ、それもあるのかもしれないけど、それだけじゃ分からんだろ、とも思うのだけど、本シリーズはキャラを楽しみ、十兵衛の大将の料理を楽しむべきもの。ちょっとした、京都の豆知識などを仕入れつつ、軽~く楽しむのが良いと思う。で、私はそれを楽しみました。

しかし、「ぶぶ漬け伝説の謎」で知って、吃驚したんだけど、京都ではラーメンに鶏の唐揚げというのが、当たり前の組み合わせとしてあるそうな。関東では見かけないような気が致します。関西でも特に京都だけのことなのかしらん。

そうそう、本シリーズの舞台である、大悲閣。このお寺って、実在しているそうなのですね。前作、支那そば館の謎」の文庫版の解説を立ち読みしたところ、なんと本物の大悲閣のご住職が解説を書いておられました。

更に更に、も一つ気になったシーン。

「どないしたん、折原まるでどこかの民族学者みたいやよ」
「いってくれるじゃないの、ア・リ・マ」
有馬でもなければ、アルマジロでもない。独特の言い回しで耳元に囁かれると、胃の腑から苦いものがこみ上げそうになった。
―悪いミステリーでも、読んだんちゃうか。

って、それはやっぱり、
蓮丈那智シリーズ のことよね。笑 

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「支那そば館の謎」/北森さんの地方シリーズ?

 2006-06-29-23:16
 
北森 鴻
支那そば館の謎 

表紙に裏京都ミステリーとある通り、これは京都を舞台にしたミステリーの
連作集。

目次
不動明王の憂鬱
異教徒の晩餐
鮎踊る夜に
不如意の人
支那そば館の謎
居酒屋 十兵衛

観光客で賑わう渡つき橋から、山道のアップダウンを繰り返す事約二十分。嵐山の奥の奥に位置する大悲閣千光寺。寺男として勤める有馬次郎には、広域窃盗犯としての過去があった。全てを知りつつ、赦し見守る住職の下で、彼は修行の日々を送るのであるが、京都みやこ新聞文化部の自称エース記者、折原けいが持ち込む様々なトラブルに巻き込まれ、時に山を降りる事になる。

地方を舞台にしたミステリーであり、「ちょい悪」な過去を持つ主人公、頭が上がらず敬愛する人物が主人公にいるところなど、博多を舞台にした
「親不孝通りディテクティブ」 と似ている感じ。ただし、こちらの方が、ギャグ色が強く、ライト。本自体もソフトカバーだしね。

大日本バカミス作家協会賞受賞作家であり、著作『鼻の下伸ばして春ムンムン』で知られる水森堅ことムンちゃんの人物造詣、寿司割烹・十兵衛の大将が作る料理などが魅力的。でも、主人公とコンビを組む新聞文化部記者、折原けいとのやり取りが、かなり上滑りしているので、ちょっと好みが分かれるかな。

ムンちゃんが出てくるのは、途中からなんだけど、やたらとキャラクターが立っているだけあって、続編であるぶぶ漬け伝説の謎にも出てくるみたい。
うーむ、ムンちゃんが出てくるのならば、続きもちょっと読んでみたいなぁ、とまぁ、そんな感じ。時に少々後味の悪いお話もあれど、全体的にはライトにライトにさっくり楽しむお話群。

 
北森 鴻
ぶぶ漬け伝説の謎 裏京都ミステリー 

住む、暮らす/「京都がくれた「小さな生活」」

 2005-03-28-13:55
暮らし方の本をぺらぺら眺めるのも至福のひと時。
こちらは義母からお借りした。

麻生圭子「京都がくれた「小さな生活」」

モノグサなので自分はとても住めないけれど、京都の町屋暮らしって素敵だなあ、と憧れる。

ウナギの寝床構造、走り庭、坪庭、漆喰壁 などなど

「大改造!!劇的ビフォーアフター」(番組の改変期のせいで、二週ほど飛ばされている気がするけど)というTV番組が大好きで、家に居るときは大抵見ている。見逃すと凹みます。
見てどうなるというものでもないのだけれど、へ~、こういう方法が!など感心しながら見ている。家族の暮らしぶりを「匠」が上手に汲み取って、素敵な家を設計なさっている。
自分はこういう暮らし方がしたいという強い意思が、素敵な家を造るのだなあと感じる。思うように暮らしたかったら、まず自分の思いを明確にしなくてはならないのだなあ、と。

著者の麻生さん、作詞家を経てエッセイストになった方らしい。公式ページでプロフィールを見た所、私も知っている曲がいくつかあった。きっとこの本のコンセプトは、都会で華やかに暮らしていた著者が、一見不便で地味に見える生活を楽しんでいますよ、ということなのだと思う。

ちょっと自分では買わない類の本なのだけれど、

ひとつひとつの色かたちが美しい京野菜、和菓子、もちもちした生麩、羽釜で炊くご飯、炭の匂い、灰の色

何だかとっても羨ましい~。写真も豊富で、文章も語りかけ口調。さらっと読める。


私は世の中に下記のようなお菓子が存在することも知らなかった。
がさつな私には無理そう・・・。でも丁寧ないい暮らし。素敵だなあ。

こういう上菓子は風呂敷で抱えて持つものだったんですね。とはいえ、私だって、袋をぶんぶんと振り回したわけじゃありません。あくまでもふつう、です。ちょっと斜めになっただけ。それほど、やわらかいんです。


*臙脂色の文字の部分は、本文より引用を行っています。何か問題がございましたらご連絡下さい。

*正確には、集英社be文庫という所から出版されています。




著者: 麻生 圭子
タイトル: 京都がくれた「小さな生活」。
プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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