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「ぼくと1ルピーの神様」/答えはどこにある?

 2009-04-24-23:12
ぼくと1ルピーの神様ぼくと1ルピーの神様
(2006/09/14)
ヴィカス・スワラップ

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話題の映画、「スラムドッグ$ミリオネア」の原作本です。映画の記事を読むと、原作とは設定が少し違うんじゃないかなー、とは思うんですが。
目次
プロローグ
第1章 ヒーローの死 1,000ルピー
第2章 聖職者の重荷 2,000ルピー
第3章 弟の約束 5,000ルピー
第4章 傷つけられた子どもたち 10,000ルピー
第5章 オーストラリア英語の話し方 50,000ルピー
第6章 ボタンをなくさないで 100,000ルピー
第7章 ウエスタン急行の殺人 200,000ルピー
第8章 兵士の物語 500,000ルピー
第9章 殺しのライセンス 1000,000ルピー
第10章 悲劇の女王 10,000,000ルピー
第11章 エクス・グクルッツ・オプクヌ
     (またはある愛の物語)  100,000,000ルピー
第12章 十三番目の問題
エピローグ
訳者あとがき
クイズ番組で見事全問正解。大金をせしめたはずの少年、ラムの元にやって来たのは警察官だった。スラムに暮らす十八歳のウェイターに、答えが分かるはずがない。そう決めつけた番組関係者が、ラムの逮捕を望んだのだ。

拷問にかけられ、今にも賞金を辞退しそうになっていたラム少年のもとにやって来たのは、今度は彼の救い主である女性弁護士だった。彼女に語り始めた、ラム・ムハンマド・トーマス少年が全問正解出来た理由とは? また、「1ルピーの神様」とは?

面白いことは面白かったんだけど、混沌としたインドを舞台としているのに、そこには期待したような匂いがないんですよねえ。ラム少年の境遇は結構悲惨なんだけど、とんとんと進んで行ってしまうからか、現実味があんまりないのです。でも、そういうところを主眼とした物語ではないのだとしたら、これは映像の方が表現媒体としてより適している物語なのかもしれません。

ばっちり起伏もあるし、細かい部分は、映像が補足してくれるのかも・・・。実はもう一つの目的があったところにはおおっとは思ったけれど、「1ルピーコイン」の秘密に、割と早い段階で気付けちゃうところは、若干興ざめ。でも、一問ごとに明かされる少年の過去は、えらくバラエティに富んでいて、先が気になってどんどん読んじゃいます。

インド的深み、混沌はないのだけれど、青春やサクセス・ストーリーを楽しむ感じかなぁ。社会問題的な話もあるし、インド社会の厳しさ、不合理もあり、辛い現実が描かれるんだけど、あくまでテイストが軽いというか、やたらと読み易いんだよねえ。この辺は本業がインドの外交官であるという、著者のバランス感覚によるものなのかなぁ。
文庫もあるんですねー。↓
ぼくと1ルピーの神様 (ランダムハウス講談社文庫)ぼくと1ルピーの神様 (ランダムハウス講談社文庫)
(2009/02/20)
ヴィカス スワラップ

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「見知らぬ場所」/ジュンパ・ラヒリ、三作目

 2008-11-03-10:26
見知らぬ場所 (Shinchosha CREST BOOKS)見知らぬ場所 (Shinchosha CREST BOOKS)
(2008/08)
ジュンパ・ラヒリ

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ジュンパ・ラヒリ三作目の本書は、短篇と、連作短篇とでもいうべき中編からなっています。そして、フランク・オコナー国際短篇賞受賞作だそうであります。

フランク・オコナー国際短篇賞って何?、と思ったら、あの、イーユン・リーの「千年の祈り」(感想)が第一回の受賞作だそうな。主催はアイルランドのマンスター文学センターというところで、2005年に創設とのこと。比較的若い賞のようですが、村上春樹氏も受賞しておられるそうですよ。
目次
 第一部
見知らぬ場所 Unaccustomed Earth
地獄/天国 Hell-Heaven
今夜の泊まり A Choice of Accommodations
よいところだけ Only Goodness
関係ないこと Nobody's Business
 第二部 ヘーマとカウシク
一生に一度 Once in a Lifetime
年の暮れ Year's End
陸地へ Going Ashore

訳者あとがき
第一部はそれぞれに関連のない短篇、第二部が連作になります。

移民一世ではなく、今回は完全に二世の方に話の軸が移っています。子供のころは、両親により、毎度お決まりのインドへの里帰りに付き合わされたものだったけれど、成長した彼らは違う。彼らの伴侶となったのも、たいていは同族ではない。両親とは違う形で、アメリカの地に根をおろしながら、両親のこと、家族のこと、自分が作った家庭を想う…。インド的なもの、移民的なものが、だんだんに喪われていくからといって、完全になくなってしまうわけではないんだけれど、たいていはそれらを共有することはもうなく、個人としての思い出になってしまっている。

しかしまあ、インドからやってきて、アメリカに完全に根を下ろす。それはきっと並大抵のことではなくて、子供たちも男であれ、女であれ、ほとんどが武装のように素晴らしい学位や仕事を獲得しているのです。そういう意味で、ラヒリの作品は、別にそれでどうというわけではないのだけれど、インテリの作品なのだなぁ、と思います。唯一のドロップアウトというべきは、「よいところだけ」の主人公、スーダの弟、ラフールや、連作「ヘーマとカウシク」のカウシクかしらん。

社会的にも成功して、家庭だって成功を収めているように見える。それでも、どこか自信なさげ、心がどこかに飛んでいるように見えるのも、またラヒリの登場人物たちの特徴でしょうか。伴侶を見つけ、子どもたちが順調に成長していっても、それはなんというか、その個人としての満足には繋がっていないような…。もちろん今の状態が幸せであることを理解しつつも、子供たちが出来たことで、夫婦としての時間を楽しめなくなってしまった、一人の時間が何よりも大切になってしまったと嘆く、「今夜の泊まり」におけるアミットなど。

個人である前に、誰かの妻であり、夫であり、父であり、母であるだけでは、充足出来なくなっているわたしたちの自由。カウシクを思いながら、ナヴィーンの子を産むヘーマは幸せだったのでしょうか。

どれも印象深いお話ですが、表題作の「見知らぬ場所」の父と娘の互いに遠慮し合った愛情が良かったです。それでも、最後に父はルーマの父親であることよりも、自分であることを選ぶんだよなぁ。ジュンパ・ラヒリのこの短篇集。私にはとても現代的であると思えました。
☆関連過去記事☆
・「停電の夜に」(感想
・「その名にちなんで」(感想

・「喪失の響き」(感想
ジュンパ・ラヒリのものではないのだけれど、インテリではないインドがここにはあります。「喪失の響き」はブッカー賞受賞作でもあるし、著者、キラン・デサイがインテリじゃないわけがないとは思うけれども(母、アニタ・デサイも著名な作家だそうです)。

「喪失の響き」/喪失が織り成す様々な響き

 2008-05-21-23:29
喪失の響き(ハヤカワepiブック・プラネット) (ハヤカワepi ブック・プラネット)喪失の響き(ハヤカワepiブック・プラネット) (ハヤカワepi ブック・プラネット)
(2008/03/26)
キラン・デサイ

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amazonの内容紹介から引くと、あらすじは

少女サイは、インド人初の宇宙飛行士を目指していた父を母と共に交通事故で亡くすと、母方の祖父である偏屈な老判事に引き取られた。老判事はすでに引退し、ヒマラヤ山脈の麓の古屋敷に隠居していたが、孫娘の出現は判事と召使いの料理人、そして近所の老人たちの慰めとなるのだった。やがてサイは、家庭教師のネパール系の青年ギヤンと恋仲になる。急速に親密になっていくふたりだが、ネパール系住民の自治独立運動が高まるにつれ、その恋には暗雲がたちこめる――。

とのことなんですが、確かにそうなんだけど、そうなんだけど。これはある意味、あらすじはどうでもいい物語というか…。

混沌としたインドそのままに、時に悲劇的な、コミカルな、新しい、古い喪失が互いに響き合う。「停電の夜に」、「その名にちなんで」で、ジュンパ・ラヒリが描き出したインドとは、違う姿がここにはある。ジュンパ・ラヒリが描き出した人々は、ここでは成功者として、彼らの周囲を通り過ぎる通行人にしか過ぎない。

インドの中での持てる人々である、老判事、サイ、サイたちの隣人ノニ、ローラ姉妹、ブーティ神父、ポティおじさん。持たざる人々である料理人、サイの家庭教師ギヤン。アメリカに渡った料理人の息子ビジュ、イギリスに渡った若き日の老判事、ジェムバイ…。

愛を育むには長い時がかかるのに、喪失は瞬きする間にも起こりうる。ゴルカ民族解放戦線(GNLF)の活動は、それまでうまくいっていた人々の格差を炙り出し、それぞれを敵対させる。アメリカに渡ったビジュは、不法移民として、彼や彼の父親が夢見た成功とは遠い所にいる。イギリスに留学した、若き日の判事、ジェムバイは、その臆病さゆえに、自分の人生から愛を閉め出す。閉め出されたのは、彼の妻、ニミもまた…。

キラン・デサイの筆は奔放。サイたちの住む、ヒマラヤ山脈の麓の古い屋敷、チョーオユーは時に快適な場所として、時に湿気やシロアリにより崩れゆく場所として描かれる。壁に、引き出しの中に、本棚の本の頁に、あらゆる場所に顔を出す様々な黴の描写は美しくさえある。カンチェンジュンガ(Wikipediaにリンク)の麓の長閑な美しさも印象的。

様々な救い難い喪失が描かれるというのに、読み終えたときの感覚は何だか甘やか。料理人が語る内に真実だと思い込む、空想の中の出来事のように、悲劇的なことが描かれていても、薄皮が一枚かかっているよう。料理人の盲目的な愛は、貧しい人に特有のものであるとしても、時に救い。

ラストのシーンもね、いいのです。結局、そこには喪失はなく、最初にあったものが、そのまま戻ってきたとも言えるのかな。インドと言えば、ダウリー(持参金)問題の国でもある。当初、そこには愛があったのに、判事のねじ曲がった考えが、彼の妻を悲惨な境遇に貶める。宗主国と植民地。捻じれたプライドが悲劇を生む。混沌とした世の中で、人はあまりにも弱い存在だけれど…。それでも…。料理人父子や、サイには、同じ過ちを繰り返して欲しくはない、と思う。

「その名にちなんで」/受け継がれたもの

 2008-05-09-00:02
その名にちなんで (新潮クレスト・ブックス)その名にちなんで (新潮クレスト・ブックス)
(2004/07/31)
ジュンパ・ラヒリ

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「停電の夜に」のジュンパ・ラヒリの、長編小説です。お話としては、「停電の夜に」で言うところの、「三度目で最後の大陸」に近いのかなぁ。新潮クレストブックスは、厚くなりがちな気もするけど、346ページの長編がするすると読めてしまいます。訳者の方の功績なのかもしれないけれど、文章がすごく読み易くて、この世界にするっと潜り込んでいくような感覚を覚えます。馴染みのない世界のはずなのに、物凄く近しい人の話を聞いているような感覚…。そうして、いつしか自分自身の人生についても、重ね合わせて考えてしまう。訳者あとがきにもありましたが、「停電の夜に」の短編はまるで長編のようだったけれど、こちらの長編「その名にちなんで」は壮大な短篇のよう。いやー、良かったっす。
インドからアメリカへとやって来た、アショケとアシマ夫妻の元に生まれた最初の男の子は、ロシアの作家にちなんで「ゴーゴリ」と名付けられた。アメリカに着々と根を下ろしながらも、インドに心を残し、数年に一度のカルカッタへの里帰りを楽しみにする母アシマとは異なり、ゴーゴリはほとんどアメリカ人として成長していく。各々に与えられた個室、レコード、コーラ、ピザ…。ゴーゴリにとって、両親に付き合って訪れる、インドの親戚宅は煩わしい異国でしかなかった。それは、近隣のインド出身の人間で形作られるコミュニティーや、週末毎に行われる両親たちのパーティーもまた。本物のおじやおば、アメリカにおける疑似的なおじやおばも、ゴーゴリには遠いものでしかなかった。

そうして、成長するにつれ、膨らんでくる自らの名前への違和感。父がファンだったから、とだけ聞いていた「ゴーゴリ」という名は、当の作家にとっても、ファーストネームではなく、作品はともかくとして、授業で習ったゴーゴリの人となりも、彼の好みに合うものではなかった。なぜ、父は自分にそんな名を付けたのか。

父がその名を付けたのは、勿論、理由あってのこと。ロシア文学を愛する祖父の元を訪れるために乗っていた列車の中で、若き日の父は脱線事故に遭っていたのだ。多くの人間が亡くなったその事故で大怪我を負いながらも、九死に一生を得た若き日の父が握っていたのは、ゴーゴリの「外套」だった…。直前に話をしていた乗客も死者の一人となり、インドから外へ出ることなど考えていなかったアショケは、その乗客が話していたように外へと飛び出すことを決意する。アショケは列車事故の後を新しい人生だと感じ、それと同じことをゴーゴリの誕生で感じたのだ…。

成長したゴーゴリは、その父の思いを聞く前に、ニキルと改名してしまう。由来を聞いたゴーゴリは複雑な感情を持つことになり、時にゴーゴリとしての自分と、大学以降のニキルとしての自分が分離しているように感じる。主に三人の女性からなる、ゴーゴリの女性遍歴もまた様々。女性たちが変わっても、ゴーゴリの本質は変わらない。また、年を重ねるにつれ、増してくるのは、インド人としてのアイデンティティ。両親や、多くの親戚や、疑似的な親戚であったインド系のコミュニティーとも、ゴーゴリはやはり無縁ではいられないのだ。三人目の女性、インド人の幼馴染、モウシュミとの破局は苦い。モウシュミにもモウシュミの、葛藤があったようなのだけれど…。そうして、最後に知る母の強さ。インドに心を残しているように見えて、母アシマはしっかりとアメリカに根を張っていたのだ。

思いを口にし、体に示して伝えて行くアメリカの人々と、奥床しい移民一世である両親たち世代の違い。ゴーゴリたちの恋愛と両親たちとの違い。ゴーゴリの妹ソニアとアメリカ人ベンの結婚は希望だなぁ。

いまの人は長年かかってなじむというより、まず先に恋愛をしておいて、決めるまでに何ヵ月も何年も考える。昔とは違う。アショケとの結婚を承諾したときは、午後からの半日しか時間がなかった。言うなれば「誰々へ」の名札のようなものだったと思う。いつのまにか捨ててしまったけれど、自分らの生活は、あの札のようなものだった。あの人が私を嫁にすると決めたから思いがけず私にやって来たアメリカ暮らし。なじめるまでには長い時間がかかった。このペンバートン・ロードの家にいて、いまだにわが家と言い切るにはいたらないような気もするが、ここを住処としたことに間違いはない。この手で仕上げた世界がここにある。(p333より引用)

ラストに程近い、母アシマの回想より引用しました。揺るぎない重みのある言葉だと思います。

しかししかし、このインド系コミュニティー。留学し、アメリカで職を持つことが出来た人々ばかりであるからして、恐ろしいほどにインテリばかり。移民であるという他にも、インテリばかりというところにも、ちょっと特殊性があるような気がします。なんとなく、みんな美形ぞろいっぽいしね。
「停電の夜に」よりも、私はこちらの方が好み。「停電の夜に」にあった苦味が分散されてたからかな。読み終わった後、何となく深呼吸してしまいました。ふかぶか~。ああ、いい本を読んだなぁ。

「停電の夜に」/世界とわたし

 2007-05-10-00:03

ジュンパ ラヒリ, Jhumpa Lahiri, 小川 高義

停電の夜に

目次
停電の夜に
ピルザダさんが食事に来たころ
病気の通訳
本物の門番
セクシー
セン夫人の家
神の恵みの家
ビビ・ハルダーの治療
三度目で最後の大陸
 訳者あとがき


各所で高評価をお見掛けするこの短編集。そんなに良いなら、と借りてきたのだけれど、これは皆さまが書かれていた通りの、良い物語でありました。
でも、この「書かれていた通り」というのがちょっぴり曲者で、あんまり予備知識無しに読み始めた方が、この世界にどっぷり入れたのかもなぁ、とも思いました。予備知識があったので、「あ、こういう世界なんだよね」と思いながら読んでしまったのが、ちょっと勿体無かった感じ。

カルカッタ出身のベンガル人を両親に持ち、幼い頃に渡米したジュンパ・ラヒリ(そして、これまた各所に書かれていた通り、実にお美しい!)が描くのは、私にはあまり馴染みのない、アメリカにおけるインド系の移民や、インドを舞台としていても、普通の人たちからは少し外れた人たちが生きる世界。
移民である人々は、遠く故郷を離れた町で暮らし、故郷を思う。少し外れた人たちは、「普通」を思う。ここではないどこか、現在ではないいつかに、心を残し、または緩やかに心を奪われている人たちが、織り成す物語。

国と人との関係においても、この物語の中の登場人物たちは、ぽつんと一人立っている感じがするのだけれど、それは人と人との関係においても同じ。夫婦の関係においても、一人一人は他人なんだなぁ、という感じがする。「停電の夜に」における夫婦も然り。暗闇の中だから言えること、暗闇の中ではなく、明るいところで告げたかった事・・・。好みとしては、「三度目で最後の大陸」の夫婦だけれど。「三度目で最後の大陸」で、主人公である男性が語る夫婦の歴史にはじーんとくる。

わたしたちが孤児だったころのあとがきに引用されたカズオ・イシグロの言葉のように、「突然、世間の荒波の中に放り出されたわたしたちも、言ってみればみな孤児のような時期を経験している」わけで、移民という存在を通して、そういう世界が描かれているように思いました。


 ←文庫。でも、クレスト・ブックスの美しさで、単行本の装丁の方に軍配をあげたい。

「はじめてのインド料理」/インドの家庭料理

 2007-01-16-20:36
ミラ メータ, Mira Mehta
はじめてのインド料理―HEALTHY WAY TO INDIAN COOKING

どこかで見た名前だなぁ、と思ったら、以前、読んだことのある、「インド、カレーの旅 」と、同じ作者さんでありました。「インド料理」ということで、今度はカレーのみに限定されずに、その他のインド料理、それも家庭的な野菜炒めや、サラダ、デザートなどが載せられています。

目次
基本のスパイス13種
インドの食事のスタイル
カレー Curries
野菜炒め Vegetables
米料理・パン Rice&Breads
サラダ Saladas
飲み物・デザート Drinks&Desserts
もっと知りたいインド料理

インド料理は、以下の構成で供せられるのだという。

 ご飯、パン(場所により両方かどちらか)
 カレー(野菜、肉、魚など)
 野菜炒め(カレーとの味のバランスで)
 サラダ(ライタ、カチュンバルなど)
 飲み物(ラッシなど)
 デザート、紅茶(両方またはどちらか)

インドは日本と同じアジアの一部。日本を見ても分かるけれど、アジア料理の基本は、料理の数が一品よりは、何品もある方が喜ばれる事。デザートを除いた、これらのお皿が食卓にドーンと乗るのだそう。

読んでるとね、スパイスさえ用意すれば、実は家でも作れそうなものが多いのですよ。「季節のいちばんおいしく安い材料で、短時間でささっと料理して食べて」しまうからなのかなぁ。実際、ここで紹介されているレシピのほとんどは、30分以内で出来てしまうそう。

レモンまたは酢であえたサラダをカチュンバルといい、食事の時に食べるヨーグルトのサラダをライタというのだという。この辺は混ぜるだけなので、特に簡単に出来ちゃいそう。夏場には、きゅうりライタなんかが美味しそう♪

ラッシ、チャツネの作り方も載っています。今度、ラッシーを作ってみようかなぁ、と思いました(いや作るっつか、ほぼ延ばすだけなんだけど。特にラッシーに合うヨーグルトの銘柄とかあるんでしょうか)。

ちょっと面白かったのが、料理に銀箔を乗せる事!日本だったら、金箔だよね。お祝いやおもてなしの時に、豪華さを添えるために乗せるそう。身体にいいものとして、珍重されているとのこと。

もう一点、なぜ、手で食べるのかという問いに対する答えとなる、「食事は体全体で食べるもの」も面白かった。インドでは食事は五感を楽しませるもので、目で見て喜び、匂いをかいで香りを楽しみ、手で触って温かさにほっとし、食事を用意するときの音を楽しむのだそう。そういえば、「村田エフェンディ滞土録 」にも、美味そうな手触りというものがある、というフレーズがあったものなぁ。日本で手を使うのは、おむすびやお寿司? そういえば、おむすびも何だかほっとするものね。

「ダウリーと闘い続けて」/花嫁はなぜ焼き殺されるのか

 2005-08-30-10:30
スパドラー・ブタリアー著/鳥居千代香訳
「ダウリーと闘い続けて―インドの女性と結婚持参金」つげ書房新社

訳のせいなのか、原文のせいなのか、決して読みやすい文ではない。しかし、これは事実が全てを凌駕するタイプの本。

目次
序文
第一章  隣家で起こったこと
第二章  不正感
第三章  活動の始まり
第四章  街頭劇
第五章  家族の共謀
第六章  新しい場所・古い問題
第七章  団体の設立
第八章  インドの司法制度との出会い
第九章  有罪判決と「不確かさの恩恵」
第十章  なぜ有罪判決が珍しいか―立法者と彼らの論理
第十一章 偏見と先入観
第十二章 抵抗することの重要性
第十三章 終わりに
訳者あとがき

ダウリーとは、訳注によれば「結婚持参金・婚資」とのこと。

本書は、隣家の若い女性の死を切っ掛けに、「ダウリー問題」に気付き、この問題と取り組んだ歴史を著したもの。著者は八十一歳でこの本を書いたが、現在でも女性団体「カルミカ」での仕事を続けているとのこと。

日本でも結納金や結婚支度金といったものがあるけれど、ダウリーがこれとは違うのは、ダウリーはただ結婚の時だけに要求されるものではないということ。勿論、結婚の時のダウリーの額も、婚家の重要な関心事項であり、ダウリーの額が十分でないために、婚家で非情ないじめを受けたりもする。ダウリーの要求は際限がない(あなたの息子にスクーターを与えたのだから、義理の息子である私にもスクーターが貰える筈だ、など。現金だけでなく、テレビなどの家電製品も要求される)。

また、ダウリーの問題は、宗教の問題、インドの慣習の問題とも深く結び付いている(カーストとダウリーについては、時々顔を出すものの、全体としてこの本のみでは良く分からなかった)。

魂を救済するには十の方法があるが、ヒンドゥー教徒の女性が救われる道は、ただ結婚という方法のみ。よって、未婚の少女は父親にとって重荷であり、思春期前に娘を結婚させることができなければ、父親はその義務を果たしていないことになる。親は娘を出来るだけ早く結婚させなければならないと焦り、これから姻戚になる人たちにさまざまな気を引くものを提供する。娘を結婚させようと焦るため、娘の結婚相手についての十分な調査も行われない。妻が不審な死を遂げた男性であっても、結婚の申し込みはなくならないのだ。

結婚した娘が、婚家について訴えようと、逃げ出してこようと、女性の実家は「婚家への順応」を望む。なぜなら、離婚した娘がいることは、残りの娘の結婚へ悪影響を及ぼすから。そして女性が殺されて初めて、娘の置かれていた状況に気付くのだ。

この問題で救われないのは、被害者である娘の母親も、またこの慣習に縛られているため、たとえ娘が焼き殺されても、息子の母親としての自分は、「ダウリー」について悪の意識、罪の意識を持たないことだ。司法制度も、著者らの運動により徐々に変わっていくのだが、法律を司る人々の意識の改革は、なかなか難しいようだ(ダウリーは文化的側面も有するので)。

最近でも、ダウリーに関係した暴力やダウリー死の事件の数は増え続けているそうだ。今日、ダウリーは北インドの中流階級のヒンドゥー教徒の家族だけの問題ではなく、その影響は広範囲に拡大し続けており、イスラーム教徒、キリスト教徒、シーク教徒の若い女性たちもまた、ダウリーが原因で苦しんでいるとのことである。

ほとんどの場合、両親や他の人たちは女性にどんな役割も与えない。女性は知性がない、決定を下すことが出来ないと考え、女性に決定権を与えない。だが、そのような考えを捨てれば、必要なとき、女性としての知的な判断を下すことができるのである。

インドでは高い地位に女性がついていることも多いので、こういった問題があることが不思議だったけれど、高い地位にいる女性は、ごく一部の上流階級に属し、機会に恵まれた女性だけであるとのこと。女性は物ではない。慣習も変わっていって欲しいし、女性自身も慣習に縛られることなく、いざという時は自分の身を守り、抵抗出来ますように、と思った。

スバドラー・ブタリアー, 鳥居 千代香
ダウリーと闘い続けて―インドの女性と結婚持参金

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

「インド、カレーの旅」/カレー!

 2005-07-06-09:07
ミラ メータ, Mira Mehta
インド、カレーの旅―本場の味を求めて、インドカレーめぐり

扉の著者の言葉より
日本の皆さまから、よく質問されることがあります。
「インドの人は、皆、毎日同じカレーを食べているのですか?」と。
それに答えるために、今回インドを旅して、インドで食べられている東西南北のカレーを紹介することができました。


これは、まさに私の疑問でもありましたので、図書館で借りてきました。美味しそう~。インド料理屋さんに行った時に、いつも不思議だったのですよね。あのカレーの種類の豊富さが。
これは、その疑問に答えてくれる本であります。

「はじめに」から引用後、要約するとどうもこういうことらしい。
インドでは確かに三食カレーを食べているけれど、カレーの味は場所により大きく異なる。インドは日本の9倍の面積をもつ広い国であるから、東西南北で気候も、そこでとれる野菜や材料も変わってくる。さらに、宗教や人種の違いも加わり、カレーの種類は数え切れない程になる。
この本の目的は以下の二つ。
インドには美味しいカレーが、沢山あることを知ってもらうこと
カレーの種類が気候風土と深くかかわりがあることを知ってもらうこと

この目的のため、実際にインドをぐるりと旅したとのこと(西のムンバイ(元ボンベイ)から始めて、南のチェンナイ(元マドラス)、そして東のカルカッタへ、最後は北のデリーへ)。

風景、市場の様子など、インドの広さを確かに実感出来る。私にとってちょっと意外だったのが、野菜や果物の豊富さ。市場が実に色鮮やか。


これは東西南北、どこのカレーかなぁ、なんて考えながら食べるのも楽しいことだろうな、と思いました。カレーに使う油も地方によって異なったり、お米もジャポニカ米、インディカ米など色々な種類があって、これもまた地方によって食べ方が異なるのも面白いなぁと思ったことでした。
***************************************************
【北インドの特徴】 北のカシミール地方はヒマラヤ山脈の高地にあり、冬は零下になるほど寒いので、とうがらしをたくさん使った辛いカレーが特徴。肉を食べることも多く、牛、鶏、羊の肉を好む。ナッツ類や生クリームを多く使った、こってりしたカレーが好まれる。

【西インドの特徴】 極端に暑くも寒くもない、比較的過ごし易い気候。ベジタリアンが多く、野菜と豆をたくさん食べる。北に比べると味付けもあっさり。

【南インドの特徴】 チェンナイは、夏の気温は40度を超える日もある常夏の町。やしの木が生い茂り、のんびりとした雰囲気が漂う。ベジタリアンも多く、野菜や豆を多く食べる。また、海辺の町では、魚も良く食べる。

【東インドの特徴】 湿度が高く、夏はかなり蒸し暑くなる。東インド一帯はガンジス河など大きな河が多く、川魚を好んで食べる。


*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、御連絡下さい。
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プロフィール

つな がる

Author:つな がる
つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
興味を持った記事があったり、あなたが読み終えた本について語っていたら、是非あなたの感想を教えて下さい。お待ちしています。

2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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