くるくるウィジェット
くるくるくるくる回せます♪
オールタイムベストというわけではないのだけれど、どれも外れがないと思います。なかには癖のある本もあるけど、それもまた良しってことで。
(アニメーションが邪魔になったら、外すかも)
「八日目の蝉」/暗い場所から出た先には
![]() | 八日目の蝉 (2007/03) 角田 光代 商品詳細を見る |
やっぱり、角田さん好きだーーーー!!
暗く救いのないような話を書いていても、絶対、それだけじゃあないんだよね。それでもなお、人の心の力、人の強靭さを信じているというか…。
不倫相手の子を中絶し、その代わりのように、彼の家庭から生後間もない赤ん坊を連れ去り、逃げ続けた女。それが、0章と1章の語り手である、野々宮希和子。「どうか、この子と一日でも長くいられますように」。薫と名付けたその子との生活を望む、希和子のその願いは随分と身勝手なようにも思えるのだが…。勿論、普通に逃げ続けたのであれば、希和子はとっくに捕まっていた。昔の友人のもと、地上げに抵抗していた女性のもと、怪しげな宗教団体のようなエンジェルホーム、エンジェルホームで知り合った久美の実家がある小豆島。転々と居を移すことで、彼女の約四年にわたる逃亡は可能になった。エンジェルホームでは、エンゼルさんという中年女性に新しい名を貰い、人々は財産を含む現世での様々な執着を手放し、考えることを放棄する…。
2章からは、その子、”薫”が語り手となる。彼女もまた、最初は知らなかったこととはいえ、妻子ある男性との恋に苦しんでいた。そんな彼女の前に現れたのは、エンジェルホームで”薫”と一緒だったという、マロンこと千草。
彼女たち二人は、自分たちの意志ではなく特殊な育ち方をしてしまった。地中から出て、七日目に死んでしまうという蝉。生き残って、他の仲間たちが見ることがかなわなかったものを見られるのが、八日目の蝉。それは不幸なのか、幸福なのか。
”薫”が希和子から引き離され、取り戻されたその家庭は、決して明るく暖かい家庭ではなかった。逃げ続ける父、子供のような母。それでも、その家庭は彼女の家庭であり、母は彼女の母であった。四年間、なにくれとなく”薫”の面倒をみ、慈しみ育てた希和子と何ら変わることなく…。”薫”は一番の被害者であるのだろうけれど、弱い母、父もそれぞれに当事者であったのだ。普通では見られなかった景色をたくさん見てしまった彼ら。それでも、出来ることは憎むことだけではないはずなのだ。
小豆島の風景が美しいです。海と空と雲と光と。
「スコルタの太陽」/一族を形作るものとは何か
![]() | スコルタの太陽 (Modern&Classic) (2008/06) ロラン・ゴデ 商品詳細を見る |
一族というものを形作るのは一体何なのだろう? 「家族」ではなく「一族」。それにはたぶん、血を分けた者同士である必要はないのだ。
南イタリア、ブーリア地方、強烈な太陽が照りつける貧しい村。ある男の間違いから生まれた、父も母もない、ロッコ。ロッコは、彼をひきとった漁師夫婦の名と、父親の苗字をかけ合わせ、ロッコ・スコルタ・マスカルツォーネという新しい名を名乗る。
父親をただのちんぴらとするならば、自らを伝染病だ、飢餓だというロッコは、正真正銘の悪党だった。あくどい手口で金を集め、権力者となったロッコは、しかし自らの死に際し、その財産のすべてを手放してしまう。それがロッコの呪い。ドメーニコ、ジュゼッペ、カルメーラ。ロッコの子供たちは、裕福な暮らしから一転、貧しさの極地へと追い込まれる。
さて、スコルタの者を、スコルタたらしめているものは何なのか。それはロッコの呪いかもしれないし、ロッコから受け継がれた飢えかもしれない。カルメーラは結婚し、子をなしてもなお、夫に属するわけではなく、スコルタの者であり続けた。カルメーラを愛していた三兄弟の友人も、ある儀式を共に行うことでスコルタの一族となり、カルメーラへの愛を封印する。
さらに一族の結束を強めているのは、秘密を持ち、然るべき時にその秘密を継ぐべき者に、語り継ぐというその行為。自らが体験した真理を語り継ぐという行為。頑ななまでに、自らを一族に縛り付けるその行為。
強烈な太陽の日差しと、強烈な矜持。なんだか不思議な小説でした。詩的で古い雰囲気もあるんだけど、その古さは少し新しい古さに感じてしまいました。なんというか、ちゃんと古くない感じ?
ゴンクール賞受賞作とのこと。でもね、決して悪い小説ではなく、嫌いでもないんだけど、凄い!という感動がないんだよなぁ。「ファラゴ」と同じ、河出書房新社のModern&Classicシリーズなんだけど、このシリーズ、シリーズとしてあまり好きではない感じ(と、思ったけど、今見たら、同じModern&Classicシリーズでも、ほんとは結構いろいろバリエーションがありそうなのね。コンセプトはなんだろう? 二冊読んだとこだと、民話的、神話的なお話かと思ったんだけど)。
「禁断のパンダ」/それは神の食卓なのか
![]() | 禁断のパンダ (2008/01/11) 拓未 司 商品詳細を見る |
柴山幸太は、若くして独立した、ビストロスタイルのレストラン、<ビストロ・コウタ>のオーナーシェフ。妻の綾香は現在妊娠八か月。彼の人生はまさに順風満帆だったのだけれど…。
ある日、幸太は妻の友人の結婚披露宴に出席する。表向きは身重の妻の体調を気遣って、その実は半年先まで予約が取れないというフレンチレストラン、<キュイジーヌ・ド・デュウ(神の料理)>の料理を味わうため。幸太と綾香は素晴らしい料理の数々を堪能し、また新郎、木下貴史の祖父である、著名な料理評論家だったゴッド・中島との知己を得る。ところが、式の途中で貴史の父が姿を消し、結婚式の翌日には、彼の会社の従業員が刺殺体で発見される。貴史の父、義明の行方は依然として分からないまま。いったい何が起こっているのか?
時に幸太の視点、時に兵庫県警捜査第一課の刑事、青山篤志の視点に切り替わって、話は進んでいく。時がたつにつれ、失踪者の数は増し、青山たち警察は焦りの色を深めるのだが…。
無愛想で無口な<キュイジーヌ・ド・デュウ>の天才シェフ、石国、レストランに併設された<ハーバー・チャーチ>の主任司祭、ルイ・ヴァンサン。神のような舌を持ち、美食に尋常ならざる執着を持つ、中島翁。どいつもこいつも怪しいったら怪しいんだけど…。
幸太の「外食」というものの考え方については、賛成しかねるところもあるんだけど、何せ料理の描写がとっても美味しそうなのだ。この美味しそうな筆致でそこ書くか、というのがちょっと辛いところですね。
舞台は神戸。土地勘があってイメージ出来れば、もっと楽しく読めたのかなぁ。あとはバリバリの関西弁(これが、神戸の言葉なの?)が楽しめるかどうかですかね。ちょっと馴れ馴れしくも感じちゃうんだけど、もともとそういう言葉なんでしょうか。
ミステリーとしては、そう大した謎というわけではありません。表紙の雰囲気と言い、ユーモア・ミステリーだと思ったんだけどなぁ…。これだったら、私は「パンプルムース氏」シリーズのがいいな。ネタ的に「食」のタグを貼るのも迷っちゃいます。ちなみに、第六回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作であるようです。「このミステリー」、「このミステリー」、うーん、ミステリー??
他の物がゴミのように思える、恐ろしいほどの冴えを見せる石国シェフの料理。うーん、味わない方が幸せなのかも。たとえ凡庸とそしられようとも。ラストのある二人の人物の対比には、ぞっとしました。それはきっと開けてはならない扉。
「ヴァン・ショーをあなたに」/パ・マル、ふたたび
![]() | ヴァン・ショーをあなたに (創元クライム・クラブ) (2008/06) 近藤 史恵 商品詳細を見る |
目次
*Table des matieres*
錆びないスキレット
Le poele ne se rouille pas
憂さばらしのピストゥ
Un pistou malhonnete
ブーランジュリーのメロンパン
Viennoiseries ou pas?
マドモワゼル・ブイヤベースにご用心
Attention a Mademoiselle Bouillabaisse
氷姫
La princesse des glaces
天空の泉
Fontaine-sur-ciel
ヴァン・ショーをあなたに
Vin chaud pour vous
初出一覧
sources
「タルト・タタンの夢」のビストロ<パ・マル>再びであります。
おもに<パ・マル>を舞台にしていた前作とは異なり、本作では場所や視点も異なるものがいくつか。関係者以外の視点を通すことで、マンネリを防いでいるのかな。
恋人の不在を描いた「天空の泉」はちょっと大人ですねー。「星の王子さま」の砂漠のバラがキーとなります。「氷姫」は、その名の通り、ちょっとさみしいお話。「マドモワゼル・ブイヤベースにご用心」もそうだけれど、ちょっと恋愛話が多めなのかな? 「ヴァン・ショーをあなたに」は、前作でも何かと出てきたヴァン・ショーのレシピの元だよね。もうすっかり、三船シェフのものとなる前のヴァン・ショー。ここから、現在に至るまで、三船シェフはいったい何杯のヴァン・ショーを作ったのでしょう。
まだまだ続きもありそうな感じ。次作も美味しく読めるといいな♪
「ブラックジュース」/常識を揺さぶる短編集
![]() | ブラックジュース (奇想コレクション) (2008/05) マーゴ・ラナガン 商品詳細を見る |
目次
沈んでいく姉さんを送る歌
わが旦那様
赤鼻の日
いとしいピピット
大勢の家
融通のきかない花嫁
俗世の働き手
無窮の光
ヨウリンイン
春の儀式
謝辞
訳者あとがき
河出書房新社の奇想コレクション、気にはなっていたものの、実はこの本が初めてだったりします。
奇想であるからして、それは少し不思議な話。特にね、短編だからか多くは説明されない中に、その世界独自のルールががっちり存在する雰囲気が良かったな。つまりは、自分の中の常識が揺さぶられる感じがするのです。
訳者あとがきによると、本書は二〇〇五年度の世界幻想文学大賞(短篇集部門)を受賞した、Black Juiceの全訳であるとのこと(「沈んでいく姉さんを送る歌」は、単独でも二〇〇五年度の世界幻想文学大賞(短篇部門)を受賞しているそう)。
■沈んでいく姉さんを送る歌
犯した罪のために、タール池に沈んでいく姉、イッキーを見送る、ぼくたち家族の話。ゆっくりと沈んでいくイッキーの周りに集まった一日。
■わが旦那様
その奥様は、わたしが敬愛する旦那様には、到底相応しいとは言えなかった。ところが、ある時、わたしは彼女に共感を覚える。
■赤鼻の日
ピエロを殺す話。ピエロって確かに、ちょっと禍々しくも見える。
■いとしいピピット
いとしいピピット。そう呼びかけるのは、「キョタイ」の彼ら。
■大勢の家
ある特殊なコミュニティで育った少年が、コミュニティを出て外の世界を知り、そしてまた戻ってくる。
■融通のきかない花嫁
厳しい<花嫁学校>を卒業したわたし。でも、みんなと一緒に<本番>を迎える前に、わたしにはやるべきことがある。
■俗世の働き手
死にゆくばあちゃんのために、おれはじいちゃんに頼まれ、天使を探しに行く。
■無窮の光
おばあちゃんの葬儀のために、今ではゴーストタウンになった街に向かうわたし。汚染されたその地に向かう私の車の中には、種を入れたトレイがある。
■ヨウリンイン
ヨウリンインに家族を殺され、助かったものの町の人たちからも忌み嫌われているあたし。そして、あたしはまたその兆しを見る。
■春の儀式
たったひとり、春を呼び込む儀式に挑むおれ。
常識で言えば、天使というものは白い羽を持った美しい生き物であり、ピエロはその芸を楽しむものである。「いとしい」なんて言葉を使うのは、人間だけだと思いたい。これらがいい感じに裏切られるのが気持ち良いです。
牧歌的な状況の中の残酷な刑を描いた「沈んでいく姉さんを送る歌」、恐ろしげな姿の天使が度肝を抜く「俗世の働き手」が面白かったな〜。
「ハドリアヌスの長城」/牢獄からの解放
![]() | ハドリアヌスの長城 (文春文庫) (2000/12) ロバート ドレイパー 商品詳細を見る |
主人公である、ヘイドリアンは二重の意味で囚われ人であった。十五歳の誕生日(十五歳以上は、成人と同様に裁かれる)に犯した殺人の罪によって、その後、仮釈放を目前にした時期の脱獄によって。また、ある悪魔に魅入られてしまった罪によって…。
清廉潔白な父を持つヘイドリアン。古い森の人であった祖父は、最初の孫であり、息子の長子である彼に、アール三世という名を付けようとしたが、ヘイドリアンの父はそれを拒否した。父は息子に一族の伝統を束縛と感じさせたくないといい、偉大なローマ皇帝にちなんで、ヘイドリアン(ハドリアヌス)という名を選んだのだ。
様々な重圧が、まだ少年だったヘイドリアンを歪めたのか。彼の罪は、ただ偽の光に魅入られてしまったというだけであったのに。「なんでも楽々できたとかいう男の名前を息子につけるというのか。息子に、ただのアールでいるのでは足りないというのか……おまえも王様になれと息子に言うのか……信じられるか……」
ヘイドリアンや、親友ホープ、彼の運命の女、ジルが育ち、暮すのは、テキサス州にあるシェパーズヴィルという架空の町。シェパーズヴィルは、刑務所を一大産業とする町。囚人が町を清掃し、農場で収穫をし、テキサス州矯正施設庁長官の家のシェフをし、ハウスボーイを務めるそんな町…。そこには、利権があり、犯罪があり、親子2代にわたる付き合いがある。
文庫裏にあるこの本の紹介は全くの的外れ。
ヘイドリアンの帰郷に住民は全く動揺などしていないし(だって、ここは刑務所の町、シェパーズヴィルなのだ)、むしろ彼を迎える旧知の人々は本質は何も変わっていないと言えるでしょう。偽の光に惑わされていたのは、ヘイドリアンだけではなく、町の人々もまた。テキサス州シェパーズヴィル。この町では15万人の囚人を収容する州立刑務所が唯一最大の産業だ。ある日、仮釈放寸前に脱獄、8年も逃亡していた殺人犯ヘイドリアンが帰ってきた。幼友達で矯正施設庁長官に納まっているソニーが彼の特赦を認めさせたからだ。ヘイドリアンの帰郷に動揺する住民―監獄の町に仕掛けられた罠とは?
結構、なっがい話なんですが、ずーっと読んでいくと、最後は爆発的だと思います。ここまで読んで良かったー!、と思いました。
その土地の旧家であるエステル家の父娘には、「風の影」を思い出したんだけど、そこまでロマンチックではなかったみたい(というか、見損なったよ、ひどいよ、ジル!)。
誰もが幻惑されずにはいられなかった、ある光。その光から逃れたときに、ヘイドリアンの本当の人生が始まるのでしょう。
訳者あとがきによれば、ロバート・ドレイパーの次の作品は、イタリアのベニスに場を設定し、本作とはまったく趣向の異なる作品になるのだとか。洋書を探してみても、それらしいものはないんだけど…。次作もぜひ読みたい作家でした。
洋書の乾いた雰囲気も、和書の壁と影が印象深い装丁も、両方いいなー。
![]() | Hadrian's Walls (1999/05) Robert Draper 商品詳細を見る |
「数学的にありえない」/起こりそうもない?それが何だ!
![]() | 数学的にありえない〈上〉 (2006/08) アダム ファウアー 商品詳細を見る |
![]() | 数学的にありえない〈下〉 (2006/08) アダム ファウアー 商品詳細を見る |
目次
<上巻>
第一部 偶発的事件の犠牲者たち
第二部 誤差を最小化せよ
<下巻>
第三部 ラプラスの魔
エピローグ
謝辞
訳者あとがき
若き数学者、デイヴィッド・ケインは追い詰められていた。原因不明の神経失調に謎の悪臭。加えてポーカーで作った返せる見込みのない借金。あいつの手にロイヤル・ストレート・フラッシュが出来るなんてことは、確率論的にほとんどありえなかったのに!
上巻では、登場人物の様々な情景がどんどんカットインしてきます。これをどう収束させるか楽しみだー、と思っている間に、物語は加速度を増して下巻へと傾れ込む。
ナヴァ・ヴァナー。彼女はCIAのエージェントにして、ある信念のために、立場を利用して機密情報を敵対組織に売っていた。これまでは巧く切り抜けてきたけれど、彼女は北朝鮮との取引でミスを犯す。二十四時間以内に残りの情報を届け、金を返さなければ命はない。
ドクター・トヴァスキー。天才的科学者にして、ほとんどマッド・サイエンティスト? ある発見をした彼は、愛人である大学院生、ジュリアに対し、危険な人体実験を繰り返す。
ドクター・ジェイムズ・フォーサイス。科学者としての能力よりも、マネジメント能力に長けた男。しかし、優秀な科学者をコマとして使うことが出来るのならば、科学者としての評価などいかほどのものか? そんなドクター・フォーサイスは、何でも情報を覗き放題の<科学技術研究所>所長の椅子を、あと一ヶ月で追われるところ。何としても、ここらで一発、でかいテーマを掠め取っておきたいところだが…。
キーとなるドクター・トヴァスキーの大発見とは何なのか? ナヴァは北朝鮮から身を守ることが出来るのか? ドクター・フォーサイスは、見事、トヴァスキーの研究を横取りすることが出来るのか? ケインに発現した能力とは? 一見、何の関係もなさそうだった人たちの話も見事に絡まってきて、どうなるのか目を離せなくって、ページをどんどん繰ってしまいます。
確率論、統計学、量子力学、いろいろ出てきますが(量子力学に関しての説明はいまいち?)、エンターテインメント性を失わずに、お話を処理する手腕は見事。
ケインの双子の兄で、統合失調症のジャスパーの、韻を踏む癖のある会話も、このスピードに貢献している気がします。
ナンバーズで大当たりをするトミーに関しては、ちょっと可哀想なんだけど、ケイン、ジャスパー、ナヴァの側に立って読んでいれば、ハッピーエンドと言えるのかな。あ、悪役側(?)だし、とんでもない覗き屋なんだけど、監視任務のエキスパート、グライムズも、個人的にはツボでした。「事情を話してくれる気は−あるか−猿か−割るか−丸か?」
先が気になってざくざく読んじゃうし、登場人物たちもそれぞれに魅力的なんだけど、KGBの忘れ形見というナヴァの設定なんかは、現実味とかそういうのを飛び越えて、実に小説的とも言えましょうか。たぶん、いろいろ欠点もあるんだろうけど、私はこの小説、好きでした。「ダヴィンチ・コード」並みのページ・ターナーっぷりに、同じような値段設定。しかし、この手のエンターテインメント&一気読みが基本な本は、もう少しお安い設定でもいいんじゃないですかねー。と言いつつ、私は毎度の図書館なんですが。
扉の著者紹介を、そのまんま引きます。
さらにさらに、訳者あとがきから引いちゃいますと、1970年生まれ。ブルックリン在住。幼い頃、病で視力を失い、度重なる手術のため少年時代の多くを病院で過ごし、病床で小説の朗読テープを「濫読」する。やがて視力は回復、ペンシルヴァニア大学で統計学を学び、スタンフォード大学でMBAを取得、有名企業でマーケティングを担当。一念発起して執筆した本書でデビューする。本書は日米独伊ほか16か国あまりで出版されるベストセラーとなり、記念すべき第1回世界スリラー作家クラブ新人賞を受賞した。現在、第2長篇を執筆中。
原題は、「improbable」。起こりそうもない、本当らしくない。著者、ファウアーの来歴を知って読むと、よりぐっと来てしまいます。この世界には色々な選択肢や段階があって、それは無限の可能性でもって伸びていく。でも、起こりそうもないところ、ことであっても、それを選び取って行くのは自分でしかない。ファウアーの第二作も期待しちゃいます。なお、ファウアーは影響をうけた作家として、アイザック・アシモフ、スティーヴン・キング、マイクル・クライトン、トム・クランシーなどの名前を挙げている。ただし、ファウアーはこれらの作家の作品を”読んだ”わけではない。六歳のときに両目を難病に冒された彼は、膨大な量のエンターテインメント小説を、図書館の録音テープ版でつぎつぎに”聴破”していったのだ。一〇年以上にわたって入退院と手術をくりかえし、その間、つねに失明の恐怖に怯えていたファウアーにとって、こうしたエンターテインメント小説は、「医師や両親でさえあたえてくれなかった”逃避”をもたらしてくれる唯一のもの」だったという。
「王朝懶夢譚」/姫君の恋と冒険と異類の者と
![]() | 王朝懶夢譚 (文春文庫) (1998/01) 田辺 聖子 商品詳細を見る |
目次
月冴
麻刈
紫々
鮫児
悪来丸
こう嘆くのは、内大臣家の月冴姫。美貌も家柄もどちらも申し分のない月冴だけれど、入内が決まっていた東宮が急死しために、あたら若さを費やそうとしているところ。父と父の一族は、新東宮となった三歳の第二皇子に月冴を入内させようというのだ。乙女にとって十年はあまりに長い…。「ああつまらない。あと十年、何ということなく、ただ待つのですって? あたしは海老腰のおばあさんになっちゃうわ。青黴が生えて色が変わるわ。こんな若さが持ち腐れになるっていうの?」
わが身を嘆く月冴のもとに姿を現したのは、小天狗もしくは狗賓の外道丸。八つか九つに見える子童の姿をした外道丸は、月冴の境遇にいたく同情し、普通では見られない世の様々なことを見せてやるのだが…。
月冴の性格自体もさばけてるし、なかなかに勇敢だし、所謂深窓の姫らしくはなく、どこか「ジャパネスク」の瑠璃姫を思いださせるところもあるんだけど、何せこっちは誰がどう見ても文句なしの美人! そこはジャパネスクとの大きな違いかしらん。どうも最初っからジャパネスクを連想しちゃったので、ギャグ寄りというかユーモラスな話を期待しちゃったんだけど、実際はギャグっぽくしつつシリアスな話もあり、面白いんだけど、話がギャグに寄るのかシリアスに寄るのか、そこのバランスが読んでて合わない部分もありました。
最初の「月冴」は、月冴姫と小天狗の外道丸の出会いと、月冴が好もしく思っていた仏眼寺の仁照のもとに飛んでいく話。ここはね、文字通り、京の夜空を飛んで行くんだけど、異類たちが飛び交う様子がいいです。一角獣のような獬豸に天禄。正義が行われていれば、地上に降りてその姿を現すのだけれど、何千年、何万年も夜ごと彼らは地上に失望して天界へ還って行く。
野干、白沢、鮫児、猩々、河童…。異類との交わり、姫君の冒険と恋などが、綺麗にまとまった一冊です。今読むと特に目新しいところはないけれども(初出誌は「別冊文藝春秋」平成4年200号〜平成6年208号)、安心して読める本ではあります。漫画、アニメなど、ビジュアル化との相性も良さそうな感じ。でも、いまさらそんな展開はないかしら?
「田村はまだか」/待つ
![]() | 田村はまだか (2008/02/21) 朝倉 かすみ 商品詳細を見る |
目次
第一話 田村はまだか
第二話 パンダ全速力
第三話 グッナイ・ベイビー
第四話 きみとぼくとかれの
第五話 ミドリ同盟
最終話 話は明日にしてくれないか
なんてったってタイトルがとても印象的。いろいろな方のブログでこのタイトルを見ていて、気になっていました。
「田村はまだか」。「田村」を待っているのは、小学校のクラス会のメンバー、男女五人+バーのマスター、一人。
クラス会とはいえ、すでに三次会。大雪で列車が遅れ、クラス会に間に合わなかった「田村」を、四十歳になった彼ら五人が待つ。舞台は、札幌、ススキノのせまっ苦しい小路にある、十坪ほどのスナック・バー、「チャオ!」。バーのマスターも、「田村はまだか」というフレーズが繰り返されるたび、いつしか彼を待ちわびるのだが…。
四十歳といえば、彼らそれぞれに印象に残る思い出があるわけで、思い出は小学生の頃の話だけではなく、新人の頃のこと、最近のこと、数年前のこと、語り手を変えて飛んでいく。バーのマスター花輪にも、この場所にたどり着いた、またそれなりの理由がある。
学生時代の友人たちが年を経て出会うというと、たとえば恩田陸さんなどが得意とするシチュエーションでもあると思うのです。恩田さんであれば、彼らが話すのは、彼らが共に過ごした学生時代の謎であるかもしれない。でも、ここで話されるのは、小学校六年生にして孤高の存在であった「田村」のことや、大人になってから彼らの心に刻まれた思い出。そういう意味では、ごく真っ当な小説と言えるのかなぁ。
途中までは、ふむふむこういう書き方もあるんだね〜、と思って読んでいたし、この本の中で「田村」が登場することをほとんど諦めていたんだけれど…。そこでいったん入る捻りは、どうなんだろう、賛否両論あるんじゃないかな。小説の中のお話とは言え(というか、小説だからこそ、かな。だって、確率的には、そうある出来事じゃないでしょう)、私はそういう運命にはえーー!!、と思ってしまうので、どちらかといえば「否」の方かも。んでも、「話は明日にしてくれないか」の田村、「どうせ死ぬから、今、生きているんじゃないのか」も含めて、かっこいいです。















