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「知床・北方四島」/流氷の秘密

 2008-10-21-06:32
知床・北方四島 カラー版―流氷が育む自然遺産 (岩波新書 新赤版 1135)知床・北方四島 カラー版―流氷が育む自然遺産 (岩波新書 新赤版 1135)
(2008/05)
大泰司 紀之本間 浩昭

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微妙に挫折本なのだけれど、一応メモ。岩波新書のカラー版って好きなんですよね。写真豊富だし、読みやすいし。ところが、ここのところ、色々な本に挫折している私。アザラシかわいー!、ヒグマ迫力あるー!、とパラパラめくりつつも、本としては完全には読めませんでした。

でも、日本人的には当たり前だと思っていた、「流氷」というものが、ヨーロッパや北米からの観光客からは、「海が凍っている」と驚かれるというのが、驚きだったなー。北海道って日本の中では寒いし北の地方だけれど、世界的に見れば特に緯度が高いという場所ではないのだものね。海が氷で覆われるのは「南極か北極辺りだけ」と思うのも、当たり前といえば当たり前?

流氷はオホーツク海北西部の海上で十一月ごろ生まれ、次第に南へと張り出していく。知床半島をかわした後は、根室海峡を漂いながら二月ごろ太平洋へと流れ出て、五月には姿を消す。太平洋に注ぐ漏斗のこし口に当たるのが、根室海峡や国後水道、択捉海峡となる。

勿論、流氷は「流」氷なわけで、実際にそこの海が凍ってるわけではないのだけれど、世界的に見ても、地理条件による特異な現象なんですね。でも、北の風物詩だし、ニュースの定番だから、特に不思議とも思わなかったんだよな。

そして、流氷は豊富な植物プランクトンを連れてきて、それが豊かな連鎖を作りだすのだとか。流氷あっての、あの豊かな自然環境なんですね。自然環境といえば、返還されない方が自然は守られる、というような考え方が通用したのは、旧ソ連時代までの話なのだとか。米原万里さんの本を読んでいても、旧ソ連時代というのも、悪いことばかりではなかったんですねえ。
目次
 はじめに
第1章 流氷が育む生態系
第2章 海と陸との意外なつながり
第3章 地球に残された「最後の秘境」
第4章 生態系に迫る脅威
第5章 自然遺産を守るために
 おわりに
 主な参考・引用文献
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「ミノタウロス」/けだものの子ら

 2008-07-11-00:40
ミノタウロスミノタウロス
(2007/05/11)
佐藤 亜紀

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最近思うに、その世界に吹いている風が感じられるような小説が、私は好き。

表紙にもどこまでも広がる麦畑が見えますが、これはこの草原に吹く風が感じられるような物語でした。爽やかな風ではなく、それはむしろ荒涼たる風なんだけど。

語り手は、”しみったれた出のどん百姓”から地主に成り上がった父を持つ、少年ヴァシリ。母親は父の地所であるミハイロフカに慣れることなく、キエフへと去って行った。兄もまた、幼年学校から士官学校へと進み、ミハイロフカを出て行った。ヴァシリは父と、父の共同事業者とも言える土地の大旦那シチェルパートフと、ミハイロフカの地所、麦畑を見て育つ。お気に入りの兄の他に、もう一人息子がいたことを思い出した母により、教育のためキエフに呼び出されるまでは。

人間の尊厳なぞ糞食らえだ。ぼくたちはみんな、別々の工場で同形の金型から鋳抜かれた部品のように作られる。大きさも、重さも、強度も、役割もみんな一緒だ。だからすり減れば幾らでも取り換えが利く。彼の代わりにぼくがいても、ぼくの代わりに彼がいても、誰も怪しまないし、誰も困らない。

早熟で多分に厭世的でもあった少年ヴァシリ。勿論、地方の大旦那の家の次男としては、これは特に問題のない考えであったのだけれど…。

時代は変わっていく。砲弾によって顎半分を失った兄は、ミハイロフカへと帰ってくる。ペテルブルクのツァーリが帝位を追われても、ミハイロフカの生活はそう変わらなかったけれど、父の死はヴァシリの生活を変える。当初はシチェルパートフの協力を得て、父の遺産の上でぬくぬくと無為に過ごしていたのだけれど…。

身の不始末と”革命”騒ぎが重なって、ヴァシリは父の屋敷を焼け出される。ヴァシリ兄弟は、シチェルパートフの屋敷に身を寄せるが、更なる不幸が彼らを襲い、またしてもヴァシリの前から、一人の人間が去って行く…。

このあたりから、早熟でこまっしゃくれていて、口ばかりで誠意がないヴァシリの本性が段々とあらわれてくる。時代が時代であれば、ヴァシリもこのまま生きていくことが出来たのだろうけれど、情勢はそれを許さず、この後ヴァシリは色々なものを剥ぎ取られ、その本性のみが明らかになっていく…。

ミハイロフカを追われたヴァシリは、二人の同行者を得る。ドイツ人ウルリヒ、百姓の子、フェディコ。あとはひたすらに殺しと略奪の日々…。彼ら三人には奇妙な連帯感はあるものの、友情と呼べるものはない。動けないほどの大怪我となれば、たぶん彼らは躊躇なく仲間を捨てていくし、自分を助けるために仲間を裏切りもする。そうして、終にこのある意味で高揚した彼らの生活も終わりをつげる。残されたものは何だったのか??

正直、例によって、歴史的背景を理解して読めたとは言えず、ひたすらに続く殺しと略奪には、一部引いてしまうところもある(いっそ陶酔したヴァシリによって語られるその様は、実は時に美しかったりもするのだけれど)。何が言いたいのか、汲み切れなかったところもある。それでも、どこか心惹かれてしまうところがあるんだよな~。佐藤亜紀さん、また他のものも読んでみたいと思います。

「猫舌男爵」/魅惑の舌触り

 2007-08-31-22:49
猫舌男爵猫舌男爵
(2004/03)
皆川 博子

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人を食ったようなタイトルに惹かれて借りてきた、皆川さんの本です。味も舌触りも異なる五本の短編。どれもいいなぁ、流石、皆川さんだよなぁ、と一人頷いてしまいました。

目次
水葬楽
猫舌男爵
オムレツ少年の儀式
睡蓮
太陽馬


好きだったのは、「猫舌男爵」と「睡蓮」、「太陽馬」。
水葬楽」は侏儒が奏でる音が印象的であり、「オムレツ少年の儀式」はやはりここで小道具はオムレツでなくてはならないよなぁ、と感じました。ふわふわと調えられたオムレツって、なんか幸せではありませんか?

■「猫舌男爵
これは、ヤマダ・フタロのニンポをこよなく愛する、ヤン・ジェロムスキなる人物による翻訳本。
ヤマダ・フタロの本を漁る内、彼の手に入ったのはハリガヴォ・ナミコ(針ヶ尾奈美子)が書いたという短編集、「猫舌男爵」。日本語を学ぶ彼は、この本を訳すことに決めたのだが…。翻訳をするには、語学力に激しく難があるジェロムスキは、周りの人間を巻き込みながら、翻訳とは言い難い本を著すことになる。そして、更にこの本が与えた悲喜こもごもとは…。
老日本語教師、コナルスキ氏の怒りから受容の様子が面白かった。うん、まぁ、その生活もありだよね。
山田風太郎は、昔から面白い面白いと聞いていて、十年ぐらい前に一度チャレンジしたんだけど、ダメだったんだよねえ。今だったら、何とかなるかしらん。

■「睡蓮
ある狂女の物語。美貌と美術の才能に溢れるエーディト・ディートリヒは、なぜ「狂女」となってしまったのか。時系列を遡る書簡や日記がスリリング。

■「太陽馬
敗走中のドイツ兵が語る現況と自らの歴史、彼らが閉じ籠った図書館にあったという、言葉ではなく指弦を操るという一族の物語が交錯する。
最初は読みづらくて、取っつき難かったんだけど、読み終わった今、これが一番心に残る。

敗走中のドイツ兵である「俺」。今ではドイツ兵と共に行動している「俺」だけれど、俺の出自は、トルコ語で<豪胆なる者、叛く者、自由なる者>という意味を持つ、コサックの民。皇帝に忠誠を誓う、気高く誇り高き民。
広大な土地を有する富裕なコサックの子に生まれた「俺」は、戸外では常に馬上にあり、そして疾風を、陽光を楽の音に変え、言葉なき歌を歌った。幼き幸せな日々。しかし、運命はコサックを襲う。コサックが忠誠を誓った帝政は倒され、彼らコサックはボリシェヴィキに容赦無く襲われる。それは姉と結婚することで、ドイツ人からコサックとなった、義兄もまた…。
忠誠を尽くすべき皇帝を失い、また義兄を最悪な形で失った「俺」が新たに尽くすのは、ドイツ軍将校である「少尉殿」。崩れかけた図書館に潜伏中の彼らの手に、降伏勧告書がもたらされた。大尉、少尉、従軍牧師、ユーリイ、俺。俺たちはどう動く?

取っつき難かった主因でもある、この中で語られる指弦を持つ一族の話がまた魅力的でねえ。言葉では表しきれない響きや感動が、きっと世の中にはある。それは「俺」が馬上で歌った言葉なき歌と同じ…。

さて、コサックといえば、あの「コサックダンス」しか知らず、また騎馬民族といえばモンゴル!だった私にとって、「俺」が語る彼らコサックの歴史は全く未知の世界。ロシア革命含めて、もそっとその辺の知識が欲しいよ~。

「ペンギンの憂鬱」/孤独と孤独が寄り添って・・・

 2007-04-11-23:18

 

アンドレイ・クルコフ, 沼野 恭子

ペンギンの憂鬱 

売れない小説家のヴィクトル。短編はどうにか書く事が出来るけれども、中編や長編はとてもとても。ある日、短編を持ち込んだ『首都報知』新聞社で、ヴィクトルは奇妙な仕事を請け負う事になる。それは、新聞の死亡欄、<十字架>に載せる原稿を用意するということ。ヴィクトルがその原稿を書く際には、まだその人物は死んでおらず、ヴィクトルは新聞社のフョードルが集め、編集長イーゴリが赤線を引いた(その部分を必ず入れること!)人物の書類を使って、追悼文書きに勤しむ。

ソ連崩壊後のウクライナの首都、キエフに住むヴィクトルの生活は、このようにして安定していた。ヴィクトルの生活で少々変わったことがあるとすれば、それは彼がペンギンのミーシャと共に暮らしていたということ。動物達に十分な餌を与えられなくなった動物園から、譲り受けた皇帝ペンギンのミーシャ。憂鬱症のミーシャは、夜のアパートの廊下をぺたぺたと歩く。

大物政治家、財界人、軍人を題材とした<十字架>の記事は、順調に溜まっていく。自分の「仕事」がなかなか表に出ないことに、若干の苛立ちと不満を覚えるヴィクトル。ところが、彼が記事を書いた大物達が次々と死んでゆき・・・。

ヴィクトルとペンギン、ミーシャの暮らしに現れるのは、おそらくはギャングである<ペンギンじゃないミーシャ>、そのミーシャに託されたまだ幼い少女ソーニャ(表紙の彼女)、ペンギン、ミーシャの世話を頼んだことで仲良くなった、近所の警官、セルゲイ、セルゲイの姪でソーニャのベビーシッターとなったニーナ、<ペンギンじゃないミーシャ>のライバル、チェカーリン、墓地で出会ったリョーシャ。動物園を退職した「ペンギン学者」のピドパールィ。

どれもこれも、ヴィクトルが積極的に勝ち取った関係性というわけではなく、それは何とも淡い繋がり。彼らの背景の多くを知ることもなく、たとえ闇の部分が見え隠れしようとも、ヴィクトルは色々なことに目をつぶったまま、彼らと親交を結ぶ。それは後に、毎日を共に過ごすことになる、ソーニャやニーナについてもそう。まるで擬似家族のようなこの関係も、また淡いもの・・・。それは『これまでより悪くならないよう祈って飲もう。もう一番いいことはあったんだから』という言葉が現す、この国の情況によるものなのか? こんな社会情勢では、人は互いに深くを知る事のないまま、ほぼ惰性で何となく親交を結ぶ事になるのか。

<十字架>を書いた大物が次々に死んでいき、ヴィクトルの周辺もまたきな臭くなっていく。ヴィクトルは自分が何か良くない事に加担している事に薄々気付きながらも、それについては固く目をつぶったまま。ヴィクトルに関係する死、関係しない死、様々な別れがあっても、それなりに安定しているこの暮らし。このままでどこがいけないのだ?

ヴィクトルが加担している「仕事」、背景で起こっている争いについては、ほのめかされる程度。でも、ソビエト連邦が崩壊し、マフィアが暗躍する、新生国家ウクライナの情況とは無縁ではないのだろう。自分がその大きな動きの中で、どんな役割を果たしているのか分からないまま、その出来事に巻き込まれていく。日本の小説でいえば、三崎亜紀さんの
『となり町戦争』 を思い出すのだけれど、となり町戦争』よりも、この『ペンギンの憂鬱』の方が読後のもやもや感は少なかったなぁ。あちらでは、結局戦争は続いていきますしね・・・(こちらも、その後、好転するかどうかは、全く分からないけれど)。

大きな良くない流れの中で、羽を休めて寄り添うように暮らす、ヴィクトルとペンギンのミーシャ、ソーニャとニーナが何だか切ない。孤独と孤独が寄り添っても、また男女の関係になろうとも、それはぬくもりにはなっても、愛情にまで燃え上がることはない。ヴィクトルはそこに愛情がないことを確りと自覚しているけれど、幸福な世界で出会ったのなら、彼らの関係性もまた異なったものになったのかなぁ。

「消えた太陽」/漂泊者たち

 2006-12-13-23:46
 
アレクサンドル・グリーン, 沼野 充義, 岩本 和久
消えた太陽 

目次
消えた太陽
犬通りの出来事
火と水
世界一周
おしゃべりな家の精
荒野の心
空の精
十四フィート
六本のマッチ
オーガスト・エズボーンの結婚

水彩画
森の泥棒
緑のランプ
冒険家
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ズルバカンから来た夢想の騎士 沼野充義

訳者あとがきによると、アレクサンドル・グリーンという作家は、「ロシア文学の鬱蒼たる森の片隅に咲いた、一輪の鮮やかな花」と言えるそうな。とはいえ、私はほとんど「ロシア文学」を読んだ事がないので、こんな文章を引いた所でなんとも言えない。「ロシア文学」は重厚だというイメージがあるけど、米原万里さんの本なんかを読むと、ロシア人はとっても小噺好きであるわけで、そういう変わった話もないわけではないと思うんだけど。

さてこの本の中では、超自然的なもの、人間の心の中に潜むもの。それらがある種の透明さを持って語られる。私が知っているイメージでいうと、ロシア映画「
父、帰る 」の中で見られた、美しくも厳しい自然のイメージ。透徹したイメージ。

幻想的であるんだけど、これまで親しんできたような、所謂幻想的な物語とは一味違う感じ。
章扉にあるロシア文字(キリル文字?)も、何だか私の中での異国情緒を盛り上げる。

沢山あるので、印象に残った何点かについて、少しずつ。

「消えた太陽」
ある金持ちの思い付きで、太陽を知らぬまま育てられた少年。初めて太陽を見た少年は??
初めて知る命の響き、色彩、広がり・・・。

「荒野の心」
ダイヤモンドの鉱床の発見に沸くある町に、三人のスノッブな男たちが居た。彼らはその才能でもってして、人々に伝説を語り、人々を煙に巻く。そこにやって来たのは、如何にもお人よしに見える男。三人は勿論、彼を騙しに掛かるのだが・・・。

「空の精」
ある飛行士の物語。彼は老飛行士の警告を聞き入れず、ポンマールの上空を通るのだが・・・。そこに居たのは、老飛行士の警告した通りの空の精だった。

「六本のマッチ」
嵐の中、四十二日間もの間、海上で漂流していた二人の男。一人の死は、もう一人の死をも呼び寄せる。死に行くボッスはメトラエンに葉巻を所望する。

「オーガスト・エズボーンの結婚」
幸福な結婚をしたはずなのに、新婚初夜からふらりと花嫁の元を去ってしまった男。
単なる気まぐれが、取り返しの付かない事態へと進行するが・・・。

「水彩画」
洗濯女のヒモ状態のクリッソン。今日も今日とて、ベッツィからクラウン銀貨をくすねようとし、諍いが始まるが・・・。クリッソンがたまたま逃げ込んだ画廊で、展示されていたのは彼らの家を描いた水彩画。

「緑のランプ」
金持ちの気まぐれ、ちょっとした楽しい悪戯。スティルトンは、行き倒れていた男に金を与える代わりに、決められた時間、同じ窓辺に緑のランプを灯す事を約束させる。
金持ちの気まぐれであったり、何か大事な物から逸れてしまったような男たちのコンビであったり。純真で疑う事を知らぬ清い心であったり、旅を重ねる冒険家であったり。何となく「漂泊者」という言葉が頭に浮かぶ。自分もまたふらふらと漂泊しているように感じてしまう、ちょっと異質な読書体験。

「真夜中の太陽」/米原万里さん

 2006-05-30-22:29
 
米原 万里
真夜中の太陽 
中央公論新社
(画像は、中公文庫)

「真夜中の太陽」とは一体何ぞや?

これは、暗闇が怖くて夜になるのが嫌だった、四歳の頃の米原さんに、お父さまがしてくれた話に由来する。この辺は土地柄が日本とは違うのだなぁ、と思うのだけれど、「隣の広大なお屋敷の奥からお化けや妖怪たちの鋭い目が怪しく光り、自分をつけ狙っているような気がしてならなかった」そう。

もとは、お父さまが寝る前にしてくれたおとぎ話。欲の皮の突っ張った馬鹿な男が、畑の収穫を上げるために、太陽を沈ませまいとして悪戦苦闘する。米原さんも目的は異なるけれど、おとぎ話の男と同じように、太陽に沈んで欲しくないと思っていたわけで、「太陽が沈む」ということに興味を持つ。子供を寝かしつけるためのおとぎ話だったはずが、いつしか地動説を理解させるための説明へ・・・。

その瞬間から、わたしの心の中に、地球の裏側で、ご機嫌な顔をして大地を照らす太陽のイメージが生まれた。真夜中の暗闇の中でお化けや妖怪たちに襲われそうになるとき、地球の裏側の太陽を思い浮かべると、彼らは退散してくれるようになった。
お化けや妖怪を信じなくなった今も、真夜中の太陽のイメージはわたしを励まし続けてくれている。目前の状況に悲観的になり、絶望的になったときに、地球の裏側を照らす太陽が、そのうち必ずこちら側を照らしてくれると思えば、気が楽になるし、その太陽の高みから自分と自分を取り巻く事態を見つめると、大方の物事はとるに足りないことになる。もちろん、その逆に、情け容赦ない太陽の光は、至近距離では、とるに足らないことが、実は人類全体にとって致命的プロセスなのだとあぶり出してくれることもある。

本書は、二十世紀末から二十一世紀初頭にかけて、いくつかのメディアに連載された文章を纏めたもの。いずれも、今現在の日本と世界の状況を、米原さんの目で見て、解釈したもの。

「真夜中の太陽」のエピソードを知ってからは、少々怖い事、嫌な事があっても、ご機嫌な太陽を背に、楽天的に物事に立ち向かう少女の像が、米原さんの後ろに見えて、何だか微笑ましくもあった。

ちなみに、「いくつかのメディア」とは、「婦人公論」、「ミセス」、「熊本日日新聞」、「公研」のこと。「婦人公論」、「ミセス」などは読んだ事がないのだけれど、そうか、こういった文章も載っているのか、と興味を覚えた。米原さんを選ぶとは、センスいいね、と・・・(米原さんの著作を二冊しか読んでないくせに、生意気ですが)。

非常に残念な事ですが、米原万里さんは25日午後1時12分、死去されたそうです。まだ56歳の若さでありました。ご冥福をお祈りいたします。「
オリガ・モリソヴナの反語法 」のような、骨太の物語をもっともっと紡いで欲しかった、と思います・・・。

 検索で見つけた、北海道新聞の訃報に
リンク

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「オリガ・モリソヴナの反語法」/オリガ・モリソヴナとは何者か?

 2006-02-03-09:44

米原 万里
オリガ・モリソヴナの反語法

約三十年前、チェコスロバキアはプラハ、ソビエト大使館付属八年制普通学校に通う、志摩たち生徒を虜にしていたのは、ダンスの授業を受け持つ女教師、オリガ・モリソヴナだった。オリガ・モリソヴナは、五年前も十年前も、自分の年を「五十歳」と言い続けていたらしい、七十歳にも八十歳にも見える年齢不詳の女性。服装はとびきり古風で、一九二〇年代には間違いなく新鮮で格好よかったであろうファッションを好む。二十世紀初頭には粋だったような帽子、顔面を覆うベール、付けボクロ、レースの手袋、大振りで大時代なアクセサリー・・・。ついたあだ名は「オールド・ファッション」。しかしながら、オリガ・モリソヴナはそんな他人の視線も、風評もそ知らぬ振りで、強烈な香水のにおいをふりまきながら、校内を傲然と闊歩する。

悪ガキ達も一目置く、オリガ・モリソヴナの授業では、反語法を駆使した濁声が飛び交う。「ああ神様!おお感嘆!まあ天才!」。「これぞ想像を絶する美の極み!。勿論これは、感嘆の言葉などではない。そして勿論、子供たちはこういう言葉、身振りにはいつだって夢中になる。オリガ・モリソヴナ固有のものかと思われる、おかしな諺のような言葉もふんだんに使われる。「下手な考え休むに似たり」に当たるであろう、思案のあげく結局スープの出汁になってしまった七面鳥」から、ここに記すのを躊躇するような言葉まで。

しかし、子供たちを夢中にしたのは、ただその言葉、身振りだけではなく、そのダンス教師としての天分だった。恐ろしげな顔と濁声さえなければ、完璧な美女ともいえる、スラリとした理想的な姿形の肉体が繰り広げる、しなやかで切れのよい身のこなし、踊る姿! 盛大に祝われる樅の木祭りにかけては、そのダンスにかける情熱で、学校中のほとんどを支配下におく。オリガ・モリソヴナのレパートリーはあらゆるジャンルを網羅し、ほとんど無限ともいえ、舞踊と名の付くものなら一切差別をせず、どの国の舞踊音楽をも弾きこなす。全八学年各クラスの群舞、ソロやグループ・ダンス、いずれもオリガ・モリソヴナが振り付け、稽古、編曲、伴奏をこなすのだ。

魅力的な教師であり、また謎めいた人物でもあるオリガ・モリソヴナ。謎といえば、オリガ・モリソヴナととても仲の良かった、エレオノーラ・ミハイロヴナもまた謎の人物であった。美しい銀髪を高く結い上げ、十九世紀風ドレスに身を包み、ほとんど絶滅した美しいフランス語を操る、エレオノーラ・ミハイロヴナ。彼女は志摩を見掛けるといつも、まあ、お嬢さんは中国の方ですの?」と小首を可愛らしく傾けるのだった。教師を両親に持つ、親友のカーチャに言わせると、この二人の教師はかなり異色の存在でもある。カーチャがプラハに来る際には、両親だけでなくその子であるカーチャまで、ソビエト本国の色々な機関の面接や面談に引き回されたのだという。風変わりな教師であるこの二人は、一体どうやって厳しいであろう審査をパスしたのだろうか?

オリガ・モリソヴナに夢中だった志摩は、親友カーチャ、ほとんど光速の伝達速度を誇るスヴェータ(「ヒカリちゃん」というような語感)とともに、オリガ・モリソヴナの謎解きに夢中になる。オリガ・モリソヴナとエレオノーラ・ミハイロヴナを「ママ」と呼ぶ、転校生の美少女ジーナ(どう見たって、孫のはずだ!)、凍るような美しい緑の瞳を持つ、志摩の初恋の少年、レオニードを含め、謎はより深まってゆく。謎解きといっても、そこは子供のすることでもあり、いくつかの断片を嗅ぎ取ったものの、やはり謎は謎のまま、志摩は日本に帰国することになる。

そしてこれは、大人になった志摩が語る物語。オリガ・モリソヴナによってダンスの魅力にとりつかれた志摩は、ダンサーを志したが、今ではその夢を諦め、少女時代に親しんだロシア語を生かして翻訳者をしている。少女時代、個性を重んじ、興味深い授業が展開されたソビエト学校時代から一転、画一的な日本の教育現場に放り込まれた志摩を助けたのは、生き生きしたオリガ・モリソヴナの白昼夢だった。ソ連邦が崩壊し、生活にも心にも余裕が出来た志摩の心に再びのぼったのは、少女時代に夢中になった、オリガ・モリソヴナの謎。彼女はモスクワにわたり、出会った人々の助けを借りて、再びオリガ・モリソヴナの謎に迫る。

オリガ・モリソヴナとは、一体何者だったのか?

気になったあなたは、是非この物語を読んでみて欲しい。非常に面白く、引き込まれる物語なので、きっと損はないはずです。全く馴染みのない世界であるのに、ソビエト学校の生き生きとした授業の様子、子供たちも魅力的。また先ほど、「面白い」と書いたけれども、実はこの物語には、「オリガ・モリソヴナ」の苦難の多い人生が隠されている。しかし、この苦難、困難を乗り越えた、「オリガ・モリソヴナ」の強さ、凛とした生き様が実に魅力的であり、それを踏まえて読むと、オリガ・モリソヴナの濁声の反語法もまた、更に魅力的に思えるのだ。骨太のいい物語でありました。

さて、余談ですが、日本のバレエ団の実情の話。これ、物凄く実在の人物とバレエ団をもじっている様に思うんですけど、気のせい? 名前が滅茶苦茶似てるんですよ。日本の中で、「踊り」で食べていくのは、確かにとても大変なんだろうけど・・・(特にバレエをやるなら、骨格が、とかね)。

← こちら、文庫です

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

■トラバが飛ばない「みすじゃん。」のおんもらきさんの記事リンク
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プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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