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「青いチューリップ」「青いチューリップ、永遠に」/そのチューリップが咲くとき

 2008-02-11-22:57

新藤 悦子, 小松 良佳

青いチューリップ (講談社文学の扉)

青いチューリップ、永遠に (文学の扉)


またまた、「Ciel Bleu 」の四季さんところで気になった作家さんです。

著者、新藤悦子さんは、ノンフィクションライターでもあり、ファンタジー小説家でもあるそうな。この「青いチューリップ」はファンタジーではないけれども、ノンフィクションでもなく、この時代にあったかもしれない少年少女の物語。

ちょうど、これ、夢枕獏さんの「シナン 」と時代がかぶっているんですねー。その辺の予備知識がなく、このてんこ盛りの本を読むのはちょっと辛かったかも?

新藤さんの本のどれかを読むつもりで、最初にこの二冊に行ってみたのだけれど、うーむ、これは四季さんも書かれているけど、一冊目の「青いチューリップ」はちょっと詰め込み過ぎですね。

■四季さんの記事
・「青いチューリップ」「青いチューリップ、永遠に」新藤悦子
クルディスタンの山の民であり、羊飼いの息子、ネフィはある日、父、カワと共に、山の中で旅人、バロに出会い、彼を助ける。バロはオスマンの国の都イスタンブル、スルタンの街から来たのだという。バロが歌う「青いラーレ(チューリップ)」の歌に、父カワは顔色を変える。赤いラーレは数あれど、青いラーレは都にはない。また、その歌も父にとって特別なもののようで…。

父はその歌をバロに教えた人物に会いに、ネフィは山に咲く青いラーレを、有名な栽培家であるアーデム教授に見せるために、巡礼の旅と称し、山を下り、エユップまで旅する事になる。

ネフィは『春の使者』と名付けられた山のラーレを手渡してからも、アーデム教授の元を去らず、学校に通わせて貰い、チューリップの交配や薬草の知識もつけ、教授の庭仕事の右腕として育つ。絵師を夢見る教授の娘、ラーレと共に…。勿論、イスラムの国であるトルコでは、女が絵師になれる望みなど、あるはずもないのだが。

山のラーレが教授の庭で咲いてから七年、とうとう、二人は真っ青な色を持つラーレを咲かせることに成功する。

扉には、「こんな花、咲かせてはいけない。よからぬことが、かならず起こります」という不吉な言葉が記されているのだけれど、まさにここから青いラーレを巡って、アーデム教授の一家の元に不幸が訪れる。アーデム教授はスルタンの怒りを買い、牢に入れられ、家財一切は召し上げられてしまう。

一巻は、このアーデム教授を助けようという、ネフィとラーレ二人の冒険譚。いくら、宮廷の絵師頭、シャー・クルの孫娘だからとはいえ、こんなにうまくいくか??というところも多々あるんだけど、物語はガンガン進む。また、先ほどは「二人の」冒険譚と書いたけれど、ほんとはシャー・クルがお目付け役としてよこした、一番弟子のメフメットも、この旅のメンバーの一人。ネフィやラーレが生き生きと描かれる分、冷静沈着で彼らよりも少し大人のメフメットは少々分が悪い感じ。

二巻は、ラーレをめぐる恋の話と、成長して大人の入り口に立った、彼らそれぞれがどう生きていくか、というお話。一巻に比べると、だいぶすっきりしているけど、やはり、ここでもネフィの恋敵メフメットはどうも分が悪いなぁ。

もっともっと細かく丁寧に語る事が出来る部分も、展開を重視するタイプの児童書なのか、すごい勢いで飛ばしていきます。それでも印象に残ったのは、都が贅を尽くしている頃に、苦しんでいる東の辺境の人々の事や、スルタンの栄光がだんだんと翳って行くところ。ちょっとこの後の、オスマントルコの時代的な背景が自分には良く分らないのですが…(それでも、とりあえず、Wikipediaのスレイマン一世の項にリンク )。栄光のオスマントルコという大国と比較しても、ネフィやラーレの若さは眩しく力強い。一巻の旅の間、ネフィ、ラーレ、メフメットは、これまで自分たちが知らなかったような世界を見、それによって彼らの世界観は変わる。これまた、生き生きと伸びていくネフィ、ラーレに比べて、メフメットはマイナス面の影響しか受けていないようにも思うのだけれど…(というか、メフメットはどうやって立ち直ったんだ??)。

ペリ(妖精のようなもの)が出てくるところでは、「砂漠の宝―あるいはサイードの物語 」を思い出した。こちらは、実際の旅と物語が絡み合っていくお話なのだけれど、旅と言えば、これぐらいじっくり語れてしまうものなのにねえ。本筋ではないからか、「青いチューリップ」では、キャラバン・サライなどの話も出てくるけれど、あくまでさらり。でも、続きもありそうな終わり方なのです。次は、ネフィの砂漠への旅かな??

もくじ~青いチューリップ~
一 都へ
二 幻のチューリップ
三 アーデム捕らわれる
四 宮廷
五 流れ者バロ
六 キャラバン
七 山の長老団
八 洞窟に絵を
九 炎の祭り

もくじ~青いチューリップ、永遠に~
一 アーデム教授の秘薬
二 ユダヤ人医師モシェ
三 ラーレの結婚話
四 謎の招待状
五 シャー・クル倒れる
六 妖精ペリ
七 らくだとげの秘密
八 ハレムの女楽師
九 ペルシアへ
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「村田エフェンディ滞土録」覚書

 2007-01-15-23:54
当たり前だけれど、小説は教科書ではないわけで、さらりと書いてある事に、時代背景が滲んでいたり、何気なく読み過ごした一文にも深い意味が隠されていたりする。その辺、分からなくても、読んじゃうことは出来るけど、それって何か勿体無い!、ということで、現段階での思いつく限り、ネットで拾えた限りの「村田エフェンディ滞土録 」メモ。

◆冒頭に、エルトゥールル号事件が9年前とある
:1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号(Ertu醇Zrul Firkateyni)が、和歌山県串本沖、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難した事件。この事件は、日本とトルコの友好関係の起点として記憶されている。

◆MURATAは、土耳古でごく一般的な名前、MURATと似ている。

◆オットーは、シュリーマン氏のトロイ遺跡発掘の、第四次発掘隊にも加わった。

◆タキトゥスの『ゲルマーニア』には、「ただ自分みずからにだけ似る種族」との謂がある。

◆スタンブールの行商人は、大抵、アルバニヤ希臘人かアルメニア猶太人。

◆イスラム教では犬は不浄のもの。

◆味噌玉
:山田氏の家に先祖代々伝わる兵糧食。削った鰹節を炒って粉末にし、葱と共に味噌に突き込んで球状に丸め、焼いたもの。

◆ペルガモン遺跡
:オットーがいつか村田を連れて行くつもりだった遺跡。

◆イェニ・ジャミィ
:スィナンの後継者であるダウト・アーによって設計された。(Wikipedia「オスマン建築 」より )

◆「アジヤデ」

ピエール ロティ, Pierre Loti, 工藤 庸子

アジヤデ

:ディクソン夫人、これをもってディミトリスを諭す?

◆テレンティウスという古代ローマの劇作家の作品に出てくる言葉。
セネカが引用してこう言っている。
「我々は、自然の命ずる声に従って、助けの必要な者に手を差し出そうではないか。この一句を常に心に刻み、声に出そうではないか。『私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない』と」

◆ビザンツ最後の皇帝、コンスタンティヌス十一世

◆アラービー・パシャ(アフマド・アラービー)による、アラービー運動『埃及人のための埃及』?

末松 謙澄 ?

山田宗有
?
トランスヴァール共和国
?
オレンジ自由国
?
コプト正教会
?
統一進歩団
◆◆これまで読んだ本との関連◆◆
遺跡の発掘といえば、アガサ・クリスティも考古学者の夫マックスと共に、メソポタミアで発掘を行っていたのだけれど(「さあ、あなたの暮らしぶりを話して 」? )、あれは第二次大戦前ということで、この滞土録よりは後の事になるのかなぁ。

そして、土耳古といえば、「シナン 」!

「村田エフェンディ滞土録」/私と、私に連なる者たち

 2007-01-14-22:54
梨木 香歩
村田エフェンディ滞土録

目次
一 鸚鵡
二 驢馬
三 ヨークシャ・プディング
四 神々の墓場
五 アジの塩焼き
六 羅馬硝子(ローマガラス)
七 ニワトリ
八 雑踏の熊と壁の牡牛
九 醤油
十 馬
十一 狐
十二 雪の日
十三 山犬
十四 大市場(カパル・チャルシュ)
十五 まつろわぬ足の指
十六 博物館
十七 火の竜
十八 日本

「Disce gaudere」ディスケ・ガウデーレ(楽しむことを学べ
ムハンマドが通りで拾ってきた鸚鵡は、土耳古(トルコ)の下宿屋の食堂で叫ぶ。

さて、タイトルにあるエフェンディとは、学問を修めた人物に対する一種の敬称。よって、タイトルの村田エフェンディとは村田「先生」という程の意味で、家政を司る土耳古人のムハンマドは、下宿人のことを「エフェンディ」と呼ぶ。下宿人とは、質実剛健な独逸人の考古学者、オットー、発掘物の調査に当たる研究家であり、端正な美男で時に哲学者のようでもある、ビザンツの末裔だという、希臘人のディミトリス、それに日本人の留学生で、考古学を学ぶ村田。マルモラ海への眺望が素晴らしいというこの屋敷には、彼ら三人の学者と、英国人でこの下宿屋の主人であるディクソン夫人、土耳古人のムハンマドが住む。

信仰する神も違えば、民族も異なるこの人々と、日本人村田は友情を育んでいく。最後の村田の言葉を借りれば、「私は彼らに連なる者であり、彼らはまた、私に連なる者達であった。彼らは、全ての主義主張を越え、民族をも越え、なお、遙かに、かけがえのない友垣」となった。

また、「
家守綺譚 」ではないけれども、この屋敷にも様々なものが「出る」。払い下げられた遺物を建築資材とすることが珍しくもないこの街で、この屋敷もまた様々な神々の祭壇で出来ていたのだ。今はもう誰も拝まなくなった、名もない神たち。屋敷の壁には、そこで立つ事が習い性になっているビザンティンの衛兵がぼんやりと立ち、村田の部屋の壁には様々に形を変えるものや、牛の角がぼうっと浮かび上がり、波斯(ペルシア)から土耳古に入る途中、匪賊に襲われた木下から稲荷の札を貰って帰れば、ざわざわとざわめいた後に、これまで居た牛の角や羊の角などと三者がしんみりと語り合っているようでもある。

村田が日本に帰ることになった時に見た夢は、こんな夢。

巨大な牡牛と、キツネに山犬、アオサギに牡羊が、透明な炎を纏っているイモリのような小さな火の竜を真ん中にして、横になりくつろいでいた。それを横目で見ながら、私はアレキサンダー大王に向かい、気心が知れるまでの間なのだ、若しくは全く気心が知れぬと諦めるまでの間なのだ、殺戮には及ばぬのだ、亜細亜と希臘世界をつなげたいと思ったのだろうが、もう既に最初から繋がっているのだ、見ろ、と懸命に説いている。

個別には「連なる者」となった彼らであり、土耳古の未来のために、懸命に働くものたちもいるのだけれど、村田が土耳古を去った後、事態は悪いほうへと進んでいく。ラスト、ディクソン夫人の手紙が知らせる事実は、あまりに切なく、哀しい。

人間は過ちを繰り返すもの。そして、人の世は成熟し、退廃する。人はそれを繰り返していくだけなのだろうか。しかしながら、繰り返す事で学ぶ事もある。繰り返した事は、全く同じでは有り得ない。それはきっと新しい型。「人が繰り返さなくなったとき、それは全ての終焉です」。

歴史とは物に籠る気配や思いの集積でもある。村田たちの友情も、何かに籠り、国境を知らない大地のどこかに、密やかに眠るだろう。

そして、日本に住む村田の手元に戻ってきたのは、絶妙なタイミングで、絶妙な言葉を叫ぶ、あの鸚鵡・・・。友よ!」
ちなみに、この村田は、家守綺譚」で綿貫と時折手紙のやり取りをしていた、あの村田であり、日本へ急遽帰る事になった村田は、綿貫の家を下宿先とし、高堂とも出会います。

本当に好きな言葉が沢山ある本だったのだけれど、西洋の合理的、明晰な論理性を叩き切る、シモーヌの言葉も良かったです。

そういう世界、知らなくもないけど。あまりにも幼稚だわ。分かることだけきちんとお片付けしましょう、あとの膨大な闇はないことにしましょう、という、そういうことよ。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。

あまりに感銘を受けたので、思わず色々メモしてしまいました。
→「
村田エフェンディ滞土録」覚書
←文庫化もされています。

「イスタンブール、時はゆるやかに」/魅惑のイスタンブール

 2006-05-08-22:10
古本屋で表紙とタイトルに惹かれ、何の気なしに買った本だったんだけど、思いのほか楽しめた。また、この本の著者は、澁澤龍彦氏の妹君であらせられるらしい。

渋沢 幸子
イスタンブール、時はゆるやかに


目次
テサロニキから汽車に乗って
ガラタ塔への夜の散歩
焼き肉(ケバブ)の香り漂う街
『花の小路(チチエツキ・パサージュ)』でラクを飲んで
イスタンブール無宿
「皇子たちの島(プリンシイズ・アイランズ)」の老婦人
アクバイラック家の人々
ブルサの銭湯(ハマム)で輪になって踊る
「来年また来るね、インシャアラー」
二人のアイシェ
クラビホの見たコンスタンティノープル
カッパドキアの農婦
アダパザールの危機
運転手がくれたビョレッキ
私はタタールと思われたのだろうか
ガジアンテップの踊り子
ハランの受難
クルド青年のテントで
悠久のティグリスの流れに
奇跡の都イスタンブールよ
あとがき
文庫版あとがき
解説  海老坂 武


東洋と西洋が出会う街、トルコはイスタンブール。本書には、著者が1981年に初めてバックパッカーとしてトルコを訪れてからの、十数年にわたる旅の話が収められている。

トルコの無闇に親切な人々に出会った著者は、カーペット屋を営む若者、アルパッサンの一家(アクバイラック家)と親しくなる。トルコの一家の懐にすっかり入り込んだ著者。であるからして、この本は単なる「若い女性の旅行記」ではなく、トルコの一般家庭の風習なども良く分かるというわけ。

歴史に関しても抜かりなく、『三大陸周遊記』『チムール帝国紀行』『東方の旅―下』などからの、適切な引用もある。ま、私は、夢枕さんの『シナン 』の知識で無理矢理読んじゃったんだけど・・・。?

このアクバイラック家をベースにしつつ、著者はその周辺へも貪欲に旅していく。

「皇子たちの島」の老婦人では、マルマラ海に浮かぶ島のひとつ、大島(ビュユック・アダ)へ。偶然出会った老婦人に、時が止まったような彼女の屋敷に招待される。この地は、ビザンティン時代、帝位継承権を持たない皇子や皇女、帝位を追われた帝たちが島流しにあったため、その名がついたのだという。この老婦人はギリシア人。ギリシアがトルコから独立した後、トルコに住んでいたギリシア人と、ギリシアに住んでいたトルコ人が交換された。ほとんど、「歴史」とも言えるこのアンダラギを、老婦人は実際に体験していたというわけ。誇り高いけれど、時に忘れられたような老婦人と、淋しげな「皇子たちの島」がぴったり。

素敵な人たちと「偶然」に出会い、仲良くなっていく著者だけれど、時にはこんな出来事もある。アダパザールの危機では、おかしなバスに乗せられて、あわやの危機に。親切な人が多いとはいえ、やはり危ない女性の一人旅。特に、イスラム教徒の男性の中には、同国人の女は身持ちが堅くて、うかつに手を出せないけれど、アッラーを信じていない外人女は話が分かると思い込んでいる、不埒な連中もいるらしい。

どんな人にも心を開いて、ついていってしまうように見える著者であるけれど、「敵が根っからの極悪非道の犯罪者か変質者でなければ、九〇パーセントの危機は、毅然とした態度と沈着な判断で回避できるように思う。それだけの自信がない女性は、単独旅行はしないほうがよい」との確固たる信念を持って、旅をしているのだ。 こういった危険に関しては、1990年頃から頻発しているという、イスタンブールで一人旅の若い日本人男性を狙う睡眠薬強盗事件についても言及あり。

この記事では、危機について多くを割いてしまったけれど、実際は人々との豊かな出会いや体験が綴られている。解説にもあるのだけれど、「この風来姫のような旅人には、親切な人を呼び寄せるという飛び抜けた才能がある」。人見知りせず、相手にもそうさせない、親切と笑顔を引き出す様は天晴れ。

こんな風に人と出会えるかは別として、イスタンブールは一度は行ってみたい街。

*臙脂色の文字の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「シナン」/神を捕らえる

 2005-11-02-09:10
夢枕獏「シナン」中央公論新社

タイトルの「シナン」は、オスマントルコ時代の建築家の名前。
彼は、それまでのトルコ建築、あるいはイスラム建築の歴史を一変させた人物であり、ミマール・コジャ・シナン(偉大な建築家シナン)と呼ばれた。シナンはその百年の生涯をかけ、石をもって神を捕らえようとした。

シナンの生きる時代より更に一千年以上も昔、イスタンブール(当時はコンスタンチノーブル)に、巨大なギリシア正教会の聖堂があった。
建物の上部に半球状のドームが被さり、その球の直径はおよそ三十一~三十二メートル。ドームの内側の頂点までの高さは、床から五十六メートル。

一四五三年、オスマントルコのメフメット二世によってビザンチン帝国が滅ぼされ、コンスタンチノーブルが陥落した時、この巨大な聖堂、聖ソフィアは、イスラム教のモスク(=ジャーミー)に改められた。
オスマントルコは、ヨーロッパとアジアに覇を唱え、巨大な帝国を築いてゆくが、コンスタンチノーブル陥落以来、キリスト教国から、一二〇年余りも言われ続けたことがあった。曰く。

「野蛮人」
「トルコ人は、他人が築きあげたものを奪うことはできるが、文化的には極めて劣っている。それが証拠に聖ソフィアより巨大な聖堂を、彼等は建てることができないではないか」

聖ソフィアよりも巨きなモスクを建てること。 これが、オスマントルコ帝国の歴代の王の夢となった。
この悲願を、コンスタンチノーブルが陥落してから一二二年後、ミマール・シナンという天才建築家が為しとげた。トルコのエディルネに建てられたモスク、セリミエ・ジャーミーがそれであり、ドームの直径は三十二メートル。
これは、シナンが八十七歳の時の出来事であった。

シナンは
デヴシルメ という一種の徴兵制度により、オスマン・トルコのスルタン直轄の歩兵軍団であるイェニチェリ の一員となった(それぞれ、Wikipediaにリンク)。

この時代、アナトリア地方やバルカン地方に住むキリスト教徒の少年は、定期的に強制徴用され、イスラム教への改宗の後、個人の資質にあった教育・訓練を施された(イェニチェリの他は、宮廷侍従や官僚、地方官などへ登用された)。

デヴシルメの出身者であるシナンは、当初はキリスト教徒であった。信仰する神を変え、故郷を捨てなくてはならないのだから、当然苦悩する者も多かった。しかし、シナンはそうではなかった。

神が、この世で唯一のものなら、その神に名をつける必要があるのだろうか
― そもそも、神に名をつけたのは誰であるのか。
それとも、神自らが、自らの名を語ったのだろうか。

シナンは上のような疑問を抱えた少年であり、郷里では神父と次のような対話を行っていた。

「名というのは、便宜上のものなのだよ」
「―」
「名があると、便利であるから我々はものに名をつけ、それを使うのだ。存在の本質に関わるものだが、本質そのものではない」
「名をつけたから、神が存在するのではない。名をつける前から神は存在しているのだ。名をとったからとて、神はこれまでと同様に存在する―」

シナンが神父との対話により得た答えは、以下のようなものだった。

「心により多くの量の神を持つものは、この世により多くの量の信仰心を持つ者は、それを持たぬ者よりずっと多く神を見ることができるであろう」

故郷の小さな村で、彼は神父が神の存在を確かに感じたという、イスタンブールの聖ソフィアに思いを馳せる。聖ソフィアを見ることが出来るという一点で、デヴシルメという制度はシナンにとって好都合であったともいえる。

イスタンブール到着後、聖ソフィアに向かったシナンは、その存在感に圧倒されるが、まだそれは、神を捕らえるに完全なものではないと感じる。ギリシア正教から奪った聖堂である聖ソフィアは、上から塗り固めたものの、所々にギリシア正教時代の顔を覗かせているのだ。ここに、シナンの生涯を掛けた夢、「神を捕らえること」がはじまる。神を捕らえることが出来れば、より多くの人が神を感じることが出来るのではないか?

シナンは、歩兵軍団であるイェニチェリの建設部門(戦争中に橋を掛ける、船を作って部隊を輸送するなど)に配属されるが、勿論直ぐにジャーミー(モスク)を作ることが出来るわけではない。ジャーミーの建築にはまだ長い時が必要となるが、シナンは着実にそのステップを踏んでいく。

遥か遠くを見つめるシナンに対し、同じイェニチェリの仲間で、どこまでも現世的な出世を目指すハサンとのコンビもいい。両者ともタイプは全く異なるのだけれど、互いを尊重し、その能力を認め合うという点では、同じ夢枕獏が描く晴明と博雅のコンビを思い出す。

その他の登場人物は、スレイマン大帝、その妻であるロクセラーヌ、宰相イブラヒム、詩人ザーディ。ヴェネツィアでは、ミケランジェロ・ボナロッティが登場する。この時代の、微妙な政治的駆け引きの話なども興味深い。

終章の「チューリップの丘」だけは、少し夢を見ているのだけれど、ここまで丹念にシナンの生涯を追ってきたのだから、最後少しくらい夢を見てもいいよね、と思う。どこまでも揺るがず、一つの目標を淡々と見据える、シナンの透徹した眼差しが印象深い本だった。

夢枕 獏
シナン (上) シナン (下)

風のような文、史実を巧みに織り交ぜた文章には、全然違うと言われるかもしれないけれど、私は司馬遼太郎に似た香りを感じた。 本の装丁がすごく凝っていて美しいのだけれど、写真や挿絵がないのを非常に残念に思った。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

fc2とアメブロの相性の悪さは困ったものですね~。

繋がらない「みすじゃん。」のおんもらきさんの記事にリンク
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プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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