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「幽談」/かそけき

 2008-09-06-16:04
幽談 (幽BOOKS)幽談 (幽BOOKS)
(2008/07/16)
京極夏彦

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怪談ではなく、聞きなれない言葉、幽談。幽霊の話に限定されるというわけでもなく、この世ならぬ幽かな淡いお話を集めたものとでも言いましょうか。

こわいもの、この世ならぬものは、すべて自分たちの外からやって来るものなのだろうか。勿論、外からやって来るこわいものもあるけれど、実際は誰よりも知っていると思っている、自分の中にもこわいものは存在するかもしれない。そもそも、これが自分だ、これが自分が見ているものだ、と思っていても、それらすべてがまやかしではないと、一体誰が証明できるのだろう。
目次
手首を拾う
ともだち
下の人
成人
逃げよう
十万年
知らないこと
こわいもの
この中で好きだったのは、若い女性がベッドの下にいる、あるものについて悩む「下の人」。

あとは、微妙にありがちではあるかもしれないけれど、「成人」。二十年がたって成るのは、人間だけではない…?

余白多めで、ひたひたと繰り返してのっけてく感じの文章なので、このゆっくりひたひたのペースに乗れないと、一部、ちょっと辛いことも。そういう意味では、「こわいもの」は読みにくかったし(すぐに字の上を目が滑って、意識が飛んじゃうの)、現代風の女性が語るからか「下の人」は読み易かったなぁ。

京極さんだからといって、何でもかんでも京極堂シリーズに繋げて考えるのは、おかしいかもしれませんが、「ともだち」、「十万年」の語り手なんかは、もしあのシリーズに出てきたとしたら、ぐずぐずと喋っては、京極堂にすぱーーーーんと憑きものを落されそうな感じもします。

実際に視えてしまう、この世ならぬものも勿論怖いけれども、「こわいことを考えてしまった」とか、マンガ『ぼのぼの』なんかにおける「こわい考えになってしまった…」など、自分の中で出来てしまう、ぐるぐるした妙な考えも十二分に怖いよねえ。きゃー。
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「百器徒然袋―風」/にゃんこーー!!

 2006-12-08-21:55
京極 夏彦
百器徒然袋 風

京極堂シリーズ外伝、探偵小説でありまするよ。でも、にゃんこー!な本なのです。

目次
五徳猫
雲外鏡
面霊気

さて、京極堂シリーズで探偵といえば、いわずと知れた彼、榎木津のこと! 薔薇十字探偵社などという、派手派手しくも人を食った名前が、あんなに似合うのも彼ならでは。前作の「雨」を読んでから、えらく時間が経ってしまったので、これは印象のみなんだけど、「五徳猫」「霊外鏡」あたりまでは、前作に比べ榎木津大活躍という感じではなく、自他共に認める凡人、図面引きの本島が訥々と語る感じだったのです。いや、違うな、良く読んだら榎木津は「殲滅」とか云ってふふんと笑ってるし、いつもの通り大暴れしてるんだけど、どうもこの本島の語り口が鬱々としてるんだな。

しかし、私はこの探偵小説には、榎木津大活躍!を求めているわけで、ずっと何か違う・・・、と思いながら読んでたんだけど、最後の「面霊気」において、やっぱりやってくれましたよ。そうだよね、榎木津だもんね、こうじゃなくっちゃ。本島の語り口を超えて、ドカーンと爆発しておりますよ。しかも、「にゃんこ」で。笑 自分の中で、何となくそれまで抑えられていただけに、最後のドカーン!に満足、満足でありました。

しかし、京極堂シリーズにおける凡人といえば、関口も他の濃いメンバーに比べると、どっちかというと凡人だと思ってたんだけど、あれはあれで「凡人」とは違うんだな、きっと。ぐるぐるの仕方が、この本島などと比べると非凡だもの。

こちらの語り手、本島は凡人、凡人と自分に言い聞かせ、また他の面子にも面と向かって凡人と言われているんだけど、「あの」探偵、榎木津と関わってしまったお陰で、色々と非凡な目に遭ってしまう。その災難がこの本のお語。お話によっては、榎木津を釣るイソメのように、釣り餌として拉致された挙句、すっとこどっこいな体験をしていたりもする。中禅寺が言うとおり、やっぱり「榎木津なんかと付き合うと大変な勢いで馬鹿になる」んですかね。馬鹿というか、非常識で現実離れした出来事が、物凄い勢いで起こるのだ。

でも、ラスト「面霊気」はいいよ。ガキ大将はたとえ我侭であっても、子分どもを従えて、好き勝手にやるだけが仕事じゃないんだよね。人を人とを思わぬ榎木津(というか、大抵の人間は彼にとっては只の「下僕」)だけど、こういうところがあるから、皆なんだかんだ云って、彼についていってしまうんだよなぁ、きっと。

「面霊気」は私のお気に入りのキャラ、益田が酷い目にあってるのも面白かった~。益田ってあの性格だから、いじられてこそ生きる気も。なんてったって、自ら認める卑怯だし。追い詰められて、前髪を揺らす益田氏、好きです。笑 カマオロカですらなく、ナキヤマ呼ばわりされてるけど。そして、「邪魅の雫 」の乗馬鞭が出てきましたねー! 全く、あんなもん買うからさ・・・・。笑?

「邪魅の雫」/待ってました、京極堂シリーズ最新作!

 2006-10-19-22:37
京極 夏彦 邪魅の雫

心の中に、ぽつんと一つ落ちる黒い染み。黒い思い。
白いカンバスに、たった一つ付いた、けれど取れない染み。
それは邪悪な思い。邪な思い。

そういった感情と全く無縁の人はきっといない。けれど、通常はその染みをなかったことにして、またはその上に何か違うものを塗り重ねて、そして生き続けている。―少々後ろめたく思いつつも。

しかし、ここに邪悪な雫があったらどうだろう。美しいその雫は、たった一滴で人を殺す。もしも自分の世界に「それ」が持ち込まれたならば、自分の信ずる正義のために、若しくは自分の世界を壊すために、自らの世界を完結させるために、「それ」を使いたくはならないだろうか・・・。透明な雫の入った小瓶。それは、美しくも邪悪な一滴の集まり・・・。

東京、平塚、大磯で、人が死ぬ。連続しているようでもあり、非連続でもあるようなこれらの事件。警察の捜査は混乱を極め、京極堂シリーズのいつもの登場人物たちを、雪だるま式に捲き込んで、事件はますます錯綜する。一つの事実が判明しても、それは事件の解決の糸口にはならない。でたらめなこの事件においては、それはただ謎の羅列でしかない。

常にない様子の榎木津(だって、楽しそうではないのだ!)、最後に真打として登場する京極堂ではなく、此度活躍するのは、探偵助手の益田に、陰気な小説家・関口、木場修の巻き添えを喰って、派出所勤務中の青木といったところ。

いつも軽薄であることを、上滑りすることを心がける益田、常に世間に対して後ろめたい思いが抜けず、「犯人顔」と揶揄される関口が、この物語の語り手としては相応しいのかもしれない。なぜなら、これは「世界」と「世間」と「社会」の物語であるから。たびたび気鬱の病に襲われ、ただ自分に関係しているというだけで、人の存在が重いのだ、と語る関口の世界と世間、社会とのずれ。上滑りでもしてないと遣っていられない、立っていられない、社会と接続する術を持たない益田。彼ら二人こそがこの物語には相応しい。

京極堂は語る。世界は個人の内部の世界と外側の世界の二つに分けられる。言葉は内側から発せられて、外側に向かうもの。内側においては全能である言葉が、外に出た瞬間に世間という膜に吸収され、大した効力を持たないものとなる。それは既に社会にも届かず、勿論世界になど届く訳もない・・・。

自らの世界と外側の世界、世間、社会と接続する術を持たない者たちは、一体どうすればいいのだろうか。自分の内部の世界と、外側を繋げるのは、時に難しいものとなる。そう、たった一人で世界と対峙しているような、あの榎木津のような男を除けば・・・。青木を諭す、老刑事、藤村がいい。人には出来ることと、出来ないことがある。わしらに出来るのは、目の前のことだけ。目の前に何も見えないと、余計な大義名分が幅を利かせ始めるが、それは驕りだ思い込みだ。今やるべきことは、目に見えるところ手の届くところに犯人を引寄せること。

そうして炙り出された犯人は、ただぼわぼわと自らの世界を膨張させた人間だった。しかし、その世界は決して世間と、社会と互角に渡り合えるものではない。世界を語り、世界を騙る、漆黒の男、京極堂は、いつものように事件を解体し、また構築し直す。

京極堂の今回の語りにおいては、不思議である、怪異であるという解釈をするのは、古代、その世界の王、権力者にしか許されていなかった、というところが面白かった。個人の世界においては、どう解釈してもそれはその者の自由であるけれど、それを公言することは、その昔は罪であった。江戸期、明治、現代(大戦後の昭和)と時代が進むにつれて、解釈は下の者へと降りていった、という辺りには、「後巷説百物語 」を思い出したりね。

「絡新婦の理」もそうだったけれど(勿論、登場人物、シチュエーションその他は異なりますが)、最初と最後の部分がかちりと嵌まるのは、やっぱり快感。最後まで読んで、また冒頭に戻ると、哀しさが際立つように思った。でもさ、基本的に、京極堂って女性には優しいよね。笑 関口なんて、何もしてないうちから、いつも罵倒されてるっていうのに・・・。いや、あの糞味噌ぶりも、また心地良いんだけど。

「後巷説百物語」/そして、全ての幕引きが・・・

 2006-09-30-21:31
 
京極 夏彦
後巷説百物語 

此度、「巷説」の舞台となるのは、文明開化を迎えた明治初め。

主に出張るは、北林藩ゆかりのものども四人。
東京警視庁の一等巡査、後に不思議巡査こと矢作剣之進。
商社に勤める変り種、笹村与次郎。
旗本の二男坊、洋行帰りの倉田正馬。
道場主の剣豪、渋谷惣兵衛。

時代は幕末から明治に変われども、人の世はそう簡単に変わるわけではない。一等巡査、剣之進が持ち帰った「謎」を四人で捏ね繰り回し、捏ね繰り回した挙句に訪ねるは、薬研掘のご隠居、一百翁。

一百翁が語る昔の話は、現代の謎、事件に、ある見方を指し示す。あちらを立てればこちらが立たず、それを八方丸く治めるのは、小股潜りの得意技であったけれど、又一ほどでないにしろ、剣之進も不思議な事件専門の巡査、不思議巡査として名を馳せる様になる。

事件の謎解き、種明かしは、最初は一百翁と共に住む小夜のみに、後には一人、一百翁を訪なうようになった与次郎にも。謎自体も、徐々に又一たちの過去と濃密に絡んでくるようになる。又市の仕掛けは未だ生きていた!

さて、薬研掘に九十九庵なる庵を結ぶ一百翁とは、勿論、これまでの巷説シリーズで、又一たちと共に旅した山岡百介の後の姿である。

道を通せば角が立つ。
倫を外せば深みに嵌まる。
彼誰(かわたれ)誰彼(たそがれ)丑三刻に、そっと通るは裏の径
所詮浮き世は夢幻と、見切る憂き世の狂言芝居
身過ぎ世過ぎで片をばつけて、残るは巷の怪しい噂―。

そう、残るのは全て巷の噂、巷説のみ。
又市の百物語で幕を開けた「巷説百物語」は、百介による百物語でその幕を閉じることとなる。

思い出される昔は、全部お話
物語になった現実こそが昔
虚構(うそ)と現実(まこと)の真ん中辺りに、どっちつかずの場を作る
そうした呪術(まじない)が百物語

筑羅が沖、どっちつかずの世界に居続けた百介は、そして最後の居場所を見つけたのだろうか。

若き日の百介を見るような与次郎がいい。最後の仕掛けは、百介とこの与次郎が、互いにそれとは知らずに、仕掛けることになる。

小股潜り、御行の又市の「仕掛け」は、どこまでも抜かりがない。所詮、人の世は悲しいもの。だから、時に夢幻を見ることもある。そして、一度、夢を見せるならば、その裏にある現実(まこと)を決して見せてはならないのだ。百介の「世に不思議なし、世、凡て不思議なり」との言葉も胸に残る。

この「巷説百物語」シリーズは、最初の一作を読んだだけで長らく放置していたのだけれど、これは全三作を全て読まねば、立ち上がってこない物語でした。このちょっと悲しい余韻もいいなぁ。さっすが、京極夏彦!、という感じ。ああ、でも、記憶が新しい時に、一気読みしたかったよ・・・。

<以下、追記>
ちょっと、ん??、と思いながら読んでいたのだけど、やはり「五位の鷺」「風の神」で登場する由良家とは、陰摩羅鬼の瑕」で出てくる由良伯爵家だし、山男」に出てくるある神を奉じる集団とは、狂骨の夢」に出てくる宗教団体なわけなのね(金色髑髏!)。えーと、でも、臨済宗の高僧、和田智弁って誰だっけ? 「鉄鼠の檻」に、明慧寺の監院として和田慈行が出てくるのだけど、それと関係があるのかしらん?

世に不思議なし、世、凡て不思議なり」は、京極堂の「この世には不思議なものなど何もないのだよ」に繋がっていくのかな。いや、時代を跨ってまで繋がってるだなんて、ずるいよ、そして、上手すぎるよ、京極さん!

目録
赤えいの魚
天火
手負蛇
山男
五位の鷺
風の神


 ← こちらは新書。表紙は風の神?何ともユーモラスな表情だ♪

☆関連過去記事: 
「続巷説百物語」/御行奉為・・・

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

「続巷説百物語」/御行奉為・・・

 2006-07-12-22:17
京極 夏彦
続巷説百物語

扉から、そのまま引きます。言葉の調子が実にいいんだよ。

人の世に凝るもの。恨みつらみに妬みに嫉み、泪、執念、憤り。
道を通せば角が立つ。倫を外せば深みに嵌まる。そっと通るは裏の径。
所詮浮世は夢幻と、見切る憂き世の狂言芝居。見過ぎ世過ぎで片付けましょう。
仕掛けるは小悪党、小股潜りの又市。山猫廻しのおぎん。事触れの治平―。
手練手管の指の先、口の先より繰り出されるは、巧緻なからくり、眼眩。
邪心闇に散り、禍は夜に封じ、立ち上がるは巷の噂、物怪どもの妖しき姿。
野鉄砲、狐者異(こわい)、飛縁魔(ひのえんま)、船幽霊、死神、老人火(ろうじんのひ)―。

「御行奉為(おんぎょうしたてまつる)―」

前作を読んでから、あまりに時が経ってしまったので、全然気付かなかったのだけれど、本書は「時系列でまとめると、前作の7つのストーリーの間に今回の各話がそれぞれ差し挟まれるという凝ったつくり」になっていたのだった。言われてみれば、途中に「~の仕掛けが」などというフレーズが、随分入っていたよ。汗
しかし、流石、京極さん。凝ってますね~。

法で裁けぬ悪人に、怪異を利用した狂言芝居で、引導を渡すのは前作と同じ。
前作での事件は、ほとんど金で請け負うものだったけれど、本作の事件は又市らの過去に大きく関わるもの。その分、哀しくやり切れなくもある。

八方丸く治める術は、京極堂の憑き物落としにも共通しているけれど、昭和初期と江戸時代という舞台設定の差が、解決策にもあらわれる。悪人を倒してしまえば嘘も方便。狂った藩主を、領民のために後に領地の護り神とすることだってある。悪しき真実は皆が知らなくともよいことであり、又市の狂言芝居は、「その後」の人々の暮らしまでおさおさ抜かりない。

又市の鈴の音がりんと鳴る時、悪しき行いは怪異の衣をまとい、形を与えられた事で、解決出来るものとなる。 無宿人の又市一味と異なり、唯一堅気の山岡百介。本作では前作に比べ、又市たちの側に随分と寄っている。堅気でありながら、自分が堅気であるとの確信を持てない百介は、あちらにふらふら、こちらにふらふら。彼は、又市らの仕掛ける狂言芝居に信頼性を持たせるための、単なる巻き込まれ役から、仕掛ける側に。とはいえ、堅気の彼と、又市らとの間にはやはり大きな差があるのだ。昼の世界と夜の世界。これらを自在に行き来していたような百介であるが、又市らとの蜜月のような日々はやがて終わる。

後半、「飛縁魔」「船幽霊」「死神」からは話が連続し、一気に畳み掛ける展開に。老人火」は全ての幕引き。又市、おぎんは、そしてあやかしの者となる。

これ、図書館からハードカバーを借りてきたのだけれど、作りも美しい本でした。章の扉に載せられた妖怪画(?)もカラーだし♪ 文庫、ノベルス、色々あれど、単行本もいいねえ。

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プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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