スポンサーサイト

 -----------:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

「黒龍とお茶を」/ティータイムをどうぞ

 2009-06-02-00:13
黒龍とお茶を (ハヤカワ文庫FT)黒龍とお茶を (ハヤカワ文庫FT)
(1988/07)
R.A. マカヴォイ

商品詳細を見る

表紙も超可愛いのに、出ないんですねー、残念。タイトルと表紙に惹かれて古本屋にて購入(ブックオフの100円本って大好きだーーー!!)

内容(「BOOK」データベースより)
娘のリズからの突然の電話。どうやら何かやっかい事に巻き込まれたらしい。母親のマーサは娘の窮状を救うため、はるばるニューヨークからサン・フランシスコへとやって来た。だが、リズの姿はどこにも見あたらない。娘の身にいったい何が起きたのか。不安を胸に娘を捜すマーサの前に一人の中国人が現われた。名をロングというこの初老の男、実は自分は太古の龍の化身だと言うのだが…。〈魔法の歌〉三部作で知られるマカヴォイが、奇妙な初老のカップルをシャレた会話とユーモアあふれる筆致でほのぼのと描いたモダン・ファンタジイの秀作。J・キャンベル新人賞受賞。

マーサは母親なんだけど、えらく軽やかで、言動だけ取ると、不思議ちゃんスレスレでもある。そんな彼女に、メイトランド・ロングは惹かれるのだが・・・。

ロング、ウーロン、彼は黒龍の化身でもあるのです。なんだけど、それですっごい強いかとか、ピンチの時に龍に変身するかというと、決してそんなことはなく。普通の人より丈夫(失血死しそうなところで、きっちりまだ動きまわってる)だったり、手の力がやたら強かったり(鉤爪なの??)はするんだけど、誘拐されたマーサを追う際にも、決して万能ではないんだな。

むしろすごいのは、彼を助けるPCオタクのフレッドなんじゃあ、と思ったり。でも、龍は物を収集するのがお仕事。コレクターたるロング氏の専門は言語なんです。言語繋がりで、コンピューター関連の言語も巧みに操っちゃうんですね。その辺り、む、やっぱり凄いんだな、ロング氏も。

思いっきりファンタジーしているかと言えばそうでもなく、それでも生々しくない恋情とか、コンピューターのお話とか、原語のエキスパートたる黒龍とか、程よくブレンドされた具合がとってもいい感じ。初老のカップルという辺りも、洒落てますよね。大森望さんの解説によれば、本書の続篇にあたる長編『縄をなえば』(Twisting the Rope)が発表されているそうなんですが、うー、amazonにはないみたい。昭和63年に発行されているこの本には、”本書ですっかりメイランド氏やマーサの魅力のとりこになってしまった人は、ハヤカワ文庫FTの編集部に続刊希望のお便りをどうぞ”とあるんですが・・・。ここで言っても仕方ないけど、続刊希望しますー!

次は、有名だという、〈魔法の歌〉三部作を読んでみたいなー。
スポンサーサイト

「グリフィンの年」/魔術師大学のキャンパスライフ

 2008-01-30-23:51

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ, 浅羽 莢子

グリフィンの年 上 (sogen bookland)

グリフィンの年 下 (sogen bookland)

ダークホルムの闇の君 」の続編です。続編があることは知っていたものの、でも図書館にはないしなぁ、と忘れかけていた頃に図書館で発見しました。

最初にこれを読んだ時は、グリフィンに両親の細胞が入っていて、だから子供達とグリフィンは兄弟なんだ、というあたりにクラクラしたもんですが、もう、今ではきっとこういうのを読んでも大丈夫。笑 「ダークホルムの闇の君」から舞台は八年後、今度はグリフィンのエルダが中心となります。あの悪名高き実業家、チェズニー氏によりテーマパーク化されていたこちらの世界も、何とか落着きを取り戻したところ。でも、エルダが入学した魔術師大学には、その頃の悪癖がイロイロと残されてしまっていて…。

表紙扉から引きます。

今年の新入生は問題児ぞろい。
北の国の王子に、南の皇帝の妹、魔術師の娘のグリフィンに、
革命家のドワーフ、首長国からきた青年に、出身を明かさない金持ちの娘。
いつのまにか仲良くなった6人だが、
じつはそれぞれに困った問題をかかえこんでいた。
一方、大学は、刺客がキャンパスに入りこむわ、
外套掛けは女子学生につきまとうわ、海賊は学食に乱入するわの大混乱。
グリフィンのエルダと友人たちは、この危機をどう切り抜ける?

解説=荻原規子


というわけで、これは魔術師大学の新入生たちのキャンパスライフを描いたものであり、ちょっと変形の学園ものと読むことも出来る。個性的な友人たち、個性的な先生たち(こちらの個性はあまり嬉しくないけれど)。楽しいよ!

魔術師大学は、チェズニー氏のあの時代に、魔法の研究を忘れ、「実際的な」魔術師たちを送り出すことに汲々としていた。ケリーダが引退して、若い魔術師たちが教授となり、自分で考えさせる事もなく、大見出しを写させる、大学ではそんな授業が続いてしまっていた。学生たちのことよりも、月に行くことで頭も予算もいっぱいな大学運営委員長コーコランを始め、教授たちは誰も彼もあまり頼りにならない。

そこに入学したのがエルダや、訳ありの新入生たち。
教授たちの授業に見切りをつけ、自分たちで本から魔法を学び、力を合わせて実際に刺客に立ち向かうための罠を掛けたりするところが良かったな~。

想像力も魔法も、自分たちが持っている可能性も、ここで終りと決めてしまったら、そこで終わってしまうけれど、ほんとはどこまでも羽ばたけるものなんだよね。そんなワクワクするような希望と未来を感じる物語。後半に向けて、物語は綺麗に大団円へ(「グリフィンの年」というタイトルの意味もわかります)。 これぞまさにハッピー・エンドでしょう。

 ← 文庫も

「ポーの話」/うなぎ女の息子であり、みんなの息子でもあるポーのはなし

 2007-10-24-22:14

 

いしい しんじ

ポーの話


町の北から南へと流れる幅広い泥の川、その上流を漁場とするうなぎ女の股から、ある日、ポーは生まれた。一様に太って、どす黒い色をしたうなぎ女たちは、真っ黒い泥の中へ日焼けした両腕をずぼりと差し入れ、手探りでうなぎを捕る。ポーを生んだ女だけではなく、全てのうなぎ女がポーの母親となる。そして、うなぎ女たちは、わが子、ポーの幸せを希う。

 
ポーや。
 スフスフ。
 ポーや、ポー、わたしたちのたいせつな小鳩。

 スフスフ。スフスフ。
 ああ嬉しい。
 かあさんたちの命は、いつだっておまえのしあわせとともにある。

うなぎ女たちの息子ポーは、川と共に成長する。水かきをもち、うなぎ女たちと同様の黒い肌を持ち、誰よりも長く潜水出来るポーは、異質な存在だけれども、彼はいつしか、市内を走る路面電車の運転士、「メリーゴーランド」と「ひまし油」の兄妹と知り合いになる。

ポーがこの兄妹から学んだのは、兄からは盗みとツグナイについて、妹からは図鑑や百科事典からの知識、そして誰かが誰かの「大切なもの」であるということ。

大洪水が起こり、ポーたちが暮らす町は壊滅的な打撃を受ける。五百年ぶりのこの出来事を予感したうなぎ女たちは、舟を作り、町の人たちを舟の上に放り投げる。うなぎ女は、何千年も前から、うなぎたちとともにこの川で暮らしてきた。うなぎ女は川を守る。川の水と、そこに住み暮らすあらゆるものを。

 
フルー、フルー。
 川のつづくかぎり、かあさんたちはうなぎ女。
 いつもおまえのしあわせとともにある。

川にはかぎりがあるのだろうか? そこにはどんなうなぎがいるのだろうか? ポーは偶然、舟に乗り合わせた「天気売り」とともに、更に下流へと下流へと進んでいく。

ポーたちは、川べりに住む、老猟師と少年、「子ども」という名の犬と出会う。この場所は外界から閉ざされている。少年に外界のことを教えてやってくれと、老猟師に頼まれたポーたちは、しばらくこの地に滞在することになる。ここで、ポーたちが学んだのは、自分ではない何者かの目を通して見るということ、死んだ体を何よりも大事にしなくてはならないということ。息をしなくなった体は、もうその者だけのものではなく、残された者たち全てのもの。

川が出来るよりずっと古くから、真っ黒い水底に潜んで、生きてきたであろう大うなぎを追って、ポーはさらに下流に下る。

いくつもの村を過ぎ、工場が増えた辺りで、ポーの相棒である「天気売り」が、この地特有の毒虫にやられてしまう。そこで、彼らは「埋め屋」夫婦に出会い、ポーは人足として穴掘りと穴埋めを、「天気売り」は「埋め屋」の女房のレース鳩の世話をすることになる。ここで、ポーが学んだのは、誰かの眼に自分がどう映っているかということ、誰かが大切だと思うもののために、どこまでも自分を捨ててしまう者もいるということ。

ポーは、更に水に入り、さらに下る。そうして、ポーは海に出る。ポーの相棒となったのは、今ではぼろぼろになった女人形。女人形は諭す。表面上の間違ったことは、ただの照り返しで重要なことではない。一番深い底で、間違ったことをしないことが、大事なのだ。間違ったことをすると、それぞれの頭の上で空が塞がって、みんなが同じ空の下で生きるという、当たり前のことが出来なくなってしまうのだ。

流れ着いた港町は、若者たちが出て行ってしまった老人たちの町。ポーは、老人たちに可愛がられ、そこに暮らす。この町は、ある出来事をきっかけに、それまでの豊かな漁場を失っていたのだけれど…。ポーがここで出会うのは、鉱水の中で生きる「うみうし娘」たち。

 
ふかいふかいそこで、まちがえないよういきていくのが、ほんとのつぐないですよ。

今では白い肌となったポーは、そうして、つぐないをして生きていく。長いつぐないの旅を終えたポーは、更に潜る、潜る…。たぶん、そうして物語は繰り返す。美しい装丁そのままのような、幻想的で童話のような物語です。

なんだろうな、「うなぎ女」とか「うみうし娘」とか、本来、あんまり美しいとは思えない存在が、生命力にあふれた美しい存在として描かれるのですよね。いしい作品の「美しさ」って、何だか独特だよなぁ。うみうしは、カバー扉や、表紙裏にも愛らしく描かれている(過去、
こんな本 を読んだこともありましたが…。海で踏みたかないけど、綺麗ですよね、海牛とかナマコとか)。

■関連過去記事■
プラネタリウムのふたご 」/しあわせ

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。
トラバが飛ばない「みすじゃん。」のおんもらきさんの記事へのリンク → 

そう、ポーは循環し続けるのです。

「妖女サイベルの呼び声」/その声が呼ぶもの

 2007-10-09-22:38
パトリシア A.マキリップ, 佐藤 高子
妖女サイベルの呼び声

「イルスの竪琴」シリーズ のマキリップ。かつ、「世界幻想文学大賞受賞!」とのことで、古本屋で見つけて、いそいそと捕獲。

魔術師ヒールドと、とある貧しい女の交わりによって生まれたミクは、モンドールの街を後に、エルド山へと赴いた。ミクの息子、オガム。そのオガムの娘、サイベルがこの物語の主人公となる。さて、ミクが始め、オガム、サイベルへと受け継がれたのは、けものたちを呼び、その心(マインド)を捉える術。

美しきサイベルは、エルド山の奥深く、けものたちのみを友として、日夜魔術の修行に励んでいた。そこに現れたのは、赤児を連れたサールのコーレン。その赤児、タムローンは、サイベルの甥であり、エルドウォルド国の王、ドリードの子であった。サイベルはタムローンに愛を与え、タムローンが少年に至るまで、王位に関わりなく育てるのであるが…。

父を求めるタムローンを、サイベルは拒絶することが出来ない。山を降りなければ、下界を知らなければ、それはそれで幸せに暮らせたはずだけれど…。

かつてサイベルにタムローンを預けたコーレンたちとドリードは敵同士であり、コーレンはドリードを兄の敵として強く憎むものであった。また、コーレンはサイベルを愛し、ドリードもまたサイベルの持つ術故にサイベルを愛す。コーレンと共に行くことは、サイベルの愛する子供であるタムローンの敵となることでもある…。サイベルはどうするのか。また、下界に降りることで、他者との関わりを持つことで、サイベルは愛と共にまた憎悪を知る。

二者の間で揺れる心や、愛や憎悪、許しをテーマにするところは、メロドラマ的でもある。「イルスの竪琴」シリーズの方が、その点、テーマがもっと複雑だと思う。両者に共通するのは、乙女の描き方。マキリップ作品における女性は、強いばかりではなく、女性らしさを残したまま、凛として一人立つ。とんでもない能力を持っているのだけれど、あくまで静かなところも印象深い。また、そこに沿って立つナイトがいるところも、見逃せないところかな。場合によっては、これ、ちょっとハーレクインぎりぎりな気もするけれど。

世界幻想文学大賞受賞作たる本作品の魅力は、出てくるけものたちによるものでしょう。大きな翼と黄金色の眼を持つティルリスの黒鳥、赤い眼と白い牙の猪サイリン、緑の翼を持つ竜ギルド、王の財宝にも匹敵する毛並みを持つライオンのギュールス、呪術と玄妙不可思議な魔力の持ち主である巨大な黒猫モライア、青い眼の隼ター…。

サイベルはガラスほどに薄く、石のように堅牢な水晶の大ドームに覆われた室から、彼らの古の名を呼び、忘れ去られた秘密の場所に探りを入れる。この心(マインド)の静寂から放たれる呼び声もまた、この物語の魅力の一つ。 その名を呼んで捉えるのは古の呪術だよね。

?「世界幻想文学大賞」ってナニー?と思い、調べたところ、Takashi Amemiyaさんのこちらのページ を見つけました。リンクフリーとのことですので、貼らせていただきます。
この作品ってば、最初の1975年の受賞作だったのですねー。

「太陽の塔」/青春とはイコール妄想?

 2007-05-02-22:15

森見 登美彦
太陽の塔

乙女その一、「
千の天使がバスケットボールする 」の樹衣子さんが、『夜は短し歩けよ乙女 』を片手に微笑んでおられるのですが、そちらはまだ借りられないので、乙女二号の私は、日本ファンタジーノベル大賞の受賞作でもあるこちらの本を。

 
何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
 なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。

展開されるのは、もてない冴えない男子大学生たちの話。主人公は休学中の五回生と、「大学生の中でもかなりタチの悪い部類に属」す。強がりと言われようと、その行動を謗られようとも、彼らの世界は彼らの中(だけ)でそれなりに完結していたのだが・・・。

主人公である「私」は、三回生の時に水尾さんという恋人を作り、その男だけの妄想と思索の世界を裏切った。しかしながら、この嬉し恥ずかしの、ジョニー(詳しくは、本書を参照されたい)の暴走を食い止める日々も、長くは続かなかった。水尾さんはあろうことか、この私を袖にしたのだ! 水尾さんが私の元を去っても、私は水尾さん研究(副次的な目標は「彼女はなぜ私のような人間を拒否したのか」という疑問の解明)に余念のない日々を続けるのであるが・・・。

寒々しい独り身を容赦なく襲うクリスマスに吠え、男どもの妄想をぺちゃんこにする「邪眼」を持つ女子の視線に相対し、水尾さんの身辺をうろつく男にストーカー行為を非難され、矢鱈と個性の濃い友人たちと語らう日々。そう、友人の飾磨の言葉を借りれば、「我々の日常の九〇パーセントは、頭の中で起こっている」。これらの日々は、飾磨が企画した、クリスマスイブの四条河原町での「ええじゃないか」決起でクライマックスを迎えるのであるが・・・。

 
何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
 そして、まあ、おそらく私も間違っている。

途中からは微妙に現実からずれてくる気もするし、それまで語られてきた記憶の中の恐ろしい先輩と、現実の先輩の姿との乖離などを考えると(ま、先輩は彼らを置いて、さっさと大人になったのかもしれないけど)、ここで語られる全てが妄想である可能性も捨てきれず・・・。可愛らしく、猫のように良く眠るという水尾さんも、ほんとに存在するのかしらん。

さて、読み終わって、文中で注意されていたように、「体臭が人一倍濃く」なったかどうかは謎ですが、この妄想は確実に尾を引く。ゴキブリキューブとか、ちょっと夢に出てきそうで怖いです。てか、ゴキブリってほんとにキューブになるの? これは妄想ではなく、現実なんだよねえ? 集合体はボーグ(@スタートレック)で十分です・・・。

私は綺麗に整えられた感のある『
きつねのはなし 』よりも、妄想が爆発してるこちらの方が好みみたい。この勢いをかうというか。何じゃこりゃーな物語でもあるのだけれど、好きな人は好きなお話だと思います。逆もまた真で、受け付けない人は受け付けないかもしれませぬが・・・。

←文庫も

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

「みすじゃん。」のおんもらきさんの記事にリンク

「風の竪琴弾き」/物語を紡ぐということ

 2006-06-24-10:28

パトリシア A.マキリップ, 脇 明子
風の竪琴弾き

第二巻 の終章において、モルゴンとレーデルルは、手に手をとって旅立つ事を約束した。争いは既に周辺各国へと飛び火し、農民の国であり、戦う事を知らないヘドの領民たちを心配したモルゴンは、まずはアンの国の死者たちを連れ、ヘドへと向う。死者たちにヘドの国を守って貰おうというのだ。

そんな彼らの元に、既に死に絶えたかと思われた、古の魔法使い達がランゴルドの都に集っているとの噂がもたらされる。第一巻にて 、エーレンスター山で一年間もの苦闘の日々を送っていたモルゴン。それは「偉大なる者」の玉座の空席を狙った、ギステスルウクルオームとの闘いに他ならなかった。彼が何とか、かの魔法使いギステスルウクルオームとの繋がりを断ち切った時、モルゴンからはヘドの領国支配者としての本能が奪われ、各地に留め置かれていた古の魔法使いたちは、ようやくその実体を取り戻せたのだ。そう、闘うべきは、大学におけるモルゴンの師匠であり、魔法使い学校の創立者であった、ギステスルウクルオーム。

ところで、「偉大なる者」の竪琴弾きとして、王国の皆に絶大な信頼を寄せられ、また第一巻においてはモルゴンを導き旅をしていたデス。彼は一巻におけるモルゴンのギステスルウクルオームとの一年間の苦闘の日々、モルゴンを助けることなく、ひたすらに竪琴を弾くのみであった。そのために、デスは王国中の人々から裏切り者の烙印を押されるのであるが・・・。

ギステスルウクルオームの企み、モルゴンとレーデルルを追うデス、三つの星が煌く竪琴を作った古の魔法使いイルス、「偉大なる者」の長きにわたる不在、レーデルルに近づく変身術者たち、またモルゴンとレーデルルに流れる血、運命・・・。この最終巻では全てが収束し、山ほどあった全ての謎に対し、答えが与えられる。

一巻では謎だらけの話に???となり、頑固者で石頭のモルゴンに苛苛し、三巻途中まではモルゴンとレーデルルの言い争いにもうんざりしていたのだけど、全ての物語が語られた後には、この頑固だけれど誠実なモルゴンが好きになっていた。謎に包まれていた「偉大なる者」の竪琴弾き、デスもね。
レーデルルに関しては、その登場からラストに至るまで天晴れ!の感に堪えないんだけど。この物語は、誇り高き女性陣の魅力も実に大きい。豚飼い女でもあった、魔法使いナンも好き♪

物語を紡ぐというのは、こういうことなのかと、ラスト、唸ったのでありました。

「海と炎の娘」/姫君たちの旅路

 2006-06-22-21:56
パトリシア A.マキリップ, 脇 明子
海と炎の娘

前作「星を帯びし者」 で、モルゴンと「偉大なる者」の竪琴弾きが、エーレンスター山に消えて一年、彼らの行方はようとして知れなかった。

そんな中、モルゴンの世継ぎである、彼の弟エリアードは、モルゴンの死の気配を感じ取る。「偉大なる者」が支配するこの王国においては、領国支配者はその領国に強く結び付けられ、その土地の木や風の動きまでもはっきりと感じ取ることが出来る。 エリアードはそれまでも、モルゴンの苦闘の様を夢の中で感じていたのだが、ある日、自らが領国にしっかりと結び付けられ、領国支配者となった事を感じる。それは即ち、それまでの領主であったモルゴンの死を意味する。

ヘドの領主、モルゴンの死の知らせは、王国内を駆け巡る。さて、アンの国の領国支配者マソムの娘であり、モルゴンの婚約者であるレーデルルは、アンの国で彼の帰還を待っていた。彼女の元にも、彼の死の知らせがやって来る・・・。さて、彼女はどうでるのか。

モルゴンの死の知らせが届いてから、王国は不穏な空気に包まれる。皆は「偉大なる者」に信頼を寄せていたというのに、彼は自分の王国の中で、ヘドの領主、モルゴンを守ってはくれなかった! アンの国の領国支配者のマソムは、鴉に姿を変えてエーレンスター山へと向かい、街道では変身術者たちがうごめくようになる。

レーデルルは、モルゴンに死をもたらした者を、「偉大なる者」に問いただそうと、エーレンスター山へと旅に出る。勿論、レーデルル一人で旅に出られるわけではない。彼女はヘルンのモルゴルの娘であり、近衛隊長でもあるライラとともに、船長ブリ・コルベットを脅し、船を乗っ取ってエーレンスター山へと向う。そして、そこにはさらに、モルゴンの妹であるトリスタンまでもが、密航してきて・・・。

この三人の娘たちがそれぞれに魅力的で、この旅の様子が私は好きだったな~。彼女らに乗っ取られた形の、船長ブリ・コルベットもまた良くって。「乗っ取られた」とはいえ、本当に抵抗出来なかったわけではなく、レーデルルたちの身を案じ、自分の船を愛しているからこその行動なんだよね。主人公であるモルゴンが出てこない前半の方が、前作に比べするすると読み進められる始末。この道中の様子は楽しかった。

ところで、この第二巻のタイトルは、「海と炎の娘」。星を帯びし者<スター・ベアラー>の隣にいる事になるだけあって、レーデルルもまた、ただ美しいだけの娘ではありえない。彼女は強い力を持った、アンの国の海と炎の娘。最終巻に向けて、物語は進む。

「星を帯びし者」/その額に三つの星を帯し者は

 2006-06-20-23:24
オンライン書店ビーケーワン:星を帯びし者
パトリシア A.マキリップ, 脇 明子
星を帯びし者

王国の片田舎、ヘドの領主モルゴン。彼はこれまでの他の領主たちとは少し違っていた。ヘドは頑固な農民の国。この国から一歩たりとも出ずに死ぬ事だって珍しくない。

ところが、モルゴンときたら、ケイスナルドの謎解き博士たちの大学で三年を過ごし、ヘドに戻ってきてからも、命をかけたペヴンとの謎かけの試合により、古のアウムの王冠を手に入れる始末。

「偉大なる者」が治めるこの王国においては、領主、つまり領国支配者というのは、文字通り、その領国に身も心も結び付けられた存在。モルゴンの弟、エリアードや、妹トリスタンは、領国をないがしろにするような、モルゴンの行動に我慢が出来ない。

ところで、古のアウムの王冠を手に入れたものには、アンの支配者マソムの娘、レーデルルが与えられる事になっていた。モルゴンは、「偉大なる者」に仕える竪琴弾き、デスとともに、アンの国へと向うのであるが・・・。

所謂、児童書のファンタジーは良く読んでいたんだけれど、大人になってからは、ファンタジーではなく現実を描く物語を読むことが多かった。というわけで、こういった物語にあまり馴染みがなく、今回のこの本も、当初は読み進めるのに苦労した。でも、分からないものを、そのままザバザバ流し読むような読み方に変えてみたら(どのみち、読んでると後で分かる事もあるしね)、読み進めるのが随分楽になった。うーん、会得したこれが、ワタクシ的大人版ファンタジーの読み方なのかも。

でもって、ドラクエやFFなどの有名どころのRPGは、一通りやったことがあるんだけど、こういったファンタジーはまさに、RPG的なんだな~、と思った。というよりは、RPGがファンタジーを模倣してるんだろうけど。あちらに旅し、こちらに旅し、色々な人から話を聞き出し、その一つ一つのピースが最後にぴたりとはまる。

この「星を帯びし者」は、イルスの竪琴」シリーズの、全三巻中のまだ第一巻。「偉大なる者」に会う為に、エーレンスター山に向ったモルゴンを迎えたのは、さて何者であったのか。

一巻においては、頑固者の主人公、モルゴンをまだ好きになる事が出来なかったのだけれど、脇の人物、王国の歴史、それぞれの土地の風景が魅力的な物語だった。そもそも、タイトルの「星を帯びし者(スター・ベアラー)」という言葉自体が、魅力的だよね。

山岸涼子さんによる、美麗な表紙、挿絵も実に魅力的。

「ゴルゴン―幻獣夜話」/異形のものたち

 2006-05-25-21:52
タニス リー, Tanith Lee, 木村 由利子, 佐田 千織
ゴルゴン―幻獣夜話

表紙の美しさに惹かれて、古本屋にて購入♪

私のタニス・リーのイメージは、幻想的で美しくエロティックというもの。
幻獣夜話」という副題があるように、きっとまたそういう作風なのかなぁ、と思っていたら、意外にもちょっとコミカルな現代ミステリ調のものもあり、切なく美しいお話あり、と色々な作風を楽しめてしまった。

目次
ゴルゴン
アンナ・メディア
にゃ~お
狩猟、あるいは死―ユニコーン
マグリットの秘密諜報員
猿のよろめき
シリアムニス
海豹
ナゴじるし
ドラコ、ドラコ
白の王妃


◆「ゴルゴン」◆
小説を書くために、ダフォー島に渡ってきた「私」は、沖近くに浮かぶ小島に興味を持つ。「地元向けに口から出まかせを並べ、地元向けにとびきりの愛想笑いを浮かべ、そして地元向けに、さらにとびきりの価格を払えば、それと引き替えに、欲しいものは何でも手に入るはず」のこの島で、なぜか島の人々は小島に渡る事を拒否するのだった。
「私」が小島で出会ったのは、ヨーロッパ風の二階建ての建物に住み、仮面を被った奇妙な女。島の人間が忌んだのは、ゴルゴンの顔を持つこの女。ゴルゴンは伝説の通り、本当に人を石に変えるのか?

◆アンナ・メディア◆
両親も手を焼く、恐るべき子供達の元にやって来たのは、家庭教師アンナ・メディア。彼女は苦もなく、子供達を手懐けるが、屋敷には不気味な黒魔術の影が・・・。

◆にゃ~お◆
現代ミステリというか、ホラー調? アシモフ編のアンソロジーなんかに、入ってそう(「犬はミステリ」はあるのに、そういえば、猫のはないのかしらん)。
スティルの恋人・キャシーは、両親の遺した屋敷にひっそりと住まう、若い女の子。問題はそこが猫屋敷の呈をなし始めていたこと。スティルはキャシーを屋敷から引き剥がそうと試みるのだが・・・。

◆狩猟、あるいは死―ユニコーン◆
これは、全くタニス・リーらしい作品のように思う。
両性具有、生まれ変わり変質していくものたち・・・。

◆マグリットの秘密諜報員◆
これも途中までは、現代ミステリ風の味付けに感じた。
下着売り場で働く「わたし」はある日、車椅子に乗せられた非常に美しい青年と出会う。青年は非常に美しいけれど、その瞳には何もうつしておらず、彼を介助するのは、彼と似ても似付かぬでっぷりとした黄色い女、ミセス・ベスマス。
ミセス・ベスマスは、かの美しき青年、ダニエルを正当に扱っていないと感じた「わたし」は、義憤若しくは恋情に駆られ、二人の住まいに押しかけるのであるが・・・。

◆猿のよろめき◆
少々、変わった冒険譚?何というか、冒険好き、若しくは植民地趣味の英国人を皮肉ったような物語。ええ、主人公も「栄国人」のエドモンドだしね。
青く艶のある肌、燃え立つ琥珀色の髪、おまけにサファイアの瞳を持つ、尋常ではない美しき魔物から、エドモンドは逃れる事が出来るのか?

◆シリアムニス◆
アポロのような麗しい若様が買った、美しい奴隷娘・シリアムニスの正体とは。
これ、ちょっと気持ち悪かったよ。

◆海豹◆
殺伐とした無口な男、ハス・ハラスが、本土の女との約束のために、狩った見事な海豹の毛皮は一体誰のものだったか。
荒涼とした島、デューラの風景、<海の民>シールスの哀しみが印象深い。

◆ナゴじるし◆
彼の美しいペット達。それは、地球の言語であらわすならば、「猫」に相当するものたち。しかし、彼らはとんだ無法者だった!

◆ドラコ、ドラコ◆
<ドラゴン殺し>のお話。

ビス・テリビリス(二倍怖いのは)―
ビス・アペラレ(二度呼ぶこと)
ドラコ!ドラコ!(竜よ!竜よ!)

語り手の「わし」の背景が気になる。英雄、騎士に対する、少々皮肉な見方が面白かった。あと、引用したこのヘンな呪文のような言葉が妙に気に入った。ドラコ!ドラコ♪、と意味なく呼ばわりたくなった。

◆白の王妃◆
美しく、切ない物語。年老いた王の元に嫁いだ、若く美しいブランシュ。ところが、新婚初夜に老王は身罷ってしまい、寡婦となった彼女は、無人の塔で一人死ぬまで暮らすことになった。そこに現れたのは、真夜中よりも黒いカラス。白と黒の対比、若さと老いの対比の残酷さが美しい。
童話の趣きもあり、アーサー クィラ・クーチ編、カイ ニールセン画「十二人の踊る姫君 」 のような構成の本にしたら、さぞ美しかろう、と思った。

☆関連過去記事☆
幻獣の書-パラディスの秘録 」/醜き獣
(同じくパラディスシリーズである、「堕ちたる者の書」は挫折しましたが、こちらはうっとり読みました・・・)

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「光の回廊」/歌う竜のシリーズ

 2006-04-06-22:51
一昨日昨日 に引き続き、またまた歌う竜のシリーズ♪? 私が読んだこのシリーズは、これでお終いなんだけど、1991年初版となっているこの漫画。ここで終ってしまったのかしらん。彼らは音の星の歌う木を見つけることが出来たのだろうか。でも、こういうシリーズは、定まったラストを迎えない方が、彼らがいつまでも旅をしているようで、それはそれで想像の余地があって良かったりもする。

めるへんめーかー
光の回廊

目次
光の回廊
フィオーナ・リリーの片想い
Miss Broomのお引越し
みどりの郷愁(ノスタルジア)
DIARY of LONDON
Tea Time

このシリーズの決まりなのかな、またまた最初の二編のみが、この歌う竜のシリーズになっている。

さて、「光の回廊」は、定期船の中でパーフィディアが出会った、「白い子供」たちのお話。「白い子供」たち、エル・ファウニカーは選ばれたる民の末裔。親たちは遠い昔に、壊れた星から子供達を安全な世界へと飛ばしたのだ。

たらしの吟遊詩人ファーレルは、ご婦人のもとにしけ込んでいるし、仲間が欲しいパーフィディアは彼らを探して船の中を歩き回る。しかし、船員達によれば、エル・ファウニカーのことは、この船の中ではご禁制であるようで・・・。

人々 争いを好まず
星 永きにわたり
平和を教え

そして天寿を
まっとうせり

今はもうない―・・・
名高きその星
エル・ファウニカー

星を巡る
白く輝く
光の回廊

うたに応えて
その扉を開けり

パーフィディアのやさしさが、みなを動かす。


「フィオーナ・リリーの片想い」。星系一の大金持ちを父に持つ、フィオーナ・リリー。彼女が望んで手に入らないものは、これまでなかった。フィオーナが今回欲しがったのは、吟遊詩人ファーレル! わたくしが望むだけ、あなたはここにいるのです!

とはいえ、ファーレルが大人しくそんなことを聞くわけもなく、パーフィディア、ラルディ、ファーレルの三人は、首尾よくフィオーナ・リリーの元を抜け出す。ところが、後ろからはなんとフィオーナその人がついて来ていて・・・。気丈なお嬢さん、フィオーナは、文句をいいつつも、彼らの旅に何とかくっ付いて行く。幸せって、好きになるって、どういうことだろう。フィオーナは、一つ大人になったのかな。パーフィディアもね。

いつか
また会おうねーっ

お互いに
良い女に
なろうねーっ


「Miss Broomのお引越し」は有史以前から会社にいるのではと噂される、タイピストのミス・ブルームのお話。このお話はとってもいいなぁ。何でもぽいぽい入ってしまう、メアリー・ポピンズ的でもある鞄。家丸ごとのお引越し。クロネコヤマトのドラゴン便。ミス・ブルームの今度の引越し先は、本当に月の上なのかなぁ。

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「銀の竪琴 金の声」/歌う竜のシリーズ

 2006-04-05-21:28
めるへんめーかー
銀の竪琴金の声
あすかコミックス

出版社は違うけれど、これは昨日の「歌う竜」 と同じシリーズ。とはいえ、またしてもこのシリーズは最初の二編のみ。でも、それはそれでぽつぽつと読み進める楽しみがあるし、他の短編も楽しめるというお得感もある。

目次
夢の天樹
銀の竪琴 金の声
風を売る店
Old English Garden
Tea Time

「夢の天樹」では、パーフィディア、ラルディ、ファーレルの三人は、地面一杯を樹が覆っている、ヘヴァイーリオンへと旅をする。この星では、樹の下には地茎人が、樹の上には天樹人が住み、二つの世界は決して交じり合わない。樹の上は夢の中のように美しい世界であるが、対する樹の下はどこまでも現実の世界。夢を見ること、現実を見ること、どちらも大切な事だけれど、二つの世界ではどちらもそのバランスは崩れている。

天樹人の中の変わり者の王子、ネフューラルと、夢を持ち、歌の美しさに感動する事が出来るやはり変わり者の地茎人、ディネガンの恋が描かれる。

このお話で好きな台詞は、吟遊詩人ファーレルの「私の歌がわかる女に醜女(ブス)はいない」。笑 「吟遊詩人」だから、ファーレルはそれまでのお話を詩にして歌うのだけれど、彼ら三人で詩を歌う様子がいいんだ。音楽が聞こえてくるよう(私は特に歌う竜、ラルディの細めた目と開いた口がお気に入り♪)。


「銀の竪琴 金の声」は、機械の星サヴェージからキリナに向かう途中で起きた事故のお話。吟遊詩人に姫君に竜なんて、物語に登場するメンバーを考えると、中世のようでもあるけれど、どっこいこれはSFでもある。機械の星の王さまがくれた、自分に似せて作った二つのカプセル。


さて、ここから先は、また別のお話。

「風を売る店」は、風使いの少女、フィオナのお店に現れた、翼ある一族の若者フィオンのお話。西から吹く”素朴な香りの風”、南からの”働き者のために吹く風”、北西から吹く”思い出の風”。うーん、買ってみたい(でも、このお話の流れでは、風売りは廃業かしらん? 是非とも続けて欲しいもの)。

「Old English Garden」はリセルとウィンスロウのお話。幼き日に唯一の肉親である母親を失ったリセルを引き取ってくれたのは、母の従弟のウィンスロウだった。その日から、館はリセルの住まいとなり、リセルにとって、ウィンスロウは父であり母となった。互いにたった一人の家族・・・。館には、いつも美味しい食事を作ってくれるマクノートン夫人、そして彼女を優しく見守る淡い金髪の幽霊がいた。

めるへんめーかーさんの物語では、恋愛が描かれていても、それは決して生々しいものではなく、互いを尊重したやさしい手触り。恋愛物ってあんまり好きではないのだけれど、これはいいな~。

「歌う竜」/吟遊詩人に歌う竜、そして姫君の旅

 2006-04-04-21:27
めるへんめーかーさんを読むべき、少女期に読むことはなかったのだけれど、機会があって、この度読むことが出来た。そしたら、これがとっても良かった!
「不思議の国のアリス」を思わせたり、「メアリー・ポピンズ」を思わせるものがあったり。懐かしい児童書の世界から、更にふわふわとめるへんめーかーさん、独自の世界に飛ぶ感じ。

中でも、いいなぁと思ったのが、今回副題とした、吟遊詩人と歌う竜に、小さな姫君の旅を描いたシリーズ。というわけで、今回はこの本を。

めるへんめーかー 歌う竜

目次
歌う竜
花冠のローレライ
聖少女の館
7人の貴婦人の館
Do it アブラカタブラ?
Do it アブラカタブラ?
魔法スクランブル
いつか王子さまが・・・
てぃ・たいむ

とはいっても、吟遊詩人の旅のシリーズは、「歌う竜」「花冠のローレライ」のみ。

「聖少女の館」と、「7人の貴婦人の館」は、「処女の生血しか受けつけぬ ちがいがわかる吸血鬼」アルカーディ=アルカードの話。違いが分かるのも良し悪しで、このご時世、清らかな乙女など、どこにいるというのだ! アルカードに合掌。

「Do it アブラカタブラ」は祖母の遺言により、転入した学校のお話。しかし、そこは普通の学校ではなく、なんと魔女の学校だった! 私は?の使い魔猫のお話が好き。「魔女と猫との出会いは神聖なもの 代々その家へ伝わるもの」なんだそうな。

「魔法スクランブル」は、ドジな魔法使い見習い、ドーラ・ドーラ=ブラウニィのお話。「一瞬触れるだけでも魔法へのインスピレーションとパワーを増大させる幻の獣」、「ゴールディ・フェント」は何か下敷きがあるのかな。オリジナル?

「いつか王子さまが・・・」は、両親亡き後、女手一人で弟や妹を育ててくれた、オールドミスの姉さんのもとに現れた王子さまの話。「オールドミス」なんて、久々に聴く言葉だけれど、決して嫌な感じはしない。そうだなー、「赤毛のアン」に出てくる、愛らしきオールドミス、ミス・シャーロットみたいな感じ(あんなに、年取ってないけど)。

さて、私の中では本題の「歌う竜」は、三人の出会いと旅の始まりのお話。ここから、歌う木があるという遠い音の星を目指す、パーフィディアと竜のラルディ、吟遊詩人ファーレルの旅が始まるのだ。

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「ライオンと魔女」/本の世界と映画の世界

 2006-03-12-15:16
C.S.ルイス, 瀬田 貞二, C.S. Lewis
ライオンと魔女 ナルニア国ものがたり(1)

先週末に、映画「ライオンと魔女」を見た。映像→原作(本)の順で見ると、そんなに不満を覚えないのだけれど、原作(本)→映像の順では大概不満を覚えるワタクシ。心が狭い?と思いつつも、今回もそんな感じでありました。

ナルニアの魅力は静か動か?というと、私の中では、断然「静」であり、多少説教くさくもあるルイスのキリスト教的世界観が好きで、子供時代にどっぷりはまったものだった。勿論、ナルニアに長い冬をもたらした白い魔女を、子供たちがアスランと共に打ち倒すという、大きなテーマが背後には流れているのだけれど、そこには子供たちとナルニアの住人達との濃密な触れ合いがあり、アスランの子供達への温かい言葉、優しく時に厳しい眼差しがある。物語としての大きな流れの他にある、これらの濃やかな情景が好きだった。

映像は本とは違って、大きな流れの他に、更にプラスして、小さな濃やかな情景を描くのが不得意のように思う。特に今回の映画では、冒頭を見ても、物語としてのダイナミズムを「戦い」に求めたように思うし、筋は分かり易いけれど、すっかり活劇になっていて、ナルニア国ものがたり」というよりは、ナルニア国戦記」という方が相応しいような印象を受けた。とはいえ、本を読んだ人には、それぞれの濃やかで印象に残る小さなシーンがあり、それを全部入れていたら、とても収拾が付かない、というのも良く分かるのだけれど。
◆好きだった原作の小さなシーンたち

・初めてタムナスさんのお家に行った時に、ルーシィが聞かせてもらった森のくらしのふしぎの数々(真夜中のダンス、水の精ニンフ、木の仙女ドリアード・・・)

・ビーバーさんちの気持ちのよい住処での美味しい食事
(獲りたての魚のフライ、濃い黄色いバターをたっぷりつけたじゃがいも、濃いミルクorビール、素敵にねとねとする大きなマーマレード菓子)

・ビーバーさんと子供たちの白い魔女からの逃避行
(春を見つけながら、楽しい夢のような思いで歩く!その疲れは、一日表で良く働いたものが感じる心地よいもの)

・スーザンとルーシィをお供に、悲しげに疲れた様子で魔女との取り決めに向かうアスラン

・戻ってきたアスランと、二人の女の子とのおかしな鬼ごっこ
(ビロードのような足の裏!)

・アスランの背中に乗って、春たけなわのナルニアをわたる長い旅

・泥だらけ、汗だらけの巨人ごろごろ八郎太が、ルーシィからハンカチを借りる所

・エドマンドに薬を注ぐルーシィに、他のけが人もいることを諭すアスラン

あげて見ると本当に細かい所ばかり。タムナスさんのシーン、アスランの背中に乗るシーンは、映画でもちゃんとあったのだけれど、もうちょっと長く見たかったなぁ。映画ではほとんどのシーンが緊迫していたように思うけれど、原作では結構楽しくのほほんと過ごしている部分も多くある。その辺がほとんど削られてしまったのが、残念だった。ルーシィの大きくてくるくるのお目目が、ナルニアの楽しさ、この世界への感動、感激を表現していたのかもしれないけど。私の子供の頃の夢の一つに、「アスランに乗る」ということがありまして、この映像はそれにちょっと近かった。

映像と本との手法の違いというものはやはりあって、本のような情報量の多いものから映像をおこす時、ある程度の取捨選択が必要で、切り口もまた違ってくる。そういう意味では、ゲド戦記」などもどういう解釈で、映像におこされるのか、心配でもある。ガチガチの原作至上主義者のようで、ちょっと自分が嫌になったりもするのだけど・・・。

「だれも猫には気づかない」/ミイ!

 2005-11-25-09:18
アン マキャフリー, Anne McCaffrey, 赤尾 秀子
だれも猫には気づかない

時は中世。エスファニア公国の名摂政、マンガン・ティーゲは、まだ若き領主、ジェイマス五世を残して、亡くなった。しかしかねてより、自分の魂が肉体から離れる時を悟っていたマンガンは、彼が死を迎える前に、様々な策を弄していた。例えばジェイマス五世が自分の死後困ることのないよう、分別のある助言者や、重臣たちを自らの目で選んでおく等。

さらに、そんなマンガンは、最後にとっておきの護衛を遺していた。その正体はなんと、ニフィという猫!黒煙色のニフィは、立派な狩人で華麗な銀色の縞猫、ミランダから生まれ、まだ幼い子猫の頃にマンガンの背によじ登って、自ら摂政マンガンを選んだのだ。マンガンの行く所には、いつもニフィの姿があり、ニフィはマンガンが多くの職務をこなす間、必ず傍にいた。

「猫というのは賢くて、人間にたよることなく、自分のことは自分でめんどうをみることができるのです。犬はつねに人がかまってやらなくてはいけません。でも猫は、友に値すると思ったら、その人間を受けいれてくれます。いったんそうなると、とても忠実で、かわいそうな人間が、猫にしか求められない友情を必要としているかどうか、敏感に感じとってくれるのです。」

実はこの賢き摂政マンガンが亡くなったのは、エスファニア公国が国境線の微妙な問題でもめている時期。血気盛んでまだまだ若輩である、ジェイマス五世がこの難局に当たらねばならない。南の隣国モーリティアには、自称エグドリル王、通称エグドリル熱心王と、その怖い怖い二人目の妻がいて・・・。

「熱心王」の名の所以は、あちらこちらの土地を「熱心に侵略し、占領した」ことによる。エスファニア公国の方が領地も広く、皇帝からさずけられた伝統ある公国だけれど、うかうかしていると、勿論熱心王に「熱心に」どうにかされてしまうというわけ。ジェイマス五世は、エグドリル熱心王から彼の姪三名を紹介され、その中の一人、レディ・ウィローと恋に落ちる。ウィローはジェイムス五世と思いを通じ合わせたものの、なぜか怯えた様子を見せる。

実は彼女の父親や、モーリティアの主たる人物は、熱心王の恐るべき王妃により、みな殺害されていたのだ。つまり王妃は、王の姪のうち誰かとジェイマス五世を結婚させた後に、ジェイマス五世を暗殺することで、エスファニアを自分のものにすることを狙っていたというわけ。ジェイマス五世の身に危機が迫る!ウィローやジェイマス、周囲の者たち(勿論、ニフィが大活躍!)の協力により、ジェイマスの身は何とか無事であったが、隣国モーリティアでは王妃による更に恐ろしい企みが進行していた。いつまでも王妃の影に怯えて暮らしているわけにはいかない!ジェイマス達一行は隣国へ出発する。

最後は勿論目出度し、目出度し。エスファニアの彼らも、モーリティアの人々も、これからは王妃の影に怯えることなく、きっと幸せに暮らしたことでしょう。

とまあ、話の筋はこのようなものなのだけれど、これはもうニフィ・キャットを楽しむための本。こわ~い王妃が類型的であろうと、ジェイマスとウィローが直ぐに恋に落ちようと、そんなことはどうでもいい「ゆたかな毛をもつ、ひとつの人格である」彼女、緑の瞳で微笑み返す彼女、のどをならす彼女、肩に飛び乗って頬にすりよる彼女、読み終わる頃には、きっと誰もがすばらしい(マグニフイセント)猫、ニフィの虜になっていることでしょう。ミイ!

短毛でふかふかなのもいいけれど、長い毛を梳く楽しみもありますよね~。もしもニフィを見かけたならば、私も是非とも撫でさせて貰いたいもの。アーモンド形の目で、こっちを見て「ミイ!」と鳴いてくれないものかしらん。
しかし、ハードの装丁の方が、深い緑がニフィに良く合って好きなのだけれど、ハードも文庫も、ニフィの毛があまり「ゆたか」に見えないのは気のせい?

 ← 文庫もあるようです


*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「アブダラと空飛ぶ絨毯」/D.W.J.版アラビアンナイト

 2005-10-31-08:33
ダイアナ・ウィン ジョーンズ作、西村 醇子訳
 「アブダラと空飛ぶ絨毯―ハウルの動く城〈2〉」

ハウル2とあるけれど、今度の主人公は、ラシュプート国のバザールの若き絨毯商人アブダラ。アラビアンナイトの世界を下敷きにした、「魔法使いハウルと火の悪魔」の姉妹編となる物語。

ダイアナ・ウィン ジョーンズ, Diana Wynne Jones, 西村 醇子
アブダラと空飛ぶ絨毯―ハウルの動く城〈2〉

表紙の絵がとても綺麗なので、大きな画像を載せました。真ん中の空飛ぶ絨毯に乗る寝巻き姿のアブダラ、右下のイカを咥えたイヌ、更にその下の青い瓶、月の光、夜の庭園、空中の城。この美しい絵そのままの世界が展開される。

アブダラは、インガリー(ハウルソフィーが住む)からはるか南に下った地、スルタンが治めているラシュプート国のザンジブ市のバザールに住む、若き絨毯商。バザールの隣人は、揚物屋のジャマールとその飼い犬

ある日、アブダラがいつものように、店内で空想の翼を広げていた所、「空飛ぶ絨毯」を売りたいというお客がやって来る。「空飛ぶ絨毯」を手に入れたアブダラは、絨毯のお陰で美しい箱入りの姫、<夜咲姫>と知り合うが、<夜咲姫>は彼の目の前で魔神(ジン)・ハスラエルに攫われてしまう。アブダラは怒ったスルタンの追跡を受けながら、魔神(ジン)から<夜咲姫>を助けるために、旅に出ることになる。

アブダラの旅のお供は、瓶の口から出る紫色の煙、気難しい精霊のジンニー。一日一回は願いを叶えてくれるというのだけれど、彼の叶え方はいつだって強引。かえって状況が悪くなったりもする。

「この瓶の持ち主となった者は、毎日ひとつずつ願い事が許され、ぼくはいやでもそれをかなえてやらなければならない」

さらに、ジンニーに引き合わされた、ストランジア人の兵士、なぜか彼らにくっ付いて来た<真夜中><はねっかえり>という二匹の猫を連れて、旅は続く。

全ては、その時そこに見えているものだけであるとは限らない。

ザンジブのならわしにより、美辞麗句を連ねる事が出来るアブダラ。お世辞が大好きな「空飛ぶ絨毯」も面白いし、ほとんど何にだって逆毛をたて、気に入らない時には大きくなる猫の<真夜中>も不思議。かつてはいい魔神(ジン)だったハスラエル、その弟で甘ったれのダルゼル、臆病でへそ曲がりのジンニー

全ては隠されているけれど、「悪いやつでいるのも楽しかったんだよ」というのも分かる。自分の型に囚われることなく、乱暴でも好き勝手が出来るのだもの。最後は大団円でめでたし、めでたし。全ては収まるべきところに収まるのだ。

実は、「魔法使いハウルと火の悪魔 」はあまり好みではなかったのだけれど、こちらの「アブダラと空飛ぶ絨毯」は、とても楽しく読むことが出来た。本当のアラビアンナイトをきちんと読んだ事がないので、その世界とはまた違うのかもしれないけれど、魅力的なアラビア風の世界にうっとり。ま、私はソフィーに同族嫌悪を感じていたので(長女で自意識過剰で頑固者)、ぎゃんぎゃん騒ぐソフィーの出番が、表面上だけでも少なかったのが、大きかったのかもしれないのですが。

「プラネタリウムのふたご」/しあわせ

 2005-06-28-08:28
いしいしんじ「プラネタリウムのふたご」

ある村のプラネタリウムで拾われたふたご、テンペルとタットルの物語。装丁もとても綺麗。一人は郵便配達夫、兼プラネタリウムの投影係として村に残り、もう一人は手品師として外の世界で生きていく。長編小説だけれど、童話のような味わい。

説明が上手く出来ない不思議な物語だけれど、読後温かな気持ちになる。最初は世界に入り辛いかもしれないけど、少し時間を置いてからの方が、じんわりといい話だと感じるような本。ふたごを拾い育てる、投影係の泣き男(あだ名)もいい。星の見えない村におけるプラネタリウムは、人々にとって少し特別な意味を持つ。

以下、引用。

プラネタリウムの天井は、つまり外だと。ぼくらがおもてにでていったとしても、そこが空の下なら、どこにいようがその場所を、うちと考えてよいのだと。

ぼくたちはまるで、海をただよっていく氷山だ。ゆっくりと溶けて、少しずつ少しずつ、確実に小さくなっていく。氷山であるぼくたちは、そうしてこれからもこの先も、目に見えないほど広い海に、海にかかわるすべてのものに、きっとつながっていられるのだ。

だまされることは、だいたいにおいて間抜けだ。ただしかし、だまされる才覚がひとにないと、この世はかさっかさの、笑いもなにもない、どんづまりの世界になってしまう。「ひょっとしたら、より多くだまされるほど、ひとってしあわせなんじゃないんだろうか」とタットルはおもった。



著者: いしい しんじ
タイトル: プラネタリウムのふたご

*臙脂色の文字
の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、御連絡下さい。

「ダークホルムの闇の君」/ファンタジー

 2005-06-24-08:48

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ、浅羽莢子訳「ダークホルムの闇の君」

amazonから引っ張った粗筋はこちら
出版社/著者からの内容紹介
別の世界から事業家チェズニー氏がやってきて四十年、魔法世界は今や観光地。だが諸国の財政は危機に瀕し、町も畑も荒れ放題。この世界を救うのは誰か? 神殿のお告げで選ばれたのは魔術師ダーク。彼と妻、一男一女五グリフィンの子供たちまで巻き込まれて……辛口のユーモアを盛り込んだファンタジイ。 解説・妹尾ゆふ子

これ、すごいです。グリフィンに両親の細胞が入ってるから、子供達とグリフィンは兄弟だし、彼らが生きる魔法世界は、ある事業家のせいで、長年に亘り冒険のテーマパーク化されてしまっている。これらの詳しい説明があまりなされないまま(ずーっと設定の説明が続く物語もうんざりだけど。そして、私の読み取りが甘いという可能性も大ですが)、話はどんどん進んでいく。年寄り竜・ウロコのかっこよさや(教え諭してくれる、威厳ある竜って好きだ)、物語としての面白さ、様々な小道具の素晴らしさなど、魅力的な部分が数多。でも、毎度物語に入り込みにくいのはなぜなんだーーー!(ハウル でいまいち、物語に入り込み難かった私)


と、考えていたら、「物語三昧」のペトロニウス さんの所で拝見した、こちらの記事『賢者の石』ハリーポッターシリーズ第一巻/なぜ世界はハリポタに熱狂したのか?? と、その時のコメントが頭を過ぎった(記事は直接リンク、コメントはそのままここに引用させて頂きます)。

<導入部の間口の広がり>天才的な物語作家は、例外なく導入部を間口の広い『誰にでも分かる』か、もしくは『信じられないほど典型的』なスタイルではじめます。そして、「そこ」から読者を感情移入させたまま、深く広い世界に連れ出してくれます。そういう意味では、まさに天才的物語作家なのだと思います。(「ハリー・ポッター」の著者J.K.ローリング氏についての、ペトロニウスさんのコメントより)

この辺りが「ハリー・ポッター」にはすんなり入れるのに、D.W.ジョーンズにはいまいち入り込み難い要因なのかなぁと思いました(「ハリー・ポッター」だって、きっと4巻、5巻辺りから始まると辛いはず)。D.W.ジョーンズは、その分、元々のファンタジーファンにはすんなり受け入れられるけれど、そうではない場合、少し読み進めるのが辛いのかなぁと感じました。何となく、自分の中でのD.W.ジョーンズの攻略法が出来たような気がして、個人的にはすっきり。

しかし、この「ダークホルムの闇の君」は図書館にたまたま置いてあったのだけど、残りの本は図書館になさそうであります。気長に探してみる事にします。 そして、この一冊目を導入部とすると、次作の方が面白そうな感じ(ダークホルムは二部作)。次作の「グリフィンの年」も読んでみたいと思います。

「これより十年ほど、あの脇谷に棲むことにした」ウロコは告げた。「あそこが気に入った。その間に、おまえたち二人に何が何でも魔法を教える。手始めは読心術じゃ。明日の朝、二人とも参れ。小わっぱ、猫鳥、わかったか?」

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。ペトロニウスさん、記事中でリンクしたので、トラバさせて頂きました。

著者: ダイアナ・ウィン ジョーンズ, Diana Wynne Jones, 浅羽 莢子
タイトル: ダークホルムの闇の君


魔女!/「小さい魔女」

 2005-05-31-06:48
こちらもまた懐かしい児童書。私が持っている児童書には大体何とか賞を取りました、って書いてある気もするのですが、こちらは「ドイツ優良児童図書賞」「厚生省中央児童福祉審議会特別推せん」「全国学校図書館協議会必読図書」らしいです。私が持っているのは古い本なので、当時ということですけれど。

オトフリート=プロイスラー作 大塚勇三訳「小さい魔女」

以前、少女小説について書いた時 にちらっとタイトルだけを出していたのだけれど、これは「年はたったの百二十七」「魔女のなかまでは、まだ、ひよっこみたいなもの」である魔女のお話。年をとった魔女って普通は怖いでしょう? でも、この魔女はちっとも怖くない。魔法のおけいこをしている所なんか、そこらで勉強している小中学生と何ら変わりがありません。

魔法というものは、そうかんたんにはできません。魔法で一人まえになろうとする人は、なまけていてはだめなんです。まず、こまごました魔じゅつをすっかりおぼえこんで、・・・・・・それから、大がかりなのをおぼえなきゃなりません。魔女の本を、一ページ、一ページと、すっかりおぼえていくのですし、そこにでている問題を、ひとつでもごまかしてはいけないのです。

この小さい魔女は「まだ、ひよっこ」だから、あらゆる魔女たちがブロッケン山に集まって踊る、楽しい「ワルプルギスの夜」に招いてもらえない。一緒に住んでいる、分別ある利口なカラス・アブラクサスに止められたにも関わらず、小さい魔女は踊りに出掛けてこっそりと輪に忍び込む。忍び込んだもののやっぱり見つかって、魔女のおかしらの前へ連れて行かれる。しかし、転んでもただではおきない小さい魔女。来年までによい魔女になっていれば、ワルプルギスの夜の前日に、魔女の委員会を招集して、そこで試験をすることを約束してもらう。

それからの一年間、小さい魔女は大好きな悪ふざけ、悪戯も控えて「いい魔女」になる努力を続けます。最初に梃子摺っていた魔法の本だって完璧に暗記します。 さて、結果はどうなったか?
「いつでもどこでも、魔法でわるいことをする魔女だけが、いい魔女なんじゃ!なのに、おまえは、魔法をつかって、いいことばかりしおったから、だから、わるい魔女なんじゃわい!」
ワルプルギスの夜のためのたきぎの山を一人で作るよう命じられた小さい魔女。解決策が痛快! でも今読むと、大きい魔女たちがちょっと可哀想でもある。

この本の影響で、「ワルプルギスの夜」と聞くと、この小さい魔女が「ワルプルギスのよーる!」「ワルプルギスの夜、ばんざーい!」と踊っている場面が思い浮かぶのです。


最初の頃の魔法の失敗(雨を降らそうとして、バターミルクを降らす)、新しい箒をならす場面あたらしいほうきというやつは、わかいウマとおんなじことです。のるには、まずならさなきゃなりません)、森のカーニバル(魔法による仮装大会。ウサギにはシカのつの、シカにはウサギの耳、カラスのアブラクサスにはリスのしっぽ、皆を食べてしまう恐れのあるキツネにはアヒルのくちばし)などなど、色々と魅力的な場面がいっぱい。「いい魔法」を使った後、ひっそりとその場を離れる所もいい。

箱絵、挿絵は残らず原書から転載したものとのこと。挿絵も綺麗なんです。愛らしい、はねっ返りの小さい魔女。友達に如何でしょうか。

著者: オトフリート・プロイスラー, 大塚 勇三
タイトル: 小さい魔女
(同じ作者の「小さいおばけ」「大どろぼうホッツェンプロッツ」は画像が出るのに「小さい魔女」だけ画像が出ないようです・・・。がーん。今手元にはないのですが、「小さいおばけ」「大どろぼう~」も同じくお薦めです)

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

まことの信心/「さいごの戦い」

 2005-05-20-08:14
有名な「ナルニア国ものがたり」。子供時代に箪笥の奥が気になった方もきっと多いはず。私もご多分にもれず、箪笥の奥が気になったし、同時期に読んでいた「グリーン・ノウ」の影響もあってか、古い民家なんかに行くと、ドキドキワクワクしちゃってしょうがありませんでした。どこかが異世界に繋がっているのではないか、と。

「ナルニア国ものがたり」は全七冊からなっていて、通して読むとナルニアという国の始めから終わりまでが、全て分かるようになっています。解説によるとこんな感じ(「」内が作品名)。

ナルニア生まれる     「魔術師のおい」
数世紀のち         「ライオンと魔女」
ピーター王のころ      「馬と少年」
数百年のち         「カスピアン王子のつのぶえ」
カスピアン王三年     「朝びらき丸 東の海へ」
カスピアン王七十年ごろ 「銀のいす」
チリアン王のすえごろ   「さいごの戦い」

イギリスの子供たちが偶然ナルニアという国に足を踏み入れ、この国の歴史に関わっていく。ナルニアには不思議な生き物が沢山暮らしていて、彼らから言わせると、人間は「アダムのむすこどの」だったり、「イブのむすめご」。ナルニアを訪れる子供たちの個性も色々で、中には不思議な物事に対してとても懐疑的な子もいる。皆が優等生なわけではない。子供たちはナルニアで過ごした後、現実の彼らの世界に戻って行く「さいごの戦い」ではもう戻らないわけだけど)。現実での時間の経過と、ナルニアでの時間は一致しない。ナルニアでの時は早く過ぎ、現実での時の歩みは遅い。だから、子供たちが長きにわたって、ナルニアの歴史に関わる事も出来るし、現実の社会に戻った時の違和感も少ないわけ。

実家から漸く引き揚げてきた本なのだけれど、流石に全七冊を読み直したわけではありません。印象に残っていた、「さいごの戦い」の箇所を書きたかったので、いきなりナルニア最後の本書について。

C.S.ルイス 「さいごの戦い」

ナルニア国は「偉大なライオンのアスラン」が創ったもの、本書ではその最期の様子が書かれる「偉大なライオン」が世界を「創った」という事で、まさに連想するのが聖書の世界。多少の宗教色は、やっぱり感じられる。

この最後の書の扉には、以下のように書いてあります。
辺境に住む大猿ヨコシマは愚かなロバにライオンの皮をかぶせてアスランと名のらせ、それが見破られると、今度は、破滅の神タシをナルニアによびよせてしまいます。人間界からはせ参じたジルとユースチスは、ナルニアを救うため、さいごの戦いにおもむきます。

いつもとは違い、冒頭からイヤな雰囲気。どんな冒険が始まるんだろう~、という御馴染みのワクワク感がありません。なんてったって、「ナルニア最期」なわけですから。大猿ヨコシマのせいで、ナルニアで暮らす人々、生き物達にとって辛い惨めな日々が続きます。人間界から子供たちが到着して、ヨコシマのいかさまが証明されても、一度騙された生き物達の中には疑い深く、「アスラン」「ナルニアの王」に対する不信感を剥き出しにする者達もいる。疑心暗鬼。


この本の中に大人になってからも印象深い箇所がある。

ナルニアと敵対するカロールメン人が信仰する「タシ」という恐ろしい神がいるのだけど、「タシ」を長らくまことに信仰していた年若いカロールメン人・エーメスに対してアスランが言う言葉。
「むすこよ、よくきた。わが子よ、タシにつかえたことはみな、このわたしにつかえてくれたことと思う。タシとわたしは一つではなく、まったく反対だからこそ、タシにつくすほんとうの信心は、わたしに通ずるのだ。なぜならわたしとタシとはまったく別であるから、よこしまな信心がわたしにむけられることはなく、よこしまならぬ信心がタシにむけられることはないのだ。タシにまことをちかって、そのちかいを守る者があれば、その者が知らないにせよ、その者がまことにちかった相手は、じつはわたしなのだ。」

キリスト教って様々な押し付けがあったけど、ああ、これはそうじゃないんだ、と。まことの心で信じたものは、真実の神に近づく。自分もカトリック信者なのだけど、本当にそう思う。自然や大いなるものに対する畏怖の念、尊敬の念は、きっと信仰に通じている。

更に本書はナルニア最後の書ではあるのだけれど、実はナルニア国はこれで終わりではない。

あの人たちにとって、ここからが、じつは、ほんとうの物語のはじまるところなのでした。この世にすごした一生も、ナルニアでむかえた冒険のいっさいも、本の表紙と扉にあたるにすぎませんでした。これからさき、あの人たちは、地上の何人も読んだことのない本の、偉大な物語の第一章をはじめるところでした。その物語は、永久につづき、その各章はいずれも、前の章よりはるかにみのり多い、りっぱなものになるのです。

ということで、物語が終わってしまっても、「終わっちゃったよ、しょぼーん」と淋しくならずに、またぐるぐると最初から読みたくなってしまうのです。子供の頃は、実際に無限ループしていたように思います。大人になってから読むのは引用箇所を見てもお分かりの通り、平仮名も多いし辛いかもしれないけど、いい本なのです。いろいろ考えさせられる要素が沢山詰まっているし、何よりも面白いのです。


著者: C.S. ルイス, C.S. Lewis, 瀬田 貞二
タイトル: さいごの戦い
*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたらご連絡下さい。

成長/ゲド戦記?「影との戦い」

 2005-05-17-07:55

ル=グウィン作 清水真砂子訳 「ゲド戦記? 影との戦い」

三巻までで長らく停まっていたのだけれど、なぜか昨今になって4巻「帰還」、5巻「アースシーの風」、別巻「ゲド戦記外伝」が刊行されています。
表紙にはこのように記されている。
ゲド戦記シリーズ
「無数の島々と海からなるアースシー(EARTHSEA)。並はずれた魔法の力をもつ男ゲドの波乱万丈を軸に、アースシー世界の光と闇を描く壮大な物語」
アースシーの設定からして、いいよなあと思う。

一応、最近のシリーズも買い揃えたのだけど、やっぱり子供の頃に親しんだ、ゲドの成長記である三巻までが好き。4巻以降は、テナーやテハヌーといった女性陣の方に、重点が移っているのかな。そしてファンタジー色がとっても薄くなっているように思う。自分が親しんだゲド戦記とは別物として読んだ方が、まだ納得がいくような気が致します。というかゲドが大好きだったから、あまりうらぶれたゲドを見たくない、というのも大きいのかも・・・。あれを「うらぶれる」だなんて、読みが甘い!と言われてもね。


一巻「影との戦い」で凄く印象に残っているのが、「真(まこと)の名」という概念。世界各地でこういった思想って存在するのですよね、確か。

強い能力を持つものの、まだ愚かで血気盛んな若者であるゲドに対し、師匠であり「ゲド」という彼の真の名を授けたオジオンの言葉。
「そなた、エボシグサの根や葉や花が四季の移り変わりにつれて、どう変わるか、知っておるかな?それをちゃんと心得て、一目見ただけでも、においをかいだだけでも、種を見ただけでも、すぐにこれがエボシグサかどうかがわかるようにならなくてはいかんぞ。そうなって初めて、その真の名を、その全存在を知ることができるのだからな。用途などより大事なのはそちらのほうよ。」

血気盛んで、傲慢なゲド。ゲドは自分の力を見せ付けるためだけに、「影」を呼び出してしまう。一巻「影との戦い」では、この「呼び戻してしまった災い」をもとに戻すまでが描かれる。

「そなたはすぐれた力を持って生まれた。そなたはそれをあやまって使ってしまったな。光と闇、生と死、善と悪、そうしたものの均衡にどういう影響を及ぼすのかも考えずに、そなたは自分の力を越える魔法をかけてしまったのだ。しかも動機となったのは高慢と憎しみの心だった。それでは悪い結果が出てこぬのが不思議というものだ。」

ゲドにはいい友人もいる。
「ただの人間でさえ、よほど信頼している人でなければ本名をあかさないのだから、よりあぶない目に会うことの多い魔法使いともならば、なおさらのことである。人の本名を知る者は、その人間の生命を掌中にすることになるのだから。それなのに、カラスノエンドウは自分さえ信じられなくなっているゲドに、真の友人だけが与え得るゆるぎない信頼のしるしを贈り物としてさし出してくれたのだ。」


魔法使いだからって何だって出来てしまうような設定でもないし、決して明るくもなく哲学的ですらある。でもこの話、子供の頃から大好きだったのです。


*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

著者: アーシュラ・K. ル・グウィン, 清水 真砂子, Ursula K. Le Guin
タイトル: 影との戦い―ゲド戦記 1
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫
プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

掲示板その他リンク

ユーザータグ
最近の記事
カレンダー
01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -

RSSフィード
カウンター

月別アーカイブ
検索エンジン情報
Googleボットチェッカー Yahoo!ボットチェッカー MSNボットチェッカー

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。