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「何も持たず存在するということ」/角田さんエッセイ集

 2009-08-11-09:52
何も持たず存在するということ何も持たず存在するということ
(2008/06)
角田 光代

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「人生ベストテン」(感想)「空中庭園」(感想)の虚無っぷりにビビりつつも、「対岸の彼女」(感想)がとても好きな角田さん。あ、「八日目の蝉」(感想)も良かったなー。

ぼちぼちエッセイにも手を出してるんですが、今度は「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。」(感想)の解説で気になったこちらを。

角田さんの選ぶ言葉は、決して煌びやかなものではなくて、むしろ平凡な言葉なんだけど、すっごくグッとくるんだよねえ。「対岸の彼女」の直木賞受賞関連から二箇所引用します。

かなしいときに黒い服で駆けつけてくれた人々が、うれしいときに色とりどりの服で駆けつけてくれている。こないだいっしょに泣いてくれた人々が、今日はいっしょに笑ってくれている。なんかすごい。すごいことである。ありがたいという気持ちをはるかに超えてうれしかった。
 「黒と色彩―『対岸の彼女』直木賞受賞のことば」より引用

受賞のちょうど一ヵ月半前にお母さまを亡くされた角田さん。父もなく身内のほとんどもまた亡くなっていたので、喪主をつとめたのは角田さんだったのだとか。

わかることはただひとつ、喜びはかなしみを消去はしないし、かなしみが喜びをおびやかすことはない、ということだ。うれしくてかなしい、相反するそれらは混じり合わずにぽっかりと私の内にある。
 「たぶん、書くことでわかる―直木賞受賞のことば」より引用


はじめて恋愛を題材に小説を書いたという、「あしたはうんと遠くへいこう」、豊かさと便利さを享受するものの、生み出すこと、作り出すことを知らない、信じきることのできない夫婦を描いたという、「庭の桜、隣の犬」も読みたいな。ここの部分も身につまされるのです。同じように考える同世代、多いんじゃないかなぁ。

生み出す、作る、ということに対する圧倒的な疑惧が、私にはある。何かを生み出すことはできる。作り上げることはできる。けれど果たしてその中身は?真の意味は?と、もはや学生でもないのに、未だに立ち止まり、傲慢にも考えてしまう。
 「彼らの結婚の内訳」より引用


ところで、お酒を飲む人は、ご飯とおみそ汁とおかずを全部並べたりはせず、長々と食事をする。三十分もかからず食事を終えるのは、ひどく損した気分になる、という「父とアカエボシの食卓」におけるお話。私はお酒は飲むけど、普段の食事は全体量を分からずに食べるのは辛いので、まさに全部並べて三十分で御馳走さま!、になっちゃうんですが、だらだら食べてると食べ過ぎはしませんかね?

↓文庫より単行本の方がデザインが好きだなぁ。
あしたはうんと遠くへいこうあしたはうんと遠くへいこう
(2001/09)
角田 光代

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庭の桜、隣の犬庭の桜、隣の犬
(2004/09/29)
角田 光代

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「それは私です」/柴田さんの妄想ワールド

 2009-08-06-21:09
それは私ですそれは私です
(2008/04)
柴田 元幸

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日常から妄想にずれて、もしくは日常から妄想的な一癖ある小説の話に流れて~、ないつもの柴田さん節。

三部構成になっていて、あとがきから引用すると、

この本の第Ⅰ部と第Ⅱ部は、『大航海』に二〇〇〇年~二〇〇八年に書いた文章を集めたものである。第Ⅰ部と第Ⅱ部のあいだに絶対的な区別基準はない。第Ⅰ部の方が比較的(あくまで比較的ですが)律儀に現実とつきあっているが、それでも、ともすれば妄想に流れがちである。
(中略)
第Ⅲ部は、『赤旗』をはじめとするいくつかの媒体に寄稿した文章を集めた。こっちははじめからテーマをいただいている場合が多いということもあって、妄想度もわりあい低い。

まぁ、通常のエッセイの場合、”妄想”なんて言葉はあまり出てこないんだろうけど、柴田さんの場合は、やっぱりこの”妄想”がキーワードになるんだろうねえ。

同じくあとがきから、ちょっと興味深かったのが、次の部分。

妄想は、自分をめぐるものが多い。妄想度の低い文章でも、読み直してみると要するにだいたい自分のことを書いている。お前、自分のことしか頭にないのか、と呆れられそうであるが、どうやら、自分のことしか頭にないみたいです。小説家の人たちと自分とは、ほかにもいっぱい違いはあると思うが、この点が一番違っている気がする。「他人になる」能力が決定的に欠けているのである。翻訳に関しては、「自分を消す」とか偉そうなこといつも言ってるんですけどね……。

”小説家には他人になる能力がある”。なんだか良く分からないながらも、納得してしまう言葉であります。

柴田さんのエッセイを読んでいると、ちょっと前に読んでいたら、↓の本を思い出しました。
古典落語 志ん生集 (ちくま文庫)古典落語 志ん生集 (ちくま文庫)
(1989/09)
古今亭 志ん生

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「古典落語 志ん生集」
←全部覚えてられるかは、とっても不安だけれど、一度読んでおけば何かの折に出てきた際に思い出せそう。
柴田さんのエッセイはなんだか夢落ちの落語みたい。

エッセイの中で気になった本。
夢の絵本―全世界子供大会への招待状夢の絵本―全世界子供大会への招待状
(1991/05)
茂田井 武

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私の絵日記 (学研M文庫)私の絵日記 (学研M文庫)
(2003/01)
藤原 マキ

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柴田さんの場合、時々、嘘っこの本の話を書かれるので若干不安になったんですが、これはちゃんと実在するんですね。

「ヨーロッパ退屈日記」/美意識三昧

 2009-07-30-15:27
ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)ヨーロッパ退屈日記 (新潮文庫)
(2005/03)
伊丹 十三

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この表紙もお洒落でしょう? カバー装画も著者自装ってことなんですが、一つ一つは短いこのエッセイを読んでいても感じるのが、とんでもなく高い美意識! こんな美意識を掲げて、それに準じて生きるなんて、疲れちゃうよー、とゆるゆる時代の私なんては、思ってしまうのだけれど…。

「正装の快感」の次の箇所に見られるように、

正装する、ということは愉しいことである。社会の掟に、進んで身をまかせ、自らを縛する、というところに、一種の快い、引緊まった安堵がある。タクシードを着て凛々しい快感を覚えぬ男があるだろうか。

規律や規範の中の愉しさを指向しているのかなー。タキシードではなく、タクシード、ジャガーではなく、ジャギュア、とかそういうところにも、拘りがあるよねえ。私なんて、どこへでも適当な格好で行ってしまうので(特に会社に行く時がいい加減)、良く母親に怒られるんですが、でもさ、みなが上昇志向ではなく、また西欧社会を目指しているわけでもなく、ある意味では足るを知ってしまった、こういう今の日本を、伊丹さんなんかはどう見るのかなぁ、と思ってしまいました。

「女性の眼で見た世界の構造」なんてのは、ちょっと女性蔑視の気もあるんですが、まぁ多少のことは許そう、と思えるダンディっぷり。えーと、今、その場所を探せなかったんですが、黙って任せてくれれば、これぞ!というオーダーをしたのに、女性にバンバンとオーダーされてしまい、しおしおとする、なんて箇所があった(と思う)んですが、黙っていればダンディなおじさまが極め尽くした美を提供してくれるんだもの、多少のことは良しとしようと思えてしまいます。伊丹さんが既にこの世にいないことが、惜しまれます…。

「リチャード・ブルックスの言葉」における、演技論も面白かったです。映画には、俳優の眼を、ありありと奥まで覗き込むという、演劇にはない特権がある。俳優は、ただ「正しく感じる」ということだけを考えればいい。それ以外に、観客を信じさせる方法なんてない、ということ。

↓新潮文庫と文春文庫から、同じ本が出ているみたい。最初に上げたものは、帯が邪魔なのでこちらも~。「この本を読んでニヤッと笑ったら, あなたは本格派で, しかもちょっと変なヒトです」というコピーは、初出誌の編集者だった山口瞳によるものだとか。

ヨーロッパ退屈日記 (文春文庫 131-3)ヨーロッパ退屈日記 (文春文庫 131-3)
(1976/01)
伊丹 十三

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「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。」/角田さん、エッセイ集

 2009-07-12-12:57
恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 (角川文庫)恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 (角川文庫)
(2009/02/25)
角田 光代

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もうねー、角田さんのことはお姉さんのように思えてしまいますよ。そして、いきなり解説の話をするのも反則か?、と思いつつも、この本の解説は書評家の藤田香織さん(右にリンクも貼ってますが、「だらしな」シリーズ(?)の藤田さんです)。私にとって二度美味しい本でした。

本当にゆるゆるした、気の置けない友だちとの酒飲み話(もしくは茶飲み話)のような話が続くのだけれど、「解説」で藤田さんによって明かされる角田さんのその頃の生活は、”ゆるゆる”なんてのとは、まったく対極にあったのです。あの「対岸の彼女」の直木賞受賞により、激動の日々に放り込まれ、プライベートでは、お母さまの病気、死に立ち会い…。そうした背景があってのこのゆるゆるとした語り。ますます、じーんとしてしまうのでした。藤田さんの解説が、完全ファン目線な気がしますが(笑)、でもステキです。「何も持たず存在するということ」も、是非読みたいです。こちらには、本書と同じ時期に新聞や雑誌に寄せた文章が多数収められているとのこと。

いい年なんだけど、私なんて会社を離れてしまえば、大人コドモみたいなもんで…。ちょうどそういう頃の角田さんが書かれた文章だから、余計ぐっときちゃうのかなぁ。「社交辞令は得意ですか?」の章が良かったー。”社交辞令というのは、気持ちを流しこめる「型」みたいなもの。「型があるから伝わることもあるのではないか。親しい人、好きだと思える人たちのあいだにこそ社交辞令は存在すべきだ。”(一部抜粋、意訳)。”なんにも言わなくても気持ちは通じるはずだと昔の私は信じていたけれど、そんなこと、絶対あり得ない。”

笑っちゃったのは、「おばさんに思うことありますか?」の章。どこか他の場所で出会ったら、大好きになったかもしれないおばさん。でも、確かにおばさんの美徳が美徳にならない場所ってあるよねえ(ここで例に出ているのは、忙しい買い物客としての角田さんと、彼女の近所のスーパーのレジ打ちのおばさん、お昼に入ったお店で出会ったおばさん)。む!と思っても、こう思えれば、うまくやり過ごせるかな?
何も持たず存在するということ何も持たず存在するということ
(2008/06)
角田 光代

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「タングステンおじさん」/オリヴァー・サックスの少年時代

 2009-02-14-01:03
タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代タングステンおじさん―化学と過ごした私の少年時代
(2003/09)
オリヴァー サックス

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脳神経科医、オリヴァー・サックスの少年時代を語ったエッセイです。医者、実業家など、科学に造詣の深い両親や親類たちの中で育ち、化学にのめり込んだ少年時代。少年、オリヴァーが化学にのめり込んだのは、疎開により負った心の傷もまたその一因であった…。不変であり、美しい化学の世界は、不確かなものが多い世の中で、少年オリヴァーを魅了したのだ。

ロンドンからの疎開と言えば、ナルニア国物語もそうであり、本土への空襲を経験していないという意味で、アメリカという国はやはり特別なのかも、などとちらりと思いました。
目次
1 タングステンおじさん-金属との出会い
2 「三七番地」-私の原風景
3 疎開-恐怖の日々のなかで見つけた数の喜び
4 「理想的な金属」-素晴らしきタングステンとの絆
5 大衆に明かりを-タングステンおじさんの電球
6 輝安鉱の国-セメントのパンと鉱物のコレクション
7 趣味の化学-物質の華麗な変化を目撃する
8 悪臭と爆発と-実験に明け暮れた毎日
9 往診-医師の父との思い出
10 化学の言語-ヘリウムの詰まった気球に恋して
11 ハンフリー・デイヴィ-詩人でもあった化学者への憧れ
12 写真-二度と戻らぬ過去への愛着
13 ドルトン氏の丸い木片-原子の目で物質をながめる
14 力線-見えない力のとりこになる
15 家庭生活-身内の死と発狂した兄
16 メンデレーエフの花園-美しき元素の周期表
17 ポケットに分光器を忍ばせて-街や夜空を彩るスペクトル
18 冷たい火-光の秘密へ
19 母-「生物への共感」と解剖の恐怖
20 突き抜ける放射線-見えない光で物を見る
21 キュリー夫人の元素-ラジウムのエネルギーはどこから来るのか
22 キャナリー・ロウ-イカと音楽と詩と
23 解放された世界-放射能がもたらした興奮と脅威
24 きらびやかな光-原子が奏でる天球の音楽
25 終わりのとき-量子力学の到来と化学との別れ
 あとがき
 謝辞
 訳者あとがき
わたくし、一応、化学の専門教育を受けているんですが、これ、すごく分かりやすく広範囲の化学を網羅していて、面白かったです。内容も、普通に教科書としても使えるんじゃないかなぁ、というレベル。科学者の発見を追う部分もあるので、科学史としても面白かった!

危険なものも含めて試薬を買える環境にあり(これは、たぶん時代のせいですよね。今だったら、きっと売ってはもらえない)、自分専用の実験室を持つことが出来(しかも、ドラフト付き)、また、アドバイスをくれる親類にも恵まれたという、特に恵まれた環境もあると思うんですが、少年オリヴァーが追及する化学の真実に、一緒にわくわくしてしまいます。

親類たちがまたすごくてですね、タングステンおじさんは勿論、オリヴァーに植物と数学の面白さを教えてくれた、レンおばさんもまた凄い(他の親類もみんなこんな感じなんだけど)。

あるときは、庭のヒマワリの花の真ん中に密生している小花がらせん状のパターンを描いているさまを見せ、その小花の数を数えてごらんなさいと言った。私が数えていると、おばは小花がある数列にしたがって並んでいるのだと指摘した。つまり、1、1、2、3、5、8、13、21……といった具合に、どの数も前のふたつの数の和となるように並んでいたのだ。

ヒマワリの花から、フィボナッチ数列と、黄金比を教えられる。なんだか、ユダヤ系社会の底力を見せられたというか…。

また、通常、周期表って、水兵リーベ僕の舟…、と何も考えず、覚えるもんだと思うんですが、オリヴァーの場合、アルカリ金属、アルカリ土類金属など、それぞれの元素の性質を知った後に、博物館で周期表の存在を知るのです。周期表を知ったオリヴァーの中で、ただの四角い表である周期表は、らせんやループに形を変え、天まで届くヤコブの梯子となる。こんなところも詩的だなぁ。少年、オリヴァーは融点や密度などから、自らその周期性を確かめ、また未知元素の性質の予言までしてしまうのです。

こういった背景を知って読むと、また、彼のこれまでの著作へのイメージも変わるなぁ。執拗とも思えた追及の仕方とか、物凄く患者に寄り添うところとか(これは、父親の影響なのかな)、何だか少しわかったような気もしました。

■関連過去記事■
・「火星の人類学者」/ダイナミックで複雑な脳というもの、わたしたちの世界

「昔のミセス」/金井美恵子さんエッセイ集

 2009-02-07-13:16
昔のミセス昔のミセス
(2008/08)
金井 美恵子

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二部構成でできていて、Ⅰ部は雑誌「ミセス」の昔の写真、記事を元に金井美恵子さんが語るというもの。Ⅱ部の方は他の作家の話、映画、飼っている猫の話など、さまざまな話題に関するエッセイ

深くは知らないし、小説を読んだこともないんだけど、金井美恵子さんといえば、「独特の美意識」という言葉が頭に浮かぶ。古風な感じの「ミセス」の記事と、金井さんの文章がぴったり合って、面白くはあったんだけど、これ、寝る前にぼちぼち読むには全く向かない本でした~。

なぜかというと、金井さん自身の文が、シンプルな構造になっていないというか、「というのは、~だからなのだけれど」とか妙に長い文章が続くせいで、読みながらぐるぐるループしちゃうのです。好きな雰囲気の世界ではあるんだけど、そんなわけで割と挫折して、全部は読めませんでした(図書館時間切れ)。作りも綺麗なんだけどね…。

語られる「考え」の部分に関しても、共感する部分は別にふんふんと読めるんだけど、違う意見を持つ場合などは、なんだろう、あまりに「こういうもんだ」という前提で書かれるもんだから、ちょっとストレスに感じました…。それが「独特の美意識」に通じるのかもしれませんが・・・。論理的というか、そういう考えのもとに、こういう考えになったのだという筋道があれば、そういう違った考えたかも楽しめるんだけどなーーー。

「豚キムチにジンクスはあるのか-絲的炊事記」/絲山秋子的食の道

 2008-07-24-00:20
豚キムチにジンクスはあるのか―絲的炊事記豚キムチにジンクスはあるのか―絲的炊事記
(2007/12/06)
絲山 秋子

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普通、人が料理本を書くとき、それは自分がべたいものであったり、美味しそうなものだったりすると思うのですよ。なかには、絲山さんがべたいもの(エスニックこてんぱん)、美味しそうなもの(キッシュ・ローレーヌ)あるんだけど、この”炊事記”はいい具合に迷走していて、私は好きだなぁ。

絲山さんは、決して料理は下手ではなくて、むしろキャンプで鍛えられた腕前をお持ちだと思うのだけれど、「これでは普通だから」などと、不思議なチャレンジ精神を発揮されてしまうのです。で、一人暮らしなのに、ひたすら同じものを作り続けて、その消費に苦しんだりしてしまうわけ。

絲山さんの作品は、小説はまだ「ダーティ・ワーク」しか読んだことがないけれど、絲山さんの面白真面目な人柄が良くあらわれていて、面白い本でした。普段の会話の中で多用されると若干いらっとくる、「~じゃないですか」というフレーズが多用されるものの、なんかこの流れだと許せちゃうしなぁ。

特筆すべきは、絲山さんの愛する地元、群馬の野菜の美味しそうなこと。新鮮な産直いいなー。あとは、絲山さんの身長が174センチだってこと。私は結局170センチには至らなかった、中途半端な背丈なんだけど、身長が高い女の人って、ただそれだけでも親近感を持ってしまうのよ。あと、そうだそうだ。仲間内で使われるという「トラバタる」なる動詞。

恋をすると部屋の中を檻のトラのようにぐるぐる歩き回る癖のある私は、そのうち溶けて「ちびくろさんぼ」のトラのようにバターになってしまうんではないかと心配する。それが「恋のトラバター」なんですが、意外に友人たちに受けて、「私も最近トラバターなの」「うそっ、トラバタってるの?」「どうなったんだトラバタは」などと普通に使われるようになりました。いい年して「恋をした」なんてとてもじゃないが恥ずかしくて言えないけれど、「トラバタった」なら全然平気。皆さまもぜひ活用してくださいね。

どうっすか、「トラバタる」。確かに便利かもー。

目次
力パスタ
冬の冷やし中華
大根一本勝負
すき焼き実況中継
GoGoお買い物
丼五連発
蕎麦屋で飲む酒
デパ地下チャーハン
豚キムチにジンクスはあるのか
春の日記
”ヘナッポ”の行く末
ようこそ我が家へ
エスニックこてんぱん(前編)
エスニックこてんぱん(後編)
素麵七変化
真夏の洋風ちゃんこ鍋
されどインスタント
サーモンのサンドウィッチ
高崎コロッケめぐり
秋は舞茸の季節
ゴロピカリはかあさんの味
たまごとトラバター
命からがら牡蠣ごはん
親父と作るキッシュ・ローレーヌ
あとがき

「ガセネッタとシモネッタ」/米原万里さんの豊かな世界

 2008-06-06-23:12
ガセネッタ&(と)シモネッタ (文春文庫)ガセネッタ&(と)シモネッタ (文春文庫)
(2003/06)
米原 万里

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それは、言語の海を泳ぎ切る同時通訳者としての姿だったり、チェコスロバキアのソビエト学校で一般の日本人とは異なる教育を受けた幼き日々の姿だったり、異国の地で「少年少女世界文学全集」を貪るように読む姿だったり。

とにかく印象的なのは、世の中の全ての物事に対する深い愛情と強い好奇心。たとえば、興味を惹かれた本を取っ掛かりとして拡がっていく「芋蔓式読書」にしても、医学や政治経済、金融、電子工学など様々な専門分野の通訳を務めることから必要になる、様々な知識の読み込みや吸収の仕方にしても、まぁ、普通の人でもそういうやり方をすることはある。でも、なかなかこの深度ではやれないよー、ということを、ばりばりがりがりと、しかも楽しんで進んでいく姿がそこには見える。なんというエネルギッシュさ!

言語を操っていた米原さんは、言語の背後にその国の文化を、文学を、人間を見ていた。日本で言う「語学が得意」というのは、大抵単に「その語学が出来る」ということを意味しているけれど、米原さんが話している「語学」というのはそういうものではないんだなぁ。

英文学者・柳瀬尚紀さんとの「翻訳と通訳と辞書 あるいは言葉に対する愛情について」なる対談も面白いです。この柳瀬尚紀さんを全く知らないのに言うのもなんですが、米原さんの器の大きさに比べると、柳瀬尚紀さんが大分小物に見えてしまいます。「鉄のカーテン」を調べ、広辞苑、大辞林ではチャーチルが使ったというところまでしか出ていないけれど、ロシアの辞書では更にその先が載っていて、実は鉄のカーテンというのは、ソ連側から下ろしたものではなく、当初は西側が革命の火除けに引いていたと考えられていたというのも面白ーい(1930年のソ連において、との限定つきだけれど)。米原さんの探求はこの後も続くんだけど、柳瀬さんのおっしゃる「すごい読み手だな」という言葉が、ひしひしと伝わってきます。

通訳をやっていると、知らない単語が出てくると焦りまくります。ですから、事前になるべく資料を取り寄せて調べるんです。ある単語がわからなくて、一つの辞書に当たってなくて、二つ目当たってもなくて、三つ目にあたって語根の同じような単語がある、もう一つ別の用法があったら突き合わせて、たぶんこの意味だろうと類推していくわけです。だから辞書には、ちょっと載っているだけでも、中途半端でも、ありがたいという感じなんですね。辞書はそういうものだと思う。

この辺も全く辞書に頼ってないですもんね。これが英語だったら、グローバルスタンダードだし、通訳者の人数もケタ違いだろうからまた違うんだろうけれど、ロシア語を学んだということも、まさに米原さんという人間を形作ったと言えるような気がします。

そういえば、ちょっと前にテレビで同時通訳者のお仕事を見たんですが(@「ひみつのアラシちゃん」)、ブースの中の緊張感、緊迫感はただ事ではなかったです。あんな集中力を発揮できるのは、やっぱりちょっと特殊な人たちだとしか思えませんでした~(たとえそれが、米原さんのこの本では、あまり面白みがない、といわれる英語の通訳者であってもね。)。
目次
Un Saluto dallo Chef シェフからのご挨拶
 ガセネッタ・ダジャーレとシモネッタ・ドッジ
Apertivo 食前酒
Antipasti 前菜
Primi Piatti 第一の皿
Vino Bianco 白ワイン
Secondi Piatti 第二の皿
Insalata Russa ロシア風サラダ
Vino Rosso 赤ワイン
Formaggi チーズ
Dessert デザート
Caffe コーヒー
Digestivo 食後酒

「生半可な学者」/柴田元幸さんエッセイ集

 2008-05-07-22:27
生半可な学者―エッセイの小径 (白水Uブックス)生半可な学者―エッセイの小径 (白水Uブックス)
(1996/03)
柴田 元幸

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アメリカ文学者にして、名翻訳家、柴田元幸さんのエッセイ集。「テレビコスモス」という雑誌に、88年6月から91年10月まで連載されていたものだそうで、「33歳の僕」なんかが出て来て、ちょっとびっくり。でも、文章自体は古さを感じさせないものだと思うし、楽しく読むことが出来ました。次のエッセイも借りてこなくっちゃ!、というくらいに。本作は講談社エッセイ賞受賞作だそうで、そういえば、岸本佐知子さんの「ねにもつタイプ」も講談社エッセイ賞受賞作。岸本さんの妄想ワールドとはまた違うけれど、こちらの柴田ワールドもどこかずれてて、面白いのです。
目次
狭いわが家は楽しいか
アメリカにおけるお茶漬の味の運命
ハゲ頭の向こう側
礼儀正しさのパイナップル
天は自ら愛する者を助く
すてきな十六歳
……と考えるのは私だけだろうか
愛なき世界
ひじきにクロワッサンにうどんに牛乳
みやげ物の効用
お辛いのがお好き
恋のサツマイモ
お茶と物乞い
寝てしまう
靴下にひそむ危険
私はいかにしてイランとアフガニスタンの国境で一生を終えずにすんだか
シュレッダーの快楽
おいとけさまにもおいでてもらいましょ
の・ようなもの
怒りの上杉謙信
屋根の上のゴリラ
トーストを齧るオーケストラ
袋要りません
御返事遅れて済みません
しずくを止めるには
虹の彼方はどこにある
ロシヤのパン
変温動物の戸惑い
生半可な学者
貧乏について
死の舞踏
味噌ラーメンの無念
飛び道具とは卑怯なり
赤頭巾ちゃん気をつけて
猫も食わないA定食
〆切は駆け足でやって来る
私のフランス語をお許し下さい
個人的七〇年代アメリカ辞典
現代アメリカ小説の傾向と対策
あとがき
読んだ後でも、この目次を見るだけで、もう一回そそられちゃう感じ。ま、なかなかこのタイトルから、実際の話を思い出し難いってのもあるんですが…。

面白かったのが、「おいとけさまにもおいでてもらいましょ」。ここに出てきた別役実氏って、どこかで見たなぁと思っていたら、以前にこれまたけったいなほら吹き話、「鳥づくし」を読んだことがあったのでした。その時は、ちょっと微妙…と思ったんだけど、小説だって良く出来たほら話なわけだし、やっぱり本読みとしてはほら話を楽しめて何ぼだよなぁ。
鳥づくし―真説・動物学大系 続鳥づくし―真説・動物学大系 続
(1985/07)
別役 実

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「トゥルー・ストーリーズ」/小説よりも奇なるポール・オースターの人生とは

 2008-01-05-23:58
トゥルー・ストーリーズトゥルー・ストーリーズ
(2004/02/26)
ポール・オースター柴田 元幸

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ポール・オースターのエッセイ集。amazonによると、「対応する原書が存在しない、貴重なポール・オースター・エッセイ集」であり、「日本で出版される本書のために、オースター自らが目次を組んだという」んだそうな。

そもそも、扉の著者紹介を見るたびに、結構な男前の写真と共にいつも気になっていた、「1947年、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。コロンビア大学を卒業後、石油タンカー乗組員、山荘管理人などの職を転々としながら翻訳、詩作に携わる」という、何だか脈絡がなくも思われるポール・オースターの来歴などが、オースター自身の言葉で語られるわけです。

目次
赤いノートブック The Red Notebook
なぜ書くか Why Write?
その日暮らし Hand to Mouth
事故報告 Accident Report
スイングしなけりゃ意味がない It Don't Mean a Thing
折々の文章 Occasional Pieces
 「あれを読むと、以前僕の母親の身に起きたことを思い出すよ……」
 "It remainds me of something that once happened to my mother…”
 サルマン・ラシュディのための祈り
 A Prayer for Salman Rushdie
 ゴサム・ハンドブック
 Gotham Handbook
 ペンシルヴェニア州知事への嘆願
 Appeal to the Governor of Pennsylvania
 訳者から
 Translator's Note
 戦争に代わる最良の代替物
 The Best Substitute for War
 段ボール箱考
 Reflections on a Carboad Box
 覚え書き 二〇〇一年九月十一日、午後四時
 Random Notes:Septembeer 11, 2001-4:00pm
 NYC=USA
 地下鉄
 Underground
訳者あとがき


数々の偶然に彩られ、導かれたオースターの人生は、確かに彼の小説に生きている。柴田さんも書いておられたと思うのだけれど、物語を創る上で通常は偶然を排するところ、これが故にオースターは偶然を入れちゃうんでしょうねえ。ほんと、オースターの人生には、小説よりも奇なることがいっぱい。なかなかに強烈な人物であり、そうはいないと思われる、まるで「ティンブクトゥ 」のウィリーみたいな人物だって存在したしね。

さて、その他に印象に残ったのは、ニューヨークという街に対するオースターの愛。

ゴサム・ハンドブック」は、ソフィ・カルという女性のために書いた、ニューヨーク・シティー暮らしの改善法のお話。それは、「笑顔」、「知らない人と話す」、「物乞いやホームレス」、「一点を育む」という章に分かれ、「物乞いやホームレス」では、心を硬化させないことは人としての務めである、どんなに小さく、無力に思えるしぐさであれ、行動が必要であると説く。「一点を育む」では、すぐ目の前にある目につかない物たちを大事にせよ、歩道、壁、公園のベンチ、それらのどこか一点、都市のなかのある一点を選んで、それを自分のものと考えてみること、そこを清潔に保つこと、美しくすること、自分と言う人間の延長物、自分のアイデンティティの一部と考えてみよ、と勧めている。
(実際、ソフィ・カルはこの指示に従って行動し、のちにその結果を『ダブル・ゲーム』〔一九九九、ロンドン、ヴァイオレット・エディションズ〕で報告したとのこと)

また、十四歳になるオースターの娘が、ハイスクールに通い始め、生れてはじめて一人でブルックリンからマンハッタンへの地下鉄に乗ったその日、彼女が世界貿易センターの下を通過して一時間と経たないうちに、ツインタワーは崩れ落ちたのだという。

一人一人が出来ることには限りがあるし、大都市であっても尚、都市というのは人の有機的な繋がりであり、国もまたその延長上にあるんだなぁ、ということを実感するようなエッセイ集でした。偶然というのも、どれだけ何かに繋がっているか、ということにもよるわけだしね。ちょっと芋づるを連想してしまいました。
「キリキリソテーにうってつけの日」のふくろう男さんの記事にリンク
 →トゥルー・ストーリーズ』ポール・オースター

「夢のような幸福」/しをんさんエッセイ

 2007-12-18-22:50

三浦 しをん
夢のような幸福
大和書房

今回の本で言いたいことは、表紙が吉野朔美さんだよ!!、ということでしょうか。笑
(吉野朔美さんの本エッセイ漫画?の感想はこちら
→「
お父さんは時代小説が大好き 」/本読み人の習性とその生態
 「
お母さんは「赤毛のアン」が大好き 」/本読み人の習性とその生態)

先日読んだ、「
乙女なげやり 」といい(こちらは、のだめの二ノ宮さんが表紙絵を描いておられます)、しをんさんの漫画への愛故か、しをんさんのエッセイは素敵な表紙がついてまさに「幸福」。

目次
一章 我が愛のバイブル
二章 夢のような話
三章 男ばかりの旅の仲間
四章 楽園に行く下準備
五章 世界の崩壊と再生
あとがき


内容はいつものしをんワールド。世界の名作、嵐が丘」を読むに及び、ガラスの仮面」から入り(ああ、私だって、ヒースクリフ桜小路優は忘れられないさ)、己の中の愛の位置づけを再確認するために、梶原一騎原作「愛と誠」を読む。愛と誠」って見たことも聞いたこともなかったんだけど、しをんさんの解説を読むだけでおなかいっぱい。さすが梶原一騎原作…。なかなか恐るべき漫画のようですね。

映画についての、しをんさんの解説というか紹介もまた面白くって。しをんさんは故・淀川長治さんの「どんな映画に対しても愛を持ち、少しでもいいところを見つけて褒めよ」との言葉を大切にしておられるそうだけれど、微妙なラインにいる愛すべきダメ映画に対する文章が面白いです。
 (織田裕二主演、「T.R.Y.」、しをんさんの愛するヴィゴ氏出演の「G.I.ジェーン」など。どう考えたって微妙だよね、これ。笑)

さて、これはあまり関係ないのだけれど、しをんさんといえばBL、BLと言えばしをんさん。

本日、本屋で「ユリイカ」がなぜか裏表紙を表にして並べられてるなぁ、と思ったら、表紙はこんなでした。別に裏返さなくてもいいじゃん、と思うのだけれど。でも、やるな、ユリイカ…。


ユリイカ 2007年12月臨時増刊号 総特集=BL(ボーイズラブ)スタディーズ

「乙女なげやり」/乙女だけどなげやり、なげやりだけど乙女

 2007-12-04-23:26

三浦 しをん

乙女なげやり
太田出版


「乙女」と「投げやり」。これほど相反する言葉でありながら、一緒にした時に生ずる、このそこはかとないおかしみはどうでしょう。元々は、担当編集者が章タイトルの候補として考えたものを、しをんさんが全体のタイトルとし(て分捕っ)たとのことだけれど、このそこはかとないおかしみ、微妙な脱力感がぴったりと合うエッセイです。

今回も、何回も吹き出しながら読みました。この手のエッセイ、電車で読むのは危険すぎる…(なので、自宅で読みましたですよ)。のだめ」の二ノ宮さんが表紙を描いていらっしゃいますが、しをんさんの愛する漫画の話、BLの話、周囲の友人、家族のお話などが語られます。

このエッセイから何となくしをんさん熱が高まって、しをんさんのブログを発見した私は、ついつい読みふけってしまいましたよ。
 → 「ビロウな話で恐縮です日記

最近、私が読んだ本の関連で言えば、「風の影」の話(しをんさん記事:長っ尻 )、「ねにもつタイプ」の話(しをんさん記事:危険 )が面白かったです。

特に、「ねにもつタイプ」における記憶力の話をするに及んで、中勘助とくらもちふさこを持ってくる感覚が好きだなぁ。

日常の面白い話もそのセンスが好きなんだけど、しをんさんはとにかく、この読み方の確かさに信頼がおけると思うのです。

目次
まえがき
一章 乙女寄り道
二章 乙女病みがち
三章 乙女たぎる血
四章 乙女総立ち
あとがき


■関連過去記事■
・「人生激場」「月魚 」/三浦しをんさん
・「三四郎はそれから門を出た 」/汝、愛なくして語るなかれ
・「私が語りはじめた彼は 」/愛って何だ?

「お父さんは時代小説が大好き」/本読み人の習性とその生態

 2007-11-01-22:19


吉野 朔実
お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き (角川文庫)

「お母さんは「赤毛のアン」が大好き」 が一作目ではなく、この「お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き」が、この本の周辺を描いたシリーズの一作目なのでした。特に問題なく読んじゃったのだけれど、多少、何だかおかしいなー、と思った部分も…(「お母さん~」が一作目だと信じて読んじゃったの)。

なぜそう思い込んだのか分らないのだけれど、えーと、それはやっぱり、母は強し、ということと、私が赤毛のアン好きだから??(とはいえ、吉野さんのリアリストなご母堂は、どうもアンではなく、マリラに感情移入して読まれてるらしい。そういう読み方って、たぶん珍しいですよね?)

というわけで、これからお読みになる方は、お気を付け下さいませ。お父さんが一作目、お母さんが二作目でありまする。

目次
「咳をしても一人」は誰の句だったか?
草の匂いにつつまれて
山吹と山茶花と
「羊たちの沈黙」日記
やっぱりアルジャーノンには花束を?
これがフランス料理だ!!
「いまさらアンドロイドが電気羊の夢を見るか?」
鮫と古事記
(対談)誇り高い少年たちの王国 吉野朔美×沢田康彦
午後のお茶会
ステキなタイトル
お父さんは時代小説が大好き。
犬づくし
正しい本の捜し方?
友人に薦めてもらった本はつまらないほど面白い。
この本によって自殺者は増えるだろうか?
パトリック・ジュースキントのこと
(対談)現実と夢の挟間に生きる人々 吉野朔美×穂村弘
ふんわり毛布にくるまって
漱石先生に再会する。
百見は一画にしかず
恐怖は人類の遺産である。
ロールシャッハ・テスト
狂気なおともだち
父の野望
(対談)植物の声に耳を傾けたとき 吉野朔美×北上次郎
あとがき
解説 目黒考二


この本は平成八年に単行本となったものが、文庫化されたもの。だから、本の雑誌に連載されていたのは、当然もっと前。今から10年以上前と言えば、大分状況が異なっているのが、ネット環境であるわけで、一部にはネットで調べたり、ネット書店を使えば解決されちゃうような問題も描かれておりますが、実際はこういう問題って、友人を介して解決するのがきっと面白いんだろうなぁ。「羊たちの沈黙」が三冊集まっちゃう件も楽しそう~(私は「ハンニバル」は面白く読んだけど、「羊たちの沈黙」は訳がダメでした…)。

吉野さんの周囲には、本好きの人々が溢れていて実に羨ましい! 私もブログをやるようになって、本好きなお友だちがずいぶん増えたなぁ、と嬉しく思ってはおりますが。

さて、友人つながりでいえば、「友人に薦めてもらった本はつまらないほど面白い。」。これは一体どういうことかと言えば、面白い、面白くない、そういった好みが一致しない方が、議論になって面白い、ということ。思い入れがあるほど、意を尽くして語るから、確かにこういうのって面白いですよね。

さて、目黒考二さんは、解説にて吉野朔美さんの本業の漫画を読んだことがないんだ…、と告白しておられますが、私も同様に吉野朔美さんのストーリー漫画をほとんど読んだことがありませぬ(あ、スピリッツ連載の「瞳子」はそういえば、ちょっと読んだかも。でも、あまり覚えてなーいー)。

なぜかいっつも「純情クレイジーフルーツ」の松苗さんと混同しちゃうんですよね、あれ、並べると全然似てない?汗




そして、気になった本たち。アンドロイド~、今からでも遅くはない?
レオ・レオーニのこの本、前から気になってはいるのだよね~。
…レオ・レオニって、レオ・レオニ(「
フレデリック 」とか)と一緒ですよね??(ちと不安)

「お母さんは「赤毛のアン」が大好き」/本読み人の習性とその生態

 2007-10-31-22:29

吉野 朔実

お母さんは「赤毛のアン」が大好き (角川文庫)


柴田元幸さんの「つまみぐい文学食堂 」を読んでた時に、気になった吉野朔美さんの本です~。

文庫で出ているということだし、と珍しくも買おうと意気込んで実書店に出かけたのですが、置いてなーい! 早く読みたいのにー、とがじがじしながら、ネット書店で購入しました。

で、届いて直ぐに読み始めたんだけど、いやー、これ、面白いですね。
本読みならあるある!、と思う、習性と生態といいましょうか、その辺りが、吉野さんの漫画で語られるわけです(時に文章もあり)。
すぐ読み終わっちゃうので、コストパフォーマンス的には、ちとどうかなーとも思うのだけれど、いっぱい書き込んであるので、たぶん何度でも楽しめるはず(というわけで、コストパフォーマンスは、きっと結果的に丸)。

オーソドックス(?)なところでは、本の解説を先に読むか後から読むか?、という疑問(ちなみに私は絶対に後から。私はこうやって読んだけど、あなたはどう読んだ?、とせーのでカードを開くようなイメージで、読み終わった後のお楽しみにしてます)や、カフカの「変身」におけるザムザのイメージなどなど、吉野さんや周りの本好きの人々を巻き込んだ話が面白ーい!!

最近、手を出し始めたポール・オースターについて、色々書いてあったのも、私にはちょうど良かったです。

最後の物たちの国で 」の絶望とユーモアにうーむと思い、「ミスター・ヴァーティゴ 」のめくるめくエンターテインメントを楽しみ、「ティンブクトゥ 」では純粋な魂にじーんときて。
でもね、どうも、ポール・オースターという作家が、いまひとつ掴めなくって。

と、思ってたら、吉野さんも、オースターはちょっと微妙な評価みたい。

 また読んでしまったな。どうして読んでしまうのかな? オースター。

と、読むたびに思ってしまう作家なのだそうな。

私は次はエッセイの「トゥルー・ストーリーズ 」を読んで、そのあと、柴田さん吉野さん共に面白かったという「偶然の音楽」に行ってみよっと。ポール・オースターの人生自体、扉の著者紹介を読んでもずいぶん波乱万丈だなぁ、と思ってたんだけど、その辺も作品に影響しているのかなぁ。



目次

 オースターたち
ポール・オースター『偶然の音楽』
本を拾ったことがありますか?

<本の解説>先に読むか後から読むか
ストリックランドの汚名
読み手の身勝手
装幀の力
なんかそーゆう本なのだ
私はこれを”読みきった自慢”[男性編]
いつも本が入っている
ローレンス・ブロック 風呂で読むか!?布団で読むか!?
父の霍乱
わたしのザムザ
危険な書物
どうでもいい話
私はこれを”読みきった自慢”[女性編]
アインシュタインの脳
ワインの通(みち)
お母さんは「赤毛のアン」が大好き
どれも これもが 読みかけ
装幀の秘密
”読書”の定義
『招かれた女』あとがきにかえて
対談
柴田元幸×吉野朔美
偶然と貧乏の達人、ポール・オースター

「眺めたり、触ったり」/本読み人のヨロコビ

 2007-10-15-20:23
眺めたり触ったり眺めたり触ったり
(1997/10)
青山 南阿部 真理子

商品詳細を見る
本の楽しみは、全ページを読まなければ、また、書かれたこと全てを理解しなくては、得られないもの?

いやいや、そんなことはないでしょう。

本棚に並ぶ背表紙を、うっとり「眺め」てみたり、装丁を楽しんだり、時に本棚から抜き出して、ぱらぱらと頁を繰りながら、その手「触り」を楽しんだり…。

「眺めたり、触ったり」の他にも、表紙には「The Feel of Reading」とありまして、だから、これは本を読むその周辺の感情を書いたもの。

勿論、この本自体も、「眺めたり、触ったり」して楽しむことが出来る作りで、阿部真理子さんの絵は眺めて実に楽しく、私は図書館で借りちゃったので、表紙の手触りを知ることは出来ないのだけれど(ビニールパックみたいなのになってる)、内扉(ああ、この部分ってなんていうんだ??表紙めくって、一枚あった次にある、タイトルが書いてあるところ)の紙質も壁紙みたいで楽しい♪

阿部真理子さんのこの表紙、どこかで見たよなぁ、と思ったら、宮部みゆきさんの「心とろかすような 」でした。心とろかすような」は、探偵事務所を営む家族と共に暮らす、元・警察犬マサが語るものなのだけれど、阿部さんの絵はこのお話の魅力への貢献度がとっても高いと思うのです。

この本にも、実に様々な絵が載せられていて、楽しいですよー。「はらぺこあおむし」のように、本を突き抜けたBOOK WORMなどは、本読みのキャラクターにしたいぐらい。あと、阿部さんは犬がお好きなのかな。マサも良かったんだけど、ここに出てくる楽しげに本を読んでいる黒縁めがね犬も実にいいんだ。

テキストは、翻訳家の青山南さんによります。「Ciel Bleu 」の四季さんに教えていただいた翻訳家さんなのですが、本業の方ではまだお世話になったことがありませぬ~。ところで、「南」さんというお名前から、勝手に女性を想像していた私は、のっけからその間違いに気づくのでした。うーむ、作家さん、翻訳家さんの性別は、名前からは分からんなー。

青山さんの文も飄々といい感じ。読むのが遅い、とか嘆いておられるにも関わらず、歯切れのいい文章で、ざばざばと本や、他の作家による書評、作家の言葉がふんだんに語られます。遅読だと仰るから、油断してたのに…、となぜか唇を噛み締めそうにもなるのですが、でも、実は全部読んでらっしゃるわけではなかったりして。笑

読書という、きわめて個人的でひそやかで秘密めいた作業は、あらゆる記憶違い、思い違い、読み違い、を許容する(p194より引用)。

んであるから、私がそうとっても別にいいのかなー。

うん、でも、まぁ、読書というのは、とっても自由なものなのだよ。本を読みながら、精神はそうやって飛翔するんだよね。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「ねにもつタイプ」/夢見るように生きている

 2007-09-08-21:23
岸本 佐知子
ねにもつタイプ

本書は、「ちくま」の2002年3月号から2006年9月号まで、55回連載されたものから48回分を選び加筆したもの。

岸本さん、前作にあたるエッセイ集、「気になる部分 」から、確実にパワーアップされております。

「気になる部分」はあくまで現実(と妄想)のお話だったけれど、本作においてはほとんどショートショートのような創作と思えるものも含まれ、いくつかのものについては、そのまま膨らませれば、一つの物語が出来てしまいそう。この次はエッセイではなく、小説を書かれたりして、ね。

(岸本さんの脳内にいると思われる)住民たちを描いた「住民録」(コマネチさん”、”子供”、”見知らぬおじさん”、”ミツユビナマケモノ”、”狂犬”、”一言婆”、”三つ編み”のそれぞれの紹介と特徴。あなたの頭の中には、これに類する何かが棲んでますか?)や、天気図にもし台風の「台」の代わりに「夏」があって、「夏」が上陸したらどうだろう?、と考える「夏の逆襲」など、岸本ワールドを堪能いたしました。

岸本さんの文章目当てに、「ちくま」を購入される方の気持ちも分かるわ~、の一冊でした。と、思ったら、「ちくま」は筑摩書房のPR誌なのですねえ。ってことは、無料?
こちら を見たら、奈良美智さんの表紙がめっちゃ印象的なんですが、うーむ、本屋で見た記憶がないぞ。汗 最近、図書館ばっかりだからなぁ。山本一力さんの「八幡の湯」も気になります。

さて、岸本さんの翻訳による、ニコルソン・ベイカー「中二階」も早く読まなくっちゃ!(って、気になる部分」を読んだ時にも、書いてたような気もするけど)

「三四郎はそれから門を出た」/汝、愛なくして語るなかれ

 2007-08-24-23:56

 
三浦 しをん
三四郎はそれから門を出た

目次
 三四郎はいかにして門を出ることを決意したか まえがきにかえて
一章 犬のお散歩新刊情報
二章 三四郎はそれから門を出た
三章 本のできごころ
四章 役に立たない風見鶏
五章 本を読むだけが人生じゃない
六章 愛の唄
 三四郎は門を出てどこへ行ったのか あとがきにかえて
特別附録「火宅拝見」イラストレーション:浅生ハルミン(後ろ見返し)


三浦しをんさんは、「愛がないなら、黙して語らずにおけ」を書評の信条としていきたいのだという。そんなしをんさんの愛のこもった書評と、本の周辺の話、家族の話、またはananに連載された、時流に微妙に乗っているような乗っていないようなお話(何せ、「役に立たない」風見鶏だし)を集めたエッセイ集。

しをんさんのことを「ブタさん」と呼ぶ弟や、パワフルさが透けて見える母との会話もいいけれど、やっぱり「愛」ある書評が楽しかったな~。自分が読んだものだと、そうそう!と思ったりして。

二章の「三四郎はそれから門を出た」は、朝日新聞に連載されていたもの。通常の書評は、一冊の本について書くものだと思うのだけれど、ここでは一見関連のなさそうな二冊について、面白い着眼点で共通項を見つけて紹介してくれるのが面白かった。たとえば、最相葉月さんの「東京大学応援部物語」とマルキ・ド・サドの「ジェローム神父」を、”報われぬ献身の美しさ”で括ったりとか。

笑っちゃったのが、京極夏彦さんの「陰摩羅鬼の瑕」における表現。しをんさんは、氏の「京極堂シリーズ」とは、総じて高級幕の内弁当のようなものだと考えるのだそう。それは、選び抜かれた素材で丹念に調理されたおかずと、白米(京極堂の蘊蓄)とのハーモニーを重視した、安心して食せる満腹感のあるもの…。ところが、一作目の「姑獲鳥の夏」には、「幕の内弁当だと思って食べ進んだら、弁当の底にカレーが敷きつめられていたよ!」という驚きがあった、とのこと。姑獲鳥の夏」は、ねえ。凄いとは思うし、好きだけど、あれ、基本的に確かに一発芸だし…。

さて、本に塗れたエッセイの中で、私が気になったのは以下の本。

 

硬軟合わせて、いろいろな本が取り上げられていたけれど、ナチス親衛隊であった母について、娘が書いたノンフィクションと、漫画家・山本直樹さん(そいえば、最近スピリッツで見ないなー)の三十年間の夢の記録、この二冊が興味を惹いた。しかし、黙って行かせて」はともかく、ラジオの仏」は図書館にはないだろうなぁ。いつか読めるといいな。

「佐藤君と柴田君」/ふたりのアメリカ文学者

 2007-07-22-22:23
佐藤 良明, 柴田 元幸
佐藤君と柴田君

1950年生まれ、東京大学教養学部助教授、佐藤良明(トマス・ピンチョンやグレゴリー・ベイトソンの翻訳・紹介で知られるとのこと)、1954年生まれ、東京大学教養学部助教授の柴田元幸(ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザーなどの訳で知られる)のお二方によるエッセイ集。
(肩書きについては、1995年に発行された、この本の扉の著者紹介から引用しています)

文末に「さ」(佐藤氏)「し」(柴田氏)と記された文章が、ほぼ交互に並ぶ。

時に、一般教養の<英語?>の授業の革命について熱く語り、時に、60年代のポップソングについて語る。そして、時に自らの少年時代について、思いを馳せる。

音楽については、特に佐藤氏の方の思い入れが強く、「そんなん知らんー」となることもあるのですが、柴田氏による「
つまみぐい文学食堂 」を読んだ時にも思ったんだけど、ああ、東大の学生はこんな二人の授業を受けられたのか、と思うとやっぱり羨ましい!(そして、今、Wikipedia を見たら、”歌手の小沢健二は柴田ゼミ出身”なのだとか。)

文章としては、私は柴田さんの脱力系の文の方が好みでした。
特に心に残ったのが、柴田氏による「たのしい翻訳」「ボーン・イン・ザ・工業地帯」の二編。

「たのしい翻訳」に、その恐ろしい書き出しが載せられている、T・R・ピアソンの「甘美なる来世に向かって」も気になるなぁ。訳されても読みこなせないような気もするんだけど。
 
 「ひっかかり、抵抗感こそが味である「悪文」的な原文の、そのひっかかりを再現する」ことを重視している柴田さん。「下手にやると、単に下手な訳文にしか見えなくて、結局は弱気になり、「通りのいい」訳文にしてしまうことが多い」そうだけど、このT・R・ピアソンの文は、そういう意味ではかなり癖の強い「悪文」っぽいです。

「ボーン・イン・ザ・工業地帯」では、柴田さんが訳したスチュアート・ダイベックの「シカゴ育ち」の話と、柴田さん自身の「育ち」の話が絡む。東京のサウス・サイドである京浜工業地帯と、シカゴの南側であるサウス・サイドに、柴田さんはいくつかの共通点を感じるのだそう。

「なつかしい」と「うつくしい」が一致しがたいサウス・サイドを描くなかでダイベックはそこに、ふっと天使の影をよぎらせたり、不思議な言葉で呟かれる老婆たちの祈りを響かせたりして、つかのまの「うつくしいなつかしさ」を、あたかもささやかな救済のように忍び込ませた。

工業地帯の下町に育った柴田さんは、それによって自らが育った町も、一緒に救済された気持ちになったのだとか。そして、この部分にはなんだかしんみりしてしまう。

手拭いを頭に巻いたおじさんたちが黙々と旋盤を回している町工場の並ぶ、夕暮れの街並みを自転車で走るとき、僕はいまも、三十年前の、勉強ができることだけが取り柄の、気の弱い、背が伸びないことを気に病んでいる子供に戻っている。喧嘩と体育ができることが至上の価値である下町では、勉強ができることなんて屁みたいなものであり、そういう世界にあって僕は明るく楽しい少年時代を過ごしたわけでは全然なかった。あのころだって、いまだって、僕はこういう環境にしっくりなじんで生きているわけではない。

そういう、ある種の「うしろめたさ」のようなもの、どこかわかる気がします。

あ、スティーヴン・ミルハウザーの「イン・ザ・ペニー・アーケード」も、気になります。「シカゴ育ち」「イン・ザ・ペニー・アーケード」も、この本が届くべき人たち、この本を読んだらよかったな、と思ってくれる潜在的愛読者に本が届いていない気がするのだって。

 特にミルハウザーなどは、文系よりもむしろ理系の、ふだん小説なんてあまり読まない、どちらかというと人間とかかわるより機械とかかわるほうが好きな、根のやや暗めの人に潜在的愛読者がいるはずだと思うのだが、残念ながらそういう人のところまでこの本は届いていそうにない。

本は人の心に届いてこそのもの。柴田さんがそういう人に読んで欲しいと思ったこの本、自分がこの本を読んだらどう感じるのかなあ、などと思うのでした。

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

←文庫も

「小説以外」/小説家、恩田陸

 2007-06-05-22:46
恩田 陸
小説以外

酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記 」で、何だか興味が湧いてきちゃった恩田さんの日常生活。
いそいそとこちらの本を読んでみました。

小説ではなく、エッセイから透かし見る恩田陸とは?

いつものように目次を書きうつそうとしたら、何だかとんでもない量なので、今回は諦めました。自作について、本格推理小説、ファンタジーについて、小説の解説など、長さもばらばらな本に関する様々な文章が集められている(時に、お酒や料理、二足の草鞋を履いていた頃の二重生活の話なども)。

これを読んで意を強くしたのは、恩田さんはやはり「予感」の作家さんだということ。それは、映画番組の最後に放映される、放映予定の映画の紹介を見る時が一番わくわくしていたという話、本のカタログを見るのが好きで、本の背表紙、タイトルから話の内容を想像するのが楽しかったという話にも現れているし、様々な小説の予告編が集まったような物語である、「三月は深き紅の淵を 」が書かれたことにも現れている。

常に入口を、予感を探しているような感じ。こういうのは自分にも良く分かることで、勿論本を読むことは非常に大きな喜びなのだけれど、まだ頁を繰る前、ただその形を見ている時の、物語が自分の前に立ち現れる前のわくわくした気持ちは他にはないものだなぁ、と思う。

面白かった章を挙げる。

これだからイギリス人は・・・・・・
架空長編アンソロジー
予告編と本編の間で

恩田さんがこよなく愛するミス・マープルシリーズ。私はクリスティといえばポアロ派なのだけれど、ミス・マープルの良さがそろそろ分かるようになったかしら・・・。冷徹な観察眼と、些かの稚気、教養と合理性に、ちょっと風変わりのスパイスを効かせた「イギリス人のミステリ」。やっぱり、この辺は安定した良さがあるよねえ。恩田さんの擁護があってなお、本格推理小説の様式美にはやっぱり慣れないんだけど・・・。

この本を読んで気になった本。

・ハリー・クレッシング「料理人」
・飯嶋和一「神無き月十番目の夜」
・ベルナール・ウェルベル「蟻」
・ゼナ・ヘンダースン<ピープル・シリーズ>
・I・コールドウェル&D・トマスン「フランチェスコの暗号」

しかし、こういう「読んでいる」人の本を読むと、自分って全然本のタイトルを知らないなぁ、と思うですよ。「架空長編アンソロジー」なんて、小説自体が架空なのか?、と思っちゃいましたもん(ウォーターシップダウンのうさぎたち」で我に返ったけど)。

そして、恩田さんのファンならば、自分が読んだ本の背景を知ることが出来るのも嬉しいところ。あちこちから集められた文章なので、長さもバラバラだし、ペースを掴むまではちょっと読みづらかったのだけれど、ああ、これはこの話だよね、とニヤニヤしながら読んじゃいました。

「気になる部分」/妄想力と記憶力に満ち溢れたエッセイ集

 2007-04-29-21:47
岸本 佐知子
気になる部分

新聞の書評で見かけた「ねにもつタイプ」が気になっていた岸本さん。
ほんとは「ねにもつタイプ」を読みたかったんだけど、わが図書館にはなかったのでこちらの「気になる部分」を。

しかし、白水社から出ているとはとても思えないこの表紙。装丁を知らずに予約で取り寄せちゃったので、ちょっとたじろぎましたよ。や、私、こんなの頼んでないです、という感じでね・・・。

目次
? 考えてしまう
? ひとり遊び
? 軽い妄想癖
? 翻訳家の生活と意見

さて、内容はというと、私より一足お先に、岸本体験をされた
nanika さん(nanikaさんの記事はこちら→『ねにもつタイプ 』)が指摘されておられる通り、その妄想力と記憶力に舌を巻く。

そうだなー、一例を挙げると、あなたは街で飾られている七夕の短冊が気になるタイプですか? そう、ことによってはイケナイことだと思いつつも、ついつい絵馬を読んでしまったりとか。もしそういうものが気になるようだったら、あなたも立派に「こちら側」(ええ、私も思いっきりそちらのタイプです)の人間かも。

しょうもないことについつい考え込んでしまう人、ふと聞こえた会話から色々と妄想が広がっていく人、これを読むと力強い味方を得た気分になるかも?(私だけじゃなかった!)

そうなんだよなー、私も子供の頃、算数の文章題に苦戦したのは、しょうもない事に気がいってしまったからだった・・・。母に悩みを打ち明けて、「そんなことは心配しなくてもよいのよ」と言われてからは、普通に解ける様になったけどさ。岸本さんバージョンの文章題の悩みは、こんな感じです。

「ある人が、くだもの屋さんで20円のリンゴを7こ買おうとしたら、10円たりませんでした。その人はいくら持っていたでしょうか」というような問題があったとすると、私はその”ある人”のことがひどく気の毒になりはじめるのである。この人はもしかして貧乏なのだろうか。家にそれしかお金がなかったのだろうか。リンゴが7個買えないとわかった時に”ある人”が受けたであろう衝撃と悲しみは、いかばかりだったであおるか―。どうかすると、同情が淡い恋心に変わってしまうことさえあり、(”ある人”ったら、うふふ・・・・・・)などと思いを馳せているうちに、「はい、鉛筆おいてー」という先生の声が響きわたってしまうのだった。

そして、岸本さんの本業、翻訳家としてのお仕事で気になったのは、ニコルソン・ベイカーの作品。
やっぱり、本業も拝見しないとねー。
? ?

その後に読んだ「フェルマータ」の感想はこちら。いやー、けったいな小説でしたよ。次は「中二階」だ!

 →「
フェルマータ 」/もしも時間を止められたなら?

そして、ついでに、「ねにもつタイプ」も読みました。たのしー!

 →「ねにもつタイプ」/夢見るように生きている

*臙脂色の文字の部分は、本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡下さい。
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プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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