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「北緯14度」/絲山秋子、セネガルに旅する

 2009-01-12-22:57
北緯14度北緯14度
(2008/11/21)
絲山 秋子

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食エッセイ、「豚キムチにジンクスがあるのか」(感想)以来の絲山さんです。小説で言えば、「ダーティ・ワーク」(感想)以来。

で、この「北緯14度」は紀行文なので、「豚キムチ~」の方により近く、絲山さんの地が出ているのではないのかなー。紀行文とは言っても、どこかへ行った!、何をした、何を見たという、普通の紀行文ではありません。といっても、角田光代さんのように、自らを知らない地に置くことが目的(旅エッセイ「恋するように旅をして」(感想))なのでもなく、絲山さんは、その地、アフリカのセネガルに、ほとんど家族ともいえる人たちを作ってしまう。

もともとの旅の目的は、絲山さんが九歳の時にテレビで出会った、当時の絲山さんにとっての神さま、ドゥドゥ・ンジャエ・ローズの音楽を、セネガルの空の下で聞きたいという願いから来ていて、それも勿論実現するのだけれど、この旅の収穫はそれだけではないというか、むしろ違うところで結実したように思うのです。

挿入されるメール文(私信)も含め、絲山さんのアップダウンする感情が、ひしひしと伝わってくる。同じ人を好きだと思ったり、あーもー、それじゃ駄目なんだよ!、そこが嫌なんだよ、と思ったり。昔習っただけのフランス語では、子供のような気分になってしまう、というような言葉が文中にもあったんだけど、その感情もまた子供のような素直さ。

「豚キムチ~」でも少し思った、絲山さんの生き辛さのようなものが、セネガルの人たちの間ではそれがすっと溶けていったのかなぁ。ここまでストレートに感情を出すのって、余計な御世話だけど、建前を必要とされる日常生活の中では、ちょっと辛いと思うのよ。

セネガル以前とセネガル以後。絲山さんの中では、きっと何かが変わったんだろうなぁ。

気になって、絲山さんのweb連載(リンク)もチェックしてみました。「カレ」とは、本書で出てきたムッシュ・コンプロネ(本名ではなく日本人。ミスター・パーフェクト?)のことなんだよねえ? お幸せそうで何より。どうにも使えないムッシュ・イシザカ(これは仮名なのか何なのか。講談社の偉い人ってこと?)については良く分からず…。サイン会で、誰?どこ?と言われたそうだけれど、そりゃ気になるよなぁ。

絲山さんは、現在、家を建築中とのこと。これから飼われるという犬との暮らしを含め、その辺のエッセイも読んでみたいなぁ。絲山さんは、小説よりもエッセイの方が自分には読みやすい感じなんだよね。
もくじ
はじめに
Ⅰ ファティガン
Ⅱ テランガ
Ⅲ アプレ!アプレ!

*ファティガン:フランス語。「疲れる」「骨が折れる」「疲れた(様子など)」「うんざりさせる」「うるさい」など。
*テランガ:ウォルフ語で、「もてなし」の意味。
*アプレ:フランス語では「~の後で」という意味。セネガルでは「あとでね!またね」という、別れの挨拶として若者が使うことが多い。
ラック・ローズラック・ローズ
(1997/08/25)
ドゥドゥ・ンジャエ・ローズ・パーカッション・オーケストラ

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「アメリカにいる、きみ」/ナイジェリアという国を知っていますか

 2008-11-10-22:44
アメリカにいる、きみ (Modern&Classic) (Modern&Classic)アメリカにいる、きみ (Modern&Classic) (Modern&Classic)
(2007/09/21)
C・N・アディーチェ

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ラッタウット・ラープチャルーンサップの「観光」の記事にコメントした際に、P&M_Blogのpiaaさんからお勧め頂いた本です。

著者が1977年生まれと比較的若いこと(「観光」は更に若く1979年生まれ)、みずみずしい筆致と確かに連想させられる部分もあるかも。でも、私が感じたのは、ルワンダの大虐殺を描いた「ジェノサイドの丘」(上巻感想下巻感想)を読んだ時と同じように、自分は何も知らないんだなぁ、ということ。

ナイジェリアという国について、よく知っているという人はきっと少ないでしょう。Wikipediaを読んでも(ナイジェリアの項にリンク)、とっても複雑な成り立ちの国家であることが良く分かります。それは、ほとんどすべてのアフリカの国々に当てはまることなのかもしれないけれど…。
目次
アメリカにいる、きみ
アメリカ大使館
見知らぬ人の深い悲しみ
スカーフ―ひそかな経験
半分のぼった黄色い太陽
ゴースト
新しい夫
イミテーション
ここでは女の人がバスを運転する
ママ・ンクウの神さま
 訳者あとがき
もちろん、これは「ジェノサイドの丘」のようなノンフィクションではなく、物語であるわけなんだけど、巧みに織り込まれたナイジェリアという国の内情が胸を打ちます。最初は自分がナイジェリアを知らないだけに、ちょっとカタログ的?と思ってしまったけれど、悲しい苦しい話の中に、著者近影の力強い笑顔のように、どことなく明るいユーモアが見える短編集でした。

心に残ったのは、「見知らぬ人の深い悲しみ」、「スカーフ」、「イミテーション」、「ここでは女の人がバスを運転する」。後ろに収録されているものの方が、少し柔らかくなっているような印象を受けました。なんかね、ここに筋を書いてしまうよりも、頭の中でもう少しゆらゆらとさせておきたい感じ。話の筋も勿論大切だけれど、それ以上の空気とか雰囲気を沁み込ませておきたいなぁ。

ラヒリの物語には内戦が影を落とすことはないけれど、インドのジュンパ・ラヒリを思わせる部分もありました。ラヒリと同じくびっじーん!だしね。

アフリカといえば、面白かったんだけど、どうもネット上でもあまり感想を見かけない「哀しいアフリカ」の感想にリンク。実話だなんてうっそでしょーーー!な、国際的私立探偵、ケリー・ジェームズ氏の冒険譚。面白いですよー。

「ジェノサイドの丘・下」/終わらない悪夢とほんの少しの希望

 2008-05-03-00:33
ジェノサイドの丘〈下〉―ルワンダ虐殺の隠された真実ジェノサイドの丘〈下〉―ルワンダ虐殺の隠された真実
(2003/06)
フィリップ ゴーレイヴィッチ

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上巻においても、とてもとてもルワンダで起こった大虐殺を理解出来たとは言えなかったんだけど、下巻においては更にそれが加速してしまいました。上巻が主にルワンダの人々個人にスポットがあてられたのに対して、下巻では所謂「国際社会」の「人道支援」について、隣国ザイール(コンゴ)も含めて、多くが費やされている。そのため、色々とこんがらがってしまいました。時系列も、上巻と被っていても、また違うことが書かれているし…。

覚えておきたい部分を引用します。

ジェノサイドとそれに対する世界の反応を論じていたとき、カガメ将軍がこう言ったことがある。「我々に悲しむなと言わんばかりの人もいる。我々は動物のようなものだと思っている。家族を失ったら、慰めて、お茶とパンをくれて―そして忘れてしまえと言う」カガメは舌打ちした。「我々を見下しているんじゃないかとさえ思う。よく、ソーダ水を配っては、『これをやっちゃいけない、これをやるべきだ、これはしない、これをしろ』と言いたがるヨーロッパ人と言い合いになった。わたしは『あんたには感情ってもんはないのか?』と言った。その感情にみんな苦しんでいる」 (p219-220より引用)

カガメの理解するところでは「アフリカと西側諸国は多くの点で隔たっている」だが国際社会にとっての敗北が誰にとっての勝利でもないかもしれないと、カガメはわかっているようだった。カガメはこれまでひたすら中央アフリカで、「文明社会」と呼んでいたものと戦うのではなく、そこに仲間入りするために戦ってきた。だが、今や世界は「難民問題」を利用して自分たちの進歩を破壊しようとしている。「それが彼らの本当の目的なのだ。人権などではなく、もっと政治的なものだ。『この発展は押しつぶしてしまえ。アフリカ人が勝手に自立しようとしている危険な発展はつぶしちまえ』ということなんだよ」(p224より引用)

繰り返し語られるのは、「援助」が無駄どころか、新たな害悪を撒き散らす姿。金、人、物資の誤った使い方には、思わず暗澹たる気持ちになってしまうほど…。国連で働くということも、イメージで思っているほど、綺麗なことでも、理想を追うことでもないんだろうなぁ、きっと。

ルワンダの悲劇の一つは、隣人を殺した人間と、生き残った人間が、同じ場所でもう一度生きなおさなければならないこと。これほど過酷な環境で、赦し(とはいえ、命令に従っただけと、真顔で話す殺人者には、自責の念すらないこともあるのだ)が必要とされるのは、本書でも言及されていたけれど、人類史上まれに見ること…。この苛酷な状況の前には、本当に声も出ない。
□上巻の感想にリンク
□ルワンダ支援のために活動しておられる、「ワンラブプロジェクト」さんのルワンダ事情にリンク
□Wikipediaのポール・カガメの項にリンク
□Wikipediaのモブツ・セセ・セコの項にリンク

「ジェノサイドの丘・上」/民族という悪夢

 2008-04-01-00:04
ジェノサイドの丘〈上〉―ルワンダ虐殺の隠された真実ジェノサイドの丘〈上〉―ルワンダ虐殺の隠された真実
(2003/06)
フィリップ ゴーレイヴィッチ

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扉から引きます。

「一割間引き(デシメーション)」とは十人に一人を殺すことを意味するが、一九九四年初夏、ルワンダ共和国では大虐殺によって人口の一割が殺された。殺害はローテクなものだったが―主として山刀(マチェーテ)が使われた―驚くべきスピードだった。七百五十万人の人口のうち、少なくとも八十万人がわずか百日のあいだに殺された。ルワンダ国内では死者百万人とも言われているが、こちらの数字の方が正しいかもしれない。ルワンダの死亡率はホロコースト中のユダヤ人のほぼ三倍に達する。これは広島と長崎への原爆投下以降、もっとも効率的な大量虐殺だった。


大量虐殺とは混乱の中で行われるものではない。粗末な武器で、ひたすらに隣人を、かつての友人を殺し続ける。それには組織的な力が必要であり、殺される側がその運命を受け入れるという特殊な状況も必要となる。なぜ多くの人が殺す側に回ったのか、なぜ多くの人たちが唯々諾々と殺されていったのか。それは一九九四年に、突然始まったものではないのだ。

著者、ゴーレイヴィッチは、ルワンダの不幸をヨーロッパによる侵入、及び植民地化に見る。それまでは、自分たちの国が世界の中心であると考え、多様な人種が君主の元に団結していたルワンダの人々は、ベルギー人たちによって分断される。ベルギー人たちは、ヨーロッパ的身体特徴を持つツチ族が優性であり、アジア的特徴を持つフツ族を劣性であると、位置づけたのだ(そして、「人種」を持ち込んだベルギー自体も、人種の境界線によって分断された国家であるというこの皮肉)。ツチ族は支配者としての地位や教育を与えられ、一方のフツ族は支配される者となった。

そして、この後、ルワンダにおける政治闘争は平等を求めるものではなく、二つに分かれた民族のどちらが支配的地位につくかの争いとなる。

一九五七年 フツ族知識人グループが『フツ宣言』を出版し、「民主主義」を求める
一九六〇年 ツチ族首長をフツ族にすげかえるクーデターが演出される
一九六一年 君主制が破棄され、ルワンダが民主主義国家となる
一九六二年 ルワンダが独立国家となる

国家が動いていく間、個人には何が起こっていたのか。ルワンダのツチ族は、恐怖で年を数えるのだという。五十九年、六〇年、六一年、六三年…九四年。家が燃やされ、人々が殺される。なぜ自分が生き残ったのかもわからないながら、恐怖をどう生き抜いたのか、その記憶が彼らの人生を形作る。

逃亡したツチ族貴族たちが率いる武装集団によるルワンダ襲撃は、より悪い結果をもたらす。それは、フツ族政府がツチ族市民を攻撃する絶好の理由となるのだ。他人種への反目には、市民意識を高める効果がある。政治的に煽られた民族熱は、最悪のシステムを作り出す。人間は一人で生きるものではなく、共同体の中で生きるものであるけれど、協調性や勤勉さなどの美徳とも言える性質が、もしあらぬ方に走ってしまったとしたら? 殺人とレイプが決まり事になってしまったら?

さらに国内だけではなく、国外からも様々な資金や武器が調達されるとしたら…。ツチ族反政府派のルワンダ愛国戦線(RPF)と、フツ族政府軍、ルワンダ武装警察(FAR)の戦いは、そのままルワンダが植民地だった頃へと遡る。英国系のRPFに対抗して、フランスはFARに加担する。そうして潤沢な資金や武器がルワンダに流れ込み、またFARは、「内なる敵」である無力なツチ族市民の撲滅に執念を燃やす…。

結局のところ、ジェノサイドはコミュニティ形成の実践だった。全体主義の強力な命令は全住民をリーダーの計画に組織する。ジェノサイドはそれを実現するための、もっとも異常かつ野心的な、だが同時にきわめてわかりやすい方法だった。一九九四年のルワンダを、外の世界は崩壊国家がひきおこす混乱と無政府状態の典型だと見なしていた。事実は、ジェノサイドは秩序と独裁、数十年におよぶ現代的な政治の理論化と教化、そして歴史的にも稀なほど厳密な管理社会の産物だったのだ。   (p117)


その中で個人に何が出来たのか?
ここで描かれるのは、対照的な二人の姿。

一人は国連ルワンダ支援団(UNAMIR)の国連軍指揮官のカナダ人ロメオ・ダレール少将、もう一人はホテル、ミル・コリンのマネージャー、ポール・ルセサバギナ。

ダレール少将は、虐殺や略奪を止める手段や力を持っていたにも関わらず、それを行使する事無く、ただツチ族が殺されていくのを見守るしかなかった。彼の報告と提案が、「UNAMIRの任務を越える」として、事務局の同意を得られなかったために…。

一方のポールは(これ、たぶん、「ホテル・ルワンダ」の人ですよね)、生き残っていた電話線に気づき、FAXを送り、電話で話し、世界中に叫び続ける。ホテル内に匿った人々に対し責任を持ち、様々なコネを駆使し、とりあえずその日、その人を殺させない、連れ去らせないことを念頭に、何とか日々をしのぎ続ける。

何がポールとその他の人々、たとえば教会に避難してきたツチ族信者たちの元へ、彼らを殺害する警官を案内した神父や、力を行使する事無く人々を見殺しにした国連軍少将とを分けたのだろう。ポールは、それを”自由意思”に求めるが…。何者として生き、何者として死ぬべきか。しかし、あまりに多くの人々が、非人道的行為を受け入れてしまっていた。

色々な人々や国の事情にズームしていくような感じなので、多角的には分かりやすいのだけれど、なかなかこれを理解出来たとは言えないです。

確か、当時もちらりと不思議に思っていたアメリカの「ジェノサイドの行為が起こったかもしれない」という、曖昧な言い回し。これは、ジェノサイド条約があったからだったのですね。ジェノサイド条約の締結国は、国家が殺人を防止し処罰するように、素晴らしき新世界の警察となることを誓ったのだが…。あまりに道徳的ユートピア過ぎるこの条約は、結果として形をなさず、アメリカがゴーサインを出し渋っている間、ルワンダでは人が殺され続けた。

加害者、被害者、権力者、反権力者が分かり辛いのも、ルワンダの問題の特徴なのか。一九九四年のジェノサイドにおいて、「ターコイズ作戦」によってフランス軍が支援したのは、ジェノサイドを行った地域リーダーたちであり、ジェノサイドの罪から逃れるために、難民となったのは彼らジェノサイドの首謀者たちであった…。

上巻を読んだだけでも、それはそれは救いがなく、ここまでで全ての不幸が描かれているようにも思ってしまうのだけれど、下巻ではさらに何が描かれるのか。

ルワンダの問題が突発的に起こったものではなく、悪夢のようなシステムが形作られてしまったために起こってしまったことが良く分かった。こんなシステムを作り上げてしまったのは、勿論人間であり、それは天災でも何でもないことも。

陰惨たる描写に途中で投げ出してしまったのだけれど、「戦争における「人殺し」の心理学」を思い出した。結局、「人間性」なんてものは、一旦どこかが掛け違われてしまえば、いくらでも酷い事が出来てしまうんだなぁ…。
Wikipediaのルワンダ紛争にリンク
戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)
(2004/05)
デーヴ グロスマン

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ホテル・ルワンダ プレミアム・エディションホテル・ルワンダ プレミアム・エディション
(2006/08/25)
ドン・チードル、ソフィー・オコネドー 他

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□下巻の感想にリンク

「リビアの小さな赤い実」/リビアの少年、少女

 2007-09-19-22:52
ヒシャーム・マタール, 金原 瑞人, 野沢 佳織
リビアの小さな赤い実

著者、ヒシャーム・マタール自身の父も、反政府主義者として糾弾を受け、リビアを脱出したものの、その後、リビアの秘密警察により誘拐され、1995年以降、生死を含め、その消息は分かっていないのだという。

というわけで、これは限りなくノンフィクションに近い、フィクションなのかな。主人公のスライマーンは、今、少年の日のあの夏のことを思い出している。それは、1979年、生まれ育った街から遠くへやられるまえの、最後の夏だった…。

パパが「仕事」で遠くに行っている時、必ず「病気」になってしまうママ。「薬」を必要とするママ。「病気」の時は、少年スライマーンには分らない話を次から次へとするママ…。

きっと、そこに愛はあるのだけれど、(そして大人になって思い出すとき、そこにはいろいろな理由があるのだけれど)少年スライマーンの周囲は何だか不安定。『千一夜物語』のシェヘラザードを勇敢な女性とみるスライマーンに、「病気」の時のママはシェヘラザードは臆病な奴隷にすぎないと言い募る。ママの言う通り、生きることは誰かの許可を得てではなく、その者自身に、最初から与えられた権利であるはずなのであるが…。

そして、彼らの家庭や周囲に影を落とす、「革命評議会」の男たち。隣のラシードさんが彼らに捕まり、スライマーンの父の身にもやはり危険が及ぶ。ママやムーサは父の書物を全て焼き、部屋には大きな「革命指導者」の写真を掛けるのだが…。

少年、スライマーンにとって、クワの実こそが神様がお創りになった最高の果実。アダムとイヴが楽園を追放されたとき、きっと若い元気な天使たちが申し合わせて、この世の土にその木を植え替えたのだ。美しい小さな赤い実。

この物語が恐ろしいのは、美しい風景を描き、少年の心に丹念に沿う、その同じ丁寧な筆致で、裏切りやスライマーンの心に潜む醜い部分を容赦無く描き出すところ。大人に思うように顧みられないスライマーンは、幼い思いからとはいえ、時に致命的な誤りを犯す。また、父に対する人々の批難や、母の擁護も実に痛々しい。リビアがとる人民主義の現実が父を苦しめ、イスラーム圏であるリビアの慣習が母を苦しめた。そして、子供は親とは無縁ではありえない。

そうして、あの夏を回想するスライマーンの心に残る空洞。結果として祖国を捨てることになったスライマーンの心には、母国リビアが消えた分だけの空洞が残る。

ぼくたちはなんとたやすく、軽々しく、架空の自分を手に入れてしまうことだろう。そうすることで世間を欺き、もし余計なことをせずにいたらなっていたはずの、ほんとうの自分を欺いているのだ。

終章、二十四歳になったスライマーンは、エジプトの都市アレクサンドリアで、陸路でやってきた(リビアでは国際線の運航が禁じられている)母に再会する。年を取った女性を探すスライマーンの目に飛び込んできたのは、白髪ひとつなく、まるでこの街に初めてやって来た少女のような母親の姿(彼女がスライマーンを生んだのは、十五歳の時。彼女がスライマーンをカイロに送り出したのは、二十四歳の時)。

これは少年、スライマーンの物語であるのだけれど、窮屈な世に生きたほんのちょっとだけ自己主張が強かった少女、ナジュワの物語でもある。終章、二人が再会を果たすところ、途中まではすっごい苦しい読書だったのだけれど、ぱーっと光が差すような気分になった。スライマーンの心の空洞、埋めていけるといいな。

*臙脂色の文字の部分は本文中より引用を行っております。何か問題がございましたら、ご連絡ください。

■メモ■
・リビア(Wikipediaにリンク
←2004年に国名が変わっていたのですね。
 「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国」の外務省のページにリンク
・トリポリ(Wikipediaにリンク
・イスラーム文化圏では、結婚して長男が生まれると、その名がマスードの場合、妻は「マスードの母」という意味でウンム・マスード、夫は「マスードの父」という意味でブー・マスードと呼ばれるようになる。

「サハラ縦走」/砂と礫の海の中で

 2007-07-18-23:16
野町 和嘉
サハラ縦走
岩波文庫 同時代ライブラリー


目次
1 サハラへのパスポート
2 オアシス
3 タマランセットへ
4 ニジェール
5 地平線
6 リビアの奥地で
7 キャラバン同行記
8 私たちの旅
9 タッシリ・ナジェール取材記
10 ラクダ君の死
11 旅のおわりに

 その後のサハラ
 -同時代ライブラリー版によせて-


あとがきのような「その後のサハラ」より引くと、これは1974年から75年にかけての約一年間に及ぶサハラ旅行の記録。1974年10月にロンドンを出発して翌年ミュンヘンに到着するまで、延々五万キロに達する車の旅と、車を手離したあと空路アルジェリアに行きタッシリの山塊をめぐった旅。

サハラとは、アラビア語の”沙漠”を意味する普通名詞であり、それは地球上でもっとも広大な荒地なのだという。アフリカ大陸の大西洋沿岸から東は紅海まで、地中海沿岸から南は北緯十五度線上まで、十一カ国にまたがり実に全アフリカの三分の一の面積を占める荒涼たる世界。

太古、ヨーロッパに数次の氷河期をもたらしたのと同じ気候変動によって、サハラは湿潤と乾燥とを何度も繰り返した。七、八千年前にはカバや象さえ生きていたサハラ地域に、現在の沙漠にいたる乾燥化が始まったのは、紀元前二千年頃のことなのだという。そして、広大な内陸部の低地と、それを囲む海岸部の山岳地帯という、サハラを取り巻く地形が、一旦乾き始めた地域の急速な乾燥化を助長した。湿気を含んだ海洋からの風はことごとく山々で遮られ、奥深い内陸部に降雨をもたらすことはなく、そうして残されたのは、激しい風化作用を受けた巨岩の峰々や、礫沙漠。もしくは、礫がさらに風化し、微粒子となった、砂粒からなる砂丘群。

この熱砂の世界を、この上なく清浄な世界と感じる著者が語る、沙漠とそこで出会った人たちの物語。たとえば、オアシスの話(「オアシス」という言葉から連想される、緑滴る枯れない泉があるわけではなく、そこは人々が必死に水を守る土地であり、その水も深い井戸から汗みずくになって汲み出すものである)、沙漠の塩の話(太古海底であった場所であるからして、塩分が沈殿し、ほぼ無尽蔵に塩がある)、ラクダのキャラバンの話(ラクダのキャラバンは、すでに輸送力としてではなく食肉用として組織されていたらしい)、素焼きの壺が置かれるお墓の話(サウジアラビアのファイサル元国王の墓の写真も、著者が見たオアシス・イグリにある墓と何等変わらぬ簡素なものであったらしい)、トゥアレグ族の話(見知らぬ者の前で素顔を晒すと、鼻や口から悪霊が体内に入り込むと信じられているため、ベールの巻き方が独特なのだという)など、なかなか聞けない話などではありますまいか。

著者の本業は写真家なので、残念ながらカラーではないのだけれど、載せられている写真も豊富。そもそも、私がこの本を手に取ったきっかけは、表紙の夕陽と砂丘の写真に惹かれてのことだったしね(これまた残念ながら、画像が出ないようだけれど)。トゥアレグ族のラクダレースは、かっこいい!

ひたすら沙漠を旅したそれまでの章とちょっと違うのは、タッシリ・ナジェール取材記。タッシリ・ナジェールとは、トゥアレグの言葉、タマシェック語で”川のある台地”を意味し、平均標高千数百メートルのサハラ中央部を走る広々とした台地のこと。そこには、サハラがかつて緑だったころ、その頃の岩壁画が、様々な様式、様々な年代で描かれているのだという。ところが、今ではこの地は乾いた死の台地となったため、水の補給が難しく、壁画を見て回るのはとても困難なことなのだとか。著者はラクダとロバを駆使し(ラクダはたくさんの荷物を運べるけれど、ロバのように険しい道は通れない)、何とかたくさんの壁画を見て回る。白い巨人や象のレリーフ、ロバや牛など、大らかな壁画が面白いです。

トゥアレグ族の少年、アブリと、旅人スレイマンが紡ぐ物語、「砂漠の宝―あるいはサイードの物語 」を思い出しながら、読みました。しかし、沙漠で生きるのって、ほんと過酷…。この旅に付き合った奥さんも凄いと思いました。車の移動も、当然、砂に足を取られながらなわけで、ほとんど苦行だもの。なのに、沙漠を旅することをやめないわけで、「魅せられる」ってきっとこういうことを言うのだろうね。
?

「13」/原色の色を生きろ

 2006-12-11-21:26
古川 日出男
13


目次
第一部 13
第二部 すべての網膜の終り
1 ココとマーティン/2 ココとサルサとマデリーン/3 ”マスマティシャン・オブ・カオス”/4 ココとCD/5 ココと臨死体験/6 響一と犬の少年/7 ココとマーティン、天使、響一/8 響一とココ/9 響一とココ?/10 ガブリエラ/11 ”王の王”/12 橋本響一、ココ・ココ・マチューカ・プラード/13 ”13”

片目だけの特殊な色覚障害を持つ響一は、その障害のゆえに特異な色彩の世界に生きていた。彼の描く絵は幼児のレベルを超え、輪郭線は存在せず、物体の輪郭は全て「色の終わるところ」として表現されていた。

そうして彼は、入園検診の時の色盲検査で新しい世界を知る。色盲の検査表には、正常者には読めても異常者に読めない文字や数字、また逆に異常者には読めても正常者には読めない文字や数字が配されている。響一が利き目ではない、異常がある左目で表を見た時に、立ち上がってきた文字や数字。それはまるで色の幽霊だった。響一はもう一つの異次元の世界を発見したのだ。それは彼の左目だけが捉えることの出来る、秘められた色彩の異世界。

響一はその異世界を再発見するために、色を塗る、色を作る。この世のありとあらゆる色を繰り、支配する手段を着々と磨く。でも、まだ足りない。まだあの世界への道は閉ざされている。

中学生となった響一の元に、ザイールのムンドゥの森から、狩猟採集民ジョ族の一員、ウライネがやって来る。霊長類の研究者である響一の従兄弟、関口昭彦が、彼らジョ族に命を助けられ、その恩返しとしてこの少年ウライネを、「白人の国」日本へと連れて来たのだ。

森の民であるジョ族にも、彼らの事情があった。農耕民族と白人たちとの接触により、これまで周囲の農耕民族たちを怯えさせていた「森」の魔力、霊力が薄れてしまったのだ。森の魔力を取り戻すため、ジョ族もまた「白人」の力を必要としていた。「白人」の霊力を手に入れることで、森の超自然力は快復する。彼らの中から選ばれたのが、ウライネだったのだ。

中学校を卒業した響一は、高校進学の道を選ばない。響一はザイールのジョ族の元へ行く事を望む。ザイールに渡った響一は、ジョ族の中にウライネの兄弟としての地位を築く。響一はジョ族と共に狩りをし、食事をし、ジョ族に伝わる昔話を好んで聞く。最初の人間の話、死者の世界であるバチカンバの話・・・。濃密な森の色の中、黒い膚の彼らの、白い膚を持つ兄弟となる。

物語の縦糸は、この色彩の求道者、橋本響一が紡ぐ。

これに絡んでくるのは、ザイールの農耕民の中に出現した、聖母マリアと見なされる少女ローミ。彼女は黒いマリア。農耕民たちは、森の民、ジョ族の敵であるのだが・・・。

そして、痛ましい事件の後、ザイールを後にした響一に絡んでくるのは、「すべての網膜の終り」なる映画を撮ろうとしている映画監督マーティンに、女優ココ、主題歌を作り、歌うCD。
粗筋にもなってないような粗筋だけれど、粗筋として言えるのはこれくらい。もう、もう、全ては混沌の中、カオスの中。色、音、匂い、味・・・。森の色彩、ジョ族のボディペインティングの色、彼らの食事、映画の中の映像イメージ、本を読むという行為なのに、物凄く五感を刺激する文章に酩酊する。

犬の物語であったり、神に到達する映像であったり、森の人の話であったり、膚の色の話であったり、まだ読んでないけれど、「ベルカ、吠えないのか?」に繋がるかと思われるもの、「サウンド・トラック 」のレニにも通ずるもの、「アラビアの夜の種族 」にも通ずるもの。

古川さんの話は、全然違う物語であっても、どこか同じ地平で繋がっている感覚がある。一部だけを取り出しても、凄く豊かなイメージなんだけど、それがまた違う世界とも繋がっていたり、また違う色合いを新たに乗せられて語られるのは、物凄く嬉しいなぁと思う。

 ← こちらは文庫

「アフリカの瞳」/立ち上がる人々

 2006-10-30-21:26
帚木 蓬生
アフリカの瞳

アフリカのとある国で暮らす日本人医師、作田信(サクダシン)。妻パメラとの間には、一人息子のタケシもおり、シンはこの国に骨を埋める覚悟をしている。市立病院に勤めるシンであるが、長年にわたって当直明けにはタウンシップにあるサミュエルの診療所を手助けしている。

恐らくは南アフリカ共和国がモデルとなっていると思われるこの国は、長年にわたるアパルトヘイトから解放されたものの、今度は貧困とHIVがこの国を襲う。諸外国からの考えなしの援助はこの国の育ち始めた産業を壊滅させ、貧困と無知がHIVの感染者を更に広げる。

しかしながら、この国には輝く瞳がある。明るい性質がある。日本ではずっと気になっていた、シンの顔の痣が全く気にならなくなるくらいに・・・・。この国では、生も死も色濃くうつる。

目次
1  あなたへの信頼 それが
   私たちを強くするのです
2  あなたは私たちを見つめる
  月の光となって
3  山の頂きで 谷底で
   私はあなたを称えるでしょう
4  鳥が木々の間を飛びまわる
   夏に挨拶をしながら
5  溢れ出る私の涙
   大河になって谷を下れ
6  私は燃える
   逃げ場もなく 燃え尽きる
7  私たちの家はここにない
   星のように遠い所にある
8  高い塀の向こうに肥沃な土地がある
   汲めども尽きぬ井戸と かぐわしい花畑
9  そこに私たちはもう帰らない
   父祖が死んだ土地だから
10 私たちに大地を 時を 石を
   風を語って下さい
11 この静寂のなかで
 ?? 私たちは今こそ歌うべきだ
12 鳥も 兎も 風さえも どこに行くのか知っている
 ? しかし私たちはどこに行けばいいのか
13 聞かせて下さい あなたの声を
14 違うと言おう 違うと
   NOこそ私たちの合言葉
15 死の谷を歩く
   私は怖くない あなたがともにいるから
16 私たちは歩く
   道の先にあなたが見えます
17 強く歌うには友がいる
   ひとりで歌う声はあなたに届かない
18 私たちには夢がある 私たちの眼を開かせ
   世界を見つめさせる夢が
19 ともに種をまき 刈り入れよう
   私たちの汗と血は未来に向かって流れる

(ふふ、なっがいけど、全部書き出してしまいました。読んでる間、ずっと、これ並べたかったんだよねー。ジャガランタの花とともに、この音楽のような章のタイトルがとても良いと思う)

この国では、国産の抗HIV薬ヴィロディンが妊産婦には無料で配られている。母子感染を防ぐためだ。ところが、HIV検査で陰性とされた赤ちゃんが、相次いでエイズ発症が原因と見られる様子で亡くなっていた。無料であるとはいえ、この薬を貰うために、妊婦たちは様々な労苦を耐え忍んでいる。この薬はまさに、彼女たちの命綱なのだ。また、欧米の薬に比べ安価であるとはいえ、無料配布とはならない妊産婦以外の患者たちも、必死の思いでこの薬を飲む。薬の効果に疑問を持ったパメラは、シンの助言を受けつつ、カヤ・ニールの仲間達と共に、ヴィロディンの追跡調査を始める。

一方、サミュエルの診療所を手伝うシンの元にも、劇的な症状を呈して亡くなったエイズ患者が運び込まれた。亡くなった娘、ブユは、ある白人女医のもとで治療を受けていたらしい。テンバが言うには、そこ、スティンカンプ女史のクリニックでは、赤い薬を貰う代わりに、日当が貰えると言うのだが・・・。これは、製薬会社の非合法の大規模な治験の一種なのか?

ラストの学会の様子は圧巻。ほんとはこんなに上手くはいかないのだろうけれど・・・。

アフリカのエイズ治療のために世界各国から寄せられたその資金は、先進国での高速道路五キロメートルの建設費と同じ程度の額、など刺激的なフレーズが沢山。欧米の製薬会社は、既に抗HIV薬の資金回収が終わっているにも関わらず、コピー薬の製造も輸入も長らく認めようとはしなかったらしい。WHOにより、やっとコピー薬の製造と輸入が認められても、それは正規の薬価の十分の一。勿論、貧しい人々の手に入るような値段ではない・・・。文中にも度々書かれていたけれど、対テロに回される費用の幾分かでもそちらの資金に回す事が出来れば・・・、と思う。

 ← 全く気付かなかったのですが、これが前作で
               今作に繋がってたみたいです・・・・。
               順番無視して読んじゃったらしく、ちょっとショック。汗
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つな がる

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つなです。
「日常」logとも称していますが、そう多くはない手持ちの本、興味が赴くままに借りてきた図書館本の感想が主になります。
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2008年3月23日に、fc2ブログに引っ越してきました。それ以前のamebaブログでの更新も、引っ越しツールによって移行しています(以前の記事は、表示が少々見辛いかもしれません。ご容赦を)。

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