スポンサーサイト

 -----------:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

「浅田次郎とめぐる中国の旅」/浅田さんと中国

 2008-10-13-22:45
浅田次郎とめぐる中国の旅 『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『中原の虹』の世界浅田次郎とめぐる中国の旅 『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『中原の虹』の世界
(2008/07/30)
浅田 次郎

商品詳細を見る

結局、私は全部を読み切ることなく、時間切れになってしまい、浅田さんの小説の美学などを知ることが出来て良かった~!という、そんなちと勿体ない読み方になってしまったんですが、やっぱりメモメモ。「中国」というテーマは、浅田さんの中でずっと繋がっていて、「蒼穹の昴」、「中原の虹」だけではなく、まだまだ続くそうですよー。

何せ「蒼穹の昴」を読んでからも、「珍妃の井戸」を読んでからも、滅茶苦茶時間が経ってしまっていて。分かり易く描いてくれる浅田さんのお陰で、読んでる間は何とかなるんだけど、せっかく浅田さん自身が「蒼穹の昴」縁の場所をめぐり、説明をしてくれるという企画であるのに、いま一つピンとこないままでありましたよ。勿体なー。「蒼穹の昴」、「中原の虹」と合わせて、訪れる場所は、紫禁城、北京、満州、万里の長城の四か所。「蒼穹の昴」は、古き良き北京のイメージが崩れるから、と敢えてその地を訪れることなく、書かれたそうです。

学者と小説家は違っていて、それでも京極さんとか、この浅田さんとか、在野の人たちがこんだけ調べているのが凄いなぁ、といつもその姿勢には頭が下がります。なお且つ、それらをエンターテインメントに仕立て上げてしまうのだから!

以下、インタビュアー・末國善己氏による「浅田次郎、歴史小説を語る」からの引用です。エピソードが血肉になってない小説は、やはり小説とはいえないよね。

誰でも調べたことは書きたくなる。僕はもともと歴史が好きで歴史小説を書いているので、知っていることは何でも書きたくなるのですが、いかにストーリーを妨害させない程度に抑えるかについては、いつも頭を悩ませています。

僕は小説を書く時に、二つのことを憲法にしています。一つは美しく書く。もう一つは分かりやすく書く。

どれほど難しい題材を扱おうと、分からないという読者がいたら作家の負けです。僕は分かる人間にだけ分かればいいという芸術は、間違いなく二流だという芸術観を持っています。頭で考えるのではなく、一目見ただけで驚きがある、感動するのが本物なんです。
その意味では、文字という知的な道具を使っている小説は、表現としては一番難しい。それでも、いい作品を作るためには、分かりやすく書くという努力は必要だと思います。

スポンサーサイト

「謝々!チャイニーズ」/中国、そのナマの手触り

 2007-10-12-22:33
星野 博美
謝々!チャイニーズ―中国・華南、真夏のトラベリング・バス
情報センター出版局

米原万理さんの「打ちのめされるようなすごい本 」で、気になった本です。
←画像処理の関係か、こっちのが色鮮やかですなぁ。

この度、ちょうど文庫化もされたようですね♪
(しかし、最近の文庫は高いっすね…。810円だって。写真がいっぱいなのかなぁ)

副題にも、「中国・華南、真夏のトラベリング・バス」とあるように、語られるのは、著者星野さんの、中国は華南地方の旅のお話。

目次
 はじめに
第一章 東興(トンシン)
第二章 北海(ベイハイ)から湛江(ジャンジャン)へ
第三章 広州(グワンチョウ)
第四章 厦門(アモイ)
第五章 諸聡F島(メイチョウダオ)
第六章 平潭(ピンタン)
第七章 長楽(チャンルオ)
第八章 寧波(ニンポー)
終章 東京
 おわりに


著者は言う、日本で生きている時、自分に見えるのはシステムである。ところが、中国では人が見える。だから、いつまでたっても出発しないバスも、運転手の子供がバスの中で宿題をするのが日課であろうと、それを微笑ましく思ったり、仕方ないな、と思ったりはすれど、決して怒りは湧いてこないのだとか。

資本主義に飲み込まれながら、しかし、国外へ出る=密航となってしまう、アンバランスな自由を持つようになった中国の人々。お金に対する執着の凄まじさや、自分だけが損をすることに敏感だったりなど(勿論、この本の中には、そうではない人も稀に登場するけれど)、そこだけを見ると、何と言うか、浅ましいというか、はしたなくも感じるのだけれど、確かにこの貧富の格差、手の届きそうな所に、豊かな生活が見える状況では仕方のないことなのかも。また、そういう点をひっくるめて、中国の人々の旺盛な生命力を、著者は非常に愛しているのだけれど。

あくまで自分の力で生き、自分の頭で考えることを捨てないのだとしたら、日本の過ごし易い、ある程度完成された様々なシステムは、むしろ邪魔になるものなのかもしれない。生きているという実感を得るために、必要なものはそれぞれ違うのだろうけれど、星野さんには、こういう旅や出会いが必要なんだろうなぁ。

そういえば、ドラマも始まった安野モヨコさんの「働きマン」も、「仕事したって思って死にたい」松方弘子が主人公だけれど、何もそこまで極端に走らなくても、と思っても、その仕事にかける情熱が、きっとそのまま「生きているという実感」なんだよね。

たとえば、大学を出るくらいまでは、何となくコースに乗っていけば、人生はそのまま進んで行くわけだけれど、二十歳そこそこまでに得たものだけで生きていけるほど、人生は短くも平坦でもない。仕事にプライベートに、というバランスの良い生き方もあるけれど、こういう生き方もあるし、突き詰めている潔さがある。

「千年の祈り」/珠玉の短編集

 2007-09-13-23:38
千年の祈り (Shinchosha CREST BOOKS)千年の祈り (Shinchosha CREST BOOKS)
(2007/07)
イーユン・リー

商品詳細を見る
目次
あまりもの
 Extra
黄昏
 After a Life
不滅
 Immortality
ネブラスカの姫君
 The Princess of Nebraska
市場の約束
 Love in the Marketplace
息子
 Son
縁組
 The Arrangement
死を正しく語るには
 Death Is Not a Bad Joke If Told the Right Way
柿たち
 Persimmons
千年の祈り
 A Thousand Years of Good Prayers
訳者あとがき

これ、めっちゃくちゃ良かったです!
同じ新潮クレスト・ブックスシリーズでいうと、「停電の夜に 」のような短編集なんだけれど、「停電の夜に」で少し感じた、人生の疲れ、澱のようなものがほとんどない。

かといって、決して悲しくないわけでも、幸せいっぱいなわけでもないのだけれど、感情のエッセンスが純粋に昇華されている感じ。ペーソス、ユーモア、すべてが恬淡と、いっそほのぼのと語られる。

「あまりもの」
行かず後家の林(リン)ばあさんはいつだってあまりもの。寡婦の王(ワン)ばあさんの勧めに従って、今にも死にそうな金持ちの年寄りと結婚しても、全寮制の私立学校に職を見つけても…。
「愛の幸せは流星のように飛び去って、愛の痛みはそのあとに続く闇のよう」
林ばあさんを道で追い越した少女が口ずさむ。

「黄昏」

蘇(スウ)夫妻と、方(ファン)夫妻のお話。いとこ同士の蘇(スウ)夫妻は、遺伝的な障害を心配する親族の反対を押し切って結婚した。すべては確率の話。障害を持つ子が生まれてくる確率は、蘇氏の計算ではごく少ないもののはずだったのだが…。彼らの元に生まれてきた貝貝(ベイベイ)は、重度の知的障害と脳性まひを持っていた。しかし、それは決して不幸ではなかった。皮肉なことに、蘇夫妻を互いに遠ざけたのは、その後の子、健(ジエン)の誕生だった。
 
「不滅」

数々の宦官を送り出してきたわたしたちの町。宦官たちは町に富を送り、わたしたちは宦官が死出の旅に出るとき、盛大に送り出した。王政の時代は過ぎ去って、共産主義がやってきた。わたしたちの町が今度送り出したのは、独裁者、毛主席と瓜二つの顔をした若者。

「ネブラスカの姫君」

医師である伯深(ボーシエン)は、同性愛者でもあった。天安門事件からこちら、人権や、エイズについて語ることの危なさを思い知った伯深は、偽装結婚をしてアメリカへと渡る。幼いころから京劇の男旦(ナンダン:京劇の舞台で女役を演じる男優)として仕込まれ、のちに「娼夫」となった二十歳も年下の恋人陽(ヤン)を残して…。陽は同性愛者であるために、舞台から追われていた。伯深は陽を京劇の舞台に復帰させると約束するのだが…。
アメリカへ渡った伯深の元へ現れたのは、陽ではなく薩沙(サーシヤ)。薩沙は陽の子がお腹にいるのだと話し、中絶を望む。

「市場の約束」
三三(サンサン)は何よりも約束を重んじる。それは友人と恋人の手酷い裏切りにあってなお。三三は頭の中で、彼ら二人のセックスを思い浮かべすらする。それはまるで三人の結婚生活のよう。ところが、彼ら二人の結婚は破れてしまった。だからといって、周囲が望むように、彼と付き合いなおすことなどできようか。三三は何よりも約束を重んじるのだから。

「息子」
今ではアメリカ市民となった三十三歳、独身のハン。里帰りで母に会うたびに、いつも衝突してばかり。子としての務めを抱えた息子でいるのは楽じゃない。同性愛者であるハンは、一生、「母の息子」でいるしかないのだが…。

「縁組」
病弱な母親と暮らす若蘭(ルオラン)。茶葉の販売員である父親は、一年のほとんどを外で過ごす。若蘭が物心ついてから、父親の帰宅は年末の大掃除と春節のみ。父のいない間、若蘭たちを助けてくれるのは、炳(ビン)おじさん。
そして、若蘭が十三歳となったとき、父親は母親にとうとう離婚を切り出した。若蘭は父と共に行くことを望むのだが…。炳おじさんが語る、彼らの家庭に隠されていた秘密。

「死を正しく語るには」

誰かの子供でいることは、その立場からおりることのできない難しい仕事。研究所の中に住み、教師をしている母から逃れ、厖(パン)夫妻の家で過ごす夏と冬の一週間は、「わたし」にとってとても貴重なものだった…。研究所で育った子供たちの遊びの中では、研究所の防犯ゲートから外へ出ることも、灰色の建物に近づくことも許されない。
今ではアメリカで暮らす私は、遠い地で厖夫妻のこと、その近所の人たちのことを思う。


「柿たち」

老大(ラオダー)は十七人もの人間を殺した英雄だ。干ばつに見舞われた「わたしら」が思い出す、老大のこと。これは天罰なのか? しかし、この干ばつがもたらしたのは、日がな一日、槐の老木の下に座って煙管をふかし、だらだらと語り合うけだるい喜び。

「千年の祈り」

離婚した娘を慰めるために、娘が暮らすアメリカを訪れた石(シー)氏。ところが、娘は彼の慰めを受け容れるどころか、迷惑な様子を隠そうともしない。近所を散歩中に知り合った、言葉の通じないイラン人の「マダム」とは、心が通じ合うというのに…。
娘によって暴かれる石(シー)氏の不名誉な過去、そして娘の離婚に至った事情。
どんな関係にも理由がある。たがいに会って話すには、長い年月の深い祈りが必ずあったはずなのだ。愛する人と枕をともにするには、そうしたいと祈って三千年、であるならば、父と娘ならばきっと千年。人は偶然に父と娘となるのではない。石(シー)氏の想いは、娘に届くのか?

長々と書いてしまったけれど、それはどれも甲乙つけ難いお話だったから。短編なんだけど、話がぶわーーーっと広がっていく感じがするのです。

ダイ・シージエも中国人でありながら、フランス語で小説を書いているのだけれど、この作者、イーユン・リーも母語ではなく英語で物語を書く。母語では書けないこと。新しい言語を獲得したからこそ、書けること。中国の文革の爪あとはいまだに深い。

■関連過去記事■
・ダイ・シージエ「
バルザックと小さな中国のお針子 」/一九七一年、中国の青春
・ダイ・シージエ「
フロイトの弟子と旅する長椅子 」/フロイトの弟子にして、ドン・キホーテ、莫(モー)がゆく

「フロイトの弟子と旅する長椅子」/フロイトの弟子にして、ドン・キホーテ、莫(モー)がゆく

 2007-09-04-22:51
フロイトの弟子と旅する長椅子 (BOOK PLANET)フロイトの弟子と旅する長椅子 (BOOK PLANET)
(2007/05)
ダイ・シージエ

商品詳細を見る
中国の古典文学を専攻する学生だった、二十歳の若き莫(モー)は、そこでフロイトの『夢診断』と出会ってしまった。現人神と出会った至福の中で、莫は学生寮の多段ベッドの中、声をあげて読み、読んで読んで読みまくり、学友たちにフロイトモーとのあだ名を進呈された。

その時から、フロイトの忠実なる弟子となった莫は、難関を突破してパリへの留学を果たし(とはいえ、それはフランス政府国費留学生として、タクラ=マカン砂漠の砂に埋もれたシルクロード文明のアルファベットを用いた言語について、博士論文を書き上げるためであった)、知り合いのつてを辿って、ラカン派の精神分析医ニヴァ氏のもとへと通い続けた。こうして、中国人初の精神分析医が誕生したが、当初、フランス語を解さなかった莫の告白は、中国語の四川省の方言でなされ、フランス人のニヴァ氏は当然一言も意味を解さず、時にそれは喜劇に転じた…。

故国に戻った莫は、学生時代より憧れの君、胡火山(火偏に山:フーツアン)を救い出すために、賄賂となる一万ドルを手に狄判事(ディー判事)の元を訪れる。胡火山は、中国警察による拷問の場面を隠し撮りして、ヨーロッパのプレスに売ったために、成都の女子刑務所に入れられ、裁判を待つ身となっていたのだ。

ところが、かつてのエリート射撃手であり、犯罪者を裁く閻魔王との異名を持つ狄判事は、既に金は十分に持っており、胡火山の自由との引き換えに欲しいのは、まだ赤いメロンを割っていない「処女」なのだという。莫は、胡火山を救う「処女」を求め、夢分析を武器に、中国南西部の広大な土地を旅することになる。時に、「夢分析」の旗を立てた父親の古い自転車を駆り、時に電車の中で大事なデルセーの鞄を盗まれながら…。皮肉なことに、胡火山に絶対にして唯一の愛を捧げる莫自身は、友人たちの気遣いも虚しく、四十歳にして未だ女性を知らないのであるけれど。

バルザックと小さな中国のお針子 」と異なり、決して読み易い物語とは言えません。夢分析の話(というか、これは既に「分析」ではなく、「占い」だったりもするのだけれど)、現在の話、過去の話、莫の心理状況が、特に断りもなく入り乱れ、時系列だってかなりランダム。どこか茫洋とした趣のある主人公である莫と同様、このお話自体も、好きな時に好きなように飛躍する雑然としたところ、のびのびした奔放なところを併せ持つ。

慣れるまではちょっと面食らったのだけれど、これはそうやって、あっちこっちに寄り道する莫に付き合って、ゆっくり読み進めるのがいいみたい。これが、まさに「旅する」長椅子(長椅子は精神分析の重要アイテム)たる所以なのかもしれません。

そして、「バルザックと小さな中国のお針子」と同様、作者ダイ・シージエは、モテない、でも真剣な、そして傍から見るとちょっと面白い男性を描くのが非常に巧い。独特のユーモアは健在だし、特に変わった言葉や単語、変わった表現を使っているわけではないのに、世界が何だか瑞々しいのも、「バルザック~」と同様です(「防腐処理人」なんかは、かなり変わった単語だけれど、それって瑞々しさとは本来は無縁なはずだよねえ)。危機にあってなお、何となく脱力しているようなところもね。

騙されても、失望しても、莫は決して希望を捨てず、諦めることをしない。酷い目にも色々遭うんだけど、人間の伸びやかな強さ、希望を感じる。また、脇を固める人々も、伸びやかというか、実に楽天的というか。勿論、中国を舞台にしたこの物語。莫たちは、みな、文化大革命の洗礼を受けている。莫の幼馴染である「市長の娘婿」は、刑務所に入れられ、無期刑に課せられているけれど、昼間は刑務所の二軒の食堂の支配人として差配をする。夜は無期刑囚の房に戻って寝るけれど、昼間の彼は自由だ。莫のご近所さんである「防腐処理人」は、新婚初夜に夫に飛び降り自殺された過去を持つ。

けれど、彼らはあくまで、強くしたたかで明るい。電車の中で、大事な鞄を盗まれた莫も、「ここが、わが偉大なる祖国だってことを忘れたのか」と、それまでの憤慨を忘れて吹き出すのだけれど、これこそが、中国の大きさ、中国の強さなのかもしれない(あちこちで描かれる、ありとあらゆるものが落ちている床の存在には、恐れ慄いてしまうけれど)。

さて、「訳者あとがき」
によると、ダイ・シージエは2007年1月に、フランス語による小説作品『月が昇らなかった夜に』を発表し、これには主人公の学友として「バルザック~」の馬(マー)が再登場するのだとか。フロイト~」とは全く異なり、コミカルな要素が一切排されているそうですが、日本でも早く出版されないかしらん。

目次
第一部 騎士道精神がたどる道
 一 フロイトの弟子
 二 防腐処理人にふりかかった婚前の悲劇
 三 麻雀の対局
 四 飛行機の模型
 五 うしろ盾
 六 長椅子の遠征
 七 女中市場のサッチャー夫人
第二部 明けない夜
 一 夜のライトバン
 二 午前二時
 三 <光>団地
 四 餃子が煮えた
第三部 小路(シャオルー)
 一 その歯を飲みこむな
 二 龍頭
 三 飛行靴下
 四 老観測人
 五 海参
 六 鶯
訳者あとがき

「バルザックと小さな中国のお針子」/一九七一年、中国の青春

 2007-08-16-22:56
バルザックと小さな中国のお針子バルザックと小さな中国のお針子
(2002/03)
ダイ・シージエ

商品詳細を見る
舞台は悪名高き毛沢東による、文化大革命後の中国。知識人は悪、農民は善とされ、毛主席とその一派以外の本は姿を消した。そして、知識人を父に持つ「都会青年」である羅(ルオ)と僕は、高い高い鳳凰山にある村へと送られる。

農村に送られたのは、彼らが最初でも最後でもない。僕たちより不幸な若者もたくさんいたけれど、僕らが不運だったのは、二人の親が「人民の敵」であったこと。高校への入学は拒否され、中学を三年終えただけで農村へと送られた、十七歳と十八歳の僕ら二人の帰還の確率は千分の三。羅と僕は村の中心にある高床式の家を与えられ、人力が唯一の運搬手段である狭く険しい山道をのぼっての山仕事に励む。

そして、出会った恋と西欧の物語…。


そう長い物語ではないのだけれど、これはいいですよー。
柘榴のスープ 』のように、大きな運命を体験した作者がユーモアを交えてそれを描く感じ。

映画監督でもある作者のダイ・シージエは、実際に1971-1974年の間、下放政策により四川省の山岳地帯で再教育を受けたのだという。実体験はこんなにユーモア溢れるものであったかは分らないけれど、辛いことをただひたすらに辛いと描くことをせずとも、伝わることはきちんと伝わるし、逆にこの描き方だからこそ伝わってくることもある。

左目に血の粒が三つある五十がらみの村長、村長が思慕の念を抱く羅の小さな目覚まし時計、彼が来ることはこの上なく名誉でありお祭りでもある仕立て屋、羅と恋に落ちる仕立て屋の美しい娘「小裁縫(シャオツァイフォン)」、そして同じく下放されていた友人メガネが隠し持っていた、西欧の小説との出会い。彼らの瑞々しい感性が出会う様々な人物に出来事。娯楽のない村の中で、語り手として認知された羅と僕は、町の映画館に行くことを許され、その一字一句を村人たちの前で披露する上映会を行ったりもする。

「物語」のない世界で触れた「物語」を、羅と僕は貪欲に吸収していく。
そしてそれは羅と恋に落ちた小裁縫もまた…。


もう一つ思い出したのは、「ストリート・キッズ」シリーズの二作目、仏陀の鏡への道」のこと(「ストリート・キッズ」関連の記事はこちらこちら )。

こちらは一九七七年。一人の姑娘に心を奪われた、有能な生化学者を連れ戻す任務を与えられたニール。しかし、ミイラ取りがミイラとなり、ニールまでもがその姑娘に心を奪われてしまう。そしてここでもまた、文革と物語が重要なキーとなる。ちなみに、こちらの山は「蛾眉山」。これな実在の山だけれど、鳳凰山はどうなのだろう?

「物語」のない世界は嫌だけれど、極限の渇きの中で出会う物語の甘露のような甘さ、ちょっとその体験が羨ましくもあるよなぁ。

ドン ウィンズロウ, Don Winslow, 東江 一紀
仏陀の鏡への道 (創元推理文庫)

「狐弟子」/人間は、結構ズルい

 2007-01-10-21:52
?
森福 都
狐弟子 ?

ズルかったり、せこかったり、愚かだと分かっていても色香にくらくらしたり、はたまた愛しい相手に憎まれ口をきいてみたり、実際に生きている人間なんてそんなもの。でも、そんな中にも、純な心や思いやりが時に隠れていたりもする。それは、老若男女を問わぬものであるし、場合によっては人ならぬ身のものでさえも・・・。

現代にあっては、それらの人間の特徴は、鼻白むものでもあるかもしれねども、舞台は中国唐代の長安や洛陽。怪異、怪奇が程よく混じって、魅力的な奇譚集となった。

目次
鳩胸(きゅうきょう)
雲鬢(うんびん)
股肉(こにく)
狐弟子(きつねでし)
石榴缶(せきりゅうかん)
碧眼視鬼(へきがんしき)
鏡像趙美人(きょうぞうちょうびじん)

「雲鬢」
髪結いにして盗賊である丹桂が初めて想った女、芸妓の季玉が、前途洋々たる新進士様、思安に嫁ぐのだという。芸妓が科挙に合格した進士に嫁ぐなど、例にないことではあるが、思安は道を踏み外した彼を支え、正道に戻した季玉の恩を、彼女を娶る事で報いようというのだ。
さて、思安の昔の悪い仲間たちの話から、偶然、季玉の危機を知った丹桂は、彼女を救い出すが、巻毛であったはず季玉の長い髪は、清水のように真っ直ぐな髪に変わっていた。「あんた、いったい何者だ」。
でも、ここから更に一ひねり! 最後を読んでうーん、となる。

「狐弟子」
洛陽城中の敦化坊は全真寺なる破れ寺に、狐の化身と名高い毛潜と名乗る老人が住み着いていた。境内にある楡の大木の虚は狐の村に通じていて、その村の一等地には毛潜の豪邸があるとの専らの噂。
さて、毛老人の元に、孝児と名乗る痩せこけた少年が、狐になりたいと弟子入りを志願する。毛老人はいいように孝児をこき使うのであるが・・・。
狐になりたいと真摯に願う孝児に、柄にもなく同情する毛老人とは反比例するように、逞しくなっていく孝児がいいんだ。毛老人もいうように、孝児は既に、なかなかどうして立派な子狐ではありませぬか。

「石榴缶」
幽鬼を腹の中に取り込んだという、蘭圭少年。彼は見目の良い姉、瑞芳と組んでの卜占を生業としていた。零落寸前の医家の息子、恒之は、偶然にこの姉弟と知り合い、成り行きで武后の実母、栄国夫人の元に、頭痛を治す名医として父を送り出す事になる。
実を言えば、蘭圭に取り付いた幽鬼は、彼が恒之に話したような非力なものではなかった(なんてったって、彼自身が幽鬼だったのだから!)。そしてまた、卜占によって幽鬼が手を出しても出さなくても、人の運命の大きな流れは変わらない。それはもう決まっていることなのだから。しかしながら、端から眺めただけの運命の浮沈に、当人が感じる幸福の度合いは必ずしも左右されない。幽鬼は人間に、長い時の中の極点ではなく、須臾の間に幾度でも幸福を感じる才を請い願う。

「吃逆」/探偵はしゃっくり癖の進士様!

 2006-10-29-21:17
?
森福 都 吃逆 ?

時代は宋朝。第二百七十四位で科挙の試験に合格した私こと陸文挙は、合格はしたもののそれは第五甲という下位での合格であり、これでは仕官さえ儘ならない。ところが、陸には奇妙な特技があった。それは、吃逆(しゃっくり)と共にやって来る白昼夢とも言うべきか? しゃっくりをするた度に、彼には奇妙な光景が見えたり、とんでもない思い付きが浮かんで来るのだ。

さて、彼の奇癖を知った周季和という男から、『?話小報』なる小冊子の偵探としてスカウトされた陸。陸は周とともに、開封の都を騒がす噂の謎に迫り、いつしか付いた渾名は「吃逆偵探」。進士様の箔を借りた『?話小報』であるが、編集人である周季和の切れ者ぶりは凄まじく、実際はどちらが「偵探」なのか分からなかったりもするのだが・・・・。

勿論、男ばかりが出てくるむさ苦しい話ではない。物語を彩るのは、陸が惚れ込む、珠子楼の看板厨娘、宋蓬仙。陸の想いを知ってか知らずか、宋蓬仙と周季和には浅からぬ因縁があるようでもある。陸の想いは、蓬仙の想いは果たして実を結ぶのか?

目次
綵楼歓門
紅蓮夫人
鬼市子

「綵楼歓門」
男女の投身現場に偶然にも居合わせた陸。それを知った周季和から、偵探役を請われた陸は、周とともに投身の謎に迫る。この男女の投身事件には、それ以前にあった二人の妓女の投身にも関係しているようで・・・。
吃逆偵探として名を馳せた陸は、開封府知事の劉公に面会叶い、司理参軍として念願の仕官がかなう事になる。しかし、これもまた、実は周季和の引いた絵の中にあったのかもしれない。

「紅蓮夫人」
天子が鑑賞する水上演芸、「水百戯」に抜擢されるのは非常に名誉な事。梁大礼使による大選抜会に召しだされた、若手絡繰師の干敏求が操る絡繰人形は、「紅蓮夫人」という名の妖艶な人形だった。ところが、人形とともに、蓬莱島の雲輝亭に唯二人、取り残される事を望んだ梁大礼使が、何と刺殺されてしまう!
どこか尋常ならざる色欲を持っていたと評判の梁大礼使、彼は人形の唇を貪り、あまつさえ人形に挑みかかったのか。梁大礼使を殺したのは、人形の首から弾け飛んだ鉄線なのか? 常とは違う様子の周季和に、心を痛める宋蓬仙。そうとなれば、勿論「吃逆偵探」陸文挙も黙ってはおられないわけで・・・。
母親の影響ゆえか、悪女であればある程、心惹かれてしまうという周季和。泥土の中から必死に頭を擡げる蓮のような「紅蓮夫人」が哀しい。

「鬼市子」
鬼市子とは幽霊市のこと。冥界での必需品を整えるために、亡者同士が取引を行うとされる場所。五更の街鼓前から露店が立ち並び、夜が明ける頃には畳まれるという、旧鄭門の前で行われる市を、周とともに訪れた陸文挙。それは、盗品や世にも不思議な珍獣の宝庫であるという、市の風聞を確かめるためであった。
さて、周季和一筋であるかと思われた宋蓬仙に、籠物商の男、賀延賢という影がちらちらと見え、陸文挙は気が気ではないが・・・。
また、都の名物夫人、王夫人の死から始まった事件は、思わぬ余波を引き起こす。その昔の皇后、郭后の死や、呂宰相、陸の上司である劉公をも捲き込んだ噂となる。

綵楼歓門あたりは、「吃逆」の出番があまりにも多いため、ん?と思われる向きもあるかもしれませんが、紅蓮夫人からはきっとこの物語に引き込まれるはず! ここに至っても、うーむ、今ひとつ、と思われても、これは是非、鬼市子まできっちり読んで欲しい物語。あちらこちらに散りばめられたピースがぴたぴたと嵌まる様はまさに快感。こういうのに弱いんだよな。陸文挙が見た白昼夢、白い猿がするすると木を登る様子も印象深い。

どこまでもお人よしの一途な男、陸文挙、眉目秀麗であるけれど、どこか幸薄そうな周季和。どちらに肩入れして読むかは人それぞれだとは思いますが、私は最後に至って周季和の魅力にヤラれました。んふふ、こういう陰のある色男もいいよなぁ。続きも読みたいところなんですが、続編はないのですかね? 陸文挙の思いは果たして届くのかなー。

 ← こちらは文庫

「小泉武夫の世にも不思議な食の世界」/押し寄せる、美味、うま味、コク味の洪水

 2006-03-29-20:08
「中国怪食紀行」 が凄まじかった小泉教授。いや、こちらの本も凄いです。
ある意味では、「中国怪食紀行」を凌ぐ部分もある。

小泉 武夫
小泉武夫の世にも不思議な食の世界―おれの愛した肉と魚
日本経済新聞社

帯には「わが胃袋に「未消化」という文字はない! 見てびっくり!食べてビックリ!「地獄極楽」激食紀行」とあり、この表紙にあるような様々な食材(上から左回りで、センザンコウ、カニ、鮟鱇、マグロなどなど)を、またしても喰って喰って食い尽くす一冊。「中国怪食紀行」では食と薀蓄を比べると、薀蓄のウェイトが高かったけれど、本書は「食べる」方に若干ウェイトが傾いてる感じ。

あとがきによると、偶然ではあるけれど、本書は「中国怪食紀行」の兄弟的紀行書なんだそうな。写真が豊富に載せられている所も、似た印象を受ける一因かもしれませぬ。

目次
おれの愛した肉と魚
【第1話】牛肉に昇天
【第2話】オキナワは美味しい
【第3話】オキナワは美味美味
【第4話】カニ食い大魔王
【第5話】我が輩はドクター・エビスキー
【第6話】ウイグルで羊を食べ尽くす
【第7話】中国は豚の王国
【第8話】干物は官能的
【第9話】粗は宝だ!!
【第10話】壮絶!マグロの解体
【第11話】スッポンの嘆き
【第12話】塩湖は眩しい
【第13話】鮟鱇に舌ったけ!!
【第14話】忘れえぬ味
【第15話】富津物語
【第16話】至福のフグ
【第17話】ミャンマーに首ったけ
【第18話】右利きのカツオ

第3話あたりまでは、少々豪快ではあるものの、今回は私が見ても美味しそうだなぁ、と思っていたのだけれど、第4話「カニ食い大魔王」辺りからは、メーター振り切ったような小泉教授に、やはりついていけません・・・、と思ったのでした。美味しそうと言うよりは、そのあまりに豪気な食べっぷりに、少々引いてしまう感じ。

カニ食い大魔王で、かつドクター・エビスキーの小泉教授は、三つもの渾名(曰く、カニクイザル、カニフキ(蟹吹き)、ムサボリビッチ・カニスキー)を頂戴するほどの無類の甲殻類好き! その食べっぷりは空恐ろしい。読んでいるだけで、エビカニの味噌にねっとりまみれて、お腹がいっぱいになりそう。

ここに出てくる食材は、どれもこれも新鮮で野性味溢れるもの。しかし、それはそれは豪快な状態で供されておりますので、普通の人間では、食欲をそそられるまでには至らないかも。そして、「おれの愛した肉と魚」であるだけに、愛と「コク味」がたっぷり、豚骨ラーメンのような一冊(そんなわけで、少々濃くくどくもあるよ。笑)。

「中華文人食物語」/南條竹則氏の薀蓄いっぱい

 2006-03-13-21:07
南條 竹則
中華文人食物語
集英社新書

これまで、「猫城 」、「酒仙 」などの南條作品を読んできて、その背後には恐るべき量の薀蓄があることを感じていたのだけれど、物語の中では薀蓄はあくまでさらり。そんなわけで、南條さんは薀蓄をもっと聞きたい!と思ってしまう稀有な作家。

そして本作では、その薀蓄の数々が滔々と流れ出る!
(いや、語り口は、割とつらつらと、なんだけど)

目次
東坡肉
蘿蔔漫談
覇王別姫
一字乾坤

チャプスイの話
馬肝
犬と魯智深
憎い敵を食べる話
袁枚と王小余

そうだなー、南條さんは、気軽な軽装版であり、独酌の肴にでもしておくれ、と書いていらっしゃるのだけれど、こう、目次を見ても分かるかな。情けないけど、漢字が難しくてですね、ちょっと読み進むのに苦労しました。漢字は書けないものでも、読むのは大丈夫!と思っていたのだけど、いや、読むほうも全然駄目になってました・・・。

興味深かったのは、「蘿蔔漫談」と「一字乾坤」、「憎い敵を食べる話」の章。

「蘿蔔」は、「らふく」とふってあるけど、中国語では「ロオポ(luobo)」と読み、これは大根のこと。日本の大根のように辛くはなく、むしろ果物の一種のように取り扱う。これに絡めて語られる話の一つ(薀蓄はまだまだあるのだ~。笑)は、張果老という”八仙”の一人が子供の頃のお話。何とも大らかな伝承で、こういうお話、好きです。

一字乾坤」は、海鼠の料理の名前。ナマコには頭も尻尾もない。故に初めもなく、終わりもない。”乾坤(宇宙)”と同じだというわけ。海鼠が宇宙か~と思うと、ちょっと遠い目をしそうになりますが、かっこいい名づけ方だよなぁ。

憎い敵を食べる話」は、まさに文字通り! 憎い敵、食べたいですか? 南條さんも書かれているけど、食べちゃいたいほど好き、というのはあっても(?)、憎いから食べたいというのはあまりないように思うのだけれど・・・。中国には料理となって、今でも食べられ続けている人たちがいる。その一つは油炸檜。宋の時代に、敵国と密通して、忠臣を殺害した秦檜夫婦の不正を憎むあまりに、人々が彼らに見立てて小麦粉で二本の棒を作り、油で揚げて「釜茹での刑」にすることで恨みを晴らしたため、この名前が付いているのだそうな。もう一方、秦の始皇帝もまた、チョウザメの骨となって、二千年以上煮たり揚げたりして、食べられている。まったく、「恨みというものは買わないに如くはないネ」なのであります・・・。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。

「中国怪食紀行」/舌の冒険家、小泉教授、中国を喰らう

 2006-01-31-09:59
小泉 武夫
中国怪食紀行―我が輩は「冒険する舌」である

目次
まえがき
中国地図
【第1話】赤い色が似合う国
【第2話】犬を食す
【第3話】涙に咽ぶ魚です
【第4話】君知るや究極の蛇の味
【第5話】鶏がとっても旨いから
【第6話】草の子たちに成仏あれ
【第7話】虫は胃のもの味なもの
【第8話】永遠の熟鮓(なれずし)
【第9話】茶の国は知恵深し
【第10話】醸して変身
【第11話】豚は家族の一員である
【第12話】牛肉がいっぱい
【第13話】蘇れ珍獣たち
【第14話】悠久の蒸留器
【第15話】食うことは豊かさの象徴
【第16話】傘を差して大をする
【第17話】路上は今日も大らかなり
【第18話】スッポンと宰相
【第19話】ヤシガニの涙
【第20話】名酒は老窖(ラオチャオ)より出て胃袋に収まる
【第21話】朝の一杯、夜の三回
【第22話】焼鳥はごゆっくり
【第23話】曲は音楽にあらず
【第24話】愉快な職人たちに幸あれ
あとがき
解説 中島らも

目次と副題、『我輩は「冒険する舌」である』、これが全てを物語っていますが、豊富な写真とともに舌による冒険譚が語られています。

大きく分ければ、ゲテモノ系、専門の醸造学・発酵学関係、薀蓄系という感じ(16話、17話などは、暮らしぶりとでもいいましょうか)。何れも軽妙な語り口で書かれており、豊富な写真と相まって、スライドを見ながら、人気教授の講義を受けているような気分になります。

「椅子と机以外の四足は全部食べる」という中国の食。第13話第19話では、希少動物の話が出てきます。保護はされていても、山中までは政府や地方行政区の管理と監視が行き届かないようで、「珍しい」という価値でもって、希少動物が食材として取引される事も珍しくないそうです。食の冒険家であり、冒険する舌を持っているといっても、それは何でもかんでも食べるということではなく、考えながら味わう舌でなければならない、と教授は書いておられます。広い中国、監視を行き届かせるのも、並み大抵の労力では難しいのでしょうか。

物珍しく、面白かったのは、第20話第23話。中国はひとり、つぼや桶、タンクといった容器を必要とせず、土に穴を掘って、それを器にして酒を醸してきた国なのだそうな。当然、液体であれば、土の中に染み込んで無くなってしまうわけで、これは原料が液体ではないからなせる業。原料の穀物を蒸して、それを窖(チャオ:前述の土に掘った穴)の中に放り込んで発酵させる、固体発酵による酒造りを行っている。主原料は蒸した穀物、これにレンガ状の乗黶iチュイ:麹のようなもの、「曲」ということもある)を砕いて混ぜ、その上に土を被せて土饅頭をつくる。窖の中で、乗黷フ糖化酵素の作用によって、主原料の穀物のデンプンが分解されてブドウ糖になり、ブドウ糖に窖の壁や煉瓦に付着していたアルコール発酵を起こす酵母が作用して、アルコールが生成される。その後、これを掘り出して蒸留するのであるが、このように水を使わないために、中国の白酒は、酒精度の強い酒が生まれてくるというわけ。

この独特の製法により、得られた蒸留酒(白酒)には多種多様の個性を持った香味がついており、これを分類するのに、中国には「香型(シャンシン)」という分類法がある。香により酒を分類するのは、世界でも実に稀なこと。また、アルコール度数が高いお酒が得られるために、抽出力が高く、多種多様の薬酒が生まれる下地となった。

私にとっては非常に面白い本でしたが、蛇や虫、(食用としての)犬の写真などが、かなりあっけらかーんと出てきますので、これらが苦手な方にオススメはいたしません。「美味しそう!」とか「食べたいなぁ」と思うものは、実はかなり少なかったりもするのですが、世の中には色々な食べ物があるもんだなぁと、興味津々、面白い本ではありました。

←こちらは、日本経済新聞社による単行本。

単行本の写真の方が少しハードでしょうか。上に上げた光文社・知恵の森文庫のものは、「93:ある食堂の風景(脂肪つきの豚の皮、開いて干した鶏肉、栓抜き、金網、柄杓、干した豚の内臓が壁にかけられている)」が、単行本の方は、「45:角つきの顔も材料(農耕民族の町の自由市場で売られていた、山羊の角つきの顔の皮)」が表紙となっているようです。文庫の方は一見何だか分かりませんが、単行本の方は如何にも怪しげですよね。

「流れる星は生きている」/戦争の中の個人

 2005-09-05-09:27
藤原てい「流れる星は生きている」ちくま少年文庫

「TBステーション」のテーマは、「本を読んで戦争を思う」。以前書いた「太陽の子」 の記事をTBしていたのだけど、間に合いそうなのでもう一冊。 「戦争」は、それまで平和に暮らしていた個々人に、過酷な運命を強いるものだと思う。またその苦しみは、ただ爆撃にあった時、出征した時だけでなく、長く長く続く。
***************************************************
「流れる星は生きている」は、満州からの「引き揚げ」を綴ったもの。新京市(旧満州国首都で、今の長春)から南下して朝鮮にはいり、さらに朝鮮半島を北から南へ縦断して、祖国を目指す(途中、三十八度線は分断される)。ソ連参戦の昭和二十年の八月九日の夜から書き始められており、あと少しで終戦という所から、一年と少し、この過酷な日本への道行きは続く。

目次
第一部 涙の丘
 駅までの四キロ/夫との別れ/無蓋列車/終戦の日/夫との再会/
 新しい不安/夫よ、どこへ/涙の丘の上/無抵抗主義/流れる星は
 生きている/いまぞこいしき/氷を割る音

第二部 教会のある町
 丘の下へ/墓場からきた男/歯形のついたおイモ/白い十字架/春
 風に反抗する/こじきと同じもの/ふるえる手とくちびる/人形作り/
 温飯屋の手つだい/ふたりの子どもと、ひとりの子ども/引き揚げ
 の機運動く/団体の分裂

三部 祖国目指して
 赤土のどろの中をもがく/凍死の前/かっぱおやじのはげ頭/市辺
 里に着く/草のしとね/川をわたる苦しみ/死んでいた老婆/三十八
 度線を突破する/アメリカ軍に救助される/議政府に到着/釜山にて/
 上陸の日

解説 敗戦が生んだ物語の意味 澤地久枝
**********************************************
この話は、前述のように、新京の夜から始まる。 当時二十七歳の著者の、夫(当時新京観象台勤務であった作家新田次郎氏)と離れ、六歳、三歳、一ヶ月の子どもを連れての過酷な道行き。目次からもこの道行きの過酷さが分かるだろうか。

著者が所属した観象台疎開団は、まさに女子供ばかりの構成。どこの疎開団も男性が招集され、やはり女子供が多かったようだけれど、男手の無さが致命的な場面が何箇所も出てくる。

 男子(おとな) 一名(病がちなため、残された)
 人妻      十六名
 娘        一名
 未婚老婦人  一名
 子ども     二十名
 計       三十九名

タイトルの「流れる星は生きている」は、南方のある部隊で作詞作曲された歌からきている。教えてもらったこの歌を、疎開団の人々は折に触れて口ずさむ。

極限の状況で、人々が見せる姿もまたすさまじい。著者は男の言葉遣いになり、子どもをどなりつけ、何とか辛い旅を生き延び、母子四人揃っての帰国を果たす。読んでいると、この帰国はほとんど奇跡であると感じる。

解説の澤地久枝氏の言葉より。

これを、日本の母の強さの記録と読むこともできるでしょう。しかし私自身は、ここまで母と子を追いやった責任は、いったいどこにあるのかを考えたい気がします。生きては帰れなかったたくさんの命にかわって―。
そして、そう考えてみることが、個人の体験を歴史的体験にたかめ、語りつぐ財産とする一つの確実な方法であると思っているのです。

敗戦時の混乱の中、日本政府はこれら外地にいた人々を見捨てたのだ。彼らは国の勧めで植民地に居住していたけれど、現地の人々にとっては、日本人はただの侵略者であったのに。灰谷健次郎「太陽の子」も、日本政府に見捨てられた沖縄の話。満州から帰ることがかなわなかった人々の話は、山崎豊子「大地の子」 へと繋がる。

第一次世界大戦中のカナダの話なので、TBステーションのテーマとは少しずれるかもしれなけれど、「アンの娘リラ 」もまた、戦争を考えさせられる本だ。
藤原 てい
流れる星は生きている  ←ちくま少年文庫版は品切れだったので、画像が出たものを載せています。

次男の正彦さんは、後の数学者・藤原正彦さん。

藤原先生による本はこちら → 「心は孤独な数学者

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「大地の子」/痛い

 2005-07-18-08:49
山崎豊子「大地の子1~4」

実は山崎豊子さん、これが初読みなのです。何となく読まないままにきてしまった作家さんって、考えれば結構多い。これは義父からお借りしました。

この小説は、所謂中国残留孤児である、陸一心の過酷な生涯を辿ったもの。フィクションではあるけれど、緻密で丹念な取材により著されたもので、この中には何人もの姿が投影されている。

■満州開拓団の描写では、藤原てい「流れる星は生きている」を思い出した。あちらも想像を絶する苦難の旅だったけれど、「流れる~」では何とか帰国を果たしている。「大地の子」を読んで、帰国出来なかった場合、もっと悲惨な運命が待っていることを知った。

■文化大革命下における、労働改造所の場面では、篠田節子「弥勒」を思い出した。無能な指導者による、理屈、知識を無視した労働の暗澹たる姿。共産主義は人を大事にするといいながら、特権階級を生み出し、人間をないがしろにするのはなぜだ?

日中共同の大プロジェクト「宝華製鉄」建設では、建設への熱意という点で、吉村昭「戦艦武蔵」を思い出した。しかし、随所で出てくる「中日友好(ここでは、日本の一方的譲歩を意味する)」や、この一大プロジェクトすら政治の一齣として利用する、老獪な政治家など、日中関係(この場合、中日関係というのだろうか)の難しさを感じさせる。

何か事がある度に、「日本人」として疑われ、嫌われ、利用されながらも、「大地の子」として生きる決意を固めた、陸一心の心中は如何なるものか。「痛い」小説。

解説によると、山崎氏はインタビューに答えて、「テーマは、戦争が個人に与える運命」と語っている。これだけ色々なテーマを絡めて、一つの流れとして小説にした、山崎氏の力量は凄いものだと思う。過酷な運命を与えられている人々は、決して減ってはいないのだろう。世界各国に、その土地の「大地の子」が存在しているように思う。悲しいことだ。

山崎 豊子
大地の子〈1〉
吉村 昭
戦艦武蔵

「中国の賢いキッチン」/食べる

 2005-07-12-08:20

原口 純子
中国の賢いキッチン

読むだけで実践してないじゃん!、と自分に突っ込みたくなってしまうのですが、頭の片隅にでも情報として残っていればいいのよ、と自分に言い訳。日常料理をするものとして、医食同源に興味があったのです。

この本によると、医食同源の基本は、以下の四つ。
1  食べ物には「性」がある
2  「性」がかたよらないように食事を選ぶ
3  季節にふさわしい食事を選ぶ
4  体質・体調にふさわしい食事を選ぶ

1、2は少し知識がないと無理だけれど、3、4などは皆さん、普通にやっておられることでしょうか。文も丁寧で、写真も綺麗(「中華、ジャーン!ドーン!」という感じではないのです)、眺めているだけでも楽しい。簡単レシピもついています。

この人たち、一体何を言っているんだろう・・・・・・・?そう思った瞬間が、テーブルの上の料理に秘められた中国の古い知恵との出会いでした。不思議に思ったその時から少しずつ、本を読んだり、漢方の先生の講座を聞いたり。この街では、ふだんの料理の一つ一つにも、漢方医学の医食同源に基づいた知恵が生きていることがわかってきたのです。

目次
まえがき
賢い一
医食同源が根付いている中国の生活
「元気の素は暮らしの中にありました」
賢い二
21世紀にも生きている中国伝統の健康法
「かんたんな習慣が、元気でキレイな体を作っていました」
賢い三
街にあふれる賢い食文化の風景
「美味しさは楽しい暮らしから生まれていました」
賢く飲んでキレイになれるお茶
賢くって美味しいレシピ集

暑い日が続いています(九州地方などでは、雨が大変でしょうか)。夏には「きゅうり」、「トマト」が旬であることは勿論、これには体の余分な熱を冷ましてくれる性質があります。ここまでは良く聞くと思うのですが、生のままだと体に強い作用がありすぎるので、熱い料理にするのが「中国の賢い食生活の知恵」だそう。レシピが載せられているのは、「きゅうりの中華炒め」「卵とトマトの炒め物」

その他、「湿気」を取る食物では、「緑豆粥(リュドウジョウ)」(直径1ミリくらいの小さな緑色の豆を、ぜんざい風にほんのり甘く煮たもの)、「ハトムギ粥」「とうがんのスープ」「メロン」「スイカ」などがよいそうです。

「中国式ダイエットのステップ1は「排出」です」という節なども興味深い(小豆や緑豆のお粥が効果的とのこと。あくまで主食の一つとして)。あ、でも更に「「物申す!」は立派な「排出」ダイエット法」という節に続きますので、「不必要な我慢をしない」「言いたいことを言う」というのも、立派なダイエット法であるようです。

今日の夕飯は中華にしようかなぁ「夏だからこそ、もっとスープを」も美味しそう。でも「冷たい飲み物」はやめられません・・・(体を冷やすので、冷たいものは体に入れてはいけないとのことなのです。・・・ビールだけの話じゃないですよ。冷たい麦茶も大好きなのです)。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら御連絡下さい。
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

掲示板その他リンク

ユーザータグ
最近の記事
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

RSSフィード
カウンター

月別アーカイブ
検索エンジン情報
Googleボットチェッカー Yahoo!ボットチェッカー MSNボットチェッカー

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。