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「女たちの遠い夏」/陽炎のようなあの夏の思い出・・・

 2007-04-18-23:58
カズオ・イシグロ, 小野寺 健, Kazuo Ishiguro「女たちの遠い夏

カズオ イシグロ, Kazuo Ishiguro, 小野寺 健

遠い山なみの光


カズオ・イシグロの「女たちの遠い夏」。原題は、「A Pale View of Hills」ということで、私が読んだのはちくま文庫版「女たちの遠い夏」なんだけど、ハヤカワ文庫から出ているものは「遠い山なみの光」というタイトルになっているそう。訳者も同じ方のようだし、これ、中身は一緒なのかなぁ? 原題に近いのはハヤカワ文庫だけれども、読み終わってみると、ちくま文庫版のこのタイトルも、翻訳としてはとてもいいな、と思う。

イギリス人の夫と二度目の結婚をし、イギリスに移り住んだ日本人女性、悦子。日本人の夫、二郎との子供、景子の自殺という事態に直面した彼女は、帰し方を振り返る。

もう、全編、カズオ・イシグロならではの、「信頼ならざる語り手」の風味が満載。この作家の場合、書かれていることよりも、書かれていないことの方が、実は重要だったりするので、うーむ、実際はこの時何が起こったのだろう?、この人はどう考えていたのだろう?、と色々想像しながら読みました。こういう書き方のスリリングさに、慣れてくると、ゾクゾク、ドキドキしちゃうなぁ。

悦子が思い出すのは、主にあの夏の出来事。彼女が一人目の子供(景子?)を妊娠中に、過ごした戦後の長崎での思い出。

まだ親子が同じ家に住む事が当たり前だった時代、新婚の二郎と悦子が暮らしたのは、狭いけれどそれなりに現代的で、若夫婦が多く暮らすアパート。その夏、二郎の父、「緒方さん」は、悦子たち夫婦の元に逗留する。

「緒方さん」が象徴するのは、価値基準が変わってしまった世の中で、上手く適応することが出来ない人間。生涯を教育に捧げた「緒方さん」だったけれど、戦後においては、アメリカによる民主主義が幅を利かせ、戦前の教育は全て悪であるとされた。息子もまた、自分自身の仕事に忙しい現役世代だからして、父親のそんな気持ちを顧みることはない。この父子の将棋の場面など、かなり切ない。悦子のみが、その「緒方さん」の気持ちに寄り添うのであるが・・・。見たことないんだけど、ちょっと小津映画の『東京物語』のようでもあるのかな?

いま一人、登場するのは佐知子という名の、少々得体の知れない女。彼女は所謂、「アメリカさん」であり、悦子たちが暮らす集合住宅から少し離れた古い木造の家に、娘、万里子と暮らす。悦子は何かと彼女たち母子を気に掛けるのだけれど、佐知子の態度はあまりいいとは言えない。本来は名家の嫁であり、戦争さえなければこんな暮らしをしてはいなかった、と薄笑う彼女。口では娘の幸せが一番、と言いながら、娘の万里子を放っておいたり、万里子が飼っていた子猫を引越しに邪魔だから、という理由のみで殺してしまったりなどと、母親としてもちょっとどうか、という感じ。佐知子が象徴するのは、自分自身の幸せや可能性のみを追求する人間なのかなぁ。学校に行っていない娘の万理子も、一風変わった感じで、それは悦子の自殺した娘、景子の生前の引き篭もる様にも通じている感じ。

日本を棄てて、アメリカに出て行こうとする佐知子。端から見れば、そんなあやふやな可能性に、自分や娘の人生を賭けてもいいのか?、と思えるのだけれど、不確かなものだと分かっていても、何もない人生よりは余程ましだと佐知子は言い切る。

多くは語られないけれど、それはきっと日本人の夫、二郎と別れ、イギリスに渡った悦子の生き方とも重なるはず・・・。

回想する悦子の傍にいるのは、イギリス人の夫との間に生まれた娘、ニキ。ニキは悦子の生き方を肯定するけれど、ニキ自身の人生への母親の干渉は固く拒む。そして、ニキもまた、親の干渉を拒んだ自分の世界、彼女の居場所であるロンドンへと帰っていく・・・。

様々な価値観、阻害されたコミュニケーション、脆弱な世界・・・。こう並べると否定的にも思えるけれど、興味深く、面白く読みました。全編を覆うのは、何となく不穏なイメージだし、「幸せです」と言い切るたびに、不幸や不安が覗く感じなのだけれど・・・。

うーん、そしてこれは、悦子=佐知子で、景子=万里子なのでいいのかな。佐知子母子と妊娠中の悦子の三人で、長崎のケーブルカーに乗ったときの思い出について、「あの時は景子も幸せだったのよ」とあるのだよね。やはり、カズオ・イシグロは油断がならないのでありました・・・。


■カズオ・イシグロの感想
・「
わたしを離さないで 」/この無慈悲な世界の中で ← これにて瞠目
・「
わたしたちが孤児だったころ 」/揺らぐ世界の中で・・・・
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「わたしたちが孤児だったころ」/揺らぐ世界の中で・・・・

 2006-11-29-21:57
カズオ イシグロ, Kazuo Ishiguro, 入江 真佐子
わたしたちが孤児だったころ

わたしを離さないで 」のカズオ・イシグロ熱が冷めやらないまま、読んでみました、こちらの一冊。上海の租界で育ったイギリス人、ロンドンの社交界、私立探偵・・・と、私が好きな要素が詰まっていたので、「わたしは~」の次の一冊に選んだんだけど、流石カズオ・イシグロ。一筋縄ではいかない感じでありました。

目次
PART? 1930年7月24日 ロンドン
PART? 1931年5月15日 ロンドン
PART? 1937年4月12日 ロンドン
PART? 1937年9月20日 上海、キャセイ・ホテル
PART? 1937年9月29日 上海、キャセイ・ホテル
PART? 1937年10月20日 上海、キャセイ・ホテル
PART? 1958年11月14日 ロンドン
訳者あとがき

主人公は、クリストファー・バンクス(幼少時のニックネームはパフィン)というイギリス人男性。幼少時を上海の租界で過ごした彼は、十歳にして両親を失う。父と母が別々に失踪を遂げたのだ。クリストファーはイギリスに住む裕福な伯母の元へと、ひとり送り返されることになる・・・。

寄宿学校とケンブリッジ大学を順調に卒業した彼は、いよいよ兼ねてからの計画に乗り出すことになる。それは、私立探偵になるということ。これは、勿論ついに行方が知れなかった彼の両親の事と無縁ではない。そう、上海での最後の幼き日々、隣家の少年、アキラと父を探す警官ごっこをしたように。

私立探偵としてこちらも順調に名を上げた彼は、いよいよ満を侍して上海に乗り込むことになる。強い倫理観を持つ気高く美しい母は、イギリスの企業がアヘン貿易に手を染めている事に対していつも憤っていた。その企業には、夫が勤め、彼ら一家の生活を支えていた企業までもが含まれていたのだが・・・。

クリストファーは母の強い倫理観や、その母に応えようとする父の行動が、謎の失踪事件に関わっていると考え、事件から20年以上が経過しているにも関わらず、両親の無事を疑わない。そう、彼らはきっとどこかに幽閉されているだけであり、探偵として力をつけて来た彼の力をもってすれば、事件は解決するはずなのだ。また、クリストファーが乗り込んだ上海の社交界の人々も、彼の快挙を疑わないように見えるのだが・・・。
語り手はクリストファーなのだけれど、読者はこの語り手をどこまで信用していいのか分からない。最初からちらほら覗く、彼の主観と客観とのズレが、段々大きくなってくるようでもある。臨場感溢れる今現在の供述のようでいて、「とはいえ、これは~年(日)前のことだ」というように、読者はそれが既に起こってしまった事の回想であることを後から知る。そう、読んでいる内に、世界はどんどん揺らいでいくのだ。

20数年前のたった二人が消えた事件を、世の人々はいつまで覚えているものなのだろうか? 本当に彼らの無事を信じているのだろうか? そして、クリストファーが、自身に寄せられていると信じている期待は本物なのか? 既に日中戦争が始まっており、優雅で怠惰な上海租界の社交界で行われるパーティーの外では、日本軍による爆撃が光る。悪と戦ってきた私立探偵は、この状況をも、たった一人で変えられるというのだろうか。

わたしたちが孤児だったころ。この作品に出てくる孤児は、三人。クリストファー自身。クリストファーが惹かれる女性、サラ。クリストファーが引き取った、身寄りのない少女、ジェニファー。何かの証を立てたいと必死に願っていたサラは、既に引退しようとしていた名士、セシルとの婚姻にその証を得た。ジェニファーは両親がいないことなど物ともせぬような、生気あふれる賢い少女であったが・・・。

わたしたちが孤児だったころ。訳者あとがきのイシグロの言葉にもあるように、「過去にこのような強いトラウマを持たないふつうの人々も、親の庇護のもとでぬくぬくと暮らしていたところから巣立ち、初めて現実の世界に立ち向かったとき、世界とは親から聞かされていたようなすばらしいところでは決してないという事実に直面させられる。突然、世間の荒波の中に放り出されたわたしたちも、言ってみればみな孤児のような時期を経験している」。私たちが、大人の庇護なくして初めて世界に打って出る時、そのとき、私たちはイシグロの言うように、世界に対して無力な孤児なのかもしれない。世界は子供の頃信じていたような、若しくは信じ込まされていたような、温かい、明るい場所だけではない。そして、その外の世界から見れば、個人にとって重要だった出来事も、それは瑣末な出来事になってしまう。

しかし、そうであっても尚、やはり個人にとって重要なことは、その個人にとっては大切な事である。孤児として世に出る私たちは、そこでまた新たな関係性を形作っていくものなのかもしれない。ラスト、養女ジェニファーにも何か良くないことが起こった事が示唆され、もう彼女は生気に溢れた少女ではないことが知れる。それでも、ここまで形作ってきたジェニファーとクリストファーの絆は温かい。
いや、やっぱり良かったですよ、カズオ・イシグロ。さて、次は何を読もうかな~。

 ← こちら文庫。

■カズオ・イシグロの感想
・「
わたしを離さないで 」/この無慈悲な世界の中で ← これにて瞠目
・「
わたしたちが孤児だったころ 」/揺らぐ世界の中で・・・・
・「
女たちの遠い夏 」/陽炎のようなあの夏の思い出・・・(もしくは、「遠い山なみの光」)


*臙脂色の部分は引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「わたしを離さないで」/この無慈悲な世界の中で

 2006-11-19-19:42
カズオ イシグロ
わたしを離さないで

1990年代末のイギリス。

十一歳だったキャシー・Hは、ジュディ・ブリッジウォーターの『夜に聞く歌』に収められた「わたしを離さないで」を飽くことなく聴く。「ネバーレットミーゴー・・・・・・オー、ベイビー、ベイビー・・・・・・わたしを離さないで・・・・・・」彼女が思い浮かべるのは、一人の女性。子供に恵まれなかったのに、奇跡的に授かった赤ちゃんを胸に抱きしめ歌うのだ・・・。勿論、ここで言う歌詞の「ベイビー」は、赤ちゃんを指すベイビーではない。しかしながら、キャシーにとっては、母親と赤ちゃんの曲だったのだ。

三十一歳となった「介護人」のキャシー・Hは、「介護人」としての生活と、彼女が過ごした子供時代を語る。彼女が子供時代を過ごしたのは、ヘールシャムという施設。

癇癪持ちだけれど、明るい気質を隠そうともしないトミー、いつも思わせぶりながら、多大な影響力を持つルース、他の子供たち・・・。厳格なエミリ先生、率直なルーシー先生、子供たちにとって少々不気味な存在でもあった「マダム」。教えるべきことをきっちりと押さえた丁寧な授業。異様に力を入れられる、「創造的な」図画工作の時間。詩作・・・。繰り返されたトミーへの苛め。毎週の健康診断。外部から遮断され、入念に保護された生活。一風変わった寄宿舎生活にも見える、この施設での生活の秘密が徐々に明かされる・・・。そして、ヘールシャムからの巣立ち。彼女たちは十六歳でこの施設から巣立つ。

抑制の利いた筆致は最後まで崩れる事がないけれど、ここで語られ、やがて立ち上がってくるのは驚愕としか言いようがない世界。この世界の中で、ヘールシャムの子供たちはどう生きたのか? そして、その他の施設からやって来た「子供たち」の間にも根強かった、ある噂。噂は果たして真実なのか?

抑制の利いた筆致は、しかし残酷で無慈悲な世界を暴き出す。知りたがり屋のキャシーとトミー、それに反して信じたがり屋だったルース・・・。人にとって「最善」とは何なのか?

私の文章も、思いっきり思わせぶりになってしまったような気がするけど、これは本来、何の先入観もなしに読んだ本がいい本だから。でも、間違いなく凄い本です。是非是非、読んでみてくださいませ。面白くて読むのが止められなくなる本は、そう多くはないけれど、まぁ、それなりに数はある。
でも、久しぶりに切実な意味で、読むのが止められなくなる本でした。抑制された筆致ながら、胸に迫り繰る切迫感は凄まじいです。

カズオ・イシグロといえば、日の名残り」を読んだ切りだったんだけど(あのころは、イシグロ・カズオじゃなかったっけ?)、読んだときの自分の年齢が幼かったのか、本当にその良さを理解できたとは言えなかったような気もする。あれはリアリズムの世界だったけれど、こちら、わたしを離さないで」は近未来のあるかもしれない世界を描いて、その中で生きる人間たちの像が実に素晴らしい。ああ、凄い本を読みました。

先生の言葉から喚起された、ノーフォークという土地への子供たちのイメージ。イギリスのロストコーナー(忘れられた土地)、ノーフォーク。先生が授業で話した「ロストコーナー」とは、忘れられた土地という意味だったけれど、ロストコーナーには遺失物置き場という意味もある。子供たちの中で、ノーフォークはイギリスのロストコーナー、イギリス中の落し物が集められる場所となった。このノーフォークのイメージは、美しくも哀しい。

作中に出てきた、ジュディ・ブリッジウォーターという歌手。検索をかけてみたところ、どうやら架空の人物のようです。こんなところも、きっちりと作り込まれていたのだなぁ。 静謐な世界、喪われるものを描く点では、小川洋子さんの作品にも似ているように感じたけど、小川さんがそこまでは描き切らない痛いところ、辛いところまで、抑制の利いた筆致を崩さぬまま、きっちりと描いているような印象を受けた。

【追記】
他の方のブログで見かけて、気になっていた柴田元幸さんは、英米文学研究者なのですね。この本の解説は柴田さんがなさっています。「ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち」も気になるなぁ。

ポール・オースター, 村上春樹, カズオ・イシグロ, リチャード・パワーズ, レベッカ・ブラウン, スチュアート・ダイベック, シリ・ハストヴェット, アート・スピーゲルマン, T・R・ピアソン, 柴田 元幸
ナイン・インタビューズ

■その後に読んだ、カズオ・イシグロの感想です。

・「
わたしたちが孤児だったころ 」/揺らぐ世界の中で・・・・
・「
女たちの遠い夏 」/陽炎のようなあの夏の思い出・・・

記事には上げ損ねたけれど、再読した「日の名残り」も、昔読んだ時に感じたような、実直な執事の単純な昔物語ではありませんでした。抑えられた中から立ちのぼってくる様々な感情に、くらくらとするような物語。おっとなー!、なのです。
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プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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